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2007.12.28

2008年のキーワードは「共」

今年の漢字は「偽」という誠に悲しい文字となってしまった。振り返ってみれば、それが何とも今年の本質を突いているだけに、より情けない。
そこで、明年に希望を託し「共」というキーワードを考えてみた。


共にある場として、人が多くの時間を過ごす職場と家庭を見てみよう。

ふと気づけば職場で上司・同僚・部下の別なく、共に過ごすという時間や場が減っている。
もちろん執務中は机や作業場を並べていることが多いが、それは各々の仕事だ。
「最近コミュニケーションが足りないな」などと、思いついたように上司が部下と面談をするも、実に散発的である。
一昔前はもっと職場全体が自然と共に過ごす時間を持っていなかっただろうか。
業務時間後の飲み会は、個人主義を尊ぶ風潮から敬遠されるようになって久しい。
禁煙運動の高まりからタバコ部屋が廃止され、喫煙者たちのコミュニティーもなくなった。
経費削減や利用率の低下から、社員食堂や社員寮、社宅なども廃止されつつある。

「同じ釜の飯を食うということが大切」という論を今更展開するつもりはない。
しかし、個々の担当者や自分の属する部門の業務やミッションを離れたコミュニケーション、価値観の共有の途絶は、不正発生の歯止めの喪失に繋がってはいまいか。
個々人で閉じた業務。部門の外と交流のない業務。そこに過大な目標設定がなされたら、邪な心が芽吹きはしないか。
昨今の不正や偽装は特定部署が密室状態で行ったことが発覚する例が多い。
問題を起こさないよう、部署内の担当者相互、部署を離れた社内の人間同士が「それはマズイんじゃないの?」の一言でもかけられるような環境があれば、幾分は防げるのではないだろうか。

過去の家族主義的な経営に逆戻りすることがよいとは思わないが、何らか、企業内で「共にある」状態を作る試みがもっと行われてほしいと思う。
筆者の専門領域であるナレッジマネジメントの世界でも、いわゆるエンタープライズ・ポータルの機能の一つに社内SNSを組み込むような取り組みがなされている。
さらにアナログな取り組みとしては、一部の企業では社員の家族も招待して「社内運動会」を開催するような動きもあるようだ。
是非とも各社とも妙案をひねり出してほしいものだ。


一方、家庭に目を移すと、個々でも家族が「共にある」シーンが何とも乏しくなっている。
家族が食卓を共に囲むことは週に何度あるのだろう。
冬には家族で鍋を囲む姿が思い起こされるが、その鍋物とて、今日では「個別鍋化」が進んでいるという。
昔はお茶の間のテレビを家族で囲んだものであるが、テレビが大画面化してもそれを共に見ている姿は余り見受けられない。各々が交互にホームシアターを楽しんではいても。又は、自室に薄型コンパクトになったテレビが持ち込まれ各々が楽しむとか。
テレビに光回線が接続されて、インターネットも家族利用が進むともいわれているが、現状から考えると、家族で楽しむ姿は余り想像し難い。
電話も固定電話から個々の携帯電話利用が主となり、家族が相互に電話を取り次ぐようなこともなくなり、家族の交友関係もお互い全く与り知らぬものになっている。

家族人数の減少や、時間感覚の変化などにより昔のような大家族的な家族像が復活することはもはやあるまい。しかし、余りにも家族が個別化すると、家族というものの意味すら曖昧になってくる。
お互いに愛情が持てない親子・夫婦。子供の変化に気づけぬ親。家庭内で巻き起こる事件。子が事件に巻き込まれることを回避できない家庭。何とも冷え冷えした情景だ。

ベタベタするのだけが家族ではないだろう。時間が合わないなどの問題もあろう。
しかし、最低限の価値観は共有し、家族の意味を問い直さねばならない時期に来ているのではないだろうか。
家族の崩壊は地域や社会の崩壊に繋がり、ひいては国家の崩壊に繋がる。巡って個々人の不幸にも繋がる。家族が「共にある」ということはどういうことか、今一度考えてみたいものだ。


十分な論拠もないままに、ここまで話を展開してしまったが、2008年は今年の「偽」のような文字ではなく、振り返ってもっと意味のある文字が描かれるような年にしたい。
そのために、筆者は「共」という文字を掲げてみた。
お読みいただいた方も、各々キーワードを考えて新しい年を迎えてみてはどうだろうか。


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■お知らせ■

当Blogは12月29日より更新をお休みします。

再開は、たぶん、1月7日です。
ただし、もしかすると、気まぐれで1月1日あたりとか、更新するかもしれません。
お暇なときには、過去の記事もご参照ください。

また、左メニューにある写真アルバムも最近、割と更新しています。
併せてご覧いただければ幸いです。

では、皆様、よいお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いいたします。

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2007.12.27

2007年は「鉄」にとって変革の年だったのか?

何を隠そう、筆者は少しばかり「鉄」である。「鉄」つまり、「鉄道ファン」だ。
その鉄にとって2007年はちょっと特別な年であったように思う。
今年を振り返りつつ、最後にイノベーション論で読み解いてみたい。

「鉄」は昨今注目される”Cool Japan”、つまり日本独自のサブカルチャー的「オタク文化」とは少し様相が異なる気がする。日本独自という意味では、ほとんど独自性はなく、世界的にも「レール・ファン(Rail Fan)」という人々があちこちに存在する。歴史的にも新しいものではなく、その始まりは昭和初期とか、SL時代とか諸説ある。

「鉄」は同じ鉄道というものを対象としつつも、その関心領域によって多彩なバリエーションがあることも特徴だろう。
鉄道に乗車しまくることを喜びとし、青春18切符を使い倒したり、片道切符で最長距離に挑んだりする「乗り鉄」。鉄道の写真を撮りまくる「撮り鉄」、走行音や発車音を録音する「録り鉄」。時刻表を多々時も離さない「時刻表鉄」。列車の車両研究の「車両鉄」などなど・・・。挙げればきりがないほどだ。
ちなみに筆者は「車両鉄」と「乗り鉄」の変形版、「新幹線鉄」とでもいおうか。開業間もない東海道新幹線が見える公園で幼少期に遊んでいた影響かもしれないが、新幹線専門だ。


ともあれ、そんな鉄にとっても2007年は特別な年ではなかっただろうか。
何といっても、10月14日の鉄道の日に「鉄道博物館」が開館したことは大きな出来事だ。
その前身の秋葉原にあった交通博物館も子供時代、何度も胸をわくわくさせて通ったものだが、今度は規模も、投入されているテクノロジーも桁違い。また、交通博物館時代は他の交通機関の展示と混在であったが、今度は何といっても鉄道オンリー。正に鉄道ファンの「聖地」と呼んでもいい。聖地を手にした集団はやはり勢いづくものだ。


2007年が特別なのは鉄道博物館開館だけではない。ファン層が拡大した年でもあろう。
前述の鉄道博物館オープニングセレモニーでテープカットをつとめたのは女優の吉永小百合さん。JR東日本「大人の休日倶楽部」のイメージキャラクターでもあるが、セレモニーの挨拶で鉄道への思いを語り、吉永小百合=鉄道ファン説がささやかれている。
鉄道ファンの女性は「鉄子」とも呼ばれるが、女性にファン層が広がれば、ファンのほとんどが男性という男臭いイメージが払拭できようというものだ。

さらに年齢層も拡大している。2007年は団塊世代の大量定年元年だが、リタイヤ後の趣味として「乗り鉄」や「撮り鉄」になった人も多いようだ。定年後の消費で「国内旅行」や「デジタル一眼カメラ購入」が実は「鉄がらみ消費」であるという説だ。また、その世代は「永遠の吉永小百合ファン」である「サユリスト」も多いため、吉永小百合=鉄子説が彼らの背中を押したのかもしれない。

一方、さらなる一般化もしている。昨年連載が終了した菊池直恵のノンフィクション漫画「鉄子の旅」がアニメ化。2007年6月24日~9月23日に、CSのファミリー劇場で放送された。「鉄子」はかなり一般的な言葉として普及し、2007年の新語・流行語大賞の候補ともなったのだ。この言葉や作品で鉄道の旅に興味を持った人も多い。「乗り鉄」予備軍が増大したわけだ。


こうした断層の拡大をE.M.ロジャースのイノベーション論で考えてみるとさらに興味深い。
「鉄」の歴史は古いが、それがファン層だけにとどまらず、一般に伝播していくことを考えれば理論的な裏付けになるだろう。

ロジャースはイノベーションの普及を、山型を描くいわゆる「S字曲線」で表し、イノベーションを受け入れる層を5段階に分類した。
いち早く飛びつく「革新的採用者(イノベーター)」。吟味して取り入れる「初期少数採用者(アーリーアダプター)」。それに続く「前期多数採用者(アーリーマジョリティー)」。慎重に見極め採用する「後期大量採用者(レイトマジョリティー)」。イノベーションが伝統に変わるまで採用しない保守的な「遅延採用者(ラガード)」。

さて、「鉄」はどこに入るかというと、当然、「革新的採用者」だ。「革新的採用者」の特徴は、特に進められなくても、自分の価値観に合致すれば飛びつくこと。何か新しい商品がでると、特にプロモーションがなくともニュースリリースなどで情報収集し、購入予約をするような行動を取る。いわゆる何かのファン層はそんな行動を取る典型ではないか。
しかし、実はこの「革新的採用者(イノベーター)」だけでは後に続く影響力を発揮できないのだ。間違ったマーケティングのノウハウ本などには「イノベーターを狙え!」などと書いてあるが、ロジャースのフィールドワークによれば、後に影響力を発揮するのは「前期多数採用者(アーリーマジョリティー)」である。
「ごく一般的な人々」は「前期多数採用者(アーリーマジョリティー)」以降に存在する。その人々はアーリーマジョリティーの採用行動を見て、安心して自分たちも同じような行動をするのだ。一般の人には、イノベーターは少々自分たちとは違った存在に見えるのだ。

イノベーターは別にイノベーター以外に何かを普及させようとは思わない。しかし、2007年の「鉄の世界」には、団塊の世代や女性などアーリーマジョリティーともいうべき、新たな層が入ってきた。さらに、鉄道博物館のような、一般の人々がこの世界により興味を持つ装置が完成した。「今まで興味はあったけど、ちょっと踏み込めなかった」とする層もアーリーマジョリティーに加わるだろう。

鉄はサブカルチャー的に、「カッコイイ日本」を海外に宣伝してくれるような貢献はしないだろうが、来年以降、もっと国民の一般的な興味の対象となっていくように思う。
なぜなら、日本ほど鉄道が発達した国は少ないのだから、それに興味を持つのはごく普通のことだろうからだ。一般化すると鉄は嫌がるんじゃないかという心配もあろう。だが、筆者は鉄はそんなに狭小な度量ではないと思っている。

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2007.12.26

花王『メリット』 売れ続けるとは、変わり続けることでもある:定番のヒミツ第7回

日本実業出版社の季刊誌「ザッツ営業」好評発売中です。

ザッツ営業 http://www.njh.co.jp/that/that.html

同誌に連載中のコラム「定番のヒミツ」第7回が掲載されています。

これまで、「BMW」「銀座伊東屋」「L.L.Bean」「万年筆・モンブラン」「江戸和竿」といった内容で執筆してきましたが、一気にコモデティー品です。
こうして書いてみると、コモデティー品の生き残りがいかに大変かがわかりますね。

以下、転載。

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花王『メリット』 売れ続けるとは、変わり続けることでもある

 今回はこれまで取り上げてきた「逸品」的な定番ではなく、身近な商品に目を向けてみたい。日常何気なく使っている物にも、定番は存在する。いや、定番というより「ロングセラー商品」と表現する方が適当だろう。
日用品というカテゴリーは常に数多の商品が上市され激しい競争を繰り返し、POSの販売データ一つで売れ筋・死に筋が判断され多くが消えていく。そんな多産多死の世界でもしっかりと生き残りっている商品も存在する。ひとつの例として、花王の「メリットシャンプー」を見てみよう。

 メリットシャンプーが登場したのは1970年のこと。コマーシャルは女優の田中裕子が「フケ・かゆみを防ぐ」という効能を若い女性に向けてアピールしていた。現在ではイメージキャラクターとして、仲村トオル・鷲尾いさ子夫妻が男女の子役と共に登場し、「家族全員が健やかな髪と地肌で過ごせる」ということを訴えている。
メリットシャンプーの変化は、生き残るための大きな賭けが奏功した結果である。「製品コンセプト」で重要なのは、「誰に」「どんな効用」を約束するという点にある。発売当初、身だしなみの観点からもフケ・かゆみを何とかしたい若い女性をターゲットに、新開発成分を武器にその問題をすっきり解決するというわかりやすいポジショニングで大成功した。

 それから四半世紀以上が経った今日、シャンプーに何か特別な成分が配合された商品は珍しくなく、何よりフケ・かゆみに悩む若い女性はほとんどいない。まして、若い女性向けシャンプーは最新の成分を配合し、華やかな広告で訴求する新しい商品が目白押しだ。

 そんな中でメリットシャンプーは、長い年月、市場で培われたネームバリューを「安心感」と置き換え、フケ・かゆみをおさえるという効能に、さらに地肌と髪の潤いを保つという効果を加えて「家族全員のためのシャンプー」というポジショニングに変化を遂げたのだ。

 生き残ってロングセラーを記録し定番化している商品は、単なる幸運に恵まれているわけではない。まして、安寧としたポジションが用意されているわけでもない。生き残るための、弛まない「変化」を繰り返し、自らポジショニングを創り出しているのに他ならないのである。

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2007.12.25

“現場に効く”マーケティングの基本理論・第2回

インタラクティブマーケティングの専門誌「月刊im press(アイ・エム・プレス)」の発売日ですので、連載バックナンバーをアップします。
本誌では連載第3回が掲載されています。


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「“現場に効く”マーケティングの基本理論」


あまりに“基本”と思われ忘れられているようなマーケティング理論。しかし、日々の業務が行われる“現場”で今一度振り返ってみれば、思わぬ“再発見”があるのだ。


第2回「マーケティングって“4Pですよね”?」


 前回は改めて「マーケティングとは?」を整理したが、「普段考えていたよりも奥深い概念なんだ」と気付かれた読者もいるのではないだろうか。また、ビジネススクールなどでは「自分の日常業務とは関わりない」と思っていた受講生が、後から「何だ、自分の業務もマーケティングの一部を担っていたんだ」と気付くケースもある。奥深いだけでなく、実は幅広いのもマーケティングの実際なのだ。

■マーケティングって4Pですよね?

今回の標題だが、ある意味正解。が、実際には不正解だ。4Pに関しては連載の後半で詳説するが、製品(Product)・価格(Price)・流通(Place)・コミュニケーション(Promotion)の4つの要素を戦略的にどう組み合わせて施策を展開するかという考え方で、マーケティングの要諦であることは確かだ。筆者の前職は広告のビジネスに携わっていたが、そのコミュニケーションやプロモーションという一部をもってマーケティングと捉える人もいるが、それは明らかに範囲を狭く考えすぎだ。いくら広告やプロモーションが秀逸でも、製品が優れていなければ始まらない。価格戦略を間違えれば売れないか、利益が出ない。チャネル政策を間違えれば買いたい人も手に入れられない。そう考えれば、“4つのP”を正しく組み立てるのは極めて重要だ。しかし、それらは全て“打ち手”だ。打ち手を考えるより先に、自分たちの戦場を把握することが欠かせない。まずは、自社を取り巻く環境がどうなっているのかという分析から入るのが定石である。


■マーケティング全体の流れを把握しよう!

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前述のように、個別の“打ち手”だけを検討し展開した場合、「思った通り売れない!」というような事態に直面したら、何が悪かったのか原因究明ができるだろうか。また、リカバリー策を考えることができるだろうか。マーケティングの全体像を理解し、正しい検討手順を身につけることは成功確率を高め、万が一失敗した場合でもすばやくリカバリーすることが可能となるのだ。故に、多少面倒でも分析や戦略の立案、ターゲットの明確化などを確実に行ってから施策の立案に入る必要があるのだ。(図1・マーケティング・マネジメント参照)


■マクロ環境分析(PEST分析)

マーケティングの分析というと、すぐに「SWOTでしょう?」と言われるのだが、それを使うのはもう少し先。まずは「社会」という最も大きな枠組みから明らかにしていきたい。つまり「マクロ環境」だ。
「マクロ」という言葉は遣われていても、実際に「社会全体の事象がどのように自社に影響を与えているのか」といった茫漠としたことを捉えるのは難しい。そんな時はマーケティングで用いられる各種のフレームワークを活用する。フレームワークとは「考えるための道具」であり、少々面倒だが、それに従って丁寧に考えていくことで、思考のモレ・ヌケをなくすことができる。また、慣れてくればダブリや余計な回り道もなくなりスピードもアップする。そして、マクロ環境を把握するフレームワークが「PEST分析」だ。
さて、PEST分析は頭文字となっている5つの要素を客観的に分析する手法である。
・Political:政治的規制事項の影響要因はどうなっているのか?   
・Economical:経済環境はどのような影響を及ぼしているのか?
・Social:社会環境はどのような影響を及ぼしているのか?
・ Technical:影響要因となるような技術的変化・革新等の要素はあるか?
ポイントは、自社、及び自社のこれからの展開に各々の項目がどのように影響を与えるかを捉えると同時に、各項目がどのように影響し合うのかを観ていくことである。


■PEST分析・分析事例

PEST分析をある業界を例にとって考えてみよう。東京地区でもいよいよ値上げが決まったタクシー業界であるが、そもそも、この値上げの根本原因はどこにあるのかをPESTで考えるとよくわかるのだ。
まずは、「Political」から。一連の規制緩和の波に乗り、道路運送法改正法案が2002年2月1日から施行された。これによって、新規参入や増車は今までの免許制、認可制から、車庫の確保など一定の条件さえ満たされれば自由にできるようになり、タクシーの供給過剰がおこった。
次に「Economical」であるが、上記の緩和策も、タクシー不足だったバブルであれば利用者からも歓迎されたであろうが、2002年当時はデフレ不況まっただ中。ITバブルも崩壊直後だった。企業はタクシーチケットを絞り、個人も呑んでも終電には間に合わせるというようにライフスタイルを変化させ、生活防衛をしていた。当時の政府や運輸省は、「(規制を緩和すれば、)サービスが多様になり、タクシーの利用が促進される」としていたが、実態と合ってはいなかった。
「Social」も悪いことに先の二項目と呼応してしまっている。つまり、不況のさなか完全失業率は5.4%にも登り、利用者は減るものの、タクシー会社の新規採用・増車が失業者の受け皿となり、増車傾向に拍車をかけることになった。
「Technical」の要素としては、GPSによって、効率的な運行や配車を行えるというメリットをもたらしてはいたものの、そもそも需要と供給のバランスが合っていないため、あまり意味はなかった。また、カーナビの搭載は「道を知らなくても大丈夫」と、ドライバーの応募者の背中を押したことも事実だ。
以上のことから考えれば、全く市場や経済状況が考慮されず、政府と業界がいわば「売る側の理論」でコトを進めたことに原因があったとわかるわけだ。今後、この値上げ議論がどこに帰結するかわからないが、PEST分析の事例としては各々の項目が関連しあっていることが分かりやすかったのではないだろうか。


さて、今回はマーケティング・マネジメントの第一歩である、「マクロ環境」を分析したが、来月は「マクロ」の反対、「ミクロ」を観ていこう。但し、図1に記したように、マクロとミクロはできるだけ客観的な事実(ファクト)を洗い出していくことが基本だ。ファクトの洗い出しから「解釈」を行う方法なども、連載中で述べていくつもりだ。まずは、今回の事例のように、自分の気になった事象を分析してみてほしい。


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2007.12.24

クリスマス:日比谷の巨大ツリーを見てきた!

久々の休日アップです。少しばかりクリスマスらしい話題を・・・。


日比谷公園に「日本一大きなクリスマスツリーが登場」というニュースを聞き、「何だ事務所の近所じゃないか」と公開初日の連休前、21日の金曜日に見に行ってきました。

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新橋から歩くことしばらく。日比谷公園の入り口が見えてきました。
幾筋ものサーチライトが夜空を照らし出し、何やら雰囲気を盛り上げています。


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日比谷公会堂側の入り口から入ると、早速木立の向こうにツリーが透けて見えてきます。

あれ?・・・小さい?

高さ42メートル。日本最大でも、林立したビルに囲まれた広い公園の中ではずいぶんと小さく見えてしまうのか・・・。


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ツリーだけでなく、会場となっている公園の一角はくまなくライトアップされてなかなか綺麗です。
赤く映し出された並木は紅葉と見紛うよう。


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ライトアップの今年の流行は、やはりこれ。
青色ダイオード。
近隣のビルを借景に、海を思わせる光が広がります。
ただ、なんとなく青い光はギラギラとして目に痛い。
消費電力が少なく、地球に優しいといわれれば文句も言えませんが、
温かみのあるムギ球の方が落ち着く気がします。


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さて、巨大ツリーはこれ。
高さ42メートル。総重量130トン。スペック的には巨大ロボットのようです。
鉄骨にテントが張られ、様々な映像が内部から照らし出されます。
ツリーというより、立体クリスマス映像スクリーンですね。


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ツリーは日比谷公園の大噴水の上に設置されています。
噴水もライトに映えて綺麗です。


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会場には飲食の屋台が並びます。
あの、人気シェフ、落合氏の屋台も。

が・・・ガラガラ・・・。
やはり単品800円オーバーからの料理は少々高かったか?
ビールの屋台もありますが、紙コップ1杯700円と高く、買っている人はあまりいません。
まぁ、クリスマスのど真ん中、24日、25日にはどうなるかわかりませんが、前哨戦ではなかなか財布の紐は緩まないようです。


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人気はこちら。
単品400円のドイツソーセージの店。みんな並んでいます。


というわけで、21日はまだまだ人手は少なかったですが、今日・明日は大混雑になるでしょうね。
しかし、この日比谷公園だけでなく、皇居周辺や丸の内界隈まで、今年は例年にも増した規模でライトアップが行われるようです。
混雑覚悟で行ってみるのも一興かもしれません。

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2007.12.21

適正システム投資の視点

1週間前ほどの日経新聞に「企業とIT・問われる投資効果」と題した気になる記事があった。<開発案件の七割程度が予算超過>として、システム投資に対する生産性向上などの効果を当内容である。
確かに無制限なシステム投資は許されるものではない。ましてや、景気が減速傾向を見せ始めた今日、もしそんな傾向が社内にあれば、直ちに改めるべきであろう。しかし、システムの全てが投資対効果で計れるものではないのも事実だ。


記事の要旨はかつてシステム開発の中止で巨額損失を出した、東京ガスの改善取り組みを事例に取り上げている。そして、システム機能や品質目標の明確化の必要性と、投下資本利益率(ROI)の重要性を説いている。

「システム機能や品質目標の明確化」は至極もっともな話だ。予算措置とシステムカットオーバーまでのスケジュールの関係で曖昧なまま走り出すプロジェクトは実際には結構多いが、その結果、記事にて問題視されている追加費用の発生やスケジュール遅れの原因になってしまう。

しかし、全てのシステムがROIの観点で語れないのも事実だ。
システムの導入によってどの程度のコストや工数、物づくりであれば不具合の低減などの効果があるかをとらえようとするのは重要である。しかし、ERPのようなソリューションをROIで計ることはできるだろうか。だが、今日、多くの企業でERPは当たり前のように導入されている。

一方、重要業績指標(KPI:Key Performance Index)という管理指標で把握する試みも進んでいる。在庫回転率や品質トラブル件数などがどの程度改善したかを計り、効果測定をするわけだ。しかし、それとても万能ではない。 

特にROIで計られると弱いのは、昨今ではもはや情報インフラとして当たり前になっている社内の検索システム(Enterprise search)などだ。社内のドキュメントが爆発的に増えている状況において、家季節な情報を迅速に入手できることは生産性向上に寄与する。しかし、それを数値的に実証することは難しい。KPIとして、ユーザーの利用率などが用いられるが、直接的な効果指標としてはなかなか説得力を持つことが難しい。

例えば、オフィスビルに空調が無く、夏は猛暑、冬は極寒な環境という今日あり得ない環境で業務をするとしたら、どれぐらい業務効率が低下するだろう。空調設備とその維持管理費の費用対効果、投資対効果を計ることはできるだろうが無意味だ。

今日の情報システムは、もはやインフラとしての意味合いが強い部分が多々あるのが事実なのだ。しかし、筆者の専門とするナレッジマネジメント関連のシステムも、企業業績が良いときには問題ないが、業績の低下とともに、真っ先に予算圧迫を受ける領域だ。弱っているときほど、強みを維持・強化するためにナレッジが必要なのだが、ROIや有効なKPIが計れないがために随分悔しい思いをしてきた。

問題は、かかる費用が必要な経費なのか、冗費なのかを明らかにすることだ。前出の機能・品質が不明確なためにかかる追加費用は明らかに冗費だ。しかし、ROIで計れない費用全てが冗費ではない。

"Japan as No. 1"であった80年代において、その後、米国産業界が巻き返しに成功した原動力の一つが情報化投資であることはよく知られている。特に経済の先行きが視界不良になり始めた今日、首をすくめるがごとく、闇雲に投資を絞ることは避けたい。

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2007.12.20

テーマカラーのススメ

年末の追い込みのため、更新が遅れがちで申し訳ありません。


実際に金森とお会いいただいた方はおわかりだと思うが、私は「赤い」。
このBlogの写真は少し抑えめで、ネクタイが真っ赤なぐらいなのだが、この記事を書いているパソコンも赤いし、画面を見ている眼鏡もフレームが赤い。
最近買ったゼロ・ハリバートンのアタッシュケースも赤。

「何でそんなに赤いんですか?」。
会った人にはほぼ間違いなく言われる。
実はこれ、いわゆるセルフブランディングでもあるのだ。

赤くなったのはここ2年ぐらい。独立してから1年たった頃からだろうか。
何の看板も背負っていない、独立したマーケターとしては、やはり人に印象を残したい。
それにその頃から業務内容が変化したことも大きい。
比較的長いお付き合いになるコンサルティングの仕事と同じぐらいの比率で、講師業が多くなってきたのだ。
講師と受講者の付き合いは意外と短い。
いつも担当しているビジネススクールは1科目全6回。企業研修は1回1日~数日。
何らか自分自身に興味を持ってもらわなければ、それだけのお付き合いだ。
印象に残ればこのBlogに来てもらったり、他の人に受講を薦めてくれるなどの口コミ効果も期待できる。
もちろん、講義の中身が伴っていなければ何にもならないけれど、独立してやっていくには結構大事なポイントなのだ。

赤のもう一つの効果はセルフモチベーションコントロールにある。
赤いものを身につける。持つ。その瞬間にスイッチが入る。戦闘モードに切り替わる。
集中力が高まり、背筋もぐっと伸びる。声も腹から出るようになる・・・などなど。
結果として人に与える印象も変わる。
もちろんずっとスイッチオンでは身が持たないので、オフタイムはあまり赤くない。割と落ち着いた色を身に付けている。
わかりやすすぎるぐらいに切り替えることによって、自らをコントロールしやすくなる効果がある。


少々、金森のやり方は極端かもしれないが、何らか自らのブランディングとモチベーションコントロールの方法を持つことをお勧めしたい。
誰しも、何らかやっていることかもしれないが、中でもテーマカラーを持つことは上記のようにわかりやすい効果をもたらしてくれる。
是非、ご検討されたい。

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2007.12.19

偽の国・食の未来

日本漢字能力検定協会の「今年の漢字」は一昨年の「愛」、昨年の「命」に続き、「偽」と決まった。政治も経済もスポーツも、何から何まで偽装に覆われたこの国を的確に象徴した一文字ではあるが、暗澹たる思いは否めない。
その中でも人々の生活に最も身近な存在である「食」の偽装について、原因の一端と今後のあるべき姿を考えてみたい。


食品加工業者から有名料亭までが手を染めた、数々の食の偽装の中でも目立つのが「産地偽装」だ。しかし、その根底にあるのは生活者の「ブランド食材信仰」ではないだろうか。有名産地を尊ぶ嗜好が巧みに利用されているのである。比内地鶏などは、明らかに供給を上回る需要が偽装を誘発したとも言われている。
さらに偽装で明らかになったことは、内部告発で発覚するまで生活者はまんまと気づかず、ほとんど疑いも持っていなかったことだ。本物のブランド食材も偽装ブランドも味の区別が生活者にはできていなかったことが露呈したわけだ。そこに偽装のつけ込む余地があったことも明白になった。

とはいえ、偽装を行った企業を是認するわけでも、見抜けなかった生活者を責めるわけでもない。そもそも、食材にそれほどの差があるのかということだ。
確かに、手塩にかけて栽培、飼育、養殖された食材には見事に旨いものもある。それとても、鮮度や調理によって変わってしまう部分は大きい。
天然物の海産物などは、出荷以降の鮮度管理や流通などへの気遣いの違いはあるかもしれないが、そもそもが同じ海から捕れたものだ。例えば有名な富山湾の「氷見の鰤」は隣の新湊漁港で水揚げするとその名を冠することはできなくなる。故に、こぞって漁船は氷見に鰤を卸す。魚に差はないのだが。

有名産地の食材でなくとも旨いものは旨いという、本質的な価値観に生活者も戻らねばならないのではないだろうか。ブランドネームに踊らされ、高い対価を払い、あげくに偽装に騙される。何ともやりきれない。ブランドなどなくともよいという、むしろ自由な感覚を取り戻したい。
「Less is more」はドイツ生まれの建築家、ミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Rohe、1886~1969)の言葉だ。「無いことは豊かなこと」と、ミースは虚飾のない建築様式を提唱した。自らの舌で感じられる味こそが本物でブランドは虚飾であると喝破するぐらいの気概を持ちたいものだ。


しかしながら、認識を改めるべくは生活者だけではなく、まずは企業からであることは明白だ。食品や料理を提供する企業の使命とは何だろうか。人間は生物であるが故に、栄養を摂取しなくてはならない。必要な栄養素の供給が使命であることは確かだ。
しかし、食うに困る世の中ではもはやない。飽食の世と言わないまでも、もはや貧困と飢餓の世の中を脱しているのは確かなことである故に、求められるのは「安全・安心な食生活」である。
食材や料理を提供する企業は、その産地云々や調理方法云々以前に、生活者が口にするものの安全を保証するのは最低限必要なことなのである。

ブランド論で有名なデビット・A・アーカーが以下のように述べている。
「コア・アイデンティティは、ブランドの永遠の本質を表す。それは、タマネギの何層もの皮や、チョウセンアザミの葉をむいて後に残っている中心部分である。」
「コア・アイデンティティ」とは企業で考えれば、その存在理由ともなる「本質的価値」である。各企業とも、この社会において存在している以上、何んらかの使命と本質的な価値を有しているはずだ。そして、食に関わる企業はその本質に、生活者に安全と安心を提供することが含まれているべきであることは間違いない。
しかし、各企業ともブランドという看板を背負っているにも関わらず、アーカーが言うタマネギの中心に、安全と安心が存在していることを忘れてしまっている。
恐らく、年明けには企業トップが年頭の訓示を述べるのだろう。その中で、是非とも自社の本質は何なのかを今一度、語って欲しいと思う。


冒頭に紹介した通り、日本漢字能力検定協会の「今年の漢字」は第一位が「偽」であり、揮毫した高僧が「悲憤に耐えない」とコメントしていた姿が印象的だった。
しかし、第二位以降を見るとさらにその思いが高まる。
「食」「擬」「嘘」「謝」・・・。
ギリシャ神話のパンドラの箱。女が好奇心に負け禁じられた箱を開けてしまうと、中から様々な災厄が飛び出したという。まさに今日の偽装大国たる日本の姿のようである。
神話には続きがある。パンドラが慌てて箱を閉じると、最後には「希望」だけが残ったという。
神話には様々な解釈があり、最後に残った希望故に、人類は儚い望みを持ちより苦しむこととなったという説もある。しかし、今日の状況を考えると、希望は希望としてポジティブにとらえたい。そして、その希望が世の中を照らすように、企業は本来の使命に目覚め、生活者も賢い知恵を発揮するようになりたい。
来年の漢字が是非とも明るい文字になるように。

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2007.12.18

パソコン修復の苦闘

本日は更新が遅くなって誠に申し訳ございません。
事情説明(言い訳)は以下にて。


「問題が解決するまでは絶対に電話を切らず、つきあってくれる」・・・そんなPCのオンラインサポートはあるのだろうか。多少高くてもすごく需要があるのにと思った。

暮れの忙しいときに限ってPCの調子が悪くなった。
だましだまし使っても、挙動がどんどん悪化する。
買い換えたばかりなのだが、先週末になぜかハングアップし、修復プログラムが動いてからは設定がガタガタになった。恐らくはそれが原因だ。
セキュリティソフトが「不正に設定が変更されている!」とヒステリックなメッセージを連発している。

腹を据え、仕事の手を止めて修復を試みるも、手に負えない。
自分のITリテラシーレベルがあっという間に露呈し、忸怩たる思いに駆られる。
同時に、ITセクションがすぐにサポートしてくれていた前職の環境がいかに贅沢だったかを思い知る。

サポートセンターに電話をすることにする。メールやチャットのサービスもあるが、こんな時はやはり微に入り細を穿つようなサポートで一気に解決して欲しいと願うからだ。
「FAQの整備でユーザーのセルフサービス解決率を高めましょう!」とか普段言っているが、実際自分が苦境に立つと何ともだらしがないと自己嫌悪する。
ともあれ、電話するが・・・繋がらない・・・。
ある程度覚悟していたことなので、しばらく待って見るも・・・繋がらない。
自らの忍耐力を称えること何度目かで電話が繋がった。

状況を話し、しばし画面を見ながらサポートを受ける。
ある程度話したところで、その先の対処方法をメールかFAXで送るので試してくださいと言われる。
・・・そんな殺生な・・・。と思うも、非常にも電話は切れる。

メールを確認しつつ、設定変更やアンインストールや再インストールなどを続ける。
指示通りに作業するも・・・直らない・・・。
何度か電話をし、メールで指示を受け、さらに作業し、ダメでまた電話をし・・・が続く。
うんざりしてくる。
一番うんざりするのは、何度もサポートが手順をメールされる段階で中断され、自己解決するもダメで、再度電話をすると繋がらず、繋がっても恐ろしく待たされるという繰り返しなことだ。

「頼む、電話を切らないでくれ」。試しに言ってみたが、「まずはご自身でお試しいただいて」と軽やかに断られてしまった。
昔のパソコン通信のトラブルみたいに、電話線一本ではなく、電話をつなげたままでもサポートが可能なはずだが、あくまで効率の問題なのだろう。

無料サポートだからこんなことなのかもしれないが、もう少し何とかならないかと愚痴っている次第だ。
・・・修復したと思ったのもつかの間、またアラート画面がポップアップしてきた。果たしてこの文章をアップすることはできるのか?!


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2007.12.17

携帯教育に必要な視点とは?

内閣府の「情報化社会と青少年に関する意識調査」が発表され、各紙が概要を伝えている。
やはり携帯電話の使用率の高さとサイト閲覧状況が話題の中心となっているようだ。
また、内閣府もその結果から利用教育の必要性を述べているが、本当に必要な視点とは何だろうか。


調査結果の速報は内閣府の以下のサイトからPDFで閲覧・ダウンロードできるので、一度ご覧いただきたい。
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/jouhou5/g.pdf

メディアの伝えている側面は以下の日経のサイトで概ね代表されているだろう。
http://it.nikkei.co.jp/mobile/news/index.aspx?n=AS1G1500Q%2015122007
<携帯、高校生の96%使用・うち約2割は情報サイトを1日10回超利用している>

児童・生徒×携帯・インターネットという公式はどうしてもネガティブな面に目がいく。
事実、数々の問題も起きているので、それは仕方ないことであり、また必要な対策は確実に打たねばならない。だが、一方でポジティブなとらえ方をして、有効な活用方法を教えることも忘れてはならないだろう。


筆者が調査結果で気になった数字は以下だ。
<携帯電話を使っている人のうち、電子メールや情報サイトなどインターネットの1日平均の利用時間は中学生で1時間15分、高校生では1時間48分に上り、“ネット社会”の浸透ぶりが浮き彫りになった。小学校4―6年生は26分だった。>

時間的に1時間強~2時間弱の時間といばかなり長いように感じるが、利用しているのは「ホームページやブログを見る」が中学生66.9%、高校生78.2%についで、「友人の掲示板を見る」が各々39.7%、46.9%となっている。また、自分サイト更新も約20%と30%だ。
一般のサイトやブログの閲覧が一番多いようだが、友人や自分のサイトでのやりとりもそれなりの率を占めており、また、メールの使用はほぼ100%近いことからそれを含めれば、いわゆる仲間内でのコミュニケーションに使っている部分がかなり多いと言えるだろう。

自身の昔を考えると、固定電話でのいわゆる「長電話」に興じていた時期も記憶にある。ふと気づけば1時間ぐらいは経っており、親に怒られたものだ。そう考えると、そんなに長い時間ではないようにも思える。


また、携帯ではなくパソコンでのインターネット利用は「学校の宿題などの答えを調べる」が小学生7割弱、中高生が5割前後だ。小学校は正に「調べ学習」花盛りであり、インターネットが有効に利用されているのがわかる。また、中高生もその習慣がついているのだろう。
以前紹介した、「博報堂生活総研・子供の生活10年変化調査」でも、この10年で「興味のあることは自分で調べる」という回答が12.3%向上して、自立性の高まりが伺えるが、インターネットが貢献しているのも確かだろう。


内閣府の発表では<「携帯電話やパソコンなどの利用が増えている中で、インターネットを通じた被害などのマイナス面をしっかり訴える必要がある」>という結論である。もちろん、必要教育はしっかりしなければならないが、上記から考えれば、そんなにマイナス面ばかりではないな、と思える。

しかし、それより先にやるべきはフィルタリングなどの必要措置だ。パソコンのフィルタリングの非認知状況は父親43.6%、母親64.8%、携帯のフィルタリング非認知は父親63.9%、母親80.5%。子供の使用状況を考えると非常に認知度は低い。
フィルタリングですべてが解決するわけではないが、まずは、必要な措置をすることが先決だと言えるだろう。


グラハム・ベルが電話を発明してから約130年。以降、ネットワークの進展は加速度的であり、人々に与える影響はプラス面もマイナス面も多々あった。
そして、携帯もインターネットも、これからさらに発展こそすれ、絶対になくならない。
大人が環境を整えつつ、「使いこなす知恵」をきちんと教えることにも、しっかりと注力したいものだ。

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2007.12.14

ライフハック的「朝1時間のゆとり」のススメ

「ライフハック」という言葉がしばらく前から話題だ。
はてなダイアリーによれば「効率良く仕事をこなし、高い生産性を上げ、人生のクオリティを高めるための工夫」とあり、デビッド・アレン著の「仕事を成し遂げる技術―ストレスなく生産性を発揮する方法」が紹介されている。
では、忙しい朝、1時間目的地に早く着いたら、あなたは何をして過ごすだろうか。
時間の使い方についての、筆者なりのライフハック的話題をお届けしたい。


筆者は企業研修講師の仕事が現在、業務の三分の一を占めている。
研修にはクライアント企業の社員が業務時間を割いて、各地から出席してくる。
そんな中、講師が「遅刻しました」では洒落にもならない。いや、寝坊するなどというとぼけた理由ではなく、危ないのは交通機関事故だ。
企業の研修所は出席者を日常業務から隔離するためか、郊外にある場合も多い。移動距離が長くなるとその分危険性も増す。また、経験的に、特に人身事故は朝8時台に起きると思っている。すると、8時前には研修所のある駅には着いていなければならなくなる。
故に、通常ではあまり考えられない、「朝に1時間の余裕」ができるというわけだ。

元々朝型、というよりも夜よりも朝に無理が利くタイプだったのかもしれない。
前職で管理職を拝命した三十代前半の頃、プレイングマネージャーであったことから、自分の仕事の時間確保が難しく、始発通勤をしていたこともあった。
しかし、日常業務のために朝、時間を作るのと、業務と切り離された時間ができるのでは意味合いが違うようだ。
1時間では通常の業務を行おうと思っても、なかなかペースが上がらないうちに時間切れとなってしまう。その制約条件の中でいかに価値ある時間の過ごし方ができるかを、研修の仕事が増えてから真剣に考えた。日々、1時間を漫然と過ごしてしまうにはあまりにもったいないからだ。

新聞を読む。ものを読むのは早いほうなので、1時間あれば、普段は読み飛ばしてしまうような記事まで読み込むことができる。ほとんど耽読というレベルだ。思わぬ発見がある。いや、正確には、「何かを発見するまで読み込む」のである。

本を読む。恥ずかしながら、あまり読書の時間が普段とれない。月に何冊も読破する知人のマーケターにはいつも頭が下がる思いなのだが、とはいえきちんとインプットしなければ枯れてしまう。「1時間集中読書」は時間を決めずに読んでいるよりずっと集中でき、後で思い出してみても不思議とよく内容が頭に残っている。

人の流れを眺める。外の風景が見える喫茶店などに席が取れれば、タウンウォッチの格好のチャンスだ。1時間たっぷり人々の姿を眺める。これもぼんやりと眺めるのではなく、必ず何んらかの「意味合い」を見つけてメモを記す。抜群な思考トレーニングにもなり、それがBlogのネタにもなる。

そして、Blogの記事を書く。雑誌やメルマガなどの依頼原稿はきちんと事務所で机に向かって書くようにしているが、Blogの記事はこうした朝の時間や新幹線での移動時間などで書くようにしている。じっくり書くのも良いのだが、限られた時間で集中して書くことによって、自分としては内容が冗長になっていないように思っている。もちろん、クライアント業務に支障を来さないためにも限定時間で書くことは必須なのだ。


「早起きは三文の得」とはよく言ったもので、斯様に朝の1時間は実に内容の濃い充実した時間となる。
確かに1時間早く起きるのは、慣れるまで結構つらい。だが、早く起きることを前提にすれば、よほど忙しい時期でなければ自然と夜が早くなる。効率的に仕事を片付けようと思うようになる。無論、飲み過ぎへの注意も。

師走の書き入れ時、忘年会シーズンに提案するのは少々時期が悪いかもしれないが、是非とも「朝1時間のゆとり」をお勧めしたい。

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2007.12.13

ASIMO(アシモ)と失われていく所作

百貨店の売り場を商品を見ながらゆっくり歩く。
年末だが、平日の日中なので店内はすいている。
何人もの店員が各コーナーに待機し、時折「いらっしゃいませ」の声がかけられる。
だが、ふとしたことでひどく違和感を覚えた。
店員と目が合うと、なぜかその多くが、すっと視線を外すのだ。


辞書をひもとけば、目礼とは 「目つきで会釈すること」(広辞苑第五版)とある。
教えられたのは親からか学校か記憶は定かではないのだが、多くの人がごく普通に行っていることだ。と、思っていた。
客に対し目礼することは、店員が客の存在を認識し、何かあれば声をかけてくださいという無言のメッセージになる。客も目礼を返すことで必要あれば声をかけるという、暗黙の約束ができあがるわけだ。
無論、目礼を欠いたからといって、その店員に声をかけても答えないということではなく、ごく普通に応対をしてくれるだろう。しかし、こちらから声をかける前に、声をかけられる用意ができているという、サインを受け取っているといないのでは随分と気軽さが違うように思える。
店員の非礼を責めているわけではない。事実、店員にこちらから声をかければ実に丁寧に応対をしてくれた。その百貨店の教育がどうなっているのかはわからないが、店員には目礼という習慣、もしくは認識がないのではないかと思える。

客と店員の関係だけではなく、町中で袖すり合う他人同士でも、何んらかのきっかけで目礼を交わしあうこともある。
歩行中に進路が交差するようなとき、一方が道を譲り、互いに目礼を交わす。取り立てて「どうぞ」「ありがとう」と口に出さずとも、目礼だけできちんとコミュニケーションがとれているのだ。
そういえば、昨今路上や街のそこここで見ず知らずの人同士が諍いを起こし、傷害事件に発展するようなことまでが起きている。
もしかすると、目礼という所作が現代において失われてきたこともその一因かもしれない。


ホンダの人型ロボット「ASIMO」がまた進化したと11日発表された。互いの状況を把握し合うネットワークシステムによって、複数のASIMOが自立的に協調しあい、共同作業ができるようになったという。また、正面から人が来ると、一歩下がって道を譲ったり、迂回路を選択するなどの人工知能化技術も追加された。

互いの状況を把握し合い、人を認識して道を譲る。ふと考えれば、人間が忘れ去ろうとしている所作をロボットが身につけている。
ロボットは人の写し身であるが、その創造主たる人間より礼儀正しくなっているのは何とも皮肉な話だ。
ロボットに感情が備わるのはまだまだSFの世界のことかもしれないが、昨今の技術の進歩を見るとそんなに遠いことではないようにも思える。
その日がきたとき、ロボットから笑われないことを祈りたい。


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2007.12.12

Good job ! コクヨの「エコ×」

報道によると文具大手のコクヨは環境配慮が十分でない商品に対し、2008年版の自社カタログにおいて「エコ×(バツ)」マークを記載するという。
「コクヨの予告」のキャッチコピー通り、斬新な展開を売り物にする同社であるが、今回の取り組みは正にGood job!である。
それは環境への配慮だけでなく、自社社員・株主・流通・競合・消費者というステークホルダーに対して「会心の一撃」となる施策だからだ。


昨今、「エコ」は錦の御旗である。「エコのため」といえば、対外のことにはNoと言い難い。いや、地球環境が本当にNoを言える状況でないのも確かだ。
その意味で今回のコクヨの取り組みは、メーカーとして自社の命脈である商品に対し自らダメ出しをしてまで環境配慮に不退転の覚悟を示すとは誠に天晴れだといえるだろう。
しかし、単に企業姿勢を示しただけでなく、この取り組みは同社を取り巻くステークホルダーへの波及効果が綿密に設計されているように感じられる。
以下、ステークホルダー別に効果を考えてみよう。

自社社員:「予告」のキャッチコピー通り、新しいことを常に考え、革新を尊ぶ同社の精神を示した今回の取り組みは社員にとって大きな刺激を与えたはずだ。環境配慮企業に勤めることによるモチベーション向上も大きいだろう。同社は数年前、業績の停滞からリストラに踏み切った経緯があるが、その余韻からの脱却効果も高いといえるだろう。

株主:エコは今日において「ワイルドカード」。環境とCSRは重要な評価指標であり、株価への大きな影響要因となる。今年に入ってから下降の一途を辿っていたいる株価の上昇にも貢献するだろう。

流通:未だ多数残る代理店網に対しても、メーカーとしての新たな取り組みはアピール効果十分だ。「エコ×」でない、環境配慮対応済み商品を顧客に勧めやすくなるという効用もある。特に企業の社会的責任の高まりから、エコ商品の購入に関心が高い法人に対するセールスを行っている代理店には大きなビジネスチャンスとなるはずだ。

競合:コモデティー品である文具は、自社商品とあまり変わらない商品が必ず競合にもある。自社商品に×を付ければ、同時に競合の同等品にも暗に×を付けたことにもなり、競合の販売施策を封じ込める効果が期待できる。また、×商品に代替できる環境配慮対応商品の開発も順次展開しており、3年以内に全商品を環境配慮型にするという。迅速な上市によってコクヨは大きな優位性を確保できることになる。

消費者:エコな商品を求める風潮はかつてなく高まっている。多少高くても環境配慮がなされた商品を選択するという購買行動も広がっている。そして、一端×を付けた商品は暫時撤退させ、環境配慮製品を上市するときには、新たにプライシングをし直すチャンスとなる。市場全体でコモデティー商品は値崩れが否めない。この展開は価格低下の悪循環に巻き込まれない最良の手ともなっている。


こうして考えると、あくまで推測であるがこの施策は実によくできていると感心させられる。だが、よくできているだけに「深謀遠慮」といった感も醸し出される。
しかし、決して悪いことではない。多くのステークホルダーを巻き込んだこの取り組みは、利益を上げる企業として必要なことを環境と整合させた秀逸な戦略である。
さらに大きな意味は、もう一つの、そして唯一無二のステークホルダーに対する全社を挙げた働きかけである点だ。そのステークホルダーの名前は「地球」である。

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2007.12.11

加速する顧客の欲求に対応する

あなたはモノを買うとき、何を重視するだろうか。
品質? 価格? または、そのバランス?
それは消費者としては当たり前な欲求だろう。
品質+価格+α。プラスαが重要だと以前から言われてきたことであるが、最近一層その傾向が顕著になってきたようだ。


あるメーカーのお客様相談室担当者から話を聞いた。
その部署は品質管理室に属しており、品質管理室は社長直属。品質を重要視する企業姿勢の現れと言っていいだろう。製品の不具合や使用に際してのトラブルを委細漏らさずに聞き出し迅速に対処するのが役目だ。

しかし、顧客から寄せられる問い合わせ・ご意見に最近変化が生じてきた。
本来の製品に関わる内容ではなく、販売現場の担当者の接客・サービスに対してのご意見が急増しているという。
以前からそうした問い合わせはあったが件数は少なく、受付種別は「その他」に分類し、販売部にフィードバックする程度であったが、もはや個別に対応をせねばならないぐらいに増加してしまった。
販売現場の応対力が低下したわけではない。昨今のメーカーの傾向通り、パートや契約社員を正社員化して優秀な販売員の確保を図っている。研修も十分行っている。
とすると、変質したのは顧客の方だということになるのだろうか。

今日、生産の効率化や外国製品との競合によりモノの価格が低下傾向を見せている。そんな中で、従来通り「価格ではなく品質重視の物作り」という姿勢を貫いていけば、相対的にブランドとしてのポジションは上昇してしまう。市場相対的に高価格になってもついてきてくれている顧客も「自分はブランドを支える優良顧客である」という意識を持つようになるだろう。

「製品」は顧客に支持されて初めて「商品」となる。従来から言われてきたことだ。
商品=モノ+サービス。モノだけでなく、顧客に対する無形の商品であるサービスの重要性も従来から言われてきた。
どちらも新しい概念ではないのだが、このメーカーが直面した問題は、重要性は以前と比べものにならないぐらいサービスの重要性が高まっているという証左でである。
市場は変わる。顧客も変わる。企業も変わらねば生き残りは難しい。

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2007.12.10

消費動向調査から漂う「疲れ」

博報堂が12月5日に消費動向調査の結果を発表した。
今年のキーワードは「原景消費」。
「自分の原点を見つめて体験し直す」という消費スタイルが進行したとのことだが、少々違うものも見えてくる気がする。

博報堂の調査結果全文は探せなかったが、以下で概要が確認できる。
http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200712060018a.nwc

それによると、<デジタル技術の進化と商品・サービスの多様化により、過去に楽しみきれなかったあこがれや、やり過ごしてしまったことを、再び探してつながり直す機会が多く生まれたと>とのこと。そして代表商品は<日産「GT-R」などの国産高性能スポーツカーやデジタル貯金箱「人生銀行」、家庭菜園、エコバッグ、秘境ツアー>などだという。(上記URLに一覧表化されている)

「あこがれを手に入れる」「できなかったことをやり直す」というのはとてもポジティブな発想だ。だが、別の考え方をすれば、原点回帰ややり直しは先に進まないことも意味していないだろうか。
いや、人生の先に進まないというほどネガティブなことではない。消費に対してだ。
新しいこと、人とは違うことを求めて積極的な消費をするという、アクティブな生活者像があったとすれば、その対極にあるのは、過去の評価基準に沿ったものにあこがれたり、わかりやすもの、みんなと同じものを手に入れようとする姿と感じられるのだ。

代表例として紹介されている商品の数々。
トップの3つ、家庭菜園(栽培キット)、キッザニア、秘境ツアーはうまく解釈できないのだが、それ以下に気になるものが続く。
GT-Rは確かに 若き日のあこがれであった人も多いだろう。しかし、分類は「思い出の買い直し」とされているが、実際には購入に至らず、あこがれを思い出すだけの人が多いはずだ。それは、実際の購入対象にあこがれを超えるものがない状態であり、実購入意欲の減退ではないだろうか。

「人生銀行」「無限プチプチつぶし」は非本質的消費とも解釈できる。
実際の生活や人生にあまり関係も効用ももたらさないもので、無聊を慰める姿がそこに見える。

「メガマック」「ワンコインフィットネス」は「わかりやすい消費」の代表例とも解釈できる。
メタボリックやら様々な健康に気遣う食事が提唱され、それを遵守する重要性が繰り返し説かれる。しかし、「思い切り食べたい」という根源的な欲求には抗いがたい。その理性を超えた感情に「わかりやすく」応えた商品がメガマックをはじめとした、いわゆる「メガフード」だろう。
一方、やはり身体を気遣い健康志向を高めようと、フィットネスに通うといった志向も低くはない。しかし、フィットネスクラブの複雑な会員契約法や、トレーニングプログラムはいざ、入会・利用しようとすると高いハードルとなる。その点ワンコインは極めて「わかりやすい」。

残りの3つ、「ミッドタウン」「TSUBAKI」「クロックスのサンダル」。
みんなが良いと言っている。多少高いが外しはしないから購入する。そんな意識がこれらの商品からは感じられる。

実際には買わずにやはりあこがれるだけ。本質的でないもの。わかりやすいもの。みんなで外さない選択。それが代表例としてあげられた商品を別の解釈で考えたときのKBF(Key Buying Factor)だろう。
これらをつなぐものは、「面倒な消費はしたくない」「あれこれ考えるのは疲れた」という意識ではないだろうか。何年か前から「物欲の減退」を口にする人が増えている。もはやモノが満ちあふれ、本当に必要なモノはほとんどそろってしまったと。「消費に対する疲れ」。そんなキーワードで括れるような気がしてならない。

消費意欲の低減は「ニーズの低減」でもある。
ニーズとは何らかの不足状態であり、その不足状態を解消する対象物が「ウォンツ」である。
不足状態を感じないのは豊かな時代の表れではあろう。しかし、飽くなき好奇心があれば、何らかの不足状態は発生する。ところが、新しいモノを求めるのではなく、原点回帰だったり、わかりやすさや人との同調だったりするのはあまり前向きな感じがしないのだ。
際限なく欲求を満たすことは、昨今の環境負荷低減生活が推奨される中、慎むべきだろう。しかし、新しい消費の喜びを生活の張りにするようなポジティブな発想を持ち、その消費の対象物が現れることも望みたい。

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2007.12.07

仮説力

情報収集をしようと思えばインターネットと検索エンジンがいつでも使える。
考えをまとめようと思えばいくつものフレームワークが存在する。
しかし、それらを使っても、理論構築にかかる時間やその仕上がりには個々人で大きな差が生じる。
それは「仮説力」とでもいうべき能力の差だと言えるだろう。


確かに検索エンジンは便利だ。頭に思い浮かぶキーワードを検索窓に入力し、ボタン一発で様々な情報を掲出したサイトの候補が表示される。
しかし、問題はこの後。多数リスティングされている候補サイトから欲しい情報を取捨選択するのは意外と難しい。
複数のキーワードをスペースでつないで入力・検索すれば、さらに絞り込み検索ができることももはや一般的になった。
だが、これもどのようなキーワードをつないでいけば、より求めるサイトにヒットするのかが、検索の巧拙の分かれ目だろう。

検索能力はもはやインターネット時代に求められるリテラシーの一つといっていい。より的確に短時間で検索成果を上げるために求められるのは「仮説力」だ。
「このような文脈で自分が求められる情報は語られているに違いない」と仮説を立ててキーワードをつないでいく。漫然と思い浮かぶキーワードで検索を繰り返すより格段に成果が上がるはずだ。
漫然と検索しても、仮説を立てて検索しても、検索エンジンは結果を表示してくる。しかし、その結果の差は大きい。
一見差がわからないが故に、便利な機能に依存して仮説力を働かせない人も多い。


さて、検索をして情報が集まったら、その情報を整理して自分なりに考えをまとめる段階になる。そこで役に立つのがフレームワークだ。
マーケティングでよく使われる環境分析のツールはPEST、3C、5F、SWOT・・・などなど。また、施策に落とし込むならSTP、4Pと、もはや定番となっているものも多い。
しかし、ここでも要注意なのが、フレームワークという思考の補助ツールに頼りすぎて仮説力を忘れてしまうことだ。
分析は思い込みを排してフラットに行うのが基本だ。
しかし、何の仮説もなしに進めるとなかなかそこから意味合いが見えてこないのも事実。ともするとフレームワークを使った単なる情報整理で終わってしまう。

仮説を立て、分析し、仮説を検証、修正しさらに分析をするめる。フレームワークはあくまでツールであることを理解し、自分なりの仮説を繰り返し、明確な結論に至るストーリーを作ることを忘れてはならない。


便利な道具はともすると考える力をスポイルする。
道具を使いこなすためにも、まずは「仮説力」を錬成したい。

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2007.12.06

タクシー値上げは誰のせい?:フレームワークで読み解く!

当記事は、運賃値上げ方針が発表された時点で紹介した分析事例であるが、ついに開始された値上げに際して加筆修正して再度アップする。


12月1日から東京都のタクシー運賃がついに初乗り710円に値上げされた。距離追加料金も80円から90円へ。深夜割増し時間も前倒し。小型車区分も廃止と、かなりの値上がり感だ。
乗務員の給与引き上げと燃料費高騰への対応との理由だが・・・。

こうしたマクロ環境を読み解くにはPEST(ペスト)分析がポピュラーなフレームワークだ。

・Political:政治的規制事項の影響要因はどうなっているのか?   
・Economical:経済環境はどのような影響を及ぼしているのか?
・Social:社会環境はどのような影響を及ぼしているのか?
・Technical:影響要因となるような技術的変化・革新等の要素はあるか?

PEST分析は以上の5つの切り口で客観的に環境分析を行う手法である。

まず、「Political」。一番大きいのはこの要素であることは誰の目にも明らかだ。
一連の規制緩和の波に乗り、道路運送法改正法案が2002年2月1日から施行された。
これによって、新規参入や増車は今までの免許制、認可制から、車庫の確保など一定の条件さえ満たされれば自由にできるようになり、タクシーの供給過剰がおこった。

次に「Economical」。上記の緩和策も、バブルの頃のように六本木交差点で空車を探して彷徨するような状況なら増車も歓迎だが、2002年当時はデフレ不況のまっただ中。企業はタクシーチケットを絞り、個人も呑んでも終電には間に合わせるといった変化があった。
当時の政府や運輸省は、「(規制を緩和すれば、)サービスが多様になり、タクシーの利用が促進される」としていたが、市場や経済環境を無視していたとしか思えない。

「Social」も悪いことに先の二項目と呼応してしまっている。当時の社会情勢で顕著なのは不況のため5.4%にも上昇していた完全失業率だ。タクシー会社の新規採用・増車は失業者の受け皿となり、増車傾向に拍車をかけることになった。

「Technical」も呼応している。カーナビやGPSの普及である。初心者ドライバーでも、カーナビ装備で道がわからない不安を解消できる。GPSによる効率的な運行・配車で乗務環境も万全という募集文句が散見された。

しかし、どれぐらい車と乗務員を増やしても、そもそも需要と供給のバランスが完全に崩れているのだ。
市場や経済状況を考慮せずに、機械的な「規制緩和」を行った政府。
恐らくは市場や経済状況はわかっていただろうが、「とりあえず増車をして、あとは運転手任せ」にした、タクシー事業者。
両者の責任は大きくはないだろうか。

確かに、今年度、都内のタクシー乗務員の年収は平均すると400万円をわずかに上回る程度という。
低賃金を補うための長時間・過労運転が起こり、安全を確保できていないという悪循環がよくわかる。
しかし、乗務員からは「値上げによって利用者の乗り控えが起きてはノルマがクリアできない」という声も大きい。
また、「ノルマや様々な給与体系の仕組みがあるため、値上げによって乗務員の給与も上がるが、会社の方が儲かる」という乗務員の声も上がっている。

かつては「庶民の足」と言われたタクシーがどんどん利用しづらくなっていく。
また、乗務員のためという理由も全面的には得心がいかない。
ニュースの理由を冷静に分析してみると、また新たな納得のいかない部分が見えてきてしまうのであった。

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2007.12.05

「テラ豚丼」騒動:新たな食の不安と見えぬ解決策

ここ数日ネットを騒がせているのが「吉野家・テラ豚丼」騒動。
この問題は生活者にまた一つ「食の不安」を投げかけたとも言えるが、一連の偽装問題とは意味合いが全く異なる。また、それ故に根本的な解決策が見えずらく、吉野家一社の問題に留まらない新たな不安を感じさせるのである。


テラ豚丼騒動。「メガ牛丼を上回る」として、吉野家の制服を着た従業員と覚しき人物が店舗の厨房でボタボタと豚丼の具をこぼしながら丼に山盛りにしていく様が動画共有サイトに投稿された。
投稿者の動画そのものは既に削除されているが、閲覧者によって再投稿された動画がいくつも様々な動画サイトで発見できる。
そのうち一つを見た。「おいしそうだ・商品化すべきだ・何が問題なのかわからない」などとする、炎上を狙ったと思われる書き込みも掲示板では散見されるが、筆者としては、正直、気分が悪くなった。
今しも世間は食の不安に駆られている中、各掲示板の書き込みも「不衛生だ」「不謹慎だ」との意見が大勢を占めている。

吉野家は12月3日に「勤務中の行き過ぎた悪ふざけ行為」とお詫びのコメントを発表。「当該店舗・従業員を特定し、確認が取れ次第厳正に処分する。会社としても、再度従業員教育を徹底する」としている。


冒頭にこの問題は同じ「食の不安」を呈するものであっても、一連の偽装とは問題を異にすると記した。

食品偽装は、発覚当初は関与を否定するも、いずれも最終的にはトップをはじめとした組織ぐるみの仕業であることが露呈した。
そしてそこには社会通念に反するだけでなく、食品衛生法にも触れる脱法行為であることを理解した上で犯行に及ぶという、明確な「悪意」が存在する。
また、発覚の原因は組織内で横行する不正を看過できない従業員による内部告発である。

一方、テラ豚丼問題。この動画の従業員はアルバイトであろうとネットでは噂されている。
吉野家が「悪ふざけ行為」とコメントしているように、悪意は感じられない。
また、発覚も内部告発などではなく、コトの重大性を理解していない本人による投稿である。「こんなコトをしたらウケるだろう」という、考えなしの愉快犯による仕業なのだ。

だからといって行為が是認されるものではない。いや、一層問題を根深くさせている。
偽装問題であれば、関わった組織の膿を一掃することもできる。
販売成果が回復するかどうかという世間の審判が結審したわけではないが、「白い恋人」は復活の道を歩み始めている。古くは雪印などもそうだ。
しかし、アルバイトの愉快犯は厄介である。
今日、日本の労働市場はアルバイトに依存している部分が非常に大きい。
この吉野家の店舗もおそらくそうであろうが、アルバイトだけに店舗運営を任せている実態も数多い。
それ故、教育をし、マニュアルを整備してきたのだが、それらが効果を上げていなかったことが発覚した結果となってしまったのだ。
飲食店だけではない。コンビニエンスストアなども、今日では店頭加工食品を多く扱っており、アルバイト依存度が高いのも同じだ。
それらを全て同列に断じることはできないが、今回の問題が投げかける不安は、ともすれば大きな広がりとなりかねない。


吉野家はおそらく、一罰百戒の意味を込めて、問題の従業員を捜し出し、コメント通りの厳しい処分をするだろう。しかし、それで全従業員の意識改革ができるのかが問題だ。
後続を断ち切ることができるのかである。
また、ことは吉野家だけではなく、他企業にも問題を投げかけている。
「テラ豚丼騒動」。ネット上ではしばらくお祭り騒ぎが続くような気がするが、この事件は企業にとっての従業員教育や、店舗運営のあり方という、非常に根深い問題を露呈させたと言えるだろう。

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2007.12.04

因果関係を見抜け!根本原因を突き止めろ!

某ニュースで不思議な発表を発見。しかし、こうした勘違いは実際のビジネスでも散見される。ビジネスパーソンはどのような視点を持つべきなのか。


インターネットのニュースで<エコノミー症候群 女性客に集中発生>というタイトルをみた。このタイトルだけ読むと、「女性は発症の危険性が高いのか!」と勘違いしてしまいそうだが、記事をきちんと読むとそうではない。
「女性患者にはトイレに行きたくないから水分を取らなかったという人が多い。水を飲まないのはよくない。」という医師のコメントが記載されていた。


エコノミー症候群→女性に発症が集中、という勘違い。
エコノミー症候群→[血液濃度の上昇によりうっ血性心不全や肺血栓塞栓症を発症する→水分の摂取と体を動かすことが対策として必要→女性は飛行機内でトイレに行きたくないと考える→結果として水分を取らなくなる→トイレに行くために体を動かすこともしなくなる]→女性に発症が集中、が正解だ。
つまり短絡的に考えると[ ]内をすっ飛ばしてしまい、根本原因を見誤るのである。
因果関係を明確にすれば、エコノミー症候群→水分摂取をしない・体を動かさない人に集中発生という従来から知られた結果となり、今回の報道は女性に集中発生のメカニズムを実証したことに価値があるのだと理解できる。

こうした過ちはビジネスの世界でも散見される。
マネージャーが呈する自部門における問題点。代表的な意見に「業務ミスがなくならない」というものがある。
「業務ミス」は問題ではあるが、それは「現象」であり、「根本原因」ではない。
先の例における「女性に集中発生」のようなものだ。そこに至る因果関係が重要なのだ。

業務ミスの原因は何か。ちょっと考えれば、業務知識が足りないのか、モチベーションの低下により集中力を欠いた状態なのかが推察できる。
問題は知識か意識か、もしくは複合的なのか。
根本原因を追及しなければ対処方法はわからず、「業務ミスが多いという問題が発生している」→「ミスを削減するため全員慎重に業務を遂行するように」という解決に至らない指示を出すことになってしまう。

数学者のジェフリー・S・ローゼンタールもベストセラーの著書、「運は数学にまかせなさい」(早川書房)で因果関係の重要性をおもしろい例で示している。
<現代では喫煙によって肺癌になる危険性が大幅に高まるというのが定説だけれど、かつてはこの関係が議論の的になっていた。ところで、タバコのせいで喫煙者の指にうっすらと(無害な)黄色い染みができることがあるのも事実だ。(喫煙にあまり詳しくない研究者がいたとして)本当は指の肺癌も黄色い染みも喫煙が原因だけれど、それを知らなければ勘違いして”黄色い染みが肺癌を引き起こす”と結論する可能性がある>。
もちろん、ローゼンタール自身、誇張した例だとしているが、先のエコノミー症候群の例のように、よく考えれば、またはきちんとした情報解釈をすればわかる因果関係を取り違えている例である。


問題解決能力は全てのビジネスパーソン、とりわけマネージャーのスキルとして求められるものである。その根本には原因追及と、因果関係の解明能力が欠かせないことを忘れないようにしたい。


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2007.12.03

コミュニケーションという幻想

「コミュニケーション」が変容している。過去にも人々のcommon senseの移ろいや、コミュニケーション不全について述べてきたが、もはやコミュニケーションという言葉そのものを考え直さねばならない時がきているのだ。


現代の家族関係を考えるときに「家族のコミュニケーションが減っている」は、問題点の定番として頻出するキーワードだ。教育問題では「学校と家庭、教師と生徒、生徒間のコミュニケーションのありよう」が取り上げられる。
ビジネスの世界では「上司と部下、社内全般のコミュニケーション」がなかなか取りづらいということが問題視される。
では、そもそもコミュニケーションとは何なのか。
広辞苑(第5版)をひもといてみる。「社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達」とある。
とすれば、コミュニケーションの本質は「伝達」であると解釈できる。
では、「伝達」とは何か。「命令・連絡事項などを伝えること。つぎつぎに伝え届けること」とある。
この時点でおや?と思う。

様々なシーンで指摘されているコミュニケーションの問題点は、端的に言えば、「伝わらないこと」である。
コミュニケーションの本質である「伝達」をしても、伝えても伝えても伝わらない。それが今日のコミュニケーションの問題点なのである。
だとすれば、コミュニケーションの本質を「伝達すること」ととらえることが間違いなのではないだろうか。

「伝えようとすれば伝わる」と考えることは、島国の単一民族が育んできた極めて日本的な発想であるといえる。言葉を発せずして意思伝達をする。当たり前なこととして言葉を発生ない「言わずもがな」の発想だ。「阿吽の呼吸」という言葉などもこの思想が現れている。
しかし、もはやそれは「幻想」に過ぎないのだ。


「伝わるはずが伝わらない」ことから、昨今の様々な対人トラブルが起きている。
些細なことから傷害事件に発生するような数々の事案もその表出化である。
また、若者から始まりすっかり広まった「KY」、「空気読め(ない)」も翻って考えれば、相手に対し、自らの意志を推察せよと強制する、理解できない者を指弾するという行為を正当化することによって、伝わらないことを自らに起因させない思考停止の表れでもある。


コミュニケーションは、ラテン語の「共有」もしくは「共有物」に語源があるという説があることは過去にも紹介した。
ミドルマネージャーの研修で、「部下とのコミュニケーションが重要」との発言に、その意味を聞くと「意識共有」であると回答されることがある。正解だ。今日的なミス・コミュニケーションは、一方的な伝達だけして、全く意思疎通ができないという姿に現れる。伝達しただけではダメなのだ。
「共有すること」。
例えば、「部下とのコミュニケーション」といった場合は、話をしただけでは無駄なのだ。
「ミーティングを頻繁にする」との応えをよく聞く。それもいいだろう。しかし、ミーティングの結果、何らかのメモや議事録、または本人との明確な約束(commitment)をすることが重要なのだ。それは企業内だけでなく、学校でも家庭でも同じだ。


人と人とのコミュニケーションにおいて、何も四角四面でcommitmentを確定させることは「息が詰まる」という論もあろうし、現実的に「ではこういうことですね!」と会話の最後に確認をするのがふさわしくないシーンもあろう。
初対面や行きずりの人とはましてそうだろう。
しかし、「伝わる前提」のコミュニケーションは幻想に過ぎず、何らか、共有物を残すという意識を持つことは重要だろう。
日本古来の人と人の関わり方を否定するつもりはない。しかし、それが破綻しかけていることも事実なのだ。

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