« 本当に子供たちの「ゆとり」を奪ったのは「ゆとり」なのか? | Main | 専門誌連載しています:“現場に効く”マーケティングの基本理論・第1回 »

2007.11.29

ちょっとした「しぐさ」

ちょっとしたしぐさ。ふとしたしぐさで人に与える印象はずいぶんと異なる。そしてそこには、人の意外な人間性が表れると考えられないだろうか。


家路を辿る道すがら、今日は時間が早いので開いている書店に立ち寄る。
特に収穫はなく店を出ようとすると、とび職風の若者と出口でかち合う。
携帯に電話がかかってきてしまい、店外に出るところらしい。
何という髪型なのか、刈り込まれた髪にさらに細く剃り込みを幾筋も入れている。無精髭。ちょっと見た目こわそう。
一歩譲ると扉を開け、続く筆者のために扉を支え軽く会釈をして先を譲ってくれた。
思わず「ありがとう」というと、電話を耳に当てたまま、ニコリと微笑んできた。


次にドラッグストアに立ち寄り「のどスプレー」を購入。
レジで会計をした際、単品なので「そのままで結構です」とレジ袋を断ると、アルバイトと覚しきレジ係が右手にPOSレジのスキャナーを握りしめたまま、ズズッと品物をレジカウンターに押しつけ突き出した。


続いてコンビニ。
入り口を入ろうとすると、背後に人の気配。すぐ後ろに若い女性が続いているのに気づいた。
扉を引いて開け、女性に先を譲る。女性は無言で扉を支えている筆者の前を通過する。

晩酌のビールを一缶レジに持って行く。
レジ係のアルバイトと覚しき店員は、「ありがとうございます」と、缶ビールを両手で差し出した。


店ドアを通過する際のしぐさ。商品を手渡す際のしぐさ。
どちらも、ほんのちょっとしたことだ。だが、印象が大きく異なる。
人のしぐさをとやかく言うつもりはないが、「人のふり見て我がふり直せ」だ。


袖触れ合った他人と再び接することはないかもしれない。
しかし、人と人の関係が殺伐としがちな今日この頃。
少しでもお互いの印象を気遣う心のゆとりを持つことができれば、世の中少しずつ変わるかもしれないのにと思った次第である。

|

« 本当に子供たちの「ゆとり」を奪ったのは「ゆとり」なのか? | Main | 専門誌連載しています:“現場に効く”マーケティングの基本理論・第1回 »

Comments

その通りですね。
 
2日前のスタバの話も、相手は「コモン・センス」の存在・知識を
有していない人種なんです。でも、その人達に対しても共通の
言語や表情で表わす表現方法は意思伝達可能な手段です。
 
急いでいるのに、PCの動作性の事情があって早く終わらないと
いうことを相手に何某かの方法で伝えれば良いのではないのかと
自分は感じているので、あのようなコメントをしたんです。
 
考えてみれば、今回の「とび職」や各店の「店員」のように様々な
人種がいるんです。学校内等に長く居ると同じような人ばかりと
接しているので、「学外の人」=「異常者」に感じる部分に問題が
ある場合が実は多いのではないでしょうか。
 
従って同じゼミの受講生は共鳴してしまう。別にそれが悪い訳では
ないんですが、絶えず論点が同じでは議論はできません。そして
発展はないんです。そう感じられませんか。
 
スタバの老人のように、一時的に腹が立っても、その後の発展が
あるのが、「心」や「言葉」を持つ人間の強みではないでしょうか。
 
和流にも「良い習慣」と「悪い習慣」があります。
心掛け次第で、「あ・うん」の呼吸は「悪い習慣」にも成り得ます。
このときは、相手に観察力があって協調しているだけだってことを
忘れたとき、悲劇が待っていることを誰もが忘れがちだからです。

Posted by: たぁ坊 | 2007.11.29 10:28 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference ちょっとした「しぐさ」:

« 本当に子供たちの「ゆとり」を奪ったのは「ゆとり」なのか? | Main | 専門誌連載しています:“現場に効く”マーケティングの基本理論・第1回 »