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19 posts from June 2008

2008.06.30

本日発売・伊藤園の「 お〜いお茶 お抹茶 」は救世主となりえるか?

何ともユニークなペットボトル緑茶飲料の発売が報じられた。「 お〜いお茶 お抹茶 」。
何でも<「抹茶入りキャップ」を採用。新鮮で豊かな旨みの抹茶を手作りで味わえる 飲用時に抹茶と天然水を混ぜ合わせて作る抹茶飲料>とのことだ。発売の狙いは何だろうか。


「 お〜いお茶 お抹茶 」は6月30日(月)、つまり本日より発売開始。
発売エリアは1都9県(東京、神奈川、千葉、埼玉、栃木、茨城、群馬、山梨、長野、静岡)ということなので、まだテスト販売の段階と考えた方がいいが、エリア内の人はまずは、お店にGo!だ。
http://www.itoen.co.jp/news/2008/062607.html

その製品仕様はかなりユニークである。
<キャップを開栓すると、抹茶が内フタとともにペットボトル内の天然水に混ざり、溶け合います。再度キャップを閉めて、よく振っていただくと、鮮やかな緑色をした抹茶ができあがり、お飲みいただくことができます。>
キャップに抹茶が仕込まれており、ボトルの中身は天然水のまま。つまり無色透明のミネラルウォーターそのものの状態。「お〜いお茶」のラベルが貼ってあるとはいえ、緑茶飲料を買おうとして、何やら水しか入っていないように見えるボトルにに手を伸ばすのはちょっと抵抗感があるが、慣れてしまうのだろうか。

しかし、自分で振って混ぜて完成させるというのは、なかなか斬新であり楽しそうだ。煎茶・玉露なら、ちゃんと淹れてくれてないと、これまたちょっと抵抗感があるが、抹茶だと聞けば、混ぜ合わせていただくのもなんとなく納得してしまう気がする。


では、この製品が上市される意味とは何だろうか。
伊藤園は6月4日に2008年4月期の連結決算を発表している。1992年の上場以来、初の営業減益である(前期比16%減)。売上高は6%増の3280億円。主力の「お〜いお茶」も販売数量5%増であったが、急速に伸びてきた反動で緑茶市場が縮小した影響とのコメントであった。
この先は分からないが、目下、主力市場が縮んでいる。伊藤園には野菜飲料もあり、こちらでも熱い戦いを繰り広げている。コーヒー飲料はタリーズブランドを手中に収めてから、得意のコンビニルートで拡販中だ。しかし、緑茶飲料が最も重要であることは変わらないだろう。

縮む市場を前に、どう動くのか。一つは新たな顧客層を開拓して、パイを拡大すること。もう一つは、限られたパイをよそから奪うしかない。

新しい顧客層の開拓という意味では、「 お〜いお茶 お抹茶 」の「振って飲む飲料」という新規性が、あまり積極的に茶を飲まない層の開拓に効果を発揮できるだろう。
また、「開封して作る新鮮なお茶」という側面は、ペット容器に入ったまま売られている緑茶飲料に、「淹れたてでない茶は飲まない」という抵抗感を示す層に対してアピールできるだろう。キャップを開け閉めして水に抹茶を落とし、振って飲むという、一見、面倒そうなプロセスは一つの突破口となるかもしれない。

もう一つの、他社からパイを奪うという側面はどうだろう。希望小売価格は275mlで税込 198円。この値段は昨年秋から始まった、プレミアム緑茶飲料への参戦を意味している。

(参考:「緑茶飲料・秋の陣を占う」2007年10月18日 http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2007/10/post_7cea.html 

伊藤園プレミアムおーいお茶、キリンビバレッジ生茶玉露、日本コカ・コーラ綾鷹上煎茶の三つ巴で幕が開いたが、現在の所、目立っているのは「綾鷹」ぐらいではないだろうか。
事実、綾鷹はうまい。425ml・158円とちょっと両少なめ、値段高めなのだが全く気にならない、味わいの深みがある。

綾鷹の特徴は、何といっても「にごり」にある。「にごりの中に茶のうまみが含まれている」と言いきり(筆者としてはかなり納得してしまっている)、それを目に見える形で製品化している。
製品登場時のCMでは真田広之が舞妓さんに「振っておくれやす」と言われ、ペットボトルの振り方を指南される内容であった。キャッチコピーは「ボトルを振るとお茶が目覚める」だ。

こうして考えると、何やら「 お〜いお茶 お抹茶 」は「綾鷹キラー」とも思えてくる。
抹茶なら、当然透明ではなくにごるだろう。何やらうまみたっぷりな気配だ。
また、粉を水と混ぜるのだ。「振っておくれやす」どころではなく、かなり強烈に振らなければならないだろう。しかし、そうすることによって、自ら美味しいお茶が作れるというのはなかなか楽しい体験に違いない。


伊藤園の真の狙いがどこにあるのか、また、この製品をテスト販売後に、業績回復の起爆剤として期待しているのかも分からない。しかし、うまくすると、新たな顧客層開拓と、綾鷹ユーザーの取り込みで結構検討するのではないかと思う。
そのためには、今までなかった「振って飲む、新鮮でうまい抹茶飲料」という切り口と、「強烈に振る」という今までにない体感を訴求すべきではないかと思う。

元々は「お〜いお茶」派でありながら、最近、綾鷹に転んでいる筆者は密かに応援しているのだ。

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2008.06.27

カロリーメイト VS. SOYJOY・大塚製薬の深謀遠慮

「食べた経験がある・一番好きなバランス栄養食」の第一位はカロリーメイト、第二位はSOYJOY、第三位が毎日果実。こんな調査結果が発表された。王者カロリーメイトを猛追する新星SOYJOY、さらにその後を追う毎日果実。そんな構図に一見見えるのだが・・・。


6月25日に調査結果が発表されたのは、ネットリサーチ会社・ティムスドライブによる” 『バランス栄養食品』に関するアンケート”。同社のネット調査モニター8,477人を対象として行われた。
リリース: http://www.dims.ne.jp/timelyresearch/2008/080625/

詳しい結果は上記リンク先を参照いただきたいが、回答者中バランス栄養食品を食べた経験のある人が8割近いというのは、食品のカテゴリーとしてかなり浸透してきていると言えるだろう。


しかしそれよりも、今回注目したいのは「あなたが最も好きなバランス栄養食品をお選びください」という設問の結果だ。
カロリーメイトをはじめ、SOY JOY、毎日果実、バランスアップ、Power barなどなど、筆者も食べたことのある銘柄がざっと14種並んでいる。その中で、好みの銘柄を一つ選ぶという回答で、カロリーメイトはダントツの33.2%を獲得。次いでSOY JOYが19.7%、毎日果実が6.9%という結果になっている。


カロリーメイトは1983年に発売され、「バランス栄養食」というコンセプトを世に広めた。当初は「美味しくないお菓子」というようなとらえ方もされ苦労をしたが、アスリートを皮切りに、ダイエットへの関心の高まりに乗り、間食需要や非常食としてと徐々に市場を拡大していった。(大塚製薬ホームページより)
ダントツの一位はまさに先駆者の栄誉ともいえるだろう。

しかし、注目すべきはSOY JOY。発売は2006年なので、まだ2年という短さでカロリーメイトを猛追している。CMキャラクターは忙しい男の象徴であり、当時「健康」を語る番組では右に出る者がいない、みのもんたが当初起用された。筆者的にはちょっと苦手であった(失礼)が、同様な意見の人が多かったのか、はたまた、当初のインパクトとコンセプトを伝える役割が終わったのか、現在は第二弾。豊川悦司と田中麗奈コンビが微妙なユーモラスさを醸し出している。斯様に、積極的なメディア戦略によって短期間にトップに猛追し、あっという間に三位以下を抜き去ったこともわかる。


さて、ここで好みの銘柄として獲得した比率を、利用者のマインドシェアの数字と読み替えて解釈してみよう。ランチェスター戦略の研究者、B.O.クープマンの提唱した「クープマンの目標値」を援用する。

カロリーメイト33.2%、SOY JOY19.7%、毎日果実6.9%という数字に近いものでみれば、

・26.1%:市場影響シェア=市場に影響をもたらす、一歩抜け出した状態を示すシェア。2位以下であってもトップを狙えるポジション。トップなら逆転される可能性がある。
・19.3%:並列的競争シェア=複数のライバルが拮抗し、安定的な地位をどの企業も獲得できていない状態。
・6.8%:市場存在シェア=生活者が人からヒントを出されて思い出せる(助成想起)レベルのシェア。市場において、かろうじて存在が許されるレベル。

というものが当てはまるだろう。とすると、カロリーメイトは「市場影響シェア」をだいぶ上回っているが、実際には「不動のトップ」というわけではないともいえる。
SOY JOYはほぼ「並列的競争シェア」の数値と同じだ。故に、トップを狙うこともできるだろう。
毎日果実は第三位とはいえ、実は「市場存在シェア」ギリギリであり、結構苦しい立場であることが分かる。


だが、ここでメーカーを思い出してみると、カロリーメイトとSOY JOYはどちらも大塚製薬の製品である。とすれば、両者の数字を足しあげてみるとどうだろうか。52.9%。
クープマンによると73.9%で、「独占的シェア」となり、短期的には首位のポジションを奪われることがあり得ない、絶対的な安定シェアを獲得している状態になるという。ここまでは届いていないが、41.7%で「安定的シェア」という、不測の事態がない限り、競合からの逆転や、新規参入によってトップが奪われることがない状態は軽く超えていることになる。
さすがは「バランス栄養食」というコンセプトそのものを開発した大塚製薬だといえるだろう。


そうして考えると、この「バランス栄養食」カテゴリーにおける大塚製薬の戦略が見えてくる。
カロリーメイトは発売から25年。四半世紀を経た「ロングセラー商品」だ。ロングセラーの鉄則である、市場の嗜好の変化に合わせつつ、関心を惹くための適度なバリエーション商品の上市や定期的な告知活動は欠かしていない。一方、食品会社に対してどうしても劣後するチャネルの確保を、独自の自動販売機に設置するなど販路確保も怠りはない。
カロリーメイトは着実に金を稼ぐ商品。つまり、「ポートフォリオマネジメント」でいうところの、「金のなる木」のポジションに厳然と存在しているのだ。
さらに「ポートフォリオマネジメント」における「金のなる木」の最も重要な役割は、大きな投資をせずに確実に金を稼ぎ、今後育てるべき「問題児」に対し、稼いだ金を投入することにある。いわずもがな、「問題児」はSOY JOYである。
SOY JOYは潤沢な資金の投入を受け、大規模なメディア攻勢やサンプリングなど、様々な施策によって、2年間という短期間で「問題児」から「スター」のポジションに見事に成長したのである。ここに大塚製薬の「バランス栄養食」無敵タッグが完成したわけだ。同社の見事な戦略であると言えるだろう。

しかし、カロリーメイトもSOY JOYもその開発は平らかな道程ではなかったのだ。それについてはまた別の機会に記すことにするが、大塚製薬には‘Otsuka - people creating new products for better health worldwide’という企業理念がある。殊に”creating”の部分には「自らの手で独創的な製品を創る」というこだわりが込められているという。
「バランス栄養食」というコンセプトを世に送り出し、四半世紀かけてカロリーメイトで不動の地位を築き、後継製品もしっかりと育成する。その盤石の戦略の陰にも、独自のこだわりが込められているのは言うまでもないだろう。

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2008.06.26

“現場に効く”マーケティングの基本理論・第8回

※えーと、昨日から商業誌原稿の転載が続いております。ちょうどタイミングが重なったのと・・・正直に言えば、少々業務に追い込まれております。
 明日は書き下ろしをしますので、ご容赦ください。m(_ _)m

インタラクティブマーケティングの専門誌「月刊im press(アイ・エム・プレス)」6月号が発売されましたので、連載バックナンバーをアップします。
本誌では連載第9回が掲載されています。


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あまりに“基本”と思われ忘れられているようなマーケティング理論。しかし、日々の業務が行われる“現場”で今一度振り返ってみれば、思わぬ“再発見”があるのだ。

第8回「”マーケティング・ミックス”と製品戦略」

前回、戦略立案の要である「ポジショニング」をまとめた。今回から、いよいよ具体的な施策立案であるマーケティング・ミックスに入っていくことになる。


■ポジショニングを実現する

 「マーケティング・ミックス」というと耳慣れないかもしれないが、「マーケティングの4P」といえば、「ああ、あれか!」と思う人も多いだろう。製品戦略(Product)、価格戦略(Price)、流通戦略(Place)、コミュニケーション戦略(Promotion)の4つの頭文字を取って”4P”と称するものだ。
 では、4つのPの要素を使って何を実現するのかと改めて問われると、意外と「あれ?」と思うかもしれない。しかし、実はカンタンなことだ。事情に存在する人々を、同質なニーズでくくって、そこから魅力的なターゲットを選定。そのターゲットから魅力的に見えるポジションを取ることが、セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニングだったはずだ。その「魅力的に見える」には実体がなければ何の意味もない。魅力的なポジションを、製品と、価格、流通チャネルとコミュニケーションの要素で実現するのがマーケティング・ミックスなのである。


■「組み合わせ」と「整合性」が命

 4Pが「ミックス」といわれる理由をもう少し整理しておこう。その4つの要素を「組み合わせる」ことによって効果を最大化させるということがポイントだ。製品に、最適な価格を設定し、最適なチャネルで生活者に届ける体制をくみ上げ、その存在を最適なコミュニケーションで知らしめるのである。
 組み合わせの際の最重要ポイントは「整合性」である。生活者としても直感的に分かると思うが、例えば、製品の品質・価格・売っている場所・訴求方法のバランスが悪ければ買う気にはならないはずだ。一つ一つの要素が他に影響を及ぼすことを忘れてはならないのである。また、4つのP相互の整合性だけではない。その前の”S・T・P”のターゲティング、ポジショニングとの整合も重要だ。例えば、多くのファッションブランドでは、ファーストラインといわれるメインのブランドとは別に、デフュージョンブランドを扱っている。ターゲット顧客層をもう少し若くして、カジュアルなポジショニングにする。品質もメインより若干ダウングレード。価格も少し廉価に。ショップは別展開。広告のモデルも若い人を起用するなど、ターゲット、ポジショニング、4Pの全ての組み合わせが変えられ、整合を図っていることが分かるだろう。


■製品とは”価値”の集合体である

 連載第1回で、「マーケティングとは”価値”の交換活動である」と記した。この製品戦略を考えるには、今一度、その「価値」の概念に注目する必要がある。「製品」といっても、有形物である場合だけではない。例えば10分間・1,050円のマッサージ、コンサルタントのアドバイスなどの無形のサービスも当然「製品」である。対価と交換してもらえる提供物は全て「製品」と考えてよい。つまり、「製品とは”価値”の集合体である」と考えればよい。


■製品の価値構造を明らかにするフレームワーク

Photo
 その製品がどのような価値を持っているのかという、価値構造を明確にするのが、フィリップ・コトラーの製品特性モデルである。
 製品特性モデルには「3層モデル」と「5層モデル」があるが、まずは簡単な3層から見ていこう。製品の持つ価値構造を3つのレベルに分解する。(図1)。3層は中心から<中核><実体><付随機能>である。
 <中核>とは、「顧客が製品やサービスの購入で手に入れたい価値」だ。自動車で考えれば「移動する」や「運搬する」が相当するである。<実体>は「製品の特性を構成する価値」である。自動車ならその車の外装(デザイン)や内装(インテリア)、エンジン性能や安全装備に相当する。<付随機能>は「製品の中核価値に直接的な影響は及ぼさないが、その存在によってより魅力が高まる価値」である。車だと低金利ローンや無料点検サービス、納車までの期間の短さなどが相当する。
 このように分解して構造を知ることによって、自らが顧客に提供している価値を明確にすることは非常に重要だ。もう一つ重要なのは、複数の製品を比較することによって、どの部分が差別化要素なのかがわかるということだ。この分析で自分の製品とと競合を比較すれば、勝負の賭けどころがわかるのである。是非、現場でこのフレームワークに従って、「勝負のしどころ」を考えていただきたい。恐らく、コモデティー品だったり、競合と差別化が難しい製品の場合、<中核>や<実体>では勝負がつかず、「その存在によってより魅力が高まる価値」である<付随機能>あたりの勝負となるはずだ。昨今、製品単独では競合とは勝負がつかないため、製品に加え、顧客へのサービスが重要であるといわれる理由が認識できるだろう。


■さらに詳細な分析が可能な5層モデル
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 3層モデルで「競合との差別化要因が見つからない!」と悩んだら、さらに価値構造を詳細に分析できる5層モデルで分析してみることをお勧めする。ノートパソコンを例にしてそのフレームワークを見てみよう(図3)。
 パソコンの例でもわかるように、その製品の市場が成長途上にありコモデティー化していない場合、3層モデルで考えたときと同じく、<中核>から<期待>あたりの中心に近い階層で十分競争できる。あるいは、パソコンにおけるインターネットの登場のように、新たな活用方法が発案され、市場が再活性化するような場合は、<中核>に新たな要素が加わり、再定義されることになる。だが、インターネットが浸透し、パソコン自体の機能も十分強化された今日、競争要因はどんどん外側の階層に及んでいることがわかるだろう。その結果、パソコンは「期待はされていないが、実現できれば価値を増大させることができる要素」として、5層目の<潜在>の部分での勝負になっている。昨今のモデルがカラーバリエーションを競っていることでもわかる。当然、カラーバリエーションを増やせば、生産工程や在庫での無駄やリスクが増大する。しかし、それをしなくては勝負できない厳しさを表わしているのだ。故に、有形の製品だけでなく、顧客に対するサプライズを与えるような体験や、期待を大きく上回るサービスレベルの提供、もしくは顧客のプライドをくすぐるなど、無形の付加価値が昨今重要となってきているのである。


 次回は2つめのPである、価格(Price)について考えたい。価格戦略は自社の利益にダイレクトに影響する重要な要素である。


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2008.06.25

ファンと拓く新たな1ページ・カップヌードル:定番のヒミツ第9回

日本実業出版社の季刊誌「ザッツ営業」好評発売中です。

ザッツ営業 http://www.njh.co.jp/that/that.html

同誌に連載中のコラム「定番のヒミツ」第9回が掲載されています。


今回は、定番商品中の定番商品ともいうべき、「日清のカップヌードル」を取り上げてみました。

季刊誌故、だいぶ前に入稿した原稿なので、こんな事態は予測もできなかったのですが、結果として、少々タイミングの悪い感じになってしまいました。
過日、当Blogにて記したように、原材料の値上げによって、やむなく値上げに踏み切ったカップヌードルは、前月比-52%という売り上げになってしまいました。

カップヌードル・「苦渋の値上げ」で「売り上げ半減」の衝撃
この数字はユーザーに「NO!」を突きつけられたともいえるでしょう。

記事は複数のニュースサイトにピックアップしていただきましたが、「論者としての解決案が提示されていない」とのコメントもいただきました。
Pricingは非常にデリケートな問題で、「ではこうすれば解決する」と簡単に論じられる問題ではないと思うのですが、この「定番のヒミツ」で紹介した新商品などは一つの解決策になるのではと思います。
つまり、「値段が安いから買う」ではなく、「愛着があるからかう」というパーセプション・チェンジです。
「ユーザー共創型商品」は愛着を持ちやすい商品ですので、なるべく数多く、このような商品を作っていくことが売り上げ回復の一手になるのではないでしょうか。


では以下、記事転載。

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世の中には常に売れ続ける「定番」と呼ばれるものがある。なぜ定番は売れ続けることができるのか。
当連載はその謎をマーケティングのセオリーから考察する。


「ファンと拓く新たな1ページ・カップヌードル」


 連載のタイトルどおり、定番商品には各々、「売れ続ける秘密」があり、それを支える人々のたゆまぬ努力が存在する。定番たるべく長所は頑なに守り、時流や市場のニーズに合わせて改良を重ねていくことが一つの成功法則である。しかし、昨今そのあり方が少し変わってきているようだ。

 日本が世界に誇る定番商品といえば、「日清のカップヌードル」を挙げる人も多いだろう。日清食品の創始者の発案と開発者の苦労が結実し、1971年9月18日に発売された。その開発物語は様々なメディアや書籍で紹介されているのでご存知の読者も多いだろう。カップヌードルは、今日では日本だけでなく、世界80カ国以上で愛され続け、より人々の好みに応えるべく、様々な味のバリエーションを生み出している。

 そんなカップヌードルに新展開の兆しが見えている。新たな味の開発にコアなファンが関わり始めたのだ。「シーフードヌードルを温めた牛乳で作ると美味しい」。そんな噂を商品開発担当者が耳にしたのは約10年前。インターネットの普及とともに、その話題はさらに広まり、ついに新製品開発のアイディアとして取り上げられたのだった。1年半にわたる開発の試行錯誤を経て、2007年11月に「ミルクシーフードヌードル」として発売された。この原稿を執筆している時点は、次なる「カップヌードル・ミルクカレー」の発売直前だ。ミルクシーフード同様、インターネットで「カレーヌードルをホットミルクで作るとうまい」という噂が開発のきっかけとなった商品だという。だが、まだまだネットの世界には、シーフードヌードルをトマトジュースで作るというような猛者もいるのだ。今後の商品開発はどうなっていくのだろう。

 商品の基本コンセプトには、創始者の天才的なひらめきと、商品化にこぎつけるために開発者が様々に詰め込んだアイディアが凝縮している。その上に、これからはファンが開発者と共に新たな商品を開発していくことになるのだろう。売れ続け、人々に愛され、さらに売れ続け、そしてファンが新たな魅力を発見して広めていく。企業と生活者の関係をインターネットが変え、定番のヒミツにも新たな成功法則ができつつあるのかもしれない。

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2008.06.24

アフリカの「プレイポンプ」に学ぶ仕事の変革

※6月25日:タイトルを変更し、加筆・修正しました。


今年の夏もまた、ボルヴィックによる「 1L(リッター)for 10L 」キャンペーンが始まっている。
アフリカの「水汲み」から、日々の仕事をどうしたら楽にできるのかを考えてみた。

店頭によってはまだ、キャンペーンが記載されたボトルが並んでいないようだが、今年のキャンペーンは6月1日から9月30日までのようだ。
http://www.volvic.co.jp/1Lfor10L/

昨年第1回が開催され大きな反響を呼んだこのキャンペーン。ボルヴィックのミネラルウォーターを消費者が1リッター購入するごとに、10リッターの清潔で安全な水がアフリカに生まれるという。具体的にはユニセフを通じ、飲料水を確保するための井戸づくりと、10年間に渡るメンテナンスを行う資金に充てるということだ。
筆者は環境負荷を考えると湧出地が近い製品を普段は選んだりしているのだが、この季節ばかりは積極的にキャンペーンに乗って、ボルヴィック製を飲み続けてしまう。同社の戦略に乗せられているのはわかっているのだけれど、悪いことではないのかなとも思う。


さて、同キャンペーンでアフリカに作られるのはごく普通の手押し式ポンプ井戸のようだが、気になる井戸を見つけた。
「プレイポンプ」というらしい。
http://greenz.jp/2008/06/23/playpumps/

上記リンク先に仕組みは詳しく書かれているが、簡単に言えば、手押し式ポンプの代わりに、人力で回すメリーゴーランドのような子供たちの遊具が手押し式ポンプの代わりになっているのである。子供が遊具を回して遊ぶ。すると、水が汲みあがって地上7メートルに設置された2,500リッター入りのタンクに収容される。
ボルヴィックによって設置される手押し式ポンプでも十分役に立つ。だが、この「プレイポンプ」はさらにその上を行く発想であると思う。


「仕事が楽しみならば人生は極楽だ。仕事が義務ならば人生は地獄だ。」
そんな言葉を遺したのはロシアの作家、マクシム・ゴーリキー(1868~1936)。
「仕事というものは決して楽しいものではないが、同じ働くのであれば、その仕事を楽しいと感じるような方法を身につけるべきだ」と解釈されることが多い。
確かに、同じ仕事でも気持ちや心の持ちようで辛くも楽しくもなる。それが義務ではなく、自分にとっての楽しみであると考えることができれば、同じ仕事でも全く違った気持ちであたることができる。

だが、もう一歩進めて考えてみれば、それは気持ちの持ちようだけではなく、仕事自体を全く違うプロセスに変革できれば、本当に仕事を楽しくできるのだともいえる。今回紹介した「プレイポンプ」はそんな好例ではないだろうか。

遊具を回すことが、今まで辛かった水汲みの労働に代わる水を確保するための仕事になると、今まで誰が考えただろうか。
安全な水を確保できるということでは手押し式のポンプと代わらない。
しかし、遊ぶこともままならず、毎日何時間もかけて長距離を重いタンクを持って水汲みに行かされていた子供たちのことを考えると、それが遊具になるということは画期的なことではないだろうか。

「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからなんだよ。」
これは、夜間飛行や星の王子様を著わしたサン・テグジュぺリの言葉。
遊具で遊びながら水が汲み上げられるようになった子供たちは、足下の水資源に気づき、感謝し、辛いばかりの自分たちの生活環境をやっといい場所だと考えられるようになったのではないだろうか。


「変革は大胆に」と思う。
水が必要なのでポンプを設置する。これはとても必要なことだ。
しかし、できればさらにそれが「苦役からの解放」だけではなく、「楽しみ」になるような大胆な変革ができればすばらしいことだ。
我々の日々の仕事や生活の中にも変革の機会は眠っているのだろう。

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2008.06.23

「なーむくん」でも「せんとくん」には勝てない!

6月4日に以下の記事を記した。『「せんとくん」に勝てない?「まんとくん」の悲劇』
http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2008/06/post_ddfa.html

何とも評判の悪い平城遷都1300年祭のマスコットキャラクター「せんとくん」への、”刺客”として誕生した「まんとくん」。
記事にて筆者は<「キャラがかぶる」という事態は「チャレンジャー」に取っては最悪なポジションである。>として、標題のように「まんとくん」は「せんとくん」の刺客たり得ないと評したのである。
はたして、ネットを中心としたそれ以後の反応はと言えば、やはり「きもかわいい”せんとくん”の勝ち」という意見が大勢のようだ。

確かに「せんとくん」の悪評は高いものの、次第に”慣れ”によって「きもかわいい」というポジションを確立しつつある。さらに、「まんとくん」は「キャラがかぶっている」という問題だけでなく、インパクトにも欠けているのだ。


そして、満を持して登場した第三の男、「なーむくん」。
<第3の遷都キャラ「なーむくん」登場 仏教界が「擁立」>
http://www.asahi.com/national/update/0620/OSK200806200100.html
・・・これまた、イタダケナイ・・・。

新たなキャラクターを作ったのは、<奈良市や周辺の19寺でつくる親睦(しんぼく)団体「南都二六会(なんとにろくかい)」>という団体。<十七条憲法を制定した太子にちなんで眉と目で「一七」を表現し、愛称は南無阿弥陀仏などからヒントを得た>という。

別の報道によれば、南都二六会は<記者が「せんとくんはライバルですか?」と質問すると、「ライバルではなく、せんとくんを超越した存在。一緒に並ぶこともないと思う」と突き放した返答だった。>とのことだ。


うーん、何だか超越できない気がする・・・。


最大の問題はやはり「まんとくん」同様、2つ。キャラがかぶることと、インパクトだ。
「インパクト」に関してはデザインクオリティーの問題もあり、「まんとくん」「なーむくん」とも、「せんとくん」とは費用のかけかたが何桁も違うので如何ともしがたいが、せめてキャラがかぶるという、「まんとくん」の轍を踏むことは回避できたのではないかと思う。

繰り返すが、「チャレンジャー」は「リーダー(もしくはチャンピオン)」と同じ土俵で戦ってはいけない。

しかし、「まんとくん」同様、「なーむくん」は幾重にもかぶっているのだ。


まず、ネーミング。
「~くん」。
・・・どう考えても前の2つのキャラクターとかぶる。
ネット上に「なんだ”おくとくん”(億とくん)じゃないのか」と多くの意見が記されているように、間に「まんと」がいるだけに、連続性を期待されてしまう。
かぶらないためには、絶対に「~くん」は避けたかったところだ。
イラストレーターのみうらじゅん氏が命名した、全国各地でPR活動に活躍する「ゆるいキャラクター」、略して「ゆるキャラ」は、概ね「~くん」と名付けられる場合が多い。だが、今回ばかりはそれを踏襲する必要はなかったのではないだろうか。


次にキャラクターのモチーフ。
今回は「聖徳太子」という実在の人物がモチーフであるが、「せんとくん」の「童子」、「まんとくん」の「鹿と朱雀門を合体させ擬人化」したのとと同じく、人の形をしている。
「ゆるキャラ」は着ぐるみとなる場合が多いので、やはり人の形をしていた方が便利かもしれない。しかし、各地の特産品をアピールするキャラクターは、その特産品を模して、かなり人が入るのには無理がある形状をしているものもある。今回はそんなガッツを見せてほしかったところだ。

・・・ちなみに、全国にはどんな「ゆるキャラ」がいるのかといえば、年1回、鳥取砂丘でゆるキャラたちが集まって運動会を開くという、これまた脱力ものの「キャラカップin鳥取砂丘」の画像を見るとよくわかる。
http://www.tottori-guide.jp/fileyurukyara02.htm


と、ここまで筆者もつられて「ゆるキャラ」前提で論を進めてしまったが、そもそも、キャラクターが「ゆるキャラ」である必要はないのだ。
彦根城400年のキャラクター「ひこにゃん」 http://hikonyan.hikone-150th.jp/ 以来、ご当地キャラと言えば、広い年代から愛されそうだという無難さから「ゆるキャラ」が一つのスタンダードになってしまった。
通常ならそれでいいだろうが、今回は”刺客”だったり”超越した存在”を目差すのであれば、もっとエッジを効かせても良かっただろう。


考えてみると、このあとも”刺客”が送り込まれるのかもしれないが、もはや「ピン」で戦うこともどうかと思える。
「せんとくん」「まんとくん」「なーむくん」の三人(?)を並べてみると、トリオ漫才でもやれそうだ。
1300年祭事業組合は<「まんとくん同様、新しい友達が増えたという印象」>という余裕のコメントを発している。明らかに取り込まれている。
確かに、「なーむくん」は聖徳太子のキャラクターであり、眉毛とまぶたが「十七」の文字になっており、聖徳太子が制定した「十七条の憲法」を表している。十七条の憲法は第一条に「一に曰く、和を以て貴しとし」とあるので、みんなで仲良くするのは得意そうなのだけれど・・・。


ともあれ、新キャラクターを出すのであれば、最初から「セット売り」にしてはどうだろうか。少なくとも3~4体がまとまっていれば、取り込みにくいだろうから。


さて、「ではこれでどうだ!」と、代替のキャラクター案を描いてみせる度胸は筆者にはないが、ここまで記した条件をまとめてみよう。
・脱ゆるキャラ
・人の形にこだわらない
・セット売り
・ネーミングも「~くん」的なゆるいものではなくする。


例えば、人の形にこだわらないのであれば、「まんとくん」の頭に載っている平城京のシンボルである「朱雀門」の「朱雀」なんてどうだろう。描き方によっては結構カッコよくなりそうだ。「白虎」「青龍」「玄武」とのセット売りも可能だ。
・・・と、しかし、よく考えたら「朱雀」「白虎」「青龍」「玄武」の「四神」に護られているのは「平安京」の方だった。


うーん、ここまで書いてきて結論がいささか情けないが、キャラクター作りは「言うは易く行うは難し」なのであった。
だが、今後も1300年祭のさらなる”刺客キャラ”を作るのであれば、何度も言うようだが、くれぐれも「同じ土俵で戦わないこと」をオススメしたい。


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2008.06.19

カップヌードル・「苦渋の値上げ」で「売り上げ半減」の衝撃

原材料の高騰によって食料品などが相次ぐ値上げに踏み切った。その中でも売り上げ減少に最も大きく影響したのが日清・カップヌードルだろう。値上げ前比-52%と半減以上。その原因と、同社が値上げに踏み切らざるを得なかった理由を探ってみたい。


価格戦略(Pricing)はマーケティング4P(Product・Price・Place・Promotion)のうち、利益に直結するだけに最も慎重を要する施策であることは言うまでもない。製品を企画し製造する・販路を開拓し維持する・購入者とのコミュニケーションを展開する。他の3つのPは全て「コスト」が発生する。言い換えれば、利益創出は最後のPriceの設定次第ということなのだ。

しかし、原材料費などの世界的な高騰は、メーカーにもはや値上げを余儀なくさせ、多くの食品が値上げに踏み切った。
日経新聞6月17日朝刊より。<値上げ食品の売上高減、節約志向で自主企画品を選好 日経調査 >。Web版には記事のサマリーが掲載されている。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080617AT2F1200M16062008.html記事中にある<日本経済新聞社が主要15品について、日経POS(販売時点情報管理)データと店舗や食品会社への聞き取りで調べた。>とする内容はWebに掲出されていないので、その内容を転載・考察しているBlogへのリンクを以下に挙げる。
http://www.costdown.co.jp/blog/2008/06/post_917.html

ここで目をひくのはやはりカップヌードルだ。売り上げ-52%。この数字から、ここまで売り上げが激減した理由と、それでも値上げしか手段がなかったという背景がおぼろげに見えてくる。


■カップヌードルの「カスタマーバリュー」は88円 or 100円
「カスタマーバリュー」とは、その製品に対し、顧客がいくら払ってもいいと感じる値であり、製品価値が高く評価されている場合、製造原価を大きく上回ることになる。逆に、お客の価値に合致しない場合、原価割れの数字が出てくる場合もある。今回は後者だったということだろう。
ネット上で今回の値上げに関する反応を見てみると、同製品のカスタマーバリューは、スーパーなどの特売で一般的となっている88円という価格と、ワンコインで買える100円という価格に集約されるようだ。希望価格は155円から170円(15円値上げ)だが、店頭実勢価格は88円から118円と30円の値上げとなっている。値上げ前の88円が定着していたことに加え、ワンコインの気軽さを失ったことが大きく影響したと考えられる。

■88円は妥当だったのか?
そもそもの88円という価格でどの程度の利益が出ていたのかといえば、それ自体が疑問だ。前述の通り88円は特売価格。目玉商品としての価格である。利益ギリギリ、もしくは集客に主眼を置いて戦略的に赤字を覚悟した価格設定を「ロスリーダー・プライシング」という。その価格が定着してしまっていたことも大きな不幸と言えるだろう。

■代替品の存在
値上げしても「他に買うものがない」という場合、生活者には渋々許容される場合もあるが、カップ麺は「インスタント麺(袋麺)」という代替品が存在する。確かに「容器が不要で湯を注ぐだけの手軽さ」という製品のコンセプトが消費者に受け、1971年9月18日の新発売当初からインスタント麺とは比較されない価格レンジを保ってきた。しかし、前述の許容されるカスタマーバリューとの乖離を招いたことにより、両者が初めて同じ土俵で比較され、代替可能な存在になってしまったのだ。

■企業努力に対する不満?
「値上げ前にもっと企業努力はできなかったのか」という声も一部から聞こえる。
定番商品が売れ続け、市場に埋没しないためには、バリエーションなどの派生商品を上市し続けることと、一定の情報発信を行うことも必要だ。カップヌードルの場合、様々な味のバリエーションを出し続けている。さらに、昨年・今年とユーザーの意見を取り入れて開発した「ミルクシーフード」や「ミルクカレー」などは大いなる好感を持ってユーザーに迎えられた。
しかし、最近、「環境負荷軽減のため」として容器を紙製に変更し、そのCMをキムタクが行ったり、また、オリジナルアニメ「FREEDOM」を製品広告のために企画・放映したりという目立った動きが、値上げに際しては反発要因として作用した感が否めない。容器変更のタイミングは正しかったのか。派手な広告宣伝費を定番商品にかけるより、価格を据え置く方が先ではないかという意見だ。
製品のコミュニケーション戦略は企業によって意志決定が異なるので一概にその正否を問えるものではないだろう。しかし、こうしたネガティブな反応を抑制するためにも、定番商品であるが故に、値上げに関しても十分な理解を得るような広報活動を事前にもっと徹底しておくべきだったといえるかもしれない。

■「実質値上げ」ではなく「値上げ」せざるを得なかった事情
先の日経の調査で目をひくのは「シャウエッセン」だ。内容量を減らした実質値上げなのだが、店頭価格277円から271円と、見かけ上6円の値下がりによって、売り上げが9%上昇している。食品などの日用品は「販売価格の上昇(下落)が販売量の下落(上昇)に大きく影響する」という、いわゆる「価格弾力性が高い」製品の代表だ。それ故、見かけ上の価格に反応して購入した消費者も多かったということだろう。
しかし、カップヌードルの場合、実質値上げには踏み切れない事情がある。単純に量を減らしただけなら「カップヌードルミニ」という商品が存在する。麺の量だけを減らした場合、麺の量を減らしてカップヌードルの具材を流用した、麺が少なく汁を主に食べる「スープヌードル」という商品も存在する。前述の定番商品が売れ続けるための工夫である「派生商品」が思わぬところで影響してしまったのだ。しかも「スープヌードル」は「安いがボリューム感に欠ける」とあまり評判がよくない。それ故、内容量減による実質値下げという手段を安易に選択することができなかったのだと推察できる。


こうして見てみると、カップヌードルの値上げは、それ以外に手段はなく八方ふさがりであり、苦渋の決断の末にやむなくそれに踏み切ったことが見て取れる。


■ストックが底をついたときどう動くか売り上げ半減と厳しい数字が出たが、カップヌードルは保存が利くという面も見逃せない。コアユーザーが値上げ前にまとめ買いし、それ故、売り上げが大きく落ち込んだと考えられる。しかし、ストックも無尽蔵ではない。賞味期限もある。だとすれば、この後ジワジワと売り上げが上がっていくのであれば、不承不承、消費者は値上げを承諾したことになる。そうでなければ、離れてしまったか、代替品に移ってしまったかということにになる。


繰り返すが、価格戦略は4Pの最重要施策であり、利益創出は最後のPriceの設定次第である。しかし、そこに絶対の正解はないことも確かだ。
今後、数多くの、食品だけでない多くの製品が値上げを余儀なくされるはずだ。その際、このカップヌードルの事例から学べる点を考慮すべきだろう。
そして、今後、定番商品であるカップヌードルが消費者の支持を取り戻し、復活することを願ってやまない。

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2008.06.18

「出張族 御用達の店」のマーケティング

ある地方都市に来ている。夕食を食べようとふと入った店。美味であり、非常に満足度も高かったのだが、印象的だったのは、来店客の多くが出張でその地を訪れているビジネスマンであったことだ。筆者のような一見客もいれば、何度もリピートしている客もいる。その店は、言ってみれば「出張族 御用達の店」だったようなのだ。

インターネットをはじめとする各種のコミュニケーション手段が発達した今日でも、全国を飛び歩くビジネスパーソンは多い。そして、出張先では現地の取引先や自社の支社スタッフから歓待されることもある。しかし実は、仕事が終わってから放っておかれたときなどには、その街をふらふらと探検し、美味しい店を発見するという望外の喜びを見いだせることもある。
一人、または少人数で気ままに入る店なので、あまり高級感が漂っていたり、オシャレだったり、また、奇をてらっているような店はパスだ。あくまで店構えは普通なのがいい。それ故に入る瞬間はその店が「アタリ」なのか「ハズレ」なのかは分からない。しかし、席に着き、店内とメニューを一別し、店の人間を少し見ればだいたいはわかる。
以下、マーケティングミックスの「4P」で考えてみたい。


・Product(製品戦略)
やたらと「ご当地メニュー」をひけらかしているのは観光客目当ての店だが、さりとて全くその地の独自色がないのは寂しい。さりげない地元らしさの漂うメニューがポイントだ。
その地方以外では食べないような食材や、逆に、地元ではあまり評価されないが食べてみれば美味しいとような、各種の「地の食材」が巧みに取り入れられている場合が多い。
季節柄漁獲・収穫量が少なかったり、ベストシーズンに比べれば、若干滋味に劣る食材でも、めったにそれが味わえない、よそ者の口には十分贅沢だ。地元の常識にとらわれないことも大きなポイントだろう。

・Price(価格戦略)
歓待されるときのような高級店ではない。しかし、店内のほとんどを地元の人間が占めているわけでもない。メニューの単価も、支払いの際の総額も、全く違和感はないのだが、地元の感覚からすると少しだけ高めに設定してある価格戦略も、実は出張族狙いとしては十分アリだ。毎日通うわけではないので、値段はちょっと高めでも美味しい方がいい。「プチ・プレミアムプライシング戦略」という所なのだろう。

・Place(流通・立地・店舗戦略)
Productの項で述べた食材を確保するために構築しているであろう「独自の仕入れルート」は一つの成功要因であることは間違いない。
しかし、もう一方の立地や店舗の構えなどは、Priceで述べたようにあくまで地元客オンリーの店に比べて「ちょっとだけ高い」程度なので、一等立地での展開はしにくい。また、一等地で立派な店を構えていたのでは、ふらりと立ち寄ることを好む出張族御用達としては敬遠される要因となってしまう。あくまでさりげなさが重要なのだ。
だがそれは集客に課題を残す。次項で述べる。

・Promotion(プロモーション戦略)
出張族を集客するポイントは、一つはリピート促進だ。一見の観光客相手に高価格なメニューで一度きりのチャンスにとれるだけ取る。ちょっとボッタクリ的な戦略とは明らかに異なる。
リピートさせる仕掛けは、ここまでで述べたProductやPriceの妙もあるが、来店客に対する応対も大きな要素だ。「出張族 御用達」として成功している店はここに大きな成功のポイントがあるように思われる。
一人、もしくは少人数で来た新規の客に対し、来店時は極力フレンドリーに。そして、客が食事を始めてからは、その客が好む接触密度を保っている。放っておいて欲しそうな客はそっとしておき、それ以外には適度に声をかける。店舗ビジネスの基本中の基本ではあるが、実際には徹底しにくいことが励行されているのだ。結果、客が快適な時間を過ごせる。複数日滞在するなら、また明日も来ようか。その地を再び訪れた時には必ずまた来ようとなる。
さらにリピートの要は客が客を連れてくることにある。出張族が同行者を伴ってリピートする。さらに出張族を取り込むことになる。それだけではない。意外と地元の担当者に認知されていなかったり、敬遠されていたりする場合でも、「一度行ってみるといいよ!」と出張族が逆に、地元の担当者に紹介することもある。
もちろん、このPromotion戦略の要である「リピート促進」や「顧客紹介」は顧客の満足度が高くなければうまくいかない。特にここまで述べてきた他の3つのPと、この項で述べた顧客応対が結実してのことであるのは言うまでもない。


肝心なのは、上記の4P以前に重要なマーケティングのポイントである、「Segmentation・Targeting・Positioning」の妙だ。
「ビジネスパーソン」の中の「地元<出張族」、「歓待を受ける出張族<お一人様出張族」とセグメンテーションの切り口とターゲティングが明確である。
また、「出張族お一人様(もしくは少人数)需要」に絞っているため、「気軽に利用できて地元ならではの味が楽しめる」という接待の用の店と明確に差別化しているポジショニングも重要だ。


ここまで見てきたように、ターゲットとそれに対するポジショニングを明確にし、そのポジショニングを実現すべく、4つのPを最適化するということは、全てのビジネスにおけるマーケティングの基本だ。その基本を徹底すると言うことを、「出張族 御用達の店」が意識してやっているのかと言えば、実際にはそうでない場合が多いだろう。様々な紆余曲折の末に辿り着いた結論なのかもしれない。
だからこそ、基本の励行ができているともいえるだろう。「戦略の明確化」と「施策の整合性」。事例からその大切さを改めて学んだように思う。

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2008.06.17

ペプシ:ブルーハワイのビミョーな味とネックスの美味しさの秘密

今年もやってきた。ペプシ好例の「ビミョーな味のコーラシリーズ」。
今までもレッド、ゴールド、カーニバルなどの変わり種を投入してきたペプシ。昨年の夏はキュウリ味の「ペプシ・キューカンバー」がネット上でも大きな話題となった。キュウリ味というインパクトと、実際にそのビミョーな味で話題になったのだ。ちなみに、飲み損ねた方のために解説すると、キュウリ味というより、同じ瓜科の「スイカ」を欲張って白くなった部分まで食べてしまった時のような、うす甘さと少し青臭いような香りが印象的であった。マニア的に「クセになる味」かもしれないが、一般的に「オイシイ!」という味ではなかったはずだ。

さて、今年は「ブルーハワイ」。同名のカクテルより一層鮮やかな青が目にもまぶしく映る。さて、お味は・・・これまたビミョー。
本来の、カクテルであるブルーハワイは、ホワイトラム・2:ブルーキュラソー・1:パイナップルジュース・3:レモンジュース・1の割合でシェイクし、クラッシュド・アイスのグラスに注ぐのが基本。パイナップルの中にレモンの香りを醸し出しつつ、甘みのバランスを取るのがバーテンダーの腕の見せ所ではないだろうか。
で、ペプシのブルーハワイ。・・・甘い。その後、甘みよりも独特の風味というか、ビミョーな苦みが残る。そして肝心のレモンフレーバーが感じられない。何度も飲みたくなるかはこれまたビミョーなのだが、同名のカクテルとのギャップ故か、昨年のキューカンバー以上に一度飲んだら忘れられない味であることは確かだ。


さて、そうした「忘れられないビミョーな味」のコーラをペプシが出し続ける理由は何だろうか。

一言でいうなら、「ペプシはチャレンジャーだから」だ。
強大な敵であるコカ・コーラに対抗するには「徹底した差別化」が基本だ。
マーケットリーダーの戦い方の基本は「同質化」である。例えば、「スポーツドリンク」のカテゴリーにおいて大塚製薬が主力商品である「輸液」の浸透性を元に開発した「ポカリスェット」に対し、日本における飲料最大手のコカ・コーラは、ポジショニングがかぶる同種の商品「アクエリアス」を投入。あっという間にシェアを奪い取った。
規模で劣後するチャレンジャーは、同質化を仕掛けられることに対し、徹底した差別化を図るしかない。常に「自分たちは違うんだ!」と、独自のポジショニングを示し続けるしかないのだ。でなければ、その存在は消し去られてしまう。ましてや、コーラはコークが元祖なのだから。

振り返ってみれば、ペプシの歩みは差別化の歴史であったともいえる。その礎を築いたのは、天才マーケターであるジョン・スカーリー(後のアップルコンピュータCEO)だ。
スカーリーはかつて、全方位的、オールターゲットで展開するコカ・コーラに対して、ベビーブーマー世代に絞ったキャンペーン、「ペプシ・ジェネレーション」を展開。また、その後、日本でも展開された徹底した飲み比べキャンペーンである「ペプシチャレンジ」を仕掛け、大成功を収めたのだ。


一連の「ビミョーな味」のコーラは、前述の通り、「これはコークでは出さないだろう!」という市場全般の驚きと、飲んだ人なら二度と忘れないという、徹底した差別化のために投入されている商品ではないかと思う。


しかし、差別化は主力商品にこそ、見えない形で徹底されているようだ。
コーラ飲料で両雄が火花を散らしている「コカコーラ・ゼロ」と「ペプシ・ネックス」。
ネーミングに賛否はあるが、わかりやすさを取ったコカ・コーラに対して、ペプシはパッケージに「ゼロカロリー」の表示こそあれ、商品名にはしていない。ゼロカロリーだったり、ダイエットだったりというネーミングからくる「太らないけどイマイチ」という連想を避け、味で真っ向勝負したかったからだという。
こだわりの現れの一つは、甘味料特有の味を隠すためと、味わいの深みを増すために、「レモンを少し混ぜる」という技だ。レモンフレーバーを用いることは、実はペプシの得意技なのだが、フレーバーコーラとならないよう、レモン味が明らかに感じられない程度のさじ加減をしているのだ。


こうして考えれば、キューカンバーやブルーハワイのような限定コーラも、そこそこ美味しく、誰にでも受け入れられる味に仕上げることは難しくないはずだ。
しかし、あえてそれをしない。なぜなら「チャレンジャー」だからだ。誰からもそこそこ好かれるのでは、差別化にならない。
「二度と忘れられないビミョーな味」と、主力商品は巧みな技を使って深みのある「美味しいコーラ」に仕上げる。

業界のリーダーはただ1社。それに攻撃を仕掛けられないのであれば、独自の生存領域を確保し、ニッチャーとして小さくまとまるか、フォロアーとして縮小均衡から衰退の道を辿るかしかない。どうせならチャレンジャーとして雄々しく戦ってみたいではないか。
チャレンジャーとしての、ペプシの大胆さとこだわりは、大いに見習いたいものである。


※後半の「ペプシ・ネックス」に関する記述は「Business Media誠」に2007年06月28日に掲載された記事を参考にしました。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0706/28/news042.html

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2008.06.16

ビジネスとは途中から読む推理小説のようなものだ

推理小説はお好きだろか。筆者はなかなかのファンである。事件が起こる。そして浮かび上がってくる犯人像や証拠の数々。トリックの解明・・・。そうしたドキドキさせられる展開がたまらない。
しかし、それを途中から、例えば半分進んだあたりから読み始めたらどうなるだろうか。

小説に限らず、サスペンスものの映画やドラマなどは、前半、特に冒頭を見逃すと面白さが半減してしまう。なので、最初を見逃したら見るのを諦めてしまう人も多いだろう。「いったい何が起きているんだ?」と事件のあらましも判らずに、推理や捜査が進んでいくのを見ていてもやはりモヤモヤとした感が強く、エンディングを迎えてもスッキリとしないはずだから。
だが、推理小説なら本の冒頭に遡ることができる。しかし、そこにもう一つ制限をかけてみよう。一気に冒頭に戻るのは禁止。真ん中から読み進めながら、同時に少しずつ前に戻って読むこと。
真ん中から読み始めたとしても、ストーリーはどんどん展開し、状況も刻一刻と変わっていく。それを追って、自分なりに推理をしてみながら、前半にさかのぼりつつ、証拠の数々を探し、そもそも何が起こっているのかとい事件の全容を明らかにしていくのだ。


こうして考えてみれば、日々のビジネスとはタイトルに示したように「ビジネスとは途中から読む推理小説のようなもの」だと言えないだろうか。
推理小説も作家のストーリー展開の手法次第でなかなか何が起こっているのかわからないものもある。しかし、読者に推理そのものを楽しませてくれる古典的な展開なら、状況は冒頭に記されているはずだ。しかし、真ん中から読んではそれを知ることができない。にもかかわらず、先に読み進めて自分なりの結論を出さなければならないのだ。自らの仕事に置き換えて考えると、そんなことが日々起きていないだろうか。

名探偵であれば、たぶん、小説の途中から登場しても、天才的な閃きで推理を進めるのだろう。しかし、基本は「現場百回」。捜査が進んでも、徹底的に現場を見直し、証拠にモレ・ヌケがないかを検証するという。これは推理小説ではなく、刑事ドラマからの受け売りなのだけれど。


さて、名探偵を諦めて、地道な足で稼ぐ捜査を覚悟したとしよう。「現場百回」で現場を検証するにしても、捜査には道具が要る。ビジネスの場合、その「七つ道具」たる強力な武器が「フレームワーク」なのだ。特に環境分析に関わるフレームワークは、「そもそも何が起こっているのか?」を把握するには重要だ。
・世の中の大きな動きを押さえ、そこから何が起こっているのかという概観を掴むなら「PEST分析」。
・関係者の力関係や利害関係を把握するなら「5F(5つの力)分析」。
・関係者が絞り込まれ、その競合状況にフォーカスするときには「3C」分析。
・総合的に、外部環境と自らの内部に存在するプラス要因とマイナス要因を整理するなら「SWOT分析」。
最低でもこれらをきちんと押さえておくのは基本中の基本なのだ。

推理小説を半分過ぎたあたりから読み始めたら、上記のフレームワークに関わる事件のあらましや、利害関係者の洗い出しとその相関関係の把握などは済んでおり、「では、誰が犯人なのか」という「ターゲティング」や、「どうやって犯人を追い込むか」という「打ち手(施策)」の検討がなされているだろう。はっきり言って、その段階から読み始めても面白くはない。
しかし、実際のビジネスでプロジェクトがずいぶん進んだ状況から参画する場合、自ら「現場を見直す」ことをせずに、「ターゲティング」や「施策(4P)の検討」にそのまま加わってはいないだろうか。


推理小説を楽しく読むには、途中から読んだとしてもきちんと冒頭に遡って状況を確認すること。実際のビジネスにおいて、プロジェクトの成功確率を高めるなら、自らフレームワークを用いて納得がいくまで「そもそも何が起こっているのか」という状況把握をすることをお勧めしたい。

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2008.06.13

テレビなんていらない?!・地デジチューナーのバラマキに思う

世の中を一律に見ずに、きちんとセグメンテーション(区分)して、ターゲットを選定する。そして、ターゲットには、その商品を本当に必要とするニーズがあるのかを見極める。ビジネスの世界では極めて基本中の基本だ。・・・だが、残念なことにその基本が忘れられるのがこの国の悪いところのようだ

6月10日に「”自主サマータイム”のススメ」という記事を書いた。
http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2008/06/post_4069.html

毎年繰り返される「サマータイム導入議論」だが、世の中にそれを必要としている人もいれば、必要としていない人もいるので、一律導入ではなく、必要な人は「早起き」すればいいではないかという、筆者の持論を展開した。
ありがたいことに、読者の方から、同感であるという旨と<サマータイムの件に限らず、国の一律的なものの決め方に不安を覚えてやまない毎日です。>というコメントをいただいた。

どうやら今回もサマータイム導入は見送られるようだが、それよりもものすごい「一律政策」が展開されようとしている。
※以下の内容はコラムニスト・勝谷誠彦氏のメール「勝谷誠彦の××な日々。」を参考にしています。


<地デジ受信機支給へ 生活保護107万世帯に>
http://www.asahi.com/digital/av/TKY200806100268.html

アサヒコムの記事によると総務省は<デジタル化される地上波テレビ放送を視聴するための専用チューナーなどの受信機器を、経済的に購入が厳しい生活保護世帯に現物支給する方針を固めた。>とある。
対象はまず、標題の通り全国107万世帯で<支給額は50億円を上回る>という。

しかし、107万世帯、50億円で終わりではなく、生活保護世帯、NHK受信料の全額免除世帯、高齢者のみの世帯、障害者世帯も支援対象として検討しているとのことで、最終的には合計、1,687万世帯となる。
1,687万×5千円=843億5000万円。

もう一つ気になるのは、総務省は先行する107万世帯への配布、50億円強の前提も、現在2万円程度のチューナーを5千円程度にできるよう、メーカーに開発を依頼しているということだ。確かにメーカも大量に生産すれば、いわゆる「規模の経済」や、生産効率の向上による「経験効果」で低価格化は可能であろうが、本当に4分の1まで低下するのだろうか。4分の1にならなければ、予算規模は簡単に1千億を超えるだろう。途方もない大事業ではないだろうか。

しかし、本当に必要な政策であれば、予算投下はなされるべきだろう。1千億円投下の理由は、地デジ対応機器の購入が経済的にできない人にとって<テレビ放送は生活に必要な情報を提供しており、地デジへの完全移行までに必要な対策を講じなければ、日常生活に支障を来す恐れ>があるからだという。


昨今、これだけ「テレビ離れ」が進んでいると言われる世の中で、テレビがないと本当に<日常生活に支障を来す>のだろうか。テレビ以外に受け取ることができない<日常生活に支障を来す>ほどの情報とはなんだろうか。
ニュースを中心とした時事情報であろうか。では、新聞はどうなのだろう。
大学の学生や企業研修で接点のある若手ビジネスマンに聞くと、驚くほど新聞を読んでいない。それぐらい「新聞離れ」が進んでいるのだ。
では、彼らが<日常生活に支障を来す>状況になっているかというと、全くなっていない。「PCでニュースを見ているから」だという。さらに聞けば、テレビのニュースも見ていないし、そもそものテレビ視聴時間も減っているようだ。

今日、テレビはないと<日常生活に支障を来す>ほどの存在なのだろうか。
まずは約50億円、続いて843億5000万円、場合によっては1500億円近く投下して、テレビ視聴環境を国民の基本的な生活インフラとして整備する意義とはなんだろうか。


テレビ、場合によっては新聞ですらニュースを見ない層が「PCで見ている」のであれば、いっそ、PCを配布することだって視野に入れればいいだろう。ASUSやhp、DELLが鎬を競おうとしている低価格ノートPCはOSにWindowsを使わなければ199ドルパソコンになる。現に米国市場でのASUSのEeePCはリナックスモデルで199ドルだ。
現行の地デジチューナーをメーカーに2万円から5千円にさせるのであれば、PCメーカーに50ドルパソコンへのチャレンジを促してもいいのではないだろうか。

誤解なきようにいただきたいが、筆者は「地デジチューナーの代わりにPCを配布せよ」と主張しているのではない。PCは一例だ。「対象世帯の全てがテレビを必要としているのではないだろう」と言いたいのだ。
冒頭記したように、世の中を一律に見てセグメンテーション(区分)をせず、必要とする者の特定(ターゲティング)もせず、ターゲットがその商品を必要とするニーズがあるのかも見極めずにバラマキをしようとしている。そのことに反対しているのである。


国民のうち情報収集に対して<日常生活に支障を来す>者を救済しようとするなら、必要とされている情報収集手段は何なのかを考えるべきだ。
また、情報収集以前に<日常生活に支障を来す>事項も人によってあるだろう。約50億円、続いて843億5000万円、場合によっては1500億円という予算を一律な使い途に投入すべきではない。

「ニーズ」とは、「現状と、理想とする状態とのギャップ(不足状態)」であり、「それを解消するための対象物」が「ウォンツ」である。
<日常生活に支障を来す>不足状態が、全ての対象者にとって、「テレビが見られない」ということなのか。また、必要とされる対象物が「地デジチューナー」なのか。

何度も繰り返すが、世の中を一律に見ずに、きちんとセグメンテーション(区分)して、ターゲットを選定する。そして、ターゲットは、その商品を本当に必要とするニーズがあるのかを見極めること。約50億円、続いて843億5000万円、場合によっては1500億円という巨費を投入する前に今一度検証することを一国民としても切望する。

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2008.06.11

タリーズコーヒー「パフェ参戦」で始まるバトルロイヤル

タリーズコーヒーが6月19日より初のパフェメニュー「T's Parffle」発売するという。「パフェ」は同社の従来路線からすると、少々異彩のメニューといえるかもしれない。そこに隠された意図とはなんだろうか。


エスプレッソを主体とした高品質なコーヒーを提供する、アメリカ西海岸発祥のコーヒー店は「シアトル系コーヒーショップ」と呼ばれる。日本では96年にスターバックスが銀座松や裏の小さな二階建て店舗で進出し、翌年タリーズコーヒーも同じ銀座に上陸した。以来、日本における「スペシャリティーコーヒーショップの二強」と言ってもいいだろう。

その二強である、スターバックスとタリーズにおける今日の差異点を見てみよう。最も分かりやすいのは「喫煙室」の存在だ。従来のカフェにありがちな、席を分けただけだったり、中途半端なガラスの壁で仕切られた分煙とは違って、ほぼ完璧に隔絶された「愛煙家の世界」が店内に厳然と存在している。喫煙室を天井までガラス壁で仕切った場合、消防法の定めによって、そこは一つの部屋と見なされるため、防火設備設置などの負担が増す。にもかかわらず、完璧な分煙を行うということは、スペシャリティーコーヒーショップならではということだろう。スターバックスは、「コーヒーの香りを損なわないため」としてはじめからタバコを店内からシャットアウトしているが、タリーズも完璧な分煙によって劣後する要素にななっていない。

しかし、その喫煙室の存在故か、スターバックスとタリーズの客層と人気メニューは若干異なる。
両社とも幅広い客層から支持されているのは事実であるが、スターバックスは20代前半の客層が多く、人気メニューはコーヒーや果汁を氷をミキサーで砕いて混ぜ合わせた「フラペチーノ」だ。
対するタリーズ。「フラペチーノ」はスターバックスの登録商標であるが、タリーズも同様な製法で作るフローズンドリンク「スワークル」がある。しかし、同社は、スターバックスよりも平均年齢が少し高い25歳以上の、よりコーヒーの味にこだわりが強い層をメインターゲットと据えているという。

その両社の微妙な棲み分けを崩すものが、パフェメニュー「T's Parffle」ではないだろうか。正直な所、スターバックの「フラペチーノ」とタリーズの「スワークル」、かなりのファン層でなければそんなに差異は感じられないだろう。その環境下で、「フラペチーノ」を好む、スターバックスの主要顧客層を、新たなフローズンメニューでタリーズは取り込みを狙っているのではと考えられる。

もう一つの意図も見え隠れする。両社ともメニューの片隅に、子供向けの「キッズメニュー」があるのだが、そのラインナップを見ると、タリーズの方が少々充実度が勝っているように感じられる。メインターゲット層の年齢が上なだけに、タリーズからは「子供連れ層」をさらに強化しようという狙いが感じられるのだ。タリーズの出店地域は都市部一等立地がメインなので、「お出かけ時需要」の取り込みが期待できるだろう。

しかし、そこまでの意図があるのかは分からないが、家族連れの取り込みを図ろうとすると、もう一つの強力な勢力の圏内へ領空侵犯を行うことになる。
マクドナルドだ。「メニュー、客層、客単価、どれをとっても違うだろう」という論もあるだろう。確かにその通りなのだが、しかし、マクドナルドは昨年、プレミアムローストコーヒーを投入。今年、アイスコーヒーもプレミアム化している。100円という買いやすさもあって、オリコンの調べではホット、アイスとも「買いたいコーヒー」アンケートで二冠を得ている。また、おなじみの「マックシェイク」や「サンデー」に加え、ソフトクリームを加工した「マックフルーリー」も投入。フローズンメニューの充実を図っている。
低価格ではあるが、本格コーヒーとフローズンメニューの充実という意味では、競合の範疇に入ってくるだろう。


米国においては一足先に、マクドナルドとスターバックスの全面戦争が始まっている。日本でも先述の通り、「買いたいコーヒー調査」の結果が示すように、両社は競合状態に突入している。そこに、スターバックスの得意領域であるフローズンメニューの拡充と、マクドナルドの得意な顧客層である家族需要取り込みで、タリーズがバトルロイヤルに参戦したと考えられないだろうか。

今日の日本経済は、少子高齢化によって、市場のパイは確実に縮小に向かっている。黙っていれば、自社の売り上げ・利益も縮む一方だ。新たな需要が見込めないのであれば、他から取ってくるほかない。
縮む市場において、周辺業態に領空侵犯をして戦いを挑むというケースは今後、各業種でも数多く見られるだろう。このコーヒーとフローズンメニューをめぐるバトルロイヤルの行く末は、その意味からも注目に値すると考えられる。

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2008.06.10

「自主サマータイム」のススメ

毎年この時期になると「サマータイム導入」が論じられるが、今年は特に洞爺湖サミットを前にして政府の気合いが入っているようだ。「諸外国はみんなやっている」そうだが、「時計の針を国中が一斉に1時間進める」というのは、考えてみれば随分と不自然なコトではないだろうか。


歴史をひもといてみれば、日本でもかつてサマータイムが導入され、そして廃止されている。敗戦後、GHQの占領下において、1948年公布された夏時刻法だ。それこそ「米国がやっているから」という理由で導入されたのだが、しかし、1952年4月の占領終了に伴い、日本には馴染まないということで廃止された。
今度は「環境負荷軽減」が錦の御旗になっている。環境負荷軽減には賛成だが、サマータイムには筆者は一貫して反対している。もはや年中行事の感もあるが、今年も反対論を展開しつつ、一つ、対案を提示したい。


最も日照時間が長いこの時期、残念ながら空は雨雲に覆われていることが多いのだが、今日、東京地方は「梅雨の晴れ間」で快晴。いっていい朝を迎えている。こんな日は僥倖に感謝し、朝の柔らかな陽光と、湿気を帯つつ幾分ひんやりとした空気が満喫できる。
今朝は5時半に家を出た。この時間に仕事に向かうことは年間を通して比較的よくあることなのだが、正直、冬は辛い。まだ星が暗い空に瞬いており、寒気もひとしおである。それがやがて春に向かい、同じ時間でも空が明るくなっているようになり、寒さも和らいでくる。そして、初夏こそが、この時間の最もすてきな季節なのだ。
これが、時計を1時間進めてしまっていたらどうだろう。本来の太陽の運行に合わせた自然な季節の移り変わりが感じられなくなってしまう。

さて、仕事が終わったあとものこと。6時半には仕事を始めると、だいたいの場合、12時間か12時間半もあれば一区切りつく。18時から18時半に仕事を切り上げる。日は傾いているものの、空はまだ十分明るい。この季節ならではの格別なうれしさだ。
時計を進めてしまっていたのなら、19時か19時半。サマータイムにしていないからこそ、空が明るい時間で18時台なのだ。1時間のアドバンテージは大きい。
この季節こそ、辛くなく、朝早く起きることができて、加えて終業後の時間も長くとれる。「まだ明るい時間に仕事を終え、その後の時間を有効に使う」というサマータイム導入の効用を説くのであれば、時計を進めてしまっていたのでは、結局は終業時点の時間は遅くなるので、本来的な意味は乏しい。

同じ時間に規則正しく生活をし、季節の移り変わりを体感する。これは、四季の変化が豊かな日本に生まれたからこそ、享受できる感覚だといっていいだろう。しかし、ものごとの感じ方は人によって異なる。前述のような喜びを感じる人もいれば、全く関心がない人もいるだろう。それはそれでいい。ところが、サマータイムの導入は、全ての人の時計を強制的に1時間進めてしまうのだ。やはり不自然ではないだろうか。
この季節の朝の明るさを楽しむ筆者にとっては、1時間進んでしまえば、その前の季節と同じく、まだ薄明るい空の元、目覚めなければならないことになる。
朝型のワークスタイルで終業後の陽の明るさを楽しむ人でなければ、まだ明るい19時や19時半は、「もう一仕事」とさらなる残業に突入してしまうかもしれない。


平成も20年まで来ている昨今、戦後の復興期や高度成長期の如く、「みんなが一斉に同じことをする」というのはどうにも世の流れに馴染まないように思うのだが、「環境」というキーワードも前にはいけない考え方なのだろうか。
「サマータイム導入による環境負荷軽減効果」に関しては、いくつかの疑義が寄せられている。また、労働効率の観点からも、時計を進めたからといって、仕事は早く終わらないという反対論もある。
全ては「全員一律」で事を進めようとするから問題になるのではないだろうか。


「自主サマータイムのススメ」である。
朝、早く起きられる人、筆者の如く、朝の空気の好きな人。そんな人は積極的に早起きすればいい。たまに早起きするのではなく、この季節はできれば毎日。そして、早起きの効用を説けばいい。共感してくれる人が試し、気に入ったら実践し、また、仲間を増やせばいい。
朝の清々しい空気のうちに仕事ははかどり、薄暮の迫る前に仕事を終えようという気になるかもしれない。エネルギー消費量も抑えられるし、業務効率も上がるだろう。そんな人が自然に増えるような「自主サマータイム」の呼びかけをすればいいのではないだろうか。

「環境負荷軽減の取り組みは、もはや一刻の猶予もないのである」という論もあるかもしれない。しかし、「サマータイム導入」の前にやるべきことはもっとたくさんあるように思う。


蛇足ながら、「サマータイムつながり」で、筆者の好きな歌を一つ。ジョージ・ガーシュウィンのオペラ『ポーギーとベス』より、「サマータイム」。
Summertime, and the livin' is easy.
Fish are junpin' and the cotton is high.
Oh your duddy is rich , and your ma is good lookin'.
So hush, little baby, don' yo' cry.
サマータイム・・・。過ごしやすい季節。
魚は跳ね、綿花は伸びる。
あなたのパパはお金持ち。ママは美人。
なにも心配することはないの。泣くのはおよし。

オペラの内容は1920年代の黒人たちの過酷な生活を描いたものであり、”Summertime, and the livin' is easy.”は、事実よりもむしろ願いや祈りにも似た歌詞だといえる。
今日の日本の経済環境、労働環境は当時の黒人たちに比べれば天国のようかもしれないが、衰退と劣化の兆しが見て取れるのは否めない。また、日本の夏は決して「過ごしやすい季節」ではない。
しかし、その中でも「過ごしやすい時間」である、早朝と、夕方の時間の使い方は、一律に時計を進めて同じような行動を促す無粋なことをするのではなく、思い思いに過ごさせて欲しいと思うのだ。


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2008.06.09

悩みは胸に・課題は頭脳に

ある講演会に参加した。そこで伺った話と、そこからの筆者の気付きを備忘のため記したい。気付きを共有していただければ幸いだ。


講師の方は今年60歳になられる、伊藤良男氏というパンの製造販売を営んでいる方だった。
<株式会社 グランパ:http://www.grandpa.co.jp/corporate/
プロフィールによると、「食品関連の企業を経て開業」ということだったが、講演中の開業経緯の紹介によると、15年前に突然のリストラに遭われたという。その後、様々な苦労を経て10年前に開業と相成るわけであるが、その間、様々な蹉跌や挫折を経験されたとのことだった。
講演のタイトルは「つまづいたおかげで」であった。その由来は相田みつをは数々の珠玉の言葉の中の代表的な一つ、「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」だろう。詩人であり、書家である相田みつをが、伊藤氏の15年間の苦労を支えた精神的支柱であったようだ。伊藤氏の店には「相田みつをギャラリー」が併設されている。

講演内容は、意外なことに伊藤氏の苦労話や講演タイトルにあるような「つまづき」の紹介はほとんどなく、多くの人に共通する、苦労・懊悩に対する心構えや、それらとの付き合い方を説いたものであった。いや、正確には説く表現や教え諭すという話し方ではなかった。「これが正しい」と語るのではなく、「気付き」を促すものだったように思う。

その講演の中で、講師である伊藤氏が相田みつをの「悩みはつきねぇんだなぁ生きているんだもの」という言葉を紹介しつつ、「悩み」について問いかけをした。
「皆さんの中で悩みを持っている方はいらっしゃいますか?」。会場の聴衆は、ほんの数人しか手を挙げなかったが、筆者は挙手をした一人だった。
講師から「悩みはあった方がいいか? 悩みは身体のどこにある?」と質問をされた。平素「悩みなくして成長なし」と考えているので先の問いは問題ない。しかし、「悩みの在処」は一瞬、「心か頭か?」と躊躇しながら「悩みはあった方がいい。悩みは身体の中心・心の中にある」と回答してみた。
講師からはそれに対し、何が正解という回答はなかったが、演壇の黒板に「悩みとはこのような字を書きます」との紹介があった。立心偏(忄)があるので、やはり「心」と関係していると言うことだろう。


その講師とのやりとりの中で、筆者は一つの気付きを得た。確かに「悩み」は心の中にあるのだろう。しかし、悩みを悩みとして抱えていたのではいつまで経っても解決しない。人間としても成長しない。筆者の頭にひらめいたのは「悩みは胸に・課題は頭脳に」だ。胸中、もしくは心にある「悩み」を分析し、解決すべき「課題」に昇華させ、頭脳に送り届けることが大切なのではないだろうか。そして、解決すべき目標を定め、計画を立て、実行する。分析(Analysis)→目標(Objective)→計画(Plan)→実行(Do)。通常のP・D・C・A(Plan・Do・Check・Action)といわれるものに、前に2段階足してみたようなものだ。分析した結果、課題抽出ができれば、目標が立てられる。計画的に解決のための行動もとれるということだ。

しかし、今ひとつ疑問も残る。全ての悩みが分析しきれるほど、人も世の中もは単純ではない。分析できない「心のもやもや」はどうしたらいいのだろう。

伊藤氏はもう一つ、相田みつをの言葉を紹介した。「アノネ がんばんなくてもいいからさ具体的に動くことだね」。そして氏は「がんばる」という文字を「顔晴る(がんばる)」という文字で表わした。ただ足掻くだけではなく、結果として顔が晴れ晴れするようになれることが大事ということなのだろう。

再び考えた。分析しきれない、課題に昇華もできない「心のもやもや」。それは、気持ちを切り替えて、忘れてしまえばいいのではないだろうか。誰の言葉か失念したが、「神が人間に与えた最もすばらしい力は”忘却力”である」という。全てを忘れることが正しいとは思わないけれど、解決しようもないもやもやは、忘れてしまえば「顔が晴れる」のではないだろうか。


伊藤氏は、自分は話すことが専門ではないと、前置きして講演を始められたが、「こうあるべき」という内容ではなく、多くの人に考えさせ、気付きを与えてくれるすばらしいものであった。筆者も日々「なやみはつきねぇ」のだが、今回気付いた、「悩みの昇華」と「忘却力」でがんばって「顔が晴れやかになる」日々を過ごしていきたいと思った。

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2008.06.06

工場萌え・トマソン・東京タワー ~ものの見方を変えてみよう~

同じものも視点を切り替えれば全く異なって見える。そこから思わぬ価値が生まれることもある。「視点の切り替え」の例としてちょっと紹介しよう。

「工場萌え」をご存じの方は多いだろう。工場やコンビナートの複雑に絡み合った煙突や配管などの構造体、特に夜間照明に映える景観を愛でることを指す。公害問題のトラウマからか、工場は忌みこそされ愛されることのない存在であった。
しかし、そこに「美」を見いだしたのがイラストレーター石井哲である。SNSのmixi「工場・コンビナートに萌える会」というコミュニティーと「工場萌えな日々」と題したBlogを立ち上げ、昨年、『工場萌え』という写真集を出版した。各メディアでも数多く取り上げられたのでその内容は多言を要しないだろう。
工場の造形などにどうして「萌える」のかと思われる、未見の方は、是非、上記のBlog「工場萌えな日々」をご覧あれ。怪しく絡み合う配管と様々な構造体。煙突からの煙が照明に浮かび上がっている様は、まさに怪しい「美」そのものであると言えよう。筆者も一目で「萌え」てしまった。その「工場萌え」を本格的に体感したいなら「工場夜景クルーズ」がオススメだ。筆者も未体験だが、一度試せばものの見方や価値観が大きく変わることだろう。


「ものの見方と価値観の転換」という点では、もう一つオススメしたいのが「トマソン」である。「超芸術トマソン」と呼ぶのがフルネームだ。「トマソン」を知ったのは筆者が学生の頃なので、かれこれ20年以上。以来、タウンウォッチの趣味と相まって、続けている。
「トマソン」とは、「無用の長物」を意味し、かつて巨人軍に在籍していた、「全く打てない助っ人外人選手、ゲーリー・トマソン」の名に由来している。(ちなみに「無用の長物」として名を残しているのは何とも気の毒ではあるが、打っては、「舶来扇風機」、守ってもミス連発と、「トマ損」とまでいわれる始末だった)。転じて、何らかの理由で本来の機能が失われているにも関わらず、保持されているものを示している。
具体的な例では、窓や郵便の差し出し口が使われなくなって、壁として塗り込められた後にも残っている庇(ひさし)。このパターンは結構目にすることができる。または、行き着く先のなくなった階段などである。そこに不思議な芸術性を見いだしているわけだ。詳しくはウィキペディア(Wikipedia)の記述を参照していただいた方がいいだろう。
また、こちらも書籍「超芸術トマソン」として残されている。
「トマソン」の流行はとうに失われているが、これもまた、ものの見方を転換・視点の切り替えをした結果、無用の長物が芸術に昇華した結果であると言えるだろう。


最後にもう一つ。「東京タワー」。「東京タワーがきれいに見える場所」といえば、辻交差点から、前の赤羽橋交差点まで一直線に抜ける「三田通り」が人気スポットだ。特に最近道路の拡幅工事が行われ、東京タワーのすくっと立ち上がった偉容をより愛でることができるようになった。
さて、ここで 視点の切り替えだ。東京タワーの展望台に登って欲しい。そしてそこから三田通りを見下ろすと、拡幅工事と同時に切り替えられた暖色系に見える照明。車のテールランプの赤い色。何に見えるだろうか。
「地上の東京タワー」。三田通り全体が、横たわるタワーのように見えるとして、展望台の人気ビュースポットになっているという。


「工場萌え」と「トマソン」」と「東京タワー」。今回は3つの例を紹介したが、他にもちょっとした視点の切り替えで、思わぬ価値を発見できるかもしれない。いや、趣味の世界だけではないのだ。ビジネスの世界でも、視点の切り替えによって思わぬ成功を収めた例など枚挙にいとまがない。
固定観念や同じものの見方に捕らわれることなく、多面的なものの見方とフレッシュな視点を常に忘れずにいたいものである。

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2008.06.05

会社でお菓子を食べてはいけないの?

読者の会社では「会社でお菓子を食べる」という行為は容認されているだろうか?


<“男おやつ”はすっかり定着?――男性社員の約9割は職場でお菓子を食べる >こんな記事がしばらく前にネット上に掲載されていた。(Business Media誠)
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0704/03/news005.html

記事は電通消費者研究センターの「オフィスにおけるおやつ事情についての調査」を元にしたもので、<職場でお菓子を食べるかどうか、という質問>の回答が男女別で<「よく食べる」は男性19.0%、女性が36.3%。「ときどき食べる」は男性69.3%、女性53.0%>であり、<女性の方がよく食べているとはいえ、男性にも「オフィスでおやつ」の習慣は根付いていると言えそうだ。>

「男おやつ」とは、なかなか凄いネーミングだと思う。それほどに「男」、特に「男の子」ではなく、オトナの「男」と「おやつ」という言葉は結びつきにくい気がする。
なぜ、そういう感覚になるのかと、年齢別の回答に言及している箇所を見ると<男女ともに若い層ほどよくお菓子を食べている。>ということだ。筆者は40代前半にして老け込んでしまったのだろうか。

しかし、江崎グリコによる調査結果(ITmedia News)によると<江崎グリコは「『男おやつ』は日常的な職場風景になっている」としながらも、年齢が上がるほど「職場で食べるのはみっともない」と考えている傾向><「みっともないと思う」と答えた人の割合が上がり、50代は13.6%と、20代の倍以上>としている。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0609/08/news091.html

40代前半の筆者としては、「自分では食べないが、気にもならない」が正直な感想だったが、調べてみると、ネット上の各種掲示板などでも「職場のおやつは是か非か」は結構活発な議論がなされていた。そして、全体的な傾向としては不思議なことに、論理的で弁(筆)の立つ人の意見は「自粛すべき」という傾向が強いように思えた。それを書き込んでいる人の年齢は全く分からないけれど。

しかし、先の電通消費者研究センターの調査による記事は重要なポイントが記されている。
<職場でのお菓子のやりとりが話題づくりやコミュニケーションに役立っているかどうかを聞いたところ、52.5%が「とても役に立っている/役に立っている」と回答。お菓子のやりとりはしていない、と答えた人は1割しかいなかった。>
残念ながら、これは年齢別のブレイクダウンが記されていないが、「職場のコミュニケーションの媒介」として、お菓子が機能しているのは間違いないようだ。


さて、もう一歩考えを進めてみよう。同調査によれば、<お菓子を食べる目的は男女ともに「小腹を満たす」「気分転換」を挙げる人が多い>とある。
「気分転換」と「コミュニケーション」に加えて「仕事」「職場」という言葉の組み合わせで何を連想するだろうか。

「タバコ」と思い浮かべた人も多いのではないだろうか。

喫煙所、つまり「タバコ部屋」は「アンオフィシャルなコミュニケーションの場」として重要な役割を担ってきていたのは事実だ。そこでの会話の中には、実は優れたアイディアやイノベーションが潜んでいることも多い。また、部門や役職を超えて本音が語られるので社内の情報共有回路としても機能する。

しかし、日本の喫煙率は先進国の中では突出しているとはいえ、年々低下している。ビジネス環境においては、禁煙のオフィスビルも多くなり、喫煙者はかろうじて片隅に設けられたタバコ部屋か、館外の喫煙所で何とかニコチン補給をしている現状だ。冬の寒い日や雨の中、外でタバコを吸う姿は修行のようでもある。

もはや喫煙者はマイノリティーになりつつある。タバコをやめた、もしくは、そもそも吸わない、そんな人々がタバコの代替として用いているのが「お菓子」なのではないだろうか。ちょっとした気分転換は、何かを口に入れた方がよりリラックスするという人も多い。また、気分転換の機会に人と人とコミュニケーションを図るには、何か媒介があった方がいい。やはり手軽なのは「お菓子」だ。

筆者の前職は日米合弁の広告会社勤務だったが、米国のオフィスではオフィスの中央に、コーヒーや軽食をいつでも、誰でも取りに行けるコーナーがあった。その会社だけではなく、欧米のスタンダードだと聞かされた。一足先に完全禁煙が進んでいるあちらでは、このコーナーがタバコ部屋に代わる「アンオフィシャルなコミュニケーションの場」として機能しているのだ。


これからも「ちょっとタバコでも吸いながら話そうや」というスタイルはどんどん消えていくだろう。
「女もすなる、お菓子といふものを、男もしてみむとて、するなり」で広まりつつある「男おやつ」。 社内のコミュニケーションを円滑にし、また新たなアイディアやイノベーションを創発するためにはこれからは、男にも女にも、職場のお菓子は奨励されこそすれ、禁忌されるものではないはずだ。
もちろん、節度やマナーをわきまえてのことだけれど。

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2008.06.04

「せんとくん」に勝てない?「まんとくん」の悲劇

とかく評判の悪かった「せんとくん」の刺客として「まんとくん」が登場した。が、筆者は一目見たときに「こりゃイカン!」と思ってしまった。そのわけは・・・。

奈良県で2010年に開かれる平城遷都1300年祭のマスコットキャラクター登場したのが2月12日のこと。しかし、世間の反応は冷たかった。
平城遷都1300年記念事業協会によるデザイン案選定過程の不透明性や、デザインの著作権を500万円で買い取るという金額妥当性に対する疑義。デザインそのものにも、「可愛くない」「(頭に角を生やすなど)仏を侮辱している」と批判殺到だった。
そのガス抜きの意図も込めてか、委員会はキャラクターの愛称を公募し、4月12日に「せんとくん」という名前が決まった。

さて、こうした一連の騒動に対し、市民団体の「クリエイターズ会議・大和」が6月2日に「せんとくん」の対抗馬、もしくは刺客を発表した。その名は「まんとくん」。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0806/02/news073.html
デザインと名前の由来は<鹿のキャラクターが、朱雀門を模した帽子をかぶり、白いマントを着けたデザイン。白いマントには「1300年という節目、新たな気持ちで次代へ」という意味><漢字は「万人くん」で、万人に愛されて大きく育つよう祈りを込めて名付けたという。「万葉集」の万人、都に満ちる「満都」もかけた。>だそうだ。


と、コトの経緯と「まんとくん」の紹介は以上にして、筆者の感想。冒頭に記したとおり、「こりゃイカン!」である。残念ながら「まんとくん」は「せんとくん」をcheer up(盛り上げ)こそすれ、対抗も討つこともできないように思う。

多くの人が気付いたであろう。まず名前。
「せんと」に対して「まんと」。せんとくんの「せん」」は「遷都」に由来するのだろうが、「せん・まん」となれば「千・万」で、セットに感じてしまう。まんとくんのデザインも鹿なので、やはり角から離れられていない。
「せんとくん」対抗を意識し、それを上回ろうとするあまり、結果として似通った路線になってしまった感が否めない。


こうした「キャラがかぶる」という事態は「チャレンジャー」に取っては最悪なポジションである。悪評は多々あれど、投下費用や今までのメディアへの露出度からすれば、「せんとくん」は間違いなくディフェンディング・チャンピオンである。マーケティングの定石からすれば、チャレンジャーの戦い方は「徹底した差別化」である。「自分たちは違うんだ!」というポジションの示し方や、差別化要素をできるだけ多く盛り込んでアピールしなければ、チャンピオンの存在に「同質化」し消し去られてしまうことになる。
その意味からして、「まんとくん」は残念ながら、デザインでもネーミングでも「せんとくん」を超えることはできないように考えられる。

さらに注目したいのは、前述の通り「せんとくん」はメディアへの多数の露出で、世間の人々にある程度「慣れ」が生じていることだ。その影響は米国の心理学者、フェスティンガーの「認知的不協和理論」で説明できる。簡単に言えば、人は自分の認識にそぐわない要素(不協和)に対し、新たな要素を探してそれを弱めようとする心の働きがあるということである。

今回の例に当てはめて考えてみよう。
彦根城のキャラクター「ひこにゃん」に代表されるような、いわゆる「ゆるきゃら」は「なんとなくかわいい」という世間の共通認識が形成されている。
それに対して、何やら、かわいくない「せんとくん」というキャラクターが登場する。
ここに矛盾が生じ、不協和が発生する。
目の前の不協和を解消する新たな要素が提示されるまでは、不満を提示しているが、ここで「まんとくん」が登場してしまった。
残念ながら「まんとくん」のデザイン的な完成度はそれほど高くないように思う。また、前述の通り、「せんとくん」に対する強力な差別化要因も持っていない。
すると、「また似たようなキャラクターが出てきた」という認知のされ方がなされ、結果として「『せんとくん』でもいいんじゃないか?」という「認知的不協和の解消」が起こる。
もちろん、全ての人が同じように考えるはずはないのだけれど、ネットの書き込みなどを見ると「せんとでいいや」という発言も散見される。


今後、「まんとくん」がどのような運命を辿るのかは分からない。
アサヒコムの記事では、平城遷都1300年記念事業協会が<友達が生まれるのは歓迎したいが、公式キャラはあくまで『せんとくん』。『まんとくん』との共演は要請があれば検討したい>と余裕のコメントをしている。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200806020063.html
案外、「せんと&まんと」なんて、お笑いコンビみたいに仲良く活躍するのかもしれない。
しかし、選考過程や費用問題、デザインに対する疑義や不満を元に刺客として誕生した経緯からすれば、本来のミッションを果たせそうもないのは明らかだ。

「チャレンジャーは徹底した差別化に命をかけよ」。「まんとくん」は大きな教訓を示してくれたと考えたい。

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2008.06.03

クールにいこうぜ!

クールビズの季節がやってきた。


思い起こせばクールビズ元年の2005年7月に「cool!じゃない? クールビズ」などと題して、日経Bizplusにコラムを書いた。
(バックナンバー:http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2005/07/post_970d.html

ご丁寧に、E.M.ロジャースの「普及論」まで引っ張り出して、「どうせ飛びつくのはイノベーターだけ」として、ロジャー・ムーアの「キャズム論」まで持ち出し、「絶対に定着しない!」と断言した。・・・大ハズレ。

その後、同・日経Bizplusで10月に初年度の総括としてロジャースの「普及要件」を用いて、前期多数採用者(アーリー・マジョリティー)までは採用するので、50%程度まで普及するのではと訂正した。
http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2005/10/__700c.html

昨年の内閣府の調査では、「クールビズを実践している」との回答は46.6%だったので、現在の所は修正予測まではハズレていないと言うことだろうか。


筆者は当初、「ネクタイを外しただけのオジサンみたいでカッコワルイ」とアタマから拒絶反応を示していたが、なかなかにオシャレな装いが百貨店などに揃っているようになった。かなりビジネスっぽくないものでも、クールビズ4年目ともなれば、世間もだいぶ許容してくれるようになってきたようだ。
実践してみると何より楽だし、涼しい。
クールビズの要諦である、「冷房温度を28℃までに」も、湿度と窓際の直射日光さえなければ、かえって不自然に身体が冷え過ぎないので調子がいい。


さて、4年目の今年はどうなるだろうか。


古新聞も、ネット上のリンクも探せなくなってしまったのだが、連休明け頃の新聞では、「4年目に入りさすがに定着したので、今年は百貨店各社もあまり大げにコーナーを作ったり、”クールビズファッションショー”などはやらない模様」と伝えられていた。
しかし、例えば伊勢丹などはなかなかナイスなスタイルを提案してくれている。

<伊勢丹の最新クールビズ 今年はジャケット&タイ >
http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200806010004a.nwc
あえて、タイド・アップというのもいい。タイは<目の粗いシルクのフレスコ織り>がオススメという。また、<ノーネクタイ派には胸元を飾るピンズ>だそうだ。襟元のピンズは筆者の愛用アイテムなのであまり流行って欲しくない気もするが・・・。

ともあれ、<昨年までは、軽くて清涼感のあるスーツなど機能面が重視されたが、今年はファッション性を打ち出したい>とのことなので、今年は一工夫いりそうだ。


が、どうやらイヤイヤ実践する人もいるようだ。

<福田首相 来月から渋々クールビズ>リンクが残っていないので、北海道新聞から引っ張る。http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/94799.html

<首相は会社員時代からの習慣で「仕事中は背広」との考えを持っており、二〇〇五年のクールビズ導入後も服装を変えなかった。>が、<北海道洞爺湖サミットで議長国として温暖化問題への姿勢をアピールする立場上、こだわりは捨てざるを得ないと判断した>そうだ。
そんな、意固地になってやるほどのことじゃないと思うのだけれど。

福田首相に伊勢丹の「目の粗いシルクのフレスコ織りのネクタイ」オススメだ。バッジも外して「ピンズ」に代えればもっといいだろう。


しかし、「率先垂範」なのか、霞ヶ関では黙々と官庁の人々がクールビズを実践している。
<クールビズ進化? 官庁スタート 環境重視、マイはし提案も>
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008060202014500.html

さすが旗振り役。<環境省は今年、マイバッグやマイはしの持参など、環境への配慮をさらに重視した「クールビズ・プラス」を提案>加えて、<紙の消費を減らすための両面コピーや、リサイクル促進によるごみ削減、公共交通機関を利用した外出、一階分程度の移動は階段を上り下り>だそうだ。

「当たり前」と言うなかれ。カタチだけではなく、暑ければ服を身軽にし、不要な使い捨てのモノを排除。無駄の削減と省資源。言うは易く行うは難しだろう。「有言実行・凡事徹底」。

他の省庁も是非見習いつつ、各々の課題に対し、「有言実行・凡事徹底」をお願いしたい。


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2008.06.02

コモデティー戦争の一つの形。低価格PCカラーバリエーション競争の予感。

このBlogで低価格PC、ASUS社EeePCのことを何度かお伝えしている。
(最終記事はこちら→Eee PC使いこなし術
そして、先週末、ヨドバシカメラ店頭にてそのEeePCの新展開を発見した。

何と、「カラーバリエーション化」である。
ASUS社Webサイトの製品情報にも掲出されている。
http://eeepc.asus.com/jp/product.htm

もともと、ホワイトとブラックのバリエーションがあったが、何とも愛らしいパステルカラーのスカイブルー/ラッシュグリーン/ブラッシュピンクが追加された。
先の「Eee PC使いこなし術」で記したように、このPCは限られたスペックを上手に使いこなすには結構コツがいるのだが、これだとそんなことお構いなしに初心者やカワイイモノ好きな人が飛びついてしまいそうだ。

「カラーバリエーションにだまされちゃいけないぜ」と思いつつも、ところがどっこい、まだ日本未発売なれど、筆者の物欲メーターが振り切れんばかりの製品情報をキャッチしてしまった。

DELL社のEeePC対抗・高性能低価格ノートPCである。
それに先駆けて、アメリカのHP(ヒューレット・パッカード)社がEeePCに対抗して同価格帯のミニノートパソコンの日本発売を発表していた。
どちらもEeePCよりハイスペックになりそうだが、筆者としては、かえってロースペックによる制約事項が多いEeePCの使いこなしを天の邪鬼的に楽しんでいるので、高機能化には興味がない。
しかし、DELLのはいけない。発売されればすぐに飛びついてしまいそうだ。
上記リンクを見ていただければわかるとおり、本体の天板が何とも美しいレッドカラーなのだ!
(ちなみに、筆者のメインマシンであるLet's noteは直販サイトで買ったカラーバリエーションの天板レッドタイプ。)


さて、ここまで実にオタクな記述を連ねてきたが、ちょっとまじめに話を進めたい。
昨今、ノートPCは筆者が購入したような、直販モデルだけでなく、店頭量販モデルでもカラーバリエーション化が盛んだ。
例えばソニーのバイオ・タイプC
または、NECのLaVie L

量販店の店頭モデルはいつ、誰が買っていくかわからない。当然流通在庫が多くなる。不効率である。
しかし、もはやノーPCはコモデティー化している故、差別化が図れない。そこで、カラーバリエーションとなる。

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筆者は昨年4月にこの傾向を「花盛りのカラーバリエーション戦略が発するシグナル」というコラムで指摘したが、1年強経って、その傾向は一層顕著になってきているように思われる。
何故、カラーバリエーションがコモデティーにおいて顕著になるかは上記リンクでコラムを確認いただきたいが、その要諦であるフィリップ・コトラーのフレームワークで紐解いたノートPCの価値構造(5層モデル)の図を再掲する。
つまりは、本来求められても、明らかに期待されている部分でもない、目の前に提示されればうれしいというような、潜在的な価値の部分でしかもはや競争ができなくなっていることを表しているのだ。


さて、低価格PCに話を戻そう。
低価格PCは低価格である故、投下できるコストが限られている。少し前の世代のCPUやOSもXP-Home(これはある意味、結構なことだが)だし、液晶サイズも小さい。DELLやHPが指の太い米国人にはさぞや扱いにくいだろう小さなキーボードを搭載したミニノートを発売するのは、液晶サイズを大きくしたくないということが一因だろう。低価格化が進んだとはいえ、液晶はまだまだ高い部品だ。
故に、様々な枯れた技術や部品の組み合わせの妙を競い合うことはできても、各社とも画期的な差別化は低価格PCでは図りにくい。
そこで、「カラーバリエーション」なのではないだろうか。

流通在庫はやはり問題だが、一つには小型ノートなので、パッケージが小さいことがあげられる。EeePCを購入したときのパッケージは一昔前のパッケージソフトの箱を一回り大きくしたようなサイズだった。物理的に在庫スペースをとらないのは大きいだろう。
もう一つは、やはり価格だ。流通在庫が発生するとしても、高価格な製品を抱えるのと低価格なのではずいぶんと条件が異なるはずだ。また、EeePCは発売直後、すぐに店頭完売をしてしまったように、在庫回転率が高いとも考えられる。

普通のやり方をすれば、カラーバリエーションは危険なうち手であるが、こと、低価格PCに関しては極めて有効な施策となるのだ。
いよいよノートPCも電卓並みのコモデティー商品になっている。電卓ならカラーバリエーションも奇抜なデザインでも何でもアリだ。
ますます、これからも低価格PCはビックリするような製品の登場が予想される。通常のPCとは別モノと考えた方がいいだろう。今後の動静に注目である。


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