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2007.11.12

清潔空間からの逃亡者たち

ビジネスパーソンのためのパーソナルプロデューサーを名乗る株式会社パーソナルデザイン 代表取締役の唐澤 理恵さんのコラムを読んだ。(ツバを吐く男 Part2)
街中で紳士然とした姿で路面にツバを吐く男性の姿が描かれ、それは「男性ホルモン”テストステロン”の働きによる、男らしさの表現かもしれない」と推察されていた。

確かに生理学的な解釈としては正解かもしれない。しかし、別の切り口でも考察してみようと思う。切り口は、その舞台となっている「都市空間」だ。


同コラムではあるアンケートで、ツバを吐いた経験のある男性ビジネスマンは6割。タバコのポイ捨ては4割ということであったが、比率はともかくいずれも高率であることは間違いない。確かに街中でどちらもよく目にする。しかし、記憶を辿ってみるとその姿が昔と変わってきている気がするのだ。

タバコが短くなる。それを唇から指でつまんで、流れるような自然さで路面に落とす。火を消すことすらしない。ツバを吐くにしてもそうだ。吐きたくなったら所構わず。正にアスファルトの路面に速射である。
昔の風景を思い起こすと、タバコを路面に捨てるのは喫煙者比率が高かったことから今日よりもよく見られた。路面に吸い殻も多かった。しかし、捨てる人は、ちょっとどこに捨てようかとキョロキョロし、道の隅に投げ、その上から靴で踏みつけていたのではないか。ツバを吐くにも植え込みなど、吐いたツバがそのままの状態で残らない、人の目に触れにくい場所にしていなかっただろうか。この変化は何なのだろうか。

一つにはその行為以前に、都市空間が変化しているのではないだろうか。空間とは、そこに存在する人々も含めてである。


都市は清潔になった。路面もほとんど舗装整備された。街行く人々のマナーも向上した。
反面、それについて行けない人を生んだのではないだろうか。空間が美化され、マナーが厳しくなる。街を汚損する行為はもとより、そもそもの喫煙行為自体が非難の対象になる。ある意味、耐えられない息苦しさを感じる人もいるだろう。
ある程度我慢を重ねる。しかし、ある日、「もういいっか!」とエスケープしてしまうのだ。
一端、エスケープするともはやポイ捨ては無意識の行為になる。タバコを吸い終わる。不要になる。不要な物はそのまま捨てる。流れるような動きの完成だ。


もちろん喫煙者の大半は喫煙禁止区域では我慢しているし、携帯灰皿を利用している。問題は、既にエスケープしてしまっている人々なのだ。さらに、その比率は増えているような気がしてならない。禁煙の高まりや、喫煙禁止区域の拡大に比例するように。

ツバを吐く行為についてもそうだ。路面に未舗装箇所はもはやない。土のある植え込みもきれいに整備され、花などが植わっていたりする。簡単にツバを吐く場所などない。すると、場所を選ぶ努力を放棄してしまう。ティッシュを使えばいいだろうと思うが、そこまでの努力は厭う。結果、そのまま吐き捨てる。


人によって清潔さを保つことに対するストレスは異なるし、ストレスに対する耐性、許容量も異なる。同じ都市という空間を共有する人々同士のその差異がトラブルを生む。ごく下らないことでいさかいが起る。
もはや見慣れた風景になりつつある、朝の小競り合い。清潔な都市空間からの逃亡者と、その規範内に留まる者の喧嘩であることも少なくないのだろう。

都市美化の動きは止まることはない。非喫煙者としては歓迎だが、無用なトラブルは遠慮したい。しかし、美化された路面に吸い殻やツバを発見するのもうれしくない。
どこかに“抜き所”を作るべきかもしれない。あちらこちらに整備されつつある喫煙所もいいだろう。ツバをどうすればいいのかはわからないが、都市に住む者同士が共存するため、もう少し知恵を絞る必要がありそうだ。


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Comments

条例禁止区域でなくともエチケットとして携帯用灰皿を持参して吸って欲しいと感じています。煙草を持って手を振って歩くと(以前は自分もやってましたが)危ないこともあるようです。
 
例えば、子供の目の位置だから失明の危険があるとも言います。
そして、高級な服やバックに焼きを入れてしまって失笑を買ったり。
いろいろあります。痰や唾の話はティッシュの話もあるんでしょうが、環境問題でゴミ箱がなくなっています。駅舎においても改札の中に入らないとありません。駅のホームやトイレにもないときも多いと感じています。こうなると真面目な人もマナーが悪くなりそうです。
自分は、どうしても我慢できずにティッシュを使って捨てる場所が
ないんで服のポケットに入れて置いたら、すっかり忘れてしまい、
翌日、家人から大目玉ってことも多々あった時期もありました。
花粉症やインフルエンザの季節に薬を飲んで散らして会社に行きます。でも、ゴミ箱がなくて、適当にポケットに入れておいたら、
そのまま洗濯して、凄いことになってしまいました。その服だけなら
良いんですが、層内の他の洗いものに、屑が乱れ飛び悲惨です。
 
環境問題を語り、ゴミを無くすには、ゴミ箱がなければ良いと言う
発想は一理ありますが、こんなリスクがあるのではないでしょうか。
ゴミ箱の設置が悪いんではなくて家庭用のゴミを捨てる悪いやつを
取り締まる工夫をすれば良いと思うんですが、果たして難しいこと
なのか?疑問が残ります。

Posted by: たぁ坊 | 2007.11.12 08:07 PM

ゴミ箱問題は鉄道では、テロ対策で一度徹底的に撤去されましたが、ゴミ箱の胴体部分が外から見えるよう改良して復活しました。
このように、仕組みで解決できるモノはいいのですが、ご指摘のような「家庭ゴミ持ち込み」のようなものは、今回記したような人々の意識の変化に根ざした事象の変革は大変ですね。

Posted by: 金森 | 2007.11.13 06:33 PM

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