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2007.08.02

言葉の劣化を食い止めよう!

7月31日日経新聞夕刊一面「あすへの話題」。作家の柴田翔さんが「言葉の変化のよしあし」と題して気になるコラムを記されていた。
<知人の言語学者が「自分の世代ではない言語を憎む心情」が近頃はびこっているという>と。ところがその言語学者は<変化のいい悪いは自分の管轄外>だという。作家の柴田さんとしては<言葉を書くことで暮らしている自分としてはそうもいっていられない>とのことだ。そりゃそうだろう。
そして、”変化”の具体例として新聞記事から2点を挙げ、事故を起こした「運転手」という表記が<運転が職業なら運転手、たまたま運転しているのなら運転者><その区別が消えつつある>と。同じく<銃による殺害を意味する射殺と、銃による処刑を意味する銃殺を使い分けない文章も増えている>とし、<これらは悪い変化>と指摘している。
そして最後に、<事柄の違いをいい加減にして、人間の認識や感情を単純化して行く変化は、言葉と心を貧しくする>と述べられている。

このコラムを読んだ時、実に悪寒にも似た感覚に襲われた。何度か当Blogで指摘している「世の中の箍の緩み」の原因の一端を見た気がしたからだ。
知人の言語学者の語った「自分の世代ではない言語を憎む心情」などは別段問題ではないと思う。言葉の変化も含め、後の世代の変化に対する反感は、具体的な書名は失念したが、平安の日記文学にも登場する。現代語で言うなら「近頃の若いモンは」という類の記述だ。
怖いのは柴田さんが最後に記されている<事柄の違いをいい加減にして、人間の認識や感情を単純化して行く変化は、言葉と心を貧しくする>という行だ。これも何度も当Blogで述べてきたが、「コミュニケーションとは”共有”」なのである。何か相互に会話をする。言語を投げかけ合うことがコミュニケーションではない。相互に確かに共有ができる。乃至は共有したもの(目に見えるか否かは別として)が残った状態がコミュニケーションの成立なのである。
柴田さんの指摘はまさに「コミュニケーションが取れていない今日の社会」を表し、その原因を「言葉の悪い変化」にあると看破しているのである。

「知人の言語学者」は「管轄外」と言ったそうであるが、そんなことでは困る。作家として柴田さんはこの問題を提起されたのであるが、多少なりとも「言葉」に関わる者、コミュニケーションといわれるものに携わる者は、この「悪い変化」にどこかで歯止めをかけなければならない。そう感じるからこそ、この一介のマーケターも何度もBlogで叫んでいるのである。
思考は言語によって形成され、行動は思考の結果として表れる。言語を操る動物である人間にとって、言葉はその行動を決める重要な役割を担っているのだ。それが曖昧でいいわけがない。
例えば先の「射殺」と「銃殺」。曖昧になれば、それが悪しき行為なのか、断罪なのか、全く逆のことが同列に扱われることになる。米国などで相次ぐ銃乱射事件。多くの犯人は罪の意識を感じていない。その行為を「銃殺」と表現したら、是認したことになるだろう。あまつさえ、米語では学校で銃を乱射する者を称して”schoolshooter”などと一般名詞化しているのだ。”shooter”は”射手”である。その撃った先には無辜の学生・生徒がいることを表しもしていない。日本語も放っておけばこんな悪変化、劣化を起こすことになるだろう。
「言葉は世につれ」は致し方ない。しかし、世の人々がその意味を正しく共有できる変化でなければ、それを食い止めなくてはならないことを強く言いたい。

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