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18 posts from September 2008

2008.09.30

低価格ノート市場の活況と東芝・富士通参入の意味を考える

台湾のASUS(アスース)に続き、デルやヒューレット・パッカード(HP)などの米国大手も参戦し、パソコンにおけるすっかりホットなカテゴリーとなったミニノートPC。ついに富士通が来夏、さらにそれを上回る早さで東芝が10月下旬に国内販売を開始するという。
その両社の意図と効果はどこにあるのだろうか。そして、参入は成功するのだろうか。
低価格ノートの誕生の歴史から現在までを辿りながら考えていこう。


■低価格ノート誕生の背景

MITの教授にしてメディアラボ理事長であるニコラス・ネグロポンテ氏が、「途上国の子供たちのため、100ドルのノートPCを開発しよう」と提唱し、非営利プロジェクトによって作られた「One Laptop Per Child(OLPC)」というものがある。低価格で最低限のスペックなれど、教育用としては十分用をなす「OLPC XO」という機種が出来上がったが、残念ながら100ドルは実現できなかった。
結果としてその高邁な思想の結実であるOLPC XOを徒花としてしまった感のあるのが、ASUS Eee PC 4G-Xだ。元々がマザーボードの大手メーカーであるASUSである。量産化技術なら一歩上だ。100ドルの倍近いとはいえ、明らかにXOよりもコストパフォーマンスは優れている。そのおかげで、教育用として大量発注をかけた国もあるという。しかし、ネグロポンテ教授の構想のおかげで、その後いくつものメーカーが「100ドル台パソコン」の開発に参入したのも事実である。


■199ドルノート時代の姿

最低限のスペックで、できる限りの低価格化。コミュニケーションインフラを確保するという目的で開発された、このカテゴリーの初期の姿を見てみよう。
Eee PC 4G-Xは、OSはLinux、液晶はカーナビ用などに量産され低価格化している7インチという小型のものをを用い、記憶媒体も僅か4GBのSSDという極限まで贅肉を削ぎ落としている。想定される使い方は、基本はインターネットのメールとブラウジング。文章作成などのアプリケーションは無料のWebサービスを利用するという発想だからだ。


■移り変わるターゲット

しかし、やはりOSはLinuxよりWindows XPの方が使いやすいなどという声が出るようになり、その分価格が上昇したあたりから、少々、このカテゴリーの様相が変わってきた。
途上国向けにはASUSの4G-Xに合わせてマイクロソフトが極めて低価格でXPを提供したケースもあったようだが、一般に市販する場合にはそうはいかない。しっかりXP搭載分、価格が高くなる。日本市場向けに展開されたのは全てXP搭載モデルで、価格は49,800円であった。低価格ノートの5万円台という相場はこのようにして形成されていったわけである。
199ドルならぬ49,800円という価格上昇と相まって、途上国の教育用としてではなく、「PCのヘビーユーザーのためのサブマシン」というターゲットとポジショニングが変容した。日本では取扱店の店頭に並ぶと、瞬く間にマニア層を中心としたユーザーが飛びつき、完売した。
しかし、ターゲットはさらに拡大することになる。モバイル接続会社のイーモバイルが、データカードの契約とセットでEee PC 4G-Xを19,800円で提供するキャンペーンを大手量販店で開始した。そのことから、従来PCを所持していなかった層の1台目として購入が進んだのだ。


■スペックアップへの対応

サブマシンではなく、1台目マシンとしての使われ方は、スペック不足も顕在化しだした。ASUS社は独特のこだわりで、記憶装置をSSDにしているが、コストの関係で4GBしかない。XPにあらかた容量を取られ、自由になるのは僅か1GB程度。これではさすがに使い勝手が悪い。さらに、サブマシンとしてたまに使うならまだしも、メインで使うなら7インチ液晶は少々辛い。
全てはコストの問題から仕様が限定されていたコトが原因だが、一つには199ドルが制約条件ではなくなっていることが挙げられる。日本円で5万円台という相場は自由度が生まれる。さらに、マニア層のサブマシンでなく、エントリーユーザーのメインマシンというポジションが獲得できれば、裾野が広がり、多くの台数の生産が可能となる。いわゆる、規模の経済が働くのだ。そして、ASUSは大幅にスペックを向上させた901-Xを投入した。
しかし、多のメーカーも黙って見てはいない。冒頭に記した米国大手のデル、HPや、同じ台湾勢のエイサー社も参入してきた。スペックは各社とも8.9インチの液晶を備え、ASUS、デルがSSD、HPとエイサーがHDDと分かれているが、記憶容量も十分だ。その他スペックもヘビーユーザーが使い倒すという状況でない、日常使いなら十分なレベルに引き上げられている。ここに至って今年の夏までに、完全に低価格ノート市場に各機種が勢揃いした感がある。さらに、イーモバイルのキャンペーンは4G-Xを100円に値下げすると共に、上級機群を2万円以下で販売する内容に切り替え、展開。普及に弾みをつけている。


■参入を躊躇していた日本メーカー

低価格ノートが1機種、また1機種と上市される度に、パソコンやインターネット関連の記事に日本メーカーの担当者やアナリストの談話が掲載されていた。「低価格機は儲からない」と。相場価格が多少上昇し、規模の経済が効くレベルまで市場が成長したが、何とか生産してトントンにすることはできるかもしれないが、決して利益の出る市場ではない。厳しいばかりで、おいしくない市場であると。
確かに日本メーカーのパソコンはハイスペックで高価格である。考える限りのスペックと機能を詰め込んでいる。量販店に並んでいるノートパソコンを見てみると、最安値の機種群で13万円弱~15万円強。その上は20万円オーバーに突入する。低価格ノートが何台も買える価格だ。
高い価格で高品質を提供する。マーケティングの価格戦略でいえば、「プレミアム戦略」である。ちなみに、中価格で標準的な品質を提供するのが「中価値戦略」。低価格で低品質なのが「エコノミー戦略」である。この価格と品質が正比例している状態を「バリューライン」と呼び、この価格×品質のライン上にいる状態では、購入者にコストパフォーマンスによる魅力は訴求できない。低価格だが、価値は中程度なのが「グッドバリュー戦略」。さらに低価格で高品質を提供するのが「スーパーバリュー戦略」だ。現在、低価格ノートは「グッドバリュー戦略」のポジションにあると言っていい。


■「ガラパゴス化」との決別の第一歩か?

自社は担保すべき「品質」とは何かを明確にすることは非常に重要だ。日本メーカーは「あらゆるユーザーが満足できる、フルスペックの機能・性能」を目指していなかっただろうか。しかし、それを誰が求めていたのか。
携帯電話を見てみるといい。恐ろしく多くの機能が盛り込まれている。そのうち、いったいいくつを使っているのか。いや、使い方がわかっているのか。もっといえば、機能の存在を知っているのか。携帯キャリアとメーカー各社が一緒になって競い合い、あまりにそれが行き過ぎて日本市場独自仕様が進んでしまった。俗に言う「ガラパゴス化」だ。確かに日本人は小さな機械を操作するのが上手であり、また好きではあるものの、それを本当に求めていたのだろうか。決してそうではない。

そうして考えてみると、日本メーカーが低価格市場に参入するためには、もともとASUSが行い、さらに競争激化の後に各社も努力したであろう、「絞り込み」が必要となるのだ。
必要な機能・スペックを絞り込んでコストパフォーマンスよく実現する。さらに、そこにキラリと光る自社のこだわりを加える。そんな「何でもかんでも盛り込む」というような戦い方ができない中での差別化を行うのがこの市場だ。

厳しい市場でしのぎを削ることは、日本メーカーにとって大きな意味を持つことになるだろう。参入が噂されながら、まだ姿を見せないソニーも、もしかすると今、牙を磨いているのかもしれない。東芝、富士通の検討に期待しつつ、ソニーをはじめとした他の日本メーカーの参入も待ってみたい。

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2008.09.29

エコ心を動かすグラフィックの力

お詫びというか、言い訳というか。
前月末、「飲むべきか、飲まざるべきか、それが問題だ」と言う記事を書いた。
「ペットボトル入りのミネラルウォーターをそろそろやめませんか」という提案だった。

確かに、世の中的にはそう動いている。
前回も紹介したとおり、魔法瓶の大手、象印は「マイボトルを持とう」キャンペーンに注力している。

SIGGのアルミボトル」もいい。
100年の歴史を誇り、スイスの自社工場で生産された製品は世界50カ国の国々に輸出されている。また、ドイツで最も権威のある環境保護専門誌からも栄誉ある賞を贈られたという。

だがしかし、ここがまた、筆者の情けないところなのだが、そうは言ってもペットボトルは「カンタン」なのだ。
いつでもどこでも買える。すぐ飲める。
ちゃんと、ラベルをはがして、キャップを外して。(ちなみにキャップは取っておいて、ポリオワクチン募金に使う)。
こうしてきちんと処理すると、不思議と良心の呵責が低減される。エコロジーの3R(リデュース・リユース・ リサイクル)のリサイクルは実践しているわけだし・・・と。

しかし、本当はわかっているのだ。3Rはリサイクル(Recycle)よりもリデュース(Reduce=削減)が一番環境負荷軽減効果が高いことを。
そのようにアタマではわかっているけれど、実践できない人を動かすのが「グラフィックの力」ではないかと思う。
今日、一番紹介したかったのが以下だ。

例えば、アタマに訴えかけるなら、こんなコピー。

“Last year 16 million gallons of oil were consumed to make plastic water bottles.”
  水を入れるプラスチックボトルを作るために、去年16000000ガロンものガソリンが使われました。

そうだよなー、やっぱりリデュースが大事だよなー。と、また、アタマではわかって、ペットボトルをやめようと思うだろう。しかし、行動できるだろうか。もしかすると、また帰りにコンビニで買ってしまうかもしれない。

では、コピーにんなグラフィックが添えられていたらどうだろう。
http://greenz.jp/2008/09/29/water_ad/

<ボトルを作るために、水を運ぶためにたくさんの石油を使う>ことを表わしているという。
日本でもおなじみの、ポット型浄水器「ブリタ」の広告だ。
このインパクトたるや、凄まじい。

環境問題に貢献しようと思うと、実際には手間やコストがかかる。良いこととアタマではわかっていても、なかなか
行動に移せない。そんな人は筆者だけでなく、大勢いるのではないだろうか。
時にはこんな、ホラーストーリーならぬ、ホラービジュアルもアリだと思う。

ブリタで冷蔵庫浄水して、マイボトルを持ち歩こうかな。
さて、アマゾンで注文だ!

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2008.09.26

「実質ゼロ円」携帯電話に見るソフトバンクのニッチャー戦略

iPhone 3Gの販売で世間を賑わせたソフトバンクであるが、今度は「実質ゼロ円」でシャープ製の携帯電話端末を売り出すという。かつて携帯電話端末は1~2万円が相場で、型落ちの機種は1円販売が珍しくなかったが、販売奨励金の廃止を伴う「新販売方式」の導入以降、大幅に価格が上昇した。その中で、「実質ゼロ円」は奇策に見えるが、実に理に叶った戦略であることがわかる。

<ソフトバンクモバイル、シャープ製携帯で異例の実質ゼロ円>
http://it.nikkei.co.jp/mobile/news/index.aspx?n=NN002Y214%2024092008

報道によれば、対象となるのは<本体カラーが豊富なシャープ製の人気携帯端末シリーズ「PANTONE(パントン)ケータイ」の新機種「830SH」>。10月4日発売だという。
カラーバリエーションで話題になった「PANTONEケータイ」はその後、CMでキャメロン・ディアスが乗ったボートが派手に浸水する映像が表わすように防水機能がついたり、液晶部分にキーのないフルスライド型にモデルチェンジしたりと様々な進化を遂げている。しかし、今回の「実質ゼロ円」となるのは<昨年2月に出した初代機種「812SH」と共通の金型で製造>というコスト低減策でゼロ円を実現している。
発表記事にあるように、<高速でネット接続できる「HSDPA」に対応><カメラによる名刺読み取り、辞書など新機能>も搭載されているが、昨今の高機能化が進む中においては地味な感は否めない。しかし、機能の多彩さよりも端末価格が安いことを優先する人も少なくないのは事実だろう。

携帯キャリアとしてのソフトバンクのポジションを考えてみよう。
PHSを除いた携帯電話の本年8月のシェアはNTT DoCoMo 52%、 au 29% 、SOFTBANK MOBILE 19% 、EMOBILE 1%という状況だ。番号ポータビリティー以降、「ドコモ一人負け」などといわれてはいるものの、ランチェスター戦略における「クープマンの目標値」で考えても、この順位は容易にはひっくりがえらない。つまり、ソフトバンクはドコモに対するチャレンジャーのポジションも獲得できていないのだ。チャレンジャーになれないのであれば、かつてのツーカーのように「フォロアー」としてひっそり生きていくのか、独自の生存領域を確保して「ニッチャー」としてのポジションを確立するのかだ。ソフトバンクは後者の戦略をとっていると思われる。

今年話題となった商品ランキングを作ればiPhone 3Gの上位ランクインは間違いないだろう。しかし、アナリストによると販売台数は20万台程度で頭打ちになっているという。
ではiPhone 3Gは失敗だったのかというと、全くそうではない。iPhone 3GはちょっとGeekな人、マニア層を狙った展開であるとすれば20万台でも、まずまずの成功であるはずだ。
そして、今回の「実質ゼロ円携帯」は機能より価格にひかれる層を狙い撃ちした展開である。つまり、ソフトバンクは携帯電話市場を巧みなセグメントの設定によって、自分たちが獲得できる層を確実に取り込んでいく戦略を展開していると解釈できるのだ。

戦略ポジションに応じた戦い方を意識することは重要だ。体力に合わない真っ向勝負は潔くはあるが、待っているのは無駄死にの末路である。今回の展開もそうした事例として解釈することができるだろう。

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2008.09.25

トイレでうれしいことって何? 松下電器「アラウーノ」のイノベーション

スコットランド生まれの超イケメンなミュージシャン、ベン・イエレンの甘く切ないボーカルがテレビから流れてきた。画面には、ずらりと揃った便器が次々と汚れを洗い流していく映像が。松下電器のトイレ「アラウーノ」のCMであった。


「アラウーノ」は「タンクレストイレ」という洗浄用の水タンクを持たないタイプの便器に分類される。タンクがない分だけ、あまり広いスペースが割かれることのないトイレの空間を有効利用でき、見た目もスッキリするということで、タンクレスはここ2~3年で約3倍の伸びを示しているという。
大きな伸びの背景には、各社の技術革新があったのも事実だ。タンクがないということは、溜めておいた水で一気に洗浄することができないということ。そのため、戸建て住宅の2階~3階や、マンションの高層階などの水圧の低い住居には適していなかった。そのため、メーカー各社は水の流れ方を工夫することによって弱点を克服したのである。さらにその副次効果として少ない水量で洗浄ができる=エコな便器というポジションを獲得することができたのだ。

見た目スッキリ、トイレ広々。しかも水が節約できてエコにも貢献できる。たかがトイレだが、されどトイレということで、タンクレストイレの人気の秘密はわかる気がする。しかし、松下電器の「アラウーノ」はさらにもう一段、生活者のニーズに踏み込んだ大胆な技術革新でライバル各社から飛び抜けた人気を獲得している。新築やリフォームの際に、顧客から「指名買い」されるというのだ。今まで誰が、家の中の、古い言葉でいえば「御不浄」たるトイレの、便器のことなど思い入れを持って選択しただろう。それが、指名買いのポジションを獲得しているのだ。


松下電器は当然、陶器メーカーのように便器の専門ではない。それ故に、生活者のニーズに立ち返ってモノ作りをしたのではないだろうか。
トイレの価値とは何だろうか。毎度筆者が援用する、P.コトラーの「製品特性分析3層モデル」で考えてみよう。
製品の中核たる価値、即ち、その製品を手に入れることで実現したいことは何かといえば、「用を足す」ことである。(食事中だったらごめんなさい)。
そして、その中核たる価値を実現するために求められる製品の「実態」は何かというと、「楽に用が足せる」ことと、「用を足した後の処理が速やかにできる」ということになるだろう。これは、便器が洋式化されて「座って用が足せる」ということと、水洗化による洗浄で旧来の和式の問題点が一気に解決された要素だ。
さらに、「用を足す」という中核には直接影響を与えるものではないものの、あると嬉しい「付随機能」が、タンクレスが実現するような省スペースや見た目、水の節約ということになるのだろう。


昨今、トイレだけに限らず、多くの製品がコモデティー化し、製品の「付随機能」の階層でしか差別化が今難易なってきている。例えば、パソコンや携帯電話などの「カラーバリエーション戦略」はその端的な例としてあげられる。トイレメーカーの戦いにおいても例外ではない。タンクレストイレも、さらにカラーバリエーションなども豊富になってきている。さらに上級レベルでは、足下照明がついたり、座って用を足しながら音楽が聴ける機能まで装備されている。これらはいずれも「付随機能」だ。

「アラウーノ」は今一度、「実態」のレベルで戦いを挑むべき、技術のイノベーションを行ったことが大ヒットの原動力となっている。
トイレの便器は陶器でできている。これは、人間が座った時の体重を何度も支えるために必要な強度を確保し、さらに水に強いという必要要素から、それ以外にないと思われていた素材だ。しかし、陶器には水垢がつきやすいという弱点がある。さらに水垢は埃と陶器の珪素と結びつき、便器の表面をデコボコにしてしまう。さらにそこに汚れがつく。それを落とすために、日々弛まぬブラシがけ掃除が欠かせなくなるという、当たり前ではあるが、ふと考えればなんとも賽の河原的な日々の労働が強要されることになっているのだ。
誰だってトイレ掃除なんてしたくない。

「トイレがトイレをアラウーノ」。アラウーノのキャッチフレーズである。他社のキャッチフレーズである「おそうじラクラク」のレベルではない。勝手にトイレが掃除してくれるというのだ。
その秘密は、もはや有名になってきたが、便器の素材にある。有機ガラス系の新素材を用いたという。つまり、「樹脂」だ。陶器に比べて樹脂は傷つきやすい。ブラシでこすれない。トイレ業界の固定観念で考えれば、あり得ない素材だったのだ。しかし、あくまで生活者のニーズに踏み込んだことが大ヒットにつながった。
「ニーズ」とは、もはやカタカナ語になっているが、正しく定義するのであれば、「理想とする状態と現実のギャップ」である。トイレで考えれば、「トイレ掃除をしなくていいのが理想なのに、毎日毎日ブラシでごしごし掃除をしなくちゃならないの!」である。
「ブラシでこすれないなら、こすらずに済むようにすればいいんじゃないか?」発想の転換だ。汚れがつきにくい樹脂の特性を活かす。さらに、水流の泡を調節し、汚れ落ちを促進する。洗浄に家庭用の市販の中性洗剤を使えるようにする。固定化された発想では実現できない革新は、ひとえに生活者のニーズに立ち返ったことから誕生しているのである。


ヒット商品が作れない。工夫のしどころがもう無い。そんな声がよく聞こえる。
確かに、前述の通り、多くの製品がコモデティー化した今日、革新的な大ヒットを作り出すことは容易ではない。しかし、まずは生活者のニーズに目を向け、耳を傾け、固定概念と常識にとらわれない革新に果断に取り組むことで、当たり前なことしか考えられないようなトイレの便器ですら、イノベーションが起こせるのだ。
アラウーノに学ぶところは大きい。


参考:松下電器 アラウーノ商品サイト http://national.jp/sumai/toilet/alauno/
おまけ:CMソング ベン・イエレン「カモン」全曲無料視聴(CM映像数本の後に続きます)
http://streaming.yahoo.co.jp/c/t/00107/v00962/v0096200000000338727/

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2008.09.24

“現場に効く”マーケティングの基本理論・第11回

インタラクティブマーケティングの専門誌「月刊im press(アイ・エム・プレス)」10月号が発売されましたので、連載バックナンバーをアップします。

本誌では最終回である連載第12回が掲載されています。
ご愛読いただきました購読者の方々、ご協力いただきましたアイ・エム・プレスの編集長、編集者の皆様に厚く御礼申し上げます。

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“現場に効く”マーケティングの基本理論

あまりに“基本”と思われ忘れられているようなマーケティング理論。しかし、日々の業務が行われる“現場”で今一度振り返ってみれば、思わぬ“再発見”があるのだ。

第11回「“コミュニケーション戦略”は組み合わせが命」

今回は4Pの最後、“Promotion”。しかし、「プロモーション戦略」ではなく、「コミュニケーション戦略」という場合が多い。単なる“セールス・プロモーション”と限定的にとらえないようにするためだ。

■まずはフレームワークで読み解こう

このコミュニケーション戦略を考えるにも、やはりフレームワークで考えていきたい。用いるのは「AIDMAの法則」。

 広告やマーケティングの世界を少しでも囓ったことのある人なら、この「AIDMA」という言葉を1度や2度は聞いたことがあるだろう。生活者が商品購入に至るまでの心の動きと行動を表した代表的なモデルである。

 「AIDMA」は各々「Attention(注目)」「Interest(関心)」「Desire(欲求)」「Memory(記憶)」「Action(行動)」の頭文字を取っている。つまり、顧客側の心理としては、「これは何だろう」と関心を示し、「もう少しよく知ってみよう」とその商品に注目し、「これは欲しい」と購買欲求が起こる。そのまま購買する場合もあるが、「給料が出たら」とか「次の休みに」とか、いったん記憶に留める場合も多い。その際、忘れないようにする。そして、その時がきて「やっぱりやめた」とならないように、最後に背中を一押しして、購買行動を完結させるという流れである。
 ポイントは、途中で止まらないように、その態度変容を確実に進めること。そのために「組み合わせ」て展開し、ターゲットに対して販売を完結するためのひとつの流れを設計する。コミュニケーション戦略が「コミュニケーション・ミックス」とも呼ばれる所以である。


■最適な「ミックス」を作り出そう

 コミュニケーション・ミックスは上記の広告、広報、セールスプロモーション、人的販売を組み合わせて展開する。そのためにはそれぞれの手法の特徴や得手・不得手を理解することが必要最低限の知識となる(図表1)。11

・広告
広告にはさまざまな手法があるが、ここでは狭義にマス広告を中心に述べる。一見、マス広告の費用、制作費もさることながら、媒体費は非常に高価に思えるが、非常に広範にメッセージが伝えられるため、一人当たりの到達コストは実際には安い。その代わり、ターゲットを説得するような深いコミュニケーションには向いていないため、AIDMAの初期段階を担うものとして考えるべきである。テレビCM、ラジオ広告などの電波媒体は特にAttentionを取る役割として、その後で新聞広告、雑誌広告などの活字媒体で理解を深めさせるという組み合わせが求められる。また、テレビ・新聞などは幅広いターゲットに到達させるのに向いているのに対し、雑誌は雑誌ごとに、ラジオは局ごとに読者、リスナーの特性があるため、ある程度のターゲティングが可能となる。故に、「認知を高めたい←→理解を深めたい」×「幅広く伝えたい←→絞り込んで伝えたい」という観点で媒体を選択する必要がある。

・人的販売
販売員や営業担当者が顧客と対峙して直接商品の説明をし、説得し、販売を行うことをいう。デモンストレーションや実演販売などもこれに属する。マス広告と反対に、担当者ひとりひとりの人件費は高くはないが、応対できる数に限界があるため、結果としてターゲット1人当たりにかかるコストは高くつく。そのため、AIDMAの後半、購入の欲求を高める辺りからが主要な領域になる。ある程度認知、理解が高まっており、多少なりとも購買欲求が萌芽していなければ説明、説得の効果が低いということもその理由である。

・広報
広報の基本はプレスリリースや記者発表、トレードショーへの出展などを通じてメディアに取り上げさせ、記事として発信してもらうことにある。広告は自社がコストをかけ、何度でも自由に好きなメッセージを発信することができる反面、説得力に欠ける場合がある。広報は第三者を通じた情報発信であるため、広告を補完して説得力を高める効果がある。日本においては残念ながら、コミュニケーション戦略において広報は重要視されておらず、予算も低く設定されているが、欧米においては広告と双璧をなすものとして重要視されている。

・販売促進
販売促進は、その他のコミュニケーション手段の補完および促進のために用いられる手法といえる。広告の注目度を高める「オープン懸賞」。商品に触れさせ、購入意向を高めるための「サンプリング」。その時点で買うことによる「お得感」を醸成して購買に踏み切らせる「クローズド懸賞」や「店頭キャンペーン」など、AIDMAの最初のAから最後のAに至るまで幅広い守備範囲を持っている。何かが当たる、お試し品が提供される、何か付いてくるという、何らかのオマケ(オファー:offer)を設定することと、その内容を何にするかも重要なポイントである。


■コミュニケーションプランを組んでみよう

 上記の通り、コミュニケーションの設計は、AIDMAの前半は広告・広報でしっかりメッセージを発信し、後半の人的販売に繋げ、販売促進を補完的に行うことが基本だ。

 例えば「低燃費な7人乗り。小型で取り回しが楽なワゴン車」という商品を例に、コミュニケーションプランを考えてみよう。メインターゲットは各家庭の世帯主だろう。しかし、小型で取り回しが楽となれば、ハンドルを自ら握る人であれば、主婦もサブターゲットであり、購買意志決定の重要な関与者となる。

 まずは広告。テレビCMは基本として、番組タイアップなどで主婦向けの情報番組内で紹介することも効果的だといえる。新聞であれば、朝刊・夕刊でもターゲットが異なる。朝刊は世帯主が通勤電車で読み、専業主婦の家庭であれば夕刊はまず、主婦が先に見る。それぞれメッセージを変えることも効果的だ。雑誌であれば、その雑誌ごとに読者層が異なるのでそれを考慮して選択する。

 広報はとにかく積極的にリリースを流すことが基本であるが、単純なリリースや記者発表だけでは心許なければ、発表時にPRイベントを組み合わせ、話題を喚起することも考えられる。

 販売促進は自動車の場合、人的販売とセットで考えることが肝要だ。昨今、自動車販売会社のショールームに足を運ぶ人は少ない。だから各社とも、どこで車に接触させるかに腐心する。例えば、ショッピングセンターの駐車場を借りての展示イベントを開催するなどの設計が必要だ。
 もうひとつ、オープン懸賞で見込み客リストを獲得して、営業フォローに繋げることも忘れてはならない(もちろん、パーミッションに留意すること)。その際、オファーとして「ハワイ旅行プレゼント」などを設定してはいけない。これに応募してくるのは、「自動車の購入に興味のある人」ではなく、「ハワイに行きたい人」だ。その意味で最も有効なのは「新車購入時○○万円割引クーポン」だ。購入に関心のある人以外、全く反応しないため、無駄な低見込み度のリストをフォローする手間も省ける。

 以上のように、コミュニケーションプランの設計においては「ターゲット」×「メディア」×「オファー」という組み合わせが極めて重要となってくるのだ。


次回はいよいよ連載の最終回となる。全体のまとめをしてみたい。

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2008.09.22

「ユニクロには定番はないという事実」:定番のヒミツ第10回

日本実業出版社の季刊誌「ザッツ営業」好評発売中です。

ザッツ営業 http://www.njh.co.jp/that/that.html

同誌に連載中のコラム「定番のヒミツ」第10回が掲載されています。

今回は「ユニクロ」です。ユニクロの特定商品にフォーカスしたのではなく、ユニクロというビジネスモデルそのものに定番のヒミツがあると考えたからです。

記事中にもあるようにユニクロはSPAという、衣料品の製造から販売までを一貫して手がけるビジネスを行っています。SPAと言えば、先日銀座にオープンして大行列を作り、ブーム加熱の兆しを見せている「H&M(ヘネス・アンド・マウリッツ)」もスウェーデンのSPA企業です。そして、今日、戦場となっている銀座には H&Mの他にユニクロやGAPがありますが、各々の戦略はだいぶ異なるようです。

では、ユニクロの戦略とは・・・


以下、記事転載。

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世の中には常に売れ続ける「定番」と呼ばれるものがある。なぜ定番は売れ続けることができるのか。
当連載はその謎をマーケティングのセオリーから考察する。


「ユニクロには定番はないという事実」

 1984年に第1号店が誕生して以来、成長を続けるユニクロ。「2010年に売上高1兆円」という壮大な目標を掲げるその強さには、実は定番のヒミツと共通する部分があるのだ。

 ユニクロの事業領域は単なる衣料品販売ではない。既に1兆円規模を達成している米国GAPが1986年に発表した”Specialty store retailer of Private label Apparel”略してSPAという製造から小売までを垂直統合した事業である。そこにユニクロは独自の「モノ作り」と「売り方」のこだわりを込めて展開しているのである。

 ユニクロは定番商品を扱っているので、売れ残りが少ないと勘違いされることもある。しかし、事実は大きく異なる。ユニクロの成長の原動力となったのは、「プロダクトフォーカス」と呼ばれる戦略だ。定番商品に絞り込み、大量ロットで生産。大量の広告展開によって需要を喚起し、全量を残さず販売する。結果として低価格で高品質な商品提供ができる。端的に言えば、「プロダクトフォーカス」を実現するのが同社の力であり、それは、綿密な販売予測から生産計画、品質管理等々、一つたりとも欠けては実現できないノウハウの集積なのだ。
しかし、最も必要なものは、大量に生産される商品が、きちんと顧客に支持され売れていくということである。

 実はユニクロが顧客に提供しているのは、定番商品であって定番商品ではない。定番を「ずっと長く変わらずに作られ、売れ続けている商品」と定義するならである。例えば、ユニクロの夏の定番であるポロシャツ。店頭で昨年と同じものだろうと思って手に取ったその商品は、より良い着心地を追求して改良が加えられて別物となっているのだ。
汗の吸収に優れたドライ感が売り物の「ドライカノコポロ」はユニクロの「定番」であるが、素材は毎年進化している。着心地の向上とシルエットの変遷に合わせるために、デザインにも細部にわたり検討と改良が加えられている。
 クローゼットに購入年の異なるユニクロのポロシャツがあれば、是非並べてみるといい。主張しないが、顧客の要望により添うために変化を続けている、本当の意味での「定番のヒミツ」がわかるだろう。


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2008.09.19

「明日じゃ駄目なんだ」。 映画「パコと魔法の絵本」

クセの強い役者と極彩色の世界感で、どこまで子供向けのストーリーをオトナ向けに演出できるのか。天才といわれる中島監督の手腕やいかに・・・。と少し醒めた興味で観はじめたが、途中で「これって、何年かに1本の傑作じゃないか?」と思った。その傑作たる理由は・・・。

ものごとは中途半端がよくない。
例えば、「愛している」って言う時。妙に照れながらだと、言われた方は本気かどうか、よくわからなかったりする。うれしさも半減だ。これで古今東西、いったいどれほどの恋人たちが、真実の愛に気付かずに悲しい結末を迎えたことか。・・・ちょっと例えが極端すぎだろうか。

この映画は恐ろしいほど極端だ。全く中途半端なところがない。
中島監督は「ど派手でベタな演出が持ち味」と評する人も多いけれど、過去の作品の中でもこの映画はとりわけ極端だろう。演技力のある個性派俳優たちが、これでもかとベタベタな演出にのって全力で演技する。大道具、小道具、衣装も目がチカチカするほどの極彩色で目を直撃し、脳裏に焼き付く。
この映画のキャッチコピーは「子どもが大人に、読んであげたい物語」であった。
「絵本を読んでいる時、子供たちの心の中はこんなにも華やかな世界が広がっているんだ。かつて子供だった大人も思い出して」という中島監督のメッセージなのだろうか。

極端にさは「誇張」以上に、「夾雑物を排除する」という効果がある。
見せたいところをアピールするためには、余分な部分をどんどん削っていかねばならない。削って削って、最後に残った部分を思い切りふくらませる。そうすることによって、より良く人に伝わり、印象に残る。
プロミネンス(prominence)という概念が日本語にはあまりないように思う。「際立たせ」とでも言えばいいのだろうか。ビジネスにおいても、言いたいことを際立たせ、相手の印象に残すということは極めて重要だ。この「中途半端を排した極端さ」には学ぶべきものがあるだろう。

もう一つ、この映画で印象的だったのが、登場人物のセリフ。
この映画の見所は傲慢だが孤独な老人・大貫(役所広司)と、1日で記憶を失ってしまう少女パコ(アヤカ・ウィルソン)のピュアな心の触れ合いだ。大貫は少女への憐憫と自らの孤独を癒やすため、自らを少女の記憶を留めさせようとする。不器用な接し方ながら、毎日少女のために絵本を読んで聞かせたり、少女を喜ばせようとする。しかし、翌日には少女はそのことを忘れてしまう。その日その日、少女に喜びを与え、少しでも翌日の記憶に残そうとする。そこで何度か「明日じゃ駄目なんだ」というセリフを口にするのだ。翌日には少女は忘れてしまうから。

「明日じゃ駄目なんだ」。
今日すべきことを明日に先送りすることは誰しもやることだ。しかし、本当にそれでよかったのか。
アメリカの社会学者チャールズ・ホートン・クーリー (Charles Horton Cooley: 1864-1929) は言った。
「明日はなんとかなると思う馬鹿者。今日でさえ遅すぎるのだ。賢者はもう昨日済ましている。」

少女パコは、いつも昨日と今日を生きている。明日という日が来ないから。だからこそ今日が大切なのだ。しかし、それは、ビジネスの世界でも、我々の日常生活でも同じことなのではないだろうか。明日のことなど誰もわからないのだから。

「明日じゃ駄目なんだ」。


詩を一編、紹介したい。
ノーマ コーネット マレック「最後だとわかっていたなら」

あなたが眠りにつくのを見るのが最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と わたしは伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも
約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず

もし明日がこないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうしてしてあげられなかったのかと

だから 今日 あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことをそっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから


「最後だとわかっていたなら 」
ノーマ コーネット マレック(著) 佐川睦 (翻訳)
サンクチュアリ出版
Amazon

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2008.09.18

技術者の魂まで伝承できるか?技能伝承SNSへの期待

2007年問題において、技術者の伝承が大きくクローズアップされたが、その後も多くの課題が山積している。多くの企業で定年延長や属託・再雇用などで問題を先送りしているケースが多く、技術伝承が確実に行われているのはむしろ希なのではないだろうか。

そんな環境の中で、技術伝承に取り組むベンチャー企業も登場している。
日経新聞08年9月17日17面が<製造業の技能 ネットで伝承 SNS使い動画・音声で解説>と題し、関西のソフト会社2社の取り組みを紹介していた。
(ダイジェスト記事)http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=AS1S13001%2016092008
<一つの画面で動画や音声などを併用し、マニュアルやビデオより分かりやすく技術を解説できる> という特徴があるという。

どのようにSNSを活用するのか記事に具体的な記述がないので、紹介されていたインタークエスト社とテクノツリー社のWebサイトを確認してみた。しかし、具体的SNSのソリューションが見つからなかった。
情報がないので想像の域を出ないのだが、技術者の実務を動画で見せながら、解説テキストの記述があり、SNS的に質問などの書き込みと回答ができるしくみではないかと推測した。

技術者の技の伝承で最も難しいのが、本人も無意識に行っている動作一つ一つにも実際には意味が込められていると言うことなのだ。実際にはその部分が重要だったりする。
その点に関しては、3年前に毎日新聞社「週刊エコノミスト」2007年問題特集に詳しく執筆した。

「溶接ロボットとラーメン作りで考える2007年問題の解決法」
http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2005/07/2007_cb00.html
上記でも記したのだが、無意識の技術伝承のためには、本人の所作をつぶさに観察し、詳細なインタビューを重ねていくといった丹念な分析作業が必要となる。本人の陰となり、分析を重ねていくので「シャドウイング」と呼ばれる。

その点は、テクノツリー社のWebサイトに気になる表記があった。
http://www.technotree.com/contents/technical.htmlナレッジアナライシススタッフ(Knowledge Analysis Staff)という担当者が存在しているようなのだ。もしかすると、それが「シャドウイング」を行うのかもしれない。

SNSという技術は単なるプラットフォームに過ぎない。重要なのは、どのように伝承すべき技術を見える化(可視化)するかということで、それはナレッジマネジメントの永遠の課題であると言える。
日経新聞で紹介されたベンチャー企業の取り組みは、産業界の大きな課題に対してSNSという今日的なテクノロジーを活用した点を評価するのではなく、「ナレッジアナライシススタッフ」という人力による地道な見える化のしくみが組み込まれている点を評価すべきであろう。

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2008.09.17

「縮む市場」に「消費者」はいない

世界的な各種原材料の高騰に圧迫され、企業の業績は低迷。金融不安が拍車をかける。労働配分率も高まらず、生活防衛のため家計の引き締めが加速。そして企業は「モノが売れない」と嘆く悪循環。
出口が見えない日本経済の失速の中、消費市場は縮んでいく。

縮む市場の中で、企業はいかにして生き残りを図ることができるのか。環境の変化に対する生き残りは、生物の歴史から学ぶこともできる。
例えば、氷河期への突入によって、恐竜が絶滅し、ほ乳類が生き残って進化したという認識が一般になされている。しかし、実際には多くの恐竜は絶滅したが、生き残った種類もあり、絶滅したほ乳類もある。ちなみに、生き残って進化した恐竜の代表格は鳥類の先祖であり、今日では両者の系譜が証明されている。話を戻すが、絶滅と生き残りを分けたのは単なる種の違いではない。環境に適応できたか否かである。

環境が変化し食料が枯渇することは、生物にとって死を意味する。「モノが売れない」と嘆くのは、「食料がない」と言うのと同じだ。嘆いても食料は自分からやってこない。
温暖な白亜紀には草食恐竜はどこででもシダ類などの食料にありつけた。肉食恐竜も安定して獲物にありつける。高度成長期の大量生産、大量消費の「作れば売れる」はそうした環境であったと思えばいい。その後、時代は変化した。消費の高度化による差別化とパイの食い合いという競争の激化や、バブル崩壊後の顧客囲い込みによる生き残り競争など、その時々の環境変化をとらえ適応できた企業が生き残り成長したのだといえる。
しかし、サブプライム問題に端を発した今日の景気の激変は、そのインパクトの大きさと影響範囲を例えるなら、恐竜絶滅の原因という説もある小惑星の衝突に例えるべき程のものだといえるだろう。

想像を超える環境の激変に対し、速効策などないのだろう。できることは小さなことの積み重ねかもしれない。しかし、氷河期に食料を探し出すが如く、ほんの少しのチャンスも見逃さず、無駄にしない。そして、自らチャンスを作り出す努力が欠かせないのである。
そんな今日の環境下で、注目に値する取り組みが新聞で紹介されていた。

日経MJ9月15日9面<日本トイザらス 店員呼び出しボタン設置 自転車・ベビーカー売り場 客の相談に即応 販売機会ロス減>との見出し。
<顧客が販売員と相談しながら選ぶことが多い商品のため、販売員がいないと販売機会の損失につながると判断した。顧客が自分で商品を選ぶセルフ方式による低価格販売で成長してきた同社だが、販売機会の低迷を受け戦略を転換。接客サービスの改善に力を注ぐ>とある。
販売の現場まで顧客を連れてきて、買う気にさせるということは、消費者の心理変容モデルである「AIDMA(Attention・Interest・Desire・Memory・Action)」を最初のAから最後のAまで進めたということだ。そこに至るまで、いかほどのコストが投下されたことか。また、AIDMAが進まずに、店頭までこなかった消費者がどれくらいいることか。それを、最後の段階で購入棄却させてしまうということは、目の前の食料を看過して飢えるのと同じだ。あまりに単純で既に改善しておくべきだったのではと指摘するのは簡単だが、家電量販店などでも同様に、相談できないが故に購入を見送るケースは散見される。特に、古くなっても完全に壊れていない限り使うことのできる白物家電などは顕著だ。現に筆者自身がいくつかの商品で購入の見送りをした経験を持っている。単純なのではなく、自社のビジネスモデルを組み替えてでも、このようなポイントに適確に対処したトイザらスを賞賛すべきだろう。

同日の同紙第一面にさらに注目すべき記事があった。<田舎に子供服 自然体の商い 思い出作りセットに>と子供服を中心とした路面店運営・ウォッシャブル社の細井隆行社長が取り上げられている。大手アパレル販売会社のマニュアル的接客販売手法に限界を感じた同氏は、理想を実現すべく自ら店舗展開を開始する。常識にとらわれないいくつかの店舗を手がけた後に辿り着いたのが、大津市の古民家に開いた子供服店。<京都市中心部から車で約1時間、最寄りのバス停には1日数本バスが来るだけという「田舎」>の立地。さらに季節限定、週末のみ開店という条件にも関わらず、この店を目的に四駆で遠くから来る客や、近隣の別荘族などが集い活況だという。
細井氏のこだわりは、わざわざそこまで来店する「買う気のある顧客」に対する、マンツーマンの丹念な接客である。店構えも接客も<「短時間で大勢の客をさばくチェーン店では考えられないような無駄ばかり」>というコメントが本質を表わしている。


「作れば売れる。置けば売れていく」という環境はもうすでにない。「客を大量にさばく」という発想は、「大量生産・大量販売」の名残だ。その担い手である「消費者」という存在はもはやどこにもいないのである。
そのことに、玩具販売の大手、恐竜であるトイザらスも気付いた。そして、環境の変化を敏感に感じ取った、「アンチ大手」を信条とする細井氏は、「本当の客『買う気のある客』であり、そこに全てを集中すべし」と迷いなく、一見「無駄」とも思える展開に邁進しているのだ。

かつてないほどの大きな環境変化を迎えている今日、それを誰がが、どのように乗り切れるかはわからない。ただ一つ言えることは、その環境に適応する方法を少しずつでも手に入れることでした生き残れないということだ。
そして、上記の事例から学ぶなら、「消費者という存在はもはやいないのだ」という認識を持つことからはじめるべきなのかもしれない。

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2008.09.16

映画「幸せの1ページ」は誰のため?

マーケティングの要諦は「整合性」である。
ターゲットを明確にし、そのターゲットにいかに魅力的に訴えかけをするのか。そして、その魅力を、製品と価格、販路とプロモーションという要素を組み合わせて提供する。
重要なのは、そのバランスであり、どこか一つだけを突出させても、ましてや安易にその整合性を部分的に変更することは全体に大きな悪影響を及ぼすことになる。

「自分を変えたい」「最初の一歩を踏み出したい」と予告編でモノローグするのは、2度のアカデミー賞主演女優賞に輝くジョディー・フォスターが演じる「引きこもりのベストセラー冒険小説家」。「人生なんて、たった一行で変えられる」「最高でハッピーでチャーミングな冒険( アドベンチャー)をあなたに!」というコピーに惹かれた。
彼女は南海の孤島に父と暮らす少女から、「父が海で行方不明になった」と助けを求めるEメールに応え、「引きこもりで極度の潔癖症」という自分の殻を破る旅に出るのだ。彼女がどのような冒険の末に変身を果たすのかワクワクした。
シネコンのスクリーンの座席を占めている観客の多くは若い女性。カップルもいるが、女性同士か一人で見に来ている女性も多い。中年男性一人でビール片手に座席に座った筆者は少々居心地が悪かった。しかし、「悪と戦うタフネスな女性主人公」の役が多かったジョディー・フォスターの、珍しくもちょっと共感できる姿に期待しているのは筆者も彼女らも同じだろう。何といっても筆者のジョディー・フォスターファン歴は長いのだ。

しかし・・・。

上映が始まってすぐにいやな予感はした。
予告編を見た以外は全く予備知識なしに本編を鑑賞したのだが、原題の「NIM'S ISLAND」という文字がスクリーンに映し出された。邦題とずいぶん違う。こういう時はだいたい要注意なのだ。

・・・セミスイートな大人向けという広告が目について、珍しくチョコレートを食べてみた。すると、口の中になんとも甘い味が広がった。よく見ると子供向け商品をパッケージを入れ替えたようだ。つまり、Productをはそのままで、ターゲットとポジショニングを変更し、Promotionの力で売る作戦だったのだろう。「はじめからそう言ってくれれば、自分で食べずに娘へのプレゼントに買ったのに」とちょっと残念な思いがした。
・・・例えて言うなら、それこの映画の感想だ。

筆者はあまり「映画評」をするのは好まない。多くの人が汗水垂らして苦労をして作り上げた作品を、たかだか1800円を投資しただけで、ビールを片手に鑑賞して云々批判するのは失礼極まりない話だと思っている。しかし、今回は映画の中身ではなく、「売り方」について少々苦言を呈したい。

作品そのものは良くできた作品だといえるだろう。南海の孤島の少女「ニム(NIM)」を演じるアビゲイル・ブリスンは天真爛漫で行動的ながら、知的でちょっと多感な少女の役を見事に演じている。無人島の自然もすばらしく、また、重要な役回りを演じる動物たちも良く調教され、ユーモラスな魅力を余すところなく披露してくれる。
つまり、この映画は「幸せの1ページ」ではなく、「NIM'S ISLAND」なのだ。あくまで、少女が主役なのである。

日米の公式サイトを見てみよう。
日本・「幸せの1ページ」 http://www.shiawase1.jp/
米・「NIM'S ISLAND」 http://www.nimsisland.com/
日米の登場人物の立ち位置に注目して欲しい。
「NIM'S ISLAND」では左下に小さくなっているが、DVDのパッケージにもあるように、中央は少女「ニム」だ。対して、日本はジョディーが微妙に前に立ち、なんとなく彼女とのロマンスを感じさせるかのような男性がシルエットとなってバックに回っている。
このことからも、日米におけるこの映画の「ターゲティング」と「ポジショニング」の違いがわかる。

恐らく、この映画のあるべき「ポジショニング」は米国における「NIM'S ISLAND」の「少女の冒険譚」である。鑑賞後に知ったのだが、原作は「秘密の島のニム」という児童冒険小説だというから間違いないだろう。つまり、「引きこもりで潔癖症の冒険小説家」はあくまで脇役。ターゲットも本来「家族向け」であり、「自分を変えたい」に共感する若い女性ではないはずだ。

ではなぜ、このようなことが起きているのか。ここからは全くの推測であるが、少し考えてみたい。
全米公開は今年の4月4日であった。子供にも観せたい家族向け映画としては、日米同時公開をするにしても春休みを外している。では、夏休みに公開するかというと、今年はジブリの「崖の上のポニョ」という強大な競合の存在がある。故に、時期をずらし、ターゲットをとポジショニングを変更して公開することにしたのではないだろうか。
しかし、冒頭記したように、「マーケティングの要諦は整合性」である。チョコレート菓子に例えたように、売る側の都合で一部を変更しただけでは、本来の魅力が失われることになってしまうのだ。

ポジショニングだけでなく、「製品コンセプト」という観点でも考えてみよう。
「誰が」「どのようなシーンで」「どのようなベネフィット」が得られるのを生活者にわかりやすく伝えるのが「製品コンセプト」である。
「幸せの1ページ」は「(若い)女性が」「ちょっと元気がなかったり、何か迷ったりしている時に」「主人公に共感して元気をもらえる」というコンセプトが予告編からは感じられる。
しかし、「NIM'S ISLAND」である実際の内容は、「子供と家族が」「一緒にワクワクするような体験をしたい時に」「映画を観てみんなで楽しくなれる」という内容であった。

この作品は映画であることは間違いない。オススメだ。
しかし、観に行くならば前述の通り、本来のターゲットとポジショニングを知った上で行くことをお勧めする。あくまで「幸せの1ページ」ではなく、「NIM'S ISLAND」として。

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2008.09.12

ノートパソコン百円・千円・1万円・5万円。

■ユーザーが語る「100円パソコンは要注意」

筆者も愛用していた(←過去形)ASUS Eee PC 4G-Xは、しばらく前からEモバイルのデータカードとセットで100円販売されている。実際には2年間の定額利用料金契約がセットになっており、途中解約をすると違約金をたっぷり取られるので、従来の携帯電話の契約方式と同じ仕組みだ。つまり、初期費用を安くして使い続けさせることで利益創出をするという「アフターマーケティング型」に、解約金を徴収するという、顧客を「ロックイン」する仕組みが組み合わさっている収益モデルなのだ。
そうした裏側の仕組みを知ってか、知らずか、100円の魅力には抗しがたいらしく店頭では随分多くの人が展示されている実機をさわっている。

このASUS Eee PC 4G-Xは100円だろうが何だろうが、当Blogで何度も触れてきたとおり、かなりクセのあるマシンであることは確かだ。詳しくはバックナンバーを参照されたい。
Eee PC使いこなし術

要は、ハードディスクではなく、フラッシュメモリを記憶媒体として使うことにASUS社はこだわっているというユニークさが一つの売りなのだが、それが4GBしかなく、日本発売モデルではWindows-XPが搭載されているために、残り容量は1GBしかないのだ。上記の記事にも書いたが、筆者はその1GB最低限のソフトのみをインストールして使っていたのだが、やはりちょっと無理があった。
結構、当Blogでお勧めもしたので、ある意味訂正記事にもなってしまうのだが、やはり単純なWeb閲覧とメールのやりとり(これもWebメールを利用するのが必須)以外に使おうとすると無理が出る。また、次々と送られてくるWindowsのアップデートファイルに残り容量をどんどん食われていくのも結構な恐怖感があった。実際にXPのサービスパック3のダウンロードとインストールは頑なに拒否していなければ、すぐにも残り容量は満杯になってしまっただろう。
筆者もメインマシンを持たないオフの日に持ち歩くオモチャとしては楽しいものの、多少なりともビジネスっぽい使い方をしようとするとストレスが高く、ついにお蔵入りさせてしまったのである。


■ノートパソコンの主戦場5万円クラス

そんな中で、ノートパソコンの主戦場は5万円クラスになっている。何と、昨今のノートパソコン販売シェアの半分をこのクラスが占めるという。

HP 【HP 2133 Mini-Note PC
acer 【acer ASPIRE one
DELL 【Inspiron Mini 9

各社とも仕様によっては5万円をオーバーするものも多いのだが、さすがにスペックに余裕があり、これなら「2台目需要」だけでなく、1台目として購入して、あまり欲張りすぎないなら好みのソフトをインストールして使うのにも余裕があるはずだ。

こんな中でそして、ASUSもスペックをあげて再参戦している。
ASUS 【Eee PC
筆者は懲りずにこちらに買い換えた。
問題のフラッシュメモリの記憶容量も12GBに増えており、Cドライブだけで4GB、さらに8GBが確保されているので、さすがにMS-Officeや単体でも1.5GB容量を食ってしまうPowerpointを入れる気にはならないが、今度は互換のStarSuite 8もインストールされた状態で8GB空いているので安心だ。また、同クラス最強のバッテリー駆動8.3時間も頼もしい。

このクラスはメーカーとしては採算性が厳しいため、日本メーカーは参入を躊躇しているが、ユーザーとしてはお得なクラスだといえるだろう。100円パソコンとなったASUS Eee PC 4G-Xの使いこなしのコツは、ユーザーがいかに自分の利用スタイルを見極め、インストールされているソフトを削り、自分でインストールするソフトを厳選するかという、「無駄の削り落とし」である。しかし、5万円パソコンクラスは、作る側、メーカーがいかに無駄を削り落として採算性を確保しながら生産・販売するかということが求められているのだろう。
とはいえ、日本のノートPCはハイスペックで何でもかんでも入っている感が否めない。ここらでダイエット志向にするためにも、一度参戦してはどうかとも思う。


■1万円ではショボすぎる・・・。

5万円クラスが主戦場となっている中、中国HiVisionが1万円(98ドル)パソコンを発売したようだ。
価格は約1万円、常識を覆す世界最安のノートパソコンが登場

主なスペックは、<OSはLinux、CPUはMIPSベースのLoongsonプロセッサ(詳細不明)、1GBのフラッシュメモリストレージ、無線LAN、LAN、3つのUSBポート、SDHCカードリーダー、オーディオ入出力、SkypeやFirefoxも動作>とのことだ。
うーん、何とか動くには動くけど・・・と行った感が否めない。明らかにEee PC 4G-Xより数段したのスペックだ。
本当に何とかブラウジングとメールがかろうじてできればよくて、低所得地域や国のデジタルデバイドを解消するには有効かもしれないが、本当にこれが売れるのかと心配になる。
明らかにこれは、目標となる販売台数を決めて、それを元に価格を決めるプライシングだ。低価格で市場のシェアを取り大量に販売することで、規模の経済と経験効果を発揮して生産効率を上げて収益を確保する「ペネトレーションプライシング」である。つまり、売れなければオシマイ。日本の贅沢なPCに慣れていると楽観できない気もするが、世界の市場ではどのように受け入れられるのだろうか。


■1000円パソコンはどうなる?

中国勢の1万円パソコンが上記のような状態だと、以前、当Blogでも紹介した、インドで計画されている千円パソコンが気になってくる。
インド政府、10ドルノートPCの開発を計画中
<これらのノートPCはシングルボードで作られる予定で、最近では使われるのことの無くなった旧式のコンポーネントで構成される可能性が高い。多くの古いコンポーネント、例えば、1GHzのプロセッサなどは、最近では時代遅れと見られがちだが、十分活用できる。>とのことだが、どこまで頑張れるのだろうか。
過日、分子生物学者・福岡伸一教授が日経の夕刊コラムで、アフリカの奥地にある自家発電機で電気を売る商売を「エナジーキオスク」として紹介していた。そのおかげで、一気に電線も電話線もない地域でケータイでチャットをし、YouTubeを見て情報収集する若者が登場したとのことだった。教授はそうしてデジタルデバイドが解消されていくのだとの感慨を持たれたようだったが、パソコンの世界はもう一歩、メーカーの頑張りが必要なようだ。


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2008.09.10

「エコかっこいい」とは、こういうことさ。

「カッコイイ」という概念は非常に幅広く、全ての人の共通認識を形成するのは難しい。しかし、明確な切り口を示せばそれは一つのベクトルとなり、ひいてはムーブメントを形成していくことができるのだと思う。

「カッコイイ」でいえば、例えば、スタジオジブリの名作「紅の豚」は「カッコイイとは、こういうことさ」と、「かっこいい」という要素の中から「男のダンディズム」という切り口を明確に示したといえるだろう。それが今日、すっかり定着た感のある「オトナ的なかっこよさ」の底流に流れているようにも思える。BRIO的なら襟元はキリリとタイドアップしていたり、LEON的ならボタンが3つ空いていちゃったりと、スタイルの違いはあるけれど。

では、昨今の全世界的な大きなテーマである「エコ」はどうだろうか。
「エコ」というと、どうしても節約、我慢という、ともすればちょっと貧乏ったらしいネガティブなイメージを醸成しがちだが、それが「MOTTAINAI」などのキーワードや知的なイメージに転換されつつあるのは確かだろう。
しかし、「カッコイイ」が幅広く共通意識を形成するのが困難な概念であるように、「エコ」+「カッコイイ」もどんな要素を組み合わせるのかによって、ずいぶんと切り口やイメージが変わってくるように思える。その意味では現在のところ、具体的にはどうカッコイイのか?と、今ひとつ明確なイメージが伝わってこないようにも思う。

例として軸を設定してみよう。
一つは「MOTTAINAI」に通じるような、既存の活動や商品を削減ないしは低減する方向性が考えられる。つまりエコにおける3R(Reuse Reduce Recycle)などがその典型である「低減・削減」だ。
では、同じ軸上の反対の方向は、新たな技術を活用して何かを創造するということになるのだろうか。例えば、燃料電池や太陽光発電など、新たなエネルギー源の開発などもそれにあたる。「新たな技術による創造」である。
もう一本の軸を設定してみる。
一つが「伝統回帰」というような方向性はないだろうか。近年のCO2を増大させてしまった文化や暮らしを見直そうという動きだ。具体的な例では、「究極のミニマムライフである江戸時代の生活を見直そう」という論などがそれにあたるだろう。
その「伝統回帰」の反対は、いささか具体的ではないが「新たなスタイルや暮らし」といったところだろうか。

「低減・削減←→新たな技術による創造」「伝統回帰←→新たなスタイル」という二本の軸が設定できたら、4象限に注目してみたい。
「低減・削減」×「伝統回帰」は、例えばレジ袋を削減するために「風呂敷を使いましょう」という例が当てはまるだろう。伝統回帰して、あえて今、風呂敷でものを包んでは運ぶということは、なるほどカッコイイし、エコだ。それが「伝統回帰」ではなく「新たなスタイル」の方向性になるなら、「オシャレなエコバッグ」を利用するということになる。
「新たな技術による創造」×「伝統回帰」はなかなか難しいかもしれないが、例えば、先に例示した「江戸時代の暮らし」をそのまま再現することは平成の世にあってなかなかに難しいことだろうから、そのスタイルやコンセプトを元に新たな技術で実現することになるのだろう。また、美しい海岸や田園という日本の伝統的な風景の中にすっくと立った風力発電の風車が意外にも違和感がないのは、風車そのものは日本の原風景ではないものの、自然エネルギーを利用するという極めて伝統的な発想だからではないだろうか。但し、まだまだこの領域は工夫の余地があるように思えるのも確かだ。
しかし、何といっても一番ワクワクするのは最後の「新たな技術による創造」×「新たなスタイル」という象限だ。どうしても「縮む」という方向感になりがちなエコにおいて、新技術を活用することが、唯一の「伸びしろ」であるように思える。それ故にワクワクするのだ。

例えばオートバイ。
CO2削減ということを考えれば、パーソナルビークルはできれば使わずに公共交通機関を利用すべきだろう。筆者も自家用車を手放して早、6~7年になる。ましてや一説にはCO2の排出が乗用車の10倍ともいわれ、しかも1~2人しか乗れなモーターバイクなど、昨今明らかなワルモノのレッテルを貼られてしまっている。
しかし、動力源がハイブリッドだったり、完全電気駆動の家庭用電源のプラグインだったり、燃料電池だったとしたらどうだろう。CO2排出の悪玉という汚名は少なくとも返上できる。
さらに特筆すべきは、このデザインである。
「化石燃料による内燃機関を中心に搭載する」という制約条件から「新たな技術による創造」によって解き放たれ、「新たなスタイル」を獲得した姿はかくも美しい。

こんなデザインシンプルで美しいデザイン。
http://wiredvision.jp/gallery/200809/20080904084940.htmlこんなワイルドなデザイン。
http://wiredvision.jp/gallery/200809/20080904084947.html
これはまるで、ドラえもんのポケットから出てきたようだ。
http://wiredvision.jp/gallery/200809/20080904085009.html

「カッコイイ」とはその言葉を受け取った各々の価値観で解釈が異なるように、「エコかっこいい」も多様であるべきだと思う。
その意味からすると、既存の技術ではエコになり得ないものを、新たな技術でエコに転換しながら、より新たなスタイルとして提案し、美しい姿を手に入れたプロダクトがもっと登場することを筆者としては願ってやまない。
どうかこれからも『「エコかっこいい」とは、こういうことさ。』と提案してくれる企業に期待したい。

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2008.09.09

人は変われる。その意志ときっかけがあれば。

「こんな自分を変えたい!」と思ったことは誰しも一度や二度はあるだろう。持って生まれた外見はともかく、内面の話。それでも現実には、なかなかにそれは難しいことなのだけれど・・・。
しかし、ちょっとしたきっかけで人は変わる。また、そのポイントさえわかっていれば自らそのきっかけを作り出すこともできるのだ。

08年9月8日の日経新聞朝刊5面の記事で、「レバレッジ」シリーズの著者、本田直之氏が<都会と地方で視野広げよ 現役こそ2地域居住を>のタイトルでインタビューに応えていた。リタイヤ組ではなく、現役世代こそ<週末や休暇をセカンドホームで過ごし、仕事以外の世界を見つける>ことで、<視野が広がる>と自身の東京・ハワイでの二地域居住体験をからめ、その効用を語っている。地方や特に外国では都会の仕事の話ばかりしていては誰も話を聞いてくれなくなるので、自ずと話のネタを仕入れるため、格段に視野が広がるということだ。

いいきっかけの作り方ではあるが、一拠点を築くだけでも汲々としている身としては、なんともハードルが高い。しかし、核心は二拠点を構えることではなく、別の所にあるように思える。

大前健一氏の語録に次のようなものがある。
「人間が変わる方法は3つしかない。
1.時間の使い方を変える。
2.住む場所を変える。
3.付き合う人間を変える。
この3つの要素でしか人間は変わらない。
もっとも無意味なのは『決意を新たにする』ことだ。
行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない。」
※書籍「ドットコム仕事術」・雑誌「プレジデント」05年1/17号「ビジネス・ブレークスルー」7月3日配信メルマガ

筆者自身のことに置き換えて考えると、5時に起きる朝型に調整し、「時間の使い方」を変えて確かに仕事が効率化した。4年半前に独立しているので、朝の時間だけでなく、時間の制約全般が大きく変わったているのだが。
しかし、最も変わったと思うのが「人との付き合い」だ。
一人でできる仕事ばかりではない。故に、コンサルティングやプランニングの仕事では、同じような独立している仲間を募って取り組んでいる。気心の知れた仲間も多いが、お互い独立した事業者なので、その時々の都合があり、いつも同じメンバーが組めるわけではない。新しいメンバーとも組むことになる。仲間の輪が広がる。
企業研修やビジネススクール、大学や大学院で講師もしている。長くて半年~1年、10数回程度の講義(セッション)で、受講者は常に入れ替わる。しかし、講義中だけでなく、オフセッションでのやりとり、懇親会などでも多くのバックグラウンドを持った人たちと話をすることができる。
会社員時代、いつも同じ上司と部下の中に自分はいて、クライアントも新規業務は発生したものの、それなりに固定化されていた。新しい人との接触機会が格段に上がっているのが、ここ数年の変化だ。

「ホーソン実験」という有名な事例がある。
1924年から1932年までシカゴ郊外にあるウェスタン・エレクトリックのホーソン工場で行われた実験の結果からの考察である。
向上の照明を明るくしたり暗くしたりと、外的な刺激が作業環境にいかに影響するか。また、賃金、休憩時間、軽食、部屋の温度や湿度などの作業環境や待遇面がどのように影響するのかなどを検証した。結果としては、照明の明度に関わらずその変化によって、また待遇や環境変化毎に作業効率は上昇が認められた。つまり、その結果は従来の、「人間は経済合理性に従って動く」という考え方には馴染まないものだったのである。
考察の結果、実験を行った心理学教授レスリスバーガーと精神科医師のエルトン・メイヨーは次のように結論づけた。つまり、被験者である工場の労働者は「現在、大規模な意義深い実験に協力している」という意識が効率を高めているのだと。そして、そのことが作業を行う環境よりも、参加している人間の意識やそこで形成される人間関係によって作業効率が大きく変化するのだと。それは「経済合理性」よりも「感情による意志決定が優先される」という人間の本質を表わしていることから、「能率を高めるには感情へのアプローチが重要である」という「人間関係論」の基礎を築くこととなったのである。

大前氏の「住むところを変える」は環境を変化させることだが、その効果は結果として本田氏の勧める二拠点居住による「新たな人との接触による視野拡大」と同じ「付き合う人を変える」に通じるのではないだろうか。
ホーソン実験に参加した労働者の人間関係は、「非公式組織における仲間意識」による作業効率向上を示しているという。

筆者の好きな言葉は「今日は昨日の続きでも、明日は今日の続きではない」だ。明日も今日の続きと考えて、毎日を同じ環境、同じ人々と過ごしていたのでは人は変わらない。
住むところを変えることが難しければ、新たな人と出会って刺激をし合うことだ。
人が変わろうとした時に「決意を新たにする」は意味がないと大前氏は説く。しかし、きっかけを作るという意志を持って行動が伴えば人は変われるのだと思う。

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2008.09.08

マーケティング視点で自民党・民主党の党首選を考えてみる

<38.4% 対 34.9%>

福田康夫首相の退陣表明後、2日夕から3日にかけて実施した共同通信社による全国緊急電話世論調査の結果の数字である。<次期衆院選比例代表で投票するつもりの政党は、自民党38.4%、民主党34.9%>という結果だ。
<支持する政権の枠組み>も<「自民党中心」が43・3%で、8月の前回調査より8・5ポイント上昇。これに対し「民主党中心」は41・7%で6・5ポイント減少>と伝えられている。
http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008090301000703.html

「38.4% 対 34.9%」という数字は、マーケティング的に考えれば、自民党と民主党がこの時点で獲得している有権者の票の「シェア」である。
その意味をランチェスター戦略における「クープマンの目標値」にあてはめて考えてみると、いずれも「相対的安定シェア」といわれる41.7%が近い。「相対的安定シェア」とは、「このシェアを取っていれば二位以下が逆転することはかなり困難なシェア」であるといわれる。
当然、支持率など日々揺れ動くものであるので「絶対」などはあり得ないが、福田首相退陣以降のトレンドとしては、自民支持率が上昇、民主支持が下落傾向にあるのは確かだ。現在の所、「相対的安定シェア」の目標値に届く可能性は自民党の方が高く、あと3.3%。それに対し、民主党がそのような戦いを展開するのか大いに興味が高まるところである。

自民党支持上昇の要因を9月3日時点で共同通信は<内閣支持率が低迷した福田首相が退き、自民党総裁選で新たなリーダーが選出されることへの期待感>と分析しているが、状況はさらに、自民党総裁選挙に多数の候補者が名乗りを上げていることで変化している。
民主党は<小沢一郎代表の無投票3選が確実な民主党に、報道面での「埋没」への危機感が広がっている> と危機感を募らせている。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/m20080905012.html

多数の候補者が政策論争を繰り広げれば、弥が上にも自民党に有権者の関心が集中する。
民主党は<小沢一郎代表の無投票3選が確実>である以上、自民党の盛り上がりに対し指をくわえてみているほかないのが現状であり、自民党総裁選挙後の解散総選挙を考えるとこれは痛い。

2007年7月の参議院選挙における自民党大敗で、自民党は民主党を下回る第2党に転落しているとはいえ、両党のポジションは「リーダー」対「チャレンジャー」であることに違いはない。次の衆議院選で政権奪取を民主党が実現するためには、政治の世界の特異性はあるものの、戦略の定石はある程度踏襲すべきであろう。

本来、チャレンジャーの戦いの定石は「徹底した差別化」である。リーダーのポジションにに対し、自分たちの特徴やポジショニングを徹底して訴求するのである。例えば、有名な例としてはコカ・コーラ対ペプシが挙げられる。同じ「コーラ」という差別化要因の少ないプロダクトでも、ペプシはレモンフレーバーを効かせたり、比較広告を展開したり、ペプシマンなどのキャラクターを登場させたりして、「自分たちはコカ・コーラとは違うんだ!」「わかっている人、おしゃれな人、味のわかる人はペプシを選択してくれ!」と主張し続けるのである。
対して、リーダーはどのような戦い方をするのか。一つの典型が「同質化」だ。チャレンジャーの主張するポジションや、新たに開発した商品と同じ属性を持った商品を開発力を活かし開発し、圧倒的な資金力で市場に広め、チャレンジャーを無力化する戦い方である。同じ飲料でいえば、コカ・コーラがスポーツ飲料カテゴリーで大塚製薬の「ポカリスェット」に「アクエリアス」で同質化をかけ、トップシェアを奪取した例が挙げられる。

では、チャレンジャーたる民主党はどうか。
前述の通り、強力に政策主張し自民党との差別化を展開すべき機会を、<小沢一郎代表の無投票3選が確実>で逸している。対して、自民党は多くの総裁選候補者が自説を展開することで、幅広い政策が(自民党総裁選ではなく国政の)有権者に届き、従来の民主党の主張がかき消され、結果として「同質化」をかけられたのと同じ状況に陥ることになってしまうと予想される。
それに対し、民主党は<民主、「埋没」を警戒 メディア対策チーム発足>という動きをするようだ。
http://www.asahi.com/politics/update/0904/TKY200809030324.html

チャレンジャーの「差別化」の戦い方の一つに「理論の呪縛化」というものがある。リーダーがこれまで顧客に発信してきたメッセージと明確に異なる製品サービスを展開し、リーダーの同質化を封じるというものだ。例えば、アサヒビールのビールの「キレ」という切り口は、いまでビールの「旨みや味わい」を訴求してきたキリンの追随を見事に封じた例といえよう。
これは政治の世界では全く当たり前なことであろうが、野党が与党に対して論理の矛盾を突き、独自の政策を掲げることに他ならない。しかし、その「呪縛化」を展開する機会を民主党が失って、埋没の危機にあるのだ。それが<メディア対策チーム発足>という展開で間に合うかどうかは少々疑問である。チャレンジャーは本来、リーダーに対して烈火のごとき攻勢をかけなければ差別化は図れないのだから。
民主党も幅広く政策を主張するために、あえて「党内で候補者を立て、活発な議論を代表選で展開すべし」という論も評論家の間から上がっている。現実性の程は政治評論の専門家ではないのわからないが、チャレンジャーの戦いとしては理にかなっている。
この後、果たして民主党で党首選が展開されるのか、はたまたメディア対策チームが活躍するのかはわからないが、政治の世界でのリーダー対チャレンジャーの戦いからは目が離せない。

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2008.09.05

タバコ部屋のコミュニケーション

タスポの普及が一向に進まない一方で、タバコ包囲網は確実に狭まってきている。そんな中、マイノリティーになりつつある喫煙者はこのまま片隅に追いやられる一方なのだろうか。

日経新聞夕刊の題字下コラム「音波」の08年9月4日号は「無言列車」というタイトルだった。新幹線の移動は隣の座席に座る他人同士はずっと無言でだが、<喫煙室に行くと、声をかけられる。横並びの無言の行から解放され、ホッとしたような表情が浮かぶ>という。

喫煙室があるということは、これは間違いなく、東海道新幹線のN700系車両。JR東日本の新幹線は全面禁煙だが、東海はまだ喫煙車が残る。しかし、最新型のN700は全席禁煙。その代わり喫煙室が設けられており、そこに移動して一服するという仕掛けだ。
企業における禁煙の波は激しく、かつてかろうじて生存領域として許されていた喫煙室も、「ビル全館禁煙」などを受けて撤去の憂き目を見るケースが各地で散見されている。その意味からすると、この列車の喫煙室は画期的だといえるだろう。

タバコは身体に良くない。科学的な照明に対する反論も一部であるようだが、全世界的な流れとしては間違いなく有害論が圧倒的だ。しかし、コラムにあるようにココロにはいいのかもしれない。<ホッとしたような表情>という表現が印象的だ。狭い空間に閉じ込められ、多くは日帰りで長時間、超高速移動を強いられる人々の心はともすれば余裕がなくなる。列車内でのトラブルも昨今多くなっている。どこかに緊張やストレスの「抜き場」が必要なのは確かだろう。
それに比して、非喫煙者には残念ながらそうした場が提供されていないのが現状だ。高速化による時間短縮で食堂車ばビュッフェが廃止されたのは遙か昔だが、どうしても目的地までうっかりするとトイレにも立たないことすらある。そんなに座席や社内が快適に進化しても、どうしても居心地はよろしくないし、ストレスはたまる。
コラムではローカル線で女性車掌が乗客に話しかけ、車内を和ませる様を取り上げて、<不器用な乗客のため、車内の空気を和ませる工夫やサービスがあってもいい。人を運ぶだけが鉄道ではあるまい>と結んでいる。

転じて、企業。「車内」ではなく「社内」の話。多くの会社においてかつては「タバコ部屋のコミュニケーション」というものが存在していた。部門・部署や役職が全く異なる、喫煙者という共通項だけで集まる人々の喫煙室でのアンオフィシャルなコミュニケーションがそれだ。<ホッとした>気持ちで本音が語られていた。立証することは困難だが、そうしたコミュニケーションが人間関係の円滑化を促進し、人材流動化の歯止めにもなり、各種の「ハラスメント」としてわき起こる問題のガス抜きになっていたとは考えられないだろうか。
もう一方の側面として、タバコ部屋のコミュニケーションの、何気ない会話の中には優れたアイディアやイノベーションが潜んでいることも多かった。社内の貴重な「暗黙知」状態のナレッジが交換される場でもあったのだ。そうした機会喪失も実は水面下で起こっているのではないだろうか。

列車の喫煙室と同じく、これまた非喫煙者には踏み込むことのない世界であったが、筆者は大のタバコ嫌いであったが、会社員時代、我慢して時々はそのコミュニケーションに参加してみたりしていた。
やがて禁煙化の流れで喫煙室が廃止されると、喫煙者・非喫煙者ともに<ホッと>できるスペースとしてのコミュニケーションルームのような、飲み物や軽食が摂れるスペースが出現した。筆者の勤務先だけでなく、同様な動きをした企業は多かったようだ。
しかし、そうしたスペースは景気や業績次第であっという間に撤去されることになる。昨今の景気減退で多くの企業から<ホッと>する空間が姿を消すことだろう。

コラムの「車内」の話と「社内」の場合も同じ結論ではないだろうか。
(業績回復のため忙しく懸命に働いている)「不器用な社員のため、社内の空気を和ませる工夫やサービスがあってもいい。人を働かせるだけが企業ではあるまい」。


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2008.09.04

問題を分解せよ:災害弱者・後期高齢者・ニート・フリーター・・・

ものごとは「分解」しなくては正しい解決手段が見えてこない。しかし、世の中、「十把一絡げ」に安易に単純化して扱う例は枚挙にいとまがない。


日経新聞夕刊・連載コラム「明日への話題」。08年9月1日は哲学者の木田元 先生が「災害弱者」と題して執筆されていた。<若い頃は人一倍体力があったし、運動能力も優れていた(中略)80歳にもなり、おまけに病後ともなればそれどころではない>と書き出し、<中国四川省や東北地方の相次ぐ地震のニュース>で報じられる被災者の姿に<なんとも身につまされた> という。そして、自らを含めて「災害弱者」という分類のされ方が気になるという。<幼児や重度の病人など、災害時にまっ先に犠牲になりそうな者たちを実に手際よくかこいこんで、使い勝手の良さそうな呼び名である>と。そして<あまり手際がよすぎて、「後期高齢者」と似たような酷薄さが感じられる>と記されている。


災害弱者は国交省の定義によれば、
1:自分の身に危険が差し迫った場合、それを察知する能力が無い、または困難な者
2:自分の身に危険が差し迫った場合、それを察知しても適切な行動をとることができない、または困難な者
3:危険を知らせる情報を受け取ることができない、または困難な者
4:危険を知らせる情報を受け取ることができても、それに対して適切な行動をとることができない、または困難な者
ということになる。つまり、大きくくくってしまえば「自らに迫るの危険、及び災害情報の受信と判断・行動能力に問題がある者」というこになるのであろうが、上記の1~4本来はくくるには無理がある。各々の抱える問題と、災害回避と被災の際の救援方法に大きな違いがあるはずだからだ。しかし、木田先生のご指摘通り、「災害弱者」の言葉一つで「囲い込まれている」のが現状だ。

先生が指摘されているもう一つの囲い込みである「後期高齢者」。「後期高齢者医療」を巡り論議が高まり、制度自体は「長寿医療制度」と名を変えたが、実質的には75歳以上をひとくくりにした「後期高齢者」という定義の意味するところが根本的に変わっているわけではない。

まさに執筆された木田先生は、「災害弱者」で「後期高齢者」にくくられてしまうわけだが、「その中でも各々が均一な存在であるわけではない」とご自身を顧みて主張されているのだろう。

「囲い込む」「くくる」ことをマーケティング的には「セグメンテーション」という。「マーケティング戦略上同質と見なしても差し支えない、意味のある集団にくくること」がその定義である。
しかし、木田先生ならずとも「勝手に”差し支えない”などとくくるな!」と思われることも少なくないだろう。
間違った「セグメント」の例でよくあるのが「20代女性」などという単純なくくり方だ。確かに年齢×性別で意味のあるくくり方はできている。しかし、そのくくった個々の人が「同質である」ということは全くない。故に、そうした単純なセグメンテーションだけで施策を考えると、大きく外してしまうことになる。

正しくセグメントするためには「ニーズ」でくくることが必要なのだ。
ニーズとは、「理想とする状態とのギャップ」である。
有名な言い回しがある。「顧客は”ドリル”が欲しいのではない。”穴を空けたい”のだ」。
作業をしている人がいる。そしてネジ留めか何かの必要が生じてたようだ。しかし、目の前にはねじ込むべき”穴がない”。故に、そのギャップを埋めるため”穴が空けたい”と思う。それこそがニーズである。
しかし、その”穴”はどんな大きさの穴なのか、深さなのか、個々の状況によって異なる。「ニーズ」は深掘りして、細分化しなくては顧客の要望には応えられないということを表わしている。

つまり、「災害弱者」や「後期高齢者」というくくり方は、そのくくられる対象者の「ニーズ」に本当に注目できているのかということが問題なのだ。災害弱者の4類型はその各々で事情もニーズも異なるだろう。まして、75歳以上という一律なくくりは、制度の検討時期にあった批判の通り、ニーズが反映されているとは思えない。

そうした、個々の事情、ニーズを反映せずにくくられている、気になる例は他にもある。
数年来、メディアを賑わしている「ネットカフェ難民」というくくりだ。

ネットカフェ難民に関しては厚生労働省が先月、対策に乗り出した。
<ネットカフェ難民に生活費、職業訓練条件に月15万円融資へ>
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080823-OYT1T00426.htm<公共職業訓練の受講を条件に、訓練中の住居・生活費として月15万円を融資する制度を2009年度に創設する方針を固めた。年収150万円以下の受講者は返済が免除されるため、実質的には給付となる>という。

対策に乗り出したこと自体は評価する声もあるものの、就労意思確認の面接があるとはいえ、単純に融資(免除の場合は給付)して問題が解決するものではないという批判の声も多い。
そもそも、その「ネットカフェ難民」を構成しているとされる、や「ニート」「フリーター」というくくりも、適正な対応を行うためには本来、きめ細かくその状況とニーズを把握することが必要だろう。

一方、9月1日に野村総合研究所から「若年層の生活意識に関するアンケート調査」の結果が発表された。その調査結果を報じる記事で、「ニート」「フリーター」問題に踏み込んだ興味深い内容を見つけた。

<ニート・フリーター問題は社会のせい? 自分のせい? 立場で異なる責任所在への意見>
http://www.gamenews.ne.jp/archives/2008/09/post_3893.html調査と記事の詳細はリンク先を確認されたいが、特筆すべきは調査回答者の属性と、その回答だ。

問題の原因が「自己責任」なのか「社会の責任」なのか、常に意見が分かれるが、この調査では<「無職」のポジションにいる人は(自らもニート・フリーターである可能性が高いからか)「ニート・フリーター増加問題」に対して自己責任を強く感じているのが良く分かる>という結果も読み取れるという。
「ニートやフリーターは自らの境遇の原因を社会のせいにばかりにしている」との批判が世間では多かった。それが全ての人に当てはまるわけではない結果が出たわけだ。しかし、「自己責任」を全てのニートやフリーターが感じているわけでもない。

こうした結果をどう解釈すべきなのか。そもそも、その「くくり方」を改めるべく、個々の事情や意向を汲み取ってきめ細かな対応を行うことが今後必要なのだ。例えば「ネットカフェ難民対策」として、せっかく支援の面接をするのであれば、その際、審査のためだけではなく、もっと踏み込んだ相談には乗るなどしてもいいだろう。

まずは、木田先生が指摘するような<手際よくかこいこんで、使い勝手の良さそうな呼び名>で行政が一律な対応を行ったり、立場の違う人間が偏見を持ったりすることを改めるべきであると思う。

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2008.09.02

「魚を食べよう!」(魚屋さんで買って)

魚が好きだ。飼うのも、釣るのも、食べるのも。
今回は「食べる」話。

昨日の東京新聞の社説は秀逸だった。
<魚屋さん減少 売り場の対話こそ食育>
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008090102000109.html

大手新聞では、まず、社説では取り上げないであろうがこのテーマは奥が深い。
<経済産業省の二〇〇七年商業統計によると、全国の鮮魚小売店数は一万九千七百九店と、この二十年で半減し、調査開始以来初めて二万店を割った><消費者の八割近くが、魚介類をスーパーで買っている>ということだ。
その影響はさらに深刻だ。<効率重視の量販店では、パック詰めの解凍ものや、日持ちする塩漬け、干物が多くなる。同じような品ぞろえになりがちで、おろしたての近海魚が買えなくなるから、魚離れに拍車がかかり、魚屋さんの廃業も加速する-という悪循環も起きている>そして<国民一人一年当たりの生鮮魚介類購入量は、この四十年で三割減った>という。


5月20日に平成20年版の「水産白書」が発表されている。
http://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/h19/index.html
白書の中では、食糧自給率が40%前後で低迷している日本において、地産地消を進める上でも、食育の意味からも近海物の海産物をもっと食べることを推奨している。目標値は現在の魚介類自給率50%台から60%台への回復だということだ。
海外との競争で買い負けして日本に入ってこなくなる海産資源。輸入頼みでは将来は何とも心許ない。しかし、そうした提唱も売りの現場が崩壊しては画餅に終わる。

我々、生活者にできることは微力ながら鮮魚店を「買い支える」ことではないだろうか。
東京新聞の社説は次のように記している。<店先で対話ができる魚屋さんは、最も身近な「食育」の現場として、これから特に貴重な存在になるはずだ>。
スーパーによっては魚を姿のまま並べて、頼めば捌いてくれる所もある。しかし、品揃えには限界がある。たまに鮮魚店に足を運ぶと、久々に見る魚の姿も少なくない。「食育」ということならば、数多くの魚の姿を見せることも重要だろう。

「権助魚」という落語がある。
店の奥方に旦那の浮気調査を依頼された奉公人の権助。旦那に金を渡され懐柔され、「御茶屋で遊び、船で魚を網で捕った」と報告するように言われる。証拠として魚屋で「網取り魚を」と購入するが、買ったのが助惣鱈、鰊、茹で蛸、目刺し、蒲鉾。奥方から「こんな魚が隅田川で捕れるか」とあっという間に看破される。
・・・この後の言訳が面白いのだが、実はこの噺、「子供が海の中を魚の切り身や、目刺し、蒲鉾が泳いでいると思い込んでいる」という都市伝説の原型になっているという説もあるようだ。
だが、落語のとぼけた話や都市伝説もこのままだと現実のものになりかねない。

魚の名前や姿を知る。捌き方や調理方法を学ぶ。味を覚える。とりもなおさず、これは民族としての「ナレッジの伝承」なのだ。組織において、ナレッジが伝承されないことは脆弱化が進むことを意味する。それは国や民族でも同じことなのだろう。
ナレッジの伝承は、まず、「見える化」することが大事なのだが、残念ながら味覚は完全には「見える化」できない。個人から個人へ伝承される「暗黙知」に近いものである。
だとすれば、その伝承者が最も重要であり、その要は「街の魚屋さん」だったりする。

2007年問題では、団塊世代の定年退職による社内のナレッジ喪失を回避しようと、各企業とも、定年延長や再雇用など、必死の対策を行った。
この<魚屋さん減少>に対しても、生活者の買い支えだけでなく、何らかのうち手が必要なのだと思う。
漁業の現場でも、燃料高で出漁の危機に瀕している。政府はようやく援助に乗り出すようだ。加えて、捕る現場だけでなく、食卓に届ける現場にも目を向けるべきだろう。無駄な税金を使うことには賛成しかねるが、せっかくの「水産白書」での地産地消の提唱を画に描いた餅にしないためにも、もっと知恵を使うべき時なのだ。

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2008.09.01

「考えろ、感じろ」そして「企画に魂を込めろ」

Don't Think. Feel!(考えるな、感じろ!)
ブルース・リー主演『燃えよドラゴン』のあまりにも有名な台詞である。
マーケティングのプランニングは、「感じろ」という感性だけでは大ハズレを繰り返すことになる。しかし、「考える」だけでもダメなのだ。

最近、学生のビジネスプランのコンテストを審査したり指導したりすることが多い。答えの出ていない課題に取り組むというリアルなビジネス体験ができることはとても貴重だ。
しかし、残念なことに「これは!」というプランに出会うことはあまりない。そこには「学生だから経験が足りない」というのではない、我々ビジネスマンでも陥りがちな問題点が隠されていることが少なくない。

何の手がかりもなくプランを構築していくというのは困難であり、また効率的ではない。故に、マーケティング戦略の王道を踏襲する。「環境分析」を行う→「セグメンテーション」「ターゲティング」「ポジショニング」(略してSTPという)を明確にし、戦略の方向付けを行う→展開内容として「4P」を検討する。
さて、フレームワークに従って、一通り書き上げ「やれやれ」と一息ついて、プランを読み返してみると、「こんなのでいいのかなぁ?」と改めて悩み始める人が多い。なんだか、そのプランにある製品・サービスや事業が魅力的に映ってこないのだ。
何がいけないのか。フレームワークの弊害が出ていることが多いのだ。思考プロセスを早め、モレ抜けなくファクトを集めて、プランを形にして行くにはフレームワークは極めて有用だ。しかし、「穴埋め」的に進めたのでは「魂」が入らない。

では、その「魂」はどのようにすれば込められるかと言えば、自分自身が策定した「ターゲット」になりきって考えるということだ。
ターゲットが「30~40代・男性・サラリーマン」などと書かれれていることがある。企画者は本当にそのターゲットの気持ちになりきって考えただろうか。
自分は「30~40代の男性で、会社勤めをしている」ようだ。果たして年齢は30歳なのか?49歳なのか?30~40代でも、上限下限では肉体的にも精神的にも大違いだ。
会社勤めとはいえ、どんな仕事をしている?役職は?年収は?会社はどこにあるんだ?都市部か地方か。それ以外にも、家族はいるのか。休日など何を楽しみに生きているのか。などなど・・・。

ターゲットが明確にならなければ、そのターゲットが購入する理由(KBF=Key Buying Factor)がわからない。KBFは、その製品・サービスのポジショニングを設定するための重要な要素となる。ここがプランニングのキモなのだ。

Don't Think. Feel!(考えるな、感じろ!)では困ってしまう。しかし、アタマで考えただけだと「30~40代・男性・サラリーマン」などという設定をしてしまう。
Think and Feel! 考えながら、なりきって、徹底的になりきって、感じてみる。そこまでの思い入れが必要なのだ。
画家のミレーは「人を感動させるためには、まず自らが感動しなくてはならない」と、自らのポリシーを言葉にして遺した。ターゲットになりきって、その製品・サービスや事業に惚れ込むようでなければ、企画に魂が入っているとはいえないのである。

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