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17 posts from August 2008

2008.08.29

「飲むべきか、飲まざるべきか、それが問題だ」

ハムレットよろしく悩んでいるのは禁酒の話ではない。禁酒など、悩むまもなく朝に誓ったその夜には破ってきたのが、成人してから20余年の人生である。

水。
当然、毎日水を飲む。どんな水を飲むかが問題なのだ。

研修の際に、「マーケティングとは”価値の交換活動である”」と説明する時に、ペットボトル入りのミネラルウォーターを例にする。
「タダとは言わないが、極めて安価であるはずの水、主に水道水のことであるが、をれを飲用せずに、ペットボトルの水を買うのはなぜか」という話。
まず、水を買う人がどれくらいいるか、挙手を求める。都内だと約8割。地方に行くと少し比率が下がるが、過半の手は挙がる。
では、改めて、買う理由を聞くと、「美味しいから」「身体に悪い成分が入っていないから」という答えがだいたい出る。つまり、「味」や「安全性」という「価値」があるから商品と対価の交換が成立しているのだという理解を得るわけだ。

だがしかし、ペットボトルの功罪として、環境負荷が高いという側面もある。採取地から運搬する。(海外からも!)。ボトリングして配貨する。店頭に並べ、冷却しておく。どれだけのCO2が排出されることになっているのだろう。

今年の2月にロンドン市長が「水道水を飲もう」と呼びかけた。(2008年 02月 20日)
<ロンドン市長、ボトル入り飲料水のボイコットを呼び掛け>
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-30414720080220?feedType=RSS&feedName=oddlyEnoughNews<ボトル入りの水は水道水に比べて価格が500倍、環境への悪影響は300倍>という主張だ。

一方、<シカゴでは今年の4月からプラスチックボトル入りの水に5セント(およそ5円)の税金がかかるようになった>という。それにつれて、水道水利用が復活していると。
<水道水の利用が復活!?@シカゴ>(2008年6月24日)
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091213864245.html<アメリカのボトルリサイクル率は20%未満で、他80%はゴミとして埋め立てされ終わってしまう>ということと、<水道法と食品衛生法で定められている基準で見ると、水道水の方が安全という結果も出ている>ということで、<「ボトル水じゃなくて、水道水がいいわ」と言うのがエコを意識している人にとってはとってもクール>というムーブメントも起こりつつあるという。

さて、日本の話。<内閣府は8月11日、水に関する世論調査結果の概要>が発表された。
<水道水 そのまま飲む人約4割 ミネラルウォーター 利用者3割>(2008年08月24日)
http://www.gamenews.ne.jp/archives/2008/08/_4_3_1.html
3割というのは、ちょっと意外な数字。但し、<「水道水をそのまま飲んでいる人は4割にも満たない」ということになる。次いで「浄水器を設置して利用」が32.0%と3割超え、「ミネラルウォーターを購入して飲んでいる」が3割近くに登っている>という結果だ。また、地方での研修で感じていたとおり<都市規模が大きくなるほど水道水をそのまま飲むことはなく、浄水器を利用したりミネラルウォーターを使っている>という。
一方、興味深いのが<「浄水器の設置・利用」が40代をピークにしていること。1985年~1990年には直近の浄水器ブームが起きているが、この時に買った二十歳台の人が現行でも使い続けているということなのだろうか>という点だ。
確かに我が家にも浄水器が設置してある。しかし、料理には使うが、なかなかそのまま飲まない。

前出のシカゴの例では<「冷やす」というのがポイントで、「生あたたかい水道水だと気持ち的に美味しくない」ので冷やすと抵抗がなくなる>ということで、<冷やされたプラスチックの水入れからゴクゴク飲んでいる>という人も増えたようだ。

そのための道具も増えてきた。象印は「マイボトルを持とう」と呼びかけている。
http://www.zojirushi.co.jp/cafe/index.htmlベネトンもさらに力を入れてきた。
<ベネトン・エコシリーズに新商品! カラフルな「マイカップ&マイボトル」を持って出かけよう>
http://greenz.jp/2008/08/27/benetton/

どうやら、ペットボトルの水を「飲むべきか、飲まざるべきか」では、環境意識の高まりから、水道水が形成優位になって、「水道水を(浄水して冷やして)飲むべき」なりそうだ。加えて、シカゴの例では<食料品やガソリンの値上げ。市民の財布のヒモはきつく、かたくなってきている>という背景がある。日本でも同じだ。
だとすると、マイボトルを「持つべきか持たざるべきか」で悩むことになるのだろうか。
いやいや、マイボトルが当たり前になれば、「どんなマイボトルにしようかな」と楽しげな悩みになるのかもしれない。

最後に、「浄水・冷却した水道水をマイボトルで飲む」の普及をロジャースの普及要件で整理してみよう。

■相対優位性
ペットボトルに比べると安い。味・安全性はデータによれば大差ない。(雑菌混入などのリスクは水道水が少ない。消毒の薬剤はかつてより極めて微少とされている)。
■両立性
ミネラルウォーターが飲みたい時や、マイボトルが邪魔な時は、ペットボトルを買えばいい。両立性は確保されている。
■複雑性
複雑さは全くない。ただ、単に買えばいいペットボトルと、浄水・冷却やボトルのメンテナンスはちょっと面倒かも。但し、「どんなボトルを選ぼうかな」という複雑ではないが、選択の楽しみはあるように思う。
■試行可能性
マイボトルをまず買わなくてはならないというのは、ちょっとしたハードルになるだろう。まずは、空きペットボトルに浄水器から水道水を入れて、冷蔵庫で冷やして飲んでみることから始める感じだろうか。試してみると、やはり、シカゴの例ではないが、驚くほど抵抗はなかった。
■観察可能性
「効果の観察・実感」はなかなか難しいが、完全に実行すると、週に一度、たまったペットボトルを踏みつぶして、回収ボックスに持って行く時の量を見て良心の呵責に苛まされることはなくなるだろう。それは確かに観察可能な効果であるといえる。

・・・さて、週末にマイボトルをちょっと物色してみようかな。


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2008.08.28

ワンセグの「暇つぶし視聴」とイマドキの情報収集

電車の中で、じっと携帯電話を見つめている人が増えてきた。メールやケータイサイトを利用しているのではない。ワンセグを視聴しているのだ。では、みんな何をどのように見ているのかというと・・・。


8月6日に「携帯されない雑誌と、読まれるケータイ」という記事を書いた。
http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2008/08/post_5e1b.html
マイボイスコムによる「雑誌」」に関する自主継続調査の結果を紹介したが、かつては移動時間というスキマ時間の友であった雑誌は、今ではすっかり携帯電話にその座を奪われたことが示されていた。ワンセグ受信機能がついている携帯電話も累計で3千万台を超えているという。ワンセグ搭載機の普及によって、さらに雑誌の受難は続くだろう。
ワンセグ搭載の新しい機種だけではない。携帯電話の販売方式が変わり、機種変更費用が高くつくことになって買い換え期間は伸びている。そこを狙って、廃携帯電話から液晶だけを取り出し、ワンセグモジュールをつけて安価に売り出されている端末も登場している。
今後、ワンセグはさらに隆盛を極めるのだろうか。

日経新聞を見ると、ワンセグ視聴のちょっと意外な実態が紹介されていた。
08年8月28日朝刊・連載「買い手のホンネ・地産研調査から」の<ワンセグは暇つぶしのため 情報得る意識、若者低く>という記事。マイボイスコムが実査を担当し、全国の20~60代男女1,000人にインターネットで調査した結果だ。
調査結果の要点は、ワンセグ利用目的が<「暇つぶしになる」からが63%で最も高かった。年代別では20代が73%と高い反面、60代は47%と半数以下だ>という。
もう一つ特徴的なのが、それ以外の理由の年代別差異だ。<「外出先でもいち早く情報を得たい」と答えた人は20%。50代で33%、60代は42%(中略)20代は9%>。その理由を<若い世代では、外で携帯電話を使う場合、iモードなどネット経由で情報を得ることが多いからかもしれない>と分析している。

考えてみれば、若年層の情報収集がワンセグではなくiモード経由のネットなのは極めて当たり前な結果だ。自在に情報をPullできるネットと、ひたすらPushされる情報を見続けなければいけないワンセグでは利便性が全く異なる。年代で差異がでるのは、ケータイでの情報収集能力の多寡、機器操作の習熟度の差によるものだと考えられる。年代が高い層でも、ケータイの操作に慣れれば、わざわざワンセグのニュースは見ないはずだ。

では、「暇つぶし」としてのワンセグのコンテンツはどうなのか。ワンセグのコンテンツは独自の時間枠と編成で放送されているものがあるが、基本的には地上波のサイマル放送として同一内容が流されている。昨今のテレビ番組が「暇つぶし」に向いているかどうかは個人の価値観によるところが大きいので一概には言えない。だが、バラエティー番組でよく見る芸人やタレントが登場してくる内容は、途中から見て途中でやめてもあまり問題はなく、言ってみればスキマ時間に視聴するのに向いているともいえる。家庭でテレビを見る時にはコマーシャルを飛ばしてチャンネルを次々と変えたり、複数の番組を掛け持ちで見たりという、ザッピングやフリッピングが当たり前になっている。スキマ時間の暇つぶし視聴は、その一コマを切り出したようなものなのだろう。

では、冒頭記したように、「暇つぶし需要」でワンセグは隆盛を極めるのだろうか。
日経の記事がそれには否定的なまとめをしていた。<今回の調査ではワンセグの今後の利用について、「新たに利用したい」人は未利用者の19%にとどまる。実際の利用につなげるにはコンテンツ自体の魅力がカギとなりそうだ>。
この結論には全面的に同意できる。
民放各社が減益に苦しんでいる。広告収入の激減が直接的な原因で、不透明な景気の先行きから広告主が出稿を絞った結果であるが、広告主の出稿の判断である視聴率も、人気番組や看板ドラマでも低迷が続いている。テレビそのものが見られなくなっていることが大きな原因なのだ。だとすれば、同様の番組をワンセグで展開していたのでは、その視聴以降も高まろうはずもない。


テレビ本体の先行きが厳しいのであれば、新しいメディアこそ、もっと工夫が求められる。ワンセグは「スキマ時間」での利用、小さな画面での利用が主だ。そして、その「スキマ時間」の活用は今日、多くの人の関心事である。工夫の余地はまだまだあるはずだ。

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2008.08.26

宝島の取材を受けて・やはりフリーペーパーは「タダより高いものはない」なのではないか?

「月刊宝島」の取材を受けた。宝島という雑誌は長い歴史を持っているが、面白いほどそのポジショニングを変化させ生き残っていいる。少し前まではビジネスっぽい内容であったが、ここ数号はサブカルチャー&アングラ系に振っており、「SPA!」をもう少しダークサイド寄せた感じになっている。取材に来られた記者の方によれば、それが奏功して売れているという。フォロアー的な模倣戦略と、ちょっとニッチな人々をターゲットにした「差別化集中戦略」を取っているのだろうか。

そんな月刊宝島の今月のタイトルは「タブーな人たち」〜新聞・テレビが報道しない今時の「タブー」。8月25日に発売されている。
筆者がどんなタブーネタを持っていて取材を受けたかといえば、「フリーペーパー」についてである。フリーペーパー隆盛の今日、しかし、その読み捨て文化に対して一貫して当Blogや各紙誌のコラムで批判をしてきたことが目にとまったようだ。「業界から聞こえ始めた」フリーペーパーのヤバイ噂」という2ページ構成の記事にコメントが掲載されている。

詳しくは本誌を確認いただきたいが、以下、概略を紹介する。
記事では、<日本生活情報紙協会(JAFNA)が実施した「第3回全国フリーペーパー実態調査」によると、わずか4年の間に媒体数は、ほぼ横ばいにも関わらず、発行部数は約7000万部も増えている>とその隆盛ぶりが伝えられている。

その現状の中で「フリーペーパーは儲かるビジネスなのか」という質問が記者から寄せられた。筆者の回答は「難しいし、今後どんどん厳しくなる」である。レベニュー(収益)を広告に頼っているビジネスモデル故、いかに数多く手に取ってもらえるかが肝要なのだが、フリーペーパー乱立の今日では、広告収入は大手寡占化に進むのは、インターネットメディアの例を見ても明らかだ。また、インターネット媒体と大きく異なるのは、物理的な印刷・配本・配布(設置)のコストが多大にかかることである。簡単に収益が上がろうはずもない。

収益が上がらなければ、コストは切り詰められる。記事ではその圧縮が、記事のクオリティーに影響し始めていると指摘している。編集プロダクションのライターのコメントは悲惨だ。ただでさえ安かった原稿料は、昨今では1/3に削られ、しかも二次利用の権利なども無視されているという。<正直作る側も片手間ですよ。まぁ、発行元もそんなにクオリティにはこだわってないんで、書き直しはほとんどナシです」>というコメントが現状を如実に表わしている。

筆者が気になっていたクーポン系のフリーペーパーの現状は、さらに苛烈であった。良質な記事を書かなければならない食べ物系のライターのギャラが実際には安く、日頃の食生活を考えると美食のレポートなどはできないという現状はよく伝えられているところである。しかし、クーポン誌のそれはさらに悲惨だ。その現状は記事に詳しいが、丸一日かけて飛び込み営業を繰り返し、やっと掲載交渉がまとまるも、ノウハウのない撮影などが原因で店主とトラブルになるなどの実例が示されている。

クーポン誌の今後についてもコメントを求められたが、ここでも否定的な意見に終始することになった。フリーペーパーの中でも、一番先に淘汰が起こると予想されるからだ。
クーポン誌間の競争の激化により広告料も低下し、それを補うために掲載数を増やす。やたらと分厚くなる本誌を街頭配布するも、かさばりすぎて受け取りを躊躇する人多くなっている。また、店を探すにしても、一覧性はあるものの、検索性ではインターネットの方が格段に優れている。ケータイクーポンも普及がめざましい。

そうしたフリーペーパーの現状をさらに悪くするのが、読者の心理面の変化だ。<「無駄に重くなっているし、受け取らなくなった」と同時に、「持ち歩くと恥ずかしい」>という感覚になってきているようだ。

しかし、筆者がかねてより指摘してきた「読み捨て文化の象徴」としての資源問題に関しては、記事では意外な内容が記されていた。
「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」の著者、武田邦彦氏はフリーペーパーを賞賛する。<「実は、紙用に育てられている木は余剰気味。伐採量よりも生育量が多く、供給される量の11%しか使っておらず、残りの89%は捨てられているんです。ですから、木を無駄にしないためには、新しい雑誌をどんどん創刊させ、紙を使った方が有意義」>

上記には筆者は疑義を呈したい。環境問題の専門家としてもう少し詳しく説明いただきたい。紙資源に問題はないかもしれないが、「フリーペーパーはなくてもいい」という立場で考えれば、余分な紙の生産、印刷、運搬、そして大量に廃棄されたあとの処分にかかるエネルギー。そうしたものも勘案して、「フリーペーパーの大量生産・大量廃棄は環境に貢献する」というのだろうか。武田氏の「環境問題の定説に騙されてはいけない」という日頃の主張には賛同できる部分も多いが、今回は納得がいかない。

もう一つ、フリーペーパーに関して主張したい、今回記事に取り上げてもらえなかった点がある。「タダより高いものはない」と記事のサブタイトルに採用してもらったのは、かつて筆者が日経関連のサイトに寄稿したフリーペーパーに関するコラムのタイトルだ。
タダのフリーペーパーの何が「高くつく」のかといえば、一つは上記の環境問題。もう一つは、記事にもあるように、内容の劣化が激しい誌面を読んで時間をつぶすことだ。
人間は1日24時間、1年365日という、等しく与えられた時間の中で生きている。365日が何年続くのかに差はあるものの、与えられた時間をどう使うかが人生の質を決めるということになるはずだ。もちろん、フリーペーパーの中にも発行回数を重ね、しっかりした内容を発信しているものもある。しかし、タダで手軽なメディアだからといって、安易にそれで時間をつぶすのはどうかと思うのだ。きちんと取捨選択が必要だろう。結果として、「タダより高いものはない」にならないために。


【お知らせ】
明日のBlogの更新はお休みします。(たぶん)。

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2008.08.25

“現場に効く”マーケティングの基本理論・第10回

インタラクティブマーケティングの専門誌「月刊im press(アイ・エム・プレス)」9月号が発売されましたので、連載バックナンバーをアップします。
本誌では連載第11回が掲載されています。
次回で1年間の連載最終回。現在、鋭意執筆中。


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“現場に効く”マーケティングの基本理論


あまりに“基本”と思われ忘れられているようなマーケティング理論。しかし、日々の業務が行われる“現場”で今一度振り返ってみれば、思わぬ“再発見”があるのだ。


第10回「”チャネル戦略”は慎重に」


今回は3つ目のPであるPlace。通常「チャネル戦略」もしくは「流通戦略」と訳される。前回「4つのPのうち、一番”厄介なP”である」と予告した。その理由も徐々に明らかにしながら、チャネル戦略の要点を考えていこう。


■商品・サービスの価値を流通させるのがチャネル戦略

「マーケティングとは、売り手と買い手の”価値の交換活動”である」と連載第1回で述べた。その意味からすると、チャネル戦略は売り手と買い手の価値を結びつける重要な機能を担っているといえる。そうして、製品・サービスの提供者(メーカー)から買い手(生活者)まで流れる仕組みを最適化するのがチャネルである。
例えば、同じ「コンピュータのソフトウエア」という製品カテゴリーでも、ユーザーがマニュアルを読めば使えて、その機能をそのまま利用する「パッケージソフト」と、企業が自社の業務に使う、いわゆる「ソリューション」とは、当然ながら求められる要素が全く違う。
前者は手軽に、必要なときにいつでも手に入ることが重要なので、量販店の店頭や通信販売などのチャネルで販売されている。
後者の企業向けソリューションは、導入企業の課題を分析し、最適な導入パターンを提案し、ソフトをカスタマイズして納品することもしばしばある。つまり、ただ単に店頭に並べておけば売れるというものではない。故に、メーカーの直販部隊か、ソリューションベンダーが販売を行い、コンサルティングやプログラム変更などのカスタマイズまでを担う仕組みになっている。つまり、チャネル設計においては何を、どのように提供することが、顧客の価値を最大化することにつながるのかに注目することが重要なのだ。


■チャネルの担う大きな3つの流れ

チャネルの定義は、メーカーから生活者までモノ(製品とサービス)を届ける役割を担うものと解釈できる。しかし、それはモノの流れ、即ち「物流」というひとつの機能に過ぎない。もうひとつは、生活者からメーカーへの対価を元としたカネの流れがある。これを「商流」という。
昨今、それに加えてもう一つ重要視されているものがある。情報の流れであり、「情報流」と呼ばれている。本来的には、メーカーと消費者の間を行ったり来たりする流れなのだが、実際には、メーカーから生活者側への一方通行となりがちだ。製品・サービスの情報をメーカーが発信することは、次回に述べる4つ目のPであるコミュニケーション戦略(Promotion)と考えられるが、いわゆる「顧客の声」などの情報がなかなかメーカーまで届かないのが実情なのだ。


■多段階化するチャネルのパターンのデメリット

前述の「顧客の声が届かない」という理由も含めて、チャネル構築のパターンを見ていこう(図表)。
10
メーカーと生活者の間に介在するのがチャネルであるが、一番上のようなメーカーが直販を行うというパターンであれば、メーカーはダイレクトに関係構築ができるため、生活者の声を聞きやすいのは間違いない。以下、1段階、2段階、3段階とチャネルが複雑化していくに従って、生活者の声はメーカーには届きにくくなる。
問題はそれだけではない。例えば、直販であれば、価格はメーカーが自由に決められる。チャネルが介在すれば、流通マージンがかかったり、他社製品との兼ね合いで値決めをしたりと、さまざまな苦労をすることになる。つまり、「情報流」だけでなく、「商流」にも影響が出る。さらに、チャネルを通じて物を動かせば、その各段階ごとに在庫を抱えることになる。そのコストや、売れ残りのリスクなどはなかなか厄介な問題だ。つまり「物流」への影響も大きいのだ。


■チャネル構築はメリットとデメリットの見極めが重要

「それでは直販が一番良いのではないか」と考えがちだが、そこにもやはりデメリットが存在する。直販はメーカーがいちから顧客獲得をしていかなくてはならない。懸命の努力と時間を費やせば、それなりの顧客ベースを確保することもできるかもしれない。しかし、すべての生活者が直販を望むわけではないし、チャネルが元々確保している顧客に売ってくれた方が時間もかからず、多くの場合、より多く売ることができる。
つまり、直販から始まり、チャネルが多段階化していくことによって、情報流・商流・物流のすべてがメーカーの思うようにコントロールしにくくなっていくということがデメリットだ。その反面、チャネルが介在するほど、それが持っている顧客ベースやセールスパワーによって、より広い市場に商品を届けるという、カバレッジが向上するのである。
重要なのは、メリット、デメリットを考慮して、それを組み合わせてチャネルを構築することである。


■チャネルが厄介な理由

さて、そろそろ前回の予告から引っ張ってきた「4つのPのうち、一番“厄介なP”である」という理由に移ろう。前項の、チャネルが介在すると「コントロールがしにくくなる」ということがヒントだ。
なぜ、コントロールがしにくくなるのか。それは、メーカーの思惑と、チャネルの思惑は必ずしも一致しないからだ。むしろ相反する場合も少なくない。では、なぜそうなるのか。答えは「チャネルは他人だから」。
直販がやりやすいのは、メーカー自身がすべてを実行する、つまり、身内だけでコトが済むからだ。チャネルも営利企業の集まりなので、自らの利益を優先させる。そこに衝突が起こる。
4Pの他の要素をもう一度考えてみよう。「価格(Price)」は自社だけで決定できる。「商品(Product)」を作ったり、「コミュニケーション(Promotion)」を展開するのには、原材料の仕入れ先や広告代理店がかかわったりするが、多くの場合、メーカーが主体的に決定し、動かすことができる。そう考えると、「チャネル(Place)」はメーカーと対等以上の立場を持った他人なので、非常にデリケートな存在だと分かるだろう。


■簡単に関係解消できないのがチャネルの厄介なところ

最も厄介なのは、チャネルと関係構築ができたら、簡単に関係解消はできないということだ。直販なら、さっさと「撤退」ということもできる。しかし、チャネルとメーカーは相互依存の関係だ。うまくいっているときはいいが、チャネルの機能が悪くなったからといって簡単に切り捨てられないのだ。
一番有名な例が、松下グループの「ナショナルショップ」だ。松下幸之助が小売店を一軒一軒訪ね歩き、松下製品を扱ってくれるように依頼したことから始まったナショナルショップは、最盛期には全国約5万店を数えるまでに成長し、松下の力の源泉となった。
しかし、時代が変わり、量販店が力を持つようになっても、ナショナルショップとの競合に配慮して一気にシフトすることはできず、さらに各ショップに手厚い販促支援を行うという取り決めが大きな不採算を招くことになった。方針を転換し、各店に販売目標を立てさせたり、ある種の自然淘汰をさせるなどの、メーカー、チャネルともに痛みを伴う改革には長い時間とコスト、そして労力を要したのだ。
チャネル選びを慎重に行わなければならないのと同時に、必要な改革は素早くなされなければならないことが分かるだろう。

チャネルは厄介ではあるが、自社の利益を創出し、顧客に「価値」を届けるためにはなくてはならない装置なのだ。故に、最大限の知恵を絞らなくてはならないのである。


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2008.08.22

食は三代、旅は何代?

「食育」なる考え方が登場し、あっという間に「食育基本法」が制定された。2005年のことだ。日経新聞の表現を借りると<子供が食に関する知識と選択力を身につけ、健全な食生活を実践することで、豊かな人生をはぐくむのが食育の目的>とある。
そして、今度は「旅育」なる考え方が登場し、5年後をめどに全公立小学校で実施を目指しているという。(日経本紙連載コラム「観光立国への挑戦」8月21日より)。

父から「食は三代」と教えられて育ったように思う。贅沢をしたり、豪華な食事をする必要はないが、きちんとした食事をしなければ舌が育たず、それは自分の子供にも影響するという。おかげで、子供にも現在、あまりいい加減なものを食べさせずにいると思う。
そのように、本来、食は親から子へ、子々孫々受け継がれていくものであるのだが、あまりにも今日、食というものが変質してしまっているのが今日である。三代もさかのぼろうものなら、現在40%前後をふらふらしている日本の食糧自給率は100%近い時代になってしまうだろう。個人の努力ではそこまでさかのぼって、子に教えることができないことを、「地産地消」を基軸として伝えていこうというのが「食育」の要諦のようだ。その意味では、大いに賛成できる。

では、「旅育」はどうなのか。旅育もその要諦は、<都市部の子供が地方都市を訪れる機会が増え、地域振興につながる>ということだという。(同紙)
食と同様、今日、旅も大きく変質している。「若者の海外旅行離れ」なるキーワードがささやかれて久しい。その理由を「インターネットの疑似体験で十分満足してしまっているから」とする識者もいるが、その意見には全く賛同できない。インターネットでは旅行によって現地を「体感」や「体験」はできないからだ。当の若者からも「行きたくとも金も時間もないだけだ」との反対意見が数多く上がっている。
しかし、インターネット云々は一遍の真実も含んでいるかもしれない。旅に出る先のことを「知る」だけなら、十分な情報が入手できる。旅行も以前のように何カ所もの名所を「確認(視認)」するだけの、慌ただしい周遊型の人気は絶えて久しい。一層、「体感」「体験」が重要になってきているのである。

さて、食は三代とすれば、旅は何代なのだろうか。筆者東京育ち故、帰省という習慣がなかったことにも起因しているが、海外はともかく、幼少期から日本全国各地をずいぶんと親に連れ回してもらって育った。おかげですっかり旅行好きだ。
しかし、親と旅した内容を思い出せば、当時のご多分に漏れず、前述の周遊型に近かった気がする。現在の自身の旅行スタイルとはずいぶん違う。だとすると、教えられたのは「旅をする心」というか、「きっかけ」ではなかったのだろうか。

「旅育」は<小学生が、農山漁村で長期の宿泊体験活動>や<田植え体験>などが現在モデル的に行われている内容として紹介されている。「体験型」中心なのは大変結構なことだと思う。
ただ、「旅は何代か?」と考えれば、きっかけさえ与えれば、自身で体験し、何らか自分の中に残るものができるため「旅は一代」ではないかと思う。その意味からすると、せっかくの「体験」があまりに「お仕着せ」にならないようにしてもらいたいのだ。「食」に関しては、あまりに情報が錯綜したり、偽装や隠蔽が横行したりしているので、しっかりとした教育が必要だろう。しかし、あくまで「旅」は本人に任せる部分が大きい方が良いはずだ。「食は三代、旅は一代」なのだから。

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2008.08.20

『崖の上のポニョ』の大成功にマーケティングの整合を見る

「公開から31日で100億円を突破!」が報じられたポニョ。歴代宮崎アニメの中でも大ヒットとして間違いないだろう。前作・ハウル以来4年ぶり。宮崎監督都が熱いハートで取り組んだ作品に対し、マーケティング的評論をするのも憚られるが、その成功のヒミツを少しだけ読み解いてみたいと思う。


「シネマトゥデイ」では以下のように報じられている。
http://sports.nifty.com/cs/headline/details/et-ct-N0014930/1.htm
<31日間で100億円突破の記録は、『千と千尋の神隠し』の25日間には及ばなかったものの、『ハウルの動く城』の33日、『もののけ姫』の43日を上回るハイペース>といことである。

かくも、人々に愛されるのは、作品自体のすばらしさにあることは間違いない。筆者自身も夏休みに家族で鑑賞し、10歳の娘共々、夢中になった。
映画作品そのものは、マーケティング的にいえば、「製品(Product)」にあたり、いわゆる「4P」の一要素だ。その中身を云々すると、ネタバレにもなるので詳細には踏み込まないが、例えばCG全盛の昨今、丁寧に手書きで書き込まれた作画、背景は作品全体でテーマの「海」の魅力を余すところなく演出している。また、一度聞けば忘れられず、うっかりするとアタマの中で無限ループをし、口ずさんでしまう「ポーニョ ポニョ ポニョ さかなの子・・・」のテーマソングをはじめ音楽も印象的だ。ストーリーもファンタジーでありながら、実は様々な物語が下敷きになっていたりと、知れば知るほど「もう一度観たい」と思わせる魅力がある。
・・・と夢中になって「製品(Product)」を語ってしまったが、マーケティングで大切なのは、「良い製品」であることだけではない。他の要素との「整合」が大切なのである。

まず、ターゲットとポジショニングだ。映画の場合、ポジショニングは取り上げるテーマそのものでもある。
過去の宮崎作品を思い起こすと、「風の谷のナウシカ」と「もののけ姫」は、メインターゲットを大人向けとした「問題提起型」の作品と言えるだろう。少々ポジショニングの表現が難しいが、「環境と共生」が大きなテーマであるこということである。
次に、「天空の城ラピュタ」と「ハウルの動く城」、「魔女の宅急便」と「千と千尋の神隠し」。前者が「冒険スペクタクル」であり、後者は「子供(少女)成長の物語」というポジショニングであるが、共に大人と子供の双方をターゲットとしている。
さて、今回の「崖の上のポニョ」は「となりのトトロ」と同じく、メインターゲットを子供とした親子で楽しむ「ファンタジー」だ。
上記のように、宮崎作品は同様テーマの作品が繰り返し造られており、同じターゲットとポジショニングの作品であれば、前作を元に期待が高まるのは必定だ。トトロは1988年公開であり、実に20年ぶりのテーマである。トトロは20年経ってもその魅力が色あせていないのだが、やはり新作が待ち望まれていたカテゴリーである。そこにきれいにはまったのが、今回の「ポニョ」であるのだ。

その意味からすると、外部環境との整合もいい。
子供をメインとして、親子で楽しむ作品の公開時期としては、夏休みはベストだ。ロングランを期待するにしても、立ち上がりで動員数を大きく稼ぐことができる。
時期だけではなく、昨今のシネコンの隆盛も追い風だ。館内がきれいで、事前に座席を取ることもでき、背の低い子供向けの補助シートなども整備されている。既にシネコンは過当競争に入っているので、サービスが非常によい。小さな子供を連れて行くのにはベストな環境である。
昨今の経済環境にも適合している。物価高にあえぐ今日の消費生活において、夏のレジャーは「近間で済ます」傾向が顕著であった。レジャーとして映画に流れた部分も大きかっただろう。

外部環境の機会を捉え、ターゲットに最適なポジショニングの優れた作品を提供できていることがここまででわかるが、4Pの残る要素もうまく整合している。
「価格(Price)」「チャネル・販路(Place)」「プロモーション(Promotion)」も、ここまでの要素と関連している。
価格は、昨今、実に定価で映画を観る層は少なくなっている。話題の映画であれば前売りを入手するのは昔から変わらないが、前述の通り、過当競争機にあるシネコンは、各種の独自の割引プログラムを用意している。また、映画業界全体での割引サービスもある。つまり、いつの間にか、定価・大人1800円は変わらないのだが、平均価格はずいぶんと安くなっているのだ。
チャネル・販路は外部環境で触れたとおり、シネコンが大きく寄与し、利用しやすくなっている。ターゲットとの適合もいい。
プロモーションは、今回実にうまく計算されていたと言えるだろう。映画ファンということもあり、筆者は映画情報には比較的耳の早いほうと自認しているが、「ポニョ」の作品内容、ストーリーなどは全く事前に漏れてこなかった。一般にもあの「ポーニョ ポニョ ポニョ さかなの子・・・」のテーマソング以外、「どうやら子供向けのファンタジーらしい」ということしか公開されていなかった。つまり、一種の「ティザー(teaser:じらし)広告」として事前の盛り上げに大きく寄与していたのは間違いない。


以上のように、「崖の上のポニョ」は、成功すべくして成功しているのだとわかる。
アニメーションはもはや芸術であるが、ビジネスでもある以上、成功法則を踏襲することも、また重要だ。宮崎アニメのような、製品(作品)の完成度が大きな地位を占める場合でもそれは同じだと言えるだろう。

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2008.08.19

定番も「売れ続ける工夫」で生き残れ!

「定番品」とは黙っていても売れ続ける商品ではない。変化し続けることで売れるようにする商品である。黙っていれば、生活防衛のため、消費者は「買わなくてもいい」と考えてしまう時代だ。

消費者の本格的な生活防衛が始まっているのだ。
<日用品、節約志向広がる 家計調査6月、4ヵ月連続減>
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20080819AT2C1800W18082008.html<物価の上昇が響き、消費者が食品や日用品などの節約志向を強めている>といい、<通常の景気低迷期とは違って、生活必需品を中心に切り詰めている>ことが昨今の特徴のようである。
一生活者の視点で考えれば無理からぬことなのだが、企業の視点で考えれば、景気変動にさらされない安定的な売上げを上げられるはずの、必需品や定番品までもが売れなくなるという危機的状況なのだ。
そうした背景の中、いわゆる「定番商品」が消費者の潜在的なニーズに対応し、リニューアルで乗り切っていこうという動きが見える。

例えば、「メタボリック・シンドローム対策」は数多くの成人人口を巻き込んだ、昨今の関心事だ。
<メタボリック対策として実施していること>という調査では、「食事の量」「脂肪分の少ない食品を意識的に摂取」と食事での対策が上位を占める結果が出た。
http://release.nikkei.co.jp/attach.cfm?attID=0197119_02.jpg上記は雪印乳業の調査である。そして同社は定番商品である「6Pチーズ」の新製品を発売した。
<脂肪分20%カットの「雪印 6Pチーズ 脂肪分ひかえめ」を発売>
http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=197119&lindID=4平べったい丸い紙のパッケージに、アルミに包まれた6つのチーズである。よもやあのような定番に工夫の余地はあるまいと思っていたが、「メタボ対策」という直球勝負で挑んできたわけだ。筆者を含めて必要性を感じている層は、大きな選択肢となる。


一方、もっと潜在的なニーズに対応した商品も登場する。「9割の顧客のイライラを解消する」というものだ。
http://release.nikkei.co.jp/attach.cfm?attID=0197070_03.gif
ミツカンの調査では、納豆のパックのフィルムやカラシなどの小袋が開けづらかったり、開ける際に手が汚れたり、開けた後の始末に困るなどでイライラを経験する人は9割に上るという。
そこで、同社は調味料メーカーとしての技術を応用し、タレにとろみをつけ、つまんで混ぜられるようにするという、「コロンブスの卵」的な解決策を見いだした。
http://release.nikkei.co.jp/attach.cfm?attID=0197070_01.jpg同社の納豆の定番シリーズである「金のつぶ」の2製品にまず投入するという。
http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=197070&lindID=4

パッケージを開ける時のイライラなど、普通に考えれば「しかたがないこと」と思ってしまうことだが、「便利になりました」と提案されれば、試してみよと購入の手を伸ばす理由になる。


生活防衛は、消費者自身が知らず知らずのうちに「買わない理由」を考えることになる。「メタボに悪いから」「朝食に面倒なものは食べたくないから」・・・などなど。
まずは、そうした「購入棄却理由」を払拭することが肝要だ。その上でさらに、「身体によさそう」とか「便利そう」とか、購入理由(KBF=Key Buying Factor)に転換していくことが重要なのだ。
繰り返すが、定番商品といえども、黙っていても売れ続ける時代ではないのだから。

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2008.08.18

「ちくわ笛」が奏でる悲しき値上げのメロディー

原材料の高騰による食料品の値上げラッシュ。消費生活を直撃するその値上げも、気付かぬうちに静かに進行している場合もある。

ちょっと変わった記事がasahi.comに掲載されていた。
<ちくわ笛奏者、「値上げ」困った 穴広がり音程に狂い>
http://www.asahi.com/national/update/0817/OSK200808170001.html

<音の変化に気づいたのは昨年1月ごろ>と言うのは、<ディナーショーやイベントなど年約300回の演奏をこなし、全国を飛び回る>という、プロ(!)のちくわ笛奏者。<以前よりも高音が出るちくわが増えたため、注意して観察すると、全体の長さが短くなっていた。中には、穴の直径が大きくなって音程が変わったり、ちくわが軟らかくなって半音変わったりしたものも>と、ただ単に食卓に並べて食べてしまうだけでは気付かぬ「実質値上げ」の影響を受けているのだ。

この実質値上げは食品業界では常套である「量目調整」という手法。製品の見た目やパッケージと価格はそのままに、消費者が気付かぬうちに内容量が減少しているのだ。
原材料の値上がりをそのまま価格に転嫁すると、やはり売れ行きに影響する。それを避けるために内容量を減らし、価格を据え置く。場合によっては価格を下げる。
ちょっと考えれば気付きそうなものだが、実際には消費者は気付かないのだ。例えば、ウィンナーソーセージの定番・日本ハムのシャウエッセン。内容量を減らした実質値上げをしたが、店頭価格277円から271円と、見かけ上6円の値下げをした結果、売り上げが9%上昇した。(過去記事:http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2008/06/post_a7d5.html
ウィンナーソーセージの多くは2個パックでそれなりにボリューム感を出した販売手法がとられており、しかもパッケージには保存性を高めるため窒素ガスが充填されている。手に取った時、内容量の変化には変化は気付きにくい。
パッケージのしかたは異なるものの、ちくわの内容量に気付く人は少ないのだが、笛にした時の変化は顕著だったということだ。

初期品メーカーは、なぜ「量目調整」という手段に走るのかを考えてみよう。
企業が価格を設定する時には、いわゆる「3C分析」のと同じ要素を考慮する。即ち、「Company(自社)」「Competitor(競合)」「Customer(顧客)」だ。
自社内では、原価(コスト)を積み上げ、それにいくら利益を乗せようかという観点で考える。昨今は原価高騰で利益がなかなか乗せられない状況だ。実際にはさっさと値上げしたい。しかし、競合を考えると、うっかり値上げをすれば顧客はそこに流れるのが必定。我慢比べとなる。さらに顧客の要素では、その商品に対していくらまでなら払ってもらえるかという観点が重要だが、食品は販売価格の上下が販売量に大きく影響する、「価格弾力性が高い」製品の代表である。また、その食品でなくとも他のものを食べて間に合わせるという代替品も多い。故に、うっかりと値上げはできない。
以上のような背景で、見た目は価格据え置き。もしくは値下げ。実質値上げという量目調整が行われるのである。

食品メーカーに取って、値上げは死活問題であることは間違いない。しかし、どうか、消費者が納得できる説明だけは怠らないでほしい。知らず知らずのうちに内容量が減り、味が落ち、その後にさらに値上げというようなシナリオではなく、原材料の高騰という如何ともしがたい事態を消費者と共有すべく、説明を怠らずに納得を得る努力をしてもらいたいのだ。
「グレシャムの法則」というものがある。一見同じ価値(名目価値)を持つが、その内容(実質価値)が異なる貨幣がその国の中で流通する時、質の高い方の貨幣は隠され、支払いには質の低い貨幣だけが流通する「悪貨は良貨を駆逐する」という状態だ。
いつの間にか、市場に出回っているのは質の低い食品ばかりという光景はやはり避けてほしいと思うのだ。

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2008.08.15

「苦くないビール・酔っぱらわないビール」に学ぶ

飲み会での禁句は「とりあえずビールでいいよね?」だそうだ。それだけビールを飲まない人が増えているということなのだ。

「ビール離れ」と言われて久しい。自他共に求める、ビール党でありビール星人である筆者からすれば、特に夏にビールを飲まずして「人生何が楽しいんだ!」と思わずにいられないのだが、そもそも、人生の楽しみ方が多様化し、「酒を飲まない若者」が増えているというのだから、もはや「ビール離れ」はどうにもならない。

であれば、メーカーが頼るべくは筆者のごとき中年族であろうが、メタボという名の十字架を負わされたこの身では、もはや気楽に「プシュッ」とやるわけにも行かなくなっている。酒量は減らす(できるだけ・・・)。飲む時でも「えーっと、プリン体が少ないから発泡酒で・・・」と涙が出るほど情けない行動も否めない。
故に、先細りの老体となりゆく世代に期待しつづけては共倒れになるので、やはり若者に働きかけることは欠かせないのである。しかし、ビールを飲んでもらおうと思っても、なかなか若い世代は手強そうだ。「プシュッ」「グイーッ」「ぷはぁ~」なぁんて飲まれ方は死滅しつつあることがわかる。

<つまみは“甘いお菓子?” 20代でビール離れ>
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0808/08/news028.html
若者の声としては<「夜はネイルなどをやりたいので酔いたくない」「ビールを買おうとしたが疲れていたのでアイスにした」など飲酒自体への関心も低落傾向」>であるといい、<350ミリリットル1缶を飲むのに30分程度かけたり、甘い菓子をつまみにするなど新たな飲用スタイルも浮かび上がった>と、従来の感覚では考えられないような現象が起きている。うーむ、何という生態。

しかし、それに対してビール会社は生き残りをかけて、若手を起用し、固定概念を打破する製品の開発を行ったのである。
<ビール離れを食い止めろ 大手2社、若手開発の新商品>
http://www.asahi.com/business/update/0815/TKY200808140413.html

アサヒビールは<ショウガから抽出したジンジャーエキスを配合し、「辛さを出しながら爽快(そうかい)感を楽しめるようにした」>といい、キリンは<低炭酸で、アルコール度数も従来のビールより低い4%に抑え、「ふわっと軽やかなうまさにした」>という。ビールの味ではなく、酔っぱらいもしないビールだ。


若者をターゲットとした時気をつけなくてはならないのが、「若者の○○離れ」というフレーズである。
単純に「若者」というセグメントでくくるのではなく、格差問題で収入が少ない人も多いので、なかなか購買層として期待できないという論もある。さらに、携帯電話をはじめとしたコミュニケーションコストの負担が重く、可処分所得がさらに圧迫されていると言われる。一面の真実はある。しかし、そうした論を前に思考停止していたのでは生き残れない。

まず、○○から離れるのは本当に「買えない」からなのか、「買わない」のかを見極める必要がある。「買えない」「買わない」は対象となる製品やサービスによって状況は異なるだろうが、ビールにおいてはメーカーは後者であると判断し、従来の固定観念を崩して新たな製品開発に踏み切ったのだ。

市場のニーズも顧客像も、常に移ろう。変化を捕らえ続け、自らも変わっていくことが生き残りには必要だとこの事例から学べるのではないだろうか。
・・・とはいえ、筆者は今夜も風呂上がりには「プシュッ」っとフタを開け、腰に手を当てて「グイーッ」と飲み干し、「ぷはぁ~」という予定なのだが。

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2008.08.14

蒼い朝顔に街の活性化の秘密を見る

いつも訪れる名古屋から少し足を伸ばし、高山に行った。高山は豊臣秀吉の命を受け、金森長近が三木氏討ち飛騨の領主になって、6代100余年を治めた地。金森姓としては縁深いのだが、なかなか訪れる機会がなかった。

特急「ひだ」がディーゼルエンジンをとどろかせ、山間の単線をひた走る。車窓からは飛騨川などの渓谷が目に美しい。名古屋から2時間と少しで高山駅に到着。

列車の中から気付いてはいたものの、駅前で改めて外国人観光客の多さに驚く。昨今の日本を訪れる外国人観光客の傾向通り、中国をはじめとしたアジア圏の人も多いということだったが、この日は北京オリンピック開催中という影響も多いのだろう。欧米人が過半を占めていたようだった。バックパックを背負った比較的若い人が多い。

欧米人が多いのはもう一つ理由がある。高山は2007年に初めて刊行されたミシュランの日本に関する観光ガイド「MICHELIN Voyager Pratique Japon」に「必ず訪れるべき場所」として、三つ星で紹介されたのだ。ユーロの強さも手伝ってか、独立行政法人国際観光振興機構(JNTO)によれば、日本を訪れるフランス人は2004年から2006年の2年間で22 %増加しているという。旅行ガイドがフランス語で書かれているためか、やはり英語よりもフランス語が多く飛び交っているように思われる。旅行ガイドを片手に海外の街を歩く。「地球の歩き方」を片手に旅行している日本人のようで、ちょっと面白い。

とはいえ、他所の国で刊行された観光ガイドに地元が頼っているわけではなく、外国人観光客のブームに対応する街の取り組みも見事である。駅正面の観光案内所には各国語のパンフレットがぞろりと揃っている。パンフレットによっては距離の単位をキロだけでなく、マイル表記にするなどの細かい配慮もなされている。
現在、国を挙げた「ビジット・ジャパン・キャンペーン」が展開されている。しかし、かけ声だけではなく、こうした細かな配慮こそが重要なのだ。既存の観光資源があるだけでも、新たな「ハコモノ」を造るのでもなく、ソフト面の充実こそが求められるのだ。

そうした細かい配慮の一つとして、地元のすてきな取り組みを見つけた。
Heavenly_blue
高山市内を歩くと、古い街並みにもよく似合うきれいな蒼い朝顔を随所で目にする。なぜか、昼日中でも花がしおれていない。
地元の人に聞いてみると、「ヘブンリー・ブルー」という名の西洋朝顔だという。婦人会が中心となって、高山の街を訪れる人に、朝だけでなく昼間でも花を楽しんでもらおうと各家々に苗を配ったのが始まり。開花時間が長く、花芽が多くついてきれいに咲くこの品種を選んだという。今では市も協力し、小学校で栽培・観察し、各家庭に児童が持ち帰るのもこの品種だ。
古い街並みを流れる用水から打ち水をし、目に涼しげな蒼い朝顔で旅人を迎える。そんな細やかな心遣いこそが、単に観光資源を有しているというだけでなく、街を活性化させることにつながるのだろう。

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2008.08.13

過激な「引き算」が進行するノートPC市場?

【お詫び】 都合により2日間Blogの更新をお休みしました。本日より通常通り、平日毎日の更新を目標として再開いたします。

今月の初旬、<インド政府、10ドルノートPCの開発を計画中>の報道がネット上で話題となった。一方、日本市場においても10ドルはムリでも10万円未満のノートパソコンが急伸している。ノートパソコン市場は今後どこに向かっていくのだろうか。


筆者のメインマシンであるPanasonicのLet's note CF-W7はメーカー直販サイトでカスタマイズをしまくった結果、約37万円という価格で購入した。丈夫さ、軽さ、デザイン、色、CPUのスペックやメモリとハードディスクの容量など、唯一といって言い商売道具なので、こだわった結果だその値段になった。つまり、自分のこだわり=KBF(Key Buying Factor:購入する理由)をどんどん積み上げ「足し算」した結果である。自分としては満足のいく買い物であったが、果たして人にそれを勧めるかといえば、正直「そこまでは必要ない」ということになるのだろう。

とかく、ライフサイクルが成熟期を迎えた製品はスペックや様々な属性を「足し算」していくことで差別化を図ろうという傾向が強くなる。顕著な例が携帯電話である。あの小さな筐体に詰め込まれた、技術の粋を凝らした様々な機能の中で使われないものがいったいいくつあることか。ノートパソコンの場合も同様だ。

では、ノートパソコンに本来求められる価値とは何だろうか。何度も紹介している、コトラーの製品特性分析のフレームワーク、今回は5層モデルを再掲する。(図参照)
Notepc5
図示したとおり、今日求められる最も中核となる価値は、計算・文書作成に加えてインターネットができることである。極端な話、この中核が担保されれば、利用するに問題はないわけだ。よりストレスフリーにするためにスペックを向上させたり、外での利用時間を長くするためバッテリー容量を大きくしたりと、価値が「足し算」されていっているわけだ。しかし、足し算されていく属性は全ての人に求められているわけではない。

「10万円未満のノートパソコンがシェア4割」を伝える日経新聞8月11日の記事は以下の通り。
http://it.nikkei.co.jp/pc/news/notepc.aspx?n=AS2F2902S%2011082008

<7月の10万円未満のシェアは40.3%。うち6万円未満の超小型パソコンが約半分を占める。>という点も重要だが、<データ通信サービスの増加を背景に、ユーザーが出先でメールやインターネットを使うのに利用するケースが多い。「2台目需要が中心だが買い替えで選ぶ人も目立つ」>という点に注目したい。
つまり、足し算された属性のうち実態として求められているのは、中核たる価値で大半がように足りるということなのだ。

新たな製品コンセプトを考える時、つい、新たな属性を「足し算」することにばかり目がいくが、実は現在ある価値から「引き算」を行うことも重要なのだ。図中の5層の価値構造から何が省けるか、自身の利用のしかたから考えてみてほしい。

その意味からすると、やはりインドは強烈だ。
<インド政府、10ドルノートPCの開発を計画中>
http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20348296,00.htm

実現可能性はともかく、徹底的な「引き算」の姿勢が明確だ。<これらのノートPCはシングルボードで作られる予定で、最近では使われるのことの無くなった旧式のコンポーネントで構成される可能性が高い。多くの古いコンポーネント、例えば、1GHzのプロセッサなどは、最近では時代遅れと見られがちだが、十分活用できる。>
構成を最小限にし、誰も見向きもしなくなった部品までを活用する。恐らく、誰もが満足するスペックではないだろう。しかし、それでも中核となる価値だけは外さない仕上がりを目指すことは間違いない。

ライフサイクルが成熟期から衰退期を迎えると、製品は「合理化」に向かう。まさに「引き算」を徹底して無駄を省くのだ。例えば大昔に大枚をはたいて購入していた電卓(電子卓上型計算機)はもはや文具店や量販店の店頭でワゴンに入れられたり、ビニール詰めで壁からぶら下げられ、極めて低価格で売られている。パソコンがそうなる日も遠くないのかもしれない。
大事なことは、顧客のニーズがどこにあり、それにマッチした価値提供ができるか否かである。そして「足し算」ばかりではなく、時には「引き算」もきちんと考慮すべきであることだ。それはノートパソコン市場だけのことでないのは明らかである。


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2008.08.08

「壊す」勇気

分子生物学者・福岡伸一教授の示唆に富んだコラムからご紹介したい。

日経新聞08年8月7日付夕刊「あすへの話題」。執筆者は青山学院大学理工学部化学・生命科学科教授・福岡伸一氏。氏は著書「生物と無生物のあいだ(講談社現代新書)」でも知られている。

コラムは「つくるまえにこわせ」と題され、生物の細胞の仕組みについて述べられていた。
最近の研究で、細胞を構築する<タンパク質の合成ルートは一通りしか存在しない。しかし、タンパク質を分解するルートは何通りも存在>するという。そして、氏は<細胞の内部空間は限られている>故に、まず、こわすことは当たり前の帰結であると説いている。
さらに、このコラムの冒頭でも触れられている、分子生物学の発展の歴史も興味深い。<生命のミクロな分子群が緻密なメカニズムで作られる仕組みを追いかけそれを解明してきた>という<つくることばかりに目を奪われてきた>流れから、昨今、コラムの本題である<こわす仕組み>への注目がなされていると指摘している。

生物の細胞の仕組みは「つくるまえにこわす」設計が幾重にも施されているということが、コラムのキモであるが、転じて、我々の思考プロセスはどうなっているだろうか。

論理思考の基礎はWhy so?, why,why,why,why・・・と「なぜ」を繰り返すことにある。しかし、さらにそれを進めて、自らのロジックを打ち壊すのはなかなかに勇気がいる。故に、「自説への固執」が起きる。
論理思考の基本としては「ゼロベース思考」も挙げられる。既存の常識や既成概念も一旦リセットして、ゼロベースでものごとを考えていこうというものだ。特に世の中の環境や仕組み、ルールが大きく変化している昨今、このゼロベース思考は重要だとされている。
確かに、思考の原点をゼロからはじめるのは重要だろう。ただ、思考の途中から、何度でもその原点に立ち戻るのも、やはりなかなか勇気がいる。やはり「固執」が起きる。

もし、原点に戻ったり、ロジックを自ら否定することが苦に感じられ、少しでも固執を感じた時には、コラムにある「つくるまえにこわす」という仕組みが自らの中にも自然と備わっていることを考えてみてはどうだろうか。
ものを考える時、どうしても先に進めようと、<つくることばかりに目を奪われ>がちになってしまう。まず、「壊す勇気」を持つことが重要なのだと認識したい。


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2008.08.07

スターバックスは「割引キャンペーン」などしてはいけない!

筆者はスターバックスファンだ。何度か当Blogでも取り上げているマクドナルドが仕掛けている「コーヒー戦争」についも、マクドナルドの巧妙な戦略を評価し打つ、スターバックスにエールを送っているつもりなのである。何とか頑張ってもらいたいと思う故に。

しかし、スターバックスの苦境は続いている。
<苦境にあえぐNo.1ブランドコーヒーチェーン スターバックスの失望>
http://moneyzine.jp/article/detail/82615

<同社の第3・四半期(4-6月)決算は、純損失670万ドル。初めての赤字決算を計上><先月1日に米国内の不採算店600店舗の閉鎖を決定し、29日には従業員1000人の削減><スターバックスの年間収益の8割以上は米国内での事業が占めており、米国事業の縮小は同社の成長の鈍化を証明><先月29日にはオーストラリアの不採算店61店舗を閉鎖を発表し、英国や日本でもブランド力の陰りが伝えられている>・・・。
上記から、一連の状況が改善できていないことがわかる。

大規模な出店攻勢の反動による「飽き」が原因となって、「ブランド離れ」を起こしていると多くのメディアが分析している。その是正のための対処もなされた。しかし、<全米13万5000人の従業員にエスプレッソのいれ方を再教育するなどさまざまな施策を行ってきたが、大きな改善は見られず失望に終わっている>。


そもそも、スターバックスとマクドナルドは競合しえない存在だったはずだ。
スターバックスは「プレミアムコーヒーを提供する店」。マクドナルドは「ファストフード」。マクドナルドがコーヒーの質を上げて戦いを挑んでくるなら、さらにスターバックスは「味」で勝負すべきなのだ。
しかし、「エスプレッソのいれ方を再教育」をしているということは、大規模出店攻勢の過程で、「味の低下」が起こったことを自覚しているのだろう。味が命であるところが、質の低下という事態を招いてしまった間隙をマクドナルドに突かれたのだ。
それ故、本来、「プレミアムコーヒー業界」と「ファストフード業界」と業界定義が異なって、棲み分けているはずの両社の垣根が崩れてしまったわけだ。

しかし、例えば「コーヒーを提供する飲食店」という同じ土俵で戦ったとしても、両社のポジションは本来大きく異なる。
マイケル・ポーターによる「戦略ポジションの3類型」で考えれば、マクドナルドは明らかな「コストリーダー戦略」だ。オールターゲットにコスト優位性を武器にリーダーの地位を保つ存在である。一方、スターバックスは本来、「集中戦略」での戦い方が基本であった。オールターゲットではなく、特定のセグメントに集中して戦う存在だ。特定のセグメントとは、「コーヒー好き(コーヒーマニア)」だ。
しかし、「より多くの人にプレミアムコーヒーを」ということで、オールターゲットにターゲットを拡大し、多店舗展開に踏み切った。広いターゲットに対して、コストではなく「質」を武器に戦う「差別化戦略」である。その戦略の要たる「質」が崩れたことが大きな問題なのだ。


ここで、筆者が気になるのは、<米国では今月5日から、午前中の利用客を対象に、午後のアイス飲料を割引価格で提供するキャンペーンを全米で始めている>と報じられている内容だ。
「コストリーダー戦略」が取れるのは業界においてただ一社である。それ以外の企業は、努々、コスト(価格)で勝負など賭けてはいけないのだ。体力が全く違うのだから。「割引」では完全にマクドナルドの土俵で戦うことになってしまう。

「エスプレッソのいれ方を再教育」など、すぐに効果は出ないかもしれない。すぐに効果が出なければ存続の危機であるという問題意識があるのかもしれない。しかし、本来のポジションと異なる戦い方は長く続けられない。また、「プレミアム性」という自らの資産をスポイルすることになる。
スターバックスの商品は、コーヒーの味だけではない。什器や照明、BGMなどの店内空間。従業員のサービスレベルなどが一体となったものだと思う。
何度もこの結論になってしまうのだが、今一度、原点回帰をして、「差別化」を武器に戦ってほしいと思うのである。


【追記】
新しいニュース。
<日本マクドナルド:今6月中間期、純利益96%増>
http://news.livedoor.com/article/detail/3766062/
日本での話。また、本業以外の部分、<日本トイザらス株を売却し、投資有価証券売却益25億4500万円を計上したことが寄与した>とのことではあるが、とにかく資金力豊富であることは間違いない。
繰り返すが、努々、同じ土俵で戦わないでほしい。特に日本では。

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2008.08.06

携帯されない雑誌と、読まれるケータイ

電車の中のスキマ時間。何をして過ごすだろうか。車内で乗客を見回してみれば、過半が携帯電話の液晶画面をにらんでいることも少なくない。一方、乗客の中で雑誌を読んでいる人はどれくらいいるだろうか。


現在、日本雑誌協会が主催する「雑誌愛読月間」の期間中である。(7月21日~8月20日)。電車の車内吊りポスターには、アイドルのアッキーナこと南明奈が浴衣姿も麗しく、「雑誌にお作法はございません」というコピーに花を添えている。
http://www.dokusyo.or.jp/jigyo/mag/mag.htm

「お作法はない」とは、「いついかなる時にでも、気軽に好きな読み方で楽しんでほしい」ということだろう。しかし、残念なことに車内に雑誌を広げている人は数えるほどしかいない。

インターネット調査会社のマイボイスコムによる「雑誌」」に関する継続調査の結果がリリースされた。
http://www.myvoice.co.jp/biz/surveys/12007/index.html

雑誌の販売実績とメディアとしての衰退が取りざたされる中、意外ときちんと有料購読している人が多い反面、やはりフリーペーパーが閲読誌ジャンルや、よく読む雑誌のランキングで大きな勢力を占めていることがわかる。
その中で気になるのが、閲読するシーンだ。複数回答で、「自宅でくつろいでいる時」が67.2%なのに対し、「電車やバスなどの移動中」は18.9%しかいない。

昔なら、電車やバスなどの移動中は雑誌閲読の定番的シーンだったはずだ。移動の合間にキオスクでちょいと買って、車内で広げる。読み終わると会社に着いたら誰かに渡す。そんな読み方。
しかし、自身の日常を考えても、ご多分に漏れず、ケータイの液晶画面とにらめっこしていることの方が多い。雑誌を小脇に抱えて携帯するなどということもずいぶん少なくなった。車内の読み物としての地位は、雑誌はケータイにその座を奪われてしまったと言ってもいいだろう。

しかしそれも、同じくインターネット調査会社のするネットエイジアの「ケータイ依存度調査」の結果を見ると無理からぬことではあるように思う。
http://www.mobile-research.jp/investigation/research_date_080731.html

<ケータイを「持ち歩いていないと不安」全体で3/4超える><特別な用事なくとも「ケータイを利用・触れる」80%>・・・自らも身に覚えのあることとはいえ、斯様に「依存状況」を列挙されると確かに雑誌のつけいる隙はもはやないこととわかる。

では、雑誌に生き延びる道はないのだろうか。
雑誌を読むシーンでは、「自宅でくつろいでいる時」は他のシーンに比べると倍以上のスコアを占めている。つまり、雑誌は今日、「スキマ時間を埋めるツール」ではなくなっているということではないだろうか。
くつろいでいる時にどのように誌面に接するだろうか。時間があるのでしっかり読み込む。もしくは、写真を眺めてパラパラとめくる。そんな読み方ではないだろうか。いずれもケータイの画面サイズには適さない。

ケータイに依存する人々。雑誌は読まれるシーンも変化している。ケータイ依存はもはや後戻りするとは思えない。だとすれば、それに抗するのではなく、独自の利用のされ方を確立することが雑誌離れを食い止める手立てではないだろうか。
「雑誌にお作法はございません」と、生活者に委ねるだけでなく、「ゆったりとした時間を雑誌とお過ごしください」といった提案があってもいいだろう。

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2008.08.05

「デカ目プリクラ」にソリューションの本質を見る

「120%のデカ目革命」。株式会社バンダイナムコゲームスが先月末に投入したアーケード用シールプリント機は、被写体の目だけを大きくする技術を独自に開発し、「目が大きくかわいく写る」ということをセールスポイントとした。男性、特に筆者のような年代から考えれば「ええ~っ?」と思ってしまいがちなのだが、実はこれ、いわゆる「ソリューション」というものの本質を表わしているんじゃないかと思う。


バンダイナムコゲームス「Jewella Eye(ジュエラ・アイ)」
http://www.bandainamcogames.co.jp/aa/am/vg/jewella-eye/dekame.php

「プリクラ」もしくは「プリント倶楽部」はアトラスの商標で、他社製品は単純に「シールプリント機」と表記すべきなのだが、一般名詞化していることもあり、標題にのみその表記を用いた。

さて、そのシールプリント機の元祖、アストラス社製の「プリクラ」は1995年に初登場している。それ以前にもあった証明写真用の自動撮影機が原点と言われているが、その意味ではシールプリント機も「写真」であることは間違いない。
「写真」とは読んで字の如く「ありのままを写し取ること。また、その写しとった像(広辞苑)である」。しかし、その意味からすると、もはやシールプリント機は「写真」とはますます別物となってきている。

これまでにも絶妙な照明のあて方で「肌がきれいに見える」仕上がりを実現するという機種もあり、出来上がったシールプリントを見せられると「これ、本当に君なの?」と思わず言ってしまいそうになるものもあった。それがさらに進化したのだ。
「肌がきれいになって、美人ぽく写る」・・・程度であれば、まだそれは本人であることは間違いない。しかし、目という顔の特定パーツを大きくすると、それはもはや「本人」でないのでは?・・・と思う。
しかし、利用者にとっては、(故・赤塚不二夫的表現をするなら)「それでいいのだ!」という所だろう。

マーケティングのキモは「ニーズの発見」である。ニーズとは「理想の状態」と「現状」」の間にあるギャップを意味する。
別の報道で、バンダイナムコゲームス「Jewella Eye」の開発過程が少しだけ記されていた。
http://news.ameba.jp/economy/2008/08/16307.html
<独自のマーケットリサーチにおいて、シールプリント機を利用するユーザーから「メイクの中でもアイメイクが1番重要」「撮影前にアイメイクを直す」といった声が多く寄せられていることから、“目”にスポットを当てた>という。
昨今の女性のメイクはアイメイクに最も力が注がれている。マスカラやアイラインで目の周りは真っ黒だ。何もしなくとも結構目が大きいのでは?という女性も丹念に目元を飾っている。多くの女性にとっては、自分の「理想とする状態」からすると「現状」の目の大きさはギャップがあるのだろう。
<(バンダイナムコゲームスは)大きすぎず、1番かわいいと実感できるサイズに設定。実際の大きさと比べて目が大きくなる効果を施し、自然に、よりかわいく写ったことを実感できる>という。利用者にとって「写真」として「ありのままを写し取ること」に意味はない。「現実より目が大きく映りたい」というニーズを汲み取って「よりかわいく写ったことを実感できる」ことが重要なのだ。

「顔のパーツをいじったら本人の顔ではない」とか、「写真とはありのままを写し取ることである」とか、固定概念に縛られず、素直にユーザーニーズを掘り下げ、実現したのがこの「デカ目シールプリント機」だ。

昨今「ソリューション」という言葉もビジネスの世界では用いられる。その実現手段がITであったり、コンサルティングであったりするが、「(企業活動における)問題解決」や「問題解決の方法」ということを表わす。顧客に対する営業活動も、「単なる売り込みではなく、顧客企業の課題解決につながるソリューションセールスが重要」などと言われる。
ソリューションにはニーズの深掘りが欠かせない。その意味からすると、ちょっと考えるとあり得なく思えてしまう「デカ目シールプリント機」から学ぶものは大きいだろう。

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2008.08.04

「ファミレス」はもはや「ファミリー」でも「レストラン」でもない?

知人のライター、竹林篤実氏が非常に興味深い記事を書いていたので、紹介かたがた、筆者の見解も記したい。

「ファミレスの終焉」 http://d.hatena.ne.jp/atutake/20080802

日経MJの8月1日付15面に記された「ファミリーレストランの市場規模が5年前と比べ9%下落」という内容から考察されたものだ。

<日本経済新聞社が4月にまとめた調査では、ファミレスの利用回数が減った人は回答者の39%で、増えた人のほぼ2倍に達した。理由の上位は「メニューが代わりばえしない」「飽きた」「値段が高い」など>

調査時点ではまだまだ顕在化していないガソリン高騰によって、今後さらに苦戦するのは目に見えているが、竹林氏は<ファミレスというパッケージそのものが役目を終えた>と、さらに鋭い視点で切り込んでいる。

氏は以下のように分析する。
<少し前までのファミレスのメインユーザーは誰だったのか。エリアにより若干の違いはあると思うけれど、圧倒的に若い人たちだったのではないか。彼らが食事をし、あるいはだべって時間を潰す場、時には一夜を明かす場がファミレスだったのではないか。今のファミレス不況は、そうした若者たちがファミレスから離れていったことが原因だろう>。
そしてその根本原因として以下のように述べている。<若い人たちがファミレスから離れた理由は、可処分所得/時間をケータイに奪われたからだと、個人的には推測する。時間つぶしならケータイさえあればできる。そしてケータイを使って時間つぶしするなら、マクドの100円コーヒーで十分だ。しかもケータイでの時間つぶしなら、以前ファミレスでツレとだべっていたのと結果的に同じである><つまりケータイでやっていることといえば、たいていがメールである。これはリアルに対面でこそないものの、コミュニケーションによって時を過ごしている意味では、ファミレスでだべっているのと変わらない>。
では、本来のターゲットであるファミリーはどうか。<ファミリー客がこの先、ファミレスに戻ることなどあるのだろうか。おいしさ、雰囲気、健康、栄養などファミレスが提供してくれる価値と、ファミレスを利用するために必要なコスト(ガソリン代、出かけて行くための時間、そして食事代)のバランスを考えれば、ファミリーがファミレスに戻ってくる可能性は極めて低いと思う>。


上記、は秀逸な分析であると思う。
「ファミレス」、即ち「ファミリーレストラン」の本質がいつの間にか、今回標題としたように「ファミリー向け」でも「レストラン」でもなくなってしまっていることが衰退の根本原因であると看破しているのである。


筆者自身の体験として、ファミレスにいかなくなったのはいつの頃からであっただろうかと思い出してみる。
ファミリーレストランの歴史は1970年代の「すかいらーく」から始まっており、80年代に登場した同社の新業態店「イエスタデイ」で頂点を極めたように思われる。筆者の人生に重ねても、70年代に家族でファミリーレストランを利用し、80年代にデートでイエスタデイを使うといった、誠にステロタイプな体験をしている。
その後、バブル全盛になって少々贅沢になりファミリーレストランから足が遠のき、バブル崩壊後は、低価格対応のため、同社も「ガスト」に大きく舵を切った。他社も追従し、低価格店を展開したり、既存店を低価格化させたりといった展開が相次いだのがその頃だ。
低価格化してからのファミレスも何度か利用したものの、正直、味と接客内容のレベルを有り体に言えば「美味しく内料理を出されて、放置される」といった印象しか残っていない。バブル崩壊で痛んだ懐にはやさしいのだが、したと心に何とも優しくない感じがしたのだ。
その後しばらくして子供ができて、やはり「ファミリーレストラン」なので、気兼ねない食事をしようと思い足を運んだが、実態はあまり変化していなかった。きちんとしたものを子供に食べさせようと思うと、また足が遠のいた。


斯様にして、筆者はずいぶん前から「ファミレス」とは縁遠くなっていたのだが、竹林氏の分析を筆者なりに解釈すると、ファミレスという店の「中核」が「食事ができる」ではなくなっていることによるものだと考えられる。
先週も紹介した、コトラーの「製品特性分析のフレームワーク」をまた援用する。
通常であればファミリーレストランは「中核」が「食事ができる」であり、「実体」が「各々が好きなものを選べる豊富なメニュー」だったり、「家族で気兼ねなく過ごせる店内空間」だったりしたはずだ。
しかし、低価格化以降、「豊富なメニュー」も「安いがあまり美味しくなく、代わり映えしないメニュー」になり、店内空間も気兼ねないといえばそうなのかもしれないが、ずいぶんと放置される寂しい状態になってしまった。

そうした「実体」に頓着しない客層とはどんな人々なのだろうか。
「若者」だからといって、美味しくない料理と放置される接客を好んだわけではない。「若者」が集ったのは「結果」である。なぜ、そのような結果をもたらしたのかといえば、「中核」が「食事ができる」ではなく、「コミュニケーションができる」に書き換わっていたからだ。
つまり、味はともかく安い。放置される反面、長時間いられる。故に、そこでずっと話をしていられるということで「ファミレス」というもの自体が大きく変容してしまったのだ。

本来、「中核」ありきで、それを実現するために「実体」が存在する。しかし、その「実体」が「中核」を実現しきれなくなれば、「中核」も書き換わる。いや、この場合、変容した「実体」を受容できた層が、新たな「中核」の価値を見いだしたのだともいえるだろう。
本来ならば、この時点で、ファミレス業界は実体の変容と顧客層の変化に何んらかの手を打つべきであったのかもしれない。なぜなら、そのドメインは「レストラン」であることは間違いなかったからだ。しかし、そこの集ってくれる「若者」という顧客がいた。故に、それは継続された。


しかし、時代は変化した。「実体」である「コミュニケーションができる」のは、竹林氏の指摘通り、携帯の登場で、非対面かまわなくなったのだ。ましてや、その維持にコストがかかる。よって、若者もファミレスに足を運ばなくなったのだ。

例え全く異なる業種でも、「中核」が同じであれば競合となり得る。つまり、ファミレスは飲食店同士の競合に敗れたのではなく、自らの「中核」が本来のドメインと乖離したことで、異業種との競合に敗れてしまったわけだ。


では、「ファミレス」は今後どこに向かうべきなのか。
ガソリン高、原材料高と厳しい環境ではあるが、今一度、自分たちのドメインに立ち戻り、提供価値の構造を再構築すべきではないのだろうか。
「ファミリー」に向けた「レストラン」である。
「食の安全」や「食育」に関心が高まっている。そのドメインにもまだまだ活路はあると思うのだが、どうだろうか。


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2008.08.01

進化する水着とコロンブスの卵

夏真っ盛り。夏休みを利用して海やプールなど水辺のレジャーを楽しむ人も多いだろう。そこで水泳や水遊びに興じている人々の水着に注目してみると、ここ数年でずいぶん変わったことに気付く。デザインの話ではない。機能が進化しているのだ。


何度か紹介しているフレームワーク。その製品がどのような価値を持っているかを<中核><実体><付随機能>に分解し、価値構造を明確にするフィリップ・コトラー製品特性3層モデル。<中核>とは、「顧客が製品やサービスの購入で手に入れたい価値」だ。自動車で考えれば「移動する」や「運搬する」が相当するである。<実体>は「製品の特性を構成する価値」である。自動車ならその車の外装(デザイン)や内装(インテリア)、エンジン性能や安全装備に相当する。<付随機能>は「製品の中核価値に直接的な影響は及ぼさないが、その存在によってより魅力が高まる価値」である。車だと低金利ローンや無料点検サービス、納車までの期間の短さなどが相当する。このように分解して構造を知ることによって、自らが顧客に提供している価値を明確にすることができる。

では、水着の場合はどうだろうか。水着とは辞書によれば「水泳の時に着るもの」である。着衣で水泳をすると水の抵抗があって泳げない。しかし、裸はマズイ。故に、「水泳の妨げにならずに身体を隠せる」ということが水着の<中核>である。
さて、水着というと、特に婦人物において、毎年様々なデザインを施した商品が発売される。デザインは<実体>に属する。男性用も実は地味ながら流行の変化がある。古くはピッタリとした半ズボンタイプが主流であったが、その後、サーファータイプの膝上丈でだぶっとしたものが流行った。ここ数年、特に今年は競泳競技に注目が集まったことから、太ももにピッタリと密着するタイプが流行っている。
次に<付随機能>は、例えば「UVカットで色あせにくい」などがあげられるが、実際には水着において付随機能自体は、あまり大きな要素とはなっていなかったように思われる。

さて、水着自体はあまり付随機能の要素は進化していないが、同時に着用するウェアがそれを補っているようだ。「ラッシュガード」というものを着用する人が増えている。
ラッシュガードは元々はサーフィン、ジェットスキーなどマリンスポーツのウェアで、体温の保持、紫外線による日焼け防止、スリ傷防止などを目的として着用する長袖(半袖もあり)のピッタリしたカットソーやTシャツのようなものだ。スパッツ状の下半身用もある。筆者も数年前から愛用している。
「泳ぎにくいのでは」と思うかもしれないが、身体にフィットするためそんなことはない。また、日焼け止めをベタベタ塗る必要もなく、水の中や外に出てからも体温が下がりすぎない。海でシュノーケリングをしている時なども、岩やサンゴで擦り傷を作る心配もない。
水着を覆い隠してしまうので、泳いでいる時は<実体>である水着のデザインがスポイルされてしまうのは否めないが、実に快適なのだ。水着のデザイン以前に、筆者を含め、体型の問題などにより、身体をあまり露出したくない事情のある人にも向いている。また、子供向けには体温保持という効用は大変ありがたいものだ。


さて、上記のように、水着は<実体>であるデザインが変遷しつつ、外部補助的な存在が<付随機能>を担って進化してきたが、先日、水着自体の<付随機能>に大きな要素が付け加わる商品が朝日新聞で紹介されていた。(Webへの掲出なし)

<濡れない水着 水の外でも寒くない>
水着や介護用品を製造する「フットマーク」(墨田区)が今年から販売しているという。
<水をはじくように特別加工した記事を、水着の裏表に使うので肌にべたつかない。水から上がった後、プールサイドで冷たい水着で身体を冷やさずにすむ。泳いだ後も、びしょびしょの水着を持ち帰らなくてもいいというわけだ>と記事にある。記事によると製造メーカーは<元々同社は、おむつカバーや水泳帽子のメーカーとして知られている>らしい。
中高年向けの水着を開発する過程で、1本1本の繊維に強力な撥水性を持たせた生地に巡り会ったということであるが、中高年だけでなく、撥水性のいい水着には需要があるに違いない。

考えてみると、「水着は濡れるもの」という固定概念がなかっただろうか。同社の水着は<ほとんど水がしみこまない>という素材が大きな特徴である。水着な濡れなければ、体温保持もしやすい。また、しみこまない故、色も鮮やかに保てるということだ。つまり、「濡れないこと」を前提に開発することによって、<実体>であるデザインと、<付随機能>である体温保持に貢献することができたのだ。
水着なのに濡れない。これは一つの「コロンブスの卵」と言っていいだろう。
製品本来の価値構造に重要な要素を付け加えられるよう、既成概念に縛られず発送することの重要性をこの事例は示しているといえるだろう。

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