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21 posts from May 2007

2007.05.31

上手い「ギブアウェイ」ってどんなものだろう?

「ギブアウェイ(giveaway)」・・・直訳すれば「あげるもの」となるのだろうか。
広告・セールスプロモーションの世界では、「無償の配布物」を指す。代表的なものとしては街頭配布される店名入りのティッシュペーパーなどがそれにあたるだろう。
類義語に「ノベルティ(novelty)」があるが、そちらは主に「購入謝礼」として用いられる。代表的なものとしては同じく店名や企業名電話番号などが記されたカレンダーや、ロゴ入りのボールペン、手帳などだろうか。
さらに「プレミアム(premium)」も類義語で、「景品」の一種であるが、こちらは購入者が商品の購入証明(シールなど)を用いて応募し、手に入れるというアクションが介在する場合を指すことが多い。また、景品も応募という行為に値するような価値あるものでなければならない。英語で”at a premium”と言えば、「手に入れにくい、ひっぱりだこで、珍重されている」という意味になるので、読んで字のごとしだ。

さて、今日はナゼ、こんな「セールスプロモーション用語辞典」の様なことを書いているかといえば、「上手いギブアウェイ」ってどんなものだろう?と思うことが昨日あったからだ。

事務所に向かおうと新橋駅を出たところで、「ダスキンでーす」と真面目そうな中年男性がギブアウェイの立ち撒きをしていた。差し出されたものは写真の通りだ。この界隈で毎日配布されている、質の悪いポケットティッシュなら欲しくないので即座に無視だが、何やら変わったものだ。折りたたまれたチラシも一緒に渡している。一応受け取る。
Nec_0223

ギブアウェイには「汚れ取りシート 【試供品】 汚れを取って、さっぱり除菌」「ダスキン空気清浄機『クリーン空間』無料モニター実施中!」と書いてある。
ん~?なんだこれ?除菌空気清浄機のフィルターか何かか?ふたを開けて中身を見ると、ウェットティッシュのような物。普通に何か拭く物のようだが、やはりフィルターにも見える。
しばし悩む。その後、ようやく折りたたまれたチラシを見る。
Nec_0224

うーん、どうやらこの「汚れ取りシート」はやっぱりただのシートで、そこに空気清浄機のモニターキャンペーンと書いてあることで金森は少し混乱してしまったようだ。
普通は何も悩まずに、受取り、一瞥して空気清浄機に関心がなければチラシをポイして終わりなのかもしれない。金森はいつも物事を「裏読み」するクセがあるので悩んでしまったのかも。
しかし、「汚れ取りシート」に下手に空気清浄機のことが書いていなければ、すぐにチラシを見たかもしれないが、どうもこの表記がマズイ気がする。「ギブアウェイ」の作りとしてはどうなのだろうか。「パッと見でのわかりやすさ」がギブアウェイの命のように思うのだが・・・。
しかし、ここまで色々考えさせたり、あげくにはBlogに書かせることにまで成功しているのだから、これは「いいギブアウェイ」なのか?

ちょっとした「ギブアウェイ」を受け取ったことで色々考えてしまったが、貴重な経験であったことは確かだ。狭い金森の事務所にわざわざ空気清浄機を設置する気はないけれど。

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2007.05.30

【お知らせ】新聞・雑誌への掲載

ちょっとだけお知らせです。

本日付の広告専門紙「週刊・アドバタイムズ」(宣伝会議)の企画特集、
「新・富裕層向けビジネス特集・上顧客の獲得・リピートに、付加価値の提供を」に金森のコラムが掲載されています。(の、ハズです。まだ掲載紙が届いていないので・・・。)
http://www.sendenkaigi.com/hanbai/newspaper/index.html

ただ、こちらは書店売りをしていないので、同様の特集が同社の広告専門誌「宣伝会議」7月1日号(6月1日売り)に掲載され、書店にも並びますので、そちらでご覧頂ければ幸いです。
http://www.sendenkaigi.com/hanbai/magazine/sendenkaigi/whatis_senden.html

特集は、<引用>ニューリッチ、プチセレブといった富裕層のカテゴリーが出現し、〝一億総中流〟の時代が終わろうとしている。富裕層向けビジネスは、自動車、化粧品、金融、旅行の分野で拡大。07年からの団塊世代の大量退職で支給される退職金の統計は数十兆円に上るとも言われ、富裕層はますます拡大すると見られる。特集では富裕層に向けた各社の取り組みを紹介する……<引用ここまで>というもので、事前に取材ノートを編集部の方から拝見しましたが、かなり面白い切り口でした。
金森は、そのターゲットを狙う方法として「データベースマーケティング」に関する基礎と、その展開方法を2ページで述べています。

当Blogでも、金森自身の執筆内容はアップしますが、宣伝会議社(以前、2年間連載していた「顧客視点講座」の「販促会議」誌と同じ出版社です)との約束で、アップは1ヶ月後になりますので、ご了承ください。

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「生き残れるのか?コンビニらしいコンビニ」

先日、青学の学生との会話から「コンビニの本質的価値」について考察した記事を掲出しましたが、最近特にコンビニ業界の厳しさに関する報道が多いので、もう一度整理をしてみました。


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「生き残れるのか?コンビニらしいコンビニ」

コンビニエンスストア業界の成長鈍化がささやかれて久しい。昨年夏に日本経済新聞社がまとめた「2005年度コンビニエンスストア調査」で既にそれは鮮明になっている。セブンアンドワイ・ホールディングス 鈴木敏文会長は「まだまだ成長余地はある」旨の発言をされているが、楽でないのは明白だ。そこで今回は、そのコンビニエンスストアが「顧客にもたらす本来の価値」とは何かから、「生き残る術」を考えてみた。

■業界内の過当競争激化は最高潮に
「成長鈍化」はやはり業界内での過当競争は激化が大きな要因であろう。筆者が10年以上前に「エリアマーケティング」を行っていたとき、コンビニエンスストアの出店候補地探しの常套手段があった。GIS(Geographic Information System=地理情報システム)を活用し、人口動態や各種商業統計データ、地図データをオーバーレイする。そして、「1キロ平方メートルのメッシュ内に夜間人口が5,000人~10,000人居住しており、同メッシュ内に競合となるコンビニの存在が1店以下である空白地帯」を探すというものだ。
しかし、今日、都市部でそんな「空白地帯」は見つけ出せそうにない。筆者の自宅は駅近くであるが、自宅を中心として半径200メートル以内に6店舗がひしめき合っている。  
加えて、ドラッグストアやスーパーの24時間営業など、他業態からの追撃も激しい。他業態を加えれば、筆者の自宅近辺の場合、その数は9店舗に登る。
とすれば、鈴木会長の言う「(業界全体の)成長余地」はともかく、個々の店舗のフランチャイズオーナーは「どうやって自店が生き残るか」と現状打破の一手を考えることが最大の関心事であろう。

■進む新業態への転換は正解か?
筆者は「苦しいときこそ、本質に立ち返る」ということを、どんなビジネスにおいてもお勧めしている。では、コンビニエンスストアの“本質”とは何か。それは、何と言っても「開いててよかった」である。日経新聞の「私の履歴書」によれば、鈴木会長が「コンビニをひと言で、と聞かれてとっさに答えた文句だ」と連載の第19回にあった。優秀な経営者は優秀なコピーライターでもあるのだなと、感心したものであるが、否、コピーレベルのものではない。“本質”を理解してビジネスを展開したからこそここまで繁栄したのである。
しかし、その「開いててよかった」は前述のとおり、もはや24時間営業化したドラッグストアやスーパーなど他業態でも生活者は享受できるようになっている。“本質”部分では戦えなくなった結果、最近目に付く動きが、いわば「新業態コンビニ」とでも言うべき展開だ。
ローソンが展開する「ナチュラルローソン」。「人と地球にやさしく、お客様の健康で快適な生活をサポートする商品を提供する」として、オーガニックやLOHASをイメージさせる品揃えと店舗設計で特徴を出し、新たなブランドとして確立を図っている。
一方、今までコンビニの品揃えとしてほとんど力を入れていなかった、「生鮮食料品の充実」に注力しているのが、「生鮮コンビニ」である。九九プラスが「ショップ99」という店舗ブランドを展開するや否や、各社が追随。ローソンは「ローソンストア100」、スリーエフが「キュウズマート」、am/pmジャパンは「フードスタイル」を展開。コンビニエンスストアと生鮮食品店の特徴を併せ持ち、さらに少量低価格で食材を提供する業態としてあっという間に街に根付き始めている。旧来の業態がじり貧であったコンビニ・フランチャイズオーナーがこぞって転換に乗り出そうという動きも見て取れる。
しかし、業態転換には大きなコストがかかるだろう。また、特に生鮮コンビニは既に同一商圏と思われる範囲に複数店舗が開かれ始めている。それだけが自店生き残りの道なのだろうか。

■コンビニエンスストア“本来の価値”にもまだ改善余地はないか?
 自宅近隣に多数のコンビニがあることや、得意のタウンウオッチで歩き回る合間に、各地の店舗で飲料を購入することなどから、筆者は相当な“コンビニ・ヘビーユーザー”である。入店したことのあるコンビニ店舗は相当な数に上るはずだ。そのヘビーユーザーからすると、フランチャイズオーナーは、業態転換を考える前に、自店の「サービスレベル」を見直すべきではないかと考えている。
 「開いててよかった」に続く、セブンイレブンの名コピーは「セブンイレブン、いい気分」であろう。こちらは現在、株式会社電通の常務執行役員である杉山恒太郎氏によるもので、コーポレートスローガンにもなっている。「開いててよかった」と「いい気分」はほとんどセットで人々の記憶に刻まれているに違いない。そして、「開いててよかった」がコンビニエンスストアの“本質”であるとしたら、さらに来店客が店舗で「いい気分」が体感できることもまた、コンビニエンスストアの“本質”たる価値なのではないか。
『convenientの語源は「共に(con)来る(venient)」であるため、「そばにいて(あって)便利な」が本義(ジーニアス英和辞典第3版)』である。まさにコンビニエンスストアの「開いててよかった」である。と同時に、convenientという言葉は「使いやすい」「便利な」の意味も持つ。そう考えると、「開いててよかった」と顧客が便利に利用して「いい気分」になれることまでがやはり“本質”なのだ。セブンイレブンだけではなく、それはどのコンビニエンスストアでも同じはずである。

■本質を見失うことこそ問題の原因
例えば、当たり前なサービスであるが、品出しをしている担当者が、少しでも会計待ちの客が溜まるとクローズしているレジをさっと開けて、「お次にお待ちのお客様どうぞと」誘導するといった対応。客を「待たせる」ということがあれば、顧客にconvenientでない状況を与えていることになり、それは“本質”にもとる。
最近はマニュアルが進化してきたためか、店舗でのオペレーションが磨かれてきているように思うが、そうした基本が励行されていない店舗も少なからずあり、二極化しているように思える。“コンビニ・ヘビーユーザー”たる筆者が様々な店舗を巡った経験から言えることだ。
基本が励行できていない店舗の従業員、時には「店長」と名札を付けたオーナーとおぼしき人物は、一様に「客」を見ていない。目の前には自分がやらなければいけない入れ替えるべき品物や雑誌の束がある。レジを一瞥はするものの、会計をする担当者は少なくとも1名はいるので、支払い待ちの客が2~3人並んでいてもさほど時間がかかるわけではあるまい。と、行ったような認識なのではないか。そんな店はどこか空気が淀んだように活気がない。業態転換をしても結果は同じだろう。
そもそも、「オーガニック」にしても、「生鮮」にても、全ての人がそれを望んでいるわけではない。個人的な感覚になるが、筆者はオーガニックやLOHASをコンビニエンスストアに求めようとは思わない。また、生鮮食料品もコンビニエンスストアよりは食料品スーパーに買いに行ってしまうだろ。それよりも、「コンビニエンスストアらしいサービスの充実」に注力してほしいと考えている。

■“本来の価値”に回帰した戦い方を!
 筆者が非常勤講師として教鞭を執っている講義でのことだ。その回は顧客満足に関する要諦を講義した。まず「顧客がそのビジネスに求める”本質的価値”」を理解すること。それを通じて「顧客に利便性と納得・満足を提供すること」。そのためには「顧客に対する理解を深めること」。すると、ある学生が講義終了後、質問に来た。「コンビニでバイトをしているが、自分の場合どういうことになるのか」と。そこで自分の考えを述べさせると、非常によい回答が返ってきたのである。曰く「自分はできるだけ担当している時間帯の馴染み客を覚えるようにしている。そして、例えばいつもタバコを買いに来る客にはレジに来たとき、注文される前に”いつもの銘柄”をスッと差し出すのだ」という。実に「いい気分」になれるconvenientなサービスではないか。
コンビニエンスストアといえば”マニュアルに基づいた画一的な応対”を思い浮かべてしまうが、「顧客の想定しているレベルを超える応対」を目指している”現場のアルバイト”の熱い思いを聞かされ嬉しくなった。と同時、他業態からの攻勢に遭い、安易な業態転換をするのではなくとも、まだまだ十分に戦えるのではないかと考えるに至った。
マニュアルが定められている場合、それは「最低限の顧客満足」を確保するため励行されるべきであり、それ基づいた一定品質のオペレーションが基本である。余り奇をてらった対応に走りすぎるのは問題だろう。しかし、マニュアル通りの応対を漫然と行うのではなく、それを超えようという担当者を採用し、さらに動機付けし、良好なサービスを提供させることは、店舗の経営にも大きく影響するだろう。また、アルバイトの従業員は同時にコンビニのヘビーユーザーである場合も少なくないだろう。とすれば、彼ら、彼女らがどのような対応なら自分自身でも嬉しいかをよく聞き出し、さらにマニュアルを磨き込んでいくことができれば、それは大きな武器にもなろう。

24時間営業という一番の特徴を浸食されたが故、「他業態の草刈り場になる」という業界全体の脅威論があるのは確かだ。しかし、個々の店舗の生き残りを考えるとき、同じ旧来型の「普通のコンビニ」でも繁盛している店とそうでないところ、優勝劣敗があることを忘れるべきではない。その理由は既に述べてきたとおりだ。「とにかく業態転換をして新たなチャンスを切り開こう」という短絡的な発想ではなく、本来の価値である「いい気分」を突き詰めることも忘れてはならない。

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2007.05.29

怒りどころ、謝りどころ

最近、思うこと。何やら、人の「怒り」やそれに対する「謝意」の表明のポイントがズレてきているのではないかと。
単に一個人として感じているのであれば、さほど問題はないかもしれない。しかし、こうした人々の感情の”発露”もしくは”爆発”に変化が生じているなら、マーケティングの要衝である顧客接点。特に、顧客から意見や苦情を受け付ける「コンタクトセンター」などの「顧客接点」にとっては大きな問題となる。看過することはできない。

さて、なぜそう思ったかといえば、いつもの如く個人的体験からであるのだが。混雑する駅舎内で、何度か人から怒鳴られたのだ。
金森の特徴は、いつも左手には商売道具のノートパソコンを収納したジュラルミンのアタッシュケースをぶら下げていること。もう一つ。昨年夏の事故で左足を損傷し、その後遺症で歩くのが少々遅いことである。
そしてコトは混雑した駅舎内で起きた。
後ろから急ぎ足に追い抜きかけてきた通行客が、アタッシュケースに追突して怒声を上げる。「アブねぇ荷物ぶら下げて、トロトロ歩いてンじゃねぇよ!」。
確かに人混みでアタッシュケースは迷惑なので、いつも人にぶつけないように注意を払っている。しかし、車でも追突してきたなら、その車の責任だ。どうした論理展開であろうか。だが、同様なことが何度かあったが、それらの”追突者”は全く自らの過誤を疑う余地もなく一方的に怒りをぶつけてくる。
金森としては非を感じないので謝意を表示ない。捨て台詞で過ぎ去られることが多いが、さらに詰め寄られ、事態に気が付いた駅員や警戒中の(特に東京駅構内には多く配置されている)警察官が駆け寄り、相手が逃げ去るシーンなどもある。
どう考えても本人が全く注意を払えない後方からの追突で、怒られるのはオカシイと思うのだが、そう考えるのは間違っているのだろうか。

しかし、怪我をする前によく行っていたスキー場でのトラブルを思い起こすと何やら関連性が感じられる。
ゲレンデにまだ慣れていない、技量も乏しい幼少児がヨロヨロと滑っている。いい大人であれば余裕を持って大きく回避するところである。
だが、当人も技量がないのか、はたまた無謀なのか、大人げもなく後ろから突っかける馬鹿者がいる。その時、耳を疑うような会話。

母親:「○○チャン!何やっているの!謝りなさい!!」
追突者:「いえ、いいんですよ。。」
・・・お前ら、頭オカシイんじゃないのか?突っ込まれた子供の親、当然怒るべきところだろう?突っ込んだ馬鹿、謝るところだろ?全く意味がわからない会話だ。

こうした、被加害の逆転がまかり通るような感覚が蔓延しているから、金森に駅社内で追突してくる人間が激高するのであろう。
「事なかれで済まそうとする感覚」と「自らの不利益にのみ敏感な感覚」が同居する今日。人の「怒りどころ、謝りどころ」がズレはじめているように感じられる。
個人の生活の中でも、顧客対応のシーンにおいても、ロジカルに原因がどこにあり、どちらに非があるのかを明確にして論旨を展開することが求められるのは間違いない。
果ては米国型の「訴訟社会」に行き着いてしまうのかもしれないが・・・。


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2007.05.28

「第12回データウェアハウス&CRM EXPO」講演概要

先日「第12回データウェアハウス&CRM EXPO」の「コンタクトセンターゾーン・特別講演」で、金森が行った講演の概要がジャストシステム社のメールマガジン「Knowledge Power Magazine」にて紹介されました。
同社の許可をいただき、以下に転載します。

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タイトル:「コンタクトセンターにおけるFAQの有効活用
     ~プロフィットセンター化の可能性を探る~」
講師:(有)金森マーケティング事務所 金森 努


コンタクトセンターの企業における位置づけが今日大きく変化しようとしている。
まずは全社的に、特に経営層までその認識を新たにすることが重要である。
“Customer Contact Management”という考え方が米国では定着し始めている。
インターネットの普及に伴い、従来、企業内にはなかった顧客接点が様々登場し、たくさんの顧客データが分散して蓄積されるようになっている。それらを全て統一しマネージしていくことが求められているのだ。社内のどこかに例えば製品の欠陥情報など、顧客から寄せられた情報が埋もれていたとする。これからの時代、それは経営者まで遅滞なく届けられることが重要で、「知りませんでした」では済まないのである。また、ネガティブな情報が拡散しないよう、顧客の声が寄せられた窓口で適切な対応が必要となる。そのためにも、顧客接点をコンタクトセンターに集約し、FAQなどによって応対レベルを向上することが急務なのだ。
まさに、コンタクトセンターはこれからの時代、企業のあらゆる部門の「ハブ」となることが求められており、FAQはそこでの中核的なエンジンとなるのである。

具体的なFAQ構築について、実は初期の構築段階で成否の半分以上が決 している
といっても過言ではない。

まずはチームビルディング。FAQ構築プロジェクトは全社横断的に行うことが肝要だ。一部門だけのプロジェクトではその重要性や目的が全社に正しく認識されないことも少なくない。場合によってはセクショナリズムの壁に阻まれ、情報のレベルや会社の差の有無など適切な情報が入手できない危険性もある。あくまでも全社的な取り組みとして認識を持つプロジェクトチームにすることが大原則である。

次に適切なソリューションと構築パートナーの選定。FAQソリューションは多数出て いるが、安易にパッケージやASPを素のまま導入することは避けるべきである。まずは必要なコンテンツと自社に最適な業務フローを設計する。そして、システムはそのフローとマッチするようカスタマイズできるかがポイントになる。間違ってもシステムのフローに業務フローを合わせるようなことをしてはいけない。そうした安易な導入は、使い勝手が悪く機能しないFAQになってしまう。腰を据えて「自社ならではのFAQ」を構築すること。また、その構築能力のあるパートナーを選定することが成功の秘訣である。

さらにシステムがカットオーバーしても、それは終わりではなく始まりであるということを忘れてはいけない。FAQは運用後、評価・分析→蓄積・集計→再構築と いうサイクルで磨き込むことこそが重要なのだ。

「コンタクトセンターのプロフィット化」は過去から現在までスローガンとしては語られていたがなかなか実現できなかった。しかし、FAQというしくみによって、企業のリスク低減と効率的なオペレーション、顧客満足の向上による収益増という好循環によって実現できる可能性が見えてきたのである。

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尚、同講演においてはFAQ構築実務に関して、インサイト株式会社 代表取締役 鈴木 美佳氏にご協力いただきました。(http://blog.insightcorp.jp/

また、「Knowledge Power Magazine」では、コンタクトセンター、ナレッジマネジメント、エンタープライズサーチなどの話題が月に1~2回配信されてきますので、ご興味のある方は以下をご確認ください。
http://www.justsystem.co.jp/km/press/

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2007.05.25

たまにはラーメンの話題でも

先日、前職の旧社屋があった界隈に所用あって立ち寄った。時はちょうど11時過ぎ。
当時「毎日でも食べたい」と思い、事実通いつめて体重の増加に随分貢献してくれたラーメン店を思い出し行ってみることにした。
「この時間だともう行列だろうなぁ」と思って到着すると、あっさり入店できた。メニューを見ると何か変わっている気がする。あ、値段が安くなっているのだ。これは嬉しい。繁盛したので、謝恩価格なのか?
ともあれ、名物の塩ラーメンを注文する。ここの一番は、単純な塩味ではなく、実は澄んだスープの色に似合わない、濃厚な様々な出汁が利いた味わい。少々、濃い味で健康が気になるのだがともかく旨い。

期待して一口すする。あれ?意外と薄味。客への健康配慮か?更に一口。・・・薄いのではない。味が・・・しない。
一番の特徴であった、様々な出汁が醸し出す深い味わいがなくなっている。随分と単純で薄い味。
ふと冷静になってみて、周りを見回すと、以前に比べて店に活気がない。当時なら続々と人が押し寄せ行列ができる時間だ。パラパラと来店客はあるが、満席にはならない。
更に店員の数も少ない。また、「ランチには小ライスがつきますが、お付けしますか!」という元気なその声掛けもない。当時はその勢いに「太っちゃうなぁー」と思いつつ、ごはんがスープの味と、チャーシューに実に合うので、ついもらっていたのだが、サービスはなくなったのか?と、思ったら、常連とおぼしき若いサラリーマンが、「ライスください」というと、店員が返事もなく持ってくる。うーん、何と活気が無くなったものか。しかもよく見れば、チャーシューの枚数が減っているではないか。安くなっていて当然だ!と少し腹が立ってくる。

こんなもので腹を満たして太っては損してしまう。と、三分の一ぐらいをどんぶりに残して店を出る。「ごちそうさま」と一言言うも、かつての「ありがとうございましたぁ~!!」の元気な声はない。残したことを怒っているのか、活気がない一連の対応の続きなのか。
店を出てふと周りを見回してみると、斜め前に「刀削麺」の新店舗がある。人が続々入っていく。
あら、そっちに客を取られてしまったのか?

もともと、このエリアは老舗だが人気のないラーメン店が一店と、どうにも衛生的でない昔ながらの中華屋が一軒あるだけの、「ラーメン真空地帯」であった。そこに当時進出してきて大成功したのがこの店。
その後、表通りに有名チェーンの豚骨ラーメン店や、しょう豚骨の店、さらに一本向こうの通りにも博多ラーメンの店ができても、この店はチャンピオンの座を保ち、常に常連が列をなしていた。

そんなある時、いくつかのグルメ誌や、タウン誌に立て続けに取材・掲載され、遠方からも人が大挙して行列に拍車がかかった。昼休みの時間が限られている、近隣の常連サラリーマンは店に近づけなくなった。
さらに、土曜などの休日出勤時に「こんな日なら」と時間をずらして行ってみても行列は絶えることがなかった。
そうこうしているうちに、社屋が移転して、その店に行くこともなくなっていたが、久々に行ってみたら、様子は冒頭に記した体たらくであった。

元々、カウンターにほんの少しテーブルがあるだけの小さな店だった。常連客だけで溢れかえっていた。なぜ、それで満足ができなかったのだろう。
雑誌やその他メディアに取り上げられるのは名誉なことだろう。しかし、常連が寄りつけなくなってしまうほど、一見客を集めてどうするのか。結果は今日如実に表れていたように思う。新規顧客が集まること。名声を得ること。それもよかろう。しかし、既存顧客をおろそかにした結果の代償は大きかったようだ。
一見客が去って、かといって常連客も戻らず、その後にできた新店に取られる。客が減り、利益が減った穴埋めを人減らしと、恐らく材料費の削減をして、結果としてサービスの低下、味の低下。また、さらなる客の減少という、止まらない悪循環に陥ったのではないだろうか。
どこかで立ち止まった考え直すことはできなかったのだろうか。

いや、他の商売でも一緒だ。他山の石として考えてみたい。

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2007.05.24

「“クサイ東京”にオリンピックはやってくるのか?」

過日、東京国際展示場(東京ビッグサイト)へ事務所のある新橋から「ゆりかもめ」に揺られていった。第12回「データウェアハウス& CRM EXPO」が開催されていたためだ。目的は二つ。併催されているセミナーに講師として招かれていたことと、イベント自体の取材のためである。
このイベントは毎年多くの来場者があるが、今年はさらに大規模な増員が予想された。同時開催の関連イベントを含めると、例年を大きく上回る1,500社余りが出展し、さらに一画には今年初開催の「Web2.0マーケティングフェア」も開催されている。非常にキャッチーなテーマであるため、集客は一層進むだろう。人混みは苦手な方なので、できれば遠慮したいところであったが仕事は仕事。気合いを入れて会場に向かった。が、場内に入るとすぐに具合が悪くなってきた。人混みは覚悟していたが、さらに思わぬ伏兵に出くわしたのだ。その正体は「ニオイ」。
当日の東京は摂氏26度を超える夏日。人が大量に集まる場所は当然のように、「ひといきれ」がしている。環境配慮のためか、場内の温度は随分と高い。当然のように汗臭さが漂う。さらに、ちょうど時刻が正午過ぎだったため、展示会場までの長い通路に軒を並べる飲食店から放たれる食べ物のニオイが充満している。展示棟は東西に分かれ、会議棟も別にあるが、こちらサイドには和・洋・中華、全部で5店、計850弱の客席があるという。オープンカフェになっているためか、特にカレー・洋食系とおぼしきニオイが濃密だ。ほかにも弁当売りのワゴンが出ていて、それを購入し、会場横の休憩用ベンチで食している来場者もいるのでそれらのニオイも混じっているのだろう。
人が放つニオイと食物のニオイ。これが混ぜ合わさるとかなり壮絶な臭気となる。「ナゼみんな平気なのか?」と思い、知人の出展者やほかの講演者に聞いてみた。みんな我慢していたようだ。

同会場には、東京オリンピック招致委員会によるものと思われる「オリンピックを東京に,2016年!」という横断幕が掲げられていた。そういえば、この会場は財団法人日本オリンピック委員会が後援し、オリンピック招致アピールの様相も呈していた「東京マラソン2007」のゴールになっていたのであった。また、選手村として予定されている有明とも目と鼻の先だ。しかし、この会場の様子からすると、不安になってくる。招致に成功したとしても、今の日本は世界中から人々を招き入れる資格があるのだろうかと。そう、「公共の場所」で日本ほど「ニオイ」に鈍感な国はないのではと思ったからだ。
ニオイといえば日本人は欧米人の体臭の強さや、アジアの街独特のニオイをよく口にする。しかし、アジアでも欧米でも筆者は「公共の場」でこれほどニオイが気になった記憶はない。この「国際展示場」だけの問題ではない。例えば日々利用する鉄道の駅舎やホームという「公共の場所」も食べ物のニオイが満ちあふれている。実はこの原稿は、講演の帰路にて内容を思いたち列車中で書き始め、終わらなかったので地元の駅のベンチでパソコンのキーを叩いて書いている。ホームには蕎麦つゆの香りが漂う。それと、隣接したスーパーからであろうか。総菜を揚げる油のニオイも入り交じる。
しかし、一地元の問題ではない。「公共の場」という意味では筆者が一番嫌いなのが、地方から羽田空港に戻り、出口のゲートが開いたときのニオイだ。ご存じの方も多いのではないか。「カレー臭」である。到着出口斜め前にあるスタンドカレーショップから放たれてくる「ニオイ」である。空腹時ならまだいいかもしれない。しかし、搭乗前に間に合わせの食物で腹を満たし、機中でまどろむも疲れが芯に残っているコンディションにはキツイ。羽田は国際空港である。場合によっては遠い成田ではなく、羽田に各国の選手を迎えるかもしれない。その選手にも「カレー臭」を嗅がせるのだろうか。

結局は「人を思い遣る心」という、ありきたりな言葉になるのであろうか。しかし、「オリンピックを東京に」というなら、「東京国際」と銘打たれた見本市会場。さらに、「東京の空の玄関口」のこの「ニオイ」はどうしたものか。欧米人の体臭の強さ。それは体質なので仕方がないが、逆にそのマイナスを打ち消すためパフュームの文化が発展し、ニオイにはかえって敏感だ。日本人は体臭が薄いゆえにニオイに鈍感であるという論を聞いたことがある。正にその通りなのかもしれない。しかし、国際社会でそれは通じないだろう。 
さらに危惧されるのは日本の「ニオイに対する鈍感さ」に加えて、昨今問題になっている「公徳心の低下」である。なぜか最近ゴミを平気で道ばたに捨てる人々が目につく。「ゴミを捨ててはいけません!」と筆者は当たり前に育てられていたが、そうでない人が多くなってきたのか。菓子やタバコのパッケージを歩きながら開封し、自然な一連の動作のように、それをそのまま道ばたに捨てる。「公共の場で放置される“ニオイ”もしくは“臭気”」と根を通じている気がしてならない。
そんなことを考えていると「オリンピックを東京に,2016年!」の横断幕がナゼか虚しく思い出された。1964年の東京オリンピックを迎え入れた当時の日本。高度成長末期。実に翌年には昭和40年不況と呼ばれる困難が待ち受けていた。その予兆はあったかもしれないが、海外や日本全国からの来訪者を迎えるに当たり、精一杯の配慮をしたのではないだろうか。それに比べ、今の東京に慢心はないだろうか。余裕で再選を果たした石原都知事はオリンピック招致に自信満々であるが、「ニオイ」という見えない存在に代表されるような「隙」がもっとあるように思うのは、穿ったモノの見方すぎであろうか。

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2007.05.23

季節の移り変わりの感性まで捨てるのか

どうも最近、このBlogの記事が「マーケティング」を離れて、「社会時評」めいていると言われることがある。確かにそうかもしれない。
しかし、経済活動は「社会」という大きな枠組みの中で行われている。
また、「カスタマーインサイト」に代表されるマーケティングの要諦である「顧客心理」も、その動きにつれ大きく変わる。
「社会全体の大きな動き・うねり」を看過することはできないのだ。

と、大上段に始まってしまったが、実は今日は「ラーメン屋での体験」という、久々のユルユルなネタを用意していたのだが、どうしても気になることがあり、その記事は金曜に廻すことにした。まぁ、そういうネタは週末の方がいいかもしれないし。

さて、標題の件。「サマータイム制の導入」についてである。
日本では過去1948年から4回にわたって実施、その後廃止されていると記録にあり、また、1995年あたりから「省エネのため」というほぼ、今日と同じ名目でに何度も話が出ては消えしている。
しかし、特に、今回は日本経団連と自民党中川幹事長が「温暖化対策」という昨今の金科玉条のごとき名目を持ち出し、安倍総理も温暖化対策が焦点となっている6月の主要国首脳会議で日本のアピール材料として積極的に持ち出す構えを見せているようだ。何となく今回は押し切ってしまいそうな様相が見て取れる。

「サマータイム反対派」の論は、「1時間ぐらい時間を繰り上げても、夕方明るいうちに仕事が終わるわけないだろ!」というものが大半だ。確かにそうだろう。
先だって見送られた「ホワイトカラー・エグザンプション」もそうだが、どうにもこの手のことを推進しようとする際、経団連も自民党も、実行に際しての詳細を詰めずに大枠だけでその是非を論じようとするのだろうか。
これで押し切ろうというのであれば、また「ホワイトカラー・エグザンプション」の時と同じく、「残業が増えるじゃねぇか!」と反対の大合唱が起きるだろう。

ただ、今回金森はちょっと別の観点でこの制度の導入に反対をしたい。マーケターらしからぬ、ロジカルでない切り口かもしれないが、感性の問題だ。
個人的に、春から夏にかけての季節が好きだ。薄暗いうちから仕事に向かい、終わった頃には空にはしっかり星が出ているような厳しい冬を経て、朝目覚めると「ああ、もうこんなに明るくなっている」と驚かされる春がやってくる。夏には「こんな時間なのにまだ薄明るい」と熱気と夕風が入り交じる残る薄暮の街に少しワクワクする。
季節によって、勝手に時間を繰り上げたり、繰り下げたりしていては、そうした感覚などなくなってしまうだろう。
特に夜、必死で働いて、何とかまだ薄明るいうちに仕事を終えられたときの喜びはなくなる。かえって「まだ明るいから」とダラダラ仕事をしてしまいそうだ。

先日、「祝日を移動させて秋の連休を作る」ということに反対の論を述べた。今度は、季節感さえも奪おうというのだろうか。
祭日の「本来の謂われ」を忘れ、「四季折々で感じるべき風情」も人工的にかき消し、ものごとの「節目」をどんどん喪失していく。
そんな国を「美しい日本」と、その言葉を発した宰相は呼べるのであろうか。
様々なところで「節目」を失っていって、今、この国がどんなにグダグダになっているのか、その目をよく開いてみるがいい。

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2007.05.22

これでいいのか文科省?

大学の非常勤講師をしている。ビジネススクールでも株式会社大学院のコースで教鞭を執ることもある。
4年前に某大学の客員助教授になったとき、文科省の認可を受けるために、恐ろしく詳細な履歴書を提出して許可が下りた。
ということで、金森は文科省管轄の人間でもあるのだが、その厳しい審査の過程からすると「え?」と思わずにいられない。
既にあちこちで批判記事が掲載されているので、内容がかぶることを覚悟で一言わずにいられないのだ。「サッカーくじ、BIG」。

スポーツ全般に疎いが、特にサッカーには関心がない。また、賭け事といえば、数年に1回ジャンボ宝くじを気まぐれに買う程度なので、これまた疎い。
で、サッカーくじの「toto」が発売された時も、「何で文科省管轄なんだ?」と思いつつもさして関心を払わなかった。
公営ギャンブルの元締めをやっておらず、財源が欲しかった文科省がいよいよ乗り出したのだな。と思いつつも、「サッカーの勝敗を予想しくじに投票することにより、サッカーへの関心を高め振興を促す」というもっともらしい言い訳に、「まぁ、いいか」とことさら問題視しなかった。
しかし、全く気付かなかったが、なぜこんなに今回のBIGが大フィーバー(死語)しているのかと思えば、勝敗結果は単なる賭のための要素でしかなく、勝ち負け予想はコンピュータが勝手にやってくれるそうではないか。(今さら驚いていて済みません)。
そのため、サッカーに関心がない人でもキャリーオーバーで高額になった当選金目当てに殺到することになったということだったのだと今さら納得した次第だ。
・・・「文科省がギャンブルの胴元になるのか」という批判をかわしたあの一言、「サッカーの勝敗を予想しくじに投票することにより、サッカーへの関心を高め振興を促す」はどこへ行ってしまったんだ?

一夜明けた平成19年5月21日(月)の日経新聞の一面コラム「春秋」でも問題にしていたが、結論は、「(サッカーくじの)主力商品であるtotoの顔をしているが、全く別人である。ここまで落ち目になったら背に腹は替えられないか。」と結論づけ、「夢の逆転シュート」などと記している。
・・・違う。「勝敗予測でサッカー振興」というウソでもいいから「大義名分」があるうちはまだいい。しかし、それさえ失って、「背に腹は替えられない」と「夢の逆転シュート」を狙い、どう考えても「ギャンブル」としか言い訳ができない行為に手を染める。それも文科省がである。
副業に手を出した教師が、「背に腹は替えられない」と「夢の逆転シュート」をねらい、「自宅で賭場を開張。寺銭を手にして再起した」。としたら、「よかったなー、人生やり直しがきくもんだ」と祝福してもらえるだろうか。そんなわけはない。
「物事の大儀」を何と考えているのだろうか。今、正に「小学校の道徳を再び正規科目に」などと論議している最中にである。

以前も書いたが、貸金業法改正によって、「貸す蛇口」はギュッと絞っているが、昼日中にパチンコのCMを垂れ流しているように、「使う側」は一向に締め付けず、ユルユルだ。
今回のサッカーくじに高額を突っ込んだ人間も少なくないだろう。
ギャンブル天国(実は地獄)な日本。その胴元の一人として、今回は文科省がシメシメと言っているのである。
「倫理」という羅針盤の壊れた「日本丸」はどこへ漂流していくのか。
「はい、伊吹君。答えて!」

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2007.05.21

どうにも気になる”何でも2.0”

細かい言葉遣いを云々するのはどうかと思いつつ、ここの所どうにも引っかかっているので文章にしてみたい。「××2.0」というヤツだ。
大元はビジネスマンならずとも、多くの人が既に耳になじんできた「Web2.0」。そもそもこの言葉は昨今のインターネットにおける変化をティム・オライリー氏らが2005年9月に「What Is Web 2.0」という論文で紹介したことが最初だ。その中にはBlogに代表されるように、高度なWebサービスの活用により、情報発信の主体が一般ユーザーに広く拡大し、RSSやなどにより個々のサイトが自律的ネットワークを形成していくという特徴を捉えている。さらにそのことから広告モデルが変化したり、インターネット上の商品の売れ方まで変化したり(ロングテール)という様々な事象を包括した概念である。

Web2.0の解説は他のサイトに譲るとして、ここでのポイントはオライリー氏は、インターネットの様々な変化を捉え、気が付けば、例えばソフトウェアがメジャーバージョンアップして別物の様に機能アップしたことに例え、””2.0”という言葉を使っていることだ。(ソフトウェアの世界ではバグの改修や小さな機能の追加は、マイナーバージョンアップと言われ、コンマ以下の数字を上げていく。例えば1.2とか、1.2.4とか。)

しかし、最近の2.0はかなり強引な使い方が目につく。「DoCoMo2.0」。確かに言いたいことは分かるし、キャッチーで目を引くいいコピーだが、よく考えれば既に携帯電話は第三世代(3G)になっているので、次の世代になるなら4.0(4G)ではないか?それとも世代が変わるほど大きなテクノロジーの変化でないなら3.5ぐらいか。
4.0と言えば、映画のシリーズ物まで”×.0”がタイトルに使われるようになった。「ダイハード4.0」。普通、シリーズ第四作なら、単純に「ダイハード4」だが、やはり、キャッチーにしたかったのだろう。勘ぐれば、後から「完全版」やら「ディレクターズカット」やらを出して4.2や4.5とするのかとも思うがそんな手の込んだことはすまい。

確かに、キャッチコピーとして使われるぐらいならいい。本来のソフトウェア用語やWeb2.0の概念を踏襲していることがまだわかるからだ。しかし、そこを離れて、さらに一般人の日常会話にまで入り込んでくると、もはや訳のわからない言葉になってしまう。先日電車の中で「まぁ、”俺2.0って感じ?”」としゃべっていた若者の言葉を聞いた。本人としては「今までの俺とは違うのさ」と言いたいのか。だとすればさぞや生まれ変わったような変化があったのだろう。
言葉の問題になると、金森は少々神経質になる傾向があるのだがどうにも気になる。”2.0”は前述の通り、ソフトウェア開発やWeb2.0のことなどが分からない前提で使われると、どんどん本来の意味から乖離し、また、相手によっては伝わらない、もしくは曖昧な相互理解を生んでしまう言葉になりそうなのだ。おもしろがって遣っているうちはいい。しかし、こんな言葉だらけになると、益々人と人の子コミュニケーションレベルが低下してしまいそうで心配なのだ。

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2007.05.17

「内部統制セミナー」

「企業の内部統制」に関するお問い合わせを受けることが最近多い。
何で金森の所に問い合せが来るのかナー?と考えると、専門は「マーケティング」であるが、もう一つの芸域として「ナレッジマネジメント」があり、日経ナレッジマネジメントフォーラムなど大規模なイベントでも何度も講演をしているからだろう。
あくまで金森はマーケティングの延長線上として、「社内ナレッジの有効活用」を説いているのだが、同じイベントの他のコマでは「内部統制」や「J-SOX」に関する講演も行われている。
コンサルタントの性として、何か尋ねられれば知っていることを答えるが、専門領域でないことを曖昧に答えるのもプロとしては失格だ。
なので、本日は金森が理解している範囲での「内部統制」及び「J-SOX」について少し記し、ご関心のある方にお勧めのセミナーをご紹介することにしたい。

J-SOX法は2009年の決算から適用されるため、2008年中には完全に社内で”しくみ”ができて機能していなくてはならない。まだ少々時間に余裕があることではなく、ほとんど手をつけていないなら、一刻も早く着手しないといけない課題なのである。
まずは、米国SOX法(Sarbanes Oxley act )とその日本版であるJ-SOXの違いを認識しなくてはならない。米国SOX法の特徴は404条と409条の関連にある。
404条:Management Assessment of Internal Controls
内部統制の経営的評価:内部統制に対する経営責任の明確化
409条:Real Time Disclosure
リアルタイムな情報開示:企業経営に影響を与える情報の早急な開示

では、日米の違いは何か。最も顕著なのは、米国SOX法はITの使用を義務付けていないが、日本の金融庁はITの使用を前提としている。それ故、”リアルタイム性”がより求められることになるはずだ。
事実、米国では”リアルタイム”といっても「企業内部の意思決定に関すること」は数日、「株主利益に関わること」でも数時間、関連ドキュメント提出までの余裕がある。しかし、日本の場合ITの使用を前提としているため”リアルタイム”と言ったら本当に”即時”に出さねばならないことになるだろう。
そのため、最近開催される関連セミナーはIT企業が開催しているものが数多い。確かに、”ITの使用前提”なのだから、IT企業に具体的なソリューションまで紹介された方が手っ取り早い。いかに自社の業務プロセスにマッチしたソリューションであるかと言う観点で判断することも可能だからだ。
その判断をする際は、以下のJ-SOXの要点が最低限カバーされていることは要確認だ。ポイントは3つ。
・決算報告において信頼性を確保するための内部統制機能を備えていること
・上記内部統制機能が有効である事を確認運用していること
・これらの内部統制機能を外部の監査人が監査すること
つまり、「財務諸表の正しさ」と「虚偽の決算報告をしていない」ということがリアルタイムで提示できるソリューションであることが最低条件なのである。

・・・ということで、ここらへんで金森の引き出しは底を尽きる。専門分野ではないのでカンベンしてください。
なので、お勧めのセミナーを以下にリンクを設定します。
IT企業主催ですが、基調講演のスピーカーはこの分野の第一人者です。餅は餅屋。ご関心のある方は是非こちらのセミナーへどうぞ。
そして、マーケティングとナレッジマネジメントに関するお問い合わせは、金森まで是非。

基調講演:「内部統制時代を生き抜く企業側の心構えとは」
講師: 牧野総合法律事務所 弁護士 牧野 二郎氏
http://www.xfy.com/jp/xfyforum/index.html

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2007.05.16

なくしてわかる不便さ:KIOSK

何とも不便な日々が続いている。「何かのどがイガイガするので、飴が欲しくなった」。「電車の車内吊り広告で気になった週刊誌が欲しくなった」。「ちょっとのどが渇いた」。そんな時、JRのホームや駅舎内に設置された売店、KIOSKは確実のその欲求を満たしてくれていた。
それが相次いで閉鎖されている。大方、JRのSuica戦略の一環で、何かすごい次の展開をする準備をしているのかと思っていたら、正社員をリストラし、パート・アルバイトへ転換しようとしたが、採用がうまくいかずに人繰りができなくなって休業、もしくは閉鎖が相次いだという何ともお粗末な結果のようだ。
流通業や、流通に品物を卸しているアパレルなどのメーカーは各社が、競争力強化のため非正社員を正社員化するという流れに逆行するような展開。
KIOSKの店員の多くが正社員であったとは知らなかったが、狭い店内に押し込まれた数多くの品物の価格を把握し、客が差し出した品々の合計価格を計算し、突き出された代金から釣り銭を差し出すという「瞬間芸」は正に「職人技」である。貴重な人材であったことは間違いない。
最近ではSuica対応のPOSレジに置き換わり、その職人芸よりも随分と時間がかかるようになってイライラさせられた覚えがある。POSレジに置き換えたことにより、職人芸ではなく、「誰でもできる仕事」になったため、非正社員への転換・リストラへとJRは考えたのであろうか。しかし、提示した時給が昨今の人材難にしては随分と低く、採用が間に合わなかったということが実情のようだ。
KIOSKが最近流行の「駅ナカビジネス」で、利用者にとっては「あれば利用するが、なくても構わない」というレベルの存在だったら、「あーあ、戦略間違えちゃったんだ(苦笑)」という程度で済む話である。
しかし、KIOSKがない生活は多くの駅利用者にとって不便・不利益になっている。

ここの所、当BlogでP.コトラーの「製品特性分析モデル」を取り上げているが、今回もそれで考えてみたい。「三層モデル」である。
三層で考える時、「製品」は、「中核」「実体」「付随機能」の三つに分けられる。
「中核」とは顧客が製品やサービスの購入で手に入れたい主たる便益を表す。
「実体」とは製品のブランド、品質水準、デザインやパッケージといった製品の特性を構成する要素である。
「付随機能」とは、上記に加えて、製品の中核価値に直接的な影響は及ぼさないが、その存在によって製品の価値を高めている要素を表す。
ここで注意しなくてはならないのが、以前、日経のコラムを転載し図表入りで以前紹介した「五層モデル」におけると異なり、三層は一番外側の「付随機能」までが基本的には「顧客から求められている価値」であると言えることだ。
五層モデルの外側二層「拡大」「潜在」などは製品によっては「無くてもいい」要素だ。しかし、三層モデルは卵の「黄身」「白身」「殻」に置き換えられるように、いずれもなくてはならない存在である。

さて、KIOSKであるが、「駅」もしくは「鉄道」というビジネスにおいては、上記の一番外側である「付随機能」に相当する。
鉄道の「中核」は当然、「安全な運行」であることは間違いない。さらに「実体」は「正確な運行」であろう。(ちなみに、この中核と実体を取り違えると、悲惨な鉄道事故につながる)。
そして、「付随機能」は各種の駅の設備や職員の対応に相当しよう。その中で、KIOSKは既に様々な駅設備と共に、利用者の生活にとけ込み、鉄道の中核たる「安全な運行」には影響は及ぼさないが、それがあることによって「駅」という存在の利便性という価値を高めていたのである。

事業者側は、ほんの「サイドビジネス」と考えていたのかもしれない。また、鉄道事業に占める売上・利益からすれば細微な存在だったのかもしれない。
しかし、利用者にとってはなくてはならない存在として生活に浸透していたのだ。意識すらしていなかったが、閉鎖されたホームのKIOSKの店舗に張られた「改札外のコンビニ・New Daysをご利用ください」の表示を見て、「そんなワケあるか!」と利用者便益を無視した姿勢に憤りを覚えた。
今まで意識もしていなかったが、なくなった事による不便さで、その存在が大きかったことが初めてわかった。
事業性のほどはわからないが、利用者の立場に立って、早期に解決を望まずにはいられない。
卵は「黄身」「白身」が重要であるが、「殻」もなくては「卵」として存在し得ないのだから。

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2007.05.15

「秋のゴールデンウィーク構想」に対する違和感

「秋のゴールデンウィーク構想」に対する違和感

昨日新聞で「11月初旬に既存の祝日の日程を移動させ、連休を増やす構想が与党内にある」という報道があった。11月3日の文化の日の前後に体育の日(現在10月第二月曜)と勤労感謝の日(同11月23日)を移し振替休日などで四連休以上を作ろうというもの。論拠としては、「働き過ぎを減らす」と「(連休による)名目家計消費アップによる経済効果創出」であるようだ。
しかし、この構想、どうも違和感が否めない。そもそも、こうした祝日を流動化させ、連休を創出するという考え方は、2000年に制定された「ハッピーマンデー法」の流れを汲むものであると思われるが、今回候補になっている「体育の日」は同法により、10月10日から10月第二月曜と既に流動的な休日に既に変更されている。

体育の日は1966年に、「祝日法」によって「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」事を趣旨とし、1964年東京オリンピックの開会式のあった日に因んで祝日に制定されている。もう一方の勤労感謝の日 は「旧・新嘗祭」である。「新嘗祭」は「天皇が五穀の新穀を天神地祇に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫を感謝する祭儀」であり、転じて1948年に「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」ことを趣旨として同「祝日法」によって「勤労感謝の日」と制定された。詳しい制定の経緯が調べ切れていないが、自らの労働の成果たる“新穀”を天神地祇に勧めるとともに、自らもこれを食することを、広く労働の成果に感謝するという主旨に転じたのではないかと思われる。
報道には「伝統的な祝日を移動させることは保守系の議員を中心に反発も予想される」とある。しかし、祝日には「そもそもの謂われ」がある。保守云々ではなく、「体育の日」は高度成長期の成果の象徴たる「東京オリンピックの開催という成果を記念として残そう」としたものであろう。「新嘗祭」=天皇=保守というような単純な連鎖で拒否反応をする人がいるかもしれない。しかし、保守なのか否かはともかくとして、前述の「そもそもの謂われ」をないがしろにして「顔のない休日」にしてしまうことには抵抗を感じる。祝日には休日という時間的な余裕の中で、その節目でそもそもの意義を考えたり、感謝の念を感じたりすることに意味もあろう。それを流動化させるのは、どこか物事の節目と礼節を失った今日の社会を反映している気なしてならないのだ。

また、今日の環境の中でなぜ「連休を創出」する必要があるのか。一つには団塊世代の大量定年~高齢人口の増加である。「毎日が日曜日」である人が増えていくのだ。その人達にとっては、「連休」という機会に、民族大移動とも揶揄されるような集団行動に巻き込まれることはあまり嬉しくはなかろう。今年の連休明けの日経新聞コラムにも、現役時代のクセで、つい夫婦で連休に旅行に出かけ、ひどく疲れてしまったという人の話しが紹介されていた。
また、「連休を作るより、そもそも休暇を自由に取れる環境を作るべき」という指摘もある。実際、一律に連休を作られてしまっては、祝日に休暇を加えて「自分だけの連休」を作ること。即ち、有給休暇取得の機会を喪失させることにもなりかねない。多様な労働環境が求められている中で、休日が固定化されるということは、どうも前時代的な気がしてならない。

(今回の祝日の起源に関してはWikipediaの記述を参考にした。)

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2007.05.14

コンビニにおける「顧客志向」 By.青学生

コンビニエンスストアに顧客が求める「価値」とは何だろうか。
まず「開いていること」。これがマーケティングの大家、P.コトラーが”製品特性三層モデル”で定義した「中核」であることは間違いない。
セブンイレブンの「開いててよかった!」の名コピーは何年経っても色褪せない。
加えて、円滑なオペレーションが、三層モデルの二層目である「実体」に当たるだろうか。品出しをしている担当者が、少しでも会計待ちの客が溜まると、クローズしているレジをさっと開けて、「お次にお待ちのお客様どうぞ」などというものだ。
最近はマニュアルが進化してきたためか、さらにオペレーションが磨かれてきているように思う。一方、そうした応対ができていないコンビニは、どこか空気が淀んだように活気がなく、いつしか閉鎖されていたという例に何度か遭遇した。

さて、先週末土曜日、いつものように青山学院大学にて「産業論(ベンチャービジネスとマーケティング)」の講義を行った。内容は「顧客視点・顧客志向について」であり、”金森節”の中核をなすパートである。
当Blogを以前からお読みいただいている方にはおなじみだが、まず「顧客がそのビジネスに求める”本質的価値”」を理解すること。それを通じて「顧客に利便性と納得・満足を提供すること」。そのためには「顧客に対する理解を深めること」である。
上記を得意の「生命保険会社セールスマンの例」や「銀座伊東屋の顧客対応の極意」などの例を用い、学生にわかりやすく伝えたつもりだ。
すると、講義終了後、一人の学生が質問に来た。「コンビニでバイトをしているが、先の例を当てはめると、どういう事になるのか」と。そこで自分の考えを述べさせると、非常によい回答が返ってきたのである。

曰く「自分はできるだけ担当している時間帯の馴染み客を覚えるようにしている。そして、例えばいつもタバコを買いに来る客にはレジに来たとき、注文される前に”いつもの銘柄”をスッと差し出すのだ」という。
コンビニエンスストアといえば”マニュアルに基づいた画一的な応対”を思い浮かべてしまうが、「顧客の想定しているレベルを超える応対」を目指している”現場のアルバイト”の熱い思いを聞かされ嬉しくなった。
マニュアルが定められている場合、それは「最低限の顧客満足」を確保するため励行されるべきであるが、それを超えた「顧客の期待以上のサービス」が提供できるか否かは「現場担当者の問題意識」にかかっているともいえる。「伊東屋」はその好例だ。
コンビニエンスストアの場合、やはりマニュアルに基づいた一定品質のオペレーションが基本であり、余り奇をてらった対応に走りすぎるのは問題だろう。
しかし、マニュアル通りの応対を漫然と行うのではなく、それを超えようという担当者を採用し、さらに動機付けし、良好なサービスを提供させることは、店舗の経営にも大きく影響するはずだ。
都市部では店舗過剰傾向にあると伝えられる同業界。生き残りのためには、彼の学生のような”熱いハート”の持ち主の確保が必要となってくるのではないか。

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2007.05.11

「全く当たり前」なことなのだが・・・ちょっと感動

標題の通り、今日は「当たり前」話なのだが、チョット皆さんにも考えていただきたい、電話応対のコトなのだ。

昨日、ある品物が必要になり、売っていそうな店をいくつか思案し、地元の某ディスカウントストアを思い出した。
特別な店ではない。小規模な二階建て。一階が食品と生活雑貨。二階には家電・工具・文具・ペット用品という品揃え。
普段その店に電話などしたことはないが、今日は無駄足をしている時間はない。探している品物の取り扱い有無と在庫を事前に確認したかったのだ。
iモードの「iタウンページ」で店の代表電話番号を探し当て、早速かけてみる。男性店員が電話口に出たので、探している商品の概要・使用用途を伝える。
すると、その男性店員はこう応えた。
「お客様、お探しの品物はよくわかりました。在庫があるか、担当売り場に繋ぎます。恐縮ですが、売り場担当がお探しの品物の内容についてもう一度お客様に伺うかもしれませんがご容赦ください」。

何の変哲もない応対ではある。さらに、もっと気の利いた応対を望むなら、最初に電話に出た男性店員が、金森の捜し物について売り場担当者に申し伝えをすればよいのだ。
しかし、この小規模な店舗に代表電話番号に出る専任の担当がいるはずもなく、側に居た担当者が忙しい業務の合間に応対していることは想像に難くない。
とすれば、丁寧に担当売り場に電話を転送する際に伝言をする手間は取れなかろう。そうした前提を考えれば、彼の「売り場担当がお探しの品物の内容についてもう一度お客様に伺うかもしれませんがご容赦ください」という一言はベストな対応だったのではないだろうか。

思い起こしていただきたい。さほど忙しいとも思えないような企業・店舗に電話をした際に、用件を転送する度に何度も繰り返させられたことはないだろうか。そうしたときに、前述の彼の男性店員のような一言はあっただろうか。
同じ労力を強いられるとしても、そのことに対する謝意を予め告げられているのか否かでは、大きく印象は異なる。

その店の通常の顧客対応は、決して優良と言うほどのものではない。むしろ、少々ぶっきらぼうな感さえ否めない。「まぁ、下町のディスカウントストアなんてこんなモンだろうな」という諦念を持って金森はいつも店を訪れていたのである。
しかし、今回の電話応対で、一気に評価急上昇だ。
「当たり前なことを当たり前にすることの難しさ」とは、よく言われることである。今回のような「チョットした応対」もいざというときに励行するのは難しいかもしれない。
しかし、「エクセレントサービス」を提供せよというわけではない。例えば、顧客満足(CS=Customer Satisfaction)では有名な米国の百貨店「ノードストローム」が現在以上にサービスレベルを高めるのは難しかろう。そもそも、あまり優良でない顧客対応に、どこか一つ「光る部分」を作るべきだと言っているのだ。
どこか、自社、自分のビジネスに「改善余地はないか」を一度考え直してみることをお勧めしたい。

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2007.05.10

財布を忘れた日

少し前の話になるが、連休明けの日、財布を忘れて事務所に到着した。実際には世間の連休より2日早く仕事を始めていたのだが、やはりどこかリズムが狂っていたのかもしれない。もしくは、新聞休刊日なので持ち物を身につける順番が狂ったのか。
ともかく、忘れたものはしかたがない。事務所には現金を置いていないので、頼りは携帯電話のみ。そう、以前、強引なキャンペーンでモバイルSuica機能を付加したものだ。
なんだかJRの戦略に丸々はまったようで、どこか抵抗を感じながら今日一日はこれで乗り切ってみようと考えた。

まず、飲み物が欲しくなる。事務所は新橋駅前なので、駅のSuica対応自販機でお茶を購入。
昼食は再び駅に行き、「さぬきうどん」を食する。もちろん、駅構内なのでSuica対応だ。
仕事を続けるうちに、スティックのりが干からびているのを発見。これは少々困る。いつもはビル内の文房具店に行くのだが、今日はお金がない。が、駅の反対の出口にコンビニ「New Days」があることを思い出し行ってみる。ちゃんと文房具も揃っている。
あら、なんだか本当に一日乗り切れてしまいそう。何かを購入する度に「ピッ」と携帯電話を「かざす」だけ。やってみれば実に便利だ。

一月ぐらい前の日経新聞の記事で、通貨の流通量が減少しているといった記事が掲載されていた。電子マネーが小額貨幣を駆逐しているのではないかと。
SuicaにEdy、新たに参入してきたセブンイレブンのnanaco、イオンはWON、さらにICカードの生産が追いつかない勢いのパスモ。
電子マネーがこれだけ普及してくると、お金の概念も変わるだろう。

かつて、娘が小さかった頃、電話ごっこをする姿を見ていたら、電話機を持つしぐさをして、最初に発した言葉が「今どこ?」であり、衝撃を受けたことを思い出す。昔は電話機は当然固定されているものだから、そんなセリフは出てこようもない。しかし、携帯全盛時代に親や他の大人達の姿を見ていれば、その真似をして自然に「今どこ?」となるのだろう。
同じように、これからの子供は「お店屋さんごっこ」をするときに、「チャリン」とお金を手渡すしぐさの代りに、「ピッ」と携帯電話かカードを「かざす」しぐさをするようになるのだろう。既に、「レジ係」役の子供はかつてのように、レジのキーを叩くしぐさではなく、「ピッ」とPOSレジでバーコードを読み取らせる真似をしている。

テクノロジーの進歩はどんどんと人の生活スタイルを変えていく。悪いことだとは思わない。と同時に、きちんと定着する新しいテクノロジーというものは、利用者に特別な意識をさせるのではなく、子供までもが遊びに取り入れるように自然と生活の中にとけ込んでくるものなのだ。
今まで数多の「新サービス」が登場しては消えていったが、結果から考えれば、それらはどこか「無理」があった様に感じる。
普段、「イノベーション論」だとか、「ビジネスモデル」だとか、小難しいことばかりを考えて過ごしているが、やはり「一生活者の視点」で「このサービスは無理がないか?」と考えてみることの重要性を再認識した一日であった。
但し、「ピッ」とかざすだけで物を買う行為は、どうもお金を払っている実感がない。使いすぎには用心した方がいいかもしれない。現に、コンビニ「New Days」では、スティックのりだけでなく、すぐに必要でないものまで何点か買ってしまった。要注意だ。

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2007.05.09

ヒューマンプレイヤー流行の理由?

バンダイが今年3月から発売開始した携帯玩具、「ヒューマンプレイヤー(Human Player )」が売れている。
(ハンダイHuman Player 公式サイト:http://www.asovision.com/hp/
どのくらい売れているかというと、販売台数の発表などは見あたらないのだが、大型玩具店・銀座博品館の売り場では次々と人々が購入していく様が見られる。
このゲーム、以前流行した「エゴグラム」という性格診断テストを元にして、「自分や知人と同じ性格」のキャラクターを登録。実在の人物が取ると想定される行動パターンを画面に表示されるキャラクターを通して観察するというものだ。
キャラクターには診断結果に応じて「悩める優等生タイプ」 「スーパーヒーロータイプ」「マイペースの自由人タイプ」などとネーミングと性格付けがされており、確かにその行動を観察すると、「なるほど、自分ならこんなこと確かにしそうだな」と感じられオモシロイ。

しかし、この商品の最大の売り物は、エゴグラムで診断された結果のIDを交換し合うことで、1台あたり16人までのキャラクターが登録できること。
その交換した他のキャラクターを観察したり、そのキャラクターと自分のキャラクターとのやりとりまで観察できることだ。
合コンや飲み会での盛り上がりグッズとしてはもってこいだろう。

しかし、この商品のヒットした理由をもう少し考えてみると、また違った一面が見えてくるように思える。
そもそも、「エゴグラム」は50問の質問に答えることによって、22通りのキャラクターが作られる。
その質問への回答、「はい」「いいえ」「どちらともつかない」の選択状況の微妙な変化でキャラクターが変わる。
別の言い方をすれば、自分として納得感のあるキャラクターに落ち着くまで回答を繰り返せばいいことになる。
極端な話、「なりたい自分」や「こう見られたい自分」を作り出すこともできる。そしてそれを人と交換する。
つまり、手っ取り早い「自分のいい面の自己紹介」だ。

近年、「コミュニケーション能力の低下」が問題とされている。
「自分がどのような人間であるかという分析をし、それを人に伝える」という行為はコミュニケーションの基本中の基本と言っていいだろう。
しかし、それを機械に肩代わりさせているとしたら、いささかナサケナイ気がする。
もちろん、上記は金森の邪推で、多くの人は素直に質問に回答し、自分の意外な一面を発見・観察することで楽しんでいるのかもしれない。
しかし、キャラクターのIDをBlogやSNSで交換することまで流行り始めていることを考えると、あながち的外れな推測でもないように思える。
・・・ちなみに金森の性格タイプの診断結果は・・・それは秘密だ。

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2007.05.08

携帯電話イノベーションの可能性?

先月27日に日経ビズプラスの連載コラムを転載したが、その内容と関連した面白い調査結果が届いたので紹介したい。

コラムの内容は、4月27日のバックナンバー「花盛りのカラーバリエーション戦略が発するシグナル」を参照して欲しいが、ざっと言うと、以下の通りだ。
ソフトバンクモバイルのシャープ製端末「812S H」は孫正義社長の発案で1機種20色というバリエーションをそろえている。また、ノートパソコンも最近カラーバリェーションの拡充が盛んになっている。
しかし、安易なバリエーションの拡充は生産工程の複雑化や在庫リスクなどデメリットも大きい。にもかかわらず、そこに走るのは、製品本来の核となる提供便益で差異化ができなくなってきているため、小手先の変化球に走らざるを得なくなっている。
上記をコトラーの製品特性5層モデルを使って述べた。(うーん、文章だけでサマライズするには限界があるので、未読の方は是非、バックナンバーの図表も参照してください)。

で、今回の調査結果だが、マイボイス社の自主調査『「携帯電話の防水性能」について』である。
非常に結果が面白い。
http://www.myvoice.co.jp/biz/surveys/10401/index.html

著作権を考慮して、話を進めるために最低限だけ紹介すると、
・現状防水機能のある携帯を所有している人は3%←そりゃそうだ。対応機種が少ない。
・降雨、降雪時の通話・メール使用のために需要あり。
・機種変更時に防水性能搭載求めるのは3割弱。求めない人はそれを7ポイント強上回る。←この項目要注意。
・防水性能搭載の携帯電話への要望は「小型化・軽量化」「耐衝撃性能」←一つ上の項目と合わせて考えましょう。

つまり、防水機能を求める人は3割弱確実に存在する。さらに「耐衝撃性能」を求めている人は、かなりヘビーに使いたい派。別項目で「水深1メートルに30分放置しても悪影響がない」を求める層が14%強存在している。ということは、現在も若干発売されているが、ヘビーデューティー携帯に対する需要は確実に存在すると考えられる。

一方、「小型化・軽量化」を求める人は残念ながら防水機能搭載希望の有無とのクロス集計が公表されていないが、恐らくは希望しない層に多いのではないかと推測できる。なぜなら、「防水機能搭載」と言われると、でかくて無骨なイメージがどうしても想起されるであろうからだ。現在携帯のデザインは薄型スリムに人気が集まっている。それと逆行してまで防水機能は欲しくないということだろう。しかし、逆に言えば、技術的な困難さはあるかもしれないが「薄型スリム・防水携帯」が開発できれば、かなり需要は高まるのではないだろうか。

実際にはヘビーデューティー携帯よりも、後者「薄型スリム・防水携帯」の需要はかなり高いだろう。
調査のフリーアンサーでも「トイレに落とした経験があるので」といった声も多い。金森も過去に一台お釈迦にしている。また、女性の知人はジーンズの後ろのポケットに入れているので、トイレの際に何度も落としていると言っていた。(違う場所に入れて持ち歩けばいいのにと思うが)。

さて、この調査からわかるように、「カラーバリエーション」なんかやっている場合じゃないのですよ。
前述のコトラーの5層モデルで言えば、調査結果の需要度からすれば、携帯電話に防水機能があることは、5層の中のかなり中心的便益に近いと言える。(2層目の”基本”か3層目の”期待”に相当すると思われる。)
標題の「携帯のイノベーション」とは言い過ぎかもしれないが、かなり大きな「カイゼン」に相当するのは間違いない。
フリーアンサーにもあったが「そもそも今までナゼなかったのか」というところだ。
恐らく、技術的な困難さが相当あるのであろうが、件のシャープ製端末「812S H」はカラーバリエーションを展開するためにかなり生産工程の工夫をしたと伝えられている。しかし、ユーザーの潜在需要を調べてみれば、工夫のしどころはそこではないようだ。

上記、調査結果の詳細は、集計結果等の資料編込みで、A4版120~150ページ 『CD-ROM』(調査レポートの電子ファイル一式) 価格36,750円(消費税、送料込み)で販売しているとのこと。
ご興味のある方はマイボイスコム(株)のWEBサイトでどうぞ。

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2007.05.07

街間競争を機に都市景観論の進展に期待

過日、青学での講義を終え、必要な物を購入するため、久々に渋谷の街へ。目指すは東急ハンズ。最短距離はセンター街を抜けるルートだと記憶している。
ハチ公前のスクランブル交差点を渡り、センター街に突入。・・・いつも思うが、この街は人が多すぎる。金森の「タウンウォッチ」の拠点、銀座、表街道、丸の内・・・等々と比べれば10倍ぐらいの人口密度ではないか?
疲れる。
しかし、疲れる原因は「人混み」だけではないようだ。
最近、「都市景観論」が活発だが、このセンター街は、そんなものから除外された「特区」のようだ。建物も屋外広告もバラバラ。原色をちりばめた世界のよう。
さらにふと、気付く。「音」だ。
センター街入り口前のスクランブル交差点で信号待ちをしている時に、既に通過する広告トラックの放つ音の洗礼を浴び、さらに歩くうちに、各店舗の入口からは思い思いの喧騒たる音楽と呼び込みの大声が放たれている。
さらに、街頭配布物を通行人に手渡さんと、揃いの服を着た一群が混じり合い、各々、「お願いします!」と声を張り上げている。
・・・どうにも、耳からも疲れる。
「都市景観論」は昨今活発だが、「音」に言及した論は少ないように思う。是非、検討してもらいたい。

「にぎやかでイイじゃん!年寄りだからだよ。」と、言われれば、「お呼びでない?」と退散するしかない・・・。
しかし、ミッドタウンに新丸ビル。東京湾岸各所や東京駅の再開発と、いわゆる「街間競争」は今後、さらに激しさを増す。そして、それらの新しい街は「調和」がテーマに入っている事も特徴だ。自然調和、周辺調和、来訪者の世代間調和、等々。
迎え撃つ古い街の代表格の銀座も、ようやく「景観論争」に一応の決着がついた。また、今日も「中高年の街」になることなく、老若男女を吸引する魅力を保っている。
「調和」を持った街づくり。そんな事を考えるのも歳のせいとの指摘もあるだろうが、あえて今回は主観的に締めくくる。
街は永続的な存在である。特定世代が訪れ、卒業していくというスタイルもあってもいいかもしれない。しかし、自らが齢を重ねるごとに、更に懐の深さを感じさせてくれ、新たな発見・体験があるような街が私は好きだ。
金森馴染みの銀座老舗の帽子店。自身がおっかなびっくり、そこを訪れた時、初めてのソフト帽の購入に際し、手慣れた店員に加え、色々アドバイスをくれたのは、一回りも歳上と思われる馴染み客の紳士であった。
「調和の取れた街」。そこは、どこか街も集う人も温かく感じる。
「論拠を示せ」、といつもの金森の如く詰め寄られると困るのだが。

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2007.05.05

連休最終日のお勧めは・・・

一足先に連休を終了したから意地悪を言うわけではないが、ゴールデンウィークの最終日は残念ながら雨の様子。
恐らく「暇だ~!」という状態になる方も多いだろう。
となると、レンタルDVDに客が集中して見たい作品が借りられなかったり、外食でもと思っても開いている店がなかったりと意外と過ごし方に窮するかもしれない。
ネットを検索すると、早くもそんな人々が情報収集をしているのか、「雨の連休最終日はディズニーが意外と空いているらしい」といった、まことしやかな情報も飛び交っている。(真偽のほどは金森はわかりません!)

さて、では雨の連休最終日のお勧めである。是非、その「暇な時間の有効な活用法」を考えてみて欲しい。

「暇な時間の解消に、その解消法を考えろって、オカシインじゃないの?」と言われるかもしれない。
しかし、これは古代の賢人も深慮したテーマなのだ。

古代ローマ時代の文筆家・哲学者、マルクス・トゥッリウス・キケロー(Mārcus Tullius Cicerō:BC106~43)の有名な言葉。
「最も難しい三つのことは、 秘密を守ること、 他人から受けた危害を忘れること、 暇な時間を利用すること。」 ・・・である。

キケローは文筆家・哲学者として後世評価が高いが、存命中は弁護士として名を上げ、後に政治家としての活動が主たるものであったようだ。
裁判結果を巡ってローマから放逐されたり、ローマ帰還後も彼のユリウス・カエサルと政治的対決をしたり、その後もマルクス・アントニウスと戦い再びローマから逃亡。結局は暗殺されるという悲劇の最期を遂げている。
弁護士としてデビューし、政治家として権謀術数の人生を生きた彼にとっては、一番目の「秘密を守ること」は時に自らの命と胸中の秘密を天秤にかけねばならぬ事もあったであろう。これは納得がいく。
さらに二番目の「他人から受けた危害を忘れること」は政治的戦いの日々と、二度のローマからの放逐・逃亡という経験を考えればいかに困難であったか容易に想像がつく。

ところが、三番目が「 暇な時間を利用すること」とは、異様に感じるかもしれない。
しかし、享楽的な生を謳歌したことでも知られるローマ人でもあり、さらに政争に明け暮れた人生を送っていれば、恐らく「暇」な時間などは普段、ほとんど存在しなかっただろう。
そんな彼にも、ふと、ぽっかり空白のような時間が訪れることがあったのだろう。そんな時、「はて、この時間をどう過ごせばいいのだろう」と悩んだのかもしれない。

転じて、現代。そうした時間は「スキマ時間」などと呼ばれ、有効活用してビジネスを成功させるためのノウハウ本が書店に列んでいたり、もしくはゲームなり携帯なりネットなり、時間つぶしのグッズには事欠かない。
で、ここからがお勧めである。
そうした、現代の「時間つぶしグッズ」を使わずに、キケローの目指した「暇な時間を利用すること」を考えてみてほしい。
恐らく、キケロー自身は哲学者にして文筆家でもあるので、思索や鉛槧の時を過ごしたのだろう。
何も彼の真似をする必要はないが、安易に身の回りのグッズやアクティビティーで時間を使うのではなく、自分なりの時間の過ごし方を考えることをお勧めしている次第だ。

え?金森がこの文章を書いているのはキケローを真似て「暇な時間を利用しているのか」というご質問だろうか。
いやいや、これは連休を早めに切り上げたにも関わらず、仕事に行き詰まり、現実逃避しているのだ。

お付合いさせてしまい、失礼しました。

※尚、上記にあるキケローの言葉の解釈はネット上で様々なされています。
  また、マルクス・トゥッリウス・キケローに関しては”Wikipedia”に詳細があります。
  (Wikipediaでの片仮名表記は”キケロ”になっています。音引きが正しい様に思いますが、違うでしょうか。)

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2007.05.02

タクシー運賃値上げ:一体、誰のせいなのか

連休前半の終了と共に、好天も一休みの昨日。雨の中、濡れるうっとうしさも、さることながら、そんな天気は足の傷がまだ痛む。もったいないがタクシーを止める。
乗り込むと、金森と同世代とおぼしき中年運転手。いかにも「眠そう」。以前もこんなことがあった。ノルマ達成のため無理をしているのが容易に想像できる。眠られてはたまらない。こちらも変に多弁になり、いろいろと話しかける。もはや、乗せる方も、乗る方も命懸けである。
こんなにサービスレベルの低下した環境下でさらにタクシー各社は値上げを申請している。
おかしくないか?・・・と思っていたら、以下の報道が目に入った。
<東京都内のタクシー業者による平均18.7%の運賃値上げ申請について、内閣府は近く2度目の物価安定政策会議を開き、有識者らから意見をまとめる方向で調整に入った。(asahi.comより)>

タクシー業界を取り巻くマクロ環境を考えてみる。「PEST分析」を用いる。
・Political:政治的規制事項の影響要因はどうなっているのか?   
・Economical:経済環境はどのような影響を及ぼしているのか?
・Social:社会環境はどのような影響を及ぼしているのか?
・Technical:影響要因となるような技術的変化・革新等の要素はあるか?
PEST分析は以上の5つの切り口で客観的に環境分析を行う手法だ。
まず、「Political」である。一番大きいのはこの要素であることは誰の目にも明らかだ。一連の規制緩和の波に乗り、道路運送法改正法案が2002年2月1日から施行された。
これによって、新規参入や増車は今までの免許制、認可制から、車庫の確保など一定の条件さえ満たされれば自由にできるようになり、タクシーの供給過剰がおこった。
次に「Economical」であるが、上記の緩和策も、バブルの頃のように六本木交差点で空車を探して彷徨するような状況なら増車も歓迎だが、2002年当時はデフレ不況。企業はタクシーチケットを絞り、個人も呑んでも終電には間に合わせるといった変化があった。当時の政府や運輸省は、「(規制を緩和すれば、)サービスが多様になり、タクシーの利用が促進される」としていたが、市場や経済環境を無視していたとしか思えない。
「Social」も悪いことに先の二項目と呼応してしまっている。つまり、不況のさなか、利用者は減るものの、しかし、当時タクシー会社の新規採用・増車は不況下における失業者の受け皿となり、増車傾向に拍車をかけることになった。
「Technical」の要素としては、カーナビやGPSによって、効率的な運行や配車を行えるというメリットをもたらしてはいたものの、そもそも需要と供給のバランスが合っていなければ、そんなものに何の意味もない。
以上のことから考えれば、全く市場や経済状況を考慮せずに、機械的な「規制緩和」を行った政府と、恐らくは市場や経済状況はわかっていただろうが、「とりあえず増車をして、あとは運転手任せ」にした、タクシー事業者の問題であることがわかる。

現在、都内の運転手の年収は平均327万円という。確かに、低賃金を補うための長時間・過労運転が起こり、安全を確保できていないという悪循環がよくわかる。さらに、asahi.comの以下の報道も見逃せない。
<前回の物価安定政策会議は19日に開かれ、タクシー業界代表や国土交通省が、運転手の労働条件の悪化や燃料費の高騰など、値上げを申請した背景を説明した。
 しかし、内閣府によると、燃料費の高騰を反映させるだけなら2~3%の値上げで済む。同会議の委員からは「18.7%の値上げの根拠が不明」との意見が相次いだ。
 (さらに申請による)値上げによって乗客が減ったとき、運転手の賃金がどれだけ改善するのかといった試算の提示も次回の会合で業界側に求める。 >
そうなのだ、最初は燃料費の高騰をメインの理由にしていたはずだ。しかし、その高騰がとりあえずは一服を見せ始めると、「運転手の賃金」に論点をすり替えようとしている。しかし、値上げ幅は少なくない。もしこの通りの値上げになれば、利用者は長期的には戻ってくるかもしれないが、しばらくはビビッドに反応しさらに減少する。利用者が戻るまでのさらなる歩合給の減少を補うため、運転手の長時間・超過運転は一層進み、安全は脅かされる。

そもそも、政府の環境と需給を無視した「規制緩和」と、給料が運転手の歩合給メインであるため、とりあえず稼ぎ手である運転手と自動車を無計画に増やしたタクシー会社の責任は明らかだ。
それを利用者は「値上げ」され、運転手は「さらなる需要減」のリスクを抱え、利用者・運転手ともに安全が犠牲にされているのだ。タクシーを利用しない人も他人事ではない。自らがハンドルを握る車に「居眠りタクシー」が突っ込んでくるかもしれない。帰宅途中の子女の列に突入するかもしれない。
コトは単純に「値上げしたいです」「はいどうぞ」もしくは「ダメです」で済む問題ではない。しかも早急に手を打たなければ、いつ惨事が起きてもおかしくないのだ。

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