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19 posts from January 2008

2008.01.31

オマケPCを買いました

価格戦略におけるプライシングの大きな方向性は2つ。「スキミング」か「ペネトレーション」。
「スキミング」は高価格・高利益を目標として、市場の上澄みをすくい取るり、早期に投資回収を図る。競合が参入してきたら、じりじりと値下げをするか、さっさと撤退する戦略。
「ペネトレーション」は低価格で市場に浸透させ、早期にシェアを獲得。大量生産・大量販売で固定比率を下げる規模の経済を効かす戦略。

さて、そのペネトレーション・プライシングをとったのではと思える、ASUS社の「EeePC」。別名「199ドルノートPC」。
日本での発売価格はOSをLinuxではなく、Windows XP Home Editionとしたため49,800円だが、圧倒的なロープライスであることは間違いない。
CPUはIntel モバイル。液晶は800×480の7インチカラーTFT液晶。記録媒体は4GBフラッシュメモリドライブ。バッテリー駆動時間は3.2時間。


予約してしまった・・・。衝動買い。
実はEモバイルの端末申し込みをしようとヨドバシ店頭を訪れたら、クロスマーチャンダイジング(抱き合わせ)で何と3万円。しかも、Eモバイル端末も2回線目なので無料!
通信キャリアのレベニューモデルは典型的な「アフターマーケティング型」。Eモバイルは2年間契約なので、違約金に縛られ、ロックインされることになる。初期に特典として顧客に与えた分のコストは、月額4,980円の定額制、2年間で119,520円は確実に回収できるわけだ。
が、それをわかっていても「通信端末を買うと、PCが3万円で付いてくる」というようなキャンペーンは、なかなかインパクトがある。ASUS社のペネトレーション戦略の賜物だ。

ペネトレーションプライシングは微妙に安くとも効果がない。競合が参入意欲をなくすぐらいの低価格を実現しなければ、あっという間に競合も低価格戦略を打ち出してきて、血みどろの戦い、”レッドオーシャン”となってしまう。つまり、そこには競合なき”ブルーオーシャン”が実現できるほどのイノベーションによって達成されたプライシングであることが理想だ。
では、ASUS社はブルーオーシャンを開けたのかというと、残念ながらそうでもないようだ。
海外ですでにEeePCと同価格、少しスペックが上のノートPCが発売されている。Everex社の「CloudBook」。

筆者のメインマシンであるPanasonic CF-W7はカスタマイズしまくった結果、35万円以上の価格で購入することになった。他にも高価なPCはまだまだある。しかし、一つの流れとして低価格化に拍車がかかるのは否めないだろう。極端な低価格機は価格なりのスペックで、安さとトレードオフになっている部分も現実にある。しかし、割り切って使う人も多く出てくるはずだ。
かつて、電卓は非常に高価で貴重品だった。それが昨今は文房具店の店先で、ビニール袋に入れられ、つるされて売られている。技術の進歩とはこういうものなのだろう。ノートパソコンがそんな風に売られる日も遠くないと感じる。事実、すでに通信端末のオマケのようにして筆者が購入したのだから。


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2008.01.30

創造とは動いて形作る行為なり

1
このカオス(混沌)から何が生み出されるのか。

2
ア−ティストは躊躇なく筆を走らせていく。下書きや設計図があるわけではないのに。
そして・・・

3
こんな世界が描き出されていった。

4
こんな世界。

5
場所は東京国際フォーラムのミュージアムショップ。
アートを扱う店らしい試みだ。


それにしても、アーティストの全身を使って作品を創造していく姿には感動させられた。
アウトプットをしていく。創造するというのは、斯様な行為なのかと。


以前拝聴した一ツ橋大学イノベーション研究センター教授米倉誠一郎氏の講演。
「イノベーションは言葉にならない。だから懊悩し、身悶えながら捻り出していくのだ」という言葉が印象的だった。


では、物書きの端くれとして、自らはどのような過程を経てアウトプットしているのかと省みる。

ある新聞社のデスクとの会話。
最近のものを書く姿勢は、「感触が伴っていない」という。
原稿用紙に文字を刻み込んでいく感触。
機械式のタイプライターの、文字ごとに重さが異なるキーを押し込んでいく感触。
そうした感触なしに、一律に軽いパソコンのキーボードから紡ぎ出されていく文章というアウトプットはどこか軽くないかと。

決して回顧的な意見ではない。
米倉教授の講演にあるように、アーティストの活動にあるように、創造的行為には動きが伴っているべきなのかもしれない。


しかし、考えてみると決して自らの創造も動きを伴っているように思う。
パソコンのキータッチにこだわる人は少なくない。筆者もそうだ。
そのキータッチは一律だけれど、書こうと思った文章が頭に浮かぶと同時に、タイピングの指の動きが同時に浮かんでくる。


創造するということは、心、頭、身体の相互作用でなされるものなのだと、アーティストの姿から感じた。


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2008.01.29

それホント?の感覚とロジックチェック

JR東日本の社内中吊り広告で気になる調査データを発見。「毎日朝食を食べる子供ほど、ペーパーテストの成績が高い傾向」というもの。何となく違和感を覚えた。
電車の中で一瞬見ただけで細かい点を忘れてしまったのでWEBで検索すると、大本の調査結果が出てきた。http://www.hayanehayaoki.com/database/tairyoku.html

子供の生活習慣の悪化を食い止めようと、一昨年「早寝早起き朝ごはん運動」を開始。活動推進母体として全国協議会が設立され、各地で啓発活動を行っているという。調査もその一環のようだ。
活動主旨を見ればとても賛同できるのだが、しかし、件の調査はどうもいただけない気がする。

確かにグラフを見れば朝食を「必ず摂る」「たいてい摂る」「摂らないことが多い」「全く、またはほとんど摂らない」という回答毎に、各科目のテストの成績が大きく異なり、有為な因果関係があるように見えてしまう。しかし、当たり前だが朝食を摂ればテストの成績がよくなるわけではない。「勉強時間に差異がないが、朝食摂取の有無で得点に開きが認められた」などの事実があるのであれば、まだわかるが、そんなデータは示されていない。

因果関係が合致しないのに断定的な結果を提示する。これは「バイアス」というものだ。結果ありきでそれを補強する事実を集める「確証バイアス」。

同協議会の主旨である「早寝早起き朝ごはん」に代表されるような、規則正しい生活を送れば学習意欲も向上し、計画的な学習を行うようになり、成績も向上するということを言いたいのだろう。しかし、それを述べるためにデータを後付けしたような調査結果はどうもいただけない。せっかくの立派な活動主旨が台無しになってしまうのではないだろうか。


しかし、こうした因果関係が明確でないものでもそれらしく語られることは世の中で数多い。
例えば、「インフルエンザの予防接種を受けている人は風邪をひきにくい」ということを語る人がいた。当然、インフルエンザのワクチンは普通の風邪に効果はない。にもかかわらず、差異があるとしたら、予防接種を受ける人は健康意識が高く、うがい、手洗い、マスク着用などを行っているから風邪の罹患率が低いという結果だろう。

まことしやかに語られていることを、「それホント?」と感じる直感と、冷静なロジックチェック。情報が氾濫する世の中で、ますます必要になっていくのだろうと考えさせられた。

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2008.01.28

“現場に効く”マーケティングの基本理論・第3回

インタラクティブマーケティングの専門誌「月刊im press(アイ・エム・プレス)」2月号が発売されましたので、連載バックナンバーをアップします。
本誌では連載第4回が掲載されています。


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「“現場に効く”マーケティングの基本理論」


あまりに“基本”と思われ忘れられているようなマーケティング理論。しかし、日々の業務が行われる“現場”で今一度振り返ってみれば、思わぬ“再発見”があるのだ。


第3回「ミクロ環境分析とKBF・KSF」


 まずは前回のおさらい。マーケティングは「価格をどうしよう」「プロモーションをどうしよう」といったうち手に走らないことが肝要。環境分析を十分に行い、戦略を立案し、しかる後に実施施策としてうち手を考えるという「マーケティングマネジメント」の流れが重要である。そして前回の環境分析の第一歩、マクロ環境分析(PEST分析)に引き続き今回はミクロ環境分析(3C分析)から始めてみよう。

■敵を知り己を知れば百戦危うからず?


 故事に習うわけではないが、今回の3C分析は市場環境における競合と自社の戦力分析に注目するフレームワークだ。3CとはCustomer(市場・顧客)、Competitor(競合)、Company(自社)である(図参照)。
Imp3
 一般に3C分析ではCustomerは「市場」と訳されることが多いが、図中にあるように分析においては「市場環境はどうなっているのか」と、さらに「顧客にはどのようなニーズがあるのか」まで踏み込むべきだ。まず、市場環境を整理し、その市場にはどのような顧客群が存在するのか。それらはどのようなニーズを持っているのかを考えていく。
 次にCompetitorに移り、どのような競合が存在するのか。競合は顧客群の中から、競合毎にどのようなターゲットを設定していると考えられるか。そして、ターゲットにどのようなアプローチをしているのかを考えていく。
 ターゲットアプローチは当連載では少し先に詳説する予定だが、マーケティング・ミックスで言うところの「4P」の切り口で考えるとわかりやすい。4Pとはターゲットアプローチのための施策を4つの要素で考えていく方法だ。どんな製品を展開するか(Product)、いくらぐらいの価格で提供するのか(Price)、チャネルをどのように展開するのか(Place)、どのようなコミュニケーションを行うのか(Promotion)である。Competitorの要素は、競合が各々のPをどう展開しているかを推察していくことになる。
 次はCompany・自社だ。市場にはどのような顧客がいてどのようなニーズを持っているか。さらに競合はどのような顧客層を取り込み、どのようなニーズに応えているのかをCustomer、Competitorから導く。その上で自社として競合と同じターゲット設定をして真っ向ぶつけていくのか、競合が取り込めていない顧客層をターゲットとするのかを考える。そして、競合が取り込めていない顧客層や提供し切れていないニーズを発見できれば、自社にとってそこを狙い目とすることができるのである。

■KBFとKSF

 このフレームワークを用いる際に注目したい点がKBFとKSFである。KBFとは「Key Buying Factor」。つまり「顧客が購入に踏み切る理由」だ。連載第一回で「マーケティングとは価値の交換活動である」と述べた。そして、顧客は単なるものやサービスに対価を払っているのではなく、その「価値」に対価を払っているのであると解説した。正にKBFは顧客が何に価値を見いだし、購入しているのかを見極めることなのだ。分析で競合と顧客はどのような価値の交換を行っているのかを明らかにし、それを上回る価値提供を自社が行えるかを考えていくことが肝要だ。そして、前項で記した「競合が取り込めていない顧客層や提供し切れていないニーズ」に対応できるようであれば、それを自社のKSF(Key Success Factor:成功要因)とすることができるのである。言い換えれば3C分析は自社と競合の対比によって、KBFとKSFを導出するフレームワークでもある。
 KBFとKSFは3C分析だけで使われる言葉ではなく、マーケティングにおいては極めて重要な概念であるため、ここでもう少し触れておきたい。KBFとは上記の通り「顧客が購入に踏み切る理由」であり、もっと端的に言うならば「買う理由」だ。実に世の中にはこの「買う理由」が明確でないが故に「売れない」商品が満ちあふれている。そうならないためには、とにかく「顧客」に注目するのだ。どんな顧客が、どんなニーズを持っているのか。第一回でも記したように、マーケティングのキモはニーズの深掘りである。顧客像を明確にし、そのニーズを深く考えることでKBFが見えてくる。成功要因であるKSFも、顧客ニーズにいかに応えるかを考えればわかってくる。顧客像の明確化→顧客ニーズの深掘り→KBFの抽出→KSFの導出という手順が重要なのである。


■現場で運用する際の3C分析・取り扱いの注意点

 3C分析はこれ一つで市場環境の洗い出しから、競合と自社の関係までを一気に分析でき、うち手の検討にまでつなげられることからビジネスの現場で多用されるフレームワークだ。しかし、それだけに少々誤った使われ方も散見される。以下にその代表例誤用例と正しい使用法を挙げよう。

・「市場環境」が抜けモレだらけになる
3Cの出発点は、市場環境を明らかにすることにある。しかし、その洗い出しでモレ抜けが多数発生しがちなのが現実だ。原因は頭の中の思いつきで散発的に「市場環境」の要素を列挙していくことにある。分析の基本動作は「分解すること」である。どのように分解するのかといえば、この場合は政治的、経済的、社会情勢、技術的成熟度という四つの要因を切り口とすればいい。つまりPEST分析だ。少々余分に時間がかかり面倒であろうが、モレ抜けをなくすためにはPEST分析の中から重要な要素を3C分析に引き継ぐことが肝要なのだ。このようにフレームワークは各々が関連し合い、繋がるということも覚えておくべきである。

・KBFとKSFが見つからない!自社の取るべき方向性がわからない!
このような声は分析の手順が誤っている場合によく聞かれる。3C分析には手順の絶対法則がある。Customer→Competitor→Companyという順番で洗い出しを行うことだ。「自社のことからの方がわかりやすい」と、つい、Companyから手を付けがちだが、これは明らかな間違い。自社の現実の姿にとらわれ、「あれもできない、これもできない」と分析に制約条件ばかりを設けてしまうことになる。自社を考えるのは最後。そして、自社として「何ができるか」ではなく、市場環境と顧客ニーズ、競合の動きから考えて「どうあるべきなのか」を考えねばならないのである。


 フレームワークをスピーディーに、より正確に実行できるようになるためには、とにかく数を多くこなすことに勝るものはない。そして、今回は前回に引き続き、環境分析について述べたが、文中にあるようにPESTのマクロと3Cのミクロは実際には不可分な存在である。世の中は絶えず変化している。顧客もまた然りである。故に、実際のビジネスにおいても折に触れ環境分析を行うことが重要だ。まずはミクロ・マクロの分析を確実に行えるよう、自社の業界、競合と自社で試してみることをお勧めしたい。

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2008.01.25

オープンマインドがブランドを作る:二つの港町の物語

隣り合った二つの港町。一方は「ブランド魚」を水揚げし隆盛を誇る。もう一方は衰退。同じ海に面し、同じ魚が取れるにも関わらずだ。その両者を分けるのは何だったのか。

二つの街の漁師たちは、不思議なことに随分と気質が違ったという。二つの街、仮に一方を甲、もう一方を乙としよう。

甲は何事にもオープンで、「今日はこれぐらい魚が捕れました!」と毎日発表し、大漁の日には人を招き、宴を開いた。
乙の漁師たちは内に籠もる性格だった。どれくらい魚が捕れたかを発表することはない。むしろ大漁の時こそ、その数を過小に申し立てた。過小申告すれば、税金が抑制できるからだ。その甲斐あって、乙の漁師たちは豊かになった。テレビや家電が揃い、いい車にも乗っていた。

だが、次第に甲の港の名声が高まり、魚も珍重されるようになり、高く売れるようになっていった。いわゆる「ブランド魚」となったのだ。そして誰も乙の港の魚には見向きもしなくなった。同じ魚なのに、実に三倍の値段の差がつくようになってしまったのだ。

両者の決定的な違いは「オープンさ」だ。甲がどれだけ魚が捕れたかを発表したことによって世間の人々から、「甲は随分とたくさん魚が捕れるらしい」と喧伝されるようになった。大漁の成果を祝い、周りの人々にも利益配分をすることによって、更に「甲の港はすばらしく景気がいい」と評判が加速された。乙は自らの利益のために漁獲高を隠蔽し、過小申告し続けた。その結果、一時的には利益が高まったが、「甲は賑わっているのに、乙はダメらしい」と人々から評されることになってしまったのだ。

あえて街の名前を甲・乙として伏せたが、この話は寓話ではない。日本海に面した二つの港町にまつわる実話だ。とかく物事を隠蔽する風潮のある昨今、この話から学ぶべき所は多いのではないだろうか。オープンマインドによって、世間の人々から評価され、それが自らのブランドを高めていく。それは魚や漁業の話だけではないのは明らかである。

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2008.01.24

「待つ」という行為を考える

30秒、10分、4時間という時間。あなたはどのように使うだろうか。

エスカレーターは概ね人が歩いて昇降する倍のスピードで運行されているのだろう。故に、じっと立っていれば1分の所、歩いて登れば30秒に時間短縮ができる。
実際に時間を計測した人がどれだけいるかわからないが、気忙しい昨今、エスカレーターは、関東なら右側、関西及び国際標準的には左側を歩いて昇降する人のために空けておくのが慣習となっている。しかし、その暗黙のルールを全ての人が理解しているわけではない。
ある朝の東京駅。毎日のラッシュに紛れ込んできたような老婆が一人。エスカレーターの歩いて登る右側に立ってしまい、後ろには大勢の乗客が列をなすことになった。右側を選択し、時間短縮をしようと思ったにも関わらず、不如意な状態な人々は、一様にイライラ感を呈している。そしてエスカレーターの上昇中、老婆の後ろの男性が「お婆さん、左によけてよ」と声をかけた。老婆は意味を理解できないでいる。声をかけた男性の後ろの人は、更にイライラしたように咳払いをする。ようやく事態を把握した老婆は、筆者の前のステップに潜り込むようにして道を空けた。ほとんどエスカレーターが階上に到着する寸前に。
そのエスカレーターは、じっとして乗れば約1分。歩いて登れば30秒の時間節約になる。しかし、その捻出した30秒を人々は何に使おうというのか。

とはいえ、筆者も人を批判できる立場ではないのを実感した。麻布十番の法務局出張所。会社登記簿謄本と印鑑証明の発行は地下一階。待ち時間は10分ぐらいだろうか。
さて、その10分をどう使うか。待ち時間を想定せずに何の用意もしてこなかった。本も新聞もない。あまつさえ、手帳さえ事務所に置き忘れた。頼みの携帯も地下なので圏外だ。たった10分がひどく長く感じる。と、同時に、自分はこんなにも待つということに我慢ができなくなっているのかと驚いた。

インターネットの人気個人サイトを運営している男性が、視力回復手術体験記を綴っていた。
術後、眼球を外気に触れさせたくないので自室で過ごそうとしたが、さりとて目を使うパソコンやテレビ、読書などはできない。眠ってもいけない。4時間をどう過ごすかに悩んだという。その人は録り溜めしたラジオ番組を聞いて過ごしたようだが、事前に用意していなければどのようにして過ごしたのだろうか。そして、自分が全く目を使わないで4時間を過ごす立場になったら、何をするのだろうか。

一昨日「活況を呈する時間対応型ビジネス」として、一つのビジネストレンドを紹介した。人に等しく与えられた1日24時間の使い方を提案するのは確かにビジネスチャンスとなる。有効な時間活用に対する需要は高い。しかし、時間の使い方として、「待つ」という行為は、その後に来たる期待をより豊かにする妙薬でもあるはずだ。その時間を思索に当てるのもいいだろう。決して無駄ではないはずだ。とかく「時間がない」と嘆く今日、「待つ」という時間の使い方にもう少し工夫をしてみようと思った次第だ。

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2008.01.23

「顧客紹介」のメカニズムを考える

ある眼鏡店からダイレクトメールが届いた。受け取り拒否の意思表示はしていないので、特に問題のあることではない。セールか新作の案内かなと思ったが、ハガキには「お友達を紹介してください!」と書いてあった。


「お友達を紹介してください」は、よくある「顧客紹介プログラム」で、珍しいことではない。紹介すると、紹介者に金券などの謝礼が与えられるのが一般的だ。「人をだしに使う」というような負い目を感じさせないように、最近では被紹介者(友人)にも同等の金券などの特典が与えられる互恵的なプログラムが一般的になっている。
しかし、そのハガキを見たときの筆者の感想は「なぜに君の店を人に紹介せねばならないのか?」というものだった。

眼鏡マニアでもある。実に10個近い眼鏡を持っている。自宅近くの店をよく使っているが、街を歩いていて気になる眼鏡を店頭で見かけると作ってしまう。そんな店の一店からであった。その店で眼鏡を作ってから数ヶ月、最初のコンタクトが「お友達を紹介してください」だ。

知人を紹介するという行為を安易に考えている企業が多い。「お友達紹介キャンペーン!」などは一般的になっているが、あまり効果は上がっていないのではないだろうか。
紹介行為にはリスクが伴う。例えば、お気に入りの飲食店を友人に紹介したとしよう。
その店に行った友人に、「どうだった?」と聞くと、友人はあまり快適な経験をしなかったという。どうだろう、ちょっと気まずくないだろうか。こんなことは最も小さなことだが、ノーリスクではない。

しかし、筆者は自身の生命保険の営業担当者に、過去数名知人を紹介している。保険という、プライバシーに関わる商材に関する紹介はかなりリスクがあるといっていいだろう。しかも、紹介しても謝礼などはない。
では、少しでも保険に関心のあるという知人に、「いい担当者がいるんだけど」などと紹介をするのか。そこが、「顧客紹介のメカニズム」の要諦だ。
答えは、「その担当者の日頃の対応に非常に満足しているから」。もっというと、「日頃から何かと気にかけてくれている担当者に感謝しているから」。「感謝しているから、こちらからも何かしてあげたくなるから」である。

顧客が紹介行為をしてくれる原動力は「ロイヤルティー」だ。
どんな顧客にも一律、「紹介キャンペーン」などやっても無駄なのだ。いや、むしろ顧客の心証を害する場合もある。件の眼鏡店も、まずは「ご購入いただいて1ヶ月経ちますが、眼鏡の具合はいかがですか。調整にご来店なさいませんか」といった所から、コミュニケーションを進めていれば、いつしかロイヤルティーが高まって、筆者も知人を紹介したかもしれない。

Step
物事には段階がある。紹介を受けたいなら、顧客との距離を縮める努力が必要だ。今回の事例を整理するために、簡単なチャートを添付する。(図参照:クリックで大きくなります)フィリップ・コトラーは顧客進化を6段階のフレームワークで表したが、より簡単に3段階でまとめてみた。
よりよい顧客との関係構築のために参考になれば幸いだ。


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2008.01.22

活況を呈する時間対応型ビジネス

「時間」の使い方に注目が集まっている。書店に行けば有効な時間活用法の指南書が溢れ、ビジネスパーソンの間で定着しつつある「ライフハック」というキーワードも時間活用が大きなポイントだ。個人の生活の中でも必須な費用以外のゆとりに資する「可処分所得」と並んで、「可処分時間」が重要となっている。
そんな昨今、「時間対応型ビジネス」が活況を呈してきている。


日経MJで1月21日の「女性真理学」で紹介されていた「女性向け朝対応型ビジネス」はその好例だろう。残業などで意外と自由にならないアフター5の代わりに、自分の意志で自由になる朝にヨガ、ボイストレーニング、イベントなどのプログラムに参加するという。
無から有を生じることは容易ではないが、今まで活用されていなかった資源に注目することは、大きなビジネスチャンスとなる。その資源とは、人の「空き時間」なのだ。


一つの商品を購入した顧客に、関連商品を重ねて購入させる「クロスセリング」は商売の基本だ。そのクロスセリングにも時間という切り口が活かせる。
同じ日の日経MJ第一面「マーケット仕掛け人」。人気のテーマパークUSJで、アトラクションの待ち時間をレストランで過ごせる「食べ乗り」が昨年11月から本格導入され、好評であると報じられていた。人気アトラクションには<通常1~2時間並ぶ必要があるが、顧客にとっても当社にとっても非生産的な時間>それを園内の消費につなげるという意図で企画されたと担当者は語る。
テーマパークに入園し、施設を利用し一定時間を過ごすことで対価を得るというビジネスにおいて、クロスセリングを行おうとすれば物品販売か飲食になる。ただ単に「買ってください、食べてください」では顧客の納得感は薄い。「合理的に時間を過ごせる」という提案であれば、非常に魅力的となる。無駄な時間を過ごしたくないという顧客の問題解決をする、いわゆるソリューション提案であるからだ。
これも「時間」を切り口としたビジネスチャンスが創出されている事例だろう。


利用者が増大している家事代行サービスも、労力の軽減という側面よりも、時間を節約しようという利用者の意図が強いのだろう。家事というルーティンワークから解放され、より豊かな時間を過ごすという生活者のニーズの高まりが代行サービス市場を広げているのに他ならない。


全ての人間にとって平等な条件を挙げるとすれば、それは間違いなく「時間」だ。1日24時間という条件はどのような手立てを使っても変えることはできない。その使い方を提案するという切り口はもはや欠くことはできない。

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2008.01.21

なぜ買ってしまうのか?:トマトのお酒を分析する

つい買ってしまうモノ。やめられないモノ。誰にでもいくつかあるだろう。買ってしまう理由をちょっと考えると、「何となく」としか答えられないモノも多い。
そんな自分の中の「何となく」を解き明かしてスッキリしてみようと思った。
コンビニでいつも買ってしまうお酒の話。


発売時に随分と話題になった、トマトのお酒だが、筆者は特に昨年4月発売のサントリー「トマトマ」と、9月発売のアサヒ「トマーテ」を愛飲している。トマトのお酒は合同酒精の「ラ・トマト」が4年ほど前に発売されているが、いずれも随分と好調な販売成績のようだ。


■製品特性分析で勝負の賭けどころを探ってみる

Photo
さて、モノの価値がどのような構成要素になっているのかを考えるには、フィリップ・コトラー提唱の製品特性分析が最適なフレームワークだ。以前、当サイトで5層モデルを紹介したが、今回は3層モデルで考えてみよう。
3層は中心から<中核><実体><付随機能>と価値要素に分解されている。
<中核>とは、「顧客が製品やサービスの購入で手に入れたい価値」だ。
<実体>は「製品の特性を構成する価値」。
<付随機能>は「製品の中核価値に直接的な影響は及ぼさないが、その存在によってより魅力が高まる価値」である。詳しくは(図)を参照されたい。

この製品特性分析は、一つのモノの価値構造を明らかにするだけでなく、複数の製品を比較することによって、その際を明確になり、どの部分が差別化要素なのかがはっきりする。この分析で自分のビジネスと競合を比較すれば、勝負の賭けどころがわかるという、なかなか使いでのあるフレームワークなのだ。

では、その3層モデルで「トマトマ」と「トマーテ」を比較してみよう。
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<中核>
【トマトマ】
・トマトを主体とした健康的で美味しいお酒
【トマーテ】
・トマトを主体とした健康的で美味しいお酒
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<実体>
【トマトマ】
・白ワインベース、アルコール12%のカクテル
・味がまろやかになる乳酸発酵のトマト果汁使用
・深い味わいを感じさせる唐辛子由来スパイスの隠し味
・トマトと同じ成分のリコピンを使い、ロックで飲んだ際の氷に映える赤い色を強調
【トマーテ】
・アルコール5%の低アルコール飲料
・隠し味のレモン果汁でよりスッキリとした味わい
・味が濃く香りが強い非加熱濃縮のトマト果汁を使用
・そのままゴクゴク飲めるトマトジュースのようなサラサラとした飲み口
---------------------------
<付随機能>
【トマトマ】
・他の果汁やアルコールを用いたカクテルを提案
【トマーテ】
・カゴメとのコラボレーションによるトマトのおいしさのエンドースメント
---------------------------

両製品とも、生活者の健康志向に応える新しいアルコール飲料であることは、中核価値が同じであることがわかる。付随機能は考えられる範囲ではあまり重要な意味にはならないだろう。とすれば、勝負は同じ新しいトマトアルコール飲料というカテゴリーで、どれだけの差別化が図れているかということになる。

<実体>を比較してみると、アルコールらしくない方向にまとめた「トマーテ」と、よりアルコール飲料であることを強調している「トマトマ」の差異が明確だ。


■STPで両者の戦略を推測する

次に「セグメンテーション」「ターゲティング」「ポジショニング」、つまりSTPを考えてみよう。ちなみに、このあたりから、さらに筆者の想像の世界に突入していくので確度は保証の限りではない。

まず、ターゲティングは両商品とも30代の男女を想定しているらしい。この世代は「まぁ、まずビールでいいよな?」というと、「えー?」と切り替えされる、ビール離れが進んだ世代だといえるだろう。ビール離れ世代はビールのその苦みも好まないというので、こうしたトマト系飲料の爽やかな甘みはうってつけではないだろうか。また、ウイスキーなどの高アルコール度蒸留酒ではなく、ワインやカクテルを好む傾向もある。ということは、セグメントとして、ビール、ウィスキーなどを好むか否かという切り口も用いているのだろう。
もちろん、健康意識の高い人をターゲットにしているのは間違いない。日本人のトマト摂取量はここ10年で随分と上がっているという。品種改良によって甘みを増したことも大きく貢献しているだろうが、リコピンなど、トマトの持つ健康成分が支持されている。

ここまでは、「トマトマ」「トマーテ」両商品とも同一条件だが、製品特性と合わせて考えると、ポジショニングの違いが明らかになる。
製品特性の<実体>で、トマトマは「深い味わいを感じさせる唐辛子由来スパイスの隠し味/トマトと同じ成分のリコピンを使い、ロックで飲んだ際の氷に映える赤い色を強調」という特徴があった。ロックで飲むこと前提のちょっと高めのアルコール度数。そしてトマトに隠れたスパイスが味の深みを演出する。健康だけでなく、ちょっとオシャレな大人のカクテルというポジションを目指しているのだろう。
一方、トマーテは「味が濃く香りが強い非加熱濃縮のトマト果汁を使用/そのままゴクゴク飲めるトマトジュースのようなサラサラとした飲み口」はっきり言って、あまりアルコールらしくない特徴だ。お酒というよりは、ちょっとアルコールが入った健康的な飲み物というポジションではないだろうか。

実は、この両商品は一口飲んでみれば、そのポジションの違いは明確なのだ。
トマーテは爽やかな太陽の下で、ゴクゴク飲んで気持ちがいい。昼から缶ビールをプシュッと開けていると、何やら後ろめたさが漂うが、トマーテなら大丈夫。
トマトマは、夜、氷を浮かべ、ゆっくりとグラスを傾けるのに最適。ウイスキーの水割りよりも確実に身体にいいだろうと思うと、自分への納得感も高い。

飲むのに最適なシーンがあり、健康によくて実に美味しい。こんな両商品はついつい買ってしまう理由がたっぷりなのだ。
昼も夜も酒浸りかって?
うーん、どうやら筆者は一般のターゲットとは、ちょっと違うかもしれない。

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2008.01.18

環境も「デフォルト」を見直そう!

「デフォルト」という言葉を聞くと、通常はパソコン用語を思い出すだろう。<本来、ユーザーが何らかの値を指定すべきところに、特定の値をあらかじめ登録しておいて、ユーザーが何も設定しなければその値を採用するの「デフォルト値」>だ。

しかし、本来の英単語defaultは <〔義務などの〕不履行・怠慢>である。つまり、パソコン用語においては<デフォルト設定とは,「ユーザーが怠けてもいいようにする設定」>と解釈できる。(参考:IT pro

我々の生活の中にもわざわざ指定しなくとも、暗黙の了解のごとく提供される物事が数多くある。例えば、飲食店で席に着けば、注文していないのに水かお茶が出される。食事の前にちょっと喉を潤したいという顧客が希望を言うところを、デフォルト化して怠けていいようにサービスしているわけだ。
対顧客への「デフォルト」は、多くは顧客に怠けていいように働きかけ、顧客満足の向上や利便性の提供のために設定されているが、全ての人が満足しているわけではない。
例えば、東海道新幹線でグリーン車に乗ると、使い捨てのオシボリが提供される。受け取るとすぐに顔や首を拭く人も多いが、筆者は夏でなければ基本的にはあまり使わない。わざわざ「いりません」というのも意固地な感じなので、何となく受け取って、そのままポケットにしまい込み、後日気がつくと乾燥していたりする。人によってありがたみは当然異なる。

一見、顧客サービスになると考えて行われていることでも、それが効果的でなければその費用は冗費となる。また、今日の大きな課題である環境問題を考えれば、小さなこととはいえ明らかに環境負荷を高めることになっているのだ。

そんな中、「デフォルト」を見直す、画期的ともいえる取り組みが紹介されていた。
<ローソン京大店がレジ袋を原則廃止 全国のコンビで異例>(asahi.comより)
コンビニでは少し前まで、デフォルトとして飲料一本を購入してもレジ袋に入れてくれていた。昨今、環境負荷軽減のため「袋はご利用ですか?」との声かけが励行されるようになってきた。それを更に一歩進めて、「必要な顧客が自ら申し出る」という方法に切り替えたのだ。つまり、顧客はデフォルトではなく、必要なときには自己申告をするというスタイルだ。

レジ袋削減のために、原則有料化をしている企業も登場しているが、必要な人もそうでない人も、一律に課金し、費用負担がいやだから利用を見合わせるという選択を強いるのはあまりスマートではない。不要なものはもらわない。必要なときには「ください」と言う、当たり前なスタイルは、顧客の環境意識を高めることにも繋がる良策だといえるだろう。

筆者のポケットで乾燥してしまう新幹線オシボリのごとく、不必要なデフォルトは注意してみれば身の回りにたくさんあるだろう。ITproの記事も<「デフォルトのまま使い続けると危険」といった意見を聞いたことがある人もいるだろう。><いくらデフォルト設定で楽ができるからといっても,管理者用のIDやパスワードといったデフォルト値は変更して使うべきだ。>と締めくくっている。地球の環境もこのままでは危険なのは自明だ。
生活者は不要なデフォルトを断る習慣を持つと同時に、企業もローソン京大店のような冗費と環境負荷を削減する取り組みを一層進めるべきなのだ。

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2008.01.17

「食物への愛」が育まれる食育であれ

「食物に対する愛より誠実な愛はない」。イギリスの劇作家、ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw:1856~1950)が1903年 『人と超人』 (Man and superman)で記した言葉として広く知られている。
ベジタリアンであったショーの言葉としては不思議な気もするが、自身の長寿の秘訣を菜食主義にあると語っていたことから、独自の食へのこだわりから発せられた言葉であると解釈ができる。

飽食と偽装が満ちあふれたこの日本においては、いったいどれだけ心から「食物に対する愛」を抱けるのだろう。
ところが、年が明けてから、食品偽装糾弾の反動か、食品偽装の原因は「消費者の過度な鮮度に対する要求にある」という論調が強まっているように感じる。そしてその論には「消費者は賞味期限と消費期限の違いもわからないくせに」という揶揄の言葉が続く。

偽装が許されるわけでもなく、食に携わる事業者たちの底流にあるモラル低下が最大の問題であるという事実は曲げられないが、「飽食の時代」であることは確かだ。厳しい期限により廃棄される食品の数はおびただしい。食品期限に関わらず、外食などでの食べ残しもまた凄まじい量だ。
賞味期限・消費期限という「数値」にはこだわるものの、本当の「食物に対する愛」が消費者からも失われているのも事実かも知れない。

そんな中、「食育」というキーワードが注目されている。
学校給食法の目的に「食育」が明記され、中央教育審議会が17日、渡海文科相に答申する。(asahi.comより)。法改正の要諦は「給食を通じて食への感謝や地域文化の理解、郷土への愛着などを育む」ということだという。
「食への感謝」は非常に重要だ。だが、どうやら実際には後半の「地域文化の理解、郷土への愛着」という部分が本当の目玉のようだ。
<同省は08年度予算案に郷土料理や地場食材の普及を目指し4億5000万円を計上しており、予算を通じて改正理念の定着に努める方針だ。>

郷土料理や地場食材もいいだろう。しかし、前段の「食への感謝」の部分をもっと具体的に教育し、「食物に対する愛」を育むことが先ではないだろうか。もっと言えば、「もったいない」の精神を食を通じて教示することだ。

大学生が考案した、おもしろい取り組みが伝えられていた。(毎日.jpより)。
<東北大の学生食堂に15日、焼きイモとふかしイモ、リンゴだけという質素な定食が登場した。300円。すべて国産で「食糧輸入が止まった場合の食生活を体験する」とのコンセプト。><39%と低迷する日本の食料自給率について考えてもらおうと、食糧安全保障を学ぶ学生5人が企画した。>日本の食の実態をストレートに理解できるこうした具体的な取り組みだといえるだろう。
大学生になってから自ら気づき、仲間に伝えようという学生の取り組みは立派だが、それ以前に小さな頃から「もったいない」の精神と「食物への愛」が刻み込まれた大人になるような食育であって欲しい。


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2008.01.16

「期待」が高まる「Mac BooK Air」

これはいけない。本日発売された「Mac BooK Air」。
次々とモノを買うのは環境によくないと、しばらく寝かしつけていた物欲のムシが騒ぎ出しそうだ。

A4サイズ、厚さわずか1.94センチ。これこそ真に「ノートパソコン」と言えるものだろう。64MBのソリッドステートドライブモデルもあり、モバイルとしての耐衝撃性、省電力性にも貢献するはずだ。
毎日PanasonicのLet's noteを持ち歩いている。普通のパソコンに比べればかなり高価な分だけコンパクトにできているが、欲を言えば本当に気軽に持ち歩くにはまだかさばる。

Mac BooK Airの本当の”ノート”の実現ともいえる薄さへの挑戦は、ここのところ停滞していたパソコンの進化において、久々な高レベルだといえるだろう。
以前、コラムで執筆したのだが、ノートパソコンは少し前からカラーバリエーション展開が目立つようになっていた。NECやソニー、DELLが顕著だ。
DELLのようなBTO(受注組み立て出荷)であればまだしも、店頭モデルでカラーバリエーションは在庫を多くしてしまう危険性を伴う。しかし、その危険性を飲み込んででもカラーバリエーションを展開しなくてはいけないぐらい、差別化要因が乏しくなってきているのだ。

Notepc5
左図(クリックで拡大します)のフィリップ・コトラーの製品特性5層モデルで表すと、ノートパソコンの製品の提供価値はどんどん外側になっていることがわかる。正にカラーバリエーションは一番外側。提供価値のどん詰まりなわけだ。
今回の「Mac BooK Air」の何がすごいのかと考えれば、薄さへの挑戦という、モバイル用ノートパソコンの根源的な部分を改善している点だろう。中途半端に薄くなったのではなく、元々薄かった前の機種から3割減だ。
製品特性でいえば、「期待」の階層を改良したわけだ。「拡大」の階層のデザインや「潜在」の階層のカラーから比べると高次元の改良であることがわかる。

おっと、あまり書いていると、自分自身の期待がむくむくと膨れあがっていく。
まだLet's noteを買い換えたばかり。このあたりで終わりにしておこう。

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2008.01.15

ご当地バーガーの隠れたナンバー1はこれ!

連休明けだというのにユルいネタで恐縮なれど、昨日の日経MJの記事「ブームの予感」に触発されて、ハンバーガーの話題を一つ。

同記事によると、地元の食材と調理方法にこだわった「地バーガー」が人気という。
一つは「グルメ系」で、小規模事業者がファストフードではあり得ない、こだわりの贅沢な食材で作り上げているという。
ずいぶんメジャーになってしまったが、ハワイアンスタイルで人気の「クア・アイナ」も、元々はオアフ島のノース・ショアで店を開いたとされる、このカテゴリーの元祖のようなものだ。日本でもこのカテゴリーがヒットするのもうなずける。

ユニークなのは「害獣バーガー」。ブラックバス、ブルーギルなどの外来魚。増えすぎて食害をもたらしているイノシシ、シカなどがそうだ。ブラックバスは鱸(スズキ)科だし、淡水魚独特の臭みが消せれば食べられるだろう。生態系破壊を防ぐ「エコバーガー」として人気だそうだが、調理方法には気を遣ったであろうことが伺える。
イノシシ、シカは高級食材でもある。どう考えてもうまいだろう。
が、兵庫県篠山市では「丹波バーガー」として味噌味のイノシシ肉バーガーを400円で販売しているとのこと。お買い得だ。
ちなみに、獣肉は江戸の昔より”ももんじ”と呼ばれ、根強い愛好家に珍重された食材でもある。東京・両国橋のたもとにある”ももんじや”はももんじをすき焼きやしゃぶしゃぶで食させる購入店として有名だ。

もう一つの流れが、海産物をパテにした”海産系”だそうだ。
北海道のサケ、ホッケ。松島のカキ。長崎五島列島のブリ。鹿児島の薩摩揚げなど、なかなか聞いただけでも垂涎ものだ。
が、大事な逸品が紹介から漏れている。なので、ご紹介する。

富山湾の宝石、白エビを大胆に使った、その名も「白エビバーガー」。

富山湾の深海に生息する白エビは、甘エビほどメジャーな存在ではないが、その上品な甘みは、甘エビにいささかの遜色もない。
国道8号が通る富山県射水市の道の駅、「カモンパーク新湊 」では、その名産の白エビを使ったメニューが豊富だが、高級な料理だけでなく、「白エビかき揚げ丼」などの庶民的なメニューも提供している。
かき揚げ丼は、全国B級グルメのNo.1に輝いた実績を持つが、そのかき揚げを使ったのが「白エビバーガー」だ。

ふんだんに白エビを包み込んだかき揚げとキャベツが、タルタルソースとともにバンズに挟まれている。
白エビの上品な味わいを殺さないために、ウスターソースなどではなく、控えめな味のタルタルにしたという。
また、かき揚げの食感を損なわないため、バンズはふんわりと柔らかなタイプを選択しているのも特徴だ。
結構なボリュームにもかかわらず、価格は驚きの250円。地元価格なのが何ともうれしい。

射水市は市町村合併でできたばかりの市だが、なかなか訪れる機会はないかもしれない。
しかし、帆船ファンなら知らぬ者はいない「海王丸」が係留されている「海王丸パーク」など、隠れた名所もある。
北陸方面に出かけるなら、一度は訪れ、白エビバーガーをご賞味あれ。


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2008.01.11

品格よりも粗にして野であれ:品格時代のお勧め本

Amazonのおすすめで、なぜか「女性の品格」が表示された。
この本の読者は8割が女性だというが、何かの間違いか、過去に藤原正彦の「国家の品格」を購入したからだろう。
しかし、ふと気になり、Amazon内の「品格本」を検索してみた。
あるわあるわ。 本>”品格” 検索結果208件。品格ブームとはいわれているものの、すごい数だ。
さて、この品格ブームの正体を少し考えつつ、ある本を最後にお薦めしたい。


「品格」という言葉の意味を辞書で調べてみる。広辞苑 第五版。
【品格】品位。気品。
関連した言葉も調べる。
【品位】人に自然にそなわっている人格的価値。ひん。品格。
【気品】どことなく感じられる上品さ。けだかい品位。
【上品】ひんのよいこと。気品のあるさま。
ざっくり言うなら上品かどうかということ。「女性の品格」は、挨拶をきちんとする。タダのものをむやみにもらわない。色恋の話をすぐにしない・・・などなどが書いてあるようだ。やはり上品であるにはどうあるべきかという論と言えるだろう。
「国家の品格」は武士道を基軸に「卑怯(ひきょう)な振る舞いをしてはなりませぬ」「弱いものをいじめてはなりませぬ」などの心得を説いているので、単純に上品かどうかというレベルを少し超えているが。

しかし、なぜ日本中でこんなに品格品格と言われるようになってしまっているのか。
「衣食足りて礼節を知る」と言われるが、格差社会、ワーキングプア問題などがある中で、「自分は十分大丈夫だし、やはり次は礼節か」という、いわゆる勝ち組負け組の、自らの勝ち組証明として「品格」を心がけようとする動きなのだろうか。

しかし、本来「品格」などは自らの基準に照らし合わせ、品格あるべき行いをしようと律すれば良いことのはずだ。それが何百万冊も売れてしまう。
そもそも品格という曖昧模糊とした、基準なき概念に正解などないはずだが、正解を探したくなるのが現代人の性。それが、マニュアル的に「品格本」が売れる理由ではないだろうか。

品格本は悪くない。それを読むことも悪くはない。事実、自分だって「国家の品格」を読んだ。
しかし、品格だけではなく、もう少し別の考え方をしてみても良いのではないかと思う。
そこで、お薦めの本だ。

粗にして野だが、卑ではない」。
昨年亡くなった経済小説家、城山三郎が記した第五代国鉄総裁、石田礼助の生涯である。
石田礼助は自らを「ヤング・ソルジャー」と称して、初の財界出身総裁というハンデをものとせず、改革に辣腕を振るった人物だ。その卑とならず、高い志を貫き通した生涯からは、品格だけでは語れない高いプライドが学べ、本当の経営者のなんたるかがわかる。

もう一つ城山三郎作品。
男子の本懐」。
命をかけて、金輸出解禁、金本位制復帰の改革によって、経済建て直しを図った浜口雄幸首相の生き様を記した作品だ。こちらは本当の政治家たる姿を伝えてくれる。

「品格」に飽きた人には、一読されることをお勧めしたい。

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2008.01.10

景気低迷期における社員教育の考え方

企業の社員教育は一種の遅行指標で、すぐさま景気の変動を受けるものではない。なぜなら、前年度にあらかたのプランができあがっており、当年度はその実行に当たるからだ。
しかし、今回の景気失速の見込みは、多くの企業がまさに来年度(4月以降)のプラン策定期におこったため、縮小が予想される。


■縮小が招くじわじわとした弱体化

筆者のビジネスで企業研修の講師業はある一定の比率を占めるため、社員教育の縮小はちょっと困る。いや、すごく困る。
しかし、今回の記事は自身の収益確保のための論ではない。過去の苦い体験に基づいたものだ。
前職では社内のナレッジマネジメントと教育に関わる部門長を兼務し、社内研修の企画実施を行っていた。元々、教育には熱心な会社で全社員とも業務時間の3%程度が教育を受ける時間に割り当てられていた。
だが、ITバブルの崩壊に引きずられ業績が漸次悪化。余裕がなくなり教育の時間が削られ、業務時間へと振り替えられていった。
こうした教育の削減は、即時に反応が出ないところが怖いところなのだ。教育が足りない。提案力の錬成や、プレゼンスキルの鍛錬ができていない。業務の受注率が低下する。
しかし、実際には景気の後退によって業務獲得は確かに難しくなっているので、それがダイレクトに教育不足のためであると断定はできない。断定できないのだが、確かに企画書などを書かせても完成度が高まらない。じわじわと弱体化していく。
その後筆者が職を離れた後、建て直しが図られたようであるが、一度弱った組織を元に戻すのは大変だったろうと推測できる。


■社員教育の実施方法とクリティカルマス

研修の実施方法には、大きく分けて受講者の自薦と階層別の強制参加がある。
教育担当部門がメニューを用意しておき、関心のある社員が自ら手を挙げて参加表明をする自薦型。これは個々の社員、特に意欲のある社員の能力を伸ばすには非常に効果が高い。
しかし、組織全体に対する効果は必ずしも保証されるわけではない。教育で得た個々人の知識や気づきがそのまま業務に活かせるものと活かせないものがあるからだ。
決して好ましいことではないのだが、部下が習得した知識が上司のやり方と異なっていた場合、その活用の機会がなくなってしまうという例も散見される。
そのような問題を発生させないために実施しておきたいのが、管理職レベルの階層別研修だ。管理職といっても、現場の業務に携わるプレイングマネージャ的なポジションに対してである。
重要な教育は、あらかじめ上司にこそ強制的に受講させ、部下の受講に対して理解を形成しておくことが肝要だ。上司から部下に「ああ、おまえが今度受けに行く研修、大変だけど頑張れよ」というような言葉が出なければならないのである。
以上のように、社内で最も効果を発揮する教育方法は、上司と部下のセット、強制と自薦の組み合わせであり、それによってクリティカルマスを突破させるのである。
クリティカルマスとは、本来的にはある商品やサービスの普及率が一気に上昇するための分岐点である。別の言い方をすればティッピング・ポイントだ。
しかし、マスと言うだけに、ある程度のボリュームが実施されなければクリティカルマスは超えない。
ここで困るのが、景気の後退による教育の縮小だ。自薦式の教育は実施回数が減らされても、細々続くことになるが、階層別の教育でそれなりの対象人数を動員するようなプログラムは一気に見送られることが多いのだ。
特に業務に直結した知識習得や、昨今重要なコンプライアンス関連のような研修はまだしも、マーケティングや提案力強化などのプログラムは縮小対象になりやすい。
縮小するのは簡単だ。しかし、前述のようにその影響はじわじわと押し寄せてくる。厳しい環境で自力も落ちてしまうという悪循環は避けるべきなのだ。


■社員教育は単なる教育にあらず

ある企業では、「顧客視点を見直そう」というテーマで、現場の全管理職を対象とした研修が行われている。顧客視点は昨今のマーケティング環境においては必須である。顧客の支持なくして企業の存続はあり得ないのだから。
だが、意地悪な見方をされれば、そんなものは当たり前で、わざわざ習うようなものではないとか、それを習得したからといってどれだけ業務成果があがるのかという論もあろう。しかし、その企業は、「現場に対する影響力が強い管理職全員の意識が変われば、会社の文化も変わる」という信念で粘り強く実施している。

日本能率協会が昨年6月から7月にかけて行った、「2007年度(第29回)当面する企業経営課題に関する調査」では、<3年後の経営課題として「人材強化」が「収益性向上」を上回り、最重要課題となる>として、具体的には<約5割の企業が前年対比で教育予算を増加させている。前年より強化している分野は、「新入社員研修」(39.5%)、「中堅社員研修」(36.1%)、「中級管理者(部課長)研修」(35.2%)が挙げられた。>という結果が発表されていた。
わずか半年前のことではあるが、ここに来て景気の不透明感が増す中で、どれだけその課題意識が保てるのかが問われるだろう。じわじわとした弱体化に繋がらないことを願う。


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2008.01.09

事故は大事故か、小事故か?:ハインリヒの法則

実はディズニー好きである。ランドもシーも大好きだ。
さすが「夢と魔法の国」。一般の遊園地やテーマパークと比べて格段にきれいでキャストの対応もいい。気持ちが良い。
それだけに東京ディズニーランドで発生した、パレードの飾り落下事故がひどく気になる。
幸いにも怪我人はいなかったものの、重さ300㎏の部品が人に当たらなかったのは僥倖というものだろう。一歩間違えれば悲惨な大事故だ。

「このような事故は83年の開園以来」と発表されているが、実は同園での事故は今月二度目なのだが、ご記憶だろうか。
3日の午後2時、アトラクション「スイスファミリー・ツリーハウス」のわらぶきの屋根が燃えるぼやがあった。
アトラクションには来場者がいたが、幸いにもキャストの誘導で被害はなかった。
火事も開園以来初めてという。
出火原因は現在も調査中のようだが、同アトラクションは全体が屋外に露出しているので、避難がしやすいものの、室内型のアトラクションであったらと思うと、あまり小さな事故には感じられない。

以前にも当サイトで紹介したが、「ハインリヒの法則」というものがある。
1つの大事故の前には、29の小事故があり、その小事故の前には300のヒヤリとしたり、ハッとしたりするようなトラブルが前兆としてあるというもので、またの名を1:29:300の法則ともいう。

今回の事故は大事故が2件とカウントすればいいのか、落下物が大事故で、ぼやは小事故と見るべきなのか。
いずれにしても、ハインリヒの法則から考えれば、その手前の「ヒヤリ、ハッと」が実際には数多く起こっていなかっただろうか。その予兆はキャッチされていたのか。

事故回避のためにはトラブル情報を見逃さず、共有することが極めて重要だ。メーカーや建設業、またはインフラ会社など、安全が重要な企業においては、トラブル防止がナレッジマネジメントの大きな課題となっている。
ディズニーといえば、卓越したマニュアルと教育が有名であるが、トラブル回避策も十分だろうと思っていただけに衝撃は大きい。特に一度ならずも、わずか1週間の間に立て続けであることが何とも気になる。

同園には多数のキャストが配置されているが、来場者ならではの「おや?」と思うこともあるだろう。場者からの情報収集の仕組みも作るべきではないだろうか。
恐らく、この事故があったからといって、来場者が激減することはないだろう。それだけみんなが信頼をしているということだ。
その信頼を裏切らないためにも、この事故のナレッジは確実に蓄積してもらいたいと切に望む。

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2008.01.08

ハレとケで考えるコト消費とモノ消費

昨日の記事がつっかえていたので、同じ日付になってしまいますが、本来の本日分の記事をアップします。

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ハレとケで考えるコト消費とモノ消費

日経MJ1月7日号の「流通トップ年頭所感」で、J・フロントリテイリングの奥田社長が「消費者の購買行動はモノからコトへと移っており、物販を主力とする小売業にはこれまで以上に厳しい年になりそうだ」と述べておられた。
果たしてそうだろうか。大変失礼ながら、違和感を覚えたので少し考えてみたい。


■高まる消費の選択制と残る消費

一つ前にアップした記事、”「縮み」のなかで如何に生きていくべきか”で筆者は今後生活者は厳しくなる経済状況と切迫した環境問題の中で、自ら消費の選択制を高め「縮む」べきであると述べた。モノからコトへ移行するのとは別の意味で、生活者が消費を絞り込むことは間違いないだろう。
しかし、モノでもコトでも、何んらかの消費のアクションを起こすということは、費用が発生する。環境負荷も発生する。極端な話、人間が経済活動を完全に止めない限り環境負荷は発生し続けるのだ。しかし、それはあり得ない。故に、自身の経済負担も、環境負荷も軽減するために消費の選択性が高まるのである。
では、その高まる選択性の中で、消費は一気にコトだけに偏るのだろうか。

■消費のハレとケ

ハレとケ、非日常と日常。コト消費はハレに属するだろう。では、ハレの日においては、人は衣食住、振る舞い、言葉遣いなど全てをケの日とは異にする。本来ハレとはそういうものだ。つまり、そこではコトのみならず、よりハレの日を晴れやかに過ごすためにはモノも不可分であるはずなのだ。
TPOという言葉がある。Time, Place, Occasion,時と所、場合に適切に合わせるという意味の和製英語で随分と昔からいわれている言葉だ。が、残念ながらあまり適切でない方々も散見される。観劇や音楽鑑賞で訪れた劇場で「ちょっと、その格好はないんじゃないの?」という方などだ。アウトドアでも、何も道具に凝る必要はないけれど、「もう少し準備すれば苦労しないのに」という初心者もいる。コト消費が進んで様々なコトにチャレンジする人が増えることは良いことだ。だが、そのチャレンジするにもどのような準備が必要なのか、正しいTPOはどういうものなのかを誰かが教えてあげるべきではないのか。
様々なコト消費のシーン、そのシーンに合わせて適切なモノの提案をする。それこそが小売業の生きるすべではないだろうか。
様々な業種で「提案営業が重要」と言われるようになって久しい。小売業とて、同じだろう。

■可処分時間の過ごし方の提案まで踏み込め!

今日、可処分所得よりも人の自由になる「可処分時間」に注目する考え方が広まっている。
2007年~2009年までの団塊世代の大量定年で多くの可処分時間を持った生活者が登場する。一方、長時間労働を改める動きの反面、景気の後退は容赦なく生活者の自由な時間を奪っていく。
生活者にとっては限られた可処分時間をどう使うかが極めて重要になってくる。とすれば、その過ごし方の提案もビジネスチャンスだ。限られた可処分時間を有効に使うことはハレだ。ハレにはコトとモノが結びつく。その機会を捉えない手はない。しかし、流通各社もモノだけではなくコトも商材としているものの、まだまだコトとモノの結びつけが弱い気がする。

筆者は「縮む暮らし」を提言したが、縮むが故に、限られたハレはより重要になる。
売る側からの有効な提案であれば生活者も歓迎するに違いない。
その中で売る側も元気になり、買う側もハッピーになれるような関係が再構築されることを願う。

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2008.01.07

「縮み」のなかで如何に生きていくべきか

<お詫び>
昨日の更新が表示されないというトラブルが起きていました。
(携帯でご覧いただいている方には一部、反映されていたようです)。
改めてアップし直しますので、まだ表示等に問題がある場合はご一報ください。

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「縮み」のなかで如何に生きていくべきか

何とも大変な年明けになってしまった。
大発会のご祝儀相場さえ吹き飛ばした株価大幅安は米国市場に引きずられ、底が見えない。
原油高を背景にした、石油や食品など様々な製品の値上げは生活を直撃する。
一方、環境問題に目を移してみると、各地のスキー場の雪不足や、暖かな年末年始の気候に温暖化の進行を身近に体感した人も多いようだ。


■「ただ縮むな、よく縮め」

主に環境問題のキーワードであるが、「縮み」がこれからの一つのキーワードだそうだ。
韓国料理の「チヂミ」ではない。
縮むこと:しわが寄る。ちぢれる。へらす。弱める。省く。(広辞苑 第五版)
この場合”へらす。弱める。省く。”の意がふさわしいだろう。

何でも手に入り、モノが満ちあふれている、物質的文明。
大量生産、大量消費、そして大量廃棄を縮小して、少し前の時代に倣った暮らしを考えようという主旨であるらしい。
その思想の根本は、能動的かつ、ポジティブに「縮む」のであるが、環境問題だけでなく、昨今の経済環境を考えると、好むと好まざるに関わらず、我々の生活は縮まざるを得ないだろう。
「為すべきか、為さざるべきか」の選択肢は残念ながら残されていない。
とすれば、「ただ生きるな、よく生きよ」に倣い、「ただ縮むな、よく縮め」と考えたい。
如何にQuality of Lifeを確保したダウンサイジング型の暮らしを実現するかが、これからの人々にとってのテーマであり、経済やマーケティングのキーワードなのだ。


■昔を知る者こそ「縮み」の率先垂範を

「縮む」ことに対して抵抗感を持つ人も少なくない。
興味深いデータがある。
毎日新聞が1月6日に発表した世論調査だ。
「京都議定書の温暖化ガス削減目標を守るため、自らの生活レベルを下げることができるか」という質問に対し、全体では49%がYesとし、Noの41%を上回った。
しかし、温暖化問題への関心に関しては年代別で見ると、「関心がある」の割合が最も高い年代は50代で95%。30代と40代が90%、60代88%、70代以上85%と続き、20代が83%で最も低いという結果になった。
このニュースは某SNSでも取り上げられ、ユーザーが数多くのコメントを記している。そして驚くほど否定的な内容が多い。
そのSNSのユーザーは20代も多いことから、調査結果の低関心層と重なる故、否定的な意見が多いのもやむを得ないだろう。
確かに若い世代は昔の生活に回帰するがごとく、「生活レベルを下げ我慢よう」と言っても、その「昔」を知らないが故に、縮むことへの抵抗は大きいだろう。
まして、今の若年世代はバブル経済の恩恵に浴することもなく、むしろその後の様々なひずみや不都合の影響を多く受けた世代だ。その世代に一層の自己犠牲を強いるのは酷とも言える。
だとすれば、昔を知っている者、縮み方がわかっている上の世代が率先垂範するのが筋というものだろう。


■自分なりの価値基準と取捨選択の方法論を持とう

環境問題の識者は、米国が大量生産、大量消費、そして大量廃棄の文化を確立させた1950年が歴史のティッピング・ポイントであったと言う。日本においては高度成長期に該当するのだろう。
筆者の幼少期は既に高度成長期は終了していたが、まだまだ身の回りには足りないものがあった。なかったものが家庭に導入されるときの喜びは覚えているが、さりとて、それらがなくとも何とかなるだろう。その感覚がわかるものこそが、自らの生活から「なくてもいいもの」を選別して手放していく範となるべきなのだ。

一例であるが、筆者は随分前に、都内駅近の居住環境を活かして自家用車を手放した。
いかなエコ性能が高い乗用車でも、乗らないより環境負荷低減に貢献できるものはない。経済効果も驚くほど高い。何と自家用車というのはお金がかかっていたことかと止めてみてわかった。
もちろん、自動車でしか行けないところ、例えばオートキャンプなどはあきらめざるを得なくなったが、それは取捨選択というもので仕方ないと思っている。
人それぞれの環境やライフスタイル次第で手放せるもの、手放せないものがあるだろう。
もちろん、その人なりの環境や価値観に照らし合わせて考えればいいことだ。
要は自分なりの基準を持って、環境と自分の経済に与えるインパクトをきちんと考慮し、取捨選択の意識を持つことである。
何でも手に入れる。何でも抱え込む時代はもう終わった。昔はどうだったかを考える時代がやってきたのだと認識を転換することが始まりなのだ。


■再び「Less is more」という言葉を思い出してみよう

何度か紹介している建築家、ミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Rohe、1886~1969)の言葉を思い出してみよう。
「Less is more」。数多いことは決して豊かなことではない。無駄を排し、本当に必要なものだけを残した中にこそ、豊かさは存在する。
古典的な建築様式を脱し、鉄・コンクリート・ガラスを用いた、新しく合理的な様式を完成させたミースの建築物は、無駄がなく、緊張感にあふれ実に美しい。
合理的かつ、美しく、「へらす。弱める。省く」。とすれば、「ただ縮むな、よく縮め」は、本来の「ただ生きるな、よく生きよ」に確かに通じているのだろう。

自らにとって必要なものは何なのか。本当に見定めるべき時が来たのだ。

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2008.01.01

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。


東京の元旦はよく晴れ、自宅からは遠く富士山がくっきり望めました。


今年の正月は寒くなると言われていた割には暖かで、昔のピンと張り詰めたような冷気を思い、地球温暖化の一端を感じた朝でした。

私たちには新春の陽光でも、太陽は昨日と変わらず地球を照らしているだけです。
しかし、人は区切りをつけることで意味を見いだそうとします。

「今日は昨日の続きでも、明日は今日の続きではない」。

百八つの除夜の鐘と共に年が切り替わる様は、新年は確かに前の年の続きだと感じさせます。
しかし、善きことは旧年に引き続き。それ以外は全く新しく改める。そんなチャレンジ精神を持ち続けたいと思います。


本年もよろしくお願いいたします。

※本日は新年のご挨拶だけで失礼します。
 記事の更新は7日よりお届けします。

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