KKDの意味を再考してみる
青学での講義も本格化し始め、また、企業研修も新年度、再び数社スタートする。
そうすると、「マーケティングとは?」というような基本の基、を何度も話すことになる。
このBlogでも何度も色々な表現で述べてきたが、一つには「マーケティングはサイエンスである」などと言う場合もある。
そして、「最も簡単に表現するなら、マーケティングは”売れ続けるしくみづくり”だと言えます」などと続け、
「では、”売れる”と”売れ続けるしくみ”の違いはわかりますか?」と受講者に質問する。
色々な答えが飛び出すが、講師としては、以下のようにまとめる。
「”売れる”というのは一時的な状態。また、”ラッキーで大きな契約が取れた!”などと言う場合もあるでしょう。しかし、それでは再現性がない。しくみ化されていれば、誰でも何度でも売れるという状況を再現できる。故に、KKDに頼らずに、マーケティング手法を学んで欲しいわけです」。
ところが、ある時「KKDってなんですか?」という質問が飛び出した。
うーん、意外と知らない人もいるんだなと思い、説明しようとすると、他の受講者が「”気合い”と”根性”と”度胸”だよ!」と発言した。
・・・え?違う。
”KKD”は誰がいつ言い出したか定かではないが、一般には「”勘”と”経験”と”度胸”」であるとされ、今日のビジネスの世界では、それらの不確実性が高い要素を排しましょうというという論調になっている。
「”気合い”と”根性”と”度胸”」はエモーショナルな要素ばかりで、さらに成果に対する不確実性が高まっている。もし、この解釈でビジネスを行っている人がいて、成果を上げているのだとすれば、相当にガッツのある人なのだろうと思う。
しかし、その「一般的でないKKD(気合いと根性と度胸)」の解釈から、「一般的なKKD(勘と経験と度胸)」を見直してみると、「実は意外と悪くないかも」とも思うようになった。
「勘と経験と度胸」を次のように解釈し直してみる。
・勘=inspiration=発想・着想
・経験=knowledge=知識
・度胸=action=行動
つまり、「何らかの気付きを得て、自らの知識を参照し、速やかに具体的な行動を起こす」ということであれば結構なことではないだろうか。
だが、そうはいってもそれを全面的に肯定することはできない。なぜなら、真ん中の「経験」というヤツがクセモノだ。
ナレッジマネジメントの世界では、知識を、言語や数値によって客観的に表出できる「形式知」と、勘や直観、個人的経験など、表出化されていない「暗黙知」に分けて考える。
当然「暗黙知」は表出化されていないため、人に伝えることはできないし、熟練度低くければ再現性も低くなる。
経験=knowledgeが暗黙知の状態のままでもうまくコトを成し遂げる人も少なくない。
「天性の営業マン」と言われるような人は、本人も気付かぬうちに、成績を高めるためのプロセスを、必要十分なレベルで顧客に提供しているのだ。
しかし、やはり組織全体として成果を向上させていくのであれば、優秀な暗黙知を抱え、KKDで動いている個人から、そのナレッジを形式知化して共有していくことが必要だ。それこそがナレッジマネジメントの原点でもある。
また、「KKDが大事」と信じて疑わない人も、前述のように、KKDをもう少し異なる解釈で考え直してみるといいだろう。
まずは自らは物事に対して常に新たな発想をしたり、気付きを得るようにしているのか。また、暗黙的にではなく、明確に自らのKSF(Key Success Factor =成功要因)を洗い出し、最適なタイミングで適切な行動をしているかである。
KKD=”気合い”と”根性”と”度胸”という少々変わった解釈に触れたおかげで、”勘”と”経験”と”度胸”に関して再考する機会を得た。
漫然と目の前の仕事をこなすだけでなく、時には「自らにはどのようなスキルセットがあり、そのスキルはどのような要素で構成され、再現するためのポイントは何なのか」という自らの棚おろししてみるといいかもしれない。
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