「熱いハート」に語りかける広工大
生き残りをかけて激化する大学の学生獲得合戦。特に地方大学が苦戦を強いられている境下で、広島工大が実にステキなCMを展開している。
もはや回避することができない加速度的な少子化によって、大学は淘汰の時代に入っている。生き残りをかけた動きが速かったのは関西勢の大学だ。東京一極集中によって関西パッシングされることを避けるために九州などで入試説明会を開催する。一方、東京の大学も関西で説明会を開くなどの動きを見せ、まさに仁義なき戦いの様相を呈している。そんな環境下で地元の進学予定者を関西・関東に吸引され、地方私大の苦戦が顕在化。既に来年度の学生募集をやめ、廃校を決定した大学もある状態だ。
地方大学の一校である広島工業大学が、学生募集のすばらしいCMを放映している。
<広島工業大学のテレビCMを、2010年4月より中国・四国地方を中心に放映しています>(広島工業大学・広報Webサイト)
http://www.it-hiroshima.ac.jp/about/publicinfo/tvcm/
「もしかして、広工大。男子篇」「もしかして、広工大。女子篇」の2バージョンがある。
男子篇は、故障した電子レンジを「チンせんのよぉ!」と広島弁で不満を呈してガンガン叩く母親に、ちょうど帰宅した息子とおぼしき男子高生。「僕は叩かない」のテロップ。テキパキとレンジを分解。修理を試みる。オチは「よくわからん」と、結局、治らない。だが、実に楽しそうな、その表情がいい。「もしかして、広工大。」のサウンドロゴが入る。
女子篇は、工場見学に来ている高校生グループの姿だ。工業ロボットの動きに、ヘルメット姿で、熱いまなざしを送る女子高生。「かっこいい・・・」と思わずつぶやく。「女子なのに、変ですか?」のテロップ。オチは、思わず鼻血をだす女子高生の姿に、「もしかして、広工大。」
大学が生徒を集めるのに、「広くて美しいキャンパス」「楽しい行事」とか、どこもかしこも同じようなセールスポイントで、何だか良く分からなくなってしまっている今日このごろ。生き残りをかけた戦いで、焦れば焦るほど、ターゲットニーズを無視した機能訴求をするのは大学だけでなく、世の常。しかし、広工大のCMは、受験生が本当に好きな事、打ち込める事がここで出来るんだ、ということを、短くて台詞もほとんどなしで上手に見せている。
「大学全入時代」といわれるようになり数年が経過し、大学進学率は50%に近づいている現状、大学は特別な存在ではなく、いってみればコモディティーになっている。プロダクトライフサイクルで考えれば、成熟期から衰退期に移行している状態だ。そんな時、「製品特性」で考えれば、競争のステージは、「付随機能」となるのが常だ。
製品やサービスを購入して実現したい「中核」となる価値は、大学なら「学べること」「知的欲求を充足させられること」である。それを実現する「実体」価値は「教員の質」や「カリキュラム」。付随機能が「設備等の教育環境」「楽しく過ごせる行事」だ。
コモディティーと化した大学が学生に訴えかける時、「付随機能」である、大学の設備などの「スペック合戦」になりがちなのが今日の姿である。
ブランド論の大家、デビッド・A・アーカーが著した「ブランド・エクイティ戦略」(ダイヤモンド社)に、「コモディティー化」と「スペック訴求合戦」を脱するキーワードがある。「知覚品質」という考え方である。
「知覚品質」とは「顧客が認めている、“その製品ならでは”の価値」である。スペックを重視する「工業的な品質」は当然、「客観的に測定可能な品質」であるが、それに対してアーカーの提唱する「知覚品質」は、目に見えない「顧客の頭の中の主観的な評価」である。言い換えれば、その顧客なりの“対価を支払う理由”である。
広工大のCMは、「知的欲求を充足させられること」を情緒的価値として、真っ直ぐに訴えているところがすばらしい。
学校で教育されたカリキュラムのおかげで「ゆとり」だのと言われ、大学を出ても「指示待ち」だの「安定志向」だのと言われがちなイマドキの学生。しかし、熱いハートを持って、学びの欲求を充足させたい志願者も必ずいるのだ。そんな若者が迷わず選択できるメッセージを、もっと多くの大学が送ってもいいと思った。
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