「ケータイらしいケータイ」って何だ?
電車の中で新しい携帯電話のポスターが目に止まった。auの「カシオ・CA003」。(http://k-tai.casio.jp/products/ca003/)ケータイカメラはついに12.2メガだ。それに「顔認識」は当り前、各種のシーンに応じた撮影モードや、画質劣化のしない20倍ズーム、高速連写に、カシオのお家芸である「ダイナミックフォト」、つまり静止画・動画合成機能まで搭載している。はっきりいってこれは、カシオのデジカメ・EXILIM に携帯電話機能を搭載したようなものだ。・・・確かに「EXILIM ケータイ」といっている。
派手な機能だけでなく、カシオの 「EXILIM ケータイ」のブランドコンセプトはしっかりしている。
<撮りたくなる。伝えたくなる。 毎日持ってるケータイだから、思いついたらすぐ撮れる。偶然出会ったその瞬間を、大切な人と送り会い、伝えあって、キブンやキモチを共有できる。誰かと誰かをPhotoでつないで、Communicationを楽しもう。(後略)> (カシオWebサイトより)
まさしくケータイカメラの本質を突いている。
今日、デジカメで撮影した写真はほとんどプリントされない。デジカメ本体の液晶画面も大型化し、SDカードなどのメディアも大容量化していることから、カメラ自体が「持ち歩けるアルバム」と化してそれを人に見せることが多い。しかし、それよりメールで送れば離れた人とも、そしてより多くの人とも共有できる。そうした消費者のニーズは大きいはずだ。少なくとも筆者は最近、ケータイで気になるものを撮影して人に送るということが、撮影という行為そのものになっている。
「撮影→送って共有」というアクションは、ケータイだけでなくデジカメでも始まっている。「CEREVO CAM」。(http://cerevo.com/)内蔵の無線LAN機能かイーモバイルの着装で、撮影したその場ですぐに画像をアップロードでき、共有できる。「世界一写真をシェアするのが簡単なカメラ」がコンセプトだという。
生物学では「収斂進化(しゅうれんしんか)」という。「複数の異なるグループの生物が、同様の生態的地位(環境要因)についたときに、系統に関わらず身体的特徴が似通った姿に進化する現象(Wikipediaに加筆)」。空を飛ぶ「昆虫の翅と鳥・コウモリ・翼竜の翼」土中で生活する「モグラと昆虫のケラの前足」などがその例である。各々の生物が環境に適応するために器官を進化させた結果、同等の機能を獲得する過程で極めて似た形状となることを示している。
ケータイとカメラも「撮影→送って共有」という使われ方、消費者のニーズの高まりという環境変化に適応するため、収斂進化したのだと解釈できる。
筆者にはとても便利な機能で、ケータイでもカメラでもそれが実現できるのはありがたい限りなのだが、少々心配な気もする。
生態学における「生物多様性」。「環境に適応する面からも、画一的な生物群よりも多様性を持った生物群の方が生き残りやすいと考えられる。環境に変化が起きたとき、画一的なものは適応できるかできないかの二択であるが、多様なものはどれかが適応し生き残る為の選択肢が多いからである(Wikipediaより)」。
「消費者ニーズ」という「環境」に適応するための収斂進化の結果、多様性がなくなってはいないだろうか。消費者ニーズが大きく変化した時にどうなるのか。
音楽が聴けるケータイ、ワンセグが見られるケータイ、電子ブックが読めるケータイ、ハイビジョン撮影ができるケータイ、楽器になるケータイ・・・いやいや、十分ケータイは多様性を確保しているとの論もあるだろう。しかしそれらは、オーディオプレイヤー、ワンセグテレビ、電子ブック(あるいは文庫本)、ハイビジョンビデオカメラ、楽器との収斂進化である。いや、正確には収斂進化ではなく、「片方が、もう片方の種に似た姿であることで何らかの利益を得るため、それに似る方向に進化したもの(同)」であるところの「擬態」である。
カメラはどうかというと、カメラ本来の原点回帰の動きが見える。
大人気の「デジイチ」こと、「デジタル一眼カメラ」。そして、「トイカメラ」のデジタル版、「トイデジ」。ひたすら美しい写真を撮影するための「デジタル一眼」。微妙なボケ味とビビットな色調で芸術的な撮影を楽しむ「トイデジ」。確かに撮影した写真を人に見せるということもあるだろうが、「撮影→送って共有」というよりは明らかに撮影者自身の趣味の実現に使われる商品であり、ケータイカメラとは明らかに一線を画す。
では、ケータイはどうだろうか。携帯電話の「原点」、即ち中核的価値は「通話」とiモードの登場以来は「メール」と「携帯サイトの閲覧」だ。意外とシンプルなのである。それを実現する「実体」はバッテリーが長持ちして、丈夫で、いつでも(雨の中でも)使えるような防水機能などだ。そして、現在、各社が競い合っている「擬態的機能」は、中核的価値とは関係のない「付随機能」である。
カメラに「原点回帰」が求められたように、付随機能を取り去ったシンプルなケータイを求めるニーズはないのだろうか。
シンプルなケータイというとどうしても高齢者向け機種が主となる。例えば、「1・2・3」という短縮ボタンが付いているような。さすがに高齢者であるという自覚がなければそれを持ち歩くのは抵抗がある。一方、当の高齢者はすっかりケータイに目覚め、それこそ「撮影→送って共有」という使い方をするため高度なカメラ機能や、孫と「デコメ」を楽しむというような使い方を求めて高機能ケータイへの買い換えが進んでいるという。
年代で「シンプルを求める、求めない」というセグメントをすることが間違っているのではないだろうか。
どんなに消費者ニーズという環境が変わっても、付随機能を取り去った中核的価値は変わらない。また、シンプルにそれだけを求める層もなくならないはずだ。ひたすら多様で高機能化したコンパクトデジカメとは別に、デジタル一眼やトイデジが原点回帰をしているように、ケータイも軸足に重きを置いた機種をもっと出してもいいのではないだろうかと思った。
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金森先生
いつも、役に立つ記事ありがとうございます。
楽しく拝読させていただいております。
デジカメのSDカード型無線LANカードあります。
これ、とっても便利です。
Eye-Fi(アイファイ)カード
http://www.eyefi.co.jp/
Posted by: ykimata | 2009.11.28 09:52 AM