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19 posts from June 2007

2007.06.30

orz?

Orz
気まぐれに、久々の土曜日アップをしてみる。
面白いグッズを発見したからだ。
ネット上、特にSNSや掲示板で orz という記号を見た人は多いだろう。
もはやその意味は随分と有名になったが、知らない人には訳がわからない。
以下「はてはダイヤリー」の記述より抜粋・加筆。
アスキーアート(パソコン・携帯電話などの文字を使い作成された絵)の一種。
一部ではその様子から「失意体前屈」と呼ばれている。
時々「オアズ」「オルツ」と呼ばれることもあり、主として落胆した様を表す。
「ガックリ」の意。

 ○| ̄|_ ←これが基本形。 アルファベットで似た形 orz (またはort)と省略されることが多くなってきた。

で、写真はゲームセンターのクレーンゲームの景品。
「orz ashtray」と書いてある。うーん、タバコは吸わないけどちょっと欲しいかも。
パッケージをみると「AIRYUSHYA」と書いてある。
試しに検索してみる。
・・・出た!「愛龍社」だそうで、陶器製のグッズメーカーだ。
http://www.airyusha.com/top/top.html

通販もあるようだが、残念ながらorz灰皿は置いていない。本業は企業向けのようだ。
以前、このBlogで「プレミア品」について少し書いたが、キャンペーン商品などに使えそうなモノも多い。
セールスプロモーション担当の方、どうでしょうか。

と、まぁ、今日はSPに使えそうな面白グッズのご紹介まで。


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2007.06.29

街角の風景

金曜日はまた、少し軽めに、久々のタウン・ウォッチものなど。

■クールビズ・・・
中々、本格的にならない梅雨はふと気付けば7月もすぐそこだ。
しかし雨が降らなくとも湿度は高く、日中大気がはらんだ熱気は街中から消える気配もない。
ねっとりとしたゼリーのような大気の中を泳ぐように街を歩く。
ふと足を止めて、街の人々の姿を眺めると、数年前から随分と様子が変わったことに気付く。
女性の服装の流行は変化が激しいので、変わるのが当たり前だが、男性だ。
もう夜なので、業務終了後に単に外しただけかもしれないが、ネクタイを首から提げ、
暑そうにしている人がほとんど見あたらない。
クールビズのお手本のような着こなしの人もいる。この場所は有楽町と丸の内の間あたり。
割と堅めの勤め人が多い地域だろうに、かなりラフな感じの姿も混じる。
クールビズが提唱された2005年に私は「クールビズは定着しない」と予言し、大外しした。
うーん、しっかり定着しているじゃないですか。
当たり前だな。暑いんだもん。
総理大臣がどうにもイケテいない、お手本にもならない着こなしを披露する必要なんてもうないだろう。
そんなことをしている暇があれば、温暖化ガス排出削減目標のマイナス6%を大きく上回る、
自らの支持率のマイナス幅を心配するがいい。
まぁ、何をやってもかえって裏目に出る、バッドスパイラルからは抜け出せないだろうけど。

■フリーペーパーに負けるな!
久々に「THE BIG ISSUE」の販売員を街角で見つけ、200円也で購入する。表紙はジョニー・デップだ。ちょっと嬉しい。
「THE BIG ISSUE」はタイトルにも「ホームレスの仕事をつくり自立を支援する」とあるように、ホームレスの人に雑誌を販売委託し、「頑張って販売すれば自力で生活できる」というしくみを提供するものだ。
http://www.bigissue.jp/
事務局にかつて電話取材をし、フリーペーパーの影響はないかと尋ねたが、大きな影響はないとのことであった。
しかし、どうも最近、販売員の数も少し減っているように感じるし、実際購入している人の姿もあまり見なくなったのは気のせいだろうか。
200円という価格としては、確かにこの号は目玉であろうジョニー・デップのインタビューも2ページあって目を惹く。他のコラムなども一般の雑誌と比べてひと味違い中々よい。しかし、何といってもボリューム感が乏しいのは否めない。200円のうち、販売員は90円でこの雑誌を仕入れ、110円を収入とする。90円で作れるものとしてはむしろ上出来だと言える。
しかし、この日はフリーペーパー「クーポンランド」の配布日であった。大量の配布要員を投入し、誰彼構わず配りまくる体制に押され、BIG ISSUEの販売員の存在は掻き消されがちである。
だがしかし、タダで配られ、読み捨てられるフリーペーパーとはその存在意義は大きく違う。
理想を掲げ、少ない原資で雑誌を作る事務局。自らの復活をかけ懸命に販売するホームレス。それを200円という費用をかけて購入する理解者。この循環構造が何とか維持・拡大することを願って止まない。
タダ(フリー)にはタダなりの価値もあろう。
しかし、薄い雑誌、200円という対価という目に見えるもの以上の価値がここには存在しているはずだ。
販売員には厳しいルールが設定されており、非常に礼儀正しい。購入に対するお礼もさわやかだ。
次号は7月1日発売だそうだ。是非一度、200円という価値以上のものを確かめてみていただきたい。

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2007.06.28

「営業冥利」はザイアンス効果の勝利

前職の部下が某SNSで「営業冥利だ。万歳!」と題する日記を掲出していた。
彼は転職し、現在「炎の営業マン」と化し、大手百貨店に商材を扱ってもらうべくラッシュをかけていたようだ。
その努力が報われ、嬉しそうに綴られた日記からは男泣きする姿が想像でき、心温まる。

彼自身によれば、「週一で、ちょっとだけでも顔を出した」「自分のキャラも幸いした」と勝因分析をしている。
「何だ、足で稼ぐ古くさい営業スタイルかよ」とばかにするなかれ。それは心理学的実験でも証明されている、
努力を元にした成功すべくして成功した結果なのである。
それは以下のような実験とそこから導き出された法則だ。

心理学者のロバート・ザイアンス(Robert Boleslaw Zajonc 1923年~)は1965年にある実験を行い、
「ザイアンスの法則」を導き出した。ザイアンスの実験とは以下のようなものだ。

実験は、大学の卒業アルバムの中から12人の写真を抜き取り、被験者である大学生には「視覚による記憶の実験」と称して行った。(実際の実験意図は伏せられている)。
被験者に12枚の写真を2秒間隔で見せていく。見せる順番と回数は実験者の任意であり、1回だけの写真も、何回も提示される写真もある。
1種類の写真が提示される回数は1回、2回、5回、10回、25回として、被験者が全ての写真を提示されたあと、再び12枚の写真を見せ、その好感度を評価させた。
すると、25回見せた写真に一番好感を持つという結果となった。
これによって、見た回数が多くなる=接触回数が多くなるということが、好感度を向上させる作用を持つと解釈された。

このことから、ザイアンスはさらに以下のような結論を導いている。
1.人は知らない人には、攻撃的、批判的、冷淡に対応する。
2.人は会えば会うほど好意を持つ。
3.人は相手の人間的側面を知ったときに好意を持つ。

この「ザイアンスの法則」は「単純接触効果」とも呼ばれ、「足で稼ぐ営業というものも、実は理に適っているのだよ」と営業の世界ではよく使われる話である。
「営業冥利」を感じている彼の場合、自身の勝因分析通り、「週一で、ちょっとだけでも顔を出した」は「人は会えば会うほど好意を持つ」に、「自分のキャラも幸いした」は「人は相手の人間的側面を知ったときに好意を持つ」に符合している。

まぁ、小難しいことはさておき、彼の成功に喝采を贈りたい。これからも頑張ってね!

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2007.06.27

本質的価値を突き詰めよう!

金森の前職での同僚で、独立は少し先輩のマーケターであるシャープマインドの松尾さん。「デーリーBlog」と名付け、メルマガとBlogの形式で本当に毎日更新をし、メルマガはついに昨日400号であった。
金森も、今年の1~2月頃、忙しさに負けてBlogの更新を怠ったら、如実にアクセスが急落し、以来心を入れ替えて毎日更新をしているが、400回連続とは本当に頭が下がる。
「毎日更新はアクセスアップの秘訣だ」とのアドバイスを彼にもらってから、金森も励行するようになり、おかげさまでアクセスはどんどん右肩上がりになっている。ありがたいことだ。
と、彼の400号記念にエールを送りつつ、「ボールパークのセンターピン」と題されたその号がとてもタイムリーな話題であったため、ちょっとリンクしてみる。

「ボールパーク」とは野球場のこと。
「センターピン」とは「成功のカギ」だそうで、「KSF(Key Success Factor)」と同義だろう。
で、野球場が繁盛する鍵は、「混んでいること」だそうだ。
そのため、メジャーリーグの各球団は、球場の観客収容数を減らし、賑わいを演出し成功したと言うことが紹介されている。(詳しくは上記リンクで同Blogへ)

上記の記事を見て、ちょうど先週、某プロ野球の球場を運営する方々と議論した内容を思い出した。
テーマは、「野球場の”本質的価値”とは何なのか」という事だった。
フィリップコトラーの製品特性3層モデルで単純に考えれば、「中核」は「野球をみせること」であり、「実体」は「各種球場設備の利便性・快適性」。「付随機能」は「球場内での飲食施設や各種ファンサービス」となる。
しかし、その球場は地方であり、地元密着型だ。だとすれば、前述のような単純な解釈でよいのだろうかということになり、「自分たちが顧客に提供している”本質的な価値”は何なのか」を深く追求してみることになった。

特に地元に密着した球団・球場である。来場者はただ「野球を観に来る」のだろうか。
答えは否だ。「野球を見ながら選手や球団、他の観客、球場との連帯感、一体感、高揚感を味わいに来ている」のだと結論づけた。「本質的な価値」がわかれば、顧客に提供すべきものや勝負のしどころが明確になる。
コトラーの3層モデルの2層目である、球場のハードはとにかく「選手・観客、相互の一体感」が高まる設計になっているかを再度見直してみる必要があろう。さすがにメジャーリーグ各球団の例のようにすぐに客席を減らす建替えまでする必要はないだろうが、小さな工夫はまだまだできそうだ。
また、球場のソフト面、3層モデルの「付随機能」である、「各種ファンサービス」には最も力を入れるべきところであり、ここが勝負のしどころであることがわかる。

先の「ボールパークのセンターピン」は「混んでいること」であり、そのためメジャーリーグの各球団は球場の座席数を減らし、稼動率が高まり、結果的に総売上が高くなるというロジックだそうだ。しかし、続けて紹介されている「クリーブランド・インディアンズのサクセスストーリー」にもあるように、球場の規模を小さくすることで、「選手・観客、相互の一体感が高まる」という本質に裏付けられていることがわかる。

顧客に提供すべき「本質的な価値」を突き詰めることの重要性は、このBlogや各種執筆、講演で金森は何度も繰り返し説いているが、そこが本当に原点なのだ。フレームワークとは便利なモノであり、それを使えば何となく答えが出たようになる。しかし、先のコトラーの3層モデルでも、単純に当てはめるだけでなく、「中核」を「本質的価値」と置き換えて、突き詰めてみれば、全く違った答えが出てくるのだ。
顧客視点でものごとを徹底的に突き詰めることの重要性は、今後も繰り返し伝えていきたいと金森は考えている。

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2007.06.26

このサイトに”ニヤリ”とするか、しないか?

当Blogの記事をマーケティングブロガーズ.jpというサイトが転載してくれている。(http://marketingbloggers.jp/
そこで、同じく記事を提供しているコア・コンセプト研究所・大西 宏さんのBlogにて面白い記事を拝見した。

「電通CR&P塾 電通クリエーティブ塾」の応募資料サイトが紹介されている。
大西さんは少々厳しいご意見だったが、金森は結構楽しんでしまった。
周囲の人に聞くと、やはり評価が分かれる。
ここは一つ、「百聞は一見にしかず」で試していただきたい。

いわゆる「資料請求サイト」であるが、personalizeされたexperienceを手前で与えることによって、より引き込もうという意図なのだろう。

詳しく書いてしまうと面白くないので内容には触れないが、以下、注意点。
・回線が遅いと少し厳しいかも。
・サイトアクセス後に表示される、冒頭の「きみは面白い!」はちょっと唐突だが、ここで引かないように。
・「ちょっとコピー書いてみてよ(例えば自分のキャッチフレーズとか)」は、あまり適当に書かずに、それなりにひねって考えた方が、以降の展開を楽しめる。
・ちょっとネタバレ:2パターンあり、2度試せるが3回以上やっても繰り返しになる。(個人的には最初のパターンの方が好き)。

「自分が書いた”コピー”が”世に出る”のはこういうコトだ!」と誇張して表現しているのだが、展開される動画は、ちょっとわざとらしく、何だかニヤリとさせられてしまう。
しかし、インターネットという誰でもが、世に自分の意見を発信できる世界の中で、「マス広告での発信」を疑似体験させるというところから、「ネットでチマチマやってないで、やっぱりマスだぜ!」というironyを感じてしまうと反発したくなるかもしれない。

気になるのは、これだけ手間をかけることによって、通常の場合とどれぐらい応募資料のダウンロード数が増えたのか。応募数が増えたのかという結果だ。締切り後、その数字を公表してくれれば、「さすが電通さん!」という感じなのだが、どうだろうか?

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2007.06.25

接客サービスにおけるヤマアラシのジレンマ

日経BizPlusの連載・ニッポン万華鏡(カレイドスコープ)が更新されました。
「カレイドスコープ」以前に連載していた「CRM講座」と「IT & マーケティングEYE」を2001年10月から執筆し始めて以来、先月は初めて原稿を飛ばしてしまいましたので、2ヶ月ぶりです。スミマセン。

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/kanamori.cfm

今回は当Blogで何度も取り上げた「高島屋」の集大成です。
第1回ではちょっと、感情的な記述になりすぎました。(反省)。
第2回で別の切り口で再考し、
先日、第3回として実際の体験を記し、
今回、全てを総括したつもりです。

では、ご覧ください。


----------------<以下バックナンバー用転載>---------------------
 景気が回復傾向にあって、今なお売上低迷が続く百貨店業界では生き残りをかけ各社各様の奮励を見せている。大丸と松坂屋ホールディングスの経営統合の大きな編成がある一方、マーケティング面で新機軸を打ち出しているのが松屋だ。従来の外商顧客よりも敷居を下げ、専用サロンを提供するなど、台頭してきたいわゆる「ニューリッチ」もしくは「プチセレブ」層の取り込みに重点を置いた取り組みは興味深い。

■「お声がけを控えるおもてなし」
 そんな中で、高島屋が何とも斬新なアプローチを試みている。静かにショッピングを楽しみたいという客に「声かけを控える」という、新しいサービスを一部店舗で始めたのだ。
冒頭の経営統合は大々的な外科手術。外商客や新たな優良顧客の囲い込みは、重点的な局所治療であるといえよう。優良顧客がもたらす収益は大きいが、百貨店が自社カード会員として囲い込めているのは、低利用者まで含めても3割程度と聞く。その他多くは、顔は見えども名前すら分からない一般客だ。その層への接客という基本部分を見直すことで「体質改善」しようという狙いだろうか。

現在このサービスを導入している東京・立川店と岐阜店のホームページには「お声がけを控えるおもてなしを、はじめました」と書かれている。来店客がサービスカウンターに赴いて「S.E.E.(シー)カード」を受け取り、首から提げれば店員からの接触を回避できるというものだ。「S.E.E.」のSは「Silent(静かに)」、2つのEは「Easy(ゆったり)」と「Each(それぞれ)」の頭文字だという。

果たして声をかけないことが「おもてなし」なのか?百聞は一見に過ぎず。立川店に行き、カードを受け取って体験してみた。・・・正直、「違和感」があった。そもそも「声をかけられたくないことを自己申告して、さらに首からカードをぶら提げ明示する」という方法論に対する違和感がある。さらに、「いらっしゃいませ」とあいさつをしたあと、首から提げたカードに気付くと、店員がどこか目をそらすようにして、スッと距離を取っていく不自然さだ。しかし、一方で「そっとしておいてほしい」という気持ちも確かにある。普段足を運ばない宝飾売り場にも行ってみたが、臆することなく見て回れるのはありがたかった。

■顧客と店員は「寒い夜の2匹のヤマアラシ」?
 「ヤマアラシのジレンマ」という言葉がある。「ある寒い夜、2匹のヤマアラシがいた。2匹は寒いので、身を寄せ合いたい。しかし、近づきすぎるとお互いを針で傷つけてしまう。だからといって、離れては寒さに耐えられない。やがて2匹は試行錯誤を繰り返し、傷つけ合わず、寒くもない距離感を見いだした」。というものだ。調べれば、おおもとはドイツの哲学者、ショーペン・ハウアーが作った例え話であり、「自己の自立」と「相手との一体感」という2つの欲求によるジレンマを表している。さらに、あとから「曲折の末、両者にとってちょうど良い距離に気付く」という肯定的な解釈が付け加えられたようだ。

 上記を接客サービスの現場における店員と顧客の関係に置き換えてみたい。インターネットが普及し、モノも情報もあふれる時代、顧客は“目利き”になり、余りアドバイスを必要とするシーンは少なくなっており、基本的には余り触れてほしくない。しかし、顧客の購入意欲が高まっていれば、全く放置されては面白くないし、かえって多少ハードセル気味に背中を押してほしい時もある。かように昨今の顧客は気難しい。しかし、それに対応しようにも店員の接客スキルは低下している。最近再び応対力強化のために正社員を増やす動きがあるものの、かつてのベテラン社員は少なくなっており、属人的な応対能力の向上は、すぐには実現しない。どこか「寒い夜の2匹のヤマアラシ」の姿のようではないだろうか。

■接客現場の“ほどよい距離感”を探れ!
 別の百貨店に勤務する知人に聞いてみたところ、百貨店の売り場での基本は「動的待機」であり、店員は常にお客様の視界に入るように位置し、何らかの作業をしながら、声をかけられるのを待つ。もしくはお客様が声をかけて欲しそうなそぶりをするのを待つという。そばでじっと立って待たれると、やはり店員の視線がやはり気になるからだ。
 本来、「動的待機」という基本が徹底できていれば、こうした「サービス」は必要ないはずだ。しかし、それ以上に一部の顧客が接触を極度に嫌うようになっており、店員の接客力を磨くだけでは限界があると高島屋は判断したのかもしれない。だとすれば限定的に2店舗で試行し、顧客の反応を蓄積するという今回のアプローチにも意味があろう。

 「声がけを控える」といえば、1990年代末に自動車販売の業界における「ノンプレッシャー対応」というコンセプトによる試行を思い出す。自動車ディーラーのハードセルが店頭から客足を遠のかせているとの反省からはじまったものであり、各自動車メーカーがいくつかの系列店で実験したが、最終的に根付いたのはトヨタ自動車のネッツ系列ぐらいだった。何が問題だったのか。実際には「全く声をかけてこない」ことに対して、来店客から「やる気がないみたい」「何だか不親切」という評価が相次いでしまったのである。一方、成功したネッツ店は少々異なる展開をした。「Ask me style」と称する接客ルールを決め、店員たちは来店客に時々、「何かございましたら、お声をおかけください」とに声かをける以外、プッシュを控えた。「全く声をかけない」と「Ask me」。この差は実は大きかった。「客を放置しない、また、踏み込みすぎない軽い声かけ」という微妙なバランスが成功要因であったようだ。

 カーディーラーと百貨店では、販売体制も顧客のスタンスも違うため、処方せんは自ずと異なるはずだが、店員と顧客が適度な距離感を見いだせない、という問題意識は共通している。最後は「ヤマアラシのジレンマ」を脱し、「曲折を経て、両者にとってちょうど良い距離を会得する」ことができるのか。まずはその成り行きを見守りたい。店員の気配りと適切なアドバイスに基づいて最良の選択ができる、買い物の楽しみ・・・百貨店の価値がそこにあるのは間違いないのだから。

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2007.06.22

金森努の「定番のヒミツ」第5回

昨日は少々政治色が強かった(?)ので、週末に向けて今日はお気楽ネタで。

日本実業出版社の季刊誌「ザッツ営業」好評発売中です。

ザッツ営業 http://www.njh.co.jp/that/that.html

同誌に連載中のコラム第5回が掲載されています。

今回はいささか強引ですが、「江戸和竿」です。思いきり金森の趣味の世界です。
本誌には自宅近くにある有名な職人さんにもご協力いただいて、写真が載っているのです。
以前、文中にある「タナゴ竿」を一本作っていただきました。
「竿しば」のご主人、芝崎稔さん。
03-3696-0848 です。 ご興味のある方は是非。


以下、転載。

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金森努の「定番のヒミツ」第5回
「“江戸和竿”に“使い手への心遣い”を学ぶ」
世の中には常に売れ続ける「定番」と呼ばれるものがある。なぜ定番は売れ続くことができるのか。当連載はその謎をマーケティングのセオリーから考察する。


前回、モンブラン社の万年筆を例に、工業的なスペックでは表せない価値である「知覚品質」について述べた。今回もその「知覚品質」にスポットを当ててみたい。

筆者も多少釣りを嗜むのであるが、釣りの世界では、ここ数年「たなご釣り」が静かなブームとなっている。理由はどうやらブラックバスなどの外来魚に脅かされ、失われようとしている小さな魚の生息に対する憐憫と懐古の情にあるようだ。さらに好事家は、その釣りを職人の作った「和竿」で楽しむ。というわけで、今回は江戸時代中期からの「定番」、「江戸和竿」である。

今日の一般的な釣り竿はグラスファイバーでできており、多少乱雑に扱っても折れることはまずない。メンテナンスも簡単だ。多くは中国製であり、1,000円ちょっとから購入できる。一方、「江戸和竿」は各種の天然の竹を使って作られる継ぎ竿で、基本は顧客の使用用途と、しなり具合など、求める使い勝手に合わせたオーダーメイドだ。当然、一般の竿に比べれば非常に高価であり、手入れにも気を遣う。しかし、職人の数も随分減ってしまった今日、それに人気が集っているのである。

両者の決定的な違いは「味わい」である。カーボンの竿は、あくまで魚を釣るための「道具」であり、使い心地は「可もなく不可もなく」といった感じだろう。
和竿愛用者の中でも、たなご釣りの愛好家が一番和竿を用いる人が多いようだ。とりわけ小さな魚である、たなご。その微妙な感触を、職人がいかに釣り人の求める感触で伝えるか竹を選び、工夫し抜いて作った竿で楽しむ。実は和竿で楽しむたなご釣りは、「魚を釣り上げること」だけが目的ではなく、「その竿を使うこと」も目的なのだ。
単に多く魚を釣だけなら、工業的スペックに優れた道具を用いればいい。しかし、ほんの数センチしかない小さな魚とのやりとりを楽しむには、スペックで表せない「味わい」である「知覚品質」が重要なのである。そしてその陰には、釣り人にいかに「味わい」を感じられるかを工夫しぬいた職人の「心遣い」が隠されている。
「モノが売れない」と嘆く前に、その使い手のことをどこまで考え抜いたもの作りをしているかを見直してみたい。「売る」というセールスの現場においてもまた同じである。


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2007.06.21

Gloomy Thursdayの解消法をマーケティングのセオリーで考える

夢を見た。(朝日新聞・天声人語 風)。しとしとと雨が降り注ぎ、うつむいて歩く人の群れと街角に淀む障気。古い映画「ブレードランナー」の映像のよう。疲れもピークに達している週後半の目覚めとしては最悪である。
原因は容易に想像できる。就寝前に読み返した自らの「ネタ帳」だ。
本来は「タウンウォッチ」を中心とした、ちょっとした出来事を記録するためのメモだった。しかし、後から後から、まるでジェットコースター・ムービーのように様々な事件、事故、諸問題が新聞紙面を賑わす日々。それらを自らの中で風化させまいと、最近は原稿ネタを記入するネタ帳を備忘録に兼用にしているのだ。
以前は読み返すと何だかおかしくも、気付きのある街の風景が切り取られていたのに、ずいぶんと殺伐とした、また、馬鹿みたいな出来事の記述ばかりになってきた。
同時に、以前記していた、「ちょっとした出来事」に思い馳せている自分の「日常」というものの土台たるものが、いかにグズグズだったのか、今更ながら思い知る。
政治・社会・経済とも混迷の極み。この世の中の一個人など芥子粒の如し。頼るべき新たな技術さえまだ、便益よりも不安を増大させている。

「政治(Political)」「経済(Economical)」「社会(Social)」「技術(Technical)」・・・これは「外部環境(マクロ)分析」の分析項目だ。詳細な分析が必要ないぐらい全部が最悪。
さて、こうなったら、マーケティングのセオリー通り、物事を考えてみよう。環境分析でファクトを整理する時は、次に3C(マクロ環境)分析(Customer:市場 Competitor:競合 Company:自社)である。はじめに「市場のニーズ」に注目する。ここでの市場は、前述のような最悪な世の中に嘆く無辜の民であるとしよう。さすれば、そのニーズは世の平安である。
では、次に「競合の動き」に注目する。競合とは、その平安を乱すものであるが、乱れを糾すことなく、己の権利利権確保に汲々としている輩がそれに当たろう。誰だとはいわないが。
次に3C分析では「市場のニーズ」と「競合の動き」との「ニーズギャップ」に注目する。このニーズギャップを捕まえれば、「自社の打ち手」が見えてくる。「自社」とはこの場合、我々市民だ。「ニーズギャップ」ももはや語るまでもない。さて、では「打ち手」はいかがしようか。無辜の民が一矢報いる打ち手はいつも一つしかない。

さて、PEST、3Cとファクトを洗い出したら、次に「SWOT分析」で意味合いを抽出し、具体的な打ち手につなげる。S・W・O・T(内部環境=Strong:強み・Weakness:弱み、外部環境=Opportunity:機会・Threat:脅威)の要素を洗い出し、それをマトリックス化して掛け合わせる。
全体は省略するが、注目すべきは「外部環境・機会×内部環境・弱み」である。内部環境は何無辜の民には何の力もない“弱み”である。しかし、この夏、一度だけの“機会”を生かせるチャンスがある。「弱み×機会」のマトリックスの意味合いは「段階的施策」といわれる。つまり、「貴重な“機会”を活かして“弱み”を段階的に克服していく」のである。

標題の「Gloomy Thursday」の元ネタは「暗い日曜日(Gloomy Sunday)」という曲。1933年にハンガリーのブダベストで作曲され世界に大ヒットを飛ばしたものの、なぜかこの曲を聴いた人々が自殺するといわれ、各国で発禁処分になり、「自殺の聖歌」などとも呼ばれるようになった曲である。折しも当時は世界各国も軍事的緊張下にあり人々の不安が極度に高まっていた。ナチスが台頭し、1932年にはドイツ第一党に。翌33年にはヒトラー首相が誕生した。現内閣には、いい意味でも悪い意味でもそんな迫力はないが、悪い歴史は繰り返したくない。
無辜の民よ。この夏、貴重な「機会」を活かして、「弱み」を克服しようではないか。例え、その「機会」が数日先に延ばされたとしても、思惑に乗り、問題を風化させられることなく、しかるべき行動を取ろうではないか。

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2007.06.20

パチンコと借金の相関関係に感じる日々の不安

今日は日常の風景から感じるある不安について記したい。

アポイントが特段なく、事務所で集中して原稿書きをする日は少し遅めに家を出る。
翌日に執筆の予定が入っている夜は、不思議と就寝中にも思考回路が動いているのか、目覚めた時に文脈がある程度出来上がっていることも多い。通勤中に忘れてしまってはもったいないので、ざっと文章をまとめてから家を出る。
すると、ちょうど駅前ではパチンコ・パチスロ店の開店待ち、または台の抽選券を引いている人の行列に出くわす。最寄り駅は東京で一番、パチンコ・パチスロ店の多い街なのだ。
ぞろぞろと並んでいる人々を観察すると、随分と年若い者、カップル。または、普通なら働き盛りともいえる年齢の人ばかりだ。平日だが、今日が休みなのか、それともこれが彼ら、彼女らの日常なのか。どうも後者の気がする。その数たるや、ある意味壮観だ。

さて、事務所のある新橋烏森口に到着する。最近こちらは随分と景色が変わった。消費者金融会社、特に中小事業者のプラカート(立て看板)を持った人々の姿が激減した。以前はプラカードが駅前に林立していたのに、最近では一人二人しか見かけない。明らかに貸金業法改正の影響だ。うっかりした掲出物、またはその記載内容があれば、その時点で事業者は金融庁から指導を喰らう。また、二年後の改正業法の厳しさから早々に撤退した業者も多いと聞く。いわゆる「グレーゾーン金利」にあたる利率分の返還訴訟も相次いでいるようだ。どおりでプラカードがなくなり駅前がスッキリしてしまうわけだ。

しかし、「駅前がスッキリした」と喜んでばかりはいられない。
業法改正を受け、消費者金融会社各社は上限利息を下げ始めた。その反面、一様に貸し出しに対する信用供与(与信)条件を厳しくしているため、申し込みに対して実際に契約が成立する割合はて30%~50%未満であると、先日日経新聞が報じていた。
また、改正業法により、今後、「年収の1/3以上の貸し出しを禁ずる」という、「総量規制」がスタートする。どの程度の厳格に運用せよという金融庁指導が示されるかは不明であるが、開始されれば、さらに貸し出しは制限されるだろう。

金融庁は、「上限利息を下げ、借入の総量を制限すれば多重債務者は減少する」と見ているようだ。しかし、本当にそうだろうか。冒頭の地元駅前に並ぶ、大勢のパチンコマニア。その大半が借金で遊んでいるとも、また、多重債務に陥っているとも予想するつもりは毛頭ない。しかし、借金や多重債務の問題は常にギャンブルと背中合わせだ。

以前、関連した記事「昼下がりのパチンコCFで感じる違和感」で述べたが、「お金を貸してください」ということは、マーケティングで考えれば「ウォンツ」である。その背後には必ず「お金を遣いたい」という「ニーズ」がある。そのニーズの潜在的ニーズが健全なものである人も少なくないだろうが、「ギャンブルに遣う」というイタダケナイ潜在ニーズも多々あるだろう。
パチンコ業界もなかなかに大変だという記事も以前スポーツ新聞で読んだ。射倖性が高すぎる機種はさすがに規制がかかっているようだ。その分、人気を保つため、新台への入れ替えを頻繁にするため、その負担は少なくないと。しかし、その需要が減っているわけでもなく、活況だということだろう。また、前述の過去の記事で述べたとおり、テレビではパチンコのCMが垂れ流されている。
遣うニーズは減っていない。しかし借りられる条件は厳しくなっている。借りられなくなった人々は、きっぱりと借金と、その遣う行為から手を切れるのだろうか。
新橋駅前から消えたプラカードの業者は本当に全部が廃業したのか。もしかして、地下に潜ってはいまいか。

業法改正の発表があった際に、多重債務者をはじめとして、改正によって借財ができずに苦しむ人には、政府が「セーフティーネット」を用意するとも発表されていた。しかし、一向にその内容が明らかにされない。また、その「セーフティーネット」の原資が税金を使うものであったとしたら、国民の反発は必至だろう。少なくとも夏の参院選前に発表はあるまい。しかし、改正業法完全施行までの時間は刻々と近づいてくる。爆弾の導火線がどんどん短くなっているのだ。
ギャンブルに依存したまま、どこからも借財ができない多数の人々が発生するのではないだろうか。その時、この国の治安はどうなってしまうのか。
夜、路地などでスクーターの引ったくりが女性のバッグを奪い走り去る場面に遭遇したことがある。時々発表される、都内犯罪発生マップでは、いつもこの地域は赤い色が塗られている。そして、駅に向かう道にはギャンブルに興じる人々が満ちあふれている。こんな環境で、日々不安を感じないわけがない。

金融庁が掲げる「健全化」。無辜の生活者が法律の施行までの経過、またその後の社会環境に不安を感じることは「健全」なのだろうか。指導の名の下に消費者金融業者や信販業者を締め付けるだけでなく、社会全般に及ぼす影響を考慮し、早期に全体像を示してもらいたいと考えるのは不自然なことだろうか。

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2007.06.19

高島屋立川店の新施策「S.E.Eカード」体験記

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過日、当Blogにて2回にわたって取り上げた(第1回第2回)、「お声がけをしないおもてなし、はじめました」とする高島屋立川店の新施策を体験してきたので報告したい。
同店に金曜日16:30に入る。インフォメーションかコンシェルジェデスクにてカードが受け取れるとホームページに書いてあったが、探すまでもなく、入り口のすぐ横にコンシェルジェデスクがあった。机の上に「S.E.Eカード」の案内が載っていたので、説明する労もなく「これ、貸してください」と告げるだけでカードが差し出される。この手のものは説明するのも煩わしい人が利用するはずなので、そのあたりは合格だといえよう。
平日の16:30、店内の客は女性(しかも少し年齢高め)がほとんど。スーツの男性客がいきなりこのカードの貸与を申し出る。シチュエーションとしてすごく怪しいはずだ。しかし、コンシェルジェデスクはなんら臆することなくカードを差し出す。
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さて、カードを受け取ったものの、やはり首から提げるのはかなり抵抗感がある。はっきり言って恥ずかしい。しばらくは手に持ってブラブラさせながら店内を歩く。・・・では意味がない。意を決してトイレで鏡に映しながら、首に提げてみる。・・・やはりかっこ悪い。(写真参照)。
気を取り直して紳士服売り場へ。女性客ばかりだからだろう。ガラガラだ。確かにこんなシチュエーションでは、色々と話しかけられるであろうが、カードの効果てきめん。「いらっしゃいませ」以外、全く声をかけられない。色々見て歩く。そのうち、ふと気付く。挨拶をしたあと、首から提げたカードに気付くと、店員はどこか目をそらすようにして、スッと距離を取っていく。試しに、店員がたくさんいる通路を選んで歩いてみる。すると、挨拶をしたあと、見事に店員たちはスッと遠ざかっていく。おお、まるで「モーセの十戒」のハイライトシーンのようだ。・・・だが、やはり不自然な感じ。

次に、普通ならめったにいかない宝飾品売り場に行く。他に1名、同年代のスーツの男性がいた。店員に色々とお勧めをされている。奥さんへのプレゼントかな?などと思うが、彼のつま先は商品のカウンターから既に横を向いている。もう帰りたいんじゃないか?と勝手な憶測をしながら、さんざんケースの中を覗き込んでいても、金森には声がかけられない。カードのありがたさを実感する。意味ありげに、特にネックレスを中心に眺める。しかも、何往復かして目当ての商品を絞り込んでいるような風情をしてみる。店員は声をかけたくてうずうずしている様子。我慢するのも大変だ。あまり、冷やかしをしても悪いので、ほどほどにして立ち去る。

最後に一階のグッチのショップに入る。調子に乗ってアクセサリーのケースをのぞいていると「新作ですよ」などと、思いきりお勧めを受ける。うーん、個別のショップは治外法権だったのか。「あ、また来ます」と逃げるように出てくる。

帰りがけに、コンシェルジェデスクにカードを返却する。アンケートの協力を受ける。カード利用の印象についてだ。「カードをまた利用してみたいか(利用したい・したくない・どちらともいえない)」「何でカードを知ったか(新聞・テレビ・ホームページ・その他)」「ご意見をお書きください(フリーアンサー)」。記入する前にコンシェルジェが「店員はごあいさつ以外に声をおかけしませんでしたか?」と聞かれる。「普通の売り場ではそうでしたが、ショップではお勧めを受けました」と言うと、本来ならショップも同様なはずと謝られる。そして、「ご利用いただいていかがでしたか?」と尋ねてくる。「微妙です。宝飾売り場はゆっくり見られてよかったですが、紳士服売り場では不自然な感じがしました」と正直に答える。(その旨、アンケートにも記入)。コンシェルジェは「本来なら、こうしたカードなど使われなくても、快適にお買い物いただけるようにしたいのですが、お声がけをとてもご不快に思われるお客様もいらっしゃるもので」との弁。うーん。やはり、予想通りクレームから始まった施策だったようだ。最後に、アンケート謝礼ということで「あぶらとり紙セット」をいただく。

体験した感想としては、上記の通り、やはり首から提げるのは恥ずかしい。また、店員の対応に不自然さを感じた。コンシェルジェの言うとおり、やはりこんなカードに頼らずに、快適な対応をしてもらいたいものだ。

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2007.06.15

映画「バベル」に見る「コミュニケーション」の真の意味

金曜日なので、週末に向けて映画の話題でも。
(まだ、公開しているところもあるのでネタバレには気を付けますが、週末に鑑賞予定の方はご注意ください)

ずいぶん前に鑑賞した。すぐに感想を書こうと思ったが、実は書けなかった。
巷では評価は大きく分かれている。
映画のラストは多くの人が言うようにかなり唐突なブツ切り感がある。それは制作者の「考えろ」というメッセージなのだろう。ずっと考えた。そして、自分なりの答えは、既に自分の中にあったことに気が付いた。

「バベル」は旧約聖書の「バベルの塔」における、「言葉が通じなくなったことによる混乱」をモチーフにしているとされているようだ。しかし、実はそこには全く逆、もしくは違う意味が隠されているのだとようやく気が付いた。
「言葉が通じない」つまり”conversation”の不成立ではない。”communication”の不成立を問題にしているのだ。

communicationは”verbal communication(言語的コミュニケーション)”と”non verbal communication(非言語的コミュニケーション)”に分類できる。
金森はコンタクトセンター出身であり、電話オペレーターとして学生時代にデビューした。
そのオペレーター研修の中で最初に言われたことがある。
「人と人のコミュニケーションは言葉で通じ合うのは、実は2割。残りの8割はお互いの表情や身振り手振り、雰囲気などを通じて感じ取るもの。その意味からも、電話だけでコミュニケーションをするというこの仕事がいかに難しいか、まず理解するように」。と。
上記の”verbal communication”と”non verbal communication”の話である。

映画「バベル」では、悲劇はモロッコ人兄弟、米国人夫婦、その夫婦の子供二人とメキシコ人乳母、日本人の父と聾唖者の娘に訪れる。
米国人の妻は旅先のモロッコでトラブルに巻き込まれ、瀕死の重傷を負う。その子供二人は乳母に連れられメキシコに行きトラブルに巻き込まれる。モロッコ人兄弟は逆にトラブルを引き起こしてしまう。遠く離れた日本では母を亡くした父娘が心のすれ違う日々を送っている。
それらの人間が一本の糸で結ばれていくのだが、それ自体がメインテーマではないのだろう。
「同じような悲劇が世界中で起っている。それらの根は繋がっている」という、いわば大テーマを支える暗示ではないか。

米国人夫婦は言葉の通じない異国・モロッコに放り出される。同じくその子供達も言葉の通じないメキシコでトラブルに遭う。確かにここは「言葉が通じない」という点でタイトルの意味を想起させるが、実はそうではない。

通じていないのは「言葉」ではなく、「心」なのだ。
別の言い方をすれば、「心が通じていない」は「コミュニケーションが成立していない」のである。
この点は後述するとして、映画の中身を整理する。

米国人夫婦は過去に夫婦を襲った悲劇から、夫が逃げるように心を遠ざけ、その関係修復を名目に夫婦でモロッコを訪れるが、二人の心は通じ合わない。
また、夫婦は子供を大切にしていると言いながらも、実際には乳母に預けきりで、十分親子の心が通じていない。
また、その使用人であるメキシコ人乳母と信頼関係が結ばれているように見えるが、一皮むけばそうではなく、故に子供達はトラブルに巻き込まれる。
日本人の父娘は娘が聾唖者であるため言葉が通じていない。しかし、過去に父娘を襲った悲劇により、父親は娘に表面的に気を遣っているようであるが、心の底から通じ合えているようには見えない。
モロッコ人兄弟も他愛のない兄弟げんかを繰り返すものの仲良しのように見えるが、愚直な兄と小器用な弟の間には、妬みと蔑みが見て取れる。本当の心は通じ合っていない。

旧約聖書は「言葉が通じないという状態から生じる混乱」を伝えているのだろう。
(宗教的解釈が間違っていたらご指摘ください)。
しかし、実は「言葉ではなく、(媒介としていた言葉の共通性を失うことが原因ではあるが)心が通じない。コミュニケーションが成立しなくなるという悲劇」を伝えているのではないか。

ここで「コミュニケーション」の話に戻ろう。
以前、日経ビズプラスにコラムとして執筆し、当Blogにも転載した「コミュニケーション不全・・・」である。
以下のような一文を記した。
コミュニケーション(communication)」の語源は、ラテン語の「共通したもの」を表す(コミュニス:communis)や、「共有物」を表す(コモン:common)にあるという説が有力だ。

金森は普段、研修の場でも力説するが、「コミュニケーションとは、会話をすること(言葉が通じること)ではない。それは過程である。コミュニケーションは相互の”共有”がなされなければならない」のである。

この「バベル」という映画に登場する人々は、裕福そうな米国人家族と日本人家族。貧しそうなモロッコ人家族とメキシコ人の仲間達。国や貧富は様々だが、一様に空虚な心のすれ違いが寒々しさとして伝わってくる。
「言葉面が通じていても、心は通じていない。思いが共有できているというような”本当のコミュニケーション”なんて誰もとれていないんだよ」という、この映画のタイトルから逆説的なメッセージを感じたのは金森だけであろうか。

とかく、今日、「コミュニケーション」という言葉が軽々しく遣われすぎてはいまいか。
アンケート、「企業の新入社員に期待するもの」第一位=「コミュニケーション力」。
上司の悩みによく登場する言葉「組織内のコミュニケーションが足りない」。
教育の現場で言われる「子供のコミュニケーション力の低下」。
・・・一体、誰と誰が、何を「共有」しようとしているのか?
お互いの「心」に目を向けているのか?
「心」とは何か。多義であるが、人と人の相互関係の中で考えれば、月並みだが「他者やお互いを思い遣る気持ち」ではないか。

無くしたものは「言葉」ではなく「心」なんだよ。と、金森はこの映画を受け止めた。

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2007.06.14

FAQの重要性に関する一考

先日、掲載した「高度化する顧客の要求とFAQ」というインタビュー記事に少々追加をしたい。ボリューム的な問題で解答しきれなかった部分があるので、補足のつもりだ。

言いたいことは既に一部、先々月末に記した「花盛りのカラーバリエーション戦略が発するシグナル」の中でも述べた。昨今、あらゆるモノが「コモデティー化」している。高度な技術の結晶であるノートパソコンですら例外ではなく、差別化がどんどん困難になり、差別化要因は小手先ともいえる「カラーバリエーション」などに依存することになっている。しかし、一方でパソコンはユーザー層が広がり、一家に一台以上の普及の勢いを見せている。ユーザーの裾野は広がる。しかし、機能は高度化してくる。となると、それをあらゆる人が「使いこなす」ためには「サポート品質の向上」が重要になってくる。

日経パソコンが毎年発表する「サポートランキング」を各社がかなり気にするのは、そのランキングが生活者の購買決定要素として大きな位置を占めるようになっている現われでもある。先の原稿の中でも、金森は「カラーバリエーション」などは、フィリップ・コトラーが提唱した「製品特性5層モデル」の1層目である「製品の中核的ベネフィット」から数えて一番外側の第5層目「潜在:期待はされていないが、実現できれば価値を増大できる」というレベルのモノであると述べた。一方、製品の高度化とユーザーの裾野の広がりから、「サポート」は2層目の「基本:中核を実現するために必要不可欠な要素」に位置すると述べた。つまり、先日のインタビューで述べたように、企業にとってはいかにに「クレーム」に迅速かつ適切に対応するかという観点からFAQと、それを活用した応対が重要であるかということに加え、企業がユーザーに提供する商品は既に「モノとサポート」がセットとなって初めて機能するようになっているのだ。

BtoC製品(一般生活者向け)でも十分重要であるが、BtoB製品(企業向け製品)であれば、さらにその重要度は増す。企業がその活動を支え、生産やサービス提供のために使用している機器にトラブルがあれば、最悪の場合その活動は一時的に停止する。その金銭的、顧客への信用的ダメージは計り知れない。金融機関をはじめとした企業のシステム障害がいかに大きな社会問題に発展したかは誰しも知るところだろう。
そこまで大ごとでなかったとしても、例えば自部門のOA機器が一斉にダウンしたとしたら・・・。その日は仕事にならない。そうならないためにも、トラブルの際にはメーカーやサービス会社の窓口で、適切な一次対応がなされ、解決しないのであれば、迅速に解決策を講じてもらうことが重要になってくる。その窓口での応対レベルを高め、また、その高めるためのツールとしてFAQに期待がかかってくるのである。

以上、先日の記事の補足であるが、別の側面も紹介したく、本日アップした次第である。

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2007.06.13

「セルフ販売」なんて言葉はなくなってしまえ!

最近、流通業における「顧客サービス」がやけに気になり、関連した記事を何度か書いている。
流通業において「顧客サービスの鏡」でであるべき百貨店が、何やらセルフ販売傾向を見せているように思え、その事象二度にわたって記した。
読み返してみると、何やら一度目は少々感情的な記述になってしまっているが、それだけショックだったのだ。
マーケティングの要諦でもあるCS(Customer Satisfaction=顧客満足)。その事例には、例えば「絶対にNOと言わない”ノードストローム・ウェー”」や、その実践例として「ノードストロームの奇跡」と称される、「間に合わなかった商品を販売員が顧客の移動先のホテルまで飛行機で届けた」というような逸話が残されている。にもかかわらず、業績の不振からなのか、変わりつつある顧客の要望によるものなのか、どんどん有り様を変えている。

一方、「セルフ販売」という業態においても、その顧客対応はいかがなものか?という事象を目にすることが多い。金森の持論としては、セルフ販売の代表格である「コンビニエンスストア」においても、やはり「顧客への気遣い」は重要で、それこそが厳しい同業界において、個店が生き残る要であると考えている。(「生き残れるのか?コンビニらしいコンビニ」参照)
そもそも、この「セルフ販売」という業態を表す言葉がクセモノなのではないか。
例えば、薬の販売では、従来のカウンターを挟んで顧客が薬剤師に相談し、薬剤師がその症状に合った薬を提示するという「OTC(Over the Counter)」と呼ばれる対面販売が当たり前であった。しかし、一連の規制緩和の中で、来店客が店内に陳列された薬を自ら選んでレジに持っていくという、「セルフ」の販売スタイルが認められるようになった。もちろん、顧客の相談に乗れるよう、薬剤師が常時店舗に1名以上在籍することが義務づけされているが、基本は「セルフ」であり、顧客が自らレジまで商品を持っていくケースの方が圧倒的に多い。そして、ドラッグストアの店員は、陳列棚に欠品を出さないようにする「品出し」と、レジでの「会計」がほとんどになった。

顧客との対話がなかったとしても、先の百貨店の第二回記事(「ヤマアラシのジレンマ」)で紹介した、「動的待機」(顧客のプレッシャーにならないよう、何らかの業務をしながら顧客からの問い合せを待つ)とまでいかずとも、常に店内の客を視界に入れ、気にしておくぐらいのことは必要だろう。それを「セルフ」という言葉を勘違いしているのか、「レジの前に並んだ状態」になって初めて「客」として認識し、それ以外の店内の客は客とも思っていないかのような態度が目に付く。
近所の大きなドラッグストア。狭い通路で商品を抱え、客を押しのけるようにして追い抜いていく店員。見れば随分といい歳。ものの分別はあろうはずだ。しかも脇を通り過ぎる際に「失礼します」の一言すらない。馬鹿にしているのか?
問題はドラッグストアだけではない。よく行く家電量販店。激戦のパソコン関連売り場では比較的店員をつかまえて話をすることができるが、いわゆる白物家電の売り場では、商品回転率が低いからか、店員の配置が少ない。何か聞きたいと思い、店員を探しても見あたらない。「店員の方いらっしゃいませんか~!」と何度か叫ぶと、「少々お待ちください」と現れるが、そのまま少なくとも5分ぐらいは放置される。
相談でなく、それこそセルフで購入意思を決定しても、ものが大きいだけに店員が「購入伝票」を書いてくれなければ、レジで会計・配送手配手続きもできないのだが、やはり、相手をしてくれる店員はいない。

何とも日本の流通業の現場は寂しいかぎりだ。いっそ「セルフ」などという言葉はなくなってしまえばいいのだ。せっかく、生活者の購買意欲がようやく上向いてきている昨今。自分たちの接客がそれをスポイルしていることに気が付かないのだろうか。
にもかかわらず、「まだまだ売上は厳しい状況」などという声も聞かれる。「どの口が言う!」である。

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2007.06.12

サントリー「黒烏龍茶」のサンプリング施策

冷蔵庫に日本ハムの「水餃子」があった。自家製した中華風のスープに入れれば、水餃子に変身する。主婦にとっては、作りすぎたスープの目先を変えるに便利なものだろう。
そのパッケージに何やらシールが貼ってある。「黒烏龍茶1ケースプレゼント」だそうだ。
そういえば、先週の日経MJに製品サンプリング・タイアップ花盛りというような記事が一面トップに掲載されていた。
特に、サントリーの「黒烏龍茶」はラーメンチェーン店など、「脂っこい外食」とタイアップして、店頭でサンプルを配布しているようである。
だいぶ前であるが、サントリーは飲料「DAKARA(ダカラ)」登場期に、「老廃物の体外排出」という新たな切り口をアピールするため、一杯飲んだお父さん達に街頭サンプリングを行い、大成功の一因となったという逸話もある。
サンプリングはまさにサントリーの「お家芸」でもあるのだろう。しかし、食品メーカーとタイアップして、プレゼントキャンペーンまで仕込むとは、きめ細かい。
水餃子といえば、焼き餃子ほど油は使わないが、少しでも「脂っこいものを食べた時には、黒烏龍で油の体内吸着を防ぎましょう」という徹底した刷り込みには有効だろう。
特にサントリーは飲料といえば、高収益が確保できる「特定保健食品(特保)」に全力投球している。
ところが、特保飲料で最初に注目されたのは「花王・ヘルシア緑茶」。高濃度カテキンにより、体脂肪率を減少させるという効果に注目が集まり、継続して効果を上げたユーザーも多い。しかし、あまりにも飲みにくい味に挫折した人も少なくない。(金森もその一人)。
「効果がある」はマス広告でも十分訴求できるが、本当に飲み続けられる味であるかは、実感できない。また、試行するには勇気がいる。そこでサントリーは、まずはサンプリングで一度飲ませ、抵抗感を払拭することに注力しているのであろう。事実、黒烏龍は「ちょっと濃いめの烏龍茶」といった感じで、人にもよるであろうが、金森個人としてはむしろこちらの方が美味しく感じる。

さて、こうした「サンプリング(お試し)」という手法はマーケティング的にも、社会学的にも極めて正解であることが分かる。
消費者の購買行動の態度変容プロセスを表すものとしては「AIDMA」が有名であるが、「AMTUL」というものもある。
AIDMAは、Attention(注目)→Interest(興味)→Desire(欲求)→Memory(記憶)(Motive:動機付けとの説もあり)→Action(購買行動)である。
AMTULは、Attention→Memory→Trial(試用)→Usage(使用)→Loyal(愛用)であり、特に試す→本格使用→継続的な愛用という、「試用」を重要視するモデルである。

一方、金森の好きな、E・M・ロジャースの「イノベーション普及学」にある、「イノベーション普及速度の5条件」にも、「試行可能性」というものがある。未知の新しい存在を受入れるためには、「お試し」という要素が必ず必要であるという考え方だ。
さらにこの「普及速度」のもう一つの要件である「両立性」も実は「黒烏龍」はクリアしている。「両立性」とは、「今まで慣れ親しんだものからすぐに完全代替するのではなく、(当面は)両方を使い続けることができること」である。つまり、(ちょっとだけ高いが)飲みやすい、またはむしろオイシイ黒烏龍であれば、普段は普通の烏龍茶もしくはお茶系飲料を飲み、その気になった時、あるいは「脂っこいものを食べた」という自覚がある時に飲むという両立性が確保されているわけだ。

何だか、サントリーの片棒を担ぐような本日の記事になってしまった。まさかこのようなネットでの口コミまでを狙っているのではないだろうが、ともあれ、金森は今日の昼食後にも黒烏龍を飲むであろうことは間違いない。

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2007.06.08

インタビュー:「高度化する顧客の要求とFAQ」

先日「第12回データウェアハウス&CRM EXPO」で金森が行った講演概要をジャストシステム社のメールマガジンで紹介いただきましたが、今回は同講演の主題であった「FAQ」に関して、インタビューを受け、その内容を取り上げていただきました。
本日は同社に許可を頂きましたので、その内容を転載いたします。
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◆インタビュー:「高度化する顧客の要求とFAQ」

先月の「データウェアハウス&CRM EXPO」にて「FAQの有効活用」というテーマで講演された有限会社金森マーケティング事務所 金森 努氏に、FAQシステムの整備や今後の期待について、インタビューを行いましたので、今回はその内容をお伝えします。

編集部:FAQシステムの整備がコンタクトセンターで進んでいますが、その背景は何でしょうか。
金森氏:近年のコンタクトセンターでは、「顧客満足の向上」や「購入前顧客への対応による販促効果への貢献」などが大きなテーマとなっていますが、昔からの定番である「クレーム対応」の重要性が一層高まっていることも大きな理由でしょう。

■高度化する顧客の要求
金森氏:特に最近では、顧客の商品やサービスの提供者に対する要求水準が上がっていることから、その件数もクリティカルさも高まっていると言われています。応対一つで企業が被るダメージは大きく変わってくるのです。
編集部:その一番の原因は何ですか。
金森氏:理由を推察するには、今日に至るまでの生活者の物やサービスに対する考え方の変化を追ってみる必要があります。ひとことで言えば、「生活者の要求水準の高度化」がキーワードですが、その背景をお話ししましょう。

■変化した生活者の意識
金森氏:高度成長の時代、市場では「作れば売れる」とも言われ、企業の使命は「いかに迅速に生産し、市場に供給するか」でした。またそれを受け取る生活者も、物が手に入る、人と同じ暮らしができるという物質的な喜びに満たされ、多少のことでは「クレームを言う」という意識もなかったように思います。
その後バブル時代までは、何度か不況を経ながらも市場は右肩上がり、生活者の消費意欲も高かったと言います。そのような環境下では、企業は「いかに市場のパイを獲得するか」に心血を注ぎ、「差別化」がキーワードでした。しかし企業はその差別化要因を商材である、商品・サービスそのものに求め、付加価値たる「サポート」などの部分には、まだ目を向けていませんでした。思えばこの頃から企業と生活者との意識に乖離が生じ始めたのかもしれません。
そのうえ、市場の飽和期と言われるように、物が満ちあふれた時代になり、バブルの崩壊による消費の冷え込みも加わって、生活者の購買行動は選択性が高まりました。マーケティングの世界では、「無駄な物はいらない」という生活者が「買わない自由」を覚えたと表現されます。また、自らが対価を払ったことに対する権利の主張も強くなりました。さらにインターネットが普及するようになり、情報レベルにおいて生活者は企業と全く対等な力を手に入れました。

■力をもった生活者に対応するには
編集部:今のお話が「生活者の要求水準の高度化」という変化の背景なのでしょうか。
金森氏:そうです。生活者は時代の変化と共に確実に、意識が変化し、かつ、企業に比肩する情報という力を手に入れました。以前であれば、生活者からの「苦情」に応対する場合、「苦情処理」という言葉が用いられていたように、「謝り倒して終わり」というケースが多くありました。しかし、今日の生活者はそれでは納得してくれません。
また、納得が得られなかった生活者の声がインターネットにより波及し、企業に大きなダメージを与えるようになりました。
「謝り倒し」型の対応をしていた時代、「苦情処理係」という担当者のいわば「職人芸」がまかり通っていました。しかし今日のクレーム発生件数は、そのような一部の職人に依存できるレベルになく、組織的な対応が必要になっています。また、生活者も謝り倒されず、「正しい情報開示と誠意ある対応」を求めてきます。
編集部:その辺りにFAQシステムの出番があると。
金森氏:はい。必要なのは「組織的に高いレベルで水準化された応対」です。
そのためには、顧客対応の窓口であるコンタクトセンターでのスタッフの教育やモチベーション管理なども重要です。しかし、そうした以前からの取り組みに加え、今日的なテクノロジーの活用に期待しています。

■テクノロジーの結実としてのFAQシステムへの期待
編集部:ご自身もコンタクトセンターのご出身ですね。
金森氏:ええ。ただ、私が在席していた頃にはまだ、FAQシステムのようなテクノロジーが開発されていなかった。いわゆる紙がファイリングされた「応対マニュアル」と「Q&A集」です。とてもそれでは今日の生活者の要求レベルには応えられなかったでしょう。高度な応対に欠かせない「情報提供の武器」としてFAQシステムは存在します。
市場が飽和し、新規顧客を獲得することよりも、囲い込みが重要であると言われて久しい昨今。また、前述のような顧客対応のミスが企業の存亡にも関わりかねないような環境。そのような中で、よりよい企業と生活者の関係構築のためにも、よりFAQというソリューションが磨き上げられていくことに期待しています。
 編集部:ありがとうございました。

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同メールマガジン「Knowledge Power Magazine」では、コンタクトセンター、ナレッジマネジメント、エンタープライズサーチなどの話題が月に1~2回配信されてきますので、ご興味のある方は以下をご確認ください。
http://www.justsystem.co.jp/km/press/


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2007.06.07

身近な環境問題

またまた、マーケティングとは関係ない話題であるが、「身近な、かつ、深刻な環境破壊」に触れたので、備忘として記したい。いずれ関係省庁や自治体に問い合せをして回答をもらおうと思う。(但し、まだ十分に周辺情報が調べ切れておらず、浅薄な知識しかないので、詳しい方がいらしたら、コメントを頂ければ幸いです)。

東京の東の外れ、金森の住む葛飾区に接して流れる第一級河川荒川。この辺りだと中川と平行し、江戸川区の葛西臨海公園西側に位置する河口から東京湾へと流れ込む。
かつての公害問題の頃、「魚の住まない死の川」とされていたが、水質も随分と改善し、川辺から鯉を狙った投げ釣り、橋脚周りで手長海老釣り、また、護岸の切れ目で芦が群生している辺りではクチボソなどの小物釣りを楽しむ人も多い。また、海水の流れ込んできている河口近くなので、季節によってはハゼ釣りや、ルアー(疑似餌)でスズキを狙う人もいる。・・・おっと、趣味の釣りの話が長くなってしまった。

数年前から、この荒川に架かる総武線鉄橋や、その少し上流の平井大橋周辺で、よく漁船を見かけるようになった。ははぁ、“江戸前”のスズキやもしかするとアナゴでも漁師が狙うようになったのか?と思っていたが、何を捕っているのかはずっと分からなかった。
それが、先日川辺を散歩している人から聞き、正体が分かった。狙いは“シジミ”。味噌汁の定番の具である貝だ。千葉方面からやってきている漁船で、川底をガラガラとかき回し、根こそぎ掘り返し捕っていくという。かつてはもっと河口に近い葛西あたりで漁をしていたらしいが、採り尽くし、上流に登ってきているのだと聞いた。いくら水質が改善されたとはいえ、荒川のシジミが売れるのか?と思ったが、北朝鮮から輸入したアサリを、日本の海でしばらく置いておけば、日本産として出荷できるのと同じカラクリのようだ。“千葉産シジミ”として出荷されているのだろう。

シジミの乱獲、産地の表示問題もさることながら、荒川の生態系への影響が看過できない。漁のために川底を根こそぎかき回す。すると、せっかく帰ってきた鯉は恐がり、さらに上流に登っていってしまう。この辺りで姿を見ることができなくなる。さらに深刻なのはハゼだ。ちょうどこの辺りはハゼの産卵場所ともなっていると聞いた。川底が荒らされてしまえば、その卵も被害を受けるに違いない。

ここから先はさらに調べねばならないが、荒川のこの近辺は、いわゆる“漁業権”などが設定されておらず、「やりたい放題」になっているのではないだろうか。
所轄官庁はどこだろう。河川のことであれば国土交通省河川局だろうか。水産資源の保護であれば農林水産省か。とりあえず、この記事をBlogにアップして、両省に問い合せをしてみようと思う。

少ないソースから得た、一次情報なので、間違いもあるかもしれない。もし、詳しい方、他に除法をお持ちの方がいらしたら、ご一報いただければ幸いです。

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2007.06.06

Suicaポイントクラブ利用体験記

Suicaを利用するとポイントがたまる「Suicaポイントクラブ」。
駅コンビニ「New Days」のポスターで知り、すぐに携帯でQRコードを読み込んで登録したのは先月初旬であろうか。
モバイルSuicaならば、携帯のブラウザで獲得ポイントの確認もできるので、いそいそとチェックしてみると全く溜まっていない。あれ?と思うと、運用開始は6月1日からであった。

まぁ、ずいぶん前から募集をするのだなと思いつつ、待っていると、下旬に「プレゼント当選のお知らせ!」というメールが。
あまりにストレートなタイトルに、フィッシング詐欺系のスパムかと思い、危うく速攻でそのメールを削除しそうになる。が、よく見ると、忘れていたが、登録時に抽選プレゼントがあったようで、末等の”Suicaパスケース”が当たったようだ。
あまり嬉しくなかったが、せっかくなので、当選登録を促されるまま行う。SSL送信になっているが、携帯からの個人情報送信にちょっとためらうが、ままよと送信。すると、「商品は6月中にはお送りします」とのこと。うーん、1ヶ月以上かかるのか。よけいに嬉しくなくなってきた。

さて、いよいよ6月1日になり、ポイント運用開始。Suicaが使える場所には「ここでSuicaポイント溜まります」の黄色いステッカーが貼られるようになった。何カ所かで使ってみる。で、蓄積ポイントを携帯でチェックしてみる。確かに溜まっているが、反映には数時間のタイムラグがあるようだ。

もう一つ気が付いたのは、先の黄色いステッカーにはよく見ると、各々「100円で1ポイント」とか「200円で1ポイント」とか記述されている(表示のないステッカーもある)。そう、利用場所によってポイントの還元率が違うのだ。
顕著なのが、同じ飲料を買うにも、Suica対応自販機なら100円で1ポイント。New Daysと従来型のKIOSKの中間である、店舗型KIOSK(扉を開けて入店し、POSレジで買うスタイル)は200円で1ポイント。つまり、ペットボトルの飲料を1本買った場合、自販機なら1ポイント付くが、KIOSKでは付かない。
その他、Suicaが使える店でも、どうも店舗毎にポイント還元率が違うようだ。

分かりやすいといえば分かりやすい。直営の自販機とKIOSKでも同じ物を売っても運営コストが違うので、JRとしては利益率が異なる。また、直営ではないSuicaの加盟店では、決済手数料は1%といわれているが、恐らく実際に契約が成立した手数料率は異なるのだろう。それはクレジットカード会社と加盟店の関係でも一緒だ。それらがポイントの還元率に反映されているのではないだろうか。
そうすると、どうでもいいことではあるが、Suicaのポイント還元率を見ると、誰でも「ここはJRにとってオイシイ商売」「オイシくない商売」という見分けが付くことになるのか。

まだ、スタートしたばかりのサービスなので、これからどんどんと変更、整備が進むであろうが、なかなかその展開は興味深い。
尚、以前、このBlogで「駅の必須付随機能としてKIOSKの早期復活を」と記したが、どうやらこの6月1日に間に合わせるべく、何店かが復活し始めている。こちらは非常に歓迎すべき動きだといえよう。

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2007.06.05

ヤマアラシのジレンマ

今日も昨日の「S.E.Eカード」の続きを記したい。
ある会合で、別の百貨店の担当者と話す機会があった。その折、「S.E.Eカード」に関して感想を伺ったところ、やはり「百貨店の基本思想からは乖離している感がある」とのコメントであった。
少し詳しく聞くと、曰く、百貨店の売り場での基本は「動的待機」というものであるそうだ。つまり、お客様の側でじっと立って待っていたら、その店員の視線がやはり気になる。そこで、店員はお客様の視界に入っているようにしながら、何らかの作業をしながら、声をかけられるのを待つ。もしくはお客様が声をかけて欲しそうなそぶりをするのを待つというものだそうだ。
女性のお客様の多くは、店員に声をかけてくるか、何らか声をかけて欲しそうなそぶりを見せることが多いが、例外的に男性客、特に紳士売り場では店員からの接触を嫌う顧客もいるとのことであった。そこで、その会合に居合わせた、百貨店で買い物をよくするという男性に聞いてみた。すると、「やはり声をかけられるのには抵抗があるが、首からカードをぶら下げるような無様な姿は絶対したくない」とのことであった。彼も、上記の「動的待機」の話を聞いていたので、「そうした“基本”があるのであれば、それで十分。むしろそれが徹底できていないのが問題」と至極もっともな意見を述べていた。
結局、その会合の参加者同士で考え、以下のような結論に至った。
恐らく高島屋によほど声をかけられることが嫌いで、かなりのクレームをねじ込んだ顧客がおり、また、同店もやはり接客力が落ちていることも否めない。そこで、「S.E.Eカード」の試行に至った。それは致し方ないことなのかもしれない。但し、「声をかけない“おもてなし”」という表現と、顧客に首からカードをぶら下げさせるという、非常なる違和感を与える方法論に間違いがあったのだろうと。

そのあと、金森の頭には「ヤマアラシのジレンマ」という言葉が浮かんだ。記憶の範囲で記述すると「ある寒い夜、二匹のヤマアラシがいた。二匹は寒いので、身を寄せ合いたい。しかし、近づきすぎるとお互いを針で傷つけてしまう。だからといって、離れては寒さに耐えられない。やがて二匹は試行錯誤を繰り返し、傷つけ合わず、寒くもない距離感を見出した」というもの。念のため、“Wikipedia”で調べてみる。<以下全文引用>「自己の自立」と「相手との一体感」という2つの欲求によるジレンマ。寒空にいる2匹のヤマアラシがお互いに身を寄せ合って暖め合いたいが、針が刺さるので近づけないという、ドイツの哲学者、ショーペンハウアーの寓話による。 但し、心理学的には、上述の否定的な意味と「紆余曲折の末、両者にとってちょうど良い距離に気付く」という肯定的な意味として使われることもあり、両義的な用例が許されている点に注意が必要である。<引用ここまで>
ははぁ。金森の記憶は後者の内容であった。

で、この「ヤマアラシのジレンマ」。百貨店の店員と顧客の関係に置き換えてみたい。店員の接客スキルも低下している。顧客自身もインターネットの普及や、ものが飽和した時代において“目利き”になっており、あまりアドバイスを必要とするシーンは少なくなっている。しかし、店員も全く顧客にタッチしないというわけにもいかず、顧客もたまにはアドバイスが欲しい時もある。どうだろう。どこか「寒い夜の二匹のヤマアラシ」の姿のようではないだろうか。
このままでは、ショーペンハウアーの「針が刺さるので近づけない」という状態だが、それを脱し、「紆余曲折の末、両者にとってちょうど良い距離に気付く」という結末をやはり望みたい。だとすれば、明らかに「S.E.Eカード」の試行は過りであるとの考えを変えるつもりはないが、「紆余曲折」の過程だとすれば、是非ともその過ちに早く気付き、別の手だてを模索して欲しいものだ。買い物の楽しみ。そして、店員の気配りと適切なアドバイス。正に百貨店の価値がそこにあるのは間違いないと金森は信じている。

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2007.06.01

「安倍内閣メールマガジン」に見るメルマガの作法

「安倍内閣メールマガジン第31号」が昨日届いた。
冒頭の言葉は党首討論についてで、「国民の皆様の心配を払拭していくために全力で取り組んでいく」とある。
続いて目次は、[こんにちは、安倍晋三です]・信頼ある年金を。
え、昨日のメディアも年金問題一色であったが、ここもか?全く触れずにスルーしようというのか?
・・・と思ったら、[こんにちは、安倍晋三です]の冒頭に「松岡農林水産大臣が亡くなられました。誠に痛恨の極みです。」から始まって、約10行を割いている。で、また年金の話。

タイトルに「メルマガの作法」と書いた。作法とは「物事を行うときの、慣例となっている方法。しきたり。」と辞書にある。つまり絶対のルールではないが、「普通に考えればこうするでしょ」という、英語で言えばcommon senseだ。だが、松岡農水相の自殺に関しては、このメルマガは「作法」に適っていないように思う。「現職閣僚の自殺」という初めての異常事態に対してこのメルマガは「号外」を発行しなかった。メルマガをはじめとして、インターネットメディアは速報性が命だ。「うっかりしたことは発信できない」という事情も分かる。しかし遺憾の意を表することぐらいはできただろう。
さらに今回の31号。かかる重大事態にも関わらず、小見出しすら付いていない。重要な内容はタイトルを付けるのは、メルマガ作成においては常識だろう。それを年金問題のタイトルと本文の間に十行ほど挟み込むだけで終わらせてしまうとは、意図的にやっているとしか思えない。何とも気持ちの悪い書き方である。

まぁ、この問題にあまり深入りするつもりはないが、どうにも気持ちが悪いので一応取り上げてみた。ちなみに、メディアに取り上げられた当時の首相の第一声は「慚愧に堪えない」であったが、今回は「痛恨の極み」である。「慚愧」は「自分の行為を反省して、心から恥ずかしく思うこと」。「痛恨」は「ひどく残念に思うこと。非常にくやしがること」。微妙に修正しているのも気持ちが悪い。まぁ、反省してしまって責任を問われたくないのだろうけれど。このあたりもメルマガとしてだけでなく、作法が悪い気がする。このメルマガは「美しい」ですか?安倍さん。

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