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24 posts from April 2007

2007.04.29

昭和の日に思う(右でも左でもなく)

「みどりの日」から「昭和の日」に変わった最初の年。
少し前、26日の新聞記事からその意義を考えてみたい。

※恐縮ですが、このBlogの主旨であるマーケティングとは関係ありません。
※さらに、思想的に金森は「右より」でも「左より」でもありません。念のため。
 同記事や、それを取り巻く世間の論調がどうも「論理的」ではない気がして筆を取りました。
 (”論理性”にこだわるところは、多少こじつけ的ですが、マーケティング的ではあります。)

以下、某SNSの日記に記した文章の加筆修正です。既読の方は流してください。

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「昭和の日:右でも左でもないが、”そもそも”を問いたい」

初の「昭和の日」直前の26日、とても気になる記事を目にした。
どうにも論理的ではないし。

以下、自身の考え方を述べる。

※残念ながら、SNS以外に公開されたWebサイトに原文記事が公開されていないため、リンクが設定できない。
  (転載は著作権上問題あると判断し、致しません)。
  恐縮ですが、「ミクシイ」には原文があるので、ログインできる方はそちらをご覧ください。
さて、肝心の論旨である。

そも‐そも【抑・抑】(「其(そ)も」を重ねた語。もと漢文の訓読から)
[一]〔接続〕物事を説き起すときなどに文の冒頭に用いる語。 広辞苑第五版

>(原文引用) 「昭和の日」を制定した改正祝日法ではこの日を「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」と規定する。

良いことではないのか?
龍馬の言葉であったか。「今日は昨日の続きでも、明日は今日の続きではない」。自分の大好きな言葉だ。
だが、逆説的に言えば、「昨日がなければ今日は存在せず、未知なる可能性を秘めた明日もやってこない」のだ。
「平成」もはや19年。平成生まれの子等が社会に出ている時代だ。「昭和は古くなりにけり」は致し方ない時間の流れの中で事実であろう。
しかし、その「昭和」を否定しては「平成」はあり得ない。

>(原文引用)05年5月の国会で自民、公明、民主などの賛成多数で可決した。共産、社民は「復古的立場でのノスタルジーに過ぎない」などと反対した。

その「ノスタルジー」も、

>(原文引用) 現代史家の秦郁彦さん(74)は「昭和をしのぶ日といっても、戦争の苦い記憶を持ち続けている人もいる。国民全員が歓迎しているとは思えず、バランスを欠く。

という意見に代表されるように思えるが、「戦争・敗戦」だけが「昭和」なのか?また、仮に「それこそが重要である」という人の意見があったとしても、であれば、「昭和の日」を繰り返し、その問題を考える日とすればよいのではないのか。
「昭和」=「戦争」という単純な連想で思考停止し、反対の立場を取ることが本当に正しいのか。
また、その後に続く復興・高度成長・不況・バブル・・・と昭和という時代は63年余りという長きに渡ったことから、振り返るべきものは多いはずだ。

また、先の現代史家、秦郁彦氏の意見であるが、

>(原文引用)記念するのは昭和天皇なのか、それとも昭和の時代に生きた人たちなのか、もはっきりしない」と話す。

とあるが、憲法第1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とある。
昭和という時代を振り返りつつ、その激動の時代の中で、君主から象徴という存在に立場を変えた先の天皇の存在を思い起こすことがいけないとは思わない。
もし、振り返って「天皇不要説」に至るのであれば、憲法改正議論をするがいい。しかし、天皇制に否定的な人たちに限って憲法改正に対しては二の足を踏む傾向はどうしたことか。

また、このニュースを提供している毎日新聞も、

>(原文引用)若者には浸透しているのだろうか。東京・渋谷で若者に話を聞いたが、制定の経緯は知らなかった。ある女子高2年生(16)は「『昭和の日』といわれてもピンとこない。親からも学校からも聞いてないし」と首をかしげた。

などと珍妙な調査と見解を述べているが、平成生まれで、「昭和」を全く知らない世代に質問して何になるというのだ。「昭和」を知らずとも、彼ら・彼女らがその時代を基盤として生まれ、生きていることは事実である。「知らない・わからない」のであれば、それを教えるのが昭和という時代を生きてきた人間の務めではないか。
それを、

>(原文引用)見た目や言動が古臭い人を「昭和っぽい」と表現する若者言葉もはやっている。

などと、面白おかしい記事にしてどうする。自分たちが生きている礎たる時代を笑う軽薄な若者を批判し、教化すべきではないのか。

自分たちはどのような歴史の流れの中で、どのような出来事を礎として生まれ、生きているのかという「そもそも」を考える日として「昭和の日」を迎えればよいのである。
少なくとも、「みどりの日」などという、曖昧模糊とし物事の本質を隠蔽するがごときネーミングよりは遙かに意味がある。

繰り返す。「昭和」=「戦争」=「責任」=「罪悪」・・・などという思考停止に陥って論議すらせず、否定するようなことがあってはならない。


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2007.04.27

「花盛りのカラーバリエーション戦略が発するシグナル」

日経BizPlusの連載・ニッポン万華鏡(カレイドスコープ)が更新されました。

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/kanamori.cfm

今回は再びマーケティングど真ん中で勝負です。
実は、「小手先のカラーバリエーション問題」は日経の前任デスクと1年以上前に議論し、ずっと暖めていたネタでした。
で、4月12日(木)の記事「高度化の代償?」を書きながら、同時に思いついたのがこの原稿です。

では、ご覧ください。


----------------<以下バックナンバー用転載>---------------------


 ブロックを使ったアニメーションかと思いきや、色とりどりの携帯電話であった。2月10日から放映されているソフトバンクモバイルのテレビCMである。シャープ製端末「812S H」は孫正義社長の発案で1機種20色というバリエーションをそろえた。「まずは、色数ありき」という孫社長の強い要望に、シャープが折れたとのことだ。(IT PLUSコラム「孫社長の『思いつき』が変えるケータイ業界・1機種20色の舞台裏」) 番号ポータビリティー制度で「草刈り場になる」と予想された割に同社が検討した背景には、料金プランだけではなく、この「カラーバリエーション戦略」もあったのだろうか。

携帯電話端末は、今までの「多機能競争」から、auが「デザイン」という新天地を切り開き、そして次に、ソフトバンクが「カラーバリエーション」という新たな戦略を打ち出したという。確かにどんどん高機能化してきた携帯電話端末には、めったに使わない、もしくは使い方さえ分からない機能が多数搭載されている。そんなものよりも、「自分好みの色」がユーザーの選択ポイントなるとの孫社長の読みには、一理あるように思える。

■コトラーの理論で考える「カラーバリエーションの意味」
家電量販店で携帯電話コーナーからパソコンのコーナーに目を転じると、ノートパソコンの新製品も随分とカラーバリエーションが増えたことに気付く。筆者のノートパソコンも、某メーカーの直販サイトで「十数色のバリエーションから天板の色が選べる」という売りに惹かれて2年ほど前に購入したものであが、量販店の店頭モデルですら、こんなに色とりどりになっているとは少々驚きである。

ノートパソコンの競争が「カラーバリエーション戦略」に移行した理由をマーケティングの大家、フィリップ・コトラーが提唱した、製品特性を表わす5層モデルで考えてみよう。まずは下図を参照されたい。コトラーは製品に対し、ユーザーが期待する特性を「中核」「基本」「期待」「拡大」「潜在」の5つに分割し整理し、どのような要素によって構成されるべきかを説いている。

5layer_3


パソコンの便益(「中核」)は、本来「ドキュメントの作成や計算ができること」であった。それが、米アップルコンピュータ(2007年にアップルに社名変更)の「マッキントッシュ」の登場によって、従来のコマンドを打ち込むオペレーティングシステム(OS)から解放され、アイコンによる直感的な操作が可能となり、「ウインドウズ」によってそれがすべてのパソコンに広がった。この時点で「中核」は「ドキュメントの作成や計算が“誰にでも”“簡単・快適”にできること」となる。その後インターネットの普及により、「インターネットが使用できること」が「中核」に加わった。

そして、ユーザーの利用内容が高度化してくると、この「中核」を実現するために必要不可欠な要素(「基本」)として、CPU(中央演算装置)・メモリ・ハードディスクなどの、より「高度なスペック」が求められることになった。また、ユーザーのすそのの広がりと高機能化に対応すべく、「サポート(ヘルプデスク)」も必須になった。

次に、持ち歩けるノートパソコンが登場すると、「より軽く、より丈夫で、より長時間バッテリが持つ」といった要素が「期待」されるようになった。

■カラーバリエーションが示す市場の飽和と競争激化
どんな商品でも、市場が成長途上にありコモデティー化していない場合、「中核」から「期待」あたりの階層で十分競争できる。あるいは、パソコンにおけるインターネットの登場のように、新たな活用方法が発案され、市場が再活性化するような場合は、「中核」から再定義されることになる。

だが、インターネットが浸透し、パソコン自体の機能も十分強化された今日、競争要因はどんどん外側の階層に及んでいる。その結果、「期待はされていないが、実現できれば価値を増大させることができる要素」として、5層目の「潜在」の部分でカラーバリエーションに着目されるようになったと解釈できる。

 マーケティングの通説で「カラーバリエーションはマーケティングの行き詰まり」と言われることがある。ソフトバンクの場合はメーカーの努力により、色数の展開の割には部品点数を抑える生産方式を編み出したと伝えられている。そうした工夫なしに「カラーバリエーション」を増やせば、生産工程や在庫での無駄やリスクが果てしなく増大する。いや、いくら無駄やリスクを低減しても、ゼロにはならない。それ故、「行き詰まり」と言われるのである。

 サービスであれば、顧客に対するサプライズを与えるような体験や、期待を大きく上回るサービスレベルの提供、もしくは顧客のプライドをくすぐるなど、展開の余地は大きい。しかし、形ある製品の場合、「ユーザーの潜在的な選択に応える要素」を実現するのはなかなかに難しい。もっと言えば、5層の外側に行けば行くほど、「小手先」になりがちなのが現実だ。

■イノベーティブなブレイクスルーを見つけ出せ!
 本連載の第27回で筆者は「大胆なイノベーションに賭けるだけでなく、掘り起こし損なっている顧客ニーズを探り当て、細かなカイゼンを積み重ねるべし」と述べた。その自説を丸々覆すようであるが、逆もまた真なり。前述の携帯電話やパソコンのように、もはやカイゼンでは対応しきれない状況に市場がなっているとしたら、いつまでも小手先の延命を図り、どんどんリスクの増大や効率の低下を招いてしまう前に「大胆なイノベーション」にチャレンジすることも必要であろう。パソコンであれば前述の通り、マッキントッシュやウインドウズの登場、またはインターネットによって、「中核」の要素が書き換わるようなイノベーションである。

 カイゼンの総本山であるトヨタ自動車もまた、イノベーションを目指している。渡辺社長は社長就任時の挨拶で「走れば走るほど空気を綺麗にする車を作りたい」と述べ、以降も社内に檄を飛ばしているとメディアで伝えられた。日本自動車販売協会連合会(自販連)によれば、2006年度新車販売台数(軽自動車を除く)は、前年度比マイナス8.3%と4年連続で減少した。様々な性能や意匠を凝らし、カラーバリエーションを広げても、もはやその自動車という存在そのものに生活者が魅力を感じなくなっている生活者は多い。

 消費社会が成熟・飽和し、モノが満ちあふれている。もはや、小手先ではモノは売れない。しかし、「空気をきれいにする自動車」のように、環境問題という巨大な脅威に対して貢献できるようなイノベーティブな商品であれば、購買を考える生活者もたくさんいるはずだ。

 地球環境への貢献となると、いささか話しが大きくなるが、モノが売れないと嘆いてばかりいないで、何とかイノベーティブなブレイクスルーを発見しようという気概だけは常に持ち続けねばならないだろう。マーケティングだけの問題ではない、開発者も、経営者も一体となって考えるべき課題である。


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2007.04.26

KKDの意味を再考してみる

青学での講義も本格化し始め、また、企業研修も新年度、再び数社スタートする。
そうすると、「マーケティングとは?」というような基本の基、を何度も話すことになる。

このBlogでも何度も色々な表現で述べてきたが、一つには「マーケティングはサイエンスである」などと言う場合もある。
そして、「最も簡単に表現するなら、マーケティングは”売れ続けるしくみづくり”だと言えます」などと続け、
「では、”売れる”と”売れ続けるしくみ”の違いはわかりますか?」と受講者に質問する。
色々な答えが飛び出すが、講師としては、以下のようにまとめる。
「”売れる”というのは一時的な状態。また、”ラッキーで大きな契約が取れた!”などと言う場合もあるでしょう。しかし、それでは再現性がない。しくみ化されていれば、誰でも何度でも売れるという状況を再現できる。故に、KKDに頼らずに、マーケティング手法を学んで欲しいわけです」。

ところが、ある時「KKDってなんですか?」という質問が飛び出した。
うーん、意外と知らない人もいるんだなと思い、説明しようとすると、他の受講者が「”気合い”と”根性”と”度胸”だよ!」と発言した。

・・・え?違う。
”KKD”は誰がいつ言い出したか定かではないが、一般には「”勘”と”経験”と”度胸”」であるとされ、今日のビジネスの世界では、それらの不確実性が高い要素を排しましょうというという論調になっている。
「”気合い”と”根性”と”度胸”」はエモーショナルな要素ばかりで、さらに成果に対する不確実性が高まっている。もし、この解釈でビジネスを行っている人がいて、成果を上げているのだとすれば、相当にガッツのある人なのだろうと思う。


しかし、その「一般的でないKKD(気合いと根性と度胸)」の解釈から、「一般的なKKD(勘と経験と度胸)」を見直してみると、「実は意外と悪くないかも」とも思うようになった。
「勘と経験と度胸」を次のように解釈し直してみる。
・勘=inspiration=発想・着想
・経験=knowledge=知識
・度胸=action=行動
つまり、「何らかの気付きを得て、自らの知識を参照し、速やかに具体的な行動を起こす」ということであれば結構なことではないだろうか。

だが、そうはいってもそれを全面的に肯定することはできない。なぜなら、真ん中の「経験」というヤツがクセモノだ。
ナレッジマネジメントの世界では、知識を、言語や数値によって客観的に表出できる「形式知」と、勘や直観、個人的経験など、表出化されていない「暗黙知」に分けて考える。
当然「暗黙知」は表出化されていないため、人に伝えることはできないし、熟練度低くければ再現性も低くなる。

経験=knowledgeが暗黙知の状態のままでもうまくコトを成し遂げる人も少なくない。
「天性の営業マン」と言われるような人は、本人も気付かぬうちに、成績を高めるためのプロセスを、必要十分なレベルで顧客に提供しているのだ。
しかし、やはり組織全体として成果を向上させていくのであれば、優秀な暗黙知を抱え、KKDで動いている個人から、そのナレッジを形式知化して共有していくことが必要だ。それこそがナレッジマネジメントの原点でもある。
また、「KKDが大事」と信じて疑わない人も、前述のように、KKDをもう少し異なる解釈で考え直してみるといいだろう。
まずは自らは物事に対して常に新たな発想をしたり、気付きを得るようにしているのか。また、暗黙的にではなく、明確に自らのKSF(Key Success Factor =成功要因)を洗い出し、最適なタイミングで適切な行動をしているかである。

KKD=”気合い”と”根性”と”度胸”という少々変わった解釈に触れたおかげで、”勘”と”経験”と”度胸”に関して再考する機会を得た。
漫然と目の前の仕事をこなすだけでなく、時には「自らにはどのようなスキルセットがあり、そのスキルはどのような要素で構成され、再現するためのポイントは何なのか」という自らの棚おろししてみるといいかもしれない。

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2007.04.25

ちょっと変だなこの販促:SuiPo編

ご好評頂いている「ちょっと変だなこの販促」シリーズです。
(今までのバックナンバーはこちらから

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今月10日に新橋駅に設置された「Suicaポスター」の紹介を記した。どうやら「SuiPo」という愛称を付けたらしい。
バックナンバーはこちら
その後、何度かポスターが貼り替えられ、恐らくSuicaを端末にかざせばポスターに連動した情報が携帯に取得できるはずだ。
今週は某第三のビールのポスターだから、キャンペーン応募情報だろう。

が、その後一度も金森は「かざして」いないのである。
ナゼか。
単純な話、今週は人数が減ったが、キャンペーンスタッフが懸命にSuicaポスターの内容と使用方法を記したリーフレット配りをしており、それが邪魔でポスターとSuica端末に近づけないのである。
いや、「ちょっとスミマセン」と言って、スタッフにどいてもらえば「かざせる」のだが、わざわざそんな面倒なことはしたくない。

何か、変じゃないか?

確かに、新規ユーザー獲得のため、リーフレット配りは大切だろう。
「SuiPo」というロゴの入った揃いの上着を着ての活動は目立つし、アイキャッチとしては機能している。
しかし、せっかく利用登録をしたユーザーの利用を阻害するような動き方はいかがなものだろうか。
いや、それ以前にリーフレットを受け取らせることに懸命になっていて、それ以降の人の流れを考えていないようだ。

消費者の態度変容モデルといえば「AIDMAの法則」が有名であるが、この事象は「AMTULの法則」で考えてみよう。
結論を先に言えば、AMTULが途中で分断されているのだ。
Suicaポスターを人が認知してから継続的に使用するようになるまでをAMTULに当てはめてみる。
A(Attention=注意喚起)は、スタッフが呼びかけることによって達成できている。
そして、リーフレットを持帰らせることで記憶に残す(M=Memory)の段階も実現できている。
問題はこの後だ。AMTULはAとMに続いてT(Trial=使用促進)、U(Usage=使用)、L(Loyal=継続使用・愛用)がある。そこが分断されている。
まずはリーフレットを受け取った人に、「一度お試しになりませんか?ご説明します」と声をかけ、すぐに端末のところに連れて行ってしまえばいいのだ。
「モバイルSuica機能使用キャンペーン」での反則ともいえる強引さはどこに影を潜めてしまったのか。(その様子はこちら)。
強引すぎるのはよくないが、これはいささか消極的すぎ。リーフレットを手にした人の、何パーセントが能動的に戻ってきて一人で試すと思っているのだろうか。
スタッフに促されて、誰かが端末にかざしていたり、登録などの行為を行っていれば、後に続く者も出てくるだろうに。
さらに、金森のように一度、利用登録をした人のU(Usage=使用)を妨げるスタッフの動き。これではせっかく登録させてもその後が続かない。
結果としてL(Loyal=継続使用・愛用)まで辿り着かない。

あれ?またこのサービスも企画倒れのものとして終わってしまうのだろうか。
特にこの手のサービスは立ち上がり時点の短期間で、普及・定着するための必要ボーダーラインである”クリティカルマス”を超えなければ、誰からも見向かれずに陳腐化していくという運命を辿る。
そのためには、(推奨はしないが)上記のモバイルSuicaキャンペーンのような多少強引とも言える手法が必要になるの。
また、再利用を促す呼びかけや、施策も全く行われていない。
金森自身は興味を持ち、登録した時点ではいけると思ったのだが。普及・定着させるための全体設計がどうも弱い気がしてきた。
Suicaポスターの運命や如何に。

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2007.04.24

道具の利便性向上と職業意識

過日、現場速報をお伝えした「日経ナレッジマネジメント・フォーラム2007」で感じたことを一つ。
会場や講演の状況を記録するためであろう。主催者がアサインしたと思われるカメラマンが小さな脚立を片手に会場を所狭しと動き回っていた。
金森も随分昔に写真を趣味としていたが、カメラマンはフットワークが命である。感心なプロ意識と言えよう。
しかし、実際に講演を撮影している姿を見たとき、どうもこれはイタダケナイな。と感じてしまった。

何がいけないのかというと、講演者を撮影するとき、ショット数が異常に多いのだ。
プレゼンをスクリーンに投影するため薄暗くした会場の中で、フラッシュが光る光る。まるで、記者会見の会場のようだ。カメラマンは一人なのに。

この手のビジネスセミナーの講師は多くは普通の会社員であり、プロの講演者ではない。
例えば、金森自身であれば、どんなに近くでバシャバシャとフラッシュを光らせられようが、一向に気にすることはないだろう。
しかし、普通の神経の持ち主で、ごく普通の企業の技術者やナレッジマネジメント担当者であれば、当然ビビるだろう。
講演の初っぱなに、フラッシュの嵐の洗礼である。ただでさえ緊張しているに違いない。調子も狂うだろう。気の毒に。
彼はモデルを撮るカメラマンではない。その場の主役はあくまでプレゼンター。それを妨げてどうする。
自らの意識は、「いい絵を撮ること」に向かってしまっているのだろう。だがそれは間違い。前提条件として、最重要なのは講師が十分集中して、オーディエンスが満足できるような講演ができる環境を作ることである。

しかし、最近のカメラマンには意識の問題はともかくとして、ショット数が多いという傾向が強い。デジタル化によって、フィルム代がかからなくなった。そして「いい絵」だけを選んでプリントすれば印画紙代も安く済む。
昔ならフィルム交換などの合間などに、「撮りすぎかな」と気が付くことを、メモリの続く限り撮り続けられるようになったため、我に返る瞬間もなくなっているのではないだろうか。
あるカタログを制作したとき、ユーザーのインタビューも掲載することとなり、そのユーザーの話す姿を撮影したときも、担当したカメラマンはユーザーが話しに集中できないぐらいにバシャバシャと撮り、金森にたしなめられた。

自分はどのようなシチュエーションで、何を目的にその仕事をしているのか。
上記のカメラマンの姿を他山の石として、自らも常に胸に留めておきたいと感じた。

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2007.04.23

水族館オタクの目で見た来場者ニーズ対応レベル

以前、金森も日経ビズプラスのコラムで「ニーズとウォンツの違い・さらにニーズの深掘り」の例として旭山動物園の例を記した。
(”人気動物園に学ぶ顧客ニーズ対応の極意”バックナンバーはこちら
やはり話題になっただけのことがあり、旭山動物園はマーケティングの好例である。先週から知人のマーケターがその詳細な検証をBlogではじめたのでご紹介したい。(”旭山動物園の必然”こちらからどうぞ

旭山動物園の特徴の一つは、以前にも述べたとおり「動物の自然な姿が見たい」という、来園者の潜在ニーズに応えた「行動展示」である。水中を飛ぶように泳ぐペンギンの姿を見上げる水槽、シロクマが魚を捕る姿を再現する給餌法などの取り組みがそれである。
その「行動展示」も単純なやり方ではうまくいかないのだなぁ、という例に最近遭遇した。

実は金森は「水族館マニア」であり、動物園よりずっと好き。残念ながら沖縄の美ら海水族館には行っていないが、遠いところでは大阪・天保山の海遊館、三重の鳥羽水族館あたりまでは足を伸ばしている。ビーチリゾートに行ってもハワイではホノルル水族館とシーライフパークをハシゴし、グアムでも長いトンネル型の水族館に驚喜する。マニアというか、オタクである。
しかし、ここの所ずっと足が遠のいていたが、江戸川区の便利なバスルートもできたことから久々に「葛西臨海水族園」に行ってみた。
(ちなみに、マイフォトの”ニモじゃないクマノミ”はこの時撮影したもの)

で、そこで水族館が「行動展示」に挑戦していることを発見。水族館の入り口からエスカレーターで暗い館内に下っていくと、だんだんと海の中に潜っていくような気分になる。いつもながらこの演出はなかなかのものだと思う。
そしてまず、最初に目に入る大きな水槽には、鮫とエイが泳いでいる。撞木鮫のユーモラスな顔や、エイの不思議な泳ぎ方は何度みても飽きない。
だが、久々にその水槽をみてみると、真鰯とカタクチイワシが大量に泳ぎ回っているではないか。鮫やエイに追われ、必死で逃げる鰯たちの群れ。何とも気の毒であるが、鮫やエイの活き餌の捕食シーンなどみるのは初めてだ。ドキドキしながら水槽を見守る。

が、あれ?何かヘン。
鮫とエイは、大きな口を開けて追いかけているが、一向に鰯を捕まえられていない。口を大きく開けて泳ぐエイの姿などは初めて見るので、それは一見の価値があるのだが、肝心の「捕食シーン」が見られない。
長いこと切り身を与えられてきた鮫とエイは、餌のとらえ方を忘れてしまったのではないだろうか。自力で餌を取れずに飢え死にするといけないからであろう、冷凍エビや鯵の切り身も投入されている。すると、鮫もエイも安易にそちらを食べてしまう。ナサケナイ・・・。
鰯の大群を投入するだけでなく、何らか、少しずつ、生き餌を追うことに慣れさせていく方法などなかったのだろうか。
なんだか形だけ行動展示をまねてもうまくいかない見本のように感じた。

もう一つ、同園が「来場者のニーズに応えられていないナー」と感じさせる事象を見つけた。タッチプールである。「海洋生物に触れてみたい!」という、特に子供の心を満足させるにはタッチプールは最高である。
しかし、同園のタッチプールはほとんどヒトデやウニなどの生物に触ることができない。圧倒的に生物の数が少なく、また、岩陰に隠れてしまっており文字通り手が出ないのである。
その代り、キューレーター(学芸員)がおもしろおかしく説明やクイズをしたり、小さなプラスチックのケースに入ったウニとヒトデを参加している子供に廻してほんの少しだけ触らせているが、やはりそれでは子供は満足しないだろう。
どうやら、休日ともなると一日で3,000人もがタッチプールを訪れるという。それらを捌くためには、この方法しかないのだろう。
しかし、少し考えれば、子供達3,000人が中途半端で満足できない状態になるより、抽選なり、先着順なりで人数を絞って、参加できた子供が100%満足できるようなやり方をしないのだろうか。これは一種の悪平等であると感じた。

さて、一応、マーケティング的に”ニーズの充足方法についての事例からの考察”をしているのだが、なんだか文句ばかりを書き連ねているようになってしまったので、水族館オタクからお勧め水族館情報をオマケに一つ。
千葉・外房の鴨川シーワールド内の水族館だ。その水族館の設計のすばらしさは、またオタクとして別の機会にたっぷり記したいが、中でもタッチプールの充実は、葛西での不満を解消してもあまりある。
巨大なヒトデをはじめとした様々な生物をたっぷりと触ることができる。考えてみれば、鴨川シーワールドは、元々はイルカなどのショーを見せることが原点であるが、いつの頃からか、イルカやシャチ、ベルーガなどに「触れられる」コトが大きな売り物になっていった。
「触れたい」というニーズに応えることをコンセプトとしているのであれば、やはりタッチプールの充実にも納得がいく。
やはり断片的に形だけを真似してもうまくいかない。一本芯の入ったコンセプトが重要なのだ。
鴨川シーワールド。連休の予定が決まっていない方は是非どうぞ。

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2007.04.22

観察眼と意味合い出しを習慣化する

ここ1ヶ月ちょっと、頑張って毎日Blogを更新している(何度かサボっちゃいましたが・・・)せいか、じわじわとアクセス数も伸び、土日も覗きに来てくださっている方もいるようだ。
本当に有り難いことです。m(_ _)m

そこで、(確約はできませんが)週末も、「ネタがある」「体力が残っている」の2つがand条件になったときは、更新をしようと思う。
お付合いいただければ幸いです。
ただ、やはり週末なので、少々つぶやきモードなのはご容赦ください。

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ビジネススクールの受講者から「Blog見てます。毎日本当によく色々なものを見ているんですね」とほめてもらった。ほめられると素直にウレシイ。
さらに、実はその言葉は正鵠を得ている。つまり、「物事をよく見る」ということはマーケターとしての基本動作なのだ。
ただし、もう一つ、重要なことがある。「物事をよく見て」、さらにその「意味合い」を考えることで初めてその基本動作が完了するのである。
「その、意味合いはナニ?(So What?)」は金森の講義では繰り返し問い質されることで、受講経験者の方々は懐かしいのではないだろうか。


「物事をよく見る」ということは、かねてから「タウンウォッチ」での実践を提唱している。
その作法は、以前、「電通報」への寄稿で記した。(バックナンバーはこちらから)。
さらに大切なことは、「詳細な観察」から「意味合い」を抽出することである。
目に映る個々の事象を紡ぎ合わせれば、今日的な意味合いが見えてくることも多い。
その際に便利なフィルターは恐らくPEST分析だろう。
「P=Political、E=Economical、S=Social、T=Technical」の四つの切り口で、ナニが起きていて、それがどう作用するのかを考えるフレームワークだ。慣れてくれば、いちいち書き上げたり、分類したりせずとも注視すべきポイントが見えてくる。
そして次は「ストーリー化」だ。自分で思索したら、それを人に伝える努力をしなければ形にならないし、継続する意欲も起きない。その結果、コミュニケーションスキルも向上しない。
多くのブロガーが、更新ができなくなっているのは、自らの思索を整理して、ストーリー化する努力を厭うているためではないかと思う。
「ストーリー化」は慣れて、自分なりの「型」ができてしまえばそんなに苦労はしない。
金森はやはり、物書きでもあるので、「起承転結」や「序破急」の展開を好む。(他にも色々と作法はあるので、追々紹介したいと思う。)
中でも好きなのは、起承転結よりスピード感のある序破急である。
広辞苑(第五版)の記述を引用する。「【序破急】(3)能や人形浄瑠璃などで、脚本構成上の区分。序は導入部、破は展開部、急は終結部。速度の序破急と一致するとは限らない。 」
実は今回の文章もそれを意識している。

で、オチである。自分好みの「型」を見つけたら、徹底的にそれを実践してみることである。できれば文章にして。
「文章で伝える」ということは、究極の理論化であると金森は考えている。なぜなら、空中に消えていく「言葉」は誤魔化しがきくからだ。文章は残る。じっくり読まれる。読み手の労力をもらうことになる。故に、論理的にきちんと整理されていないと、読み終えてもらうことすらできなくなる。伝わらなくなるのだ。
「文章は苦手で」という人がいる。何のことはない。文学作品を書くなどの場合以外は、文章力アップの秘訣は、「とにかく量」である。それも、携帯打ちのような放談ではなく、「文字で人に伝える」という強い意志を持って、できるだけ推敲をい繰り返し研ぎ澄ました上で、公開するのである。
PESTのT=Technical=技術的変革がもたらすもの、を考えれば、この文章も当Blogで公開しているわけであるが、ありがたい時代になった。
金森が一番修練をした時期は前職の「ニューズレター」を書きまくっていた時だ。その企業としての看板を背負って情報と意見を発信しているので、相当なプレッシャーがあった。
しかし、Blogは全く個人の責任で発信ができる。
但し、時折、「携帯打ち」のようにダラダラと構造化されていない文字の羅列のようなBlogも散見される。いや、それを全面否定しているわけではない。書いている本人にとっては、公開していること自体で満足できているのかもしれない。また、ごく狭い仲間内では、そんな文体が受けるのかもしれない。
しかし、前述の通りマーケターとしての基本動作として、もしくはビジネスパーソンのスキル向上を目的として励行するなら、序破急なり、起承転結なりを意識して、論理構築と文章による表出化を心がけるべきであろう。

以上、週末用という割にはたっぷり理屈っぽくなってしまったが、週末ならではの、いわゆる「自分語り」をしてみた。
共感していただける部分があれば幸いである。

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2007.04.20

日経ナレッジマネジメントフォーラム2007基調講演の冒頭スピーチ

東京国際フォーラムにおいて開かれている日経ナレッジマネジメントフォーラム2007に参加している。
現在休み時間であるが、午前中に開かれた、基調講演の冒頭のスピーチのみ、取り急ぎお届けしたい。
日頃、各紙誌で言われていることではあるが、改めて諦聴に値する内容であった。


基調講演講師・早稲田大学ビジネススクール教授・商学博士 松田修一

「企業価値向上のエンジンは!」

KM(Knowledge Management)という切り口で考えれば、それは企業価値を高めるという目的の延長線上にあると言える。
現在日本は「国内に引きこもる」か「グローバルに打って出る」かで未来が大きく変わる岐路に立っている。
国内の市場規模は米国の二分の一あり、それだけでも十分に魅力的な市場だと言える。しかし、「人口動態」に注目することを忘れてはいけない。
2007年から団塊世代の大量定年が始まり、その消費パワーに注目が集まっている。しかしそれはあまりに近視眼的。2~3年先しか見ていない。
日本経済は人口構成が大きく変わらないことを前提に考えがちである。しかし、実態は「人口減少によって縮んでいく市場」であることを忘れてはいけない。
もはや、好むと好まざるに関わらず、グローバルに打って出るしかないのである。すでに国内の成長企業は、マザーマーケットを国内ではなく、グローバルとしてみている。

グローバル化する場合、一番問題になるのが、日本的価値観とグローバルの価値観の相克である。
日本企業の力の源泉は、終身雇用を中心とした制度による、個人の企業への高いコミットであり、同質な価値観を持った個人同士の「言わずもがな」の連帯である。
しかし、グローバル化すれば、もはやそれは前提とできない。異質なものが入ってくる。もはや「暗黙知」だけではやっていけない。そうした時代に日本は何を成長のエンジンとするのかが問題である。

・・・以下、機会をみて何らかの形で詳細をお伝えしたい。

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昼下がりのパチンコCFで感じる違和感

過日、久々の健康診断を受診した。
開業したばかりのミッドタウンや、日本橋の三井タワー内などの医療施設も利用可能とあったが全く予約が取れず、ごく普通の地域検診センターを利用。
簡素な設備なので、待ち時間は座り心地の悪いイスで惰性で流されているテレビを眺めることになる。
昼日中のテレビを見る機会などめったにないので、それはそれで貴重な体験であったが、一つ驚いたことがある。
かなりの数でパチンコ新機種のCFが流されているのだ。思い出せば、正月のテレビもそうであった。
非常なる違和感。

貸金業法改正によって、消費者金融業者に対する規制が強化され、上限金利の引き下げ(いわゆるグレーゾーン金利撤廃)などが決まった。
さらに、あまり知られていないが、「出店規制」も行なわれることになっており、パチンコをはじめとする遊技施設の近隣には店舗や自動契約機などが設置できなくなる。
「多重債務者が減って良いではないか」という論もある。しかし、どうだろうか。論理的に考えてみたい。

マーケティングの基本中の基本である、「ニーズとウォンツ」である。
以前、このBlogでも「カメラをください」や「動物園に行きたい」、またもっと有名な「ドリルをください」の話しを記した。
それらは、全て「ウォンツ」である。
生活者が、それらのものを欲しがる・望む裏には、その理由たる「ニーズ」がある。
前述の「カメラ」「動物園」「ドリル」のニーズは各々、「写真を撮りたい」「動物がみたい」「穴を空けたい」だ。
「人はドリルが欲しいのではない、穴が空けたいのだ」はマーケティングの教科書でも有名な言葉である。

そのことから考えれば、「金が借りたい」はウォンツである。その裏側には当然、「お金を使いたい」というニーズがある。
問題は、さらにそのニーズを掘り下げれば、「何にお金を使いたいのか」という理由がある。ニーズの掘り下げだ。

当然、消費者金融でお金を借りる顧客には、健全な資金需要を持っている人も少なくないだろう。
そして、自身の条件が銀行の基準に合致しなかったため、いわば自ら捜したセーフティーネットとして、消費者金融会社に辿り着いた人もいるだろう。
健全な資金需要・身の丈にあった借り入れ・確実な返済・・・であれば、何ら問題はない。
消費者金融会社はCFのい出稿規制も受けており、テレビの深夜枠で「計画的な利用の啓発」という内容しか伝えられない状況であるが、まさにその内容通りの利用形態だ。

だが、遊戯施設近隣への「出店規制」が掲げるられるからには、「パチンコ(スロット)に金をつぎ込み、さらに借金を重ね、多重債務化する」という構図が見えているからであろうことは間違いない。
しかし、一方の「貸す側」はガチガチに規制を強化し、「使わせる側」は野放しという状況はおかしくないだろうか。
「ウォンツ」に応えることだけを一方的に縛り、「ニーズの元」がテレビで煽られている状況を看過している。
「パチンコは数あるニーズの一つに過ぎない」との論もあろう。しかし、前述の「出店規制」を考えた時点で、規制自体がその「因果関係」を立証していることは明らかではないか。

この問題は、非常に難しく、根が深いため、気楽に論ずるつもりはない。
しかし、昼下がりに繰り返し放送されるパチンコのCFに対する違和感を感じ、毎朝パチンコ店の前で順番待ちをしている、どこか無気力な若者の姿を見ている者としては、一度は論じてみようと筆を取った次第だ。

様々な角度から論じるべきことはわかるが、僅かこれだけの文字数で指摘できるぐらいの論理の破綻はどうにもいただけないと思う。

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2007.04.19

美観と郷愁と利便性と・・・都市計画にもっと住民の声を

4月17日の日経夕刊一面コラム「あすへの話題」。
先日、当Blog「私的桜論」で、金森が「花見に対する考え方」で異論を呈した論旨を展開された教授が今度は「都市景観の美しさ」について論じられていた。
(今回はお名前を出させていただきます。国際文化研究センター教授の白幡洋三郎先生です)。

曰く(一部引用)<・・・つい先日京都の祇園町を昼間歩いた。メーンストリートの花見小路から電柱が消え、すっきりとした街並みが出現していた。けれどもどこか舞台の書き割りのといったよそよそしい印象で、ちょっと角を曲がった電柱が並ぶ路地に入ってはじめて「ああ祇園に来たと感じた」>
「花見」を巡っては持論と異なったが、今回は、先生の説に全面的に賛成だ。
「電線地中化」は国土交通省の公共工事における目玉の一つとして未だ各地で繰り返されている。金森も下町出身故、子供の頃から見上げれば蜘蛛の巣状に電線が空を覆った細い路地で遊んでいた。また、現在の近隣地区もまだ地中化されていないところが多い。しかし、何ら不都合はないし、むしろそれが自然な日常の風景である。
先生の主旨は「ガーデンシティー」たるシンガポールを例に挙げ、「何でもかんでも整然とした西洋風の都市景観を尊ぶのはいかがなものか」という説である。金森もそう思う。

確かに、路上の電線、特に既定より低い位置に這わされた電線を車が引っかけ、悲惨な事故が昨今相次いだ。そうした状況は早期に是正されるべきであろう。
しかし、「景観」という観点から考えれば、「何が美しくて、何が美しくないのか」「猥雑な風景はいけないのか」といったことは、個々人の価値観で異なるだろう。
白幡教授と金森の「花見論」が異なったのも、甚だ個人の価値観の違いによるところが大きかっただろう。
とすれば、「都市景観の価値観」は(当然安全面の担保は最低条件であるが)そこに住まう住人の価値観及び利便性が優先されるべきであろう。

銀座の建物高度制限は、松坂屋の高層化を巡って随分と論議がなされたが、結局は多くは銀座で商業を営む人々の声で高度制限が設けられたことは記憶に新しい。「自主ルール」が作られたわけである。
しかし、問題は都市景観や街並み・道路の改修などは、住民の意見が吸い上げられる前に、かなり綿密な計画は固められ、「これでいいですね!」とばかりに行政側から確認の儀式だけが行なわれ、その後は凄まじい勢いで工事に突入していく。

実は金森の住居前には二つの幹線道路をまたぐ、巨大な歩道橋が架かっている。それが、一方の幹線道路を立体交差化することになり、撤去することとなった。
その立体交差化に関しては、前述のような「儀式」としての住民説明会が数回開かれたが、既に綿密に練られた計画と、「そこに住まう住民のためでなく、道路を利用する全ての人の利便性向上のため」という大義名分の前には反対意見をはさむ余地は既になかった。

確かに、昔は「歩道橋下は自転車のみ通行可で、歩行者は歩道橋を渡ること」となっており、走って横断すると警官に怒られ、「人のための道路ではないか。なんと理不尽な。」と憤ったこともある。
しかし、数年前、区議(確か民主党)が頑張って、横断時間を調整するなどして、人も自転車も通れるようになった。それでも、急ぐときには歩道橋を駆け上がれば早く横断ができるなど、時々に応じて便利に使われていた。

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「住民説明会」の前に通行量調査もやっていたようなので、「利用者も少ないので、撤去」という理由も付けやすかったのだろう。しかし、「普段使わずとも、必要なときに利用する」という住民は多かった。
そのあたりの意見を吸い上げずに、数字だけでなぜ判断するのか。
加えて、「景観」の論に戻せば、決して美しくはないかもしれないが、子供の頃から見慣れた、「巨大な歩道橋のある交差点」は既に見慣れた風景であり、たまにそこに登って四方に行き交う車眺めることも好きだった。

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その歩道橋が一昨夜、ついに解体されはじめた。数ヶ月後には、その歩道橋を遙かに上回る立体交差が空を覆うことになる。
工事の総額は確か35億円あまりだったと記憶している。誰のための35億円なのだろうか。
「景観」で考えれば、歩道橋にあがりさえすれば望めた空は、もう失われることになる。変わって、眼下に見下ろした車は頭の上を通行していくことになる。どうにもなじめない景色に変貌していくことになるのだ。

「日本橋に空を」ということで、日本橋の上に架かる高速道路を地下に移す大工事の計画は、その後どうなったのかニュースを追いかけていないのでわからない。
しかし、日本橋には空を取り戻しても、下町からは空が失われていくのだ。何ともやるせない。


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2007.04.18

就職戦線異常あり?

月曜日の記事にて少し触れたが、青山学院大学経済学部での講義が今年も始まった。
担当は「産業論・ベンチャービジネスとマーケティング」。
こんな学問のカテゴリーが本来あるわけではなく、「ベンチャービジネスの成功に寄与する視点を学生に教示してほしい」という、学部の要請で金森がカリキュラムを考えた。
眼目は「ベンチャービジネスの成功にも、顧客視点とマーケティングの基本の見直しが不可欠」というもの。

一昨年、初開講。約150人が受講終了。昨年は約200人。自慢ではないが、学生からの評価(通期の講義全体での評価アンケートポイント)は満点に近かった。
が、今年、初回集まった学生は60名強。
うーん、一体何が起こったのだろうと思いつつ、毎年同様、イントロダクションとして学生に受講理由を聞く。

すると、明らかに昨年までと回答内容が違う。
昨年までの履修理由は「起業したい」「将来的な選択肢として考えているから」(この理由は今年も多かった)の他に、「就職先としてベンチャーになるかもしれないから」が多かった。今年はその理由を挙げる学生が少ない。

まだまだ就職環境が厳しかった一昨年。ふたを開けてみれば「売り手市場」であったが、活動当初は不安も残っていた昨年。
それに対して、明らかに各メディアが「売り手市場」と報じ、実際に企業も鉦や太鼓で学生を集め始めた今年の就職環境。
その中で「やむなくベンチャー」という層が激減したのではないだろうか。

元来、青学はサイバーエージェントの藤田晋社長をはじめ、多くのベンチャー起業家を輩出しており、ベンチャー志向が強いハズである。
とすれば、今年の講義に参加している学生が、本来の「ベンチャー志向を持った人間」と考えるべきか。確かに例年より初回の学生の反応はよかったように思う。
そう考えれば、金森自身は受講人数を気にするのではなく、より内容の濃い講義をする気概が湧いてくるというもの。
しかし、この様子だと、ベンチャー企業や中小は今年の人材確保に随分と苦労しそうだ。

まだ1回目の講義だけで結論は出せないが、学生諸君も昔のような「右へならえ」の大手・安定志向ではなく、幅広い進路の選択肢を持って欲しいものだ。

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2007.04.17

携帯対応ブログパーツ設置しました

B mailというBlogの更新を携帯にメールで知らせ、閲覧できるというブログパーツがリリースされましたので、早速設置してみました。(一種のRSSリーダーですね、これは)。
場所は左のサイドメニュー、フォトギャラリーとカレンダーの間です。
「金森のBlogを携帯で見られないか?」というお問い合わせがちらほらありましたので、よろしければご利用ください。

Blogの更新があった場合、3時間以内に更新情報が携帯に届くとのことですが、たった今、設置して、私自身も登録したばかりです。使い勝手のほどはまだわかりませんが、お試しの上、コメントをいただければ幸いです。

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DIMEへのコメント:駅ナカ自販機

本日発売の小学館の「DIME 9号」。
19ページの「仕事に遊びに・使える自販機は”駅ナカ”にあり!」という」ページに金森の「一言コメント」が掲載されています。

が・・・本当に「一言」なんですね。これが。(T_T)

「鉄道会社は早朝・深夜の駅構内の利便性を高めたり、空きスペースを有効に活用したいから自販機は格好のネタ。今後の課題はより魅力的な品揃えです」(青山学院大学非常勤講師・金森努氏)と話す。

実は、駅ナカビジネスに関してはこのBlogで何度か書いていて、それを記者の方が見つけて声をかけてくれたのですが、該当ページが1ページ構成だと知らずに金森は張り切って回答メモをガッツリ書いて送ってしまいました。
(過去もメディアからの取材には、必ず以下のようにできるだけ丁寧に回答しています。メディアの方!ご用の際にはよろしくお願いします!)

・・・というわけで、せっかくまとめたメモなので、このBlogで公開します。
メモですが、ついクセで、コラム調になっていますので、読み物としても成立するかな、と。

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なんだかここ数年、「駅ナカビジネス」のおかげで「駅」というか、「駅舎」が生まれ変わったようだ。今にして思えば、なんとも以前の駅舎は面白くも何ともなかった。「列車に乗るために必然的に利用するだけのもの」という存在。鉄道会社も必要最低限の清掃や保守しか行っていなかったのではないだろうか。煤けた無機質な存在でしかなかった。

それが、一変したのは駅舎に様々なショップが進出してきた頃からだ。品川駅は頻繁に利用するが、「エキュート」はすばらしい。ともすれば、移動の合間に「ホームで立ちそば」という寂しい昼食を摂っていた生活が一変した。また、さすがに2,500円ものランチコースを一人で食べはしないが、移動途中で名だたる店のランチが食せるという大義名分があれば、人を誘うことも容易だ。まさに「Viva!駅ナカ」だ。

だが、この「駅ナカ隆盛」も慣れない駅に行くとマイナスに作用する。品川駅ぐらいに広く、さらに乗降客の動線やサイン計画が綿密になされていればいいが、乗り換え客の多さに目を付けてか、そうした駅の狭い構内に店舗を詰め込む例も散見される。これはイタダケナイ。「駅舎」とは、「列車の利用者がいかにスムーズに乗降、または乗り換えができること」が重要。その意味からすれば、「駅ナカ」の施設は明らかに「附帯施設」であり、「駅舎の本来的な機能(スムーズな乗降・乗り換え)」を妨げるものではあってはならないはずだ。
「駅ナカ」には積極的な利用層がいる一方で、否定的な層も確実に存在するだろう。その「不満層」の発生をいかに防ぎつつ、さらにステキな「駅ナカ」を展開するかは、「駅舎本来の機能」をきちんと確保することにかかっているように思う。

さらに、「駅ナカ」は新たな展開を迎えている。「自動販売機ビジネス」がそれのようだ。名刺作成機、傘販売機、自動DVDレンタル機、ガチャガチャ・・・。
なるほど、自動販売機ビジネスに関わった人であれば、その設置に際しての地権者や関係者との調整の苦労はよく知るところであろうが、自社敷地内の駅舎であれば、そうした苦労とは無縁な世界だ。
鉄道会社としは、早朝・深夜の駅構内の利便性を高めたり、空きスペースを有効に活用したいから自販機は格好のネタとなるだろう。

ただし、苦労がないだけ、採算性や、利用者ニーズにどれだけマッチしているのか疑問がある。「自動DVDレンタル機」はレンタルチェーンを上回る品揃えができれば、利用者の“Time saving”というニーズにマッチするだろう。
まぁ、傘販売機も駅舎内に売店がないのなら、良いサービスと言えるだろう。しかし、一般のビジネスの常識で考えれば、利用機会・頻度を考えればわざわざ設置するべきか疑問だ。あくまで「利用者サービス」と考えるべきか。
そして「ガチャガチャ」。これは、初期段階での「こんなところにガチャガチャが!」というサプライズによって利用はされるかもしれないが、継続的な利用はどうだろうか。秋葉原などで局地的にマニアックなプライズを提供すれば継続利用は見込まれるかもしれないが・・・。
しかし、一番気になるのはJRの新聞自動販売機だ。駅売りの新聞は、売店のオバチャンに「これもらうよ!」とピッタリの硬貨を投げつけるようにして支払い、オバチャンも「はい、行ってらっしゃい!」と応える「阿吽の呼吸」が基本ではないだろうか。それが自動販売機では何とも味気ない。売店をどんどんコンビニ化し、POSレジを導入、カードへのチャージができる拠点とする鉄道会社の戦略はわかる。しかし、それはどうにも利用者ニーズとの乖離を感じてならない。
「便利でオシャレな駅」はステキだ。しかし、あまりに利用者の日常とかけ離れてしまうと、かえって「売店のオバチャンとホームの立ち食いソバ」が懐かしくなってくる。

より魅力的な品揃えに留意するといった課題も含め、うまくバランスを取って、驚きと便利さ、満足感を「駅ナカ」で利用者に提供して欲しい。

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2007.04.16

バックナンバー「失敗学」

「失敗学」の畑村洋太郎氏が新たなチャレンジをはじめたようだ。

「失敗学」畑村教授、事故分析し安全遊具…3年後に試作品
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20070416i205.htm


「そういえば、以前KM(Knowledge Management)とマーケティングの観点から、失敗学について書いたよなぁ」と思ってこのBlogを捜してみたら・・・バックナンバーとしてアップしてなかったんですね。
3年ほど前の記事ですが、前職のニューズレターで書いたものです。
結構、反響のメールなどもいただいたものですので、改めてバックナンバーとして掲出します。

-----------<以下再掲>-----------------

マーケティング的失敗学のすすめ  2004/03/18

失敗学とは?
2000年の末に講談社から工学院大学教授、東大名誉教授・畑村洋太郎氏の『失敗学のすすめ』が発刊されて以来、「失敗学」が話題になり、今日ではその考え方はビジネスの世界においても完全に市民権を得た。失敗学という言葉は作家・立花隆氏が命名したものであるが、2002年12月に畑村氏が会長となって設立された特定非営利活動法人・失敗学会によれば以下のように定義されている。

「生産活動には、事故や失敗は付き物である。これら、事故や失敗は小さなものから、経済的損失につながるもの、負傷を伴う大きなもの、さらに多数の死傷者を出す大規模なものまである。特定非営利活動法人「失敗学」は、こういった事故や失敗発生の原因を解明する。さらに、経済的打撃を起こしたり、人命に関わったりするような事故・失敗を未然に防ぐ方策を提供する学問である。」

マーケターにとって失敗学の必要性とは?
さて、我々マーケターの立場で「失敗」という単語を連想したときには、さすがに「多数の死傷者を出す」という内容にはならないだろう。しかし、畑村氏は著述の中で、失敗とは「こうなるだろうと思って行動したが、はじめに定めた目的を達成できないこと」と定義している。これなら誰しも思い当たるフシはいくつかあるはずだ。そう、まったく成果の上がらなかったマーケティング施策などはそれに当たる。

しかし、我々の世界では前述のような死傷事故のように悲惨な結果がないが故に、ともすれば失敗というものの定義がそもそもあいまいになりがちだ。確かに応募者がほとんどいないキャンペーンなどは明らかな失敗だとわかるが、その施策の成否が不明確なまま終わることも少なくないだろう。そうだとしたら、失敗学の基本である「失敗に学ぶ」ということができなくなってしまう。何がうまくいって、何がうまくいかなかったのか。ダイレクトマーケティングは結果の計測こそが命である。レスター・ワンダーマンも19の法則の中で「次の段階:利益を生む広告」として「広告の成果は、ますます測定可能になっており、いまや計測できなければならない。」と述べている。成否の正確な把握と、そこからの学びこそが重要なのである。それは、レスター・ワンダーマンがダイレクトマーケティングを提唱して以来、半世紀の歴史を持つ我々ダイレクトマーケターのDNAでもあるはずなのだ。

失敗に学ぶための第一のTIPS:KPIの設定と結果検証の確実な実行
レスターも述べているとおり、今日の広告は測定可能なものが極めて多くなっている。特にデジタルコミュニケーションはほとんどが測定可能であるといっても過言ではない。とすれば、成否の把握のために何を計測するのかという基準が非常に重要となる。KPI(Key Performance Indicator)の設定である。そして、それに基づいた結果検証を確実に実行することである。

失敗に学ぶための第二のTIPS:失敗事例発表会と研究会を実行する
畑村氏は数々の企業不祥事に代表されるように、「失敗情報は隠れたがる」と指摘する。それ故に、まずは失敗事例を把握することが欠かせない。第一の TIPSで述べたように、KPIを設定し、効果検証を実行しても、それが個々の担当者レベルでとどまってしまっては意味がないのだ。事例発表を積極的に行う文化のある企業も少なくない。しかし、それらを見てみると、大半が優秀な事例の発表だ。また、部門対抗の発表大会のような形式を取っている場合、粉飾とまではいかないが、かなり内容的に成功ポイントが強調され、美化されたものになっていることも少なくない。

そこで、「失敗事例発表会」とそれに続く「研究会」を開くことをおすすめしたい。単に「失敗事例を報告しなさい!」と号令をかけても表出するものではない。発表の場を設け、発表することが当たり前となるような仕組み作りが必要なのだ。当然、失敗が責められたり、「恥ずかしながら」という論調の発表であってはならない。失敗原因を明確に分析し、気づきを発表できたことが称賛されるような文化を育てなくてはならないのだ。

失敗に学ぶための第三のTIPS:KM失敗学は車軸の両輪で
失敗学はKM(Knowledge Management)の一部なのか独立したものなのかは別に論議のあるところであろうが、この両方が同時に機能しなければならないのは明らかだ。KMは従来の研究開発やカスタマーサービスの現場だけではなく、マーケティングや営業現場においても効果・効率的な施策立案や事例共有のために数多く取り入れられ始めている。しかし、注意しなくてはならないのは、KMを優良な企画や事例を共有するための便利ツールとして使ってしまうと、担当者の「思考停止」が起こってしまうことだ。誰もが優良な企画のテンプレートを簡単に手に入れられ、複製できるとしたら、自ら考える努力を怠るようになる。新たな創造が起こらなくなってしまう。結果、一時的に生産性は向上するものの長期的には戦力が低下していく。知識共有をして、全体としての知恵が失われていくことになるのだ。

畑村氏も文芸春秋社刊「決定版 失敗学の法則」の中で以下のように述べている。「『うまくいく方法』だけを学んだ学生たちは、既存の技術のまねや、過去に起きた問題への対応は上手にできても、設計の分野でもっとも大切な『新たなものを創造する』という能力がなかなか身につきませんでした。(中略)行き着いたのが『うまく行かなかったやり方』、つまり『失敗』に学ぶことがものごとの真の理解につながるという結論でした」。

失敗学でマーケティングを変えよう!モノ作りの現場においてはこの失敗学が浸透してきている。マニュアル的な業務やTQC盲信が反省され、考えること、工夫することの重要性が見直されている。とすれば、我々マーケターも謙虚に失敗に学ぶことをもっと実践すべきだろう。例えば第一のTIPSでも述べた結果検証であるが、単純にレスポンス分析を行うだけでなく、同時にノン・レスポンダーの属性分析や要因分析などがそうだ。うまくいかなかったときの分析は、うまくいったときよりもさらに力を入れて行うのがダイレクトマーケティングにおいては基本でもある。

景気は回復基調にあるとはいえ、企業は今後もさらなる効率化と効果向上を図らなければならない。そのためにも個々の施策をもっと見直し、よりよいものにしていく努力は欠かせないはずだ。今回提言させていただいた3つのTIPSとともに再度考えてみていただきたい。

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「ひこにゃん」に見る自治体ビジネスモデルの好例

16日月曜日は朝から少々バタバタすることがわかっているので、この原稿は14日土曜日に書いて、タイマーをセットしておいたものです。
ココログのタイマーは時々不具合を起こすので心配ですが、無事なら16日朝7:00にアップされているはずです。

------------------

さて、本日14日土曜日は青学での「産業論・ベンチャービジネスとマーケティング」の今期第1回目の講義。

しかし、お伝えしたいのはそのことではなく、別の話題。
今日は朝から天気もよく、汗ばむぐらいの陽気。気温も24度ぐらいまで上がったようで、学生も半袖やTシャツ姿が多い。
そして、女子学生の多くがハンドタオルを握りしめての受講である。
確かに、今期の校舎は随分古い。なんだか空調もよくない。

しかし、金森の目に留まったのは、女子学生のハンドタオルに刺繍されたキャラクター。
「ひこにゃん」!である。
http://www.hikone-400th.jp/about/mark.php#content_02

「ひこにゃん」はすでに全国区でどんどん知名度が上がり、グッズもかなり売れているとは聞いていたが、実物を見るのは初めてだった。
Googleで検索してみる。「ひこにゃん の検索結果 約 418,000 件」。すごい数だ。(ここで取り上げているので、また1件増えたわけですね)。

彦根城築城400年祭りのキャラクターとして誕生した、ご覧の通りの「ねこ」である。
いわゆる、かわいいんだか、かわいくないんだかわからない、みうらじゅん氏命名の「ゆるキャラ」というカテゴリーに分類できるだろう。
上記ホームページによると「井伊の赤備えのカブトをかぶった猫(彦根藩二代藩主井伊直孝公を手招きして、雷雨から救った招き猫)をモデルにしています。」とのことである。
その姿の由来よりも、その存在の「ゆるさ」が新しい。

なぜ、ここまで有名になり、グッズも売れているのかを調べると、キャラクターの使用権利が「ゆるい」のだ。
ひこにゃんは申請前提であるが、基本的に著作権料フリーなのだ。

そのおかげでグッズがあるわあるわ・・・。
http://www.hikone-400th.jp/goods/

考えてみれば、自治体のキャラクターとして、このモデルは非常に正しいものではないだろうか。
作家はウィキペディア(Wikipedia)』¥で調べてみると「もへろん」という若きフリーイラストレーターだそうだ。

自治体とそのような契約を交わしたのか詳細はわからないが、恐らく、著作権売り切りでこのキャラクターを作ったのだろう。
そして、自治体も、その権利でビジネスをするのではなく、フリーとした。
そのことで、まず第一に「彦根城築城400年祭り」自体が有名になる。盛り上がれば来場者も増えるだろう。
また、グッズも多くは地元の企業が作っているようだ。地域振興になっている。
作家自身も権利収入はないものの、生み出したキャラクターが有名になれば、自身の知名度も向上する。

自治体が厳しい財政の中から、有名な作家にキャラクター制作を依頼するのでなく、若い作家を起用し、作家自身の今後のチャンスも創造する。
また、自治体自体も権利の使い方一つで町おこしのチャンスを数多く作れる。
Win-Winの好例である。
今後もこのようなモデルは増えるのではないだろうか。

個人的には、びみょ~な「ゆるキャラ」が繁殖しすぎるのもどうかとは思うのだが・・・。

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2007.04.13

目に見えない”基本サービス”の励行を!

金森、ただ今出張中。
ホテルよりアップしています。

というわけで、接客サービスの話題です。

このホテル、いわゆる「シティーホテル」というカテゴリーを主張しており、確かにレストランやバンケットルームも付いている。
しかし、料金的にはどう考えても「ビジネスホテル」。たいして期待はしていなかった。

そして、チェックインの夜、駅からほど近いものの少々雨がパラついている。傘はない。やむなく突破。

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ホテルの入り口には(当然ドアマンなどいない)、お約束の館内用ビニール製傘袋と一緒に、「ご自由にお使いください」と清潔な白いタオルが籐かごに並べてある。
ホテルのサービスに詳しくないので、よくあることなのかもしれないが、軽くぬれた服や髪を拭うにはとても良いサービスと感じた。
このホテル、期待できるかも!・・・と淡い期待はもろくも直後に砕かれ、そこからは下降の一途。

チェックイン時、同行者の部屋が取れていない。一瞬あわてる。
しかし、よく調べると、電話予約時に氏名が聞き間違えられていたようで、ちゃんと部屋は予約されていた。
確かに彼の姓は、ともするとよく似た別の姓に聞き取られるかもしれない。
しかし、予約時にきちんとした復唱をし、間違えないことはホテルの基本中の基本であろう。あれ?なんかダメかも。

続いてフロントマンは「お客様、実は明日の日中、当館は定期点検で停電してしまうのですがよろしいでしょうか」と頭を下げる。
・・・無論、日中はビジネスのためホテルにはいないので実害はない。しかし、「定期点検」であれば、予約時にわかっていたはずだろう。なぜ言わない。
商用での宿泊であったので問題はないが、これが集中して原稿を書くための「引きこもり宿泊」であったら目も当てられない。

部屋について、シャワーを浴びる。少々のどが渇いたのでミネラルウォーターを捜して冷蔵庫を空ける。空っぽ。
小さなプレートに「飲料は階下の自動販売機をご使用ください」とある。
当然、浴衣で歩き回る非常識はできないので、わざわざ再度着替えて自動販売機に向かう。「これは罰ゲームなのか?」という気分になる。
これもチェックイン時に「飲料は部屋の冷蔵庫ではなく自動販売機で予め購入を」と一言告げるか、その旨を記した小さなカード一枚でも手渡してくれれば良かったことではないか。

冒頭の入り口での「タオルサービス」という「目に見えるプラスアルファのサービス」には少々感心したが、「目に見えない基本サービスの励行」レベルが低すぎる。
目に見える、ちょっとしたサービスを発案することよりも、「当たり前なことを、当たり前にやり続ける」ことは意外と難しい。
しかし、それができていないと、せっかくのプラスアルファも「そんなよけいなことより、当たり前なことをやれ!」と言われてしまう。

プラスアルファを思いついたときには、セットで「ところで基本サービスは大丈夫だろうか」という見直しをしたいものである。

とまぁ、こんな具合だが、まだチェックアウトしていないので、この後も何かあるかも。
客に先のことで不安感を持たせるのもどうかと思う。・・・次回はここのホテルはパスしたい。

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2007.04.12

高度化の代償?

現在使っている携帯。かなり気に入っている。
カメラは300万画素。このブログの「桜ギャラリー2007」も自分で撮影した画像は全てこの携帯からだ。
メールの添付ファイルも閲覧できるので、ちょっとした確認ならいちいちパソコンを開く必要もない。
また、少々通信費はかかるが、「フルブラウザ機能」でパソコンと同じWEBサイトを確認できる。

この携帯端末を買った直後に、同じキャリアから「極薄タイプ」が登場して、少々「失敗したかな?」とも思ったが、機能的に金森の要求を満たすものではなかった。

で、大満足なハズのこの携帯。困った側面を露呈しはじめている。
「携帯多機能化」の代償であろうか。パソコンのように「ハングアップ(いわゆる“固まる”)」のである。
実は、この端末は「二号機」。発売直後に飛び付いたものの、何らかの操作を行った際、ハングアップして勝手に電源が落ちてしまう事象が多発した。
さすがにこれはたまらないので、ショップに持ち込んだ所、「新品と交換」となった。
こういう場合、クレーム再発防止のため、交換機にはキャリアで十分なチェックが行われたものが出される。
が、悲劇再びである。
タウンウオッチのため、銀座を歩く。「これは!」というシャッターチャンスに恵まれ、携帯で撮影。やった!文章にこの画像を添えれば面白い記事になる。と、思いきや、スーッッと画面が消えていく。
今にして思えば、確かに保存先に指定していたマイクロSDをうっかりスロットから抜いたままだった。だが、その際は「本体メモリに保存しますか」のアラートが出るハズ。
しかし、今回はそれもなく、数秒のフリーズの後に、端末が勝手に再起動をして、撮影した画像は消えた。

この一連の現象は、一昔前のパソコンのようだ。
ユーザーの多様な要求に応えようと、様々なソフトが本体にプリインストールされる。しかし、それらを全て処理できるほど本体の性能は高まっていない。結果としてハングアップが多発する。

いっそ、ユーザーが求める機能を購入時に選択する、BTO(Built To Order)の発想を取り入れたらどうだろう。そうすれば、ハングアップの危険性は低減し、さらに「自分だけの携帯」という愛着も生まれるのではないだろうか。
いたずらに機能、デザイン、カラーバリエーションを競い合うだけが「競争戦略(戦術?)」ではないだろうに。

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2007.04.11

マーケターとしての「気」の研究

・・・タイトルで既に引かないように。アヤシイ内容ではありません!

知人のマーケターが先日Blogで「マーケターは、これからは”気”の研究にも取り組む必要がある」と提唱していた。
彼の言う”気”とは「古来中国などで言われてきた”気”のこと」であり、彼自身の定義によると「五感を超えたところで行なわれるコミュニケーション」であるという。
そして「(”気”は誰もが)ノンバーバル(非言語的)コミュニケーションの方法として活用していることは間違いない」と説く。(全文はこちら

同様なことを金森も感じていたが、さらに「コミュニケーション」を越えた部分まで含めて、昨今人間は「スピリチュアルなもの」に惹かれているように思う。


この3月まで教鞭を執っていた某大学院のマーケティングクラスで印象的なできごとがあった。
(元クラスの皆さん読んでますか?)

受講生の一人が非常にスピリチュアルな能力に長けているとのことで、彼曰く、「独学も含めかなり学んだ」らしい。
どのような能力かといえば、相対する人の思考や、さらにその本質(心根?)が鮮明にイメージできるという。
すると、同じクラスの受講生が懇親会の席で「ぜひ自分も観て欲しい」と熱心に頼み、告げられた言葉に大きくうなずき、納得している。
スピリチュアルなものを否定する人には、ともすると考えがたい光景かもしれない。
大学院の、それも文系科目としてはかなり科学的かつ理論的分野である「マーケティング」の受講者たちである。

しかし、金森は全くそれを否定する気にはなれない。
その証拠に、このBlogの左の一番下にある”プロフェッショナルリンク”にある、「BBSH認定ヒーラー」というリンクがある。
このヒーリングを行なっている方は、元々金森の前職での先輩であり、渡米し、5年間スクールに通い「ヒーラー」の資格を取得した人である。
金森も数回、施術を受けたが、うまく言葉にはできないが、確かに感じるものがあった。

・・・ここらヘンまで読んで、「やはり今日の内容はアヤシイな」と引かないように(笑)

なぜ、人はスピリチュアルなものに惹かれるのか。
恐らく、理由は単純で「バランス」だ。

広辞苑第5版で「気」を引いてみると、まず、以下のように述べられている。

き【気】
天地間を満たし、宇宙を構成する基本と考えられるもの。また、その動き。
風雨・寒暑などの自然現象。「気象・気候・天気」
15日または16日間を1期とする呼び方。三分して、その一つを候と呼ぶ。→二十四節気。
万物が生ずる根元。「天地正大の―」
生命の原動力となる勢い。活力の源。

さて、今の世の中、「自然現象」を肌で感じる少なくなってはいまいか。
また、とかく人工的なものばかりに囲まれた生活の中、「万物が生ずる根元・ 生命の原動力となる勢い・活力の源」といったものから遠く切り離されてはいないだろうか。
そうした中で、スピリチュアルなものを求めるのはやはり「バランス」をとろうとする自然な反応だろう。

しかし、そうした中で気になることもある。

スピリチュアルなものを求める人がいる一方で、冒頭の知人のマーケターが説く、「コミュニケーションの分野での”気”」については、どうも一般におろそかにされている気がしてならない。
人と人とのコミュニケーションに本来欠かせない「気を利かせる」「気を配る」 「気を使う」などができない人々が増えていないだろうか。

その金森の疑問に知人は「五感を通じた情報量が莫大すぎて”気”を使う余裕がなくなっているのではないか。」と分析した。
まさに金森も同意見である。

マーケターとしての「気」の研究。金森もこれから「気を入れて」やってみようと思う。

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2007.04.10

「Suicaポスター」を体験

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今週に入って、新橋駅烏森口の通路に「Suicaポスター」がお目見え。
紹介リーフレットをキャンペーンガールが立ち撒きしている。

「Suicaポスター」とは、上の写真のように、駅張りポスターの横にSuica端末がセットで設置されたもの。
ポスターと連動して、Suica端末にモバイルSuicaを「かざす」ことによって、ポスターの詳細情報や割引クーポンなどを取得できる携帯サイトのURLが取得できる。
あとは、携帯画面の「接続しますか?・OK」を押すだけで、サイトアクセスできるというもの。

初回のみ、簡易なユーザー登録が必要となるが、使用してみた感想としては「カンタン!」であった。

モバイルSuica端末でない場合は、Suica端末の上の画面に表示された「QRコード」を携帯でさらに読み取るという手間がかかるので、この機能はあまり利用されないように思う。
実際、今までにもQRコードが記されたポスターや印刷物は街のあちこちで目にしたが、それを読み取っている人の姿はあまり見たことがない。
やはり、携帯のQRコード読み取り機能を立ち上げ、さらにサイトにアクセスするという、前述の二段階方式が面倒なのだろう。
むろん、めんどくさがりの金森はほとんどやったことがない。

その点、今回の「Suicaポスター」をモバイルSuica端末で利用する場合の、ワンタッチ感は気楽でいい。

ただ、知っている人は「そんなのは今までにもドコモの”トルカ機能”を使った販促展開の例があるじゃないか」と言われるかもしれない。
(トルカ機能について http://www.nttdocomo.co.jp/info/news_release/page/20050914a.html ←多くの人が自分の携帯に付いていて、気がついていない機能だと思います。)
確かにそうなのだ。まさにこれは「トルカそのもの」。
しかし、残念なことに、トルカを利用した展開は今までうまく普及した例は少ない。

今回、金森がこの「Suicaポスター」に注目しているのは、「タイミング」なのだ。
「QRコード」の面倒さは普及の足かせになるのは必定。
しかし、「かざす」という、今までになかった「所作」というか、「行動」、もしくは「ポーズ」が人々の中に正に普及・定着しだす時期であるからだ。
Pasmoによって、バス・私鉄・地下鉄との乗り入れ定期を使っていたユーザーも、Suicaと乗り入れたことによって、「かざす」という「所作」にどんどん慣れてくるはずだ。
また、JRのキオスクもSuica対応レジに切り替わり、買い物の度に「かざす」。自販機もすごい勢いでSuica対応になっているので、飲み物を買うにも「かざす」。
で、何度かこのBlogでも取り上げたように、JRは気合いを入れて、モバイルSuica対応端末ユーザーに、その機能を利用させる駅ナカキャンペーンも実行している。

上記のように、全てが連動するように「タイミング」が合わせられているのである。
それ故、今回の「Suicaポスター」はうまく普及するのではないかと考えたわけだ。

今のところ、設置駅は新橋以外には、東京、上野、池袋、新宿、渋谷の6駅だそうだ。
(詳しくは http://www.poster.suica.jp/ )

近くにある方は一度体験されてはどうでしょう?

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2007.04.09

「質問編」顧客視点”入門講座 第12回「」

いよいよ最終回のバックナンバーです。
(4月1日にアップすると予告したのですが遅れてしまいました。)

さて、全24回を振り返って、時間のあるときにまた、箱根にでもこもって加筆修正し、書籍用にまとめ直してみようかと思います。

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 「顧客視点でマーケティングの基礎を見直す」という主旨で2年間にわたり続けてきた当連載も、今回で本編・続編を合わせて24回となり最終回となった。「マーケティング」の意味は「売れ続けるしくみ」といわれるが、ともすると「売り込むしくみ」になりがちである。そうした「生産者志向」から「顧客志向」への転換はできただろうか。
そして今回は最後に「どうすれば優良な顧客対応が実現できるのか?」というご質問にお答えするため、「CS(Customer Satisfaction=顧客満足)」と「CRM(Customer Relationship Management)」を取り上げたい。

■CSの極意は「常に顧客のことを考え続け、柔軟に対応すること」
 CSは1990年代にブームとも言うべき広がりを見せたが、景気の低迷期にはあまり語られなくなっていた。しかし、最近の好景気を背景に再び各企業が「お客様第一主義」などを掲げるようになっている。
 CSの事例といえば米国での百貨店やホテルでの顧客対応が語られるが、ここでは筆者が実際に体験した例を示す。銀座の老舗文具店はいかにして良質な顧客サービスを展開しているかを伝えたいからだ。
 その店に顧客対応マニュアルといったものは存在しない。お客様中心主義を徹底する教育を行ない、顧客応対品質の向上を行なっている。マニュアルも各店員の”考える力”を奪い、画一的な接客しかできなくなるためあえて作らないそうだ。教育は「自分自身がお客様の立場になってうれしいと思うことは何でもしなさい。」ということに集約されている。そして具体的な対応例を幾つも店員に示すのである。例えばボールペンの替え芯一本だけをお買い上げのお客様が、他にもお手荷物をたくさんお持ちのようであれば、「大きな手提げにおまとめ致しましょうか」というような声掛けをしなさい。というように、微に入り細をうがつように指導をするという。
そこまで聞いてかつて筆者が実際にその店で体験した対応に得心がいった。筆者は外国製の革手帳を肌身離さず持ち歩いている。コラムや各種原稿の他のネタ帳である。しかし、うっかり手帳のリフィルを切らしてしまった。屋へ行ったが、店頭になく外国製故取り寄せに時間がかかるとのこと。ネタ帳無しでは過ごせない。途方に暮れていた筆者に対し、店員は何の躊躇もなく新品からリフィル部分を取り外し「ご不自由でしょうから、こちらをお使いください」と差し出してきた。感動した。
CSはいくら理論を覚えても、実際の場面で対応ができなければ意味がない。全く「学問」ではなく、「実践」が命なのである。そのためには「常に顧客のことを考え続け、柔軟に対応すること」であり、顧客視点が身についていなければならないのである。そしてそれは、景気に左右されるものでも、ブームに乗って行われるものではなく、企業活動の底流となっているべきなのだ。

■CRMは過去のキーワードか?
 「CRMの基本は、顧客の各種データ(属性・購買履歴など)を元に正しく把握し、そのデータを使って最適なお勧めや情報提供を行うことによって、長期的な取引関係を継続させる」というものだ。
しかし、当連載は「質問編」として、読者の方からの疑問や意見に答えることを主旨としているが、「CRMはもはや過去の考え方であり、今日的には当てはまらないのか?」という質問もいくつか届いている。
CRMは顧客データを基軸とすることから、「データベース・マーケティング」が基礎となっており、ITとの連動は欠かせなくなる。しかし、ITの世界の人からは最近は「CRMって懐かしいキーワードですね」と言われることがある。確かにITの世界ではもはや過ぎ去ったトレンドであるかもしれない。ITベンダーの今日の関心事はCRMよりも「内部統制」や「J-SOX対応」などに移行しているからだ。また、その考え方の原産地である米国においては、多大なシステム投資に対し、一向に成果が上がらないことから「失敗」のレッテルが貼られてしまった。しかし、日本においてはCRMブームの頃はデフレ不況の只中にあり、大幅なシステム投資に踏み切れた企業も少なく、結果として「CRMは失敗も成功もしていない」という状態である。米国での失敗は「戦略なきシステム投資」が原因であり、日本で成功していないのは、いまだに本格的にCRMに取り組む企業が少ないからである。
今日の時代背景を考えてみよう。「モノの飽和」と言われる時代である。モノを作れば売れた高度成長期は遠い昔話になっており、今日では生活者は「気に入った物にはお金をかけるが、不要なものは一切買わない」という消費の選別を覚えた「賢い生活者」となっている。また、少子高齢化、人口減少時代はそのまま「買い手の減少」を意味し、限られた買い手を巡って、各企業は顧客の囲い込みを図る、生き残り競争に入っているのだ。それらの事象からCRMの重要性はいささかも色あせていないことが分かるだろう。いや、むしろ増しているのである。

■CRMを巡る困った誤解
CRMという考え方は、いつの頃からか「LTV(Life Time Value =顧客生涯価値)」という言葉とセットで語られるようになっていた。各々の顧客が生涯にどの程度企業に利益をもたらすのかを把握(予想)し、その利益貢献度に応じた対応を行おうとするものだ。しかし、それは単なる概念論であり、実際には顧客の「生涯価値」の測定などできようはずもないことがわかる。そうしたキーワードがセットになっているおかげでCRMが怪しげなものと捉えられてしまうのである。LTVなど考えなくとも、CRM本来の「顧客に合わせた最適なケアを行い、取引を継続していただく」という主旨が変わることはないのである。
もう一つ、「取引の継続」ということから、どうしても企業は各々の顧客からの収益を「最大化」させようという思考が働いてしまう点が上げられる。これはCRMに限らず「優良顧客」という概念が、企業側から見た平板な捉えられ方であることに起因する。顧客側から見れば、例えその企業に愛着があれば、取引が年間に数回しかなく少額であったとしても、「自分はこの企業を継続利用し、かつ同業他社に乗り換えることなく取引をしている優良顧客である」と考えるだろう。「マインドシェア」という言葉がある。いわゆる市場全体のパイのうちどの程度自社が占有できているかという「市場シェア」ではなく、個々の顧客の心の中のシェアを高めようとする考え方である。前項の通り、少子高齢化、人口減という市場のパイが縮小している環境下では、市場全体のパイを食い合うという発想では結局はそのパイを獲得することはできないだろう。必要なことは、個々の顧客にきめ細かく対応し、例え大口の顧客でないとしても、それぞれの顧客に応じた適切なケアを行い、「選ばれ続ける」ことである。そうすることにより、結果として全体のシェアを維持することができるようになるという発想の転換が必要なのだ。

■企業は「選ばれる理由」を持っているか?
当連載の主旨は「顧客視点」である。その顧客の視点で自社の姿、自社の顧客対応を見直したとき、そこに顧客から「選ばれる理由」は存在しているだろうか。さらに「選ばれ続ける」理由は存在しているだろうか。従来のマーケティングの基本であった「セグメンテーション→ターゲティング」という考え方は、ともすれば自社の都合のよいように、市場全体を切り分け、その中からおいしそうな部分だけを切り取るという「自社中心の発想」になりがちである。しかし、ここまでの論説で既にその発想では今後企業は生き延びていくことはできないことが分かっただろう。そのためにも、今回紹介したCSやCRMなどの個々の顧客、そしてその心の中にフォーカスしたきめ細かな対応が必要となってくるのだ。

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2007.04.06

私的「花見論」

マーケティングと関係ないとの指摘もあろうが、「多面的な価値観の理解は、マーケティング思考の基本」と解釈されたい。


過日、某紙で某学者の大先生が、連載コラムにて「花見論」を展開していた。
その方は、どうやら日本文化の研究から「花見の定義」をされたようだ。

曰く、「(1、2本ではなく)群れ咲く桜(群桜)を「(眺めるだけでなく)飲食を伴い」「(一人二人でなく)大勢の群衆で」行うのが「花見」である。
その三条件を兼ね備えた風習を持ち合わせたのは、日本人だけであり、日本独自の文化もそこから産み出されたものも多い。

・・・とのことである。
なるほど、ここまではアグリー。
が、続きが「タウンウオッチャー&桜ハンター」としての金森の価値観とは相容れない。

続けて曰く、「ところが桜は好きだが、花見は騒がしくて下品で嫌だという人がいる。おかしいと思う。」とのことである。

「価値観の多様化」の時代。
正に古来の風習である「花見」も変容しているのではないか。

今日の花見のスタイルをタウンウオッチ(学問的にいえば“フィールドワーク”)で見れば、以下の3パターンに分類されよう。

1、「宴会」パターン。即ち、旧来の「群生した桜を」「飲食を伴い」「集団で」愛でる。
2、「ファミリーランチ」パターン。夜の花見宴会のブルーシートを避け、そっと昼下がりに小さなレジャーシートを広げ、お弁当を食しながら花を愛でる。(ファミリーだけでなく、カップルや同性の親しい間も含む)。
3、一人静かに(群生か否か、桜の本数に関わらず、飲食するしないも関係なく)花を愛でる。

以上である。

個人的には、従前のパターン1を否定するつもりは全くない。しかし、「桜そのものの美」のマニアとしては、パターン3がもっとも好みである。
また、パターン2も家族持ちとしては重要だ。
しかし、大先生には申し訳ないが、パターン1はどうにも苦手だ。

一人で思い付くまま桜を追う様を「桜狩り」ととでも言おうか。
その成果は「桜ギャラリー2007」でご覧頂きたい。
本日、恐らく今年最後となる画像をアップした。

http://kmo.air-nifty.com/photos/sakura/index.html

普段、とめどなく拡張する携帯文化には、少々否定的な論を展開している金森であるが、今年試行した携帯片手の「桜狩り」は多いに楽しめ、また、読者からも「自慢の桜の写真」をメールで頂いた。

本来の「花見スタイル」にこだわるのもいい。
しかし、人々の嗜好の変化とテクノロジーが後押しする、新たな「花見スタイル」も大先生に許容してほしいものだ。

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2007.04.05

タダより高いものはない~フリーペーパー乱立時代に思う~

金森は「タウン・ウオッチ」が趣味なので、実によく街を歩く。そしてしばらく歩くと、必ず5~6部のフリーペーパーを受け取ることになる。
しかし、そのフリーペーパーの大増殖が最近気になってならない。
リクルートの「R25」などは既に立ち撒き配布はしていないので、新橋駅の所定コーナーに発行日に取りに行くが、同誌ほど内容的に洗練されたフリーペーパーは数えるほどしかないという感じがする。
なんと内容の乏しいものが多いことか。
社団法人日本印刷技術協会発行の「日本のフリーペーパー2006」が把握するデータでは、2005年現在国内の発行社950社。紙誌数は1,200種。年間総発行部数91億部で実に雑誌の倍に達しているという。
全1,200種のうち、読むに値するものはどれぐらいあるのだろうか。しかし、「タダだからいいか・・・」という気にはなれない。

かつてのインターネットの創生期、WEBサイトが徐々に立ち上がっていった頃のことを思い出す。
作る側は「閲覧はタダなんだから、どんなものを作ってもよかろう」という気でいた。
しかし、ユーザーは(当時は定額制の接続も高速回線もなかったので)「高い接続料と、ダウンロードする時間を我慢しているんだから、閲覧をタダでしているんではない!」と内容に対する厳しい注文を付けてきたものだ。

転じてフリーペーパー。インターネット創生期の「接続料」に相当するような、読み手が負担するコストは発生しない。
しかし、「ダウンロードする時間」と「閲覧する時間」に相当する、「受け取ってから読んでいる時間」という消費される「時間」は同じだ。
金銭的なコストの問題だけではない。人間に等しく与えられた1日24時間という時間。さらに、個々人が持つ、その中の「可処分時間」。それを「フリーペーパーを読む」という時間として費やしているのである。決してタダではない。
インターネット創生期と同じく、提供側も読者も「可処分時間の消費」にもっと注目すべきではないか。「読むに値する内容を提供しているのか」「自らの時間を消費するに値するものを読んでいるのか」と。

「つまらなければ、捨てていただいて結構です」という提供者側の理論。「ぱっと見て、つまらなければすぐ捨てるし、たまに面白い記事や得するクーポンがあれば、めっけ物だから」という読者の理論。
そう考えると、利害は一致しているようにも思える。

しかし、年間総発行部数91億部という前出の数字を思い出して欲しい。
自ら金銭を払って購入した新聞・雑誌であれば、そんな「ぱっと見て捨てる」ような行為はすまい。また、編集・発行する側も「対価を受け取るなりの責任」を持って紙面作りをしているはずだ。
しかし、捨てられる、捨てることを前提で作られている91億部もの紙誌。それらが制作され、廃棄処分される過程でどれだけの環境負荷が発生しているかを考えると、うっかり受け取ることができなくなるはずだ。
環境負荷というツケは、回りまわって自らに戻ってくる。やはり、「タダより高いものはない」のである。

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2007.04.04

うまい!「はなまるうどん」

標題の意味するところは、「美味い!」ではなく、「巧い!」である。
(”はなまるうどん”が”美味くない”といっているわけではない。)

先日、得意先へ向かうとき「はなまるうどん・京橋店」が「うどん定期券500円」なるもののチラシを街頭配布していた。
前日に同店をテレビクルーが取材していたのを見たが、この件であったか。

定期券の概要は、500円払えば1ヶ月間、毎日105円引きで同店の全てのうどんが食べられるというものだ。
例えば、一番安い105円の”かけうどん小”なら、毎日タダで。”カレーセット”499円なら394円、という具合だ。

4月2日から15日まで、先着1,000名限定の受付なので、おそらくは試行的な施策かと思われるが、これはなかなか「巧い」手ではないだろうか。

狙いは元々、同店のヘビー~ミドルユーザーであり、週に1~2度はうどんを食べにくる客であろう。
そのような利用状況であれば、ユーザーも500円の前払い分は確実に回収できる。
”定期券”の第一の機能である、顧客の固定化はまず、確実に達成できるであろう。

加えて、この定期券は「いつでも105円割引なら」という感覚で、普段は注文しない「ひとつ上のサイズ」や、別のメニュー(かけうどん→カレーセット)に手を出したり、天ぷらをもう一品トッピングしてみるということもあるだろう。
とかく、この手の「手早く済ます食事」は客側で自然とメニューを固定化してしまいがちだ。その結果、次第に飽きてきて足が遠のくということもあるだろう。そこを、この定期券は防止する機能を果たす。

さらに、105円の割引以上に、通常より上の価格帯のメニューを注文したり、トッピングをしたりするうちに、自然と105円以上の増額にもなるだろう。
つまり、「アップセリング」「クロスセリング」を自然と促進する効果もあるのだ。
「アップセリング」「クロスセリング」を実現しようとすると、とかく「新メニュー展開」や「価格改定」に踏み切らざるを得なくなりがちだ。
しかし、そこにはリスクが存在する。

メニューも定価もそのままで、「顧客の固定化促進」「アップセリング」「クロスセリング」を実現しようとする、この「定期券」。なかなか「巧い!」と感じた次第である。
はたして、結果やいかに。

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2007.04.02

新社会人へ向けて

このBlogは私が青学で過去2年間教えた学生も多く読んでくれているようなので、本日はタイトルのような内容を記してみたい。
3~4年生向けの科目であったので、社会人として本日デビューする人も多いであろう。

4月1日が日曜だったため、実質的にビジネスの新年度は今日が初日という企業も多いはずだ。
そして、新入社員。3月中に入社式を済ます企業もあるようであるが、多くの新入社員にとっては、今日がビジネスパーソンとしてのスタートの日である。
本日の日経新聞にも「売れっ子諸君よ自分を磨け」と題された社説が掲載されていた。
ここでも先日、社会生産性本部が発表した「今春入社の社員は”デイトレーダー型”」という言葉が引用されている。
そして、ファーストリテイリング・柳井社長の「一つのことを最低十年はやらないと一人前にはならない」という、同社入社式での訓辞も引用している。

私自身は、いわゆる「バブル入社組」である。
そして、終身雇用に縛られることなく、転職をするようになった最初の世代ではないだろうか。
最初の会社には3年弱、二社目は3年ちょうど、三社目は12年弱在席し、一昨年独立起業した。
しかし、自身のことを振り返ってみれば、就業している会社を変えてはいるが、「仕事(職)」を変えたことは一度もないと考えている。
「マーケティング・コミュニケーション」という仕事である。
最初はコールセンターのオペレーターとして(これはまだ在学中からであるが)、「顧客の生の声」に触れ、
その後、マーケティングや企業戦略の上流部分に遡るように仕事の幅は広がっているが、原点は変わっていない。

ちょうど、就職するときにリクルートの方が語っていた言葉を思い出す。
「3年単位で考えろ。3年やってみて、その仕事が面白ければもう3年やればいい。面白いと思い続けて10回繰り返せば30年。結構いい年になっているもんだ」と。
なるほどと思い、最初の会社、二社目と3年で転職。3社目は思わず面白いことが多く3年×4回続けた。
しかし、繰り返すが「仕事(職)」は変えていない。

柳井社長の言葉は「10年同じ会社で辛抱しろ」という意味ではないはずだ。
「一つのことを最低十年」とは、一度決めた「仕事(職)」を10年は腰を据えてやってみろという意味で、私の考え方と同じではないだろうか。

「デイトレーダー」とはあまり良い例えではないように思うが、条件の優位性やよりやり甲斐を求めることは悪いことではないはずだ。
しかし、明確な目標なくして、デイトレーディングのように転職を繰り返せば、ありがちな「自分探し」が始まってしまうだろう。

プロのトレーダーの方から聞いた話であるが、きちんと株で利益を出したかったら、「自分の持っている銘柄のことを、一銘柄当たり最低でも週に一時間は勉強しろ」とのことである。
10銘柄持っていれば週10時間。結構な労力であるが、きちんと勉強すれば、目先の利益だけで簡単に売り買いなどできなくなる。
しっかりその銘柄のことを勉強し、理解することによって、利益が取れるかどうかが見えてくる。
とすれば、それを自身の「仕事」と「人生」に置き換えて考えれば、自分自身の人生を「デイトレーディング」することなどあり得ないことが分かるはずだ。

さらに、「一つのことを最低十年」であれば、その10年を漫然と過ごさないことだ。
私自身は、仕事に就いてもうすぐ20年になろうとしている。2ラウンド目だ。
しかし、「まだまだ」であり、いつも振り返れば忸怩たる思いがこみ上げてくる。

日経の社説のタイトルに少し付け加えるならば、「売れっ子諸君よ『自身をよく見つめ、腰を据えて』自分を磨け」ということになるだろう。
今から30年~40年近くのビジネスパーソンとしての人生が、楽しく過ごせるかどうかはやはり、最初の3年、そして10年がポイントだと思う。

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