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19 posts from September 2007

2007.09.28

ミャンマー、大相撲、年金に見るティッピング・ポイント

「ティッピング・ポイント」という考え方がある。残念ながら、既に廃刊だが2000年に同名の書籍が日本でも発刊された。
著者のマルコム グラッドウェルによれば、あるアイディアや流行もしくは社会的行動が、敷居を越えて一気に流れ出し、野火のように広がる劇的瞬間のこと」と定義している。
ティッピング・ポイントの原義のTipとは、<傾ける[傾く]こと,傾斜>と辞書にある。つまり、ある傾斜角を超えた瞬間に一気に動き出すポイントを指しているのだ。
「クリティカル・マス(臨界質量)」が類似した概念だと言えよう。


さて、今週、ニュースの中から標題の3つがティッピング・ポイントとして見て取れた。

まずはミャンマー情勢。圧政を続ける軍事政権に対し、遂に僧侶が立ち上がった。ここで収まればよかったが、鎮圧すべく兵士がデモを続ける僧侶を殴打した。

この原稿を書いている時点では犠牲者は僧侶を含む5名。寺院への強行突入もあったようで、さらに犠牲者の数は増えるだろうと言われている。
「僧侶には手を出さないこと」が信仰心の厚いアジアの国々では不文律であるはず。「僧侶殴打」がこの国のティッピング・ポイントだったのだろう。恐らく泥沼の内戦に進むか、もしくはデモは鎮圧され、更なる圧政が進むか。


続いて、大相撲。朝青龍の不祥事。そもそも、その朝青龍を躾けられなかった高砂親方の指導力。さらに一連の問題を裁ききれない北の湖理事長はなぜか怒りの矛先を、古参の記者クラブ会員の取材証を取り上げるというおかしな方向に持っていき、全く問題の根本が正されなかった(後に取材証は返還)。

しかし、まだティッピング・ポイントは超えていなかったが、時津風部屋でのリンチ殺人が明るみに出た。死亡した力士の兄弟子だけでなく、親方自身が主犯格であるようだ。だが、またも相撲協会は26日夕方時津風親方ら立件へという動きの中にあって、北の湖理事長が「記者会見を行う予定は今のところない」などという談話を発表している。

遂に明るみに出た、親方自身によるリンチ殺人。一気に傾斜角を増し、転がり落ちていく。転がったのは「国技」としての威信だ。もはや国技と呼ぶだけの価値もない。大相撲を開催しても、ただでさえ減り続けている観客はさらに減るだろう。天覧試合も見合わせられるかもしれない。

もともと、外国人力士ばかりの「ウィンブルドン現象」を起こしていた、形ばかりの国技。違和感を覚えていた人も多かろう。この先どこまで転がるのかはまだわからない。


最後に、実はこれは定量的にティッピング・ポイントを超えてしまっただろうなぁ、とわかるだけに一番怖い。「年金」。

なぜか大きなニュースになっていないが、26日の毎日新聞ニュースで<社保庁は06年度の納付率を66.3%と公表しているが、これは保険料を免除されている人などを除いて計算している。>ことに対し、<民主党が「実勢を反映していない」として、全加入者を対象とした納付率の算出を求めており、社保庁が試算した結果、06年度は前年度比1.1ポイント減の49.0%だった。>と報じられていた。

保険証免除などで見かけの納付率を底上げしていた粉飾していた社保庁。さらに、その一部(一部?)を着服していた職員の存在。2人に1人以上が払っていないという事実。全てが国民の前に明らかになった。ここがティッピング・ポイントだろう。2人に1人以上が払っていない。隣にいるこいつも、こいつも、払っていないかもしれないと生活者が思う時。さらにその割合は加速するだろう。転がる先は年金というシステムの完全崩壊。

給料天引きの人だけが馬鹿を見るという不満を解消するために、全額税負担議論が早急に立ち上がるだろうが、それは本来のシステムとは異なる。
元々のシステム設計に無理があったのも確かだが、納付率49.0%という数字がティッピング・ポイントになるのは間違いないだろう。


と、こんなことを書いているうちに、「背水の陣内閣」として、特に「政治と金」には細心の注意をすべき福田内閣の閣僚から金の問題が噴出したようだ。27日7:00の時点でasahi.comに<渡海文科相側に2百万円 国の工事受注業者、選挙時に>と報じた。続いて8:51には<石破防衛相、上限超す寄付 入閣当日に訂正>の報だ。

「背水の陣内閣」。実は発足当初から背水の陣ではなく、とっくに首まで水に浸かっていると揶揄されたが、現実になりつつある。まぁ、こちらはあまりに転がる場面が多くて、どこがティッピング・ポイントなのか判然としないが。


ともあれ、ティッピング・ポイントを見極めるのは重要だ。NHK流に言うなら「その時、歴史が動いた」となるのかもしれないが、そんな過去を振り返るのではなく、今、現在の変化の兆しを見逃さないでいたい。


なお、書籍「ティッピング・ポイント」はAmazonのマーケットプレイスでまだ購入可能

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2007.09.27

地球温暖化対策は「できることから」では間に合わない?

環境問題に関するコラムを書いて以来、自分の中ではかつてなく環境意識が高まっている。今日もコンビニでレジ袋を断り、「少しだけまた環境負荷軽減に貢献できたかな」などと思った。また、asahi.comを見ると、「飛行機の航法が変わり、今までよりも最短ルートを飛べるようになるため、年間16万2000トンの二酸化炭素(CO2)の削減効果が見込める」とあった。
http://www.asahi.com/life/update/0926/TKY200709260034.html
これは、なかなかのイノベーションだなと思った。
が、しかし、asahi.comの別のコーナーでは気になる記事が目に留まった。
地球温暖化による海面上昇で最初に沈む国、ツバルを取り上げた写真レポートだ。
http://doraku.asahi.com/lifestyle/greencafe/earthphoto/index.html
海面上昇によってもはや国土である島は幾ばくも土地が残されていない。その残された土地すらも満潮時や大潮の時にはすぐに冠水してしまうという。

先のコラムで金森は「環境問題にもマーケティング的発想が大切」という主旨で、「ベネフィットを明確にし、成功体験を積ませる」などと述べた。まぁ、「できることから確実にやっていこう」という発想だ。しかし、ツバルの姿を見ると、もはやそんな「小さな改善」では間に合わないように感じる。改善ではなく「イノベーション」と思った飛行機の新航法も、「削減効果は年間16万2000トン」というと何だか大きな数字に感じてしまうが、実は地球全体で考えれば微々たるものだ。「できることを確実にやる」ことは重要だ。だが、それだけでは間に合わない。


そもそも、日本の二酸化炭素の排出量は世界の総排出量の数%なのだという。今から日本中が全く二酸化炭素を出さなくなったとしても、地球全体ではたった数%しか改善されない二酸化炭素の大排出国である米国、中国は京都議定書に参加すらしていない。そもそも資源に乏しく、石油ショックを経験し省エネに努めている日本は、既に削減余地は限られているともいわれる。乾いた雑巾を絞るにも限界があるということだ。


だが、「じゃぁ、無理!」と思考停止してしまうことは、ツバルの姿に象徴されるように、もはや今日の地球環境を考えれば許されない。
実は白状すると金森は「もったいない」という言葉が嫌いだった。なぜかといえば「もったいない」という一言が何に対してなのか不明確で、文脈が見えずに気持ちが悪いからだった。しかし、今考えれば、「もったいない」の対象物が不明確なのは、何に対しても常に「もったいない」と考え続けることこそが重要なのだとわかる。
価値観の転換が必要だ。あえて乾いた雑巾を絞り続けよう。便利さに慣れた暮らしを改めようと思った。

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2007.09.26

「皇室御用達の傘に整合性の美を見る」:定番のヒミツ第6回

日本実業出版社の季刊誌「ザッツ営業」好評発売中です。

ザッツ営業 http://www.njh.co.jp/that/that.html

同誌に連載中のコラム「定番のヒミツ」第6回が掲載されています。

この連載は「世の中には常に売れ続ける”定番”と呼ばれるものがある。なぜ定番は売れ続くことができるのか。当連載はその謎をマーケティングのセオリーから考察する」という主旨です。
が、第1回の「BMW」以外は、「銀座伊東屋」「L.L.Bean」「万年筆・モンブラン」「江戸和竿」と金森の嗜好・持ち物リストの感が漂ってきましたので、次回からはちょっと装いを新たにしたいと思います。
なので、今回は最後の「金森ワールド」ですね。
ご覧ください。

以下、転載。

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「皇室御用達の傘に整合性の美を見る」

 世界一雨に濡れることを嫌うという国民性からか、日本の年間傘消費量は約1億本に登るという。全国民が毎年1本は購入している計算だ。その数はビニール傘や安価な中国製傘が無造作に使い捨てられていることも表している。
 対極にあるのが皇室御用達、「前原光榮商店」の傘である。通常の傘の倍、16本の骨が描く優美なシルエットを知る人は多いだろう。傘の中心部の「中棒」はその精度で開閉のスムーズさが大きく異なる。また、中棒に埋め込まれた「ハジキ」と呼ばれる上下2つのバネの指あたりの良さ。16本の骨の先端にある「玉留め」もフォルムの仕上げとして画一な形状ではなく、1つひとつ鋳造される。他にも細かなこだわりと技術が様々である。
 最近では16本骨のフォルムを真似た模倣品も散見されるが、細部を見ればその機能美の違いは一目瞭然であり、細部が組み合わさった全体としての完成度は比べるべくもない。「前原光榮商店」の傘は1万円台半ば~高価なものは20万円以上。模倣品とは桁が1つも2つも違うが、その価格なりの価値が厳然と存在する。

 ものづくりの現場では「神は細部に宿る」という言葉がしばしば用いられる。提唱者と解釈には諸説あるが、筆者は20世紀モダニズム建築家のミース・ファン・デル・ローエとする説を信じる。彼は無駄を徹底して排除した建築作品と「Less is more(より少ないことは、より豊かなこと)」という言葉を遺している。「神は細部に宿る」は無駄を削ぎ落とし残った部分にこそ、細部に至るまで妥協を許さず、素材や意匠を凝らすことで全体としての造形美が完成するという意味に解釈できる。「前原光榮商店」の傘にはまさに、神が細部に宿っており、全体としての優美さが醸し出されているのである。

 マーケティングのセオリーでは「安易に打ち手に走るな」といわれる。広告や製品パッケージをどうしよう、価格をどういじろうなどという施策を単独で考えるのではなく、それらが確たる全体戦略を前提に如何に整合しているかが成功のポイントなのだ。前原の傘や、ミースの建築同様、ビジネスの世界もまた然り。

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2007.09.25

力の源泉は“ビジネスモデル”の確かさにあり

 超収益企業・キーエンス。その秘密は “INSIGHT NOW”の人気記事として竹林篤実氏が「キーエンス、超収益の秘密」に詳しく記している。また、金森も企業のポジションに応じた戦い方という、フィリップ・コトラーの理論を実例で解いた3回シリーズの第2回「差別化ではなく最適化せよ!」で「ニッチャーとしての戦い方」の例示に用いた同社の戦略は極めてユニークで高いレベルで完成されているのだ。
 そのキーエンス社の営業担当者が実現している「力の源泉」を、あるメーカーの現場エンジニア(工場責任者)複数から話を伺うことができた。


■キーエンス社の営業担当者は「頼れる味方」

 竹林氏の記事は以下のように記されている。<引用:彼らの仕事はセールスではなく、クライアントの話を徹底的に聴くこと。特にその不満、不都合、不具合を可能な限り引きずり出すことに集中している。しかもクライアント企業の現場で。>これは、本当に工場責任者たちが「キーエンス社の営業担当者は頼れる味方」だと異口同音に賞賛した。

 さらに、実際に困っていることを解決する提案だけでなく、「当たり前だと思っていた不便」を見つけ出し、「不便そうにされていますが、解決できますよ」と提案してくるというのだ。「“ハコ売り”ではなく“ソリューション”へ」とソリューション=問題解決の提供の重要性は言われて久しい。しかし、顕在化した問題ではなく、潜在的な問題まで引き出すとは恐れ入る。「ニーズの深掘り」はマーケティングの要諦である。ニーズとは「理想とする“状態”」であり、ウォンツとは「理想とする状態とのギャップを埋めるための“対象物”」である。このニーズとウォンツの関係を取り違えると、顧客の求める状態を無視した“ハコ売り”となる。キーエンス社の営業担当者は極めて優秀なマーケターであることがわかる。


■「エンジニア決済」が高利益の源泉

 さらに竹林氏は「超収益の秘密」としてキーエンス社の営業担当者が<可能な限り現場が持っている予算内に収まる製品を提案する>ことだと分析した。それは<調達部を通さなくて済む金額に押さえる><キーエンスは自分たちの製品を、その価値を的確に評価してくれる相手に提供している>ことを意味すると。
話を伺ったメーカーでは「エンジニア決済」という予算があるそうだ。製造原価に関わる費用は当然、調達部の決済となる。しかし、生産に関わる機器・部材はエンジニアが一定の決済額を持っている。そして、エンジニアこそが、その問題解決がなされれば、生産効率がどの程度向上し、どれほどのインパクトを持っているかという「価値」の判断ができるのだ。そこでは「提供される製品の原価がどれくらいだから、いくらぐらいが妥当だろう」という駆け引きの世界はない。「高くても、生産性向上という価値をもたらすのなら払うに値する」という価値観だ。<価値を的確に評価してくれる相手に提供している>という状態なわけだ。


■では、誰でも「超収益」が実現できるのか?

 竹林氏はキーエンスの「超収益」を以下のような方程式で解いている。
<以下引用>
現場の不都合・不具合・不便を徹底的に聴きだす

それら『不』を改善する製品を提案する
=まさに相手がピンポイントで求めている製品です

相手の予算内で決済できる金額を提示する
=相手はわざわざ稟議を通したり、購買部を通したりせずに購入できる
=キーエンスとしてはほぼ見積り通りの金額で販売できる
<引用ここまで>

 上記のように方程式化できるということは、それが一つの「ビジネスモデル」として完成されていることを示している。

 ビジネスモデルを要素分解すれば以下の通りだ。
・「ストラテジー・モデル」=模倣困難なユニークな戦略性があること。
・「オペレーション・モデル」=戦略優位が保て、持続可能なしくみがあること。
・「レベニュー・モデル」=安定的に収益を確保できるしくみがあること。

 キーエンス社で考えれば、彼らの戦略優位性は「優秀な営業担当者が製造現場にアプローチし、高度なソリューションを提供する」ということだろう。

 しかし、それを支えている「オペレーション・モデル」を忘れてはならない。ある工場責任者が語ってくれた。「キーエンスの営業担当者だけでなく、その会社もまた凄い」と。「推測だが」との前提で「恐らくあの高いレベルでの専門知識や提案力は高度な“教育システム”が社内にあるからに違いない。さらに、社内の情報流通が円滑な“組織作り”がなされているのではないか」と。「戦略優位が保て、持続可能なしくみ」の存在を感じさせるということだ。

 また、キーエンスは自社で製造現場を持たないファブレス・メーカーであるが、それ故、「極めて短納期でサンプルや製品を持ってくるということは、協力会社に対して極めて強い支配力を持っているに違いない」と責任者は推測した。この部分もオペレーション・モデルの要諦だろう。


■レベニュー・モデルの重要性と三つの要素の整合性

 キーエンスの事例で最も重要なのは上記の「ストラテジー」と「オペレーション」の力を最大限に活かせる<価値を的確に評価してくれる相手に提供している>という「レベニュー・モデル」の構築である。「ソリューション・ビジネス」を目指すもそれが実現できない最も悲惨な状態は、「中途半端による稼ぎ損ない」だ。

 汎用品メーカーが高収益化を目指し、“ソリューション部隊”を作る。クライアントの問題点を発見し、解決策を提案する。歓迎される。「では、お見積ですが」というと、クライアントは「え~、おたくからたくさん(汎用品を)買ってるじゃない。いつもと同じ値段か、いくらぐらいにしてよ」と値切られる。かけた手間、汎用品をカスタマイズする工賃が全て無駄になる。
「エンジニア決済」があるじゃないかといわれるかもしれない。しかし、それは「この会社にしかできない」という価値を提供され続けているからこそ、認められるものだ。汎用品メーカーが「こちらはソリューション、こちらは汎用」と言ってもなかなか受取手が認めてくれないのだ。また、汎用品メーカーというだけで、商談は購買部が担当となってしまう場合もある。

 ビジネスモデルは三つの要素全てが整合していなければ成立しない。特にレベニュー・モデルの破綻は悲惨な結果をもたらす。また、その三要素が満たされたとしても、相手から認められるには時間がかかる。「キーエンスには誰もがすぐになれるわけではない」というところに、真の力の源泉がある。

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2007.09.21

顧客対応の方程式:「納得しなくていいから理解してくれ」・・・のためには・・・。

過日の記事”「顧客“納得”」の充実を望む”のちょっとした続編。
http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2007/09/post_e46d.html

この記事を読んだ知人から『昔、会社の上司に”納得しなくていいから理解してくれ”。状況をわかってくれ。』と言われた事が思い出されるとコメントをもらった。

「顧客満足>顧客納得>顧客理解」。
これは顧客対応の方程式としては重要なことではないだろうか。

今回の発端である、金森の事務所の会議室使用条件変更。
最初、「実質的値上げ」としか理解できなかった。

家主からのレスポンスも「色々なご意見があるかと存じますが、一人でも多くのお客様快適にご利用頂きたい」というような”納得”以前に”理解”ができない一般的な回答。

そして、「入居者の会議室利用と要望に関する実態の開示を!」と更なる要望を行い、ようやく「理解」の一端に繋がる「事実(情報・Fact)」が開示された。
オフィス入居者の会議室利用実態と要望だ。
「状況」はわかった。”色々なご意見”の一端もわかった。
「納得」はできないが、かろうじて「理解」はできそうだ。
しばらくはその新方針に従ってみようと思う。まぁ、”店子”だし。

しかし、顧客説得のプロセスというものの重要性を自ら体験した気がする。
「顧客満足>顧客納得>顧客理解」・・・である。

まずは「情報開示」である。
「わかってもらえるはず」は通じない。


「コミュニケーション」の語源はラテン語の「共有物」にあると当Blogで何度も記した。
「共有物」。
「物」である。
具体的な”情報”がなくては共有はできない。
”情報”は「理解」を促進する。逆に”情報”がなくては「理解」はできない。
”言わずもがな”という日本古来の習慣。その弊害も何度も指摘してきた。
今回の件にも通底している。

企業は「顧客満足」を目指すべきであることは間違いない。目指すべきだ。
だが、その実現は難しい。その手前に「納得」がある。

しかし、今回、金森も学んだのは「納得できなくとも”理解する”」ということ。
大人な結論に感じるかもしれないが、この”前提条件”としては、”事実情報の開示”があるということ。
その”事実”が”状況をわかる”必要条件と合致すれば”理解”ができるのである。

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2007.09.20

不満足喚起・満足度調査

先週後半は少々難いネタを続けてしまったが、連休明けは二連続で不満足事例の考察。
顧客満足は企業にとって変わらぬ重要事項であるし、事例研究は有用と思ってお付合いいただきたい。
(自己規定により不満足事例の個別企業名は伏せますのでご了承ください)。


過日、いわゆるビジネスコンビニというか、通常コピー・データ出力サービスを扱うPOD(プリントオンデマンド)のショップを利用した。
納品レポートを2日連続で持ち込み、製本のみを依頼した。
少部数なので、ほとんどビジネスらしいビジネスにはなっていないはずだが、店のスタッフはテキパキとしており、誠に対応がよい。
短時間で依頼したが、仕上がりは約束の時間ピッタリだった。
2日目に来店した際には、「昨日と同じでよろしいですか?」と、顧客の個別識別までしている。
予想外の良好な対応に驚きつつ、また機会があれば利用しようと思う。


その2週間後、留守電に伝言が入っていた。
店の本部からのようだ。
「こちらXXXですが、本日はお客様にご利用いただきました際の満足度を伺いたいと思いましてお電話しました。また改めさせていただきますので、よろしくお願いいたします」とのことだった。

うーん、何とも素晴らしいではないか。こんな少額利用客にまで満足度を確認しようというのか。
もとより、利用時の満足度は高かったので、電話がかかってきたら満点をあげてしまおうと思っていた。


・・・が、その後電話は一度も来ない・・・。
「また改めさせていただきますので、よろしくお願いいたします」って言ったじゃない・・・。
仕上がり時間の約束はきちんと守ってくれるのに・・・。


せっかくの現場の良好な対応。
本部は良かれと思ってやっている「満足度調査」だろう。
再度電話をしなかったのは、細かいオペレーション上の間違いかもしれない。
しかし、顧客の満足も、現場の良好な応対も、調査を実施しようという主旨も、その間違いが全てスポイルしてしまった。

「もうあんな店、利用しない!」という大人げないことを考えるほどのことではない。
間違いなく、必要な時にはまた利用するだろう。
しかし、小さな間違いで、小なりといえども「不満足」が喚起されてしまったことは残念だ。

満足感は、顧客の持っているイメージと現実のギャップが良い方に大きければかなり高まる。
それが最後に覆ってしまった状況だ。
「満足度調査」の対応は、極めて慎重にやらねばならないと考えさせられる体験であった。


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2007.09.19

「便利な言葉」の集合体「テロ特措法」

16日の朝日新聞で気になる記事を発見。
http://www.asahi.com/politics/update/0915/TKY200709150268.html
「テロ特措法、正式名称は最長122字 その理由は?」とある。
「その理由」に辿り着く前に、普段「テロ特措法」と耳に馴染んだ割には全容が理解しきれない、この法律の正式名称に少々驚く。

122文字は「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法の一部を改正する法律」
・・・ああ、何とも文字数喰うなぁ。

しかし、敢えてこの文字面だけから突っ込みどころを列挙してみよう。
37文字目「攻撃”等”」。「等」の文字。
62文字目「”諸”外国」。「諸」の文字。
81~84文字目+91文字目「措置及び”関連する”国際連合決議”等”」。「関連する」という言葉。「等」の文字。
111~112文字目「特別措置法の”一部”」。「一部」という言葉。

実はここまで、記事本文を読まずに気になったところをチェックした結果だ。ウソではない。
そして、記事によると(上記asahi.comリンク参照)、四度にわたる内閣官房での書き換えの過程で、<響きの良い言葉が次々と継ぎ足されていったからだった(本文より引用)>とある。
で、実に、上記の通り突っ込んだところは、「書き足された”響きの良い言葉”」の部分だったのだ。

ここでこの法律の是非や、自身の政治的信条を語ろうというのではない。
だが、記事の指摘通り、何ともこの長々とした法律は突っ込みどころ満載、かつ、空虚ではないか?


以前、筆者は連載で「"コミュニケーション不全"時代のマーケティングとビジネス」というコラムを記した。
http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2007/02/post_7821.html
昨今、日本に蔓延る「コミュニケーション不全」の原因の一つに「便利な言葉」があると、その中で述べた。
「今日、多くの企業内で、また巷(ちまた)で、うわべだけのスローガンやキャッチフレーズが一人歩きしている。誰が聞いてもNOとは言いにくい「体言止め」や美辞麗句、聞こえのよいカタカナや英語など――」
「共通認識のないまま、便利な言葉をもてあそび、そこから先を考えなくなる「思考停止」に陥っている」と指摘したのだ。

もちろん、日常のコミュニケーションや、企業活動、ビジネスの世界と政治・国際情勢は異なることは判っている。
また、法律用語ではある程度の曖昧さを残し、解釈や判例を用いて判断することも判っている。
しかし、程度というモノがないか?

企業の管理職研修などでは「便利な言葉禁止!」と筆者は強く述べている。
課題を書かせて「等」という字を使った場合、「それでは”等”とは具体的に他に何があるんですか?」と突っ込んでいる。
「一部では」といえば、「では、全体とは何を指す?」
「諸々」といえば、「具体的には?例を最低3つ挙げて!」と。

自信がない時。何かを隠したい時。答えが見つからない時。
人は「便利な言葉」や「曖昧な表現」を用いるのである。

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2007.09.18

「顧客“納得”」の充実を望む

経営課題の重要事項として「顧客満足」の向上・達成を掲げる企業は多い。
だが、全ての顧客を満足させる事は難しく、また、顧客が満足する要件と、その他の経営課題のベクトルは必ずしも一致しない。

例えば、何らかの理由で値上げをしなくてはならない場合などもあろう。値上げは確実に顧客の利益と相反する。値上げに対して顧客は最悪、離反行動をとる。そうならなくとも、不満の意を呈する。「顧客満足」とは程遠い状況になる。

斯様な事態を回避するなら、「値上げ」を上回る便益、もしくは付加価値の提供が有効だ。
但し、それが顧客にとって明らかに便益なり付加価値として認識される事が絶対条件だ。
これがうまくできれば、災い転じて福となす。顧客満足につなげる事ができるかもしれない。

別の方法としては「何故、値上げをしなくてはならないのか?」を懇切丁寧に開示し、理解を得る事だ。
食品メーカーが原料費の高騰で相次ぎ製品の値上げ、もしくは容量の減少に踏み切っている。
しかし、特定メーカーや製品の不買運動などの動きは今のところ出ていない。
バイオ燃料の需要急増によって、食品原料の生産にまで影響が出ているという説明がきちんとなされ、生活者の理解が得られているからだろう。
「満足」しないまでも「納得」が得られているという状況なのだ。

繰り返すが、全ての顧客を満足させる事は難しい。大切なのは、満足できないまでも「納得」してもらう事なのだ。
そのためには、きちんと説明責任を果たす事が最低条件。その説明に合理性が求められるのは言うまでもない。

で、ここまでが理論編。
以下からは、個人的体験に基づいた事例編。

金森の事務所はいわゆる、レンタルオフィス。
ちゃんと本店登記もできるが、区画は狭く、会議室も共用。
しかし、立地と交通の便が良いので満足度は満点に近かった。

さて、今回問題なのは、共用の会議室。
過日、事務所のポストに家主からのお知らせが入っていた。

曰く、今まで不便をかけていたが、10月から会議室予約をインターネットでできるようにする、とある。
今までは電話予約であった。
確かに営業時間外には予約ができないという不便はあったものの、出先から電話一本で予約できるというメリットも大きかった。
今後はいちいち出先でパソコン開いて予約するのか。なんだかめんどくさい。痛し痒しだな。

しかし、「え?」と思ったのは規約の変更。
今までは1日2時間まで入居者に均等に使用権があり、2時間を越える場合、空きがあれば時間当たりの追加料金の請求を受け使える事になっていた。

概ね変更はないものの、1日の使用権が1時間になっており、それ以降は追加料金となっている。
基本の使用権が年間365時間減っている。
問題なのは、それに対する説明がない事。
9月中は今までの規約、料金でご使用いただけます。
当たり前だ。

理由の説明がないが、普段の満足度の高い顧客としては善意に解釈すべく、理由を推測してみる。

確かに金森は外出がちで、かつ、営業時間外に会議室予約をしようと思った事は少ない。
しかし、その逆の要望がある顧客にとっては、電話からインターネット対応への移行は大きなメリットだろう。
そのためのシステム開発費を会議室使用料に転嫁したということか?
だが、そのメリットは顧客に対してだけであろうか。煩雑で稼働のかかる電話予約対応から解放される家主側のメリットの方が大きくないか?
証券業法規制緩和で一気に参入したネット専業会社が、手数料を大幅に下げられたのは、店舗という固定資産を持たなくてよいという要素が大きいが、売買のオペレーションを顧客自身がセルフサービスするため、そのコストが削減できるという点も大きかったはずだ。
会議室の実質的値上げの合理的理由が見当たらない。

以下、今回のまとめ。

「満足」以前に「納得」。

当たり前といえば、あまりに当たり前な事ではないだろうか。
「納得」できない事象があれば、本来「満足」している顧客の「満足度」も低下していく。
これも当たり前といえば、あまりに当たり前。

「顧客満足」は重要だ。
しかし、それ以前の「顧客納得」が少々疎かにされていないだろうか。
・・・これは一般論としてではあるが・・・。(まとめなので)。

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2007.09.14

立ち止まるな、変化せよ!

政局の混乱による経済への影響が懸念されるが、好景気が終わったわけではない。
しかし、この好景気は「実感を伴わない」とよく表現される。
確かに生活者にとっても、経営者にとっても、それは偽らざる本音だろう。
この好景気は、実際に未曾有のものだ。期間の長さではない。
「景気拡大」と「企業淘汰」が同時進行するという例は過去にはない。初めてのケースを我々は経験しているのだ。
グローバル化と進むM&A。寡占化。
一連の動きは先日来述べている「リーダー」「チャレンジャー」「ニッチャー」「フォロアー」という企業ポジションと無関係ではない。

前々回、強大な力を持った「リーダー」に対し、「チャレンジャー」は徹底的な差別化で戦うと述べた。
前回は、「ニッチャー」は自社の価値の源泉、「バリュープロポジション」を明確にし、他社にはできない必殺技を磨くか、顧客に対する問題解決力を高め、最適化するかが求められると述べた。
では、残る「フォロアー」は?

ナンバー1のリーダーにはなれない。それに戦いを挑むチャレンジャーほどの力もない。ニッチャーとしての”独自の生存領域の確保”もできていない。
実はそんな企業が多いのもまた現実。
しかし、この時代それではなかなか生き残るのは難しい。
競争や変化が激しい業種であれば、存亡の危機はすぐに訪れるだろう。また、そうでなくとも、緩慢なる衰退が待っているのだ。
ではどうすればいいのか。
答えをひとことで言えば、「立ち止まらないこと」である。

冒頭に記した、「グローバル化と進むM&A・寡占化」というキーワードはフォロアー生き残りの一つの道筋を示している。
例えば「グローバル化・M&A・寡占化」が一番激しい業種の一つに製薬業界があげられる。
同業界においてはフォロアー企業でなくとも激しいM&Aと寡占化が進行している。
その理由はもはや有名であるが、合併によって”メガ・ファーマ”とならなければ、研究開発競争力が確保できないからだ。
国内大手の製薬会社であっても、世界規模で見れば現実には「フォロアー」であったという現実。
それを打破するために、M&Aによってチャレンジャーとしての規模と体力を確保した。これがフォロアー生き残りの一つのモデルだろう。
立ち止まらず、過去に縛られず、とにかく生き残れるよう規模を拡大することだ。

もう一つが、フォロアーからニッチャーへと変身することだ。
繰り返しになるが、ニッチャーの戦略の要諦は「独自の生存領域を確保すること」である。
そのためには、「バリュープロポジション」を明確にすることが必要だ。
顧客を絞り込む。得意なビジネス領域を尖鋭化させる。

実際にはフォロアーからチャレンジャー、もしくはニッチャーへの転身は簡単なことではない。
しかし、肝心なことはともかく「立ち止まらないこと」と「変わるという意志の強さを持つこと」なのである。

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2007.09.13

差別化ではなく最適化せよ!

前回は「リーダー対チャレンジャーの戦い」におけるチャレンジャーの戦略の要諦は「徹底した差別化」であると述べた。
今回は「ニッチャー」の戦い方について考えてみよう。

「リーダー」は文字通りチャンピオンで、業界のナンバー1。唯一にして強大な力を持つ企業である。
では、「チャレンジャー」というポジションにその企業があるかどうかは何によって決まるのか。それは、生き残りの要諦である、「リーダー」に対して「差別化」という攻撃を仕掛け続けることができるか否かだ。
「攻撃は最大の防御」ともいうが、リーダーに戦いを挑み続けることでその存在が掻き消されることを防ぐ。しかし、強大な力を持つリーダーに対して戦いを挑み続けるということもまた、かなりの体力を要する。どんな企業でもそれができるかといえば、それは難しい。

となると、その企業の目指すべきポジションは「ニッチャー」である。
「ニッチ」は今日カタカナ言葉になっているが、原義は“飾り物などを置く壁面のくぼみ”であり、また、“(人・物に)最適の地位(場所・仕事)”を表わす。

では、いかにして「最適の地位」を確保するのか。
それには、その企業の持つ「バリュープロポジション」を明確にすることが原点だ。バリュープロポジションとは、「顧客が求める競合には真似のできないその企業独自の提供価値」であるといえよう。その実現のためには、独自の技術なのか、サービスの提供方法なのか、各企業の力の源泉を明らかにする必要がある。自社のビジネスの棚卸しが欠かせないのだ。そしてその「力の源泉」をもって「独自の生存領域を確保すること」が戦略の要諦である。

「リーダー」は業界にただ1社。「チャレンジャー」となれる力を持っている企業も数は限られている。しかし、「ニッチャー」としてバリュープロポジションを明確にし、様々な方法で生き残り成功している企業は数多い。その多様性からなかなか具体例を列挙するのは難しいが、あえてエクセレントな例を上げるとすれば、 “INSIGHT NOW”で竹林篤実氏が執筆し人気記事になっている「キーエンス」だろう。
詳しくは、同記事を参照いただきたいが、その高収益の秘密は、とにかく顧客に密着し、徹底的に要望を聞き出し、最適化したソリューションを提供することにある。
つまり、市場全体を見て、リーダーとの「差別化」を図るのではなく、顧客を見て、その要望に「最適化」することによって、生存領域を確保して高収益を生んでいるのだ。

「ソリューション」という言葉は、今の時代、一種のブームであるが、真の「最適化」によってソリューションの本来の意味「問題解決」ができているケースは意外と少ないのではないだろうか。それは、本当の問題解決はそんなに簡単なことではないからだろう。
特定の顧客に張り付き、徹底して傾聴する。実にニッチな動き方ではなるが、単に言葉面だけのソリューションとは一線を画しているのは間違いない。


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徹底して差別化せよ!

「自社のポジションはいかなものか?」・・・「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」というが、敵を知る以前に自社のポジションを明確にして戦略立案の基礎とすることは重要だ。しかし、一個人でも「己の真のポジション」を把握することは難しいもの。
ついつい、背伸びしてしまう。自社のポジジョンに応じた正しい戦い方とは?
今回はその前編。


「己の真のポジションを把握すること」は企業戦略の立案には欠かせない。
戦略論の大家、マイケル・ポーター先生も「コストリーダーシップ戦略」「差別化戦略」「集中戦略」という、『戦略の三類型』を提唱した。

一方、マーケティングの大家、フィリップ・コトラー先生は「市場ポジションに応じた戦い方」を四類型にまとめた。
今回はこちらを元に考えてみよう。

四つのポジションとは「リーダー」「チャレンジャー」「ニッチャー」「フォロアー」に分類される。
各々の特徴は、「リーダー」はとにもかくにも「チャンピオン」であり、語弊を恐れずにあえて例えれば、その戦略は「強者故の“やりたい放題”」である。

特徴的な「打ち手(施策)」は第一に「需要創造」である。
例えば、ある程度の年齢を経た男性に多い“ED”。
「疾病啓発広告」といわれる手法は「こんな状態(具体的な状態は少々表記しづらいが)のあなたはEDかもしれません」と訴求する。
それなりの年齢の男性なら、思い当たる節が多い人も多いだろう。
そして「一度病院で相談を」となる。
そして、そこで「病状あり」と診断されると、その疾病に効く唯一、もしくはシェア・ナンバーワンの製薬会社の薬が処方される。
つまり、「需要創造」。市場を創り出していくのである。

さらに、リーダーの「戦略の定石」としてあげられるのが「同質化」だ。
子供っぽい、平たい言葉で言うなら「真似っこ」。
リーダー以外の企業がヒット商品を開発したら、余りある技術・開発力を総動員して同種の製品を上市。流通させて一気にシェアを奪う。
有名な例がある。
飲料の世界では門外漢であった某製薬メーカーの担当者が、ドクターが点滴に用いる「輸液」でのどの渇きを癒している姿を見た。そして、「あれ?これって飲料としてちょっと味などを調整すれば売れるんじゃないの?」と、上市した。
その飲料を真似て、さらに「スポーツ時の水分補給に」と売り出し、一気にシェアを取った。

そんな、ある意味、強大な力を持って「やりたい放題」をする、「リーダー」にいかに戦いを挑むのか。
まずは、「リーダー」に対して戦いを挑めるだけの力のある「チャレンジャー」の戦い方だ。
「戦略の定石」は何といっても「差別化」である。
差別化は、中途半端が最もよくない。
一般論ではあるが、日本企業は差別化、特に特定の相手に対する差別化がうまくないと言われる。
「比較広告」などは、生活者の反感を買うため自粛する傾向が多いとされている。
しかし、やるなら敢えて「徹底して」やればいい。

再び飲料業界の話。
リーダーである「コカ・コーラ」対チャレンジャー「ペプシ・コーラ」。
日本でもコマーシャル・フィルムでは放映された「ペプシ・チャレンジ」。
どちらが製品か明らかにされていないコップを街行く人に両方飲ませ、美味しいと思う方を指ささせる。そして「うゎー、ペプシだッたんだぁ〜」と被験者が言う。
余談であるが、米国で生まれたこのキャンペーンの発案者はジョン・スカーリー氏。その後アップルコンピュータのCEOに転身した人だ。

もう一つ。かつて大人気を博したラッパー、M.C.ハマーを起用した比較広告。
ステージ登場前にハマーが“赤い缶”のコークを飲んでしまい、ナゼかメロウなナンバー「フィーリング」を歌い始める。
そこで、舞台下から“青い缶”を渡す黒人少年。そして、ハマーは元気いっぱいにラップを奏でダンスを舞い踊る。
・・・ここまでの露骨な比較広告は日本ではなかなかやらない。やればいいのに。

さらにもう一つ。製品戦略について。
「ペプシ・キューカンバー」。飲んだ?
キューカンバーとはキュウリのこと。
コーラにフレーバーを加えるのは、チャレンジャーたるペプシのお家芸である。
レモンフレーバーを添加してヒットさせた例は有名だ。
が、“キュウリ”だ。飲んでみた。何とも言えない味。
強いていうなら、キュウリというより、欲張ってスイカを赤い部分を超して、白い部分まで食べた時のような味だ。
しかし、この味、意外と受けたのだ。広告などほとんどなしでインターネットを中心にかなり話題になり、なかなかのヒットになったという。
こんな商品、リーダーである「コカ・コーラ」が手を出しただろうか。
スイカの白い部分の味がするコーラ。かなり微妙な商品であることは間違いない。
が、ペプシはなぜ、こんな商品を上市したのか。
答えは「チャレンジャー」だからだろう。

チャレンジャーは常に「俺たちは違うんだ!」と言い続けることでリーダーに戦いを挑み、生き抜いていく。
リーダーと同じことをやっていたのでは「同質化」によってその存在を掻き消されてしまう。

「違うんだ!」と言い続ける。
しかも、その言い方はハンパではいけない。ハンパでは存在が掻き消されてしまう。
リーダー対チャレンジャーの戦いの定石である。

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2007.09.12

安倍という名の水舟の船頭、遂に舵を放す

しかし、結局あの人は何をしたかったのだろうか。

雑感。


「血の業(ごう)」という言葉が閃いた。
政治家の家系。
当然の如く頂点を目指すことを望まれる。
そして、それが為し遂げられた時、ふと思う。

「自らは何を為すべきか?」

一国の宰相がまさかそんな事はないだろうと考えるのが普通だが、
「美しい」とかの言動は今となっては、その怪しさが際立つ。


宰相は国の行く末を示す。
一個人は己の行く末を示す。

「俺はBIGになってやる!」
・・・はぁ?BIGって何?
同じだ。
・・・はぁ?美しいって何?

この「怪しさ」と「血の業」は様々な形で馬脚を表したが、血筋の良さで起用した「絆創膏」の顛末は何ともわかりやすい。


参院選で民意は示しめせたと思う。
が、まだまだ投票率は高くはない。いや、この政局からすれば低い。

各々の政治的信条や関心事は異なるのは当たり前。
が、この政局からすれば、衆院選がいつ起こっても不思議ではない。

政界のリーダー不在を嘆く声も大きい。
確かにヒーローはいないかもしれない。
しかし、この「日本丸」の舵は誰かが持たねばならぬ。
二度と「自分探し中」のような人に握らせたくはない。
であれば、各々の信条に従い、自らの一票を投じよう。

いずれの党が政権を獲るのか。
確かに関心事ではあるが、それよりも、この国の民がどのくらい真剣に将来を考えているのかが気に掛かる。
普段、新聞の政治欄などにはあまり注意を払わないだろう。
しかし、これからは目が離せなくなる。

今、この国は「水舟」だ。

「水舟」。それは、実際は沈んでいる。
しかし、「水舟」は自らの浮力でかろうじて水面に姿を表している。
ところが、誰かがそれに乗ればたちどころに水面下に沈む。

ちょっとした環境変化にも対応できなくなっている。

まして、次世代に何を継ごうというのか。
巨大なる赤字国債という借金。
搾取されるだけの年金。
他にも問題は山積だ。

この「水舟」の水を少しでも減らして完全なる沈没を回避する手だてを考え得る賢者か英雄の出現を望む。
そんな願いを口にしても凡夫の誹りを免れまい。
だがしかし、それを願って止まない。

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2007.09.11

マニュアル通りでは伝わらない!

ドラッグストアで買い物をした。
食品まで扱うスーパーマーケットのような大規模店だ。

市販薬に関するマーケティング事例の講義に使う実物を買い求める。


「領収書を下さい」。
自分で服用するわけではないので、領収書の発行を求めた。

「領収書はXXXとXXXがありますが」。
・・・わからない。早口にまくし立てられても聞き取れない。

「はぁ?」・・・聞き返すと、とたんに店員の眉間に皺がよる。
イライラした雰囲気を醸しながら、幾分ゆっくりと言い直してくれる。
「領収書は手書きタイプとレシートタイプがありますが」。

なるほど。
が、正直、どっちでもいい。

「どっちでもいいけど・・・」
あ、とたんにまた眉間の皺が深くなる。
慌て、「レシートタイプ!」と言う。

手のひらに押し付けるように、レジから出力・印字された領収書を渡される。
うーん、手書きかレシートタイプかより、きちんと宛名を書いてくれる事が重要なんだけど・・・。
たぶん、領収書の種別を客に告げ、聞き返されて眉間に皺を寄せたのは、(マニュアル通り)「きちんと伝えたのに、この客はなぜ理解しないの?」というところだろう。

しかし、領収書を所望する客にとって、何が大切なのかは教育されていないようだ。
宛名なしの領収書では自分で会社名を記入せざるをえない。
税務調査が入った時のことを思うと、小心者故、心配になる。


基本の徹底。応対の平準化。
マニュアルの効用は大きい。

だが、マニュアルだけでは伝わらないのが、顧客対応というものだろう。

当たり前な事であるが、「人と人」である。
定型的なマニュアルで解決できようはずもない。
また、接客の基本は「マニュアルの文言を諳じる」のではなく、「顧客の要望をきちんと聴きとること」にあると教育することが肝要だ。

「安さと品揃え」を誇るドラッグストア。
カウンター越しに来店客の相談に乗る、本来の薬剤師などは店内に1名ぐらいしかいない。
「セルフ」という店舗形態のため、店員は皆、接客よりも品だしなどに忙しく動いている。
なんだか馴染めない光景だ。

大規模ドラッグストアの相次ぐ進出におされて、年初に遂に閉店した駅前の昔ながらの薬局が懐かしく思い出された。

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2007.09.10

「ひらめき」に関する一考察

人はどんな時に「ひらめき」を感じるのだろうか。
コクヨが発表した“「ひらめき」に関する意識調査”から少し考えてみた。
いついかなる時でも「ひらめき」を得られるようになれば素晴らしいことだ。
また、その阻害要因を排除できるなら、それも有益であるだろう。

9月3日に発表された“柔軟な発想で新しい価値を思いつく「ひらめき」に関する意識調査”
の調査結果を少し整理する。
http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20355632,00.htm

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「ひらめきを感じるとうれしい」という質問に対し、「とてもあてはまる(33.2%)」と「ややあてはまる(51.2%)」を合わせ8割以上がひらめきをうれしいと回答した。また、「今後ひらめきは重要だとおもう」については「とてもあてはまる(30.5%)」、「ややあてはまる(53.4%)」でひらめきを重視する人が多いことが分かった。
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「ひらめき」は脳学者・茂木健一郎氏が”閃きや気づきの瞬間に「あっ!」と感じる体験”として紹介している”アハ体験”とも解釈できる。
そして茂木氏は”アハ体験は、脳を活性化する”とも言い、さらには”アハ体験とは、わかった瞬間に頭がよくなる体験”とも述べている。
同氏はテレビなどのメディアへの出演も盛んなので、その論は世間にかなり広まっていると思われ、ゲームソフトの「茂木健一郎博士監修 脳に快感 アハ体験!」は大ヒットだった。

「ひらめきを感じるとうれしい」に対する肯定的な回答は、”アハ体験”の世間での流行とも言うべき現象がバックグラウンドにあるとも考えられる。

まぁ、それはそれでいいだろう。確かに何かに「ひらめき」を感じることは嬉しいものだ。
その度に頭がよくなるかどうかはともかくとしても。

しかし、「ひらめきを感じる瞬間」の結果は少々気になる。

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ひらめいたのは「1人のとき(44.2%)」が多く、ひらめきやすい場所の上位は「布団・ベッドの中(29.7%)」 「お風呂(21.8%)」、「車の中(21.8%)」、などくつろぎの空間が多く上げられている。ひらめきやすい時については「何もしていないとき」や「寝る前」などひらめきやすい場所と同様のくつろぎの空間が挙げられている。一方、「誰かと話しているとき」は18.7%にとどまっている。
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「ひらめきにはくつろぎの時間と空間が必要」であり、「誰かと話しているような時」はひらめきを阻害するということになる。
本当にそうだろうか。

また、次の項目も気になる。

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最近ひらめいた経験が「ある」人は41.4%、そのうち年収1000万以上の高所得者層については平均より13ポイント高い54.5%となっている。
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「ひらめき」と所得に因果関係があるのだろうか。

「柔軟な発想で新しい価値を思いつく」という調査の前提があるので、「くつろぎの時間と空間」があれば、「ひらめき」が生まれ、「柔軟な発想で新しい価値を思いつく」ことによって収入も上がるような成果につながる・・・と解釈できるが、だとすると少々違和感を覚える。

以下、あくまで個人的な感覚だが賛同いただける部分はあるだろうか。

確かに、筆者も「布団の中」「風呂」「車(電車)の中」で何かを思いつくことが多い。しかし、それは「くつろいでいる」のではなく、常にいくつかの考えるべきテーマが頭にストックされており、何らかのきっかけで解が見つかるという感覚だ。
また、「1人のとき」は必須要件ではないように思える。むしろ、何か執筆などをしている時は、事務所の机で考え込んでウンウンと唸っていると、すぐに煮詰まる。そんな時は街に出て歩き回る。
何らか、「ひらめく」ためには外的な刺激が必要なように思う。

さらに、「誰かと話しているとき」にも筆者はひらめく。
人の話しの中からひらめいたり、自分が人に説明するため、頭を整理しながら話をしたりしている時にもひらめく。
講義・講演などで何度も同じ話をしている時でも、受講者の反応によって、「ああ、こういう理解をされたか。では、もっと別の説明のしかたを今回は追加でしなくては」とひらめき、さらに以前より分かりやすい内容に進化することもある。

「ひらめき」はただ漫然と「くつろいで」いるだけでは生まれないのではないだろうか。

・常に「ひらめき」のネタとなる、何らかの要素・情報を頭にストックしておくこと。
・積極的にそのネタ・情報に外的な刺激を加えること。
・「ひらめきのシッポ」とでもいうような、ひらめきの予兆のようなものを感じたら、さらに刺激を加え、瞬間的にそこに集中し、思考すること。

・・・そんなことが「ひらめく」ための個人的な方法論ではないかと、上記の調査結果をみて「ひらめいた」次第だ。
まぁ、ひらめいてもどうも年収にはあまり反映されていないのが現実だが・・・。

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2007.09.07

「台風首都圏上陸」のイベント感?

何の備えもなく自宅から遠い東京郊外に外出し、台風直撃の報を受けて翌日の要務に備え、幸にも宿が確保できた。
宿泊先でNHKを見ていると、ずっと「台風情報」だ。
刻々と台風の進路と各各地の状況が伝えられる。
久々の台風首都圏上陸。
不謹慎な見方かもしれないが、何だかメディアからは「イベント感」が漂っている。
少々、雑感を綴ってみたい。


民放はさすがに通常の放送を流しているが、ニュースは台風情報がかなり多い。
かねてから批判がある、台風の局地にキャスターを向かわせ、「キャスター:もう、凄い風で立っていられませーん!」「スタジオ:○○さん、気を付けてくださいね!」というやりとりがなされている。
批判の通り、そんな危険なところに無理にキャスターを立たせなくてもいいのにと思う。

・・・が、リアルタイムに映し出される各地の映像は迫力があり、「うわー、こんな状況になっているのか!」と驚きつつ、魅入られる。
宿泊場所は防音性もよく、全く台風を忘れさせる環境。
それだけに、ニュースが伝える「泊るところが見つかりません」という、帰宅不能に陥った人のコメントを気の毒に思いつつ、失礼ながら「いやー大変だなぁ」と、やはり他人事に思ってしまう。
スミマセン・・・。
何度もその人の映像が繰り返し映される。やはり、その不幸な方も、メディアの扱いは「災害イベントのコンテンツの一つ」にされている気がしてならない。

強風に煽られ、骨折した人のことが伝えられる。
「大怪我」という表現が使われているが、骨折という怪我の大変さは、昨年夏の自身の骨折・大怪我で身にしみて判る。
しかし、その大変さが判らない人が見れば、単なる台風情報の一つとなってしまうのだろう。
放送された一つの情報。伝わらないその後の本人の人生とその苦労。
日頃触れているメディのから受け取っている情報から、自分自身がいかに「その後」に思い至っていないかを改めて認識せられる。

しかし、一番気になったのはインタビューに答える人々の「安全意識」だ。
主要駅でのインタビューに答える人々の多くは「明日の通勤が心配です」と言っている。
確かに心配だろう。
明日の要務に備え、宿を確保できた身で言うのは不謹慎かもしれないが、「明日の通勤」は、「台風の直撃」という事態を無事乗り切れるという前提によるものだ。

日本の防災システムは進んでいる。
特に治水に関しては、徳川幕府の最優先事項であり、その甲斐あって「氾濫注意水位」など各種の指標に従って粛々と対応がなされている。
この記事を記している時点で、東京湾の24カ所ある水門が全て速やかに閉じられている。
江東区の辰巳水門の映像が繰り返し報じられる。
天井川、海抜ゼロ(マイナス)地域で幼少期からを過ごし、繰り返し浸水と戦ってきた先々代の姿が記憶に残る故、一機12メートルあるという水門は何とも力強く感じられる。

しかし、台風というものは激甚な被害をもたらす災害だ。
本来、「明日の通勤」を心配している場合ではない。
それだけ、防災システムが整った首都圏の環境に感謝せねばならないのだろう。
しかし、首都圏以外では台風は本当に激甚災害になる。
また、海外ではタイフーンによって多数の死者が出ることもある。
もっと危機意識を持ち続けるべきではないかと、自分自身も含めて思う。

だが、「災害」というと、やはり「地震」の方に関心が向く。
本当は同じことなのだ。
台風はゆっくりやってきて、その進路や被害が起きそうなことも予想がある程度できる。
しかし、やってくるものは避けられない。
やってきた時に、いかにぬかりなく、対応するかで被害が軽微で済むのか、激甚となるのかが分かれる。

地震は残念ながらほとんど予想ができない。
故に、よりその備えをしっかりしなくてはならないのだ。

台風が過ぎた後で「防災セット」を揃えるのも変な話だが、
ついつい、いい加減になり、あまり整備していない自宅の「防災セット」をもう一度見ないしてみようと思った台風上陸直前の夜であった。

(9月7日・午前0時15分・東京八王子にて記す)

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2007.09.06

「夏休み短縮のコンセプトは何?」

今年の夏はお盆にしっかりバカンスを楽しんだ。
その分、8月末納品の仕事に追われ、最終週はさながら夏休みの宿題に追われる小学生のようだと思っていたら、世間の様子が変わっていた。
筆者の地元は東京23区中、小学生の学力が下位にあるとかで、子供たちは夏休みも最終週を返上。9月の声を聞く前に登校する列があった。

確かに秋の訪れが早い北国や、農繁期に秋休みがあるという風習が残る地方があるのは昔からのことだが、それ以外はほぼ全国的に新学期は9月からだったはずだ。
まだ暑さは残るものの、「9月」という響きはイコール、「新学期」であり、過ぎ去った夏休みを思いどこかもの悲しくも、身の引き締まる思いをした覚えがある。
8月の新学期はやはりどこか違和感がある。

そんなことを思っていたら、やはり同様の感想を持った方がいたようだ。
9月4日の日経夕刊・一面コラム「あすへの話題」。「夏休みの短縮」というタイトルで、作家の柴田翔さんが書かれていた。
<夏休みも教育再生会議の提言で、削減の方向にあるらしい。><しかし、単純に授業時間を増やせば、それだけで学力が強化されるものなのだろうか>と疑問を呈しておられる。

子供の学力低下が問題となり、「ゆとり教育」の見直し論が強まっている。
それに呼応して授業時間を増やすということは、一つの選択肢として考えられることではある。

しかし、柴田さんが<しかし、単純に授業時間を増やせば、それだけで学力が強化されるものなのだろうか>と記されているように、授業時間を増加させ、その時間をどのように使おうというのか。
授業時間増加が一つの改革であるというのであれば、この改革にはどうも目鼻がはっきりしていな気がする。

「栄養が足りない。どんどん食べ物を食え。」では大雑把というものだ。食の細い子供は食べられる量は限られている。
何の栄養が足りず、その結果どんな影響が出ているのか。必要な栄養素は何か。それはどのような食品をどのような調理によって食べさせれば効果的なのか。

増やした授業時間をどう使うかも、そのような精緻な設計がなされているのだろうか。
小学校高学年に英語科目を導入しようという論が、一方でいまだに存続していることも気になる。
「読解力の低下」という明らかに不足している栄養素が分かっているのに、「英語」という新たな栄養素を摂取させようという動き。
何やらちぐはぐな感が否めない。
筆者は以前から「英語ではなく、国語だろう!」と唱え続けている者でもある。


マーケティングの要諦の一つとして、「コンセプトの明確化」というものがある。
「誰が」「どこで」「どんな時に」「どうすれば」「どんな便益が得られるのか」。言ってみれば簡単なことだが、目鼻がしっかりしていない商品は、実はこれらのポイントが明確ではない。
「小学生が」「学校で」「夏休みを1週間返上して」「授業時間を増やせば」「学力が向上する」。

ホントか?
どうにも「どんな時に」「どうすれば」「どんな便益が得られるのか」の部分が大雑把ではないか?
大体こんな大雑把な商品は売れないのだ。

教育改革に関しては専門外ではあるが、どうにもこの違和感は看過できず、また同様な意見が記されたコラムを見て今回筆を執った。
もう少し詳細に調べて見つつ、今後もウオッチしていきたい問題だ。

英国のブレア前首相が大人気で就任した時のスピーチが思い出される。
「この国の改革で大事なことは3つある。1つ目が教育で、2つ目が教育。3つ目が教育だ」。
日本にも数多の問題があるが、教育はその中でも最優先事項の一つであることは間違いない。

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2007.09.05

温暖化対策にもマーケティングの視点を

「ネクタイを外してオフィスの室温を28℃に」。・・・特別に暑かった今年の夏、多くの人がネクタイを外した。
しかし、室温は? クールビズ、何やら掛け声だけになっていないだろうか。

日経BizPlusの連載・ニッポン万華鏡(カレイドスコープ)が更新されました。

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/kanamori.cfm

今回は日本最高気温の40.9℃が記録された日に書いた記事をさらに拡大して、
環境問題全般について考えてみました。

では、ご覧ください。


----------------<以下転載>---------------------


「温暖化対策にもマーケティングの視点を」


 岐阜の多治見市と埼玉の熊谷市で国内最高気温の“40.9℃”を記録した8月16日。筆者の事務所横、サラリーマンの街頭インタビューでおなじみの新橋SL広場の寒暖計は38℃を指していた。灼熱の広場をクライアントとの打ち合わせに向かうため、スーツを着てネクタイを締めて歩く。やはり人から奇異な目で見られる。そりゃそうだ。暑すぎる。


■クールビズ普及の原動力が「耐え難い暑さ」では・・・


 梅雨明けから一転して猛暑となった今年の夏。流通各社も例年の夏物セールの時期を遅らせてもう一稼ぎを目論んだ。内閣府が7月に調査し、8月上旬に発表したクールビズに関する調査では、賛成83.5%に対し、実践派は46.6%にとどまったが、梅雨明けが遅れた7月の調査結果は当てにならない。筆者は新橋だけでなく、ネクタイ・スーツ族のメッカ、丸の内界隈ものぞいてみたが、お盆休みでいくぶん閑散としたオフィス街でも、ネクタイ姿はまばら。多く見積もっても全体の3割というところか。


 環境省が鉦(かね)や太鼓で呼びかけてもなかなか弾みがつかなかったのに、猛暑一発で状況が変わるとは、やはり人間は生理的欲求の支配が強いということだろうか。しかし、暑いからネクタイを外す、では、暑さが収まればまた元通りだ。第一、クールビズの主旨はネクタイを外すことではない。温暖化防止のための消費エネルギー抑制策として、オフィスの室温を28℃以上に設定しようというもの。ともすれば本来の意味が忘れられがちであることは否めない。ネクタイを外し、さらに冷房でヒエヒエ感を満喫しているようでは、全く意味がないのだ。


■「社会的手抜き」をいかに防ぐか


 人はその性として「社会的手抜き(social loafing)」を行ってしまう。これは、「集団の人数が増えれば増えるほど、一人ひとりは本気を出さなくなっていく」という現象を言う。例えば学校で体育マットを何人かで運んでいる時、一人二人、こっそり力を抜いている人間がいるという状態。または、運動会の綱引きの時、全員が渾身の力を振り絞っているかというと、実はさほど本気を出さない人間も混じっているというケース。心当たりはないだろうか。


 環境問題で言えば、「北極の氷がかつてないスピードで消滅していることが示すように、このままでは地球環境が大変なことになる」と叫ばれている。正論だ。しかし、大変だと思いつつも、多くの人はイマイチ自分自身の問題として実感がわかない。正直なところ、ネクタイを外したくらいでは室温28℃は快適とはほど遠い。温度設定が自由になる部屋ではつい、エアコンの温度を下げてしまう人も少なくないだろう。


 人の気持ちを読み、どうしたら具体的な行動を促すことができるかを考えるのはマーケティングの基本であるが、同じことは企業のマネジメントや行政にも言える。社会的手抜きは、各自の責任や貢献度が、本人にも周りからも、分かりにくいために起こると言われている。


 ビジネスシーンに例えれば、営業担当者に日々、営業日報を入力しろと言っても、実行する人間は少ない。「個々の担当者が入力を怠ると業績見通しが狂い、全社的な判断を誤りかねない」と言われても、「自分がしなくても、他の誰かがやるだろう」「自分がやっても、結果は大して変わらないだろう」という心理が働くからだ。


 営業日報の入力率を高めるポイントは、担当者が入力・公開することで上司から適切なアドバイスや同僚から有益な情報をもらうことができる、セールスチャンスをモノにできる、機会損失を起こさない、などの個々人の得るベネフィットを具体的に理解させ、成功の実体験をさせることにある。そうすることでモチベーションの向上が図られ、日常的に励行されるようになるのである。


■ベネフィットを明確にし、成功体験を積ませる


 環境問題も同様だ。頭では「何かしなくては」という気持ちを持っていても、現実にはどの程度の効果があるのか見えにくいし、手間や我慢を伴うことも多い。人は易きに流れるものだ。こうした人々の背中を押すためには、いかに取り組みやすく、効果も見えやすくするか、といった一工夫がポイントになる。


 現在、ボルヴィックのソーシャルキャンペーンである「1L for 10L」が展開されている。「ボルヴィックお買い上げ1リットル当たり、10リットルの清潔で安全な水がアフリカの井戸から供給される」という仕組みであるが、これなら手間がかからないし、自らの貢献を定量的に確認でき、励みになる。


 単純なモチベーション喚起の方法としては、インセンティブの付与もある。連泊の際、タオルやシーツをそのまま使い続けることを呼びかけるホテルが増えている。洗濯による環境負荷軽減だそうだ。普段自宅でも頻繁に洗濯しているので、つい交換を頼んでしまう。だが、あるホテルでは交換を我慢すると、土産物コーナーで使える金券を配布したところ、好評で多くの宿泊者が協力したという。


 ある企業では「便座のふたを閉めると電気代が節約され、年間14,000キロリットルの温暖化ガスの削減と、800,000円の省エネが図れます」というステッカーがトイレに掲出してあった。残念ながら過半のふたは開放されていたが、試しに削減額をわずかであっても社員に配分してみてはどうか。それがどう変化するのか。まずは、数字などを用いその効用を具体的にすること。そしてそれが本人にとって何をもたらすのかを実感させることが肝要だ。


 インセンティブの付与だけでなく、スタイルとしての確立に成功している例は、スターバックスなどの「タンブラー持参」だろう。店の使い捨て容器を使用せず、タンブラーを購入し、持参すればドリンクが多少割り引かれる。しかし、利用者は割引だけが目的ではなく、カスタマイズもできるタンブラーのオシャレさや、持参し、環境負荷軽減に寄与しているという自負心が大きく作用していると言えよう。レジ袋削減のための、いわゆる「エコバック」も、最近は随分オシャレになってきた。街で持ち歩いても違和感のないデザインが、エコバッグ持参派のすそ野拡大に一役買っている。


 温暖化対策はもはや一刻を争う。しかし、「2050年までに温暖化ガスを半減」のような大きな目標を立てても、そのための仕組みが具体的でなければ、達成は望めない。環境対策では、まだ個人にひたすら我慢や手間を求めるアプローチも目立つ。7月7日に世界7大都市で同時開催された、地球温暖化防止を訴えたコンサート「LIVE EARTH」では、「小さなこと、できることから始めよう」というメッセージが繰り返されていた。異常気象が多発し、環境問題への関心が高まった今年の夏。どうしたら「社会的手抜き」を克服し実際の行動につなげることができるか、マーケティングの視点からも洗い直し、さらにきめ細かく対応していくことが必要だ。

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2007.09.04

「search」とは「ぐるぐると動き回ること」なり

検索という言葉が一般化し、ビジネスだけでなく生活の中にも溶け込んできたのは、パソコンの普及と携帯電話のインターネット機能の進化によるところが大きい。
ビジネスで何か分からないことがあれば、すぐに「検索」。
日々の暮らしでも、ちょっとしたことを調べるのにも、携帯で「検索」。

先日、「アナログ探索によって時空を超える」という記事を書いた後、ふと「検索」や「探索」、「search」という言葉を辞書で調べてみると面白いことがわかった。

【search/「ぐるぐると動き回る」が原義】:ジーニアス英和辞典

なるほど。
元来、「ぐるぐると動き回る」という足を使い、それなりに苦労を伴う行為を今日はコンピュータの検索エンジンを使役して代替していることとなる。
その苦労から開放されているが故か、人はいとも簡単に「検索」をして、答えを導き出す。

各種の論文やレポートにおいて、インターネット上の論説を引用する問題が指摘されているが、事実、残念なことに学生から提出されるレポートも年々ネットからのコピー&ペーストの比率が高まっている。
冒頭に記したとおり、searchとは元来、「ぐるぐると動き回ること」を意味するようだ。
易きに流れず、必要苦労はせねばならない。
【search/「ぐるぐると動き回る」が原義】。
これは自戒の意味も込めて覚えておきたいことだ。


また、search=「検索」と訳されるが、同義語には「探索」もある。そして微妙にニュアンスが異なる。
広辞苑 第五版によると以下の通り。

【検索】文書やデータの中から、必要な事項をさがし出すこと。
【探索】さぐりもとめること。さがしたずねること。

意味合いとしては「探索」の方が、自ら「探す」という意志の強さを感じられないだろうか。
PCや携帯で「検索」ボタン一発で答えが返ってくる気軽さにはない、searchの原義である「ぐるぐると動き回ること」が想起される。


また「探し求めること」を意味する「索」の文字は、「思索」にも使われる。
「思索」とは「物事のすじみちを立てて深く考え進むこと」である。


インターネットを「検索」して、フムフムなるほどと思う。機械的にコピー&ペーストする。
そうではなく、自らの意思を持って「探索」し、そこから深く「思索」することも必要なのだ。
便利さは怠惰を生む。
目的意識の喪失と怠惰は進歩を生まない。


高度に発達した文明を持つも、目的意識を失い、怠惰に暮らすが故に滅亡の危機に瀕する星と、その星を救おうとする小学生の活躍を描いた小学生向けの図書。
娘が読書感想文を書くために読んでいた本、「ヌルロン星人をすくえ! 」を思い出してしまった。

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2007.09.03

こんなにイイのにナゼ売れないの?

「こんなにイイのにナゼ売れないの?」という思い、恐らく商品やサービスを開発した方なら一度や二度は経験されている「心の叫び」ではないだろうか。
しかし、「売れない」理由はある程度古典的なフレームワークで説明できる。


9月1日深夜、出張先のホテルでテレビをつけると、ワールドビジネスサテライトをやっていた。
慌ててメモを取ったので少々間違っているかもしれないが、「フマキラー・ベープマット」が「キンチョー・蚊取り線香」を凌駕するまでの話であった。

番組の要点をかいつまむと以下の通り。
・フマキラーは噴霧式殺虫剤ではトップシェア。
・しかし、除虫菊由来の「キンチョー・蚊取り線香」は就寝時の防虫剤として確たるポジションを築いている。
・そのポジションを逆転すべく、化合物がフマキラーで開発された。
・ポイントは蚊取り線香は6時間しか燃焼時間が持たないが、化合物は加温の工夫さえすれば8時間持つ。
・2時間の差は、蚊の主たる活動時間である、「宵の口」と「明け方」の主に明け方に効果を発揮する。燃焼型6時間では早朝の蚊の猛攻は防げない。
・技術的問題を克服し、満を持して「電気式蚊取り器」を上市したフマキラー。

・・・が、全く売れなかった。

さて、番組をご覧になっていない方は、一旦ここで考えていただきたい。
「ナゼ売れなかったのか?」


番組では、フマキラーがいかな工夫によって「売れる」しくみを作ったかを紹介していた。
答えはこうだ。

フマキラーは「蚊取り線香」は煙が立ち上ることで、幼児のいる家庭にとっては使いにくいだろうと考えたが、「無煙」「無臭」は逆に「効く気がしない」と判断されたのではないか、と分析した。

実に正解なのだ。


ここからは、古典的なフレームワークに従って解説しよう。

E..M.ロジャースの「イノベーション普及学」。
残念ながら、本書は邦訳は絶版となっており、古書もプレミアがついて非常に効果になってしまっている。
同書で述べられている、「イノベーター論」や「普及曲線(S字曲線)」はマーケティングの各種入門書にも(解釈の間違いが多々あるが)紹介されているものの、「イノベーション普及速度」という理論が記されている例は少ない。


「イノベーション普及速度」とは以下の5つの要件を指す。

1.相対優位性…今まで使っていたものと比べ、いかに優れているかが分かりやすいこと。

2.両立性…当面は今まで使っていたものを捨てることなく、両立できること。

3.複雑性…理解できないほどの複雑性を持っていないこと。逆に当たり前に見えすぎない程度に複雑であること。そのバランス。

4.試行可能性…とりあえず、本格的な導入の前にプロトタイプやデモなどで効果を認識できること。自ら触ってみることができること。

5.観察可能性…目に見えない効果ではなく、明らかに効率が上がるもしくは質が向上するなどの効果が観察・実感できること。

従来の燃焼式蚊取り線香に比べ、「ベープマット」は安全性と、燃焼時間。煙が出ないという点において、明らかな優位性があった。
にもかかわらず、全く売れなかった。
「こんなにイイのにナゼ売れないの?」という思いでいっぱいだっただろう。


ロジャースの論で考えてみる。

1.相対優位性…「2時間長く持って、明け方の蚊の猛攻も防げます」「煙が出なく幼児がいても安心です。辛くありません」「火を使わないので安全です」。確かに、その訴求されている内容は分かるだろう。

2.両立性…「蚊取り線香」を使っている家庭は、併用することはできる。この点も問題はないだろう。

3.複雑性…「化合物を使っている」などの説明はある程度、「ほう、そうか」という感じだろう。しかし、「だから何?」とう思いも生活者には大きかっただろう。「複雑性」をきちんとアピールするのは難しく、カンタンに伝えすぎてはありがたみがない。ここで勝負をかけるのは難しそうだ。

4.試行可能性…確かに「お試し」というプロモーションはなかったのだろう。しかし、さほど高い価格設定で上市していないはずで、明らかに蚊取り線香のシェアを奪取すべく、価格設定は「ペネトレーション」つまり利益率よりも短期でのシェア獲得を目指した低価格戦略を展開したと思われる。とすると、試行的に購入はなされても、肝心の「マット」の継続購入がなかったのが問題と考えられる。

5.観察可能性…さて、最大の問題はここである。当初発売された「マット」は電気で加熱しても無臭だったという。また、使用前、使用後の形態に変化はなかった。確かに「明け方の蚊に刺されない」という効用はあったかもしれないが、実際に刺されていたとしても明確にそれが明け方のものなのかは分からない。


上記「ベープマット」のケースは、フレームワークをロジャースが発表した前なので、フマキラーはこれに則ったわけではないが、見事な解決策が番組で紹介された。


解決策は以下の通り。

・本来無臭のマットに、加温した際に発するような臭いをつけた。

・マットに青い色をつけ、使用後にはそれが白くなるようにした。(蚊取り線香の燃えかすをイメージか?)


つまり、「観察可能性」に最大の問題があるとフマキラーは見抜き、「効いていると思えるように臭いをつける」「使った結果(落ちている蚊の姿)はマットが頑張った成果だと認識できるよう、使用後のマットが白く燃え尽きたようにする」という改良を加えたのだ。


今回ご紹介したワールドビジネスサテライトが取り上げた、「フマキラー・ベープマット」の事例は上記の通り、「観察可能性」に問題があり、その部分を克服することで、「線香」から「電気式マット」へというイノベーションに成功したわけである。
しかし、我々のビジネスにおいて、「こんなにイイのにナゼ売れないの?」というケースは多々あるだろう。

前述の通り、E..M.ロジャースの「イノベーション普及学」の正しい解釈は少ない。
また、「イノベーション普及速度」というフレームワークは忘れられて久しいのではないだろうか。

自らの製品・サービスの普及に疑問符が点灯した時、是非とも思い出し、活用して欲しいと思う。

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