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2007.04.29

昭和の日に思う(右でも左でもなく)

「みどりの日」から「昭和の日」に変わった最初の年。
少し前、26日の新聞記事からその意義を考えてみたい。

※恐縮ですが、このBlogの主旨であるマーケティングとは関係ありません。
※さらに、思想的に金森は「右より」でも「左より」でもありません。念のため。
 同記事や、それを取り巻く世間の論調がどうも「論理的」ではない気がして筆を取りました。
 (”論理性”にこだわるところは、多少こじつけ的ですが、マーケティング的ではあります。)

以下、某SNSの日記に記した文章の加筆修正です。既読の方は流してください。

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「昭和の日:右でも左でもないが、”そもそも”を問いたい」

初の「昭和の日」直前の26日、とても気になる記事を目にした。
どうにも論理的ではないし。

以下、自身の考え方を述べる。

※残念ながら、SNS以外に公開されたWebサイトに原文記事が公開されていないため、リンクが設定できない。
  (転載は著作権上問題あると判断し、致しません)。
  恐縮ですが、「ミクシイ」には原文があるので、ログインできる方はそちらをご覧ください。
さて、肝心の論旨である。

そも‐そも【抑・抑】(「其(そ)も」を重ねた語。もと漢文の訓読から)
[一]〔接続〕物事を説き起すときなどに文の冒頭に用いる語。 広辞苑第五版

>(原文引用) 「昭和の日」を制定した改正祝日法ではこの日を「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」と規定する。

良いことではないのか?
龍馬の言葉であったか。「今日は昨日の続きでも、明日は今日の続きではない」。自分の大好きな言葉だ。
だが、逆説的に言えば、「昨日がなければ今日は存在せず、未知なる可能性を秘めた明日もやってこない」のだ。
「平成」もはや19年。平成生まれの子等が社会に出ている時代だ。「昭和は古くなりにけり」は致し方ない時間の流れの中で事実であろう。
しかし、その「昭和」を否定しては「平成」はあり得ない。

>(原文引用)05年5月の国会で自民、公明、民主などの賛成多数で可決した。共産、社民は「復古的立場でのノスタルジーに過ぎない」などと反対した。

その「ノスタルジー」も、

>(原文引用) 現代史家の秦郁彦さん(74)は「昭和をしのぶ日といっても、戦争の苦い記憶を持ち続けている人もいる。国民全員が歓迎しているとは思えず、バランスを欠く。

という意見に代表されるように思えるが、「戦争・敗戦」だけが「昭和」なのか?また、仮に「それこそが重要である」という人の意見があったとしても、であれば、「昭和の日」を繰り返し、その問題を考える日とすればよいのではないのか。
「昭和」=「戦争」という単純な連想で思考停止し、反対の立場を取ることが本当に正しいのか。
また、その後に続く復興・高度成長・不況・バブル・・・と昭和という時代は63年余りという長きに渡ったことから、振り返るべきものは多いはずだ。

また、先の現代史家、秦郁彦氏の意見であるが、

>(原文引用)記念するのは昭和天皇なのか、それとも昭和の時代に生きた人たちなのか、もはっきりしない」と話す。

とあるが、憲法第1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とある。
昭和という時代を振り返りつつ、その激動の時代の中で、君主から象徴という存在に立場を変えた先の天皇の存在を思い起こすことがいけないとは思わない。
もし、振り返って「天皇不要説」に至るのであれば、憲法改正議論をするがいい。しかし、天皇制に否定的な人たちに限って憲法改正に対しては二の足を踏む傾向はどうしたことか。

また、このニュースを提供している毎日新聞も、

>(原文引用)若者には浸透しているのだろうか。東京・渋谷で若者に話を聞いたが、制定の経緯は知らなかった。ある女子高2年生(16)は「『昭和の日』といわれてもピンとこない。親からも学校からも聞いてないし」と首をかしげた。

などと珍妙な調査と見解を述べているが、平成生まれで、「昭和」を全く知らない世代に質問して何になるというのだ。「昭和」を知らずとも、彼ら・彼女らがその時代を基盤として生まれ、生きていることは事実である。「知らない・わからない」のであれば、それを教えるのが昭和という時代を生きてきた人間の務めではないか。
それを、

>(原文引用)見た目や言動が古臭い人を「昭和っぽい」と表現する若者言葉もはやっている。

などと、面白おかしい記事にしてどうする。自分たちが生きている礎たる時代を笑う軽薄な若者を批判し、教化すべきではないのか。

自分たちはどのような歴史の流れの中で、どのような出来事を礎として生まれ、生きているのかという「そもそも」を考える日として「昭和の日」を迎えればよいのである。
少なくとも、「みどりの日」などという、曖昧模糊とし物事の本質を隠蔽するがごときネーミングよりは遙かに意味がある。

繰り返す。「昭和」=「戦争」=「責任」=「罪悪」・・・などという思考停止に陥って論議すらせず、否定するようなことがあってはならない。


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