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19 posts from May 2008

2008.05.31

ご当地駅貼りポスターキャンペーン

<少年ジャンプの歴代人気キャラが駅貼りポスターで競演、缶コーヒー「ルーツ」キャンペーン>
http://markezine.jp/a/article/aid/3813.aspx

<アラレちゃん、悟空、両さん…今年40周年を迎える「週間少年ジャンプ」の歴代人気漫画キャラクターが、JTの缶コーヒー「ルーツ」のキャンペーンポスターに登場。駅ごとに変わるご当地ポスターも展開する。>

・・・とのこと。
首都圏、大阪、名古屋、福岡、札幌の5エリア171駅で展開しているそうです。


プランナーの美谷広海氏がBlogで<CGMの威力を利用して全パターンをみんなで集めてみたいところです(笑)>と呼びかけていたので、早速3つばかり集めてみました。

青山一丁目・市ヶ谷・錦糸町。

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美谷氏の言うように、みんながアップして、リンク集なんかできるとおもしろいですね。
今日もどこかで見つけたら追加してみようっと。

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2008.05.30

壊れない傘のご提案:だから「ビニール傘」はやめようぜ!

まずは、以下の画像を見てほしい。

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自宅近くの歩道脇にうち捨てられたビニール傘。死屍累々。
雨が降るたび、いくつかの残骸が散見され、ちょっと風が強い日はこのような有様になる。

3月21日に「脱・使い捨ては、まずこれから」と題して、ビニール傘でなく、もっと丈夫な傘を使おうと記したが、逆に何やら最近、遺棄される傘の残骸は、その数が増している気がする。

地元の駅周辺だけではない。
5月21日に神奈川のJR大船駅では80本以上の傘が捨てられていたという。
<神奈川新聞社ローカルコミュニティーサイト”カナロコ”より:嵐にマナーも置き去り?/大船駅に壊れた傘ずらり>
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiiimay0805374/

以前にも触れたが、日本の年間雨傘消費量は1億本だという。多くは使い捨てられるビニール傘ではないだろうか。

大学で学生に聞いたところ、ビニール傘は「存在自体が主張しないのでファッションに合わせやすい」とか、「カジュアルな気分にぴったり」という意見もあった。「傘を深く差しても前方の視認が効き安全」という意見もある。確かにそうかもしれない。だが、すぐ壊れるのは事実。


再三にわたってこのテーマで恐縮なれど、また傘の提案だ。

前回紹介したのがこれ。
通常の倍、16本の骨が優美なシルエットを描き、風雨にも強い、皇室御用達「前原光榮商店」の傘。

もう一つ、実は筆者はこれも最近愛用している。
24本もの骨で強風にもびくともしない傘
但し、骨が多いので少々重い。また、強風で折れることはないが、その風を受けた傘を支えるのは、結構膂力を要する。

なので、その弱点を克服した、最終兵器はこれだ。現在、筆者の物品購入リストのトップランクに入っている。
オランダ製・時速100キロメートルの風に耐えられる傘
傘の中心が前にずれていて、背中まですっぽり包み込まれる。また、<風の流れの中で傘が自然に動いて、風の抵抗を抑えながらベストなポジションを維持する>という優れものだ。


すぐに、安くに買えて、ぽいと捨てられるビニール傘は気軽かもしれないが、風にあおられて傘が壊れる瞬間の姿は結構ギャグっぽい。また、その後濡れそぼって歩く姿も惨めではないだろうか。

筆者の価値観を共用するつもりは毛頭ないが、「もったいない精神」が注目されている今日、ここらで一本、壊れず、長持ちする傘の購入を検討されてはいかがだろうか。
東京地方の雨は週末まで続くようだ。
また、梅雨の季節もすぐそこまできている。
是非。

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2008.05.29

「起業家」ではなく、「職人」としての生き方と仕事術

筆者は40歳を前に、3社、16年に渡るサラリーマン生活に終止符を打ち、独立・起業し、現在4期目に入っている。昔の言葉でいえば「脱サラ起業」となるのだろうが、しかし、同じような経緯を辿った人でも意外とその狙いやゴール設定、そして仕事術は異なるようだ。そうして考えると、自らは「起業家」ではなく、「職人」なのだと改めて感じた。


大学で非常勤講師として「ベンチャービジネスとマーケティング論」という講義を持っている。売り手市場となった就職戦線を反映し、学生の起業熱はここ2年ほど低い状態にあるが、4年ほど前は、なかなか内定がもらえず「起業して一発逆転」を夢見る者もいた。「ヒルズ族」華やかなりし頃であったため、無理からぬことではある。
しかし、翌年からライブドアや村上ファンドの問題が続々と露わになり、一方、景気も上向き就職も希望が叶いやすくなってきたことから、前述の通り学生の起業熱は低下していった。現在、それでも起業したいという希望を持っているのは、いわゆる「好きを仕事にしたい」という考えの者だ。デザインだったりITだったり、はたまたイベントや飲食など、自分の好きな道で食べていきたいという、言ってみれば学生らしいピュアな希望に戻っているように感じる。

学生らしい起業希望理由は上記の通りなのだが、社会経験を積んだ上で起業する人にも同じような分類が当てはまるのではないかと最近思うようになってきた。いわゆる「起業によって大きなチャンスを手にしよう」というのか、「好きを仕事にしよう」とするのかである。


筆者の場合、サラリーマンとしての最終役職は部長職であった。部長職といってもプレイングマネージャーであったのだが、経営層から徐々にマネジメントに徹せよというプレッシャーが高くなってきた。
「40歳を前に自らの成長を止めたくない」。が、独立の理由であった。「職人道を極める」ことを目標としてみようと思ったのだ。「マーケティング職人」である。つまり、職人として、好きを仕事にしようというわけだ。(ちなみに、マーケティングという領域は広いが、筆者は「マーケティング・コミュニケーション」が専門であり、「顧客との関係最適化」が得意領域である。)
職人故、会社規模を大きくしようという計画はない。また、間違ってもIPOをして、上場益をエンジョイしようというような野心は全くない。

お一人様起業で、職人としてビジネスをしていく最大のメリットは、人を抱えているリスクがないということだ。人件費は仕事があろうとなかろうと、その人材が優秀であろうとなかろうと、常に一定の支出として発生する。筆者は一昨年、不慮の事故で1ヶ月半の入院生活を送ったが、独立2年目の時点で社員を抱えていたら完全にアウトだったと思う。もちろん、自分が稼がなければ誰も稼いでくれないというのは正反対の弱点にもなるのだけれど。

一方、お一人様職人の最大の弱点は、自らの手に余る仕事は受けられないということだろう。しかし、これは実は解決できる。昨今、一人で仕事を切り盛りしているコンサルタントやプランナー、デザイナーは実は大勢いる。その「横つながり」をうまく作ることができれば、それなりに大きな規模や、自分の専門領域でない部分が含まれるプロジェクトに手を出すこともできる。
お互いの実力を認め合った職人同士が得意技を出し合ってプロジェクトを推進する。最近、このやり方が実にうまくいっている。マンガやアニメでおなじみの「ルパン三世」になぞらえて、「ルパン一家方式」とよんでいる。もっと大きなプロジェクトで専門特化した職人が大勢必要になれば、映画になぞらえて「オーシャンズ11方式」にしてもいいのだろう。

上記のような仕事のやり方は、個人が組織に縛られたり埋没したりしていては実現できない。しかし、昨今は企業の看板ではなく、個人個人が自らの実績や信用で仕事ができる時代になってきたと言えるだろう。

独立する。起業すると言っても、様々な目標や目的があるだろう。今回は筆者自らの経験を元に、お一人様起業で職人道を目指し、横つながりでプロジェクトを展開するという仕事術もあると紹介をした。
ともあれ、独立起業する際に、自分はあくまで「起業家」を目指すのか、「職人」を極めるのかを考えるのは大事なことではないだろうか。もちろん、途中で路線変更は可能であるだろうが、出だしの方向感は自ら認識しておいた方がいいだろう。学生でも、これから独立をしようという社会人でも、一つの検討ポイントとして、参考になれば幸いだ。

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2008.05.27

“現場に効く”マーケティングの基本理論・第7回

※5月28日・加筆修正。図表が抜けておりましたので、掲出します。


インタラクティブマーケティングの専門誌「月刊im press(アイ・エム・プレス)」5月号が発売されましたので、連載バックナンバーをアップします。
本誌では連載第7回が掲載されています。


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「“現場に効く”マーケティングの基本理論」


あまりに“基本”と思われ忘れられているようなマーケティング理論。しかし、日々の業務が行われる“現場”で今一度振り返ってみれば、思わぬ“再発見”があるのだ。


第7回「”ポジショニング”こそが最大の山場!」


前回は戦略市場とターゲットの選定として、「セグメンテーション」「ターゲティング」を考えたが、具体的な戦略立案の最大の山場はこの「ポジショニング」にある。「ポジショニングがしっかりしていなければ売れない」といっても過言ではない。


■KBFとポジショニング

 ポジショニングとは「ターゲット顧客からみて自社が魅力的に見えるようにすること」と「競合と比べても優位に見える様に特徴づけること」である。具体的に考えるためにも、連載第3回に紹介した「KBF(Key Buying Factor)」という言葉を思い出して欲しい。KBFとは「顧客が購入に踏み切る理由」であり、顧客が認める「価値」である。マーケティングとは「価値の交換活動」だ。その「価値」が明確になっていなければ対価を得ることはできない。「価値」を顧客に伝えるのがこのポジショニングなのである。


■自社の魅力を伝える

 自社の独自性を一言で明確に伝えられているポジショニングの例を挙げるならば、高級乗用車がわかりやすい。「コトラーのマーティング・コンセプト」(フィリップ・コトラー著・恩藏直人監修・東洋経済社刊)の「ポジショニング」の項で欧州の自動車メーカーのポジショニングが解説されている。ボルボが「最も安全な車」。BMWが「究極のドライビング・マシン」。どちらも顧客にとっての提供価値が明確であり、それがポジショニングとなっている。一方、コトラーはGM(ゼネラル・モーターズ)不調の原因の一端を「ポジショニングの不明確さ」にあると指摘している。フルラインナップメーカーにありがちな、どんな車もあるが、全体としてどこがいいのかが伝わらないとの主旨だ。
 そう考えると、ある時からトヨタが「エコ」を強力に押し出してきたのも合点がいく。同じフルラインナップメーカーでありながら、「環境負荷の低い車を作る」という、今日的でわかりやすく、かつ、あらゆる生活者にとって重要なポジショニングを取ったわけだ。このように、「自社ならでは」のポジショニングが示せるか否かは企業にとって大きな問題となるのである。


■ポジショニングマップを使って整理する

 前述のような「一言で明確に示せるポジショニング」は、誰も真似できない自社独自の魅力が示せる場合の例だといえる。提供価値とマッチした価値観を持つ顧客を、誰とも争うことなく獲得できる戦略だ。しかし、それを実現するのはなかなか難しい。実際には競合との比較優位の中で自社の魅力を伝えていく場合の方が多くなる。比較優位を示すためには、何らかの「評価軸」が必要となる。それを示すものがポジショニングマップである。
 二軸で区切られた四象限のどこにポジションを取るかで、ターゲット顧客の頭の中に明確なイメージを抱かせるのがポジショニングマップであり、伝わりやすさが勝負である。


■ポジショニングマップの「軸出し術」

 上記の「わかりやすさ」のキモとなるのは何といっても「軸の設定」だ。マーケターはたった二つの軸で、顧客にとって自社の魅力がいかに競合より明確になるかと腐心する。
その手順は以下の通りだ。


1)顧客にとってのKBFを洗い出す。

 軸とは、即ちKBFである。価格、品質、大きさ、商品バリエーション、CSランキングなどなど・・・。その商品・サービスのKBFとなる要素を余すところなく洗い出す。

2)KBFの重要度を見極める

 上記のKBFのから、ターゲットとなる顧客セグメントにおける重要度を把握する。感覚的に配点を付けてしまうことも実際には多いが、できればアンケートなどを実施して裏付けを持った方がいいだろう。

3)二軸として成立するかをチェックする

 KBFとなる軸を二つ設定したら、それがきちんと二軸となるか見直してみる。例えば、「価格×品質」のような関係になっている場合は要注意だ。一般に「価格の上昇に伴い、品質も向上する」という、いわゆる「バリューライン」の関係が表れ、価格の高低と、品質の高低で斜め一列に配列されることになる。これでは、自社がよほど「コストパフォーマンスに優れている(低価格で高品質)」という突出した特徴を持っていなければ「当たり前」な結果となり、優位性は示せない。
 もう一つは、二軸の各々が似た意味過ぎて直交しない場合だ。「取扱店が多い×いつでも手に入る」は、一見「どこでも・いつでも」を表わしているようだが、「取扱店が多い」の一つの軸でほぼカバーできる内容となってしまっている。ターゲット顧客にとって「なるほど!」と魅力を感じさせられなければ意味がない。

4)きちんと競合優位性が示せているか

 芸人にとっての致命傷は「キャラがかぶる」ことだ。同じような芸人がいては面白くも何ともない。つまり、ポジショニングがかぶっているということ。自社の魅力が示せるマップが描けても、競合もマップに落としてみたら、同じようなポジションに並んでしまった・・・としたらやり直しだ。もう一度1のKBFに戻って、軸を設定し直すということになる。

5)顧客にとって魅力あるポジションが言い表せているかチェックする

 例えば一度「価格が安く・便利な多機能」というマップを書いた。しかし、競合とあまり差が出なかったとする。(図1)もう一枚「加えて、軽量コンパクト・操作性に対する評判が高い」でようやく独自性が出たとしよう。その場合、自社の競合優位な魅力は「低価格だが機能満載。さらに軽量コンパクトで操作がしやすい」となる。総じて「初心者にやさしい」などというように表せるだろう。(図2)これならターゲット顧客に伝わる。このように具体的になっていることがポイントなのだ。
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■キモとなる「軸出し」は何度でもやり直せ!

 前項の3や4で気づいたことと思うが、ポジショニングマップを書くときの一番の注意点は、「一発でかけると思うな」なのである。ポジショニングマップを書く作業は、ああでもないこうでもないと盛り上がるが、やがて本当にしっくりくるマップが書けずに、げんなりしてくる。しかしそれは健全なことで、「まぁ、こんなもんか」」と書かれたマップは魅力も納得感もないものになる。めげずに何度でもやり直し、何枚でも何枚でも書く根気が求められるのである。
 ここで心がけてもらいたいのが「顧客視点」である。売り手の気持ちだけで書いたマップなど魅力は何度書いていても出てこないだろう。重要なのは、顧客の立場に立って魅力を表わしていくことなのだ。


いよいよ次回からは具体的な施策立案入る。おなじみ、「マーケティングの4P」だ。ご期待いただきたい。


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2008.05.26

「雨が降るまで祈る」のか「太陽が出るまで踊る」のか?

東京界隈は週末に雨が降り、あと少しで梅雨の季節がやってくるのだと思った。
と、同時に雨はビジネスシーンでたびたび語られる佳話も思い出させてくれた。


ご存じの方も多いだろう。「ある部族が日照りに雨を乞う祈りを捧げると、必ず雨が降る」というものだ。なぜ、雨乞いが必ず叶うのかといえば、「雨が降るまでひたすら祈るから」だという。転じて、ビジネスシーンでは「諦めずに続けることの大切さ」という訓話に用いられる。


今日、景気は不透明感を増している。日経新聞の景気予測、「日経の産業天気図」は産業別に景況が天気のマークが描かれるが、4~6月は「曇り」が過半となっていた。この後「梅雨入り」の様相を呈するのではないだろうか。雨乞いとは全く逆で、一刻も早く不景気という雨雲が去り、太陽が顔を出すことを祈らずにはいられない。

思い起こせば2001年、ITバブル崩壊やデフレ不況の頃。筆者が勤務していた会社では、クライアントへの提案がなかなか通らず、受注できたとしてもプロジェクトの規模が小さくなかなか収益が上がらなかった。
当時、提案が通らないのであれば、提案数をひたすら増やそう。受注規模が少ないのなら、何とか数をこなそうと必死だった。止まない雨はないと信じて、雨模様の空から日が差すまで、祈り続けていたようなものだ。


だが、考えてみれば、「雨乞い」と違うことがある。雨乞いの訓話は「諦めないこと」としては重要だが、祈りと降雨に直接的な因果関係はないはずだ。祈る以外にできることがないときに、部族の結束が離散することを防ぐ効果はあるだろうが、事態打開策にはなっていないだろう。

やはり、日差しを望むなら別の話を思い出した方が良いのではないだろうか。

古事記における高天原(タカマガハラ)の神話。太陽神である天照大神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸(アメノイワト)に隠れてしまい、世の中が闇に包まれた。そこで、鈿女(ウズメ)が岩戸の前で一心不乱に舞い、その様子を見に顔を出した天照大神を、手力雄(タヂカラオ)が引きずり出した。

「雨乞い」で祈りと降雨の直接的な関係はない。しかし、「高天原」では太陽を呼び戻すという結果を出すために、「舞い」という奸智と、「引きずり出す」という強引さをもってまで事態打開を図っている。


「雨が降るまで祈る」のか「太陽が出るまで踊る」のか。

企業文化や個人の性格にもよるだろうし、あまりの狡猾さや強引さは企業活動においてはコンプライアンスの問題もあるかもしれない。
しかし、祈るだけではもはや今日の環境は改善しないようにも思う。

雨の日に少し考えてみた次第だ。

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2008.05.23

トヨタ「パワーポイント禁止」の主旨が歪みませんように!

ダイヤモンドオンラインがトヨタに関して報じた情報が、予想以上のスピードで、ネットで、またリアルのビジネスシーンで伝わっているようだ。筆者は基本的には賛成だが、その主旨が伝播の課程で歪まないよう願っている。

同サイトの記事のタイトルは<トヨタグループが「パワーポイント」自粛令!?>だ。
http://diamond.jp/series/analysis/10003/
タイトル下のサマリーは以下のようにまとめられている。<トヨタグループ内で、マイクロソフトの「パワーポイント」使用の自粛ムードが広がっている。事の発端は、コスト削減を求める渡辺社長の発言だった。それにしてもなぜパワーポイント自粛なのか?>

渡辺社長の発言は5月8日の決算発表におけるものだということだが、その主旨は、トヨタらしい「無駄の追放」だと解釈すべきだろう。その言葉は以下のように紹介されている。
<「社内の意識はまだまだ甘い。昔は1枚の紙に(用件を)起承転結で内容をきちんとまとめたものだが、今は何でもパワーポイント。枚数も多いし、総天然色でカラーコピーも多用して無駄だ」>

ここでいう「無駄」とは、
1.経費の無駄
2.資源の無駄
3.作成時間の無駄
4.読み手に費やさせる時間の無駄
の以上の4つに分類できる。

確かにトヨタの社長が見る資料においては、ほぼ間違いなく1~4の主旨で指摘の通りだろう。しかし、時と場合によりけりなこともある。ダイヤモンドオンラインが伝えるように、<トヨタを頂点とする産業ピラミッドの隅々にまでその鶴の一声は行き渡り、実際にパワーポイントやカラーコピーの自粛ムードが急速に広がっている>というのは少々困りものだ。1~4をきちんと分解して、無駄の中の明らかな「冗費」の部分だけを削減したいものだ。

1の社内経費の無駄は、どの企業でも看過できないはずだ。2の環境も各企業がCSRに配慮している中、無視できない。しかし、当然のことながらカラーの方が分かりやすい場合も少なくない。実際においては、そもそも、ハードコピーの配布が必要なのか。それはカラーの必要があるのかという見直しから着手したい。

3の作成時間と4の読み手の時間の無駄も、確かに昨今のパワーポイントのプレゼンはボリュームが多く、アニメーションが多用されていたりと、作成にも説明にも時間がかかるものが多い。
それに対し、渡辺社長は「一枚にまとめよ」とカイゼンの指示をしている。これは、ある意味正しい。
役職者、特に役員レベルに対してプレゼンを行う場合、短ければいわゆる「エレベーターピッチ」に近いものになることが多い。エレベーターに乗り合せて、そのチャンスに目的階に着くまでにプレゼンするのがエレベーターピッチだ。そこまで短時間でないにしても、10分と時間がもらえないこともある。この場合「一枚にまとめる」は有効だ。役員レベルともなれば、その短時間での判断を行う能力を有しているのが前提なので、プレゼンの受け手も時間拘束されないで済む。


 しかし、1枚のまとめが万能でないことも事実である。問題はプレゼンを作るプロセスと、その内容にある。
 筆者の最初の会社は大手通信キャリアグループであったが、当時は「全てB4一枚にまとめること」がルールだった。B4というあたり、昔話っぽいが、もしかすると今はA3一枚になっているかもしれない。この一枚というのがなかなかクセ者で、確かに読み手は一覧できるし、プレゼンも短時間で主旨を伝えられる点は前述の通りメリットだ。しかし、そこに要素を押し込む課程でかなりの苦労をし、時間もかかる。うまく詰め込めたとしても、どうしても言葉足らずになってしまうのだ。

冗長なプレゼンや枚数ばかり多い企画書・報告書などの資料は確かに最悪だ。しかし、プレゼンも企画書も、そこから明確なストーリーとメッセージが伝わらなければ意味がない。誰が聞いても、読んでも正しく伝わることが必須条件である。特に資料はプレゼンを聞いていない人が読む場合もある。つまり「一人歩きしてもきちんと読み手に伝わる」かどうかは重要なポイントだ。となれば、パワーポイントで作るのかどうかはともかく、基本はやはり「1シート1メッセージ」となるだろう。
過去に「1シート1メッセージ」での作成術を記した記事があるので参照されたい。(パワーポイントでの作成を例にしている点はご了承いただきたい)。
http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2008/02/post_6eea.html


トヨタの渡辺社長の発言主旨は、「資料作成の時間や印刷に至るまで、コスト削減できるプロセスや資材はないか徹底して見直せ」ということなのだろう。
前述の通り、社長への短時間でのプレゼンはその言葉通り、「1枚」にまとめた方がいい。しかし、その言葉の主旨ではなく「1枚にまとめる」を金科玉条とは解釈ない方がいい。無理に1枚にまとめるための無駄なプロセス。言葉足らずから起きるミスコミュニケーションで生じる損害などを十分考えるべきなのだ。


資料を作成するということは、何かを「伝える」ということだ。伝わるためには、「ストーリー」と「メッセージ」が最も重要で、資料はそれを正しく伝えるための道具である。プレゼンという行為もまた然り。努々(ゆめゆめ)、「型」を意識しすぎてその主旨を忘れないようにしたい。

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2008.05.22

ホワイト家「お父さん」とエリマキトカゲ

歩行者天国を散策していたカップルの女性が、ふと「あ、お父さん」とつぶやき、彼氏が「あ、ホントだ」と言った。偶然、彼女の父親と出くわしたのかと思いきや、その視線の先には・・・

・・・飼い主に連れられた一匹の白い日本犬がいた。二人だけではなく、道行く人々が口々に「お父さんだ」「かわいい」とほめそやしていた。もはや「白戸(ホワイト)家のお父さん」は日本の父親の代表になったようだ。

よくできた広告は、大流行し、一種の社会現象をおこす。特に概ね単一民族で構成されている日本においては価値観や行動の同質性が高いため、その傾向が顕著なようだ。ソフトバンクモバイルの広告は、CM総合研究所による、会社別・作品別・銘柄別のCM好感度で07年8月から三冠を7回獲得しているほどの大人気。もはや白戸家の人々と、特に「お父さん」を知らない人はほとんどいない状況だ。


日本中が誰でも知っている、一種の社会現象となったCMといえば、「エリマキトカゲ」を記憶している人も多いのではないだろうか。1984年放映なので、あまり若い方は分からないかもしれないが。
岩混じりの砂漠を、首に奇妙な傘を広げたような器官を持ったは虫類が、後ろ足で立ち上がり、がに股でドタドタと走り回っている映像は非常にインパクトが高かった。当時、そのは虫類「エリマキトカゲ」は一種のブームにもなり、小学生などはそのユーモラスな走る姿を模して遊んだものだった。

さて、では「エリマキトカゲ」のCMを覚えている方、問題です。何のCMだったでしょうか?
・・・「自動車」と思い出せた方。いいセンいってます。では、どのメーカーの、何の車種だったでしょうか?
・・・答えは三菱自動車の「ミラージュ」。ほとんどの方が覚えていなかったのではないだろうか。「何十年も経てば忘れていても無理ない」という意見もあるだろうが、実は放映当時も、商品の想起率は非常に低かったという。


生活者の購買態度変容を表わすモデルに「AIDMA」がある。生活者に商品を認知させてから、購買させるまでをAttention(認知・注意喚起)→Interest(興味獲得)→Desire(購買欲求喚起)→Memory(記憶)→Action(購買喚起)の5段階に分けて考える。最初のAから最後のAまでの段階を、広告や広報、販売促進、人的販売などによって進めていくのがポイントだ。その中で、広告はAttentionかInterestあたりまでを担うと言われている。

「エリマキトカゲ」はAttentionは抜群だった。しかし、映像の動物と商品が結びついていなかったのが問題だった。「史上元も有名で、効果がなかったCM」などと評する口の悪い広告関係者もいる。「面白い!」とInterestを獲得できているじゃないかと思われるかもしれないが、Interestはあくまで商品に対する興味を獲得しなくてはならないのだ。

転じて、「ホワイト家」。これは秀逸な広告だといえるだろう。この広告がソフトバンクモバイルのものであると知らない人はいないだろう。そして、「ホワイト」が同社の「ホワイトプラン」を表わしていることも多くの人が分かっているはずだ。
この広告のポイントは、そうした認知・注目のレベルを超えて、何やらオトクな料金プランがあるらしいぞと、概ね内容を理解させるところまで、きっちりと「語っている」ことだろう。
白い犬がしゃべる。とりあえの興味喚起、つまりツカミはOKだ。そしてサービスのメリットをしっかり語っている。語りを聞かせる工夫もある。「ホワイト家」というだけあって、ちゃんと家族が登場する。が、お父さんが犬なだけでなく、長男が黒人だったりとどこか不思議な構成で関心を高めている。その家族が「どのようにメリットがあるのか」をストーリー仕立てでしっかり語り、さらに最も「誰にとって」メリットがあるのかをシリーズものにしてシーンを変えて伝えている。該当する視聴者はそのメットを理解すれば、「ソフトバンクに変えちゃおうかな」とDesireまで進むかもしれない。


こうして比較すると、「エリマキトカゲ」は「一発芸の芸人」のようなもので、それに対し「お父さん」は「ストーリーテラー」として機能しているのが分かる。
エリマキトカゲから20余年が経っている。今日の広告・CMはツカミだけでは許されない。Attentionが主たる機能とはいえ、しっかりと効果を期待されているのだ。今後も「白戸家の人々とお父さん」はしっかりと演じて、語ってくれるに違いない。

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2008.05.21

エコな時代に巨大エンジンとか、時速400Kmとかの車を思う

「エコロジスト」を名乗るつもりはないが、環境意識は高い方ではないかと自分では思う。しかし、それと全く逆の思いが常にあるのも事実。それって、いけないことなのだろうか?


スーパーカーブームが起こったのは1970年代。小学生の頃、車をかたどった消しゴムや、トレードカードを一生懸命収集した。そんな筆者はある画像に久々にドキリとした。だって、男の子だもん。

本田技研工業の米国子会社、、American Honda Motor社が開発したモンスターマシン。
VTEC(可変バルブタイミング・リフト機構)20リッターV型10気筒エンジン搭載のレーシングマシン。2リッターじゃなく、20リッターですよ!
http://wiredvision.jp/news/200804/2008043020.htmlと、上記リンクにあるとおり、これは同社が玩具メーカーのマテル社のためにデザインしたミニカーの話。他にも、米Ford Motor社、米Lotus Cars USA社、米Mitsubishi Motors North America社などが参加しているという。

自動車業界は全世界的に低環境負荷なテクノロジー開発とそれを基軸とした車種の製品化にしのぎを削っている。もう一つはインドのタタ社を先鋒とした低価格車開発競争だ。
が、正直な所、面白くないのは事実。もっと、夢のある車はないものかと思ってしまう。だって、男の子だもん。
というわけで、ミニカーとはいえ、上記のAmerican Honda Motorの開発者はかなりノリノリでデザインしたのではないかと思う。


しかし、ミニカーで我慢できない人たちもまた存在する。時速412.28 km/hを記録し、ギネスブックに昨年登録された市販車が米国にある。
「SSC アルティメイト・エアロ TT(SSC ULTIMATE AERO TT)」
http://www.hobidas.com/blog/akimoto/archives/2008/03/post_355.html
6.3リッター・V型8気筒(OHV)I.C.付きツインターボエンジン、最大出力 1183 馬力。
価格は65万4500ドル(邦貨105円換算で約6872万円)。
何でこんな馬鹿げたスペック、しかも飛行機でもないのに400km/hオーバーを目指さねばならないのかとも思うが、恐らく男の子魂がそうさせたのだろう。

しかし、「アルティメイト・エアロ」には目標があったようだ。
「ブガッティ・ヴェイロン」。
http://www.nicole-racing.jp/bugatti/news/index2.html
7993 cc・W16気筒/ 4ターボチャージャーエンジン、最大出力1001馬力。最高速 407 km/h。
ブガッティ社は1909年の設立以来、拠点や経営者を転々としながら、最上級・最高性能の車を手作業・少量生産で作り続けてきたメーカーだ。2005年よりフォルクスワーゲングループに属しており、「ヴェイロン」は、その新生ブガッティブランド初の市販車で、限定300台生産という。
お値段1億9900万円也。とてつもない価格だが、自動車評論家たちは口を揃えて、価格に見合った性能だという。米国の「アルティメイト・エアロ」の速度以外の性能は不明だが、「ブガッティ・ヴェイロン」は恐ろしく安定的かつ、乗り心地、取り回しがいいらしい。そこに惚れ込んで、デザイナーのラルフ・ローレンが乗り回していることも知られている。
全く実用的には必要ないぐらいの、超ハイスペックで超高級な車。大金持ちでオトナだけど、でも男の子心を忘れていない人に愛されているのだろう。普通の男の子には全く縁がないが。


さて、ミニカーや、チャレンジャー精神いっぱいの米国の400km/hカーや、超セレブなブガッティがもたらすものはなんだろう。
エコな世の中に逆行した、全く不要な存在にも思える。しかし、例えば世の中の車が、電気自動車や低価格なマイクロカーだけになってしまったらどうだろう。筆者は世の男の子(の心を持った人々)に問いたい。
筆者は運転が好きなわけではない。事実、現在、車を所有していない。
しかし、上記のような車たちの情報を目にすると、やはりどきどきする。だって男の(以下略)。
世の中には「多様性」が必要なのではないだろうか。ましてや、ミニカーならともかく、約7千万円や2億円の車なんて、そんなに走っているもんではない。言ってみれば、スーパーカーなんて、「絶滅危惧種」なのだろう。大目に見てあげたい。

もう一つ見逃せないポイントは、「技術の開発と伝承」だ。常識外れの性能をたたき出す車を開発するのは、普通の技術の組み合わせでは無理なのだ。例えば、全くカテゴリーは異なるが、大人気のi-Podは、既存の技術をうまく組み合わせて大成功した事例として有名だ。しかし、非常識な性能はそれでは叩き出すことができない。
「ブガッティ・ヴェイロン」の開発は、創意工夫・試行錯誤と挫折の繰り返しだったという。開発が終わっても、製造・組み立ての工程の多くは手作業だ。2億円×限定300台で600億円がブガッティ社の売り上げとなるが、開発と製造の手間を考えればかなり利益は厳しいだろう。
しかし、それでもフォルクスワーゲングループが出資している意味とは、技術開発とその伝承ではないだろうか。エコや低価格精算の技術ももちろん重要だ。しかし、車のメーカーとしては、その最高峰を作り出す技術を無くしたくないのではないだろうか。


世界は環境負荷軽減に向けて大きく舵を切った。一方、日本は少子高齢化をはじめとした市場縮小に対する備えが重要視されている。縮小均衡は重要だが、常に前のめりに開発していく心と姿勢だけは忘れてはならないだろう。

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2008.05.20

さよならアイワ。 牙を失った悲劇

先週のニュースであるが、「アイワ」ブランドがついに幕を下ろした。筆者は学生時代には同社製品であるヘッドホンステレオの「カセットボーイ」を随分長く、何世代か愛用していた。経済アナリストではないのだが、その思い出深いブランドがなぜ、消えてしまうことになったのか、一考してサヨナラの言葉に代えてみたいと思う。


アイワは1951年に愛興電気産業株式会社として創立され、1959年に商品ブランド名であったアイワ(AIWA)を社名変更。1968年に日本初のラジオ付きカセットテープレコーダーを発売した。そのラジカセ(”ラジカセ”は正式にはパイオニアの登録商標)は2万5900円と、当時の大卒初任給に相当する価格だったという。
その翌年1969年にソニーと資本・技術の提携をして子会社となったが、ラジカセの録音用機器の先進的な機能や製品を開発し続けた。
アイワというと、安価な商品を連想しがちであるが、上記のようにかつては「技術・品質・価格」のバランスがとれたメーカーだったのだ。

しかし、ラジカセ、ミニコンポなどの商品群がコモデティー化し始めた頃からその歯車が狂い始めたようだ。コモデティー化した商品は、先進的な技術や機能を組み込む余地が少なく、それを行ったとしても、だいたいは小手先の機能追加に留まってしまう。
その状況下で、同社は「アジア進出」に舵を切った。海外生産拠点へのシフトも早期に行い、90年代前半は、得意の「技術・品質」を「低価格」で提供できることを強みにアジア市場を席巻していたといえるだろう。親会社のソニーブランドの人気を上回る国もあったようだ。そして、アジア諸国で生産した商品を日本にも逆輸入して販売し、低価格路線でのシェアを築き上げていった。
だが、コモデティー品をアジアで生産して逆輸入するというビジネスモデル自体は参入障壁が低く、競合の追随が始まり、あっという間に業績が悪化してしまった。

2002年12月、ソニーはアイワを完全吸収合併した。ソニーとアイワは、両ブランドが「自主独立」を保ってきた。ソニーとしては動き方によっては独禁法に抵触しかねない分野もあったからかもしれないが、ともかく、両ブランドが技術的にも、商品開発やマーケティング的にも別々の歩みをしていたのは事実だろう。それは完全子会社化の前も後も変わらない。
しかし、「自主独立」にしては、合併以降もアイワの技術もマーケティングも、今にして思えば創業期から成長期に見られたような、「尖ったところ」がなかったように思えてしかたがない。


企業の市場におけるポジションを示すものとして、マーケティングの大家である、フィリップ・コトラーが以下の4類型を提唱した。

・全方位的に戦い、トップシェアを維持する業界の「リーダー」。
・技術やマーケティング、販売力などで差別化を図って攻撃を仕掛けることのできる「チャレンジャー」。
・リーダーに攻撃はできないにしても、独自の技術や市場セグメントによって生存領域を確保している「ニッチャー」。
・独自のマーケティングや技術開発などの投資を極力抑え、リーダー企業に追随して一定の売り上げ、利益の追求をする「フォロアー」。

かつて、アイワはチャレンジャーであり、少なくとも市場や製品の領域によってはニッチャーとしての力があったはずだ。しかし、後期はどう見てもフォロアーであった。


最後の挑戦としては、デジタルオーディーの初期の展開だっただろうか。MP3規格のオーディオプレイヤーが出始めた頃、ソニーはメモリースティックにこだわって、ユーザーにとってはどうにも使い勝手が悪かった。そこでアイワはUSBメモリに注目し、2004年にUSBメモリ音楽プレイヤーを投入したのだ。
今、見直してみると悪くないものばかりなのだが、当時注目されていた記憶があまりない。恐らく、マーケティング活動、特にプロモーションやチャネル政策に十分な資金や人的資源が投下しきれなかったのではないだろうか。
また、もう少し考えてみれば、インターフェースをUSBにするということは、親会社であるソニーとの差別化はできるものの、模倣困難性があるかといえば、全くそんなことはないだろう。


アイワは創業期から成長期には、技術や発想力という、独自性の「牙」があったのだ。しかし、得意領域がコモデティー化したころから、いつしか「牙」を失い、「フォロアー」のポジションになってしまったのではないだろうか。
独自性を発揮し続けることは容易ではない。しかし、今日の競合が激しい経済環境において、「フォロアー」が生き残ることは難しい。かつての愛用ブランド消滅は寂しい限りだが、これは特別な例ではないのだろう。今後も牙を研ぎ続けることができなくなったブランドはどんどん消えて行くに違いない。
これから先、いくつの馴染みのブランドを「サヨナラ」と見送ることになるのか分からないが、本当に厳しい時代になったと思う。

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2008.05.19

効果的な仕事・学習術:インプット←→アウトプットの関係を整理する

効率的にものごとを記録する。記憶する。そして、その成果として学習や仕事というアウトプットをする。をする。「良質なアウトプット」のためには、実は大きなポイントがある。今まで何度か触れてきたことではあるが、様々な記事・コラムの引用と、新ネタを加え全体を整理してみたい。


■なぜ、アタマに入らないのか?

日常生活において、何かをアタマにインプットしなければならない局面は多々ある。端的な例では、学校での勉強がそうだろう。新しい仕事を覚えることもそうだ。そんな時、どのようなインプット方法、つまり、覚え方をするだろうか。
恥ずかしながら、筆者は学生時代、暗記科目が全くダメだった。自らの物覚えの悪さに閉口したものだった。・・・今でもその傾向は否めないのだが。
しかし、実はそのインプットの「方法論」が間違っていたようなのだ。


■脳科学で実証されている、効果的なインプットのための「アウトプットの効用」

 少し前にNBonline Associeに掲された脳学者・池谷 裕二氏による記事、「潜在“脳力”を活かす仕事術」の第1回は非常に示唆に富んでいた。「脳は”入力”より”出力”で覚える」というタイトルだけでも「なるほど!」と思ってしまうが、少し要点を見てみよう。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/nba/20080402/152046/?P=1
<私たちの脳は、情報を何度も入れ込む(学習する)よりも、その情報を何度も使ってみる(想起する)ことで、長期間安定して情報を保存することができる>
<参考書を繰り返し丁寧に読むより、問題集を繰り返しやるほうが、効果的な学習が期待できる>
<営業職のビジネスパーソンなら、自社製品の技術資料を繰り返し読むより、顧客先で何回もプレゼンテーションをこなす方が、製品の情報がよく頭に入るということ>

そして、第1回の結論はこうだ。
<入力よりも出力を重視 ── 脳はそうデザインされているらしい。 >

とにかく、「出力(アウトプット)すること」。これは重要なキーワードなのだ。思い起こせば、筆者の学習はいつも一生懸命、参考書を「読んでいた」。「ノートに書き写せ」とか、「問題集をやれ」と言われても、手を動かすことを面倒がってやらなかった。決定的に方法論が間違っていたのだ。


■コンサルタントは常に「アウトプット」を意識している

この「アウトプットする」ということは、筆者の生業であるコンサルティングにおいては最も重要なことだ。その質と量によって評価が決まることは言うまでもない。しかし、インプットがなければ、当然、アウトプットはできない。いかに効率的に、かつ、良質な情報を整理してアタマにインプットするかが勝負の分かれ目になる。

そこで、大切なのは、「アウトプットを前提として、インプットすること」なのだ。

筆者が参画している、「INSIGHT NOW (http://www.insightnow.jp/) 」という、総勢70余名の独立系コンサルタントが集っているコラムサイトがある。そのコンサルタンを対象に、アンケートを実施し、「Think!春号(東洋経済新報社)」に「大公開!コンサルタント50人の”勉強力”」記事が掲載された。( http://www.insightnow.jp/blogs/id/5 )

記事が仕上がって驚きつつも、納得したのが、コンサルタントは皆、学習法でも情報収集法でも、共通して「アウトプットを前提としたインプット」を実践していたということが顕著に浮かび上がってきたと言うことだ。

筆者自身のことを記そう。自らの「情報収集術」について、囲み記事で紹介していただいたが( http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2008/04/post_3bb4.html )、ポイントは、同様に、「アウトプット前提のインプット」である。

手前味噌ながら、Blogは、平日は基本的に1500文字程度の記事を書いて毎日更新している。それ以外にも雑誌原稿やメルマガ原稿など、執筆量は月産3万字を超える。加えて、コンサルティングのレポートや、研修講義資料。書き物だけでなく、プレゼンや講義もアウトプットだ。その膨大な量は、同等以上のインプットがなければ実現できない。
しかし、人間は誰しも1日24時間、1年365日の等しく与えられた時間の中で生活している。となれば、インプットを効率化するしかない。その方法が「アウトプット前提」なのだ。
何かを目にする。読む。聞く。全てを「何かに使えそうか?」というアウトプットをイメージして、アタマの中に「仮置き」しておく。それがインプットのコツだと思う。
人の記憶は時間の経過と共に、急速に減衰していく。「忘却曲線( http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2008/04/post_7ed7.html )」というものでよく知られている。しかし、忘却曲線の実験は、ランダムな言葉(意味を持たない言葉)をどれだけ覚えていられるかというものだったため、きちんと「意味づけ」して、アタマに整理しておけば、かなりの長期記憶に転換することができると筆者は考えている。


しかし、この「インプットとアウトプット」は、コンサルタントだけに有効な方法ではない。以下に、2つの事例を示したい。


■新入社員にブログを書かせる

通信教育の「Z会」では、「新入社員にブログを書かせる」という教育をしているという。( http://www.zkaiblog.com/histaff/archive/442 )
新入社員にはとかく教えなければならないことが多い。さらに、学生気分から、社会人・組織人へとの意識転換と気付きを与えなければならない。言うは易く行うは難い、伝統的なテーマだといえるだろう。
詰め込んだり、プレッシャーをかけても効果はない。新入社員の情報処理能力はそんなにまだ高くはないし、意識など簡単に変わるはずもないのだ。そこで、大切なのは「自ら気付かせること」である。そして、そこでも効果的なのが「アウトプットさせること」なのだ。ブログを書かせることによって、当然、ネタを自ら探す。そして、整理して記事にする。その課程で、重要なことがきっちりとアタマの中にインプットされることになるのだ。

この取り組みは同社だけでなく、採用している企業も多くなっているようだ。今年、数社から同じような取り組みとその成果を聞くことができた。是非多くの企業で取り入れてもらいたい内容だ。


■「傾聴」のためのアウトプット施策

上記のような取り組みは、さらに幅広い応用が可能だ。筆者の社会人としてのキャリアはコンタクトセンターから始まったが、その業界のカンファレンスで最近面白い話を聞いた。
コンタクトセンターの重要な任務の一つは、いかに「顧客の声(Voice Of Customer)」を収集するかである。そのために、センターで顧客と電話応対を行うコミュニケーターは、「顧客の声に耳を傾けろ「傾聴せよ」と教育される。しかし、これがまた、なかなか言うは易く行うは難いのだ。ついつい、大切な話をスルーしてしまったり、自ら思い込みで判断してしまったりと、なかなか顧客の思いまでを汲み取るまでは難しいのである。

そこで、メーカーのお客様相談室では「提案制度」を採用した。「提案制度」事態は珍しいものではないかもしれないが、その徹底度がすばらしい。
週に1つ以上は、末端のコミュニケーターも、その管理をするスパーバイザーも、センターマネージャーも、顧客の声を元にした提案を提出することが義務化されている。新製品でも、製品改良でも、応対業務に関する改善でもかまわないが、何らか、論拠となる顧客の声を示し、そこから自説を加えて提案を作るというのだ。
これによって、コミュニケーターは、より丁寧に顧客の声を汲み取るようなオペレーションを実施する。また、スーパーバイザーは、応対内容を聞き漏らさないよう、応対のモニタリング業務に注力する。マネージャーも部下からの話から、きちんと重要な顧客の声を吸い上げようとする。

つまり、「週1回の提案」というアウトプットの義務化によって、センターの誰もが、一層、顧客の声の耳を傾けるという、「インプットの良質化」を図ることに繋がったということなのだ。


インプット←→アウトプット。このバランスは、ついつい、より良いアウトプットを仕様とするが故に、ただひたすらインプットに注力しがちで、結果的にそれは効果的ではなく、プアなアウトプットになってしまいがちだ。今回整理した、「アウトプットを前提として、インプットすること」には、様々な方法があろうかと思う。しかし、その根本にある考え方を理解し、実践することをお勧めしたい。

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2008.05.15

「コンタクトセンターの品質向上〜顧客視点のマインド教育〜」

東京ビッグサイトで毎年開催されている巨大展示会「DWH(データウェアハウス)&CRM EXPO」。いくつもの専門セミナーが併催されているが、コンタクトセンターに関する講演を本日行ってきた。
http://www.conc.jp/jp/conference/conference.phtml#5
今日はその概要をご紹介したい。


この講演は昨年も行ったが、今年、主催者から依頼されたテーマは「コンタクトセンターの品質向上」。同様なテーマで、コンタクトセンター業界の諸先輩が別のコマでも講演をされるようだった。正直、どのような内容を話そうか悩んだ。そこで、得意技である「正論一本勝負」で行くことに決めた。

何が正論なのかといえば、「コンタクトセンターにおいても、マーケティングの基本は不変である」ということだ。
企業活動と、それを担う各部署・部門は、顧客に対して直接・間接の別はともかく、どこかで必ずつながっている。それを「マーケティング・サイクル」という。
そのサイクルがうまくつながっていない企業は、顧客との良好な関係を築くことができない。これは基本だ。
しかし、コンタクトセンターにおいては、そうした基本概念や、マーケティングの基礎が末端にまで教育されていないように思えるのだ。事実、筆者はコンタクトセンター出身であるが、マーケティングの基本を残念ながら教えられたことはなかった。
そこで、自説を聴講にお集まりいただいたコンタクトセンターの管理者、企画担当者の方々にぶつけてみた次第だ。


以下、講演内容の概要をまとめる。
講演は過去に執筆した内容を踏襲しているので、そのリンクも設置した。
聴講いただき、このBlogをご覧頂いている方は、参照しながら本日の講演内容を思い出していただければ幸いだ。


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・「4Cで考える」

 マーケティング環境分析の定番フレームワークである「3C」」に、もう一つのC=communicatorを加え、コミュニケーター自身が、「Customer:顧客」「Competitor:競合企業」「Company:自社」の中で、いかに行動すべきかを考えさせることを提唱。教え込むのではなく、「考えさせる」のがポイントだ。コミュニケーターだけで考えるのではなく、スーパーバイザーやトレーナー、マネージャー自身も考えることが肝要。以下、この4Cで考えることを全てのフレームワークを読み解く切り口として講演した。


・マーケティングとは何か?

「マーケティングとは企業と生活者の”価値の交換活動”である」
参照: http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2007/11/1_9de4.html


・自社の価値構造を理解する

自社の提供価値とはどのような構造になっているのか。また、競合と比較して、どこが勝負のしどころなのかを考える
参照(記事中後半部分): http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2007/01/3_cae3.html


・カスタマーインサイト

顧客のニーズを理解し、さらにより深くその心の中を洞察する。
参照(記事中後半部分): http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2006/10/2_952d.html


・ミッションステートメントの構築

センターの役割を再確認し、自らの行動指針を作る。
参照: http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2007/02/4_053b.html

・コミュニケーションの本質

「コミュニケーションとは何なのか?」を深く考える
参照: http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2007/02/post_7821.html


講演は、以下、良好な「コミュニケーションを実現するためには」という、実務面に移る。今回のもう一人の講師である、インサイト(株) 代表取締役 鈴木 美佳氏にバトンタッチした。
鈴木氏のBlogにやがて概要がアップされるかと思うので、そちらをご参照いただきたい。
http://blog.insightcorp.jp/


約100名収容の会場には80名余りが聴講にお集まりいただいていたが、まだアンケート結果を見ていない段階ではあるが、講師としては概ね反応がよかったように思う。
マーケティングの基本と、顧客視点は、企業のどの部門・部署でも、やはり不変であると感じた60分間であった。惜しむらくは、如何せん、時間が短すぎた。機会があれば、コンタクトセンター担当者にこのテーマで、もっとたっぷりと講演をしてみたいと思う。
 

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2008.05.14

「呪いの企画書」の連鎖を絶て!

「呪いの企画書」とは都市伝説のことではない。いずれの企業においても一つや二つは、それを使うと「何度やってもいい結果が出ない」という企画書が存在する。なぜ、そんなことが起こってしまうのか。また、どうすればそれを避けることができるのか。


企業のIT環境は、どこでも社内にネットワークが整備され、ネットワーク上には多数のファイルサーバやデータベースが存在し、様々な文書ファイルが格納されている。
さらに昨今、Enterprise Searchという社内ネットワーク内を縦横無尽に高速検索できるソリューションの導入が進んでいる。
ビジネスシーンにおいては、どの企業でもほぼ間違いなくマイクロソフト・オフィスがドキュメントの作成に使用されているが、それらのドキュメントは極めて簡単に複製を作ることができる。
以上の3点がテクノロジーの面から見た「呪いの企画書」発生の背景だ。


では、そもそも「よくできた企画書」とはどのようなものだろうか。企画書が作成されるに至る前提や背景がその都度異なるので、それを一概に定義することはできない。しかし、「ぱっと見」で、うまくできているなぁ、と思われる企画書というものは存在する。
例えば、チャートがいくつも入っていたり、アニメーションが丁寧に入れられていたりするもので、「よくここまで凝った企画書を書いたなぁ」と思わせるもの。
または、「企画書はA3一枚で」などと、企業独自にフォーマットが規定されている場合に、「よくここまでうまく詰め込んでまとめたなぁ」と思われるものなどだ。


そんな企画書を、これから企画書を書こうと思っている担当者が目にしたらどう思うだろう。「こんなにうまくできているなら、これをベースにちょっと手直しすればうまくできるだろう」と思ってしまうのではないだろうか。冒頭に記した昨今の企業のIT環境がそれを後押しする。企画書を書く前に「参考になるものはないかな」と社内の文書データを検索する。いくつか候補が見つかる。「ああ、これ、いいんじゃないか?」と思うと、それを簡単にファイルごとコピーできる。ささっと手直しすれば、企画書のできあがりだ。

問題は、その元となる「一見よくできた企画書」は、新たに作成しようとしている状況に本当にマッチしているかは保証の限りではないということだ。企画書作成の背景はその都度異なる。また、その元の企画書が良好な結果をもたらしたのかという結果も、企画書の文書からだけでは判断できない。しかし、見た目にうまくできている企画書の魅力を感じると、無理にでもそれに合わせてしまいがちになる。

そうして提案した結果は、企画書の見栄えはよいものの、本当に提案すべき内容と乖離してしまっていることになり、大ハズレとなるだ。しかし、その後も「一見よくできた企画書」が社内で検索される度に、再び使い廻され、同じような結果をもたらす。まさに「呪いの企画書」である。

それを避けるためにはどうしたらいいのか。基本的には「企画書の使い回し」は極力避けるということが基本だ。見た目が問題ではく、課題解決方法の実現によりマッチした内容を都度、作成することが基本であることは言うまでもない。

それでも効率化のために、参考のための過去の企画書を使いたいという、作成する側の気持ちも分かる。だとすれば、最低でも企画書の保管は作成者と、その連絡先が分かる形で保存し、その背景や結果の問い合せができるようにすることが必要だ。もしくは、都度、問い合せが発生する手間を軽減するためには、背景と結果の情報をドキュメントに付記して保存しておくことが望まれる。


テクノロジーの進化は業務の効率化を促進する。しかし、表面的な効率化がビジネスの成功につながるとは限らない。また、企画書は、提案先に理解・納得してもらい、共感を得て、「では、それでやりましょう」という行動を促す活動のサポートツールに過ぎない。
「呪いの企画書」を作り出さない。または、その連鎖を絶ちきるためにも、その基本を忘れないようにしたい。

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2008.05.13

トイカメラ人気の秘密と、次に流行るもの

デジタルカメラ全盛の時代にちょっと不思議な流行が起こっているようだ。その理由と、次に流行りそうなものを考えてみたい。


日経新聞5月13日の朝刊・消費面に<トイカメラ 光る個性、若い世代つかむ ピンぼけにもにも味わい>と題された記事を発見。
「トイカメラ」は樹脂でできた筐体に安価なレンズという極めて単純なフィルムカメラだ。露光の電子制御などしてくれないし、ピントもオートフォーカスではない。いや、そもそもレンズの精度が怪しいので、仕上がりは何とも不思議なボケ味の効いたものになる。そこがファンの心をつかんでいるのだ。


今日のデジタルカメラは、失敗というものを徹底的に排除する進化を遂げている。逆光、暗い背景なんのその。動く被写体もピタリ。人間の顔を検出して、他にピントが合ってしまうことも防止してくれる。さらに被写体が笑顔になったときには自動でシャッターが降りるという。さすがにシャッターぐらい押させてくれよという気にもなるが、本当によくできている。しかも、撮った写真をその場で確認できるのだ。


道具の変化は、写真文化そのものも変質させている。フィルム代がいらなくなったことから、撮影数(ショット数)は、以前より爆発的に増えているのだが、プリント数が激減しているのだ。写真屋さんに出さないだけではない。家のプリンタで出力することもしない。パソコンの画面で見る。もしくは、デジタスカメラに使うメディアの容量が2GBや4GBにもなっていることから、そこに延々とため込んで、カメラ背面の液晶画面も大型化していることから、その画面で以前撮った画像を見るというような使い方が主流になってきているのだ。もはや「写真」という概念は完全に変質してしまっている。


トイカメラに話を戻そう。実はそこに、失われつつある本来の写真文化への回帰を筆者は見て取った。日経の記事中に、トイカメラを見に来た二十代女性の来店客のコメントがあった。<現像するまで出来映えが分からないワクワク観が人気の秘密>。そう、まさにこれなのだ。筆者は実は写真オタクでもある。デジタルカメラも使っているが、フィルムカメラもどうしても捨てられずに現役として使っている。自分としてはこんな風に写したいと頭でイメージし、そのイメージに近づけるため様々なテクニックを駆使してシャッターを切る。現像してプリントが仕上がるまでのワクワク感。そして、意図したように撮れていたときの喜び。または、意図していないような仕上がりだが、なんとなく気に入った時のうれしさ。そうしたデジタルカメラでは味わえない感覚が昔の写真にはあったのだ。

記事にあるように「仕上がりの意外さ」という点が受けて、トイカメラに人気が集まっている。しかし、その意外さは本当に偶然の産物である場合が大きい。では、しばらくそのおもしろさに満足して飽きたら、若者はデジタルカメラに戻ってしまうのだろうか。筆者はそのうちの一部は、従来のフィルムカメラに移行するのではないかと思っている。全くの偶然を楽しむのではなく、筆者のように、頭の中のイメージをどう実現するかを工夫して、仕上がりを待つという楽しみ方に目覚めるのではないだろうか。


何でも手軽に、かつ高精度にという今日のデジタル文化への、反動なのか、アンチテーゼなのか、登場したトイカメラ。さらにそれが発展して、写真文化の再興というようなことが起こりはしないかと考えている。これはマーケターとしての予測半分。写真オタクとしての願望半分なのだが。
まずは、トイカメラを手にした若者たちの行動に注目してみたい。

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2008.05.12

ANAへの苦情は提供価値のアンマッチか?

全日空が4月から国内線の一部に導入したプレミアムクラスについて、「シートの仕様が宣伝違う」と、複数の苦情が寄せられという。
http://www.news.livdoor.com/article/detail/33632820/

新シートの導入は実際は6月からの予定であったそうだ。
三國連太郎、佐藤浩市親子が起用され、話題を集めたCMやポスターには、確かにシート切り替え時期に関する告知はなかった。問題の火種はそこにあったのだ。


筆者は新幹線マニア故、短距離の国内移動に飛行機はほとんど使わないが、先月広島出張で同クラスを利用した。実感としては、シート形状はさほど気にならなかった。それより、機内スタッフの応対レベルが一層向上したことや軽食メニュー内容への工夫など、ソフト面の拡充が感じられた。
しかし、そうしたサービスより、あくまでシート形状にこだわる顧客層も少なからず存在したということなのだ。


全日空の広報によると、(これまでのスーパーシートプレミアムからプレミアムクラスへの変更は)「座席間隔(の30センチ拡張)や、(軽食や酒類の充実を含む)もてなしを含めた総合的な質の高さを目指したサービス」としながらも、「シートの違いについては説明不足だった」としている。

同社としては、今までの「スーパーなシートでのプレミアム(特別)感」から、「総合的な特別感を提供するサービス」へとさらにレベルをあげようとい意図だったのだろう。今まではシートが主。これからは、サービスが主で、シートが従のはずだったのだ。
しかし、残念なことに一部の顧客にはそれが評価されず、「提供価値のアンマッチ」が起こってしまったのだ。


国内線での乗機時間は短く、上空でパソコンなどが使えるタイミングも少ないため、本来的には過度な機能やサイズはシートに不要に思われる。
しかし、新シートのセールスポイントの一つには、「隣席から顔を見られない形状」というものがある。その点から考えると、少々論理は飛躍するが、苦情の主は、機内でのプライバシーを気にするかなりのヘビーユーザーかもしれない。だとすれば、同社にとっては由々しき事態だったことだろう。


自社が良かれと思うポイントと顧客の求める内容は、必ずしも一致しない。まして、顧客は一律ではない。
「誰が、どんな価値を求めているのか」。
提供価値のアンマッチを起こさないため、この事例は、他山の石としたいところだ。

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2008.05.09

どうするスタバ!マック「買いたいコーヒー」二冠!

オリコンのグルメランキングによれば、マクドナルドのアイスコーヒーがホットコーヒーを対象とした調査に引き続き第一位を獲得した。


オリコンの調査( http://gourmet-cdn.oricon.co.jp/special/20080508_01.html )は<20~30代の男女お気に入りの1杯を探すべく1280名の男女にブラインドテストを実施>ということ。テイクアウトが可能なマクドナルド、ドトール、モスバーガー、ミスタードーナツ、スターバックスの5社が対象だ。その結果、味の面では香り・苦み・酸味・後味などの各項目で評価が分かれ、拮抗という結果になったが、マクドナルドは100円という価格面での強みから断然トップを獲得している。この傾向はホットコーヒーの調査でも同様であった。


さて、筆者は実は根っからのスターバックス派だ。1996年に銀座松屋の裏に小さな二階建て店舗(現在も営業中)でスタートとした頃から足繁く通ったものだった。だが、残念なことに同調査では買いたいというランクでは他よりかなりポイントが引き離されてしまっている。しかし、「どう考えても味ならスタバでしょ!」となかなか強弁はしにくい感もある。なぜなら、調査は旧来のマクドナルドのアイスコーヒーを対象に行われているのだが、5月16日よりマクドナルド全店でアイスもプレミアムコーヒーにグレードアップするという発表があるからだ。好みの問題でいうなら、断然味はスタバなのだが、正直に言えば100円のマックのプレミアムコーヒーはなかなか侮れなかった。アイスもなかなかの味を引き出してくるのではないだろうか。

そもそも、マックの100円と、スタバの本日のコーヒー(S)280円という価格差はどう考えればいいのだろうか。確かに以前なら、ハンバーガーを食べるついでにコーヒーを頼むことはあったが、100円払ってわざわざマックにコーヒーを飲みに行く気はしなかった。あの「茶色いお湯」と揶揄されていたマックのコーヒーに100円の価値はなかったからだ。それがおいしくなるとすれば、魅力が出てくることになる。


もう一つの要素は店内空間だ。店内の快適さで考えればスタバとマックは比較にならなかった。マックのプラスチック(FRPか?)素材でできた座り心地の悪い椅子や、けばけばしい店内装飾はどうにも落ち着かなかった。対して、スタバはゆとりのある什器の配置、座り心地のいいソファー、照明の加減やポスター、BGMまでオシャレで快適だ。
しかし、マクドナルドも家族向けの郊外店は旧来の趣だが、都市部の店舗は随分とオシャレで機能的に改装されてきている。
日経MJ5月9日号「ファストフード店・”食べる”から”過ごす”へ」という記事でも紹介されている。明るい木目と白の什器と店内装飾。一人でも過ごしやすいような座席を多く確保。さらに無線LANにコンセントまで提供している。ちょっとした休息とメールチェックなどにはもってこいの環境だといえるだろう。これでコーヒーが100円。さらにもうすぐアイスコーヒーもおいしくなる。もしかすると、マックはこの夏のアイスコーヒー戦争で一人勝ちになるのではないかという気配も漂ってくる。


さて、スタバ派としてはどうしてもその点でスタバにがんばってもらいたいので注文を付けたい。前述の通り、味は好みもあるし、文句はない。価格もまぁ、100円と比べれば随分高いが払える範囲なので目をつぶる。しかし、本来の売り物であった「店内空間」が少しプアになっている観が強い。出店ペースを速めた頃から、随分と狭いスペースの店も多くなった。明らかにテーブルを詰め込みすぎだ。一人あたりのスペースの狭さではドトールと変わらないだろう。旧来の広い店も、ソファー席を無くしたり減らしたりして、テーブルを詰め込んでいる。シンボル的にソファー席は多少あっても座れたためしがない。とにかく、空間としての落ち着きがなくなってしまっているのだ。
マクドナルドの約3倍の価格には、「安らぎの空間」も商品の一部として価格に含まれているはずだ。顧客がどんな価値を評価しているのか忘れないでもらいたい。
このままだと筆者も、パソコン持って、100円握りしめて、マクドナルドに通うようになってしまう気もする。


日経新聞本紙5月9日によれば、米スタバは1~3月期27%減益だと伝えられている。
マックVS.スタバは米国が一足先に最終決戦ともいうべき状況に突入している。<節約志向を強める米国の消費者が比較的単価が高い同社を敬遠する動きが広がり、来店客数が落ち込んだ>と分析されている。明らかにスタバは劣勢だ。しかし、圧倒的な規模の経済を持つマックに価格面で勝てるわけはない。「何が顧客に対し提供できる価値なのか」という原点に帰って健闘してもらいたいものだ。


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2008.05.08

上野動物園にパンダは必要なのか?

上野動物園にジャイアントパンダがやってきたのは1972年10月28日のこと。以来、36年目にして、パンダがついにその姿を消した。リンリン2008年4月30日午前1時56分死去。享年、22歳。その後、中国からのレンタルをめぐり、石原都知事の「パンダいらない」発言や、年間1億円ともいわれる高額なレンタル費をめぐって物議を醸している。果たしてパンダが上野や上野動物園にもたらす意味とは何なのか。


石原都知事は以下のようなに発言した。(日本にはまだ神戸市立王子動物園に2頭、和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドに6頭のパンダが存在していることで)「世界も狭くなったんだし、(パンダを)見たけりゃ、いるとこに行って見てくりゃいいじゃないですか」。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080503-00000064-sph-soci 
確かに、上野にしかパンダがいない時代はそれは貴重で、全国から人々はこぞって見に訪れたものだった。しかし、いつの間にやら白浜にはパンダがうじゃうじゃいる時代になっていたのだ。


それでも「上野のパンダ」にこだわる人々もいる。上野でパンダ関連の土産物を商う店主は「上野のシンボルはパンダ」と、都知事の発言に怒り心頭のようだ。http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080503-OHT1T00236.htm
一般の人はどうなのだろうか。パンダ死去前の調べではあるが、 オリコンのランキングニュースの「上野特集」に面白い調査がある。http://rn.oricon.co.jp/special/hayari/tekuteku/20080129.php 「上野のイメージキーワード」として、「上野動物園」「アメ横」「上野公園」「西郷隆盛」「ABAB」に次いで「パンダ」が6番目にランクインしている。確かに上野の、そして上野動物園のシンボル的な存在であったのは間違いないようだ。


そもそも、パンダがやってきた1972年当時の動物園は、動物の姿そのものを見せることを主旨とした「形態展示」がほとんどであった。そこに、白黒ツートンカラーで、ふっくらとした愛らしい姿のパンダが登場すれば、弥が上にも注目される。また、日中友好のシンボルとして贈られた(当時はレンタルではない)パンダは破格の待遇が与えられ、飼育スペースで木に登ったりタイヤにじゃれたりする仕種で人気はさらに高まった。国民的に愛される存在としての地位をパンダは不動のものにしたのである。


筆者が幼時に目にしたパンダは確かに珍しくも愛らしく、それは衝撃的であった。もっとも、初めて上野動物園に見に行ったときには見物客の頭しか見えなかったけれど。
以来、筆者はパンダ好きである。だがしかし、上野動物園にどうしてもパンダが必要なのかということに関しては、疑問が残るのだ。


パンダの仕種が観察できる展示スタイルは、今日の「行動展示」とも通じるものがある。その最たる例が、北海道の旭山動物園であり、「生き生きとした動物の姿が見られる」という人気から、上野動物園の来場者数を超える月も記録した。しかし、上野動物園も負けてはいない。同様な展示方法を取り入れ、現在ではゾウ、クマなどのポピュラーな動物までが、「ああ、こんな仕種をするのか」という発見を提供してくれている。


石原都知事はこうも発言している。「何もパンダ様々で、ご神体じゃないんだから、いてもいなくてもいいじゃない。そんなもんは、どうでも」・・・正に慎太郎節の真骨頂という所だが、パンダを「ご神体」の如くあがめるのは、先の土産物の店主は売り上げに貢献するから確かだろう。しかし、一般人にとって、なぜ、そんなにありがたい存在となっているのだろうか。
それは、1972年という時代が背景ではないかと思われる。当時は翌年のオイルショック前の、高度成長期最後の年だった。誰もが揃いのアーノルド・パーマーの傘マークが入った靴下を嬉しそうに身につけていたように、誰もが同じものを手に入れたり、同じような行動を取っていた時代。パンダは、誰も同じものに熱狂した当時の日本の残照なのではないだろうか。そして、「パンダを上野に」と望むのは、そんな時代のノスタルジーに感じられるのだ。

今日、世は多様性の時代である。パンダが好きな人もいれば、パンダに関心がない人もいてもいいだろう。都知事のように。しかし、当の都知事こうも言う。「そりゃまあ、入場の人間(の数)が左右されるなら費用対効果を換算して考えればいい」・・・上野動物園は2006年4月1日から指定管理者制度によって東京都建設局から「財団法人東京動物園協会」に管理主体が移行しているが、冷静な判断だと思う。
日本に現在、パンダは8頭いる。年間1億円払って、中国から借りてくるのが正しいことなのか、もっと論議をした方がいいのではないか。


最後にもう一つパンダ好きとしての立場から。リンリンの死後、パンダ舎に遺影を掲げ、記帳所を設けて死を悼むのはとてもいいことだと思った。しかし、その直後から、「死んでしまったから、代わりを中国から」というような動きは極めて残念だ。教育にもよくないと思う。絶妙のタイミングで胡錦涛国家主席の来日があったから急な動きになったのかもしれないが、これだけは苦言を呈したい。

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2008.05.07

連休中に集中力を高める工夫をしてみた

連休が終わり、世の中がいつものリズムで動き出した。
この連休、筆者は仕事がずれ込んだり、飛び込んできたりと、膨大な仕事を抱え込んでしまっていた。今日は如何にしてその仕事と戦ったかの記録である。極めて個人的なことではあるが、お時間のある方は、これも一つの”ライフハック”や”ワークスタイル”の事例としてお付き合いいただきたい。


さて、今年は祝祭日の並びが悪かったとはいえ、世間は黄金週間を謳歌する空気に充ち満ちていた。そんな中、元々意志力が強い方ではない人間が集中力を発揮するのは並大抵のことではない。全く自慢にはならないが。


その1・「籠城」
何はともあれ、楽しげな人々の姿に脇目もふらず、朝、事務所に急いだ。途中、コンビニで食料を買い込む。事務所でものを食べるのも、コンビニ飯も好きではないのだが、昼食を外に食べに行こうものなら途端に集中力が途絶してしまう。近くの汐留には行楽客がいっぱいだ。そんな空気に触れてはならない。とにかく籠城を決め込む。


その2・「ネット断ち」
これは重要。調べ物をするにはどうしてもネットにアクセスしたくなるが、我慢。調べ物は一旦ペンディングにする。なぜなら、何かを調べたら、関連事項にも興味が湧いて、どんどんアクセスする範囲が広がっていく。本来的にはそうやって情報をインプットして、ネタを蓄積するのだが、ふと気がつくと1時間や2時間は経ってしまう。追い込まれている状況では禁物だ。何日もネットにアクセスしていないとセキュリティーソフトがアップデートしろとうるさくアラートを出してくるが、それも無視。


その3・「ダサい服」
そうは言っても、何日目かになると少し外を歩きたくなる。事務所の窓から見下ろすと、人もまばらな都心を散歩したりサイクリングしたりする人々の姿が見える。きっと汐留ではイベントなんかをやっているのだろう。確か新橋の烏森神社もお祭りのはず・・・。いかんいかん。出歩いている余裕はない。そんな誘惑を断ち切る究極の手段が、ダサい服を着て家を出ること。汚かったり、みすぼらしかったりするわけではないけれど、自分としてはあり得ないカッコ悪いコーディネートを選択。途中で知り合いに会っちゃったらどうしようと思いながら、さっさと事務所に直行。そして籠城。そんな服装では、仕事の途中でブラブラしたり、早めに仕事を片付けてどこかに行こうという邪な心さえ起きない。これは効果的だった。恥ずかしいけど。


以上、列挙してみれば何ということはないのだけれど、とにかく何らかの仕掛けをすることで、集中力を維持することができた。人それぞれ、方法論はあると思うけど、工夫することは大切だと思った。

おっと、まだ山は越えていない。この記事をアップしたら再びネット断ち。集中集中。

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2008.05.02

「考えること」を学ばせ、「教えることで学ぶ」ことに気づかせよう

売り手市場の中、鉦や太鼓で企業が採用した今年の新入社員。財団法人社会生産性本部が「カーリング型」と<磨けば光るとばかりに、育成の方向を定め、そっと背中を押し、ブラシでこすりつつ>と企業が手塩にかける様を評した。その磨きの第一歩である新人研修も連休前で一息。連休明けに現場に配属されて行く人も多いだろう。しかし、少し心配なのはその先輩たちなのだ。

「就職氷河期」は1994年の流行語大賞ともなったが、バブル崩壊後、企業が新規採用を抑制し、1993年から2004年に就職する新卒が「氷河期世代」となった。非正社員としての雇用やフリーター、ニートの問題などもあるが、正社員採用された者も全く楽ではなかった。採用抑制によって企業内は慢性的な人手不足となり、過酷な労働環境が蔓延した。そのことから諸々の問題が噴出したが、ここでは教育の問題を取り上げたい。

この先の経済環境は不透明になったが、少し前までの景気が回復していたときには、各企業は一斉に教育研修に力を入れた。そこでよく目にするのが、20代後半から30代半ばの年代を集めた研修対象のクラスだ。就職氷河期に入社した、いわゆる氷河期世代とか、ロストジェネレーションと呼ばれる年代なのだ。
多くの人材育成担当者が口にするのは、彼らは最も教育から取り残されてきた年代だということだ。慢性的な人手不足で教育を受けている暇もなかった。「習うより慣れろ」でひたすら業務に埋没させられていた世代だと。
教育を受けていないといっても、業務に必要な知識はきちんと習得している。何年も実業務をこなしてきているので仕事はできる。しかし、部下や後輩を任せるのが心許ないと人材育成担当者は口を揃える。

氷河期世代に与えられていなかった教育とは、「考えさせる教育」だ。OJTとは名ばかりの、業務にいきなり突っ込まれて、仕事にすぐに必要な知識だけを詰め込まれる。なぜ、そうしなければいけないのか。だから、どういうことなのか?問題は何なのか。Why so? So what? Why? Why?・・・深く考えるのではなく、目の前のHowやDoばかりを詰め込まれてしまっている。
彼らを対象に、自社の問題解決を考えるワークショップを開くと、問題の根本原因まで掘り下げることができないことが多い。例えば「残業が多い」という問題を挙げる。解決策として「仕事を効率化する」と答える。残業が多いのは「現象」だ。根本原因は他にある。「仕事の効率化」では具体策になっておらず、解決はできない。深く考えることを教えられていなかった弊害だろう。

そんな彼らが、先輩や上司として新入社員を迎える。ここ数年、採用数が増えてきてから、氷河期世代から不安のと困惑の声を多く聞く。新入社員とうまくコミュニケーションがとれないと。上司や会社からは、新人の育成は重要な役目だといわれ、目標管理(MBO)の項目にも掲げられている。しかし、自分自身、新入社員のころにそんな扱いは受けていなかったのにと。
もう一つよく聞くのが、「新人や若手は”指示待ち”が多くて困る」という声だ。「指示待ち社員問題」は世間でもよく聞くが、ではどんな状態なのかを聞くと、ある程度指示をしたのに、動かないというのだ。しかし、その指示の内容を聞くと、具体的になっておらず、それでは部下や後輩は動けないだろうと思われることも多い。「その指示で、図分だったら動けるか」という想像力が足りていないのだ。むろん、彼らの責任ではなく、彼らもそのように教育されてきてしまったのだ。


「カーリング競技」のように新入社員の進む先を磨き続けるのも大切だが、まずは、その先輩である中堅社員や若手管理職を何とかしなくてはいけない。
OJTとは名ばかりの教育しか施してこなかったのなら、もう一度、業務からきちんと離して、自社課題解決でもいい、ビジネスケースでもいい。徹底的に「考える」ことを習慣づける必要がある。そして、「考えること」を部下や後輩に教えさせるのだ。「教えることは学ぶこと」でもある。きちんと考えて、どうやったら理解させられるかという教え方を考えることは一番の学びになるのだから。


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2008.05.01

“現場に効く”マーケティングの基本理論・第6回

インタラクティブマーケティングの専門誌「月刊im press(アイ・エム・プレス)」4月号が発売されましたので、連載バックナンバーをアップします。
本誌では連載第7回が掲載されています。


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「“現場に効く”マーケティングの基本理論」


あまりに“基本”と思われ忘れられているようなマーケティング理論。しかし、日々の業務が行われる“現場”で今一度振り返ってみれば、思わぬ“再発見”があるのだ。

第6回「個々の人々をカタマリに代え、狙いを定める”セグメンテーション”と”ターゲティング”」

ここまでの連載で戦略の方向付けをした。では、いよいよ「どのように戦うか」という施策に目が向くが、ちょっと待て、である。マーケティングにおける施策とは、いわゆる「4P」だが、その前に考えるべき重要なポイントがあるのだ。

■S・T・Pが決まらなければ4Pは決まらない!

 例えば、あなたが何らかの商品担当になって、その売り上げを伸ばそうと思案したとする。商品の品質向上を図ろうか。パッケージを変更しようか。販路をもっと拡大すべきだろうか。価格は今のままでいいのか。いやいや、プロモーションが足りていないから、認知度が低いかもしれない・・・。と、そこまで考えて、ふと気づかないだろうか。「誰に対してプロモーションや販売を考えているのだろう?」と。
 具体的な打ち手、施策である、製品戦略・流通戦略・価格戦略・プロモーション戦略、いわゆる4Pは当然ながら、「誰に」というターゲットが定まっていなければ精緻な構築はできようもない。「ターゲティング」という。
 しかし、ターゲティングもその前に、そもそも市場にはどんな人たちがいるのかが分からなければ、狙いを定めようもない。それもいわゆる1to1マーケティングのように、誰さん、誰さんと個々人を狙うのではなく、とりあえずは「こんな人」と括れるようなカタマリで考えなくては市場の概観がつかめない。市場に点在する個々の人々を意味のあるカタマリに代えていくことを「セグメンテーション」と呼ぶ。
 その狙いを定めたカタマリに対して4Pを展開していくのであるが、ターゲットが魅力を感じ食いくような打ち出し方も考えねばならない。「ポジショニング」という。
 ”Segmentation””Targeting””Positioning”、略してSTP。ここが個別の施策を考える前の、戦略の要なのだ。


■セグメントはニーズでくくれ!

 セグメンテーションは何を基準として個々の人々をくくるのかがキモである。即ち、共通項探しだ。例えば、人口動態(デモグラフィック)で括れば、性別・年齢・未既婚・家族構成・職業・収入・学歴などの切り口がある。地理的に考えれば、都市部か郊外か地方か・温暖か寒冷かなどもあるし、心理的側面(サイコグラフィック)ならば、ライフスタイル・価値観などの切り口が考えられるだろう。しかし、ここで注意したいのが、性・年齢などの切り口で括れるほど、今日の生活者の価値観や行動は単純ではなくなっているということだ。
 では、何で括ればいいのか。答えは「ニーズ」に注目することだ。第1回で述べたように、マーケティングのキモはニーズの深掘りである。人には何らか理想とする状態がある。そして、それを満たしていないのが、不足状態だ。そして、そのギャップこそがニーズであり、そのギャップを埋めるための対象物としてウォンツ、具体的な商品・サービスが求められるのである。つまり、人々がどんな状態で、何を求めているのかを考えなくては効果的なセグメンテーションもターゲティングもできないのだ。


■観察眼を養いターゲティングの達人になろう!

 では、早速ターゲティングの練習をしてみよう。どの街にもあるであろうマクドナルドの店頭に行ってみてほしい。そこにはどのような人がいて、どのようなニーズにマクドナルドが応えているのかを考えればセグメンテーションとターゲティングが見えてくるはずだ。ポイントは先入観や既成概念を捨てることである。
 世間で大きな話題を呼んだ、巨大なハンバーガー、「メガマック」。そのターゲットは誰だろうか。普通に考えれば「10代・20代の男性」となるだろう。しかし、実際にそれを買って食べている人は30代の男性が一番多いという。そして、ちらほら見かけるのが、若い女性だ。「若い男性はよく食べる。メタボを気にする年代や、ダイエットを気にする女性は食べない」。先入観と単純な性・年齢で考えればそうなる。しかし、実体は異なるのだ。30代代の男性のニーズは「普段メタボだの何のといわれているが、たまにはガッツリ食べたい!」ではないか。つまり、年代は関係なく、「ガッツリ食べたい人」が真のターゲットだ。女性も「話題だから一度は」というニーズかもしれない。すると、「話題に乗り遅れたくない人」というターゲットが考えられる。
 マクドナルドには、レジの並び時間が長いという苦情が寄せられた時期があったが、オペレーションを改善して一定時間以上待たせないという社内ルールを設けたという。それは何かといえば、「時間のない人」というターゲットのニーズに対応したわけだ。
 郊外店の大型店に行くと、子供の遊戯施設「プレイランド」が併設された店がある。それは何のために置かれているのか。「子供のため」。一義的にはそうだが、「手軽に、安価に、食事を取りながら子供を遊ばせたいという親」をターゲットにしているのが実のところだ。子供のお誕生会などのパーティーをさせてくれるサービスもある。これもターゲットは親。「子供に部屋を散らかされたくない。後片付けの手間を取りたくないと考えている母親」がターゲットなのだ。「家に人を招き手料理でもてなすことを喜びにする母親」というセグメントの対極に対応したサービスと言えるだろう。このように、セグメンテーションとターゲティングはニーズに注目し、どのような価値提供をすべきか考えることから始めるべきなのだ。


■そのターゲットで本当にいいのか?

 セグメンテーションができて、ターゲットが決まったら早速、その攻め方を考える・・・のは、もうちょっと待っただ。そのターゲットは本当に力をかけて狙うに足りるほど魅力的かどうかの判断をしなくてはならない。そのためには3C分析で使った市場(Customer)、競合(Competitor)、自社(Company) の切り口で検証するといい。
 市場環境ではまず、そのセグメントにはどの程度の市場規模があるのか、どの程度の成長性があるのか、収益性はどうなのかを見たい。やたらと小さな市場規模だったり、成長性がもはやほとんどなかったり、やたらと利益の薄い市場だったら、ちょっと考え直さねばならないだろう。競合環境では、何と言ってもその競合相手が問題だ。どのような相手なのかによって戦い方が異なってくる。自社の経営環境との整合性も重要だ。例えば今まで高級路線を走っていた企業が、急に安価な市場に進出したら、今まで構築してきたブランドを毀損することになるかもしれない。また、少人数でのローコストオペレーションを展開していた企業が、大勢のスタッフが必要な至れり尽くせりのサービスに進出しようと思っても、急には無理だろう。いずれにしても、狙いたい市場と狙える市場は必ずしも一致しないのだ。


 今回はSTPのうち、SとT、セグメンテーションとターゲティングについて述べた。だが、実は最後のポジショニングこそが商品の売れ行きを左右する最重要事項なのである。次号をお楽しみに。

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