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22 posts from October 2007

2007.10.31

偽装時代を超えて:ミッションステートメントの改訂を

赤福と同じ手口の偽装発覚。「やってくれたな御福餅」という感じだ。
過日、当Blogにて「赤福は市場から退場させられたが、酵素や添加物(ソルビン酸カリウム)を正直に表示している御福餅はエライ」とほめた矢先なので腹が立つ。
まぁ、こんなBlogで云々いっても何にもならないかもしれないが、全国にそんな気持ちの人も少なくないだろいう。

昨今の偽装は食品に限らないが、とにかく多すぎる。
しかし、赤福に代表されるように、老舗の偽装の場合、綿々と長い歴史の中で行われてきたことなので、時のトップの力だけでは止められなかったという説明がなされる。
なぜ、止められないのか。それは、企業(店)の目的が「製品を作り続けること」=「のれんを保つこと」となっており、製品は生活者に供され評価されて初めて“商品”となるという原則が忘れられているからだ。
銘品といわれ、黙っていても売れるようになる。その結果、顧客を見なくなる。
長い歴史がかえって徒となっているのだ。


企業がそうした経年劣化を起こさないためにはどうすべきなのか。
一つの方法が、「ミッションステートメントの更新」だろう。
偽装に走った企業も恐らくは理念として「誠心」だの「お客様第一」だのを掲げているのだろう。明らかに形骸化しており、寒々しい限りだが。
その形骸化を排するため、トップの交代時などにミッションステートメントを書き換えるのだ。
たかがミッションステートメントと言うなかれ。1980年代、栄華の極みにあった日本経済の影でどん底にあった米国企業が復活したのは、IT投資による情報化推進とミッションステートメントの再構築による企業統治である。ミッションステートメントが真に企業の構成員の拠るべき縁となれば、トップから現場までが一体となって明らかに動きが変わる。社内の空気が変わるのだ。多くの企業でそれが実現されている。

では、顧客の姿を見失った多くの企業において、どのようなミッションステートメントが求められるのか。
それは、当Blogでも何度か紹介した「顧客を中心としたステートメントの構築」に尽きる。
企業再生の方法はいくつかあるだろうが、その一つとして、まずはここから始める努力にも期待したいものである。


【顧客中心のミッションステートメント】
Photo
(図参照)
①価値理念・・・その企業の哲学を表す。「自社は顧客に対してそのような存在であるのか」を明確にすることが中心となる。
②個性・・・他の企業にはない、その企業の独自性を表す部分。自社にしかできない、顧客に提示できることは何かを明確にする。
③理想とする顧客・・・自社はどのようなお客様のために存在するのかを明確に設定する。
④機能的付加価値・・・理想的な顧客に提供できる物理的メリット。自社が自信を持って提供できるものは何なのかを明確にする。
⑤情緒的付加価値・・・理想的な顧客との各種コミュニケーションを通じて、顧客をどのような気分にさせることができるかという、無形の付加価値を明確にする。
 上記①~⑤を設定するためには、図のピラミッドでそれぞれのパーツがどのような相互関係を持っているのかを意識して検討していく。
次のような文章に当てはまる言葉として作り込んでいく。

○○会社は、【価値理念】を約束します。
私たちは、【個性】として、
【理想的なお客様】に、
【機能的な付加価値】を提供し、
【情緒的な付加価値】を感じていただくため、努力をしていきます。

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2007.10.30

オリジナリティーなき”コピペ”からの脱却を

近年のPC普及は私たちの生活やビジネスに多大な恩恵をもたらしてくれている。
しかし、「光あるところには影がある」。負の側面も見逃せない。
今回はその負の側面の中から、一つを切り取ってみたい。


キーボードの”アップル”+”C”。指定位置にポインタを移して”アップル”+”V”。
初めてMacintoshでコピー&ペースト、つまり「コピペ」を覚えた時、その便利さに驚いた。
さらに、その後Windowsに転んで、MS-Officeを利用するようになってから、プレゼン用のパワーポイントに、ワードやエクセルのデータまで貼り付けられるようになり、コピペ機能はもはやビジネスに欠かせないものになった。
他の人が作成した文書を再度利用する。つまりDuplication(複製)が日常化した。
確かに便利になった。効率的になった。だが、そこには大きな落とし穴があったのだ。


「呪いの企画書」という現象がある。
パワーポイントのよくできた企画書だ。全体の流れもいい。気の利いたグラフィックも貼り付けてある。アニメーションもなかなか凝っている。
こんな企画書を社内のファイルサーバで見つけたら、誰しも自分の業務に使うプレゼンに使ってみたくなるだろう。
全くそのまま使うわけにはいかないが、必要な部分を加筆修正すれば使えるように思う。修正して、全体を見直してみる。うまくできている。
かくして、そのデータをノートPCに仕込んでクライアントにプレゼンを行う。しかし、その反応はイマイチさえない。何が起ったのか・・・。

何が起ったのかといえば、「企画書の呪い」だ。
いや、ホラーな話ではない。
その企画書データは、実は社内で何度も「負けプレゼン」を引き起こしている経歴があったのだ。
「よくできている企画書」のはず。なぜ、そんなことになるのか。


「誰が見てもよくできている企画書」。
果たしてそれは、クライアントの求める内容にフィットしているのだろうか。
何らかのソリューション。つまり、問題解決を求めているのだとすれば、求められている内容はそんなに一般的なことなのか。
もちろん、再利用の際には加筆修正を行ったかもしれない。
しかし、見た目でよくできたパワーポイントは一種の思考停止をもたらす。「こんなにわかりやすいなら、きっと受けるだろう」と。
「わかりやすい」や「見た目のきれいさ」は当然、問題解決とは別次元のことだ。
そこを見失っては、当然、評価されることはない。
だが、「呪い」ともいうべき連鎖にはまる例が後を絶たない。

「コピペ」によるDuplication(複製)の容易さが根源であることはいうまでもない。
オリジナルを創り出すことは多大な苦労が伴う。
しかも、見栄えのするプレゼンに仕上げることは、更なる時間と労力を要する。
そうした時、「よくできたパワーポイント」を見つけてしまったら、その魔力に抗うことは難しいだろう。
良心の呵責からか、若干の手直しは行う。
しかし、それとても、さらにそのパワーポイントを魅力的に装飾するだけかもしれない。
そして、本質的な部分を置き去りに、さらに呪いの企画書はその魅力を増す。


今日のPC環境からすれば、Duplication(複製)は無限に可能だ。手間もかからない。
しかし、あえてそれを断ち切るべきなのだ。これは「呪いかもしれない」と。
容易にできるコピペと複製。オリジナリティーの喪失。
人は易きに流れるものであるが、「企画書は問題解決の道を示すものである」とい本質を忘れないようにしたい。

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2007.10.26

営業モチベーションアップは成功体験から

ご好評につき、今週の「営業シリーズ」第3作目。
その1:クロージングができません!:見込み度判定のしくみを考える
 http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2007/10/post_901d.html
その2:営業ポートフォリオ・マネジメントを励行しよう!
 http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2007/10/post_4fcf.html

さて、営業担当者の成績を上げるには、様々なスキルアップ施策もあるが、「モチベーションの向上」が重要なのは言うまでもない。
しかし、如何にモチベーションを向上させるといった方法論を考えた時、実際には簡単でないことに気付く。
モチベーション、即ち動機付けの方法は、営業担当であれば業績に連動したボーナスやインセンティブといった外発的ものが一般的だが、それではなかなか長続きせず、また、トランプゲームの「大富豪」のように優秀なものだけが常に恩恵に浴することになり、底上げ効果は低い。
とはいえ、内発的な動機付け施策は成果が見えにくく、短期的な数的効果も上がりにくいため敬遠されがちだ。
企業内ではとかくそんな評価が下されがちであるが、今回、一つの施策の例をご覧に入れたい。


内発的動機付けは、本人が「楽しい!」「充実している!」「役に立っている!」という、内面的な達成感や満足感に裏打ちされた状態になっていることがポイントだ。
「マズローの欲求5段階説」でいえば、高次な欲求が満たされている状態であると言える。
その中でも、特に営業担当者にとっては「成功体験」という要素が重要だ。
営業活動というのはなかなかに大変な行為だ。その苦労や辛さは本人が一番身にしみている。
しかし、それが一気に喜びに変わるのが「契約が取れた」「受注できた」という成功の瞬間だ。当然、実際の営業成績にも反映されるので、精神的な充足感以上の効果もある。
成功すれば、モチベーションが向上する。しかし、モチベーションの低い状態は成功から遠い。鶏と卵の関係である。
では、一気に卵を創り出し、孵化するようにサポートするのが、この動機付けのキモなのだ。

どのようなサポートを行なうのかといえば、一種のコーチングだ。
どうも、営業の現場は上司と部下のコミュニケーションが少ないようだ。
コミュニケーションと言えば、簡素な営業進捗の報告を上司が聞くぐらい。
また、OJTと称する教育も、その場限り。体系的でない指導が多い。というケースが散見される。
コミュニケーションは、単に会話すればよいわけではない。「共有する」ことだ。コミュニケーションの成果として、「では今回はこれが共有できたね」といった、有用な結果が残らねば意味がない。OJTもまた然りだ。
それなくして、上司はとかく「報・連・相がなっていない!」などと言う。

そんな環境において、特にメスを入れるべきは上司・部下間の「報告」と「指導」である。
前述の通り、極めてプアな状況報告と承認だけの関係であるケースが多い。
営業報告が日報であったり、週報であったり、もしくはSFA(Sales Force Automation)のシステムであったりするが、そこに担当者が「本日の訪問・商談状況」を選択肢や数字で記入・入力し、上司が「承認」するだけ。こんな報告は何も生み出さない。
営業報告を挟んだ、担当者と上司の関係は「相談と指導」であるべきなのだ。
担当者にできるだけ詳細な報告を記入させる。できればフリーワードテキストで。それに対して、上司は今後、どのような対応をすべきか指導を記入する。必要に応じて他のスタッフや、自らか、さらに上司も具体的にサポートする旨を示す。
恐らく担当者は、詳細な報告を行う手間を厭うだろう。しかし、実際にその報告をさせ、詳細な指導とサポートを行って、「報告することによってうまくいく。いいことがあるんだ!」と成功体験に基づいた理解ができれば、好循環が働き出すのである。

「営業モチベーションアップは成功体験から」。
成功体験に勝る内発的動機付けはない。しかし、自助努力を促すだけでは成功確率は向上しない。上司からの適切な働きかけと、担当者本人の気付きが好循環をもたらすカギであることをご理解いただきたい。

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2007.10.25

新・広辞苑:「クールビズ」は一過性の言葉なのか?

重箱の隅をつつくような内容になるかと危惧しつつ、どうしても気になったので記したい。

各紙やサイトで報じられているが、広辞苑が10年ぶりに改訂されるそうだ。
http://newsflash.nifty.com/news/tk/tk__jcast_12504.htm

ちょっとビックリするような新語も掲載されるようなので、詳しくはサイトや新聞を確認していただきたいが、一つだけ気になった。

上記リンクのサイトより<一方、採用を見送られたのは「クールビズ」「イケテる」などだ。>

まぁ、イケテるが取り上げられなくてもどうでもいいのだが、「クールビズ」は?
確かに、このBlogで何度も白状しているが、2005年当初、金森はクールビズ反対派だった。
その理由は「だらしないから」。
が、それから2年経って、スタイルも随分洗練されてきた。社会的認知も高まった。
何より、温暖化対策として、過度な空調を抑えるという主旨の重要性が増してきている。

クールビズ落選の理由は日経新聞(サイトにアップされていない)にしか記述がなかったが、「一過性の言葉だから」だそうだ。
同じく「一過性」として落選したのは「萌え」「イナバウアー」。
イナバウアーは確かに一過性だろう。萌えは微妙だが。
しかし、クールビズは一過性にしてはいけないだろう?
一過性にしないために、広辞苑にも取り上げるべきではないか?

もしかすると、既にクールビズの認知度は過半を占めていることから、特別な言葉ではなくなっているという判断かもしれない。
しかし、実践率は確か3割程度であったはずだ。
また、スタイルはともかくとして、「温暖化防止」の本来の主旨がどもまで浸透しているのか。
そもそもが、クールビズはネクタイを外すスタイルではない。

たかが言葉。されど言葉。
言語は思考を形成し、思考は行動を規定する。
広辞苑の語句選定はもっと俯瞰的思考で行ってもらいたいと思った次第だ。

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2007.10.24

赤福退場・御福餅は売れ行き好調

赤福がさながら偽装のデパートのごとく、次から次へと新たな事実が発覚し、何やらミートホープを思い起こさせるような事態になってきた。
中部〜関西地区の出張が多く、いつでも赤福が土産物店の店先に並んでいたが、ほとんど購入していなかった。
斯様な事態になると、「ああ、甘いものが苦手で良かった」などと、おかしな安心感を抱いたりするのだが、世間の人はそうでもないようだ。
企業姿勢と製品の品質に問題はあったものの、あの味わいが忘れられない人も多いらしい。

ということで、赤福にそっくりな「御福餅」の販売が好調という。
http://www.asahi.com/national/update/1023/NGY200710230003.html
製品の中身と及びパッケージの意匠がそっくりなので、コピー商品かと失礼な認識を持っていたが、そんなことはなく、会社組織になってからは数十年だが、その歴史は古いようだ。

ともあれ、食品の信頼性が傷ついた時には、同一カテゴリーの製品は少なからずダメージを受けるものだが、かえって売上が伸びているとはどういうわけだろうか。
ミートホープのミンチ肉偽装の直後は、外食メニューでもメンチカツやハンバーグなどを避ける人も多かったというのにも係わらずだ。

根拠はないものの、その理由を少し考えてみる。

まずは、問題が発覚したが、赤福自体の人気が恐ろしく根強いというのは事実だろう。
購入者からの信頼性喪失は、製造者に対するものであり、製品自体の人気は根強い。
この辺りが、赤福がその支持基盤の上にあぐらをかいてしまった原因でもあるかもしれない。
逆に言えば、それをスポイルするとは何とももったいないことだ。顧客からの支持に慣れきってしまうことの何と恐ろしいことか。

少し、横道にそれた。別の考え方もある。
食品衛生法違反となる重大な事実まで遂に発覚しているが、とはいえ、誰かの健康被害が発生しているわけではない。
例えば、昭和59年に真空パックで販売されていた「からしレンコン」にボツリヌス菌が繁殖し、36名が食中毒に罹患。11名が死亡するという事件があった。
ここ数年、ようやくからしレンコンが東京界隈でも食せるようになったが非常に長いこと、生産地付近でしか販売されていなかった。
一部の生産者の引き起こしたことで、その市場自体が壊滅的なダメージを受けた例だ。
今回は、幸いなことに被害が出ていない。
故に、ほぼ同一のカテゴリーである、御福餅を敬遠する動きには至っていないのだろう。

さらに、重要なのは御福餅の成分表示だろう。
御福餅の原料は小豆、砂糖、餅米、酵素、保存料(ソルビン酸カリウム)。
何とも正直だ。酵素、保存料を使っている。かえって安心する。

赤福の問題発覚前は「保存料はちょっとね」という向きも多かったかもしれない。
しかし、「ソルビン酸カリウム」は同じく保存料として使用されている「ソルビン酸」より、遙かに安全な保存料とされている。
一律、保存料を避ける風潮は強いが、今回の赤福の問題はその感覚を少し改める必要も考えさせられるキッカケかもしれない。

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2007.10.23

営業ポートフォリオ・マネジメントを励行しよう!

昨日に引き続き、営業シリーズ。
前職では営業部長職に就いていたこともある。
部下に大勢の営業担当がおり、様々なパーソナリティーがある。また、その営業成績も様々だ。
しかし、成績の振るわない担当者には一つの傾向が共通する。「苦手な先に足が向かない」ということだ。


一般に、「新規顧客の獲得は既存顧客の深耕の5倍労力がかかる」といわれている。
いわゆるルートセールス型の営業でなくとも、一度顧客化した先はきちんとフォローし、追加のビジネスを積極的に獲得していくべきなのだ。
その時、考えるべくは、どの程度足げく通えば、どの程度ビジネスになるかという見極めだろう。
昨日の「見込み度判定」は主に新規顧客の獲得時におけるポイントだが、既存顧客対象であれば商談の中からその可能性を見極めることもできるはずだ。

しかし、だ。問題は、その可能性を見極める商談をきちんと行うことが前提であるという点だ。
前述の通り、成績の振るわない営業担当者はなぜか、ビジネスの可能性に係わらず訪問しない先というものを抱え込む。
では、その担当者は全く営業訪問をせずに楽をしているのかというと、そうではない。
ちゃんと活動しているのだ。但し、楽な先に。

楽か、楽でないかは、訪問先企業の担当者の性格や応対にもよるだろうが、概ね、取引が安定化している先なのは間違いないだろう。
安定していて、問題が起きていない。怒られることもない。
継続的な取引が行われているから、無理な売り込みや、気合いを入れた提案などせずともそれなりの数字になる。楽なのだ。

しかし、世は無常である。
安寧とした日々を送っている間にも、得意先の社内事情が変化することもある。ある日、突然ビジネスが消失することもあるのだ。
すると、その担当者は如何に予測不可能であり、不可避なことであったかをアピールしてくる。
一応の、理解は示す。が、すぐに不足状態に陥る数字をどう補填するのかを尋ねると、絶句して立ちつくしてしまうのだ。

そうならないために・・・。
一社専任の営業担当でなければ、複数の取引先を抱えているのが常だろう。
その際、「ポートフォリオ管理」的な感覚を身につけさせておくことが重要だ。
ポートフォリオにも様々なモデルがあるが、ここではボストンコンサルティング・グループの「プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント(PPM)」を転用してみよう。
「金のなる木」「花形」「問題児」「負け犬」といったポジションを表わす言葉が有名である。

フレームとしては、横軸に市場占有率、縦軸に市場成長性を取る。
営業先で考えれば、市場占有率は、自社(もしくは自部門や、自分の売上数字)に絞める多さとなるだろう。
市場占有率が高く、成長性が低い「金のなる木」は、安定した取引先となるだろう。
市場占有率が高く、成長性も高い「花形」は、仕込んできたタネがまさに花開いた取引先となるだろう。
市場占有率が低く、成長性が高い「問題児」はまさに今、仕込み中。努力次第で花形になるかどうかというところだろう。
市場占有率も成長性も低い「負け犬」は、もはや取引の盛りを過ぎてしまった先か。復活、もしくは延命できるかがキモだが、あまり期待できないかもしれない。

さて、こうして考えると、まず問題は、上記の各ポジションに該当する取引先をきちんと抱えているかどうかだ。
「金のなる木」があるのは結構だが、前述の通り、いつ何時、「負け犬」に転落するかもしれない。
「花形」を抱えているか。「問題児」を持っているか。「問題児」は手間がかかる先だが、ここがなければ、次世代の「花形」を確保できない。

PPMの大原則というものがある。
まずは、前述の通り、「花形」不在にならないようにすること。そのためには、積極的に「問題児」を見つけ、育てることだ。
そして、どこに力を注ぐかもポイントだ。
PPMの二つ目の大原則は「金のなる木」から得た収益を、「問題児」に積極的に投資することだ。
営業先について考えてみれば、安定した「金のなる木」には、それほど労力と時間をかけず、効率的にケアし、
その分、今後の可能性を発掘すべく、「問題児」に注ぎ込むべきなのだ。

このように考えれば、「苦手な先に足が向かない」などと言っていられないことが分かるだろう。
実際に、営業部員との面談の中で、各々が持っている得意先を、上記のPPMのフレームワークの中に落とし込み、どこにどのように注力すべきかを共有することは有効なのだ。
今日、感覚的な営業ではなく、理に適った営業の必要性が問われている。
人間、どうしても得意、不得意や相性というものがあるだろう。しかし、そうした感覚や感情を超えて、為すべき事を為す必要性を認識しなくてはならない。
フレームワークは実用に供してこそ、価値がある。PPMは広く知られた概念であるが、このような活用方法もあるとご理解いただければ幸いだ。

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2007.10.22

クロージングができません!:見込み度判定のしくみを考える

※20日(土)に書きかけのタイトルだけがアップされ、データが削除できなくなっていました。
  こちらが本編です。失礼いたしました。

 営業にとって案件をクロージングして、しっかり収益を上げる筋道をつけることは至上課題だ。いくら商談が好感触であってもクロージングができないのでは、全く無駄な努力であるとも言える。しかし、クロージング力不足を嘆く担当者は多い。巷にクロージング術を伝授する「営業スキル本」も多いが、そもそもスキル以前である場合も少なくないようだ。


 標題の「クロージングができません!」は筆者の後輩の言葉だ。「売ってなんぼ」の営業の世界において、「売れない営業には価値がない」という立場で辛い目を見ているようだ。そして、「自分にはクロージングのスキルがない」と嘆く。

 確かに彼は押しが弱いところがあったり、相手の立場になりすぎたりする傾向があり、少々のんびり・ホンワカ系だ。だが、それとても、営業としてのキャラクターとなりえるはずだ。優秀な営業=辣腕というステロタイプがいいわけではない。

 彼が担当しているのはB to Bの商材であるが、B to Bの世界では、モノやサービス、あるいはソリューションを企業の担当者が購入意志決定するのは、一般消費者よりも遙かに合理的かつ計画的だ。「何となく」「気分で」の購入などほとんどあり得ない。
購入契約をもらえるのは、こちらから提示した条件がよいだけでなく、先方の企業内での条件が整っていることが必須となる。その条件が整っていない先にいくら営業をかけ続けても、クロージングできる確率は低い。もしくは、ひどく時間がかかる。

 条件が整っていない先でも、熱心に営業をかければ歓迎してくれる企業も多い。今すぐ購入しなくとも、情報収集ができるからだ。うまくすれば、競合の動きがつかめるかもしれない。将来的に大きな取引を見込んで腰を据えて、そうした先に足げく通うのも悪くはないが、効率を求められるなら、ほどほどにした方がいいだろう。見極めが肝心だ。


 見極め。それこそが、冒頭の彼に欠けているスキルなのだ。
いかにして営業先の「見込み度」を見極めるのか。それは、様々な観点があるが、一番簡単なポイントを今回は記そう。

 いわゆるITソリューションのセミナーやカンファレンスに出席すると、おきまりのアンケートを書かされる。その中には、ITだけでなく、多くのB to Bの商材でも見込み度判定に使える項目がある。

・あなたはこのソリューションを導入する場合にどのような立場になりますか?

 これは、購入意志決定者なのか、意志決定者に上申するポジションにいるのか、もしくは単なる担当者の情報
 収集レベルなのかを判定する項目だ。最後の情報収集レベルであれば、見込み度は低い。少なくとも何らか、
 意志決定者の関与があることが重要だ。

・このソリューションを導入するとしたら、いつぐらいの時期を想定していますか?

 この項目は、期間が短ければ見つけモノであるが、少なくとも、何らかの期間設定がなされているのかを把握し
 ようとする項目だ。期間設定がなされていなければ追いかける労力ばかりがかかる。また、その期間によって優
 先順位が異なる。

・貴社と同業の企業で、同種のソリューションの導入事例はありますか?

 良くも悪くも日本企業は横並びだ。自社のソリューションの導入事例がなくとも、競合ソリューションの導入事例
 がある業界なら、導入に対するハードルは低くなる。自社の情報収集力が万全でなければ、見込み客自身に聞
 いてみてしまうのも手だ。もし、競合先が特定できれば、打ち手も見えてくる。

・このソリューションに限らず、貴社の課題を解決するためのシステム導入に関して予算措置はされていますか?

 正直に応えてもらえるか微妙な項目だが、ここはフォローも含めて確実におさえたい情報だ。どの程度用途が限 定されているかにもよるが、何らかの予算措置があるのと、ゼロからの起案では、成約までのハードルの高さと 期間が全く異なる。


 おおよそ、各社のアンケートを見ると上記のような項目に集約できるだろう。自社の商品に関心を持ってくれる。または、上記の例のように、セミナーやカンファレンスに来場するということは、何らかのニーズを」持っていることは間違いない。しかし、重要なのは「ニーズだけを追いかけてもクロージングはできない」ということだ。少なくとも、上記の項目のうち、いくつかが当てはまらなければ、先方の条件が整っていないことを表わしており、追いかける努力が無駄に終わる可能性が高いことを意味している。こうした見込み度判定のしくみを設計することは極めて重要なのだ。


 営業スキルというと、つい、提案能力や、商談の場での応対などが重要視されるが、実は戦う前に勝負が決まっていることも少なくない。「営業力が弱い」「クロージングスキルが低い」と嘆く前に、その前の時点から見直してみるのも一手だろう。それは、個人でもそうであるし、営業組織の見直しという観点でも同じことが言える。


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2007.10.20

街歩き・有楽町変貌の片鱗

仕事を終え、事務所のある新橋から東京駅まで歩いている。
外堀通りをひたすらまっすぐ。
現在、有楽町界隈。再開発効果で明らかに人と人の流れが変わった。
人が多い! それも若い人が! 街が若返った感じだ。
それに何だかみんなお洒落をしている。
せっかく新しい街に行くのだから、ということか。

少し前までは、この辺りはもっと人が少なく、老若男女の比率も割りと均等。お洒落な人もいれば、ラフな人も多い場所だった。
まぁ、オープニング効果ということだろう。

しかし、みんな服に気合い入っているなぁ。
「こちらは通りすがりさ」と思っても、土曜出勤のやたらラフな格好が恥ずかしい。

では日と装いを改めて、新しい街を探検してみるとするか。

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2007.10.19

携帯でどこまでやれるか?

■「携帯コラム」に挑戦

実は、ここしばらく入院していた。
昨夏の怪我の後手術なので、事前に予定が判っていたため仕事に支障はない。
が、問題はこのブログの更新だ。
そこで今日は、ブログの裏話として、ここ数日の更新の顛末をお伝えしたい。


実は少し前にも更新のピンチがあった。夏休みの旅行の時だ。
行き先はネットがつながらない所だったので、出発前に記事を書き貯めしておき、タイマーで毎朝1本づつ公開した。
しかし、今回は事前に書くネタが思いつかなかった。なので、入院中に勝負をかけた。

問題は、病院が「パソコン持ち込み禁止」なこと。
携帯は通話は特定エリアのみ可。通話以外は制限が書いていない。
・・・携帯で書くことに決める。

携帯で比較的長いビジネスメールも日常的に書いているので、書くこと自体に抵抗はないが、
コラムとして毎日書き続けるのは、ちと、骨が折れそうな予感はした。


■書く以前にネタがない!

さて、入院。
早速、翌日分のコラムを書こうとするが、ネタがない。「書く」以前の問題だ。

普段ならネタがない時は、街を歩く、本屋に行く、ネットを見まくる・・・といった行動の中で、何かにインスパイアされて書ける状態になる。
が、病院では無理。
病院の中を歩き回るわけにもいかないし、面白くもない。
本は売店に売っている新聞・雑誌だけが頼りだ。

普段あまり読まない読売新聞と雑誌数冊を買い込む。
次はネット。
が、携帯で見られるサイトには限界があるため、あまり役に立たない。


■さて、執筆

あれこれ見て、考えて、いくつかのアイディアが浮かぶ。
病室のベッドの上で携帯を取り出す。
整形外科病棟には病室に携帯の影響を受ける医療機器がないので助かる。

今回は徹底的に携帯でやろうと決めているので、メモも携帯に入力する。
メール機能の新規メールを立ち上げ、本文に思い浮かんだテキストを打ち込んでいく。
いくつかの方向性を思いついていたので、新規メールを複数作って、平行作業する。
その中から一番まとまりそうなものに集中することにする。


■携帯で書く留意点

文章を書く段階で注意したのは、携帯でも普段と同じ文章にする事だ。
携帯で書いた文章といえば、若年層に人気の「携帯小説」が連想される。
「会話文だけで構成されていて、全体の文脈が見えない」
「語彙が乏しい」・・・などの批判が携帯小説には集まっている。
まぁ、携帯だからというよりも、書き手の問題だろうと思うが、一応留意する事にした。


むしろ携帯の問題は、その入力の時点にあった。
「先行入力候補表示」がクセモノだ。
入力した語句に続く言葉を、携帯が勝手に候補を表示してくる。
うかうかとオススメに乗っていたら、本来の自分の文章にはならない。
しっかり頭の中で文章化して、次に入力しようと思っていた言葉とぴったり同じものが候補にすぐ見つかれば採用。
でなければ、すべて無視する。
携帯小説の「語彙の乏しさ」はこれも一因だろう。

しかし、一番難しかったのが、改行の調整だった。
携帯小説は携帯の液晶画面で読むことを想定しているため、一文が短い。
故に、書籍化された際にスカスカになる。

今回はパソコンのブラウザでの閲読を想定しているため、改行もその環境で最適化される配慮が必要だ。
が、やはり入力しているのは携帯から。
かなり頭の中での計算と、想像が必要だ。

とまぁ、そんなこんなで数日、携帯で作ったコラムをお目にかけたが、何日から何日の分か判っただろうか?


・・・今週月曜日の「赤福」の記事から、今日のこの記事までだ。
以前からお読み頂いている方なら、いつもと違うネタ元に気付かれたかもしれない。
それ以外に、先週までと文体の変化などに気付かれたらご指摘頂ければ幸いだ。

ということで、実験的携帯コラムは今週で終了。
来週からは通常通りの執筆スタイルで記し、お届けします。


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2007.10.18

緑茶飲料・秋の陣を占う

大きな動きでみれば「第三次」となるのか、「秋の陣」ともいうべき緑茶飲料の戦いが激しさを増してきた。
各社の動きをみれば、「量少なめ、値段高め」の「プレミアム戦略」が主流のようだが、果たして市場に受け入れられるのか?
生活者視点を交えて各社の戦略を比較してみよう。


■緑茶飲料戦争のこれまで

「売れるわけがない」と言われたペットボトル入り緑茶飲料の市場を開拓したのは、専業の強みを活かした伊藤園だが、その地位を脅かす存在としてキリンビバレッジの「生茶」が登場した。
「お茶にも生があったんだ」のコピーが表す「新鮮な飲みくちと、ほのかな甘味」が、CFに起用した松嶋菜々子と共に、今まで緑茶飲用習慣の低かった女性層に受け、大ブレイクした。
2000年夏には、生茶がおーいお茶のシェアを10%余り食い、両者の壮絶な販売競争が展開された。
第一次緑茶戦争である。

2003年、壮絶な戦いの中にも均衡を保つ両者に割って入ったのが、京都の老舗・福寿園ののれんを担いできたサントリーだ。
生茶対抗として季節限定や産地限定など、様々なバリエーション展開を図っている伊藤園にとっても、サントリーはいやな相手。
何しろ、日本で初めて烏龍茶飲料を上市したものの、「烏龍茶はサントリーのこと」というコピーでお株を奪われた因縁もある。

その福寿園ブランドの「伊右衛門」は、あっさり生茶を抜いた。
さらに、日本コカ・コーラ「一(はじめ)」、アサヒ飲料「若武者」が追撃を仕掛けた第二次戦争もものとせず、緑茶飲料カテゴリー第二位の地位を確たるものとした。

しかし、さすがの伊右衛門も昨年初のマイナス成長を記録した。
その状況で、この秋・第三次戦争の前哨として日本タバコ(JT)が同じく京都の名門の名をそのまま冠した「辻利」を上市。
伊右衛門は迎え撃つ立場となったのだ。


■前哨戦・伊右衛門VS.辻利の行方は?

JTの「辻利」に関しての販売データが手元にないので、一生活者として受けている印象を少し考えてみたい。
誰しも感じるだろうが、辻利は完全に伊右衛門にぴったりポジショニングをかぶせてきている。
マーケティング的には「同質化」という戦略だ。
同じ飲料では、大塚製薬が「ポカリスエット」で作ったスポーツ飲料というカテゴリーにぴったりかぶせて、日本コカ・コーラが「アクエリアス」を上市し、シェアを取った例があげられる。
同質化を仕掛ける側には、対抗しうるだけの資本力、販売力が求められる。
それがなければ、ぴったりかぶせて、できるだけ相手の存在をかき消すという戦略目標が達成できないからだ。

さて、サントリーに対してJTが同質化を仕掛けたと見られるわけだが、まぁ、楽な戦いでないことは予想されただろう。
しかし、辻利は江崎グリコのポッキー、他メーカーにもアイスクリームに「辻利ブランド」の使用を認めている。現在その動きは見えないが、うまくすれば、クロス・マーチャンダイジング的なシナジー効果が期待できる。今後の展開次第の部分だ。

さて、世の中、全国的には京都の「福寿園」と「辻利」のどちらが上なのか分からないが、商品訴求の方法としては筆者はサントリーに歩があるように思う。
「伊右衛門(福寿園)」に対して「辻利」の名を直接もってきたインパクトは強い。
しかし、伊右衛門の原料と茶のいれ方に関する訴求は秀逸だ。
石臼びきと普通の茶葉、純水と山崎の天然水という、2種類の茶葉の形状と水の種類のブレンド、使い分け。
筆者は「さすが、“水と生きるサントリー”」と感じたがいかがだろうか。
しかし、JTとしても辻利は「育てるブランド」と位置付けているに違いない。今後の展開が楽しみだ。

後にも記すが、もう一つ同質化戦略をかけてきている銘柄がある。
現在、真田広之と京都芸子のTVCFで展開している「綾鷹・上煎茶」。
パッケージには「宇治茶舗上林春松本店」とあり、完全に先行二銘柄の持つ「京都」ワールドとの同質化をかけてきている。
綾鷹は後述する「プレミアム」の特徴の他、勝負のポイントとして、「濁り」に旨味があるとして、「振って飲む」というスタイルをTVCFでも訴求し、同質化するだけでなく差別化も図っている。

以上のように、この「京都対戦」の行方も勝負の見所だ。


■プレミアムのキーポイントは「量」と「価格」?

さて、この秋の第三次戦争の主戦場は、ちょつと割高な「プレミアム」だ。
参戦しているのは、伊藤園プレミアムおーいお茶(350ml・147円)、キリンビバレッジ生茶玉露100%(265ml・143円)、そして前出の日本コカ・コーラ綾鷹上煎茶(425ml・158円)である。

サントリーは伊右衛門で今までさんざん「上質な茶葉で丁寧にいれた」と言ってきた手前、今更プレミアムを出したら、「今までのは何だったんだ!」ということになる。
いわゆる、「理論の自縛化」によって参戦できない状態なのだろう。
アサヒ飲料は若武者は最も後塵を拝しているため、さらなるブレンド開発の余力がないということか。


では、プレミアム三銘柄を量と価格の観点で考えてみよう。
従来の緑茶飲用は500ml(150円)と350ml(120円)が標準である。
三銘柄の容量と価格は先に列挙した通りだが、各々、微妙に狙いが異なるようだ。

綾鷹は標準の500mlよりややスリムなボトルで8円高。
やはり500が標準と考えた場合、あまり量を減らさずに少しだけ高くしたという微妙なさじ加減ということか?
また、現在のペットボトル飲料の標準である500mlからあまりに少なくすると、前述の「京都ワールド」の同質化戦略との両面作戦が成立しなくなるという事情もあるのだろう。
しかし、150円を越えるという価格は筆者は少々心配だ。
150円を越えるラインには、味だけでなく、健康効果のある「特定保健用食品(特保)」がヘルシア緑茶をはじめ、味も飲みやすくなっている新商品がめじろ押しだ。価格が近くなれば強力な競合となり得る。
綾鷹は、従来の一(はじめ)と切り離した、多面性を持たせた戦略商品として上市しただけに、なかなかミッション・インポッシブルな戦いを強いられているようだ。

おーいお茶の量と価格はボトルの背の高さは従来の500で内容量は350というスリムサイズ。
そして価格はほぼ従来の500と同じ。非常にバランスが良いように思える。
実は容量と価格の比率は綾鷹より高くつくが、計算して購入するコストコンシャスな層以外は、従来の500と350の中間でかつ、150円以下という切りのいい価格は受け入れやすいのではないだろうか。
このあたりのバランス感覚は、業界のパイオニアであり、生茶対抗以来、様々な商品バリエーション開発に腐心してきた伊藤園の底力を感じる。

さて、ある意味一番勝負をかけているのが生茶玉露だろう。
価格こそ、150円以下に抑えたが、容量が明らかに少ない。ボトルの形状も独特だ。
容量と価格の比率は三銘柄の中でも突出して高い。
考えてみると、250mlに近いコンパクトな容量。
量よりも味に集中する方向性は缶コーヒーに似ていないだろうか。
緑茶飲料は、味もさることながら、食べ物と共に摂ったり、喉の渇きを癒したりという目的に供される事が多いだろう。
だとすれば、生茶玉露はプレミアムの中でも、より「嗜好品としてのペットボトル緑茶飲料」という新たな地平を目指しているのかも知れない。


このようにして比較して、様々な推察を加えると、各社の狙い、戦略を覗いてみることができる。
飲料の世界は正に「勝負は水もの」なので、実際にはどの商品が勝者となるか分からないが、こ背景を考えるといつもの商品が違って見えてくるだろう。
一生活者の視点とマーケターの視点を併せ持つと、自分のビジネス以外も面白く見えてくることを実感していただければ幸いだ。

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2007.10.17

赤い羽根・雑感

今月1日からシーズン入りしている「赤い羽根共同募金」。
初日は都内も通勤時間に、課外活動の高校生を中心とした募金を呼び掛ける声が響いた。
が、そのタイミングを外してしまったら、中々募金活動の姿を見ない。昔は年末までの期間中、何度も街頭で声をかけられたものだ。募る側も暇ではないということか。

だが、こんな状況では募金総額が減りはしないかと、いらぬ世話を考えていたら、やはり減っているようだ。
「95年の約266億をピークに減り、昨年は約220億」と読売新聞が報じていた。

同コラムでは赤い羽根の来歴も紹介されていた。
「米国で1928年に始まり、先住民族が勇者の頭に赤く染めた鳥の羽根をつけたことから勇気や善行のシンボルとして採用された」とある。

なるほど、赤い羽根は募金転じて勇気と善行のシンボルか。
だが、80年前ならいざ知らず、この多様化した世の中で誰も彼もが胸に赤い羽根を付けて歩いているのはどうにも抵抗がある。人知らず、密かに募金した方がいいのでは?と思う。

が、思っていたら、週刊文春に気になるコラムを発見。
「赤い羽根をしていないのは誰だ」。
10月1日と3日の国会で各議員の赤い羽根着用状況をチェックしていた。
チェックされると、「勇気と善行のシンボル」というより「免罪符」のような、半ば強制力を感じてしまう。募金総額の落ち込みも、そうした感触が嫌われはじめている証かもしれない。


だが、「福祉施設の備品購入」「ボランティア活動支援」という募金活動の主旨には賛成だ。
なら、賛同者はその意思を表明し、運動を盛り上げるために、赤い羽根を着用せよと言われるのだろうな。
いやだな。
何がイヤかって、着色した鶏の羽根を胸に着けるのはオシャレに感じないから。赤い小物は大好きなのだが。

募金、1円からOK。一律赤い羽根。・・・ではなく、もう少し工夫はできないだろうか?
募金500円以上でピンズ進呈。
募金2500円以上でラペルピン進呈とか。
さらに、かつてタバコのプロモーションでよく行われた「セルリキ方式」。赤い羽根10枚と募金3000円で、もれなく、豪華○○○を進呈とか。
気の効いたプレミアムの提案なら、広告代理店が喜んでやってくれるのに。


とにかく、募金総額が減ったと歎くより、誰が羽根を着けている、いないと騒ぐより、まずはもう少し工夫してみるべきだと考えた次第だ。


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2007.10.16

人気の秘密は「ニッチなプチ提案」

日経トレンディ11月号に長野県白馬村「ホテル五龍館」の記事が掲載されていた。
老朽化した施設、落ちる一方の客足という状況から、奇跡の自立回復を遂げた観光ホテルだ。

状況が厳しくなってくると、旅行代理店への依存度が高まり、客室の回転率は多少回復するものの、高マージンを持っていかれ利益率がガタガタになる。
もしくは、設備の若返りや目玉施設を増築してキャッシュが底をつく。
または、その両方。
無理な起死回生はやはり成功率が低いのが現実。

しかし、「五龍館」はそのどちらの選択肢も取らなかった。
代理店依存はジリ貧を招くといち早く自力集客に徹し、直接予約率80%、リピート率50%を達成。
設備増改築もほとんどしていないという。

詳しくは本誌を確認して欲しいのだが、ポイントは「分かりやすいサービスのパッケージ化とその提案」にあると読み取れた。

同誌の記事によると、五龍館の夏休みの人気プランのひとつは「キャンプ」。二泊中、一泊は村営キャンプ場に設置したキャンプサイトを利用する。
準備・片付けは全てホテルのスタッフ任せなので、本格的なキャンプに躊躇する利用者に大好評という。
ホテルは一泊分が自社施設を使わないため、実際の客室数以上の集客ができる。


さらに、客室のうち、大人二人では狭く人気がなく稼働しない部屋を利用したプランも人気だ。

ひとつは「いつも頑張ってる私のために!元気に変身!女のひとり旅」と題する、一名宿泊、室内エステ施術付きのプランに利用する。
もうひとつは「“遊び盛りの10代の少年”と“働き盛りの父”の二人旅」という、カヌーでホタルを見るというアクティビティーがセットされてプラン。
いずれも黙っていたら利用されない客室が人気の部屋に化けるマジックである。

他にも心暖まる「手描きパンフレット」「手作り軽食」「ミニイベント」など工夫満載だが、何と言っても、同ホテルの真骨頂は先にあげたキャンプや利用者を特定したパッケージだろう。

キャンプは未経験者は面倒を考えて躊躇する。
女の一人旅も、考えた事はあっても実行には移しにくい。
父と子の二人旅など、漠然とした夢はあっても、具体的なプランなど考えた事はないだろう。

そうした、自分では踏み出さない一歩を、五龍館は「○○なあなた、是非来てください!」と誘う。○○なあなた、は該当者には、名指しのような効果がある。
「排他的メッセージ」という。
そして、その人にぴったりの提案を行う。

誰にでも該当する提案ではない。だが、極めて特殊な内容でもない。
適度なニッチさと、ターゲットの琴線に触れる訴求がポイントなのだ。

ハコ売りではなく、サービスを売れ。ソリューション・ビジネスだ。という掛け声は数多くの業種で言われている。
しかし、大上段な掛け声の割りには成功例は多くはない。

だが、この長野の小さな観光ホテルが、自分たちを取り巻く制約条件をうまくきっかけにして、顧客に響く提案に変える事例を見せてくれている。
やはり、基本は的確な自己戦力分析と、「顧客をよく観ること」に尽きるのだろう。


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2007.10.15

赤い衝撃・三百年の歴史の果てに

「まさか」との衝撃は、普段のアピール内容との乖離が激しいほど大きい。
いや、タイトルは昔のドラマではない。今度は赤福だ。
有名土産物の賞味期限改ざんは、先に北海道の「白い恋人」が記憶に新しいが、「白の次は赤か」とおもしろがってはいられない。
同じ改ざん行為でも、赤福の方が悪質だと思うからだ。


「白い恋人」の改ざんが発覚して二月あまり。そろそろ発売再開の話もあるようだ。
ここに至るまで、度重なる謝罪の会見と再発防止策の発表か行われてきた。

その甲斐あって、世間の一部からは許容する機運が見えてきたということだろう。

個人的には、賞味期限改ざんという行為に及んだ食品会社にはもう少し反省期間があって然るべきと思うが、まぁ、発売再開後の売れ行きが審判となる。


しかし、今回の「赤福」は少々、状況を異にするように思う。
「白い恋人」と違って、「赤福」は「生菓子」だ。生菓子にとって賞味期限の持つ意味が如何に大きいかは記すまでもない。

赤福の本来の賞味期限は購入日を含め二日。買った翌日にはきれいに平らげねばならない。
甘味が苦手な筆者が気まぐれに購入するには荷が重い。
「冷蔵しちゃえばいいか!」と思うと、パッケージや添付の冊子に、「餅が硬くなって味が損なわれる」という内容が、発売元の「品質へのこだわり」として記されている。
「味と鮮度にはこだわっているんだから、食べ方に従えないヤツは買わんでいい」という主張はある意味潔い。さすが、創業以来三百年の歴史を誇っているだけのことはある。

が、やってたじゃん。「冷凍」。

急速冷凍して1・2週間時間を稼いで販売。
通常品と混じって再冷凍されるのを防ぐため、期限日表示に識別する目印が目立たぬように記されているという。
上記のような「プロセス化」がなされている事は、決して改ざんが「うっかり一度だけ」や「出来心で数回」でない事を如実に表している。


そもそも「土産物菓子」の持つ価値とは何か。
それを、何度か紹介している“コトラーの製品特性分析(3層モデル)”で見てみよう。

まず、「土産物用菓子」として対象を定義する。
その第一層目の「中核」。土産物菓子のもたらす中心的便益といえば、「美味であること」「最寄りの店では手に入らない希少性」となるのだろう。
第二層の「実体」は「中核」の価値をより高める要素だ。
「菓子の形状」「パッケージの美しさ」「商品、メーカーの知名度(ブランド)」となるだろう。
第三層の「付随機能」は「中核」に影響は及ぼさないが、存在により魅力を増すものだ。
「世間の評価」「自社のこたわりのアピール」「品質保証」となろうか。

こうして考えると、赤福が人気の土産物であり続けた意味がわかる。
美味である。賞味期限が短いため買える所は限定され、希少である。
形状やパッケージは誰しも一目でわかる。赤福という知名度も極めて高い。創業三百年。本店は伊勢神宮の鳥居の横という事も含め。世間の評価も高く、自社でも品質へのこだわりは、良質な材料が入手できない時期には閉店していた事などかアピールされていた。


上記の分析結果から言えるのは、階層的に顧客から支持されるような構造ができている事。
にも関わらず、全てをスポイルする改ざんが行われたのだ。
三層構造のあちこちに穴があるような製品なら、もとより期待が低いため、大きく裏切られた感はないだろうが、赤福は今まで積み上げてきたものが裏目にでて、一瞬でそのブランドが瓦解したのである。

さらに、赤福は生菓子であり、その鮮度が命である事を自社でもアピールしてきた。
「新鮮・みずみずしい・柔らか」は中核に属する。「新鮮・品質の安定」は実体だ。
つまり、極めて重要な要素を自ら壊したという事だ。


何故、赤福が自らの価値を根底から壊すような改ざん行為に及んだのかは、余剰在庫処分がもったいないからかと思いきや、繁忙期に生産が追い付かなくなったためらしい。
「冷凍品は消費者の支持が得られないことはわかっていたが、欠品を出さないためにやむなく経営判断で行った」と経営者が記者会見で語った。

不正を経営判断と言い放つとは。また、消費者の支持が得られないとわかっていたとも。
何と腐った経営か。鮮度が命の生菓子の経営が腐っていたとは洒落にもならない。
折しも創業三百年の今年にこの有様では、先祖はさぞや泣いていることよ。


蛇足ながら、学生時代に伊勢神宮に参拝し、横の赤福本店で「赤福入り抹茶かき氷」を食した事を思い出した。忘れられない美味であった。
当然、氷に入った餅は硬くなっていたが、十分美味しく満足できる味わいだった。
なぜ、そのような新しい食べ方を提案する事なく、こっそり冷凍・解凍したのか。
新たな食べ方を提案し、日持ちする冷凍赤福を正々堂々と売るべきではなかったのか。
やはり、三百年の伝統がそれを阻んだかのか。
いや、歴史の上にあぐらをかいた経営の怠慢だ。


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2007.10.12

ネクタイが戻らない!どうするウォームビズ

猛烈な残暑もようやく終わり、やっと秋らしくなってきた東京地方。
10月なので衣替えの季節か。と思いきや、KIOSKは制服のリニューアル。郵政も民営化に伴って制服が刷新されていた。
どちらも季節に合わせてか、暖色使いでなかなか良い雰囲気。
さて、来月からの冬季は「暖房は20℃までにおさえて、衣服で調節しましょう」というウォームビズの季節になる。


この秋以降、ワードローブをどうしようかと思案しながら、街行く人々の衣装を目で追ってみた。
女性はやはり秋らしい装いが目立つが・・・男性は何やらクールビズを引きずってか、襟元にネクタイが戻っていない人が多いようだ。
確かに涼しくなったとはいえ、ネクタイは窮屈。また、絞めると夏の暑苦しさを思い出す気もする。
以前調べたのだが、そもそもネクタイの発祥は諸説あるが、17世紀クロアチア騎兵隊の首に巻かれた色鮮やかな布であるといわれている。
クロアチアといえば地中海から大陸に広がる国で、内陸部なら夏でも平均気温は20度前後。
そのネクタイを日本に持ち込んだのはジョン万次郎が最初であるともいわれているが、そもそも日本とは気候は大きく異なる国の装い。本来はあまり適しているものではないのだろう。
筆者自身は、クールビズ元年の2005年時点では、「男がネクタイを外したダラケた格好でビジネスをしてどうする!」と反発していたものだが、
さすがに40℃を上回る猛暑となった今年の夏は、たまらずに、ネクタイなしの日が過半を占めた。
ネクタイを外した途端に豹変するのもなんだが、実際にあるとナシではリラックスさが随分と異なる。
一人でデスクワークの時のリラックスさ。人とディスカッションしている時のリラックスさ。いずれも発想が豊かになり、生産性が高まるように感じるのは気のせいか?


しかし、今を去る20年近く、筆者の新入社員研修の時に「ビジネス・ドレスコード」という研修を受けた時のことが思い起こされる。
その主旨は以下の通りだ。
・ビジネスでは相手と同じ土俵に立つことが重要。
・まずはそれを服装で示すのが「ビジネス・ドレスコード」。
・スーツにネクタイは、相手と同じルールで行動することの証明ともなるので重要。・・・云々。
さすがに20年近く前のことなので、古くさい考え方だが、今日でもあまり認識の変わらない人もいるのではないだろうか。
「得意先にはノーネクタイで行けないからね」と汗をしたたらせる営業職の人も、この夏の猛暑の中でまだ見かけた。
「ノーネクタイはNG」とするのは、得意先の暗黙のプレッシャーのせいなのか。
確かに、営業訪問先の担当者がネクタイ&スーツなのに、ノーネクタイのシャツ1枚では少々居心地が悪いだろう。
だが、環境負荷低減が求められる世の中、官庁や大企業がそうしているように、バイヤー側の企業及び、担当者こそ楽なスタイルを実践してもらいたいものだ。
同時に、「ノーネクタイはNG」とするのがかつての筆者のように、「男がネクタイを外したダラケた格好でビジネスをしてどうする!」という自分自身で設けた制約条件かもしれない。
だとしたら、是非一度、ビジネスカジュアルを実践してみることをお勧めしたい。環境負荷低減だけでなく、先に述べたように、思考生産性の向上が期待できるだろう。


「相手と同じ土俵に立つこと」「相手と同じルールで行動すること」は昨今の”ダイバシティー(多様性)”という考えの元では必ずしも正ではなくなっているのではないだろうか。
時代の変遷と共にルールやcommon senseは変わってくるものだろう。
新しい季節に、少しだけビジネススタイルも考え直してみてもいいのではないだろうか。

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2007.10.11

ベンチャーのビジネスモデルを再点検する

10日・日経新聞朝刊に「大学発VB経営厳しく・55%が経常赤字」という記事が掲載された。
初期段階ではファンドの未整備などの問題もあり、多産多死の観が否めなかったが、
今日、ベンチャービジネスは事業のありようとして確たる地位を築いている。
大学発のベンチャーのどこに弱点があるのか検証してみたい。


筆者も実は、前職で親会社に資本を出してもらった子会社の設立に参画したが、あえなく1年未満で清算の憂き目をみている。
また、独立してからも大学発のベンチャーに一部参画したが、はかばかしい成果は得られなかった経験もある。
その経験に基づき、非常勤講師を務める大学では「ベンチャービジネスとマーケティング」という講義を受け持っている。
大学発ベンチャーは色々な意味で他人事ではない。


記事によると<政府が2001年に千社育成計画を打ち出した大学発ベンチャーの数は1500社を超えたが、社員や営業ノウハウの不足から事業を採算に乗せられない姿が浮き彫りになった>とある。
さらに日経リサーチの調査結果を挙げ、<経営課題では64.3%が「社員不足」、39.5%が「販路確保が難しい」と回答。大学発技術を基に製品化にこぎつけながら、人員や営業ノウハウ不足が障害になっている企業が多い。>と分析している。

さて、ベンチャービジネスに限らないが、企業が永続的に利益を創出し、存続していくためには、いわゆる”ビジネスモデル”がしっかりしていることが必要だ。
一時期、流行語ともなったこの”ビジネスモデル”という言葉を少し要素分解していく。
以前、キーエンスのビジネスモデルを分析した記事でも紹介した、以下の3つのポイントに従い、大学発ベンチャーの検証をしてみよう。

・「ストラテジー・モデル」
模倣困難なユニークな戦略性があること。
間違ってはいけないのが、ストラテジーとはちょっとした思いつきレベルのアイディアではないことだ。
例えば、まだ誰も手を付けていない新たな領域のビジネス。
いわゆる”ブルーオーシャン”の状態だ。
しかし、そんな都合の良い状況などめったにないので、いわゆる”レッドオーシャン(消耗戦)”を戦い抜ける徹底した合理化策なども立派な戦略になる。
つまり、「これなら絶対に勝てる」というKSF(Key Success Factor)が確保されていることが肝要だ。
大学発のベンチャーを一括りにして考えることは避けねばならないだろうが、しかし、多くのケースではこの部分はクリアしているのではないだろうか。

・「オペレーション・モデル」
戦略優位が保て、持続可能なしくみがあること。
企業には永続性が求められる。
どんなにいい戦略が描けても、それが永続的に運営可能でなければ意味がない。
多くの場合、社員に負担がかかりすぎたり、稼働を確保できないなどの問題で破綻をきたす部分だ。
まさに日経リサーチの調べにある「社員不足」などはこの問題の典型だろう。
また、恐らく主要メンバーが、ベンチャービジネスと大学での研究の稼働調整がうまくできないなどの問題も抱えているのではないだろうか。
筆者がかつて清算した会社は、親会社から多くのスタッフを兼任で使おうとした結果、やはり稼働調整ができずに破綻した。
同じような問題があるのではと推察できる。

・「レベニュー・モデル」
安定的に収益を確保できるしくみがあること。
企業として永続性を確保するためには、当然のことながら利益を生み続けなくてはならない。
そのためにはまず、「売れる商品」があることと、その商品が「売れ続けるしくみ」が構築されていることが肝要だ。
売れ続けるしくみとは、前項のオペレーションモデルとも密接に関連してくるが、まさに大学発ベンチャーが苦しんでいる「販路確保」などは極めて大きな問題だ。
普通であれば、ある程度の販路確保の目処を立ててから起業するべきだが、「技術を背景にして製品開発は何とかなる」「資金調達はできた」という段階で起業してしまったのであろう。
そこに最大の問題点がある。
また、レベニューは単一の製品を、単一の価格(利益)に依存して積み上げるのは避けたいところだ。
複数の売り先に、マージンミックスをして利益を上げる。
もしくは、ある製品は直接販売して収益を上げ、ある製品は、どこかの企業に製造・販売のロイヤリティーを与えてマージンで利益を上げるなど、多用なレベニューモデルを持っているほど基盤が強固になる。
そうした工夫がなされていたかも疑問だ。


さて、上記のように、ビジネスモデルを要素分解してみると、どこが弱かったのかが明確になる。
ビジネスモデルは3要素のどこか一つ二つが突出しているからといって成立するものではない。
三つの要素がバランス良く保たれていてこそ、ビジネスとして成立するのだ。
それができていなければやがて破綻する。筆者が経験したとおりに。

起業希望の学生には「ビジネスモデルの三要素がきちんと成立してから起業せよ」と毎年講義で言っている。
ビジネスモデル=ユニークなアイディアというような勘違いで、一時多くのベンチャーが淘汰されたが、大学発ベンチャーも同じような時期に来ているのではないだろうか。


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2007.10.10

ヌルい「誤着陸再発防止」検討の恐怖

大阪空港での全日空機誤着陸問題がやっとクローズアップされ、国交省がタスクフォース(専任チーム)を立ち上げて対策を検討すると表明した。
まだ短いニュースでしか伝えられていないが、その対策の方向性がヌルく、一利用者としてもどうにも安心できそうにない内容なのだ。


国交省航空局の対策検討チームの現状のコメントは次の通り。
<同局は「ミスが起きないよう、復唱の徹底など必要な措置をとりたい」としている。>
http://www.asahi.com/national/update/1009/TKY200710090140.html
そもそも今回の事故は全日空機機長が管制官の指示を聞き間違え、その聞き間違えた復唱を管制官が聞き逃した事に端を発している。
「 指示 → 復唱 → 確認 」という、”基本プロセス”が完全に形骸化しているのだ。

離陸のため滑走路に出ようとしていた日本航空機の機長が異変に気付き、すんでの所で大惨事が防げたが、それは日本航空機の機長個人の機転が働いただけのこと。
構造的に事故が再発する土壌は残されたままだ。

それが<ミスが起きないよう、復唱の徹底>では全く心許ないにも程がある。
要するに「復唱が形骸化しないよう、復唱を徹底する」ということで、既に論理破綻を起こしている。


国交省は、大阪空港では<9月にも、管制上の不手際で日本航空機が無許可で滑走路を横切る事案があり、同様のミスが続いたことを重くみた>としているが、その”同様のミス”が程度が極めて重大なものであることが問題なのだ。

以前、当Blogでも筆者が搭乗した日本航空機で体験した小さなトラブルを元に記したが
1:29:300の法則とも呼ばれる、「ハインリヒの法則」というものがある。
1つの大事故の前には、29の小事故があり、その小事故の前には300のヒヤリとしたり、ハッとするようなトラブルが前兆としてあるというものだ。
そして、それらの前兆を捉えることにより、大事故が防げるということである。

大阪空港の2件の事案はいずれも”大事故”には至っていないが、それは”大惨事が奇跡的に回避できた”というだけで、”小事故”ではない。
やはり”大事故”にカウントされてもいい内容だろう。
だとすれば、二つの事案の影には58の本当の小事故と600の「ヒヤリ・ハッと」が隠されているのではないかと疑う余地がある。
国交省航空局の対策検討チームは「復唱のための復唱」などの取り決めをするより、まずはハインリヒの法則に従って、全てのトラブルを洗い出すところからやってもらいたいものだ。

筆者の専門領域の一つ、ナレッジマネジメントの世界では、実務者の間にプロジェクト推進に関する一つの言葉がある。
「成功事例をまねても再現性は保証されないが、失敗の轍を踏めば確実に失敗する」というものだ。
当たり前といえば当たり前だが、実務者の苦い体験の数々がその言葉には込められている。

航空機の安全で”失敗”は事故に繋がる。
事故調査のプロたちに抜かりはないであろうが、努々、見落としがないようにしてもらいたい。

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2007.10.09

「走りの車」は販売不振時の戦略転換か

先週木曜日の記事“自動車販売不振は「買わない自由」の顕れか”の続き。
ここしばらくの自動車各社から発売された話題のモデルを見ると、国内販売不振に伴う戦略転換が見て取れるように思う。
日産のGT-R、スカイラインクーペ、三菱のランサーエボリューション・・・。


昨日記したように、国内の自動車販売は小型化・低価格路線をひた走っている。それに伴う低燃費傾向はエコロジーの観点から万々歳だが、もはや生活者の多くが自動車に対する関心を失っているため、販売縮小傾向に歯止めがかからない現状だ。

「一家に一台マイカーを」の時代。メーカー各社はいかに市場のパイを我がものにせんかという戦いを繰り広げた。まず、シェアをおさえる。そんな時の戦略の基本はプライシングにも反映される。
「ペネトレーション・プライシング」という。
自動車産業は典型的な「規模の経済」。生産数を上げれば効率も向上する「経験曲線」も効いてくる。逆に言えば、その生産能力を常にフル稼働させることが求められるのだ。
そうして、低価格でシェアを取るのが「ペネトレーション・プライシング」の基本だ。

しかし、昨日述べたとおり、自動車の成長神話は国内ではもはや崩壊の時を迎えた。
これからは「ペネトレーション・プライシング」が」効くのは地球の裏側。
BRIC’S市場に投入する70万円カー。

では、国内はといえば、伸びているのは輸入車やレクサスなどの“プレミアムカー”といわれるカテゴリーだ。
その名の通りプレミアム分として価格は高額だ。誰も彼もが買えるものではないので、プレミアムカー同士の戦いはあるものの、市場のシェアよりも高利益優先となる。
「スキミング・プライシング」という。その名の通り市場の「上澄み」を吸収しようという戦略だ。

しかし、プレミアム市場に乗れる日本車メーカーはトヨタが掲げるレクサスぐらいなのが現状だ。
となると、狙うのはこの車にこだわりをなくした市場に残された「車好き」となるのだろう。
GT-R、スカイラインクーペ、ランサーエボリューション。いわずと知れた「走り」の車だ。
その走りに徹した車を、価格が多少高くても受入れるマニア層に売る「スキミング戦略」。
ここの秋、自動車会社の戦略をそう読み取ったがいかがだろうか。


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2007.10.05

マーケターは何でも知ってなくっちゃ?・・・土産物失敗談

金曜なので、少々くだけた内容で失礼します。
あくまで「マーケティングっぽく」書いてみようと試みましたが、要は、個人的体験の”ぼやき”です。
ぼやきも金森Blogの名物と言ってくださる一部の読者の声に甘えて・・・。


ここしばらく出張が多く、しかも行き先が数カ所に固定されているので家に買って帰る土産物も固定化傾向にあった。
食べる家族も飽きるため、多少バリエーションの変化をつけても売れ行きが悪くなる。
冷蔵庫にいつまでも箱が虚しく残っている光景は何とも寂しい。

と、いうわけで、新しい商品があるとすぐに購入するのだが、先日は「画期的!」と思えるモノに出会った。


先月の大阪郊外出張の帰りは、珍しく近鉄経由で京都から新幹線を使った。
近鉄に乗るなど、学生の時以来で新鮮だったが、近鉄京都駅のJR乗り換え改札横の土産物屋にそれはあった。

京都はいつもJR新幹線改札内の土産物屋を利用するのだが、やはりバリエーションの固定化が否めない。
そんな状況で、近鉄で目にした土産物は新鮮だった。
その日は(商品名を失念したが、)煎餅の間に餡が挟んであるような菓子を購入。
6枚入りを購入したが、6枚とも全部味のバリエーションが異なる。
娘に大好評。また買ってきてと言われる。
土産慣れしている娘からリクエストがあるのは珍しく、大成功と密かにほくそ笑んだ。


さて、今週は京都出張があった。
帰りはJR京都駅にまっすぐ戻ったが、前回の成功体験が忘れられず、わざわざ150円の入場券を買い近鉄の乗り場に入った。
目指すは改札横の土産物屋である。

が、残念。例の”餡入り煎餅”は既に閉店。
だが、前回目を付けていた別の土産物の売り場はまだ開いていた。
”餡入り煎餅”はそのバリエーションの多さと、餡が受けた。
だが、目の前にあるのは、その煎餅よりも遙かに多いバリエーションを展開している菓子だ。
大福のような形状だが、その餅のような外皮のカラーバリエーションは、まるでカラーパレットのごとく、広いショーウィンドウ一面に展開されている。
中の餡も各々味が異なるという。うーんこれなら間違いない。
保冷剤を入れて、持ち歩き時間3時間までとのことだが、京都から自宅までなら大丈夫だ。6個購入する。


さて、いそいそと買って帰り、ショーウィンドウの写真を見せたりしながら「今度のも凄いんだぞ」と娘とに見せる。
ん?何だか反応がない。

横から妻が「ああ、モチクリームね、隣の駅の駅ビルに売ってるじゃない。何?わざわざ京都から買ってきたの?」と。

・・・(泣)・・・。

どうやら「モチクリーム」というスイーツで、全国展開しているらしい。
モチクリームを熱く語っているBlogもあった。 
http://xn--pck9ayff6byg.269g.net/
 ↑このBlogによれば通販までやっているらしい。


「全国展開のショップばかりできたらご当地風情が失われるじゃないか!」とも考えてみた。
しかし、それとても、もはや各地の駅にもある「銀座コージーコーナー」のような例もあり、珍しいことではない。


「マーケターは何でも知ってなくちゃ!」といつも金森は言っているのだが、やはり関心の薄いスイーツ情報にはアンテナが立っていなかったようだ。
マーケターとしてはアウト。
とんだ紺屋の白袴という今日のお話しでした。


【おまけ】
京都出張の際に立ち寄った「東寺」の写真を公開しています。
http://kmo.air-nifty.com/photos/business_trip/index.html

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2007.10.04

自動車販売不振は生活者の「買わない自由」の顕れか

「新車販売27年不振ぶり低水準」「軽も失速、縮小止まらず」の見出しが10月2日の日経新聞に躍った。日本車勢の海外での活躍とは裏腹な、国内販売状況。様々な原因が考えられるが、やはり生活者の購買理由に目を向けてみるべきだろう。そんな視点で少し「ニュースの理由」を考えてみたい。


■今日までの自動車購入の変遷

記憶を辿れば、ここ数年の自動車販売はある特徴を示していた。
まず、セダンが売れなくなった。代替としてMPVという、いわゆるレジャー目的の車に注目が集まり、高級セダンからの乗り換えといったパターンに注目が集まった。
「カローラ→コロナ→マーク2→クラウン」という「セダン出世魚購買」の崩壊といわれ、購入者の価値観の多様化がその理由であるといわれた。

次に小型化の波を迎える。トヨタの欧州戦略車「ヤリス」が日本市場で「ヴィッツ」として上市された99年。従来の小型車の概念を塗り替える、広い室内と低燃費が市場の注目を集め、長年販売台数のトップを占めていたカローラも遂にその座を明け渡した。また、02年に日産のマーチ、ホンダのフィットが後続し、各社とも小型車を大きな戦場とした。衝突安全性能も向上したことから、生活者も自動車に思い入れのある層でなければ、「広くて低燃費で安全」な小型車がスタンダードとなっていった。

さらに、小型化の波は止まらなかった。安全基準の引き上げに伴い車格も大型化して小型車と遜色なくなった軽自動車は、税金などのランニングコストの安さから小型車を猛追。総販売数を大きく伸ばした。ここに至り、生活者の自動車購入基準は経済性が大きな比率を占めることとなったのだ。

一方で、輸入車ではBMWが過去最高の販売台数を記録するなど、いわゆるプレミアムカーの売れ行きは好調。トヨタのレクサスも当初の目標には届かないものの、実際には今日ではトヨタ全部ランドが販売減となる中、唯一伸びているブランドだ。


■確実に変化した生活者の購買動機

ここまでをまとめると、上記のようにプレミアムカーを購入する層を除き、多くの生活者が「自動車へのこだわりの喪失」によって「実利指向」を強め、結果として軽支持となったのが一連の流れだと言えるだろう。
さらに見逃せないのが、一連の流れと共に伸長していった、自動車の買換え年数である。バブル崩壊以降、デフレ不況、その後の景気回復も家計への恩恵は乏しいことから、生活防衛意識が高まり当然のように自動車の買換え年数はどんどん延びていった。
10年以上経過した車は毎年車検であったのが、それ以前と同じく2年毎の車検で済むように改正されたことから、10年越えの車も珍しくなくなってきた。
「まだ乗れるから買換えない」。考えてみれば当たり前なことであるが、そこには生活者の「車への関心の低下」がありありと見て取れる。

かつて「3C」ともいわれた「新・三種の神器」。カラーテレビ、クーラー、自動車(カー)。どの家庭もそれを手に入れようと一生懸命働いた。まだまだ高度成長の名残があった。さらに、カラーテレビは低価格化が進み家庭に複数台あることも当たり前になり、エアコンも各部屋装備になった。だが、車だけは特に都市部においては駐車スペースの問題もあり、一家に一台。地方でもメインと軽自動車という構成だ。
つまり、自動車はテレビやエアコンとことなり、自分と共に移動し、人に見せられることから自己顕示欲が反映しやすい商材であったことも特徴だ。故に、最後まで「見栄消費」が残ることとなり、唯一、もしくはメインの車は少し背伸びをしてでもいいものを買うという傾向があった。

しかし、生活者は徐々に、しかし、確実に気が付いてしまったのだ。高い車を目指すことだけが選択肢ではないと。さらに、別に買換えなくてもいいんだと。
さらには、生活者の都心回帰がとどめを刺したのではないだろうか。公共交通機関の利便性が高く、逆に駐車場などのランニングコストが高くつく。すると、別に車がなくてもいいんじゃないかという選択肢が出てくる。
若者離れも痛い。携帯電話料金を初め、若者の支出は大きく変わった。デートに車が必須という価値観も失われたようだ。そもそも免許を取らない若者も増えている。


■価値観の多様化と「買わない自由」

80年代のマーケティングのキーワードは「差別化」。旺盛な消費市場がありつつも、その市場のパイは飽和に向かっていた。いかに競合からパイを奪い取るかが成長のカギだった。続く90年代はバブル崩壊以降、冷え込む消費に対し、顧客を囲い込むことに企業は腐心し、十人十色にいかに応えるかという発想に転換した。それによって、かろうじて消費は保たれていた。
しかし、昨今、いよいよ生活者は「物を買わない自由」を手に入れてしまった。他の生活者の購買状況やその過程をつぶさに知ることができるインターネットの普及も大きな要因だ。「なぁんだ、みんなも意外と考えて買うようになったんだ」と、企業に躍らされなくなった。「まぁ、買わなくてもいいか」が、昨今の生活者のココロを表わすキーワードだろう。

唯一、買い換えが進んでいるのは意外なことに、白物家電だ。丈夫になり、故障だけが買い換えの理由ではなくなっている。なぜ買換えられているのかといえば、省電力や節水といった「エコ需要」だ。某家電メーカーの「買換えることによるエコ」という訴求は当たった。
では、自動車はどうか。実に生活者は既にエコな買い換えを行っていたのだ。
小型化、低燃費化した車に既に乗り換えている。一部はさらにハイブリッドなどへの乗り換えも進んでいる。これでさらに買い換えを勧めれば、エコを唱っているメーカーは自己矛盾を起こすことになる。

ここまで述べてきたように、もはや自動車はここ数年の時代の流れや、生活者の購買心理、メーカーの訴求内容から考えても、どんどん売れない構造が出来上がっていると言える。
新車販売の低水準はなおも続くだろう。もはや止められない。
やはりこうなると、これから成長が見込めるBRIC’S市場などに目が向くのだろう。
何も地球の裏側まで行って70万円で車を売らなくてもいいだろうと思うが、企業成長を考えれば必然なのだ。

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2007.10.03

ユーモアで切り抜けるセンスとスキル

以前にも記したが、最近、クレーム対応術に注目が集まっている。
確かにクレーム対応には慎重を期さねばならないが、クレームになる前に切り抜けることもまた大切だろう。


夏季休暇のハワイからの帰路での出来事を思い出した。

航空会社はノースウェストを利用した。
筆者の座席側を担当するパーサーは白髪の黒人。ちょっと厳つい顔。

ビールが飲みたくなって、彼に欲しいと告げた。
1缶、日本円なら500円。ドルなら5ドル。
為替レートから考えれば、どう考えても円の方が特だ。
円で払いたいという。

往き道では500円玉があったので問題なかったが、千円札しかなかった。
釣り銭はないと言われる。なので、ドルで払ってくれと。

だが、セコイ話だが、ドルだと損になるので嫌だと筆者は言った。釣り銭を持ってきてくれと。
今にして思えば、実に嫌な客だ。

彼は言った。残念だが、機内にはあいにく500円玉がない。
ほかの乗客が払ってくれていればよかったが、今はないと。

一瞬、膠着。

が、次の瞬間、彼はその厳つい顔を思いきり「ニカッ」とさせて、こう言った。


「いい考えがある。ここにビールが2缶ある。これをあなたに差し上げよう。代りに私はあなたからその千円札を頂く。
 あたたはビールを2缶も飲めて、自分は釣り銭で悩むことから解放される。こんないいことはないだろう?」

よく聞けば全く当たり前なそのセリフを、実に面白おかしく話す。
このとっさの機転とユーモア。
下手な言い方をすれば、日本なら「何をいらないものまで売りつけるんだ!」とそれこそクレームになるかもしれない。
ユーモアはスキルなのだ。


米国人のジョークが面白いかどうかは別として、彼らはユーモアとウィットを尊ぶ。
それはそうだ。人種も違えば、生まれた国も違う。
下手をすれば言葉だってやっとやっと通じるくらいの人々が同じ国で生活しているのだ。
グダグダと話すよりも、時には機転を利かせ、笑って済ませられるようなスキルがなければやっていられないだろう。

日本流の誠心誠意のクレーム対応を否定するつもりは全くない。
筆者自身もその要務についていた時期も長い。
また、誠心誠意の反対がユーモアではない。

だが、全く別の軸の上に「ユーモアのスキル」というものがもっと育ってもいいのではないだろうか。
生活者も、それを受入れるようになってもいいのではないだろうか。


「ダイバシティー・マネジメント」は「女性の管理職登用」だけの問題ではない。
「多様性にいかに対応していくか」である。
多様性への対応であれば、米国は先進国だろう。
そこから学ぶものも多いはずだ。

さしずめ、ユーモアはその最初の方ではないだろうか。
笑って済ませられることは、できるだけそうした方がいい。

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2007.10.02

機械仕掛けの「生の声」にならないように

多くの期待と一片の鬼胎(きだい・心配事)を抱きながら記す。

日経新聞10月1日朝刊に「”生の声”集め販促支援」「コールセンター、消費者データ活用」という記事が掲載されていた。
(概要版はWEBにも掲載:http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20071001AT1D2801I28092007.html

企業から電話での顧客対応や問い合せ相談のアウトソーシングを請け負うコールセンターの大手各社が、<誌面より引用:企業の”苦情処理係”として成長してきたコールセンター>が<競争激化や需要の一巡>による成長鈍化に対応して付加価値サービスを提供しようという動きの一環らしい。

具体的には<消費者との会話データから販促につながるキーワードを自動抽出するシステム>や<消費者の嗜好(しこう)を割り出すソフト>を使って<リコールに繋がる障害発生を最小限に食い止める>ことができるようだ。
また、生活者の言葉の中に表れる消費性向を刺激するキーワードを会話の中に織り交ぜる事によって、販促効果を引き上げるという。

筆者は10年以上前、IVR(音声自動応答装置)の揺籃期にもう一歩進んで音声自動認識の精度を向上できないかと、IBMの基礎研究所の担当者と何度もやりとりをした記憶がある。
当時はどうしても実用レベルまで精度が引き上がらず、顧客の声を録音し、人間が聞き取ってテキスト化するしか手がなかったが、テクノロジーの進歩とは凄いものだ。
また、テキストマイニングも随分とやったが、なかなかそれも実際には大変な作業であった。「生活者の言葉の中に表れる消費性向を刺激するキーワード」を抽出するなどということが簡単にできるようになったのならば、それも素晴らしいテクノロジーの進化だ。

だが、記事中に少々気になる部分があった。(WEB版には記載なし)
<従来は電話応対者が通話終了後に要約メモを記入、そのメモを顧客企業の担当者が集約していた。新システム採用で、通話後の作業時間を五割程度短縮できるという。>
実際のシステムを確認していないので断定はできないが、この内容から考えるに、システム化によって大きなメリットと、少しばかりの心配事が感じられる。

メリットはやはり、記事にあるように効率化が大きい。
さらにそれだけではなく、人に依存しないため「これは重要な事ではない」とか「めんどくさいからいいか」といった、重要事項の判断のミスやモレをなくすことができること。これも大きなメリットだ。
さらに、機械的な処理で顧客の言葉がそのままテキスト化されることによって、応対者の「解釈」が介在しない、「本当の生の声」が抽出できることになる。
いいことだらけのように感じるが、一つの心配は、逆に「人の介在」が減ることだ。
前述のメリットの裏返しだが、応対者は熟練すると、顧客の何気ない言葉やニュアンス、前後の会話の文脈から「これは要注意」といった勘が働くようになる。
少なくともかつて電話応対を担当していた筆者自身はそうであったし、昔はそんなオペレータもたくさんいた。

システムなり、ソフトがどこまで進化しているのかはわからないが、やはり効率優先で人の習熟度を向上させる努力を欠かすことは好ましくないだろう。
熟練したオペレータが、さらに音声自動認識やテキストマイニングのサポートを受けて応対するなら、そんな頼もしいことはないのだ。

昨今、顧客の質問や疑問はできればWEBのFAQで自己解決してもらったり、電話もIVRでの音声案内で完結させようという動きがある。確かにその解決率は上がっているし、24時間、365日問題解決ができる分、顧客自身のメリットも大きい。
しかし、その分、オペレータにかかってくる電話は重要な内容になっていることが多いのだ。

一方で、クレーム対応術や、エクセレントな苦情処理担当者の奮闘記が注目されている。
しかし、そんな大ごとになる前に、自然に解決できることを目指して欲しい。

今回発表のあったシステムやソフトには大いに期待したい。
しかし、努々、オペレータの人的能力向上が置き去りにされないよう祈りたい。

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2007.10.01

脳科学とナレッジマネジメントのシナジー

最近注目の「脳科学」は実に面白い。かくも人間の脳とは繊細かつ複雑にして、こんなにも驚くべき働きをしているのかと興味は尽きない。
しかも、そんな貴重なものが自分の頭蓋骨の中にもちゃんと1つ入っているのだ。実は身近でもある。


■脳科学とナレッジマネジメント、エンタープライズサーチの関係性

そんな脳科学をより理解しようとした時に、筆者のマーケティングの外、もう一つの専門領域である「ナレッジマネジメント(Knowledge Management=KM)」やエンタープライズサーチ(Enterprise search)の世界を同時に考え合わせると、また違った見方ができたり、理解が深まったりすることに気が付いた。
事実、日経関連のサイトでエンタープライズサーチ広告特集には脳科学者の茂木健一郎氏がコラムを寄稿している。http://nikkei.hi-ho.ne.jp/e-search/


■解離性同一性障害とシステムのサーバ構成

そんな中で、面白い記事を見つけた。ネットには収録されていないが、日経新聞9月26日(水)夕刊・あすへの話題。脳研究者の池谷祐二氏が「多重人格・脳ひとつ」と題したコラムを書かれている。

その主旨は以下の通り。
一般に「多重人格」と呼ばれる「解離性同一性障害」という疾患は<人格が交代すると感情や知性ががらりと変化する。性別や年齢、さらには利き手や声色までも変わる場合がある。興味深いことに、当人は別の人格の存在には気付いていない。>という特徴があるという。

人間の脳の働きはやはり、コンピュータシステムと異なる。
例えば、ひとつのハードウェアの中に複数のサーバを立てることなどよくある。
それらは各々独立しているが、蓄積されている情報を一度に取り出そうと思えば、さらにもうひとつ、サーチ(検索)のためのサーバを立て、複数のサーバを対象としたいわゆる「串刺し検索」をすればいい。
しかし、人間の脳は解離性同一性障害によって勝手に立ち上がった人格以外に、さらに一歩引いたサーチのためのサーバを立てるような器用なことまではできないのだ。

だが、池谷氏は<「一個の脳に複数の人間が同居できる」という事実に、脳の深い潜在性を感じる。><実のところ、ただ一人の人間を生きるだけならば、こんなに巨大な脳など必要ないかもしれないのだ。>と結んでいる。
システムにおいて「サーチ」というアプローチが用いられたのはそう古いことではない。
疾患の治療も思いもよらぬ治療法が開発されるかもしれない。


■脳の働きにおける「インデキシング」

一方、脳科学から大いなるヒントをもらえたのが養老孟司氏のコラムだ。http://eco.nikkei.co.jp/interview/article.aspx?id=20070529i3001i3&page=2

コラムの主旨は解剖学から見た脳の働きから、環境問題を考えようという主旨なのだが、その中の「人の眠りと脳の働き」に関する記述が興味深い。
<寝ているとき、脳は休んでいると思われているが、実は休んでいない>のだという。
<わかりやすい比喩は図書館だ。朝、客が入って、昼間にたくさん本が読まれると、最後は本棚が空になって机の上に本が散らばる。夕方に閉館すると、こんどは司書たちが元の本棚の位置に本を戻す。朝と同じ状態まで本を戻せば、また図書館を開けられる。脳も同じようにしているから目を覚ますことができる。>
<人間は夜になると意識がなくなる。眠るというのは、脳のなかにたまったエントロピーを片付ける、脳の無秩序を元へ戻すという作業なのだ。>
<この脳の働きを裏付けている最大の証拠は、寝ていても起きていても、脳が使っているエネルギー量は変わらないということだ。>という。

これはかなり、エンタープライズサーチのシステムに似ている。
「クローリング・サーバ」というところに検索のプログラムが格納されているが、その横にある「インデキシング・サーバ」というものが重要な役割を果たす。
サーバ内に日々放り込まれるドキュメントを、クローラーがかき集め、各々にインデックスを付け、それを管理しているのがインデキシング・サーバだ。多くはその作業は夜間行われる。

人間の脳は、意識するとせざるに関わらず、昼間目にしたものや聞いたものを記憶し、溜め込んでいる。
また、思考し何らかの考えも蓄積する。
そうして、脳内のエントロピーは増大した状態で夜を迎え、眠る。眠りながら脳が働き、整理する。
インデキシングの働きに似ている。


■脳の情報整理に学ぶ「文書の廃棄プロセス」

養老氏の言葉にはないが、そこに注目すべきヒントを見つけた。人間の脳も、まさか、日中の全ての情報を整理しつつ、蓄積するということは、いかな「人間の脳が高い可能性を秘めている」といって無理だろう。
整理の過程で、情報の廃棄が行われているはずだ。即ち、忘却。

ナレッジマネジメントの世界で重要なのは、この「廃棄」のプロセスだ。
最近注目の「文書管理ソリューション」は文書の生成から廃棄までのプロセスを管理するものが多いが、エンタープライズサーチは高速性とスケーラビリティー(巨大なデータ量の処理能力)が高いため、ともするとこの廃棄プロセスが忘れられがちになる。

ナレッジマネジメントやエンタープライズサーチの活用でうまくいかない例が、「ため込めるだけ溜め込んで」というパターンだ。人間の脳はうまいことできているのだろう。
適度に捨てる(忘れる)ことでバランスを取っている。
「選択と集中」という言葉は便利だが、選択し、集中していらなくなったものを捨てるという概念がつい忘れられる。
余計なものを溜め込んでいてよいことはない。サーバであれば、ストレージの無駄だ。また、検索精度も落ちる。
脳の働きに学ぶところは大きそうだ。


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