« 悩みは胸に・課題は頭脳に | Main | タリーズコーヒー「パフェ参戦」で始まるバトルロイヤル »

2008.06.10

「自主サマータイム」のススメ

毎年この時期になると「サマータイム導入」が論じられるが、今年は特に洞爺湖サミットを前にして政府の気合いが入っているようだ。「諸外国はみんなやっている」そうだが、「時計の針を国中が一斉に1時間進める」というのは、考えてみれば随分と不自然なコトではないだろうか。


歴史をひもといてみれば、日本でもかつてサマータイムが導入され、そして廃止されている。敗戦後、GHQの占領下において、1948年公布された夏時刻法だ。それこそ「米国がやっているから」という理由で導入されたのだが、しかし、1952年4月の占領終了に伴い、日本には馴染まないということで廃止された。
今度は「環境負荷軽減」が錦の御旗になっている。環境負荷軽減には賛成だが、サマータイムには筆者は一貫して反対している。もはや年中行事の感もあるが、今年も反対論を展開しつつ、一つ、対案を提示したい。


最も日照時間が長いこの時期、残念ながら空は雨雲に覆われていることが多いのだが、今日、東京地方は「梅雨の晴れ間」で快晴。いっていい朝を迎えている。こんな日は僥倖に感謝し、朝の柔らかな陽光と、湿気を帯つつ幾分ひんやりとした空気が満喫できる。
今朝は5時半に家を出た。この時間に仕事に向かうことは年間を通して比較的よくあることなのだが、正直、冬は辛い。まだ星が暗い空に瞬いており、寒気もひとしおである。それがやがて春に向かい、同じ時間でも空が明るくなっているようになり、寒さも和らいでくる。そして、初夏こそが、この時間の最もすてきな季節なのだ。
これが、時計を1時間進めてしまっていたらどうだろう。本来の太陽の運行に合わせた自然な季節の移り変わりが感じられなくなってしまう。

さて、仕事が終わったあとものこと。6時半には仕事を始めると、だいたいの場合、12時間か12時間半もあれば一区切りつく。18時から18時半に仕事を切り上げる。日は傾いているものの、空はまだ十分明るい。この季節ならではの格別なうれしさだ。
時計を進めてしまっていたのなら、19時か19時半。サマータイムにしていないからこそ、空が明るい時間で18時台なのだ。1時間のアドバンテージは大きい。
この季節こそ、辛くなく、朝早く起きることができて、加えて終業後の時間も長くとれる。「まだ明るい時間に仕事を終え、その後の時間を有効に使う」というサマータイム導入の効用を説くのであれば、時計を進めてしまっていたのでは、結局は終業時点の時間は遅くなるので、本来的な意味は乏しい。

同じ時間に規則正しく生活をし、季節の移り変わりを体感する。これは、四季の変化が豊かな日本に生まれたからこそ、享受できる感覚だといっていいだろう。しかし、ものごとの感じ方は人によって異なる。前述のような喜びを感じる人もいれば、全く関心がない人もいるだろう。それはそれでいい。ところが、サマータイムの導入は、全ての人の時計を強制的に1時間進めてしまうのだ。やはり不自然ではないだろうか。
この季節の朝の明るさを楽しむ筆者にとっては、1時間進んでしまえば、その前の季節と同じく、まだ薄明るい空の元、目覚めなければならないことになる。
朝型のワークスタイルで終業後の陽の明るさを楽しむ人でなければ、まだ明るい19時や19時半は、「もう一仕事」とさらなる残業に突入してしまうかもしれない。


平成も20年まで来ている昨今、戦後の復興期や高度成長期の如く、「みんなが一斉に同じことをする」というのはどうにも世の流れに馴染まないように思うのだが、「環境」というキーワードも前にはいけない考え方なのだろうか。
「サマータイム導入による環境負荷軽減効果」に関しては、いくつかの疑義が寄せられている。また、労働効率の観点からも、時計を進めたからといって、仕事は早く終わらないという反対論もある。
全ては「全員一律」で事を進めようとするから問題になるのではないだろうか。


「自主サマータイムのススメ」である。
朝、早く起きられる人、筆者の如く、朝の空気の好きな人。そんな人は積極的に早起きすればいい。たまに早起きするのではなく、この季節はできれば毎日。そして、早起きの効用を説けばいい。共感してくれる人が試し、気に入ったら実践し、また、仲間を増やせばいい。
朝の清々しい空気のうちに仕事ははかどり、薄暮の迫る前に仕事を終えようという気になるかもしれない。エネルギー消費量も抑えられるし、業務効率も上がるだろう。そんな人が自然に増えるような「自主サマータイム」の呼びかけをすればいいのではないだろうか。

「環境負荷軽減の取り組みは、もはや一刻の猶予もないのである」という論もあるかもしれない。しかし、「サマータイム導入」の前にやるべきことはもっとたくさんあるように思う。


蛇足ながら、「サマータイムつながり」で、筆者の好きな歌を一つ。ジョージ・ガーシュウィンのオペラ『ポーギーとベス』より、「サマータイム」。
Summertime, and the livin' is easy.
Fish are junpin' and the cotton is high.
Oh your duddy is rich , and your ma is good lookin'.
So hush, little baby, don' yo' cry.
サマータイム・・・。過ごしやすい季節。
魚は跳ね、綿花は伸びる。
あなたのパパはお金持ち。ママは美人。
なにも心配することはないの。泣くのはおよし。

オペラの内容は1920年代の黒人たちの過酷な生活を描いたものであり、”Summertime, and the livin' is easy.”は、事実よりもむしろ願いや祈りにも似た歌詞だといえる。
今日の日本の経済環境、労働環境は当時の黒人たちに比べれば天国のようかもしれないが、衰退と劣化の兆しが見て取れるのは否めない。また、日本の夏は決して「過ごしやすい季節」ではない。
しかし、その中でも「過ごしやすい時間」である、早朝と、夕方の時間の使い方は、一律に時計を進めて同じような行動を促す無粋なことをするのではなく、思い思いに過ごさせて欲しいと思うのだ。


|

« 悩みは胸に・課題は頭脳に | Main | タリーズコーヒー「パフェ参戦」で始まるバトルロイヤル »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 「自主サマータイム」のススメ:

« 悩みは胸に・課題は頭脳に | Main | タリーズコーヒー「パフェ参戦」で始まるバトルロイヤル »