アサヒビールはパンドラの箱を開けたのか?
「うまい」。思わず唸った。発売されたばかりの発泡酒「アサヒ クールドラフト」を飲んで思わず漏れた一言。しかし、そのうまさ故に、不安を感じざるを得ないコトもあるのだ。
豊川悦司が射すくめるような鋭い目で語りかける。「一番うまい発泡酒を、決めようじゃないか。」そしてポスターにはもう一言「キレが、うまさだ。」とのコピーが添えられている。「キレ」は確かにアサヒビールのお家芸だ。しかし、誰に対して「一番を決めよう」と挑戦しているのだろうか。
かつてビール市場でのシェアが10%を割り込むまでに落ち込んでいたアサヒビール。チャレンジャーの戦略である「差別化」の切り口として「ビールのうまさは”キレ”」にあるという新たな価値観を訴求した。「スーパードライ」の上市である。「キレのスーパードライ」でシェア50%超えを誇るキリンビールの牙城を切り崩し、一気に首位の座を奪取した。21年前のことだ。そしてついに、<2008年のビール市場(発泡酒と第3のビールを除く)で、アサヒビールのシェア(市場占有率)が、初めて50%を超えることがほぼ確実となった>(※1)という。
しかし、発泡酒と第3のビールを含む「ビール類市場」で見ると、昨今、「ビール」の販売量低下には歯止めがかかっていない(。※2)<ビールの構成比は46・8%と平成4年の統計開始以来、過去最低の水準>であるという。
ビール類市場のポートフォリオで考えれば、アサヒはスーパードライという強力な「金のなる木」を抱えている。金のなる木には積極投資をせずに、新たな「スター」を育成するために「問題児」に投資をするのが原則である。そして、ビール類市場における問題児とは、「第3のビール」に他ならない。
第3のビールは今年2月の統計で、ビール類市場全体が落ち込んでいる中、<構成比率が30・1%と単月で初めて3割を突破>した成長分野である。
成長分野である第3のビールにおける各社の戦いはどのように展開されているのだろうか。<首位のキリンが41・7%で、アサヒは20・9%とサントリーに次ぐ3位>(※3)であるという。
アサヒはシェアにおいてキリンにダブルスコアの大差をつけられているが、そこには明確な意志決定がある。第3のビールには<本来のビールの原料である麦芽を一切使わず、大豆やエンドウ豆を原料とする「その他醸造酒」>と<麦芽を使った発泡酒とスピリッツなどの蒸留酒をブレンドした「リキュール」>の2種類が存在し、アサヒは<先月3日に、その他醸造酒から撤退しリキュールに特化する方針を表明>しているという。つまり<麦芽を使うため、本来のビールに近い味わいが実現でき、ビール党の支持も集め、シェアを急拡大>している「リキュール類」に経営資源を集中し、「第3のビールリキュール類シェア1位」を標榜しているのだ。
そうなると、悩ましいのが発泡酒カテゴリーである。第3のビールのシェアが上回ったとはいえ、このカテゴリーを捨てることはできない。しかし、このカテゴリーで生き残るためには、キリンの「麒麟淡麗〈生〉」ような強力なブランドが必要であることが見えている。
同ブランドが誕生して以来、11年。今年1月に<累計販売本数が200億本を突破>(※4)したといい、<発泡酒売上げ10年連続No.1>の王座で、縮小傾向にある発泡酒カテゴリーにおいても堅調な伸びを示している。
淡麗の人気の秘密はどこにあるのか。それは、淡麗の示すポジショニングが如実に表わしているといえるだろう。<爽快なキレのある味と、引き締まった喉ごしを併せ持つ発泡酒>である。(※5)
アサヒがキリンに突きつけたビールの「キレ」という新たな価値。キリンはそれまで、ビールの「うまみ」というものを訴求していたといえるだろう。故に、「キレ」に注目が集まったからといって急にメッセージを転換することはできない。リーダーが従来、顧客に対して発信してきたメッセージと矛盾するような製品を提供する「論理の自縛化」というチャレンジャーの戦略にはまったわけだ。
しかし、発泡酒という新たなカテゴリーなら、「キレ」を訴求できる。それが奏功したのだ。
対するキリンはどうか。発泡酒のメインブランドは「アサヒ本生ドラフト」である。メインメッセージは<これぞ、コクキレ。飲みごたえの「生」。>。(※6)
「コクキレ」である。アサヒのお家芸である「キレ」の前に「コク」がきている。実際に飲んでみても、キレよりも、むしろ重たいビールの「味わい」がが感じられる。
発泡酒においてコクを訴求するアサヒ。それは自社のフラッグシップであるスーパードライを守るためではないかと推察できる。低価格な発泡酒で同様にキレを充足させてしまったとしたら、スーパードライとのカニバリゼーション(共食い)が発生する。故に、キレの発泡酒は作れない。
ビール市場でリーダーとなったアサヒは、キリンからチャレンジャーの戦略の定石をしかけられたのだ。リーダーが強みとしている製品と共食い関係となるものを提供する戦略を「事業の共食い化」という。
今回、アサヒは本生ドラフトを温存したまま、クールドラフトを上市した。それにいかなる意味があるのか。広告のコピーは冒頭記した「一番うまい発泡酒を、決めようじゃないか。」である。発泡酒カテゴリーのリーダーである淡麗生に真っ向勝負というわけだ。消費者から「一番じゃない!」と言われたら、もうどうすることもできない背水の陣を敷いたのだ。
負けられない戦いにおいて、やはり決め手は味だ。そして、その味は「キレが、うまさだ。」とのコピーが端的に表わしている。そして、そのコピーに偽りはなく、確かに喉ごしのキレは抜群でうまい。
味だけではない。パッケージにも並々ならない力のいれようが感じられる。缶の2/3を占める輝くシルバーの地色。それはスーパードライを彷彿とさせ、パッケージを見ただけでもキレを期待させる効果抜群だ。そして、そこに描かれた英文の一節には
アサヒが本気になってキレにこだわった発泡酒を作る。確かにうまいものができあがった。ユーザーとしてはうれしい限りである。だが、スーパードライと見まごうようなパッケージと、それに迫る味わいは、少なからずカニバリが発生することが予想される。その程度が「少なからず」というレベルに留まらなければ、さらに傷は深まる。
そのため、「うまい!をカタチに!」と称する、ほぼ1年間にわたるような、マストバイ(購入必須)応募型キャンペーンを展開し、スーパードライユーザーの囲い込みを図っている。しかし、それでもカニバリの懸念は消えない。何しろまだ出口が見えな景気の低迷は、消費者の低価格志向をさらに加速させているからだ。
アサヒはスーパードライを自らの製品で喰ってしまうというパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。
しかし、そこにはアサヒの明確な意志決定を感じる。ビール市場において不動の1位を確保し、そこで顧客の囲い込みを図る。しかし、市場自体は縮小傾向だ。そのため、最も成長が期待できる第3のビール分野では、自社の技術が活かせる「リキュール類」に経営資源を集中。そして、キリンに頭を押さえ続けられている発泡酒市場において、ついに総力戦を挑んだということなのだろう。
「一番うまい発泡酒を、決めようじゃないか。」とのメッセージには、筆者はこの、「クールドラフト」に一票を投じたい。そして、同時に、スーパードライとの関係がどうなってゆくのか。アサヒの製品ポートフォリオ戦略が奏功するのか、今後を見守っていきたいと考えている。
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