« 季節の移り変わりの感性まで捨てるのか | Main | たまにはラーメンの話題でも »

2007.05.24

「“クサイ東京”にオリンピックはやってくるのか?」

過日、東京国際展示場(東京ビッグサイト)へ事務所のある新橋から「ゆりかもめ」に揺られていった。第12回「データウェアハウス& CRM EXPO」が開催されていたためだ。目的は二つ。併催されているセミナーに講師として招かれていたことと、イベント自体の取材のためである。
このイベントは毎年多くの来場者があるが、今年はさらに大規模な増員が予想された。同時開催の関連イベントを含めると、例年を大きく上回る1,500社余りが出展し、さらに一画には今年初開催の「Web2.0マーケティングフェア」も開催されている。非常にキャッチーなテーマであるため、集客は一層進むだろう。人混みは苦手な方なので、できれば遠慮したいところであったが仕事は仕事。気合いを入れて会場に向かった。が、場内に入るとすぐに具合が悪くなってきた。人混みは覚悟していたが、さらに思わぬ伏兵に出くわしたのだ。その正体は「ニオイ」。
当日の東京は摂氏26度を超える夏日。人が大量に集まる場所は当然のように、「ひといきれ」がしている。環境配慮のためか、場内の温度は随分と高い。当然のように汗臭さが漂う。さらに、ちょうど時刻が正午過ぎだったため、展示会場までの長い通路に軒を並べる飲食店から放たれる食べ物のニオイが充満している。展示棟は東西に分かれ、会議棟も別にあるが、こちらサイドには和・洋・中華、全部で5店、計850弱の客席があるという。オープンカフェになっているためか、特にカレー・洋食系とおぼしきニオイが濃密だ。ほかにも弁当売りのワゴンが出ていて、それを購入し、会場横の休憩用ベンチで食している来場者もいるのでそれらのニオイも混じっているのだろう。
人が放つニオイと食物のニオイ。これが混ぜ合わさるとかなり壮絶な臭気となる。「ナゼみんな平気なのか?」と思い、知人の出展者やほかの講演者に聞いてみた。みんな我慢していたようだ。

同会場には、東京オリンピック招致委員会によるものと思われる「オリンピックを東京に,2016年!」という横断幕が掲げられていた。そういえば、この会場は財団法人日本オリンピック委員会が後援し、オリンピック招致アピールの様相も呈していた「東京マラソン2007」のゴールになっていたのであった。また、選手村として予定されている有明とも目と鼻の先だ。しかし、この会場の様子からすると、不安になってくる。招致に成功したとしても、今の日本は世界中から人々を招き入れる資格があるのだろうかと。そう、「公共の場所」で日本ほど「ニオイ」に鈍感な国はないのではと思ったからだ。
ニオイといえば日本人は欧米人の体臭の強さや、アジアの街独特のニオイをよく口にする。しかし、アジアでも欧米でも筆者は「公共の場」でこれほどニオイが気になった記憶はない。この「国際展示場」だけの問題ではない。例えば日々利用する鉄道の駅舎やホームという「公共の場所」も食べ物のニオイが満ちあふれている。実はこの原稿は、講演の帰路にて内容を思いたち列車中で書き始め、終わらなかったので地元の駅のベンチでパソコンのキーを叩いて書いている。ホームには蕎麦つゆの香りが漂う。それと、隣接したスーパーからであろうか。総菜を揚げる油のニオイも入り交じる。
しかし、一地元の問題ではない。「公共の場」という意味では筆者が一番嫌いなのが、地方から羽田空港に戻り、出口のゲートが開いたときのニオイだ。ご存じの方も多いのではないか。「カレー臭」である。到着出口斜め前にあるスタンドカレーショップから放たれてくる「ニオイ」である。空腹時ならまだいいかもしれない。しかし、搭乗前に間に合わせの食物で腹を満たし、機中でまどろむも疲れが芯に残っているコンディションにはキツイ。羽田は国際空港である。場合によっては遠い成田ではなく、羽田に各国の選手を迎えるかもしれない。その選手にも「カレー臭」を嗅がせるのだろうか。

結局は「人を思い遣る心」という、ありきたりな言葉になるのであろうか。しかし、「オリンピックを東京に」というなら、「東京国際」と銘打たれた見本市会場。さらに、「東京の空の玄関口」のこの「ニオイ」はどうしたものか。欧米人の体臭の強さ。それは体質なので仕方がないが、逆にそのマイナスを打ち消すためパフュームの文化が発展し、ニオイにはかえって敏感だ。日本人は体臭が薄いゆえにニオイに鈍感であるという論を聞いたことがある。正にその通りなのかもしれない。しかし、国際社会でそれは通じないだろう。 
さらに危惧されるのは日本の「ニオイに対する鈍感さ」に加えて、昨今問題になっている「公徳心の低下」である。なぜか最近ゴミを平気で道ばたに捨てる人々が目につく。「ゴミを捨ててはいけません!」と筆者は当たり前に育てられていたが、そうでない人が多くなってきたのか。菓子やタバコのパッケージを歩きながら開封し、自然な一連の動作のように、それをそのまま道ばたに捨てる。「公共の場で放置される“ニオイ”もしくは“臭気”」と根を通じている気がしてならない。
そんなことを考えていると「オリンピックを東京に,2016年!」の横断幕がナゼか虚しく思い出された。1964年の東京オリンピックを迎え入れた当時の日本。高度成長末期。実に翌年には昭和40年不況と呼ばれる困難が待ち受けていた。その予兆はあったかもしれないが、海外や日本全国からの来訪者を迎えるに当たり、精一杯の配慮をしたのではないだろうか。それに比べ、今の東京に慢心はないだろうか。余裕で再選を果たした石原都知事はオリンピック招致に自信満々であるが、「ニオイ」という見えない存在に代表されるような「隙」がもっとあるように思うのは、穿ったモノの見方すぎであろうか。

|

« 季節の移り変わりの感性まで捨てるのか | Main | たまにはラーメンの話題でも »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 「“クサイ東京”にオリンピックはやってくるのか?」:

» 「“クサイ東京”にオリンピックはやってくるのか?」 [ニュースコミュニティ - FPN]
過日、東京国際展示場(東京ビッグサイト)へ事務所のある新橋から「ゆりかもめ」に揺られていった。第12回「データウェアハウス& CRM EXPO」が開催されていたためだ。目的は二つ。併催されているセミナーに講師として招かれていたことと、イベント自体の取材のた...... [Read More]

Tracked on 2007.05.24 07:25 AM

« 季節の移り変わりの感性まで捨てるのか | Main | たまにはラーメンの話題でも »