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2008.05.26

「雨が降るまで祈る」のか「太陽が出るまで踊る」のか?

東京界隈は週末に雨が降り、あと少しで梅雨の季節がやってくるのだと思った。
と、同時に雨はビジネスシーンでたびたび語られる佳話も思い出させてくれた。


ご存じの方も多いだろう。「ある部族が日照りに雨を乞う祈りを捧げると、必ず雨が降る」というものだ。なぜ、雨乞いが必ず叶うのかといえば、「雨が降るまでひたすら祈るから」だという。転じて、ビジネスシーンでは「諦めずに続けることの大切さ」という訓話に用いられる。


今日、景気は不透明感を増している。日経新聞の景気予測、「日経の産業天気図」は産業別に景況が天気のマークが描かれるが、4~6月は「曇り」が過半となっていた。この後「梅雨入り」の様相を呈するのではないだろうか。雨乞いとは全く逆で、一刻も早く不景気という雨雲が去り、太陽が顔を出すことを祈らずにはいられない。

思い起こせば2001年、ITバブル崩壊やデフレ不況の頃。筆者が勤務していた会社では、クライアントへの提案がなかなか通らず、受注できたとしてもプロジェクトの規模が小さくなかなか収益が上がらなかった。
当時、提案が通らないのであれば、提案数をひたすら増やそう。受注規模が少ないのなら、何とか数をこなそうと必死だった。止まない雨はないと信じて、雨模様の空から日が差すまで、祈り続けていたようなものだ。


だが、考えてみれば、「雨乞い」と違うことがある。雨乞いの訓話は「諦めないこと」としては重要だが、祈りと降雨に直接的な因果関係はないはずだ。祈る以外にできることがないときに、部族の結束が離散することを防ぐ効果はあるだろうが、事態打開策にはなっていないだろう。

やはり、日差しを望むなら別の話を思い出した方が良いのではないだろうか。

古事記における高天原(タカマガハラ)の神話。太陽神である天照大神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸(アメノイワト)に隠れてしまい、世の中が闇に包まれた。そこで、鈿女(ウズメ)が岩戸の前で一心不乱に舞い、その様子を見に顔を出した天照大神を、手力雄(タヂカラオ)が引きずり出した。

「雨乞い」で祈りと降雨の直接的な関係はない。しかし、「高天原」では太陽を呼び戻すという結果を出すために、「舞い」という奸智と、「引きずり出す」という強引さをもってまで事態打開を図っている。


「雨が降るまで祈る」のか「太陽が出るまで踊る」のか。

企業文化や個人の性格にもよるだろうし、あまりの狡猾さや強引さは企業活動においてはコンプライアンスの問題もあるかもしれない。
しかし、祈るだけではもはや今日の環境は改善しないようにも思う。

雨の日に少し考えてみた次第だ。

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