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2007.07.05

人を感動させるには

「人を感動させるには、まず自らが感動しなくてはならない」。
この言葉は、「落ち穂拾い」や「晩鐘」で有名な画家、ミレーの言葉である。
実は、金森がこの言葉に出会ったのは、小学校の道徳の教科書。巻頭の言葉であった。以来、ずっと記憶している。

なぜ、またこの言葉を思い出したかというと、先日の大学での講義後、学生と会話した内容からだ。
金森はマーケティングの要諦として「顧客視点の重要性」を一貫して訴えている。
しかし、デザイナーを目指しているという学生は「人の意見を聞いていても、当たり前な話ばかりで、結局ちっともいいデザインにならない。結局は人も思いつかないような自らの発想力を頼りに、人が驚くようなデザインを仕上げるしかない」と力説していた。
よく似た話で、たたき上げの経営者も「結局は客の話に耳を傾けても、”安く””もっといい物”と勝手なことしか言わず、参考にならない。所詮自らの”勘と経験”の勝負なのだ」という。

まずここで問題なのは、昨日記した「DAKARA」の例のように、「人(顧客)の話を聞く」と言ってもどのレベルで「きちんと聞いているのか」である。件の例のように、通り一遍の定量調査と詳細な日記形式の定性調査では、実に結果が180度異なっていた。また、実際のユーザーに張り付いたり、販売現場で生活者に密着することで今まで見えていなかった、顧客となる生活者の真の姿が見えてきた。
通り一遍の「お客様アンケート」や「座談会」などで、「ちょっと話を聞く」程度で、新たな発見があれば苦労しない。
月並みな言葉であるが「聞く」のではなく「傾聴」。さらに「聴き出す」。さらに「自らも体験する」。そこまでの努力をして、まだ「価値はない」と言えるのだろうか。

次に、自分が創り出そうとしているモノ。または売ろうとしているモノ。そもそもなぜ、それを「創ろう」「売ろう」としているのか。ここで冒頭のミレーの言葉を思い出して欲しい。
画家は、恐らく自らの琴線に触れた光景に出会い、何とかその風景をキャンバスに切り取り残したいという「渇望感」に突き動かされて絵筆を振るったに違いない。まず、自らが感動して、その感動を形に残そうという思いがある。そして出来上がった作品が人にも感動を与える。
「商売」とは狭義には「利益を得るために品物を売り買いすること」である。しかし、利益だけを考えていてはうまくいかないことは自明の理である。
物作りであれば、まずはそのモノを作り上げたいという自らの強い思いがあり、そしてそれが生活者にどのように受入れられるのかという、DAKARAの例のような詳細な対話を経て、自らと生活者が協創していくということが肝要ではないか。
モノを売るということに関しても同様だ。何故自分はそれを売りたいのか。売ることによって生活者は何をもたらされるのか。売る側の強い思いが」明確にあり、それが買う側にどのように受入れられるのかを同様に対話の中から探っていくことが大切なのだ。

昨今、事件となっているいい加減な物作りや商売。どう考えても作る側、売る側の「思い」の存在は感じられない。また、生活者の言葉など聞く耳もない。
結局、物作りも商売も、ミレーが言うような、まず主体の強い思いがあり、それが伝わっていくことになるはずだ。
自らの思いと、受入れるが側の気持ちを聴き出し、その間を何度も行きつ戻りつして、よいモノや商売の形態が作られていくのは間違いない。
一刻も早く、全ての物作りと商売が、その原点に回帰してもらいたいものだ。

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