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21 posts from March 2007

2007.03.31

桜ギャラリー2007

2007年春の桜の風景を集めてみました。
桜が散るまで、順次、追加していくつもりです。

しかし、今年の桜はあわただしく満開になってしまったがために、いつもより一層、在原業平の心境になってしまう。
「世の中の 絶えて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」 
散っていく桜が気にかかってならない。

「久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」
紀友則の気持ちでもいいかも。
http://kmo.air-nifty.com/photos/sakura/index.html

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2007.03.30

究極のアナログ検索・古本探索

ここの所、堅めの記事が多かったので、緩いのをもう一本。

昨年も「古本によるナレッジトランスファー」と題してお伝えした、「新橋古本祭り」。
また、開催されました。(今年は昨年より開催が早いな・・・)
http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2006/06/post_bfe6.html

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今年は特に目当ての書籍を想定せず、とりあえず散策してみる。
何かの本との「偶然の出会い」を期待して。

各店ので店を巡ると、徐々に、「こんな本はないかな」と思うようになり、探す。
探すといっても、大まかにコーナー分けされた本に中から、自分の目で探すか、店主に「こんな本ないですか?」と聞くしかない。
究極の「アナログ検索」である。

かくして、「偶然の出会い」は実現した。

「エル・グレコ」の画集。
(El Greco, 1541~1614:ギリシャ生まれでスペインで宮廷画家として活躍。マニエリスムという縦に長く伸びた構図、人体などが特徴)
実はエル・グレコの絵が金森は大好きで、PCのデスクトップの壁紙にもしているぐらいだ。

Photo


それが、何と20年前に日本で美術展が開催されていたようで、その時の画集を古本の山から発見したのだ。
開催日から数日経っているからだろう。
当初、1,980円と書かれていた値札が600円に訂正されている。
1,980円でも購入しただろうが、600円なら、なお即買いだ。

というわけで、究極のアナログ検索をし、偶然の出会いに助けられ、幸運にも期待以上の成果を得た今年の古本市となった。

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2007.03.29

見よ!この満開の桜を。

なんと、東京で満開の桜。
たぶん、品種がソメイヨシノと違うのでしょうか。

しかし、見事。

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場所は・・・銀座一丁目。高速会社線の横(有楽町側)。

桜の樹に隣接して、飲食店(和食チェーン店)があり、大きな桜を見渡せる窓側の席がある。
(さすがに店名までは宣伝に加担しているみたいなので出しません)
18時30分頃はもったいない事に、店内はガラガラ。

さぁ、銀座近隣の方は急いで急いで!

・・・で、マーケティングと何の関係があるかって?
いいじゃないですか。
「春」なんだから。

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携帯が奪う「視覚と思考力のスキマ時間」

統計的な数字を探そうとネットをさんざん検索してみたが、出てこなかったので、記憶を頼りに論を進める。
少々論拠が曖昧な点をお許し願いたい。

「人が考え事をする時と場所」というデータを以前見た。
(ご存じの方がいらしたら、是非ご一報ください。)
共通しているのが「どこかで、何かをしながら」だったと記憶している。
例えば、「お風呂に入りながら」「トイレに入りながら」「歩きながら」「電車に乗りながら」・・・。
確かにアルキメデスが浮力の法則を見つけたのも、お風呂に入りながらである。
例示したものに共通しているのは、「何かをしながら」であるが、実際には視覚や思考はフリーな状態であることだ。
つまり、「~ながら」という時間は、「視覚と思考力のスキマ時間」だとも言えるだろう。

アルキメデスが入浴という「視覚と思考力のスキマ時間」において、”浴槽からあふれ出るお湯”をまず視覚が察知し、そこから思考力のスイッチが入り、思索した結果「浮力の法則」という理論に結実したわけだ。
かのアルキメデスと自らを並べるのは厚顔極まりないが、金森もコラムネタは街を歩きながら目にしたものに触発され、歩きながら、その続きで電車に乗りながら思索を深めることが多い。

「思索」という言葉を遣った。広辞苑第五版によれば、『し‐さく【思索】物事のすじみちを立てて深く考え進むこと。思惟。思弁。「―にふける」』となっている。
つまり、単に考えが浮かんで消えるのではなく、「すじみちを立てて深く考え進む」事がポイントであろう。

翻って、今日の人々の「視覚と思考力のスキマ時間」について考えてみる。
例えば電車の中の光景を見回して欲しい。
今日、忙しい可処分時間の配分の中で、電車の中というのは貴重な「スキマ時間」であるはずだ。

しかし、かなりの人数が携帯電話に目を釘付けにしている。
そうした人々は「電車に乗りながら」携帯をいじっているわけであるが、その「ながら」は「視覚と思考力のスキマ時間」ではない。既に携帯に意識を奪われ「スキマ」は埋められている。

「何をしようと人の自由ではないか」という意見が聞こえてきそうだが、実はそうでもない。
携帯でメールを「打つ」。SNSの携帯版にアクセスし、日記やコメントを「打ち込む」。
さて、その「打つ」前にどの程度「思索」の時間を取っただろうか。

本来は「打つ」ではなく、「書く」であるが、携帯の場合は「打つ」という表現が使われる。
「書く」という行為は、書く前に「思索」し、構成や表現を考え、書き始め、推敲し、場合によっては何度か修正をして書き上げるのが普通だろう。
しかし「打つ」は、多くは頭に浮かんだことを、言葉を発するがごとく、キーを打って、文字に変換している状態ではないだろうか。

今日の電車の中を見回せば、まるで「スキマ時間」を恐れるかのように、多くの人が車内に入ると携帯電話を開く。
そして、やおら、何かを「打ち」はじめる。

その結果、話し言葉そのままで、主語がなく、文節間の関係が不明確で、意味がわからない破綻したメールが飛び交う。
また、SNSへの「打ち込み(本来は書き込み)」も、メール文よりはマシであるが、起承転結もなく、文章としての体をなしていないものも多い。

あまりこんなコトを細々と書き連ねていると、年寄りの小言じみてくるので嫌なのだが、あえて記す。
せめて、メールを送信する、書き込みをアップする前には、何を伝えたいのかを十分思索し、読み返して推敲・修正する習慣を付けて欲しいと私は考えるのである。

このままでは日本人の文章力が心配だ。
さらに、「思索」する習慣がなくなることが心配だ。

社会経済生産性本部が昨年末に発表した「労働生産性の国際比較(2006年版)」では、「日本の労働生産性(就業者一人あたりの付加価値)」は「OECD加盟30カ国中第19位、主要先進7カ国では最下位」である。
加えて、「日本人ホワイトカラーの生産性の低さ」はかねてから指摘されているところである。

「思考は言語によって形成され、行動は思考によって起こされる」のである。
考え、言葉練り上げ、そして適切な行動を取る。そうした習慣こそが今、必要とされているのではないだろうか。
まずは、「視覚と思考力のスキマ時間」を確保し、「物事に気付く力」と「思考を深める(思索する)という習慣」を養うことから始めて見てはいかがだろうか。

かくいう私も、既に習慣的に電車に乗ると、一度は携帯電話を開いている。
もはや、人の基本動作となってしまっていることが怖い。

「視覚と思考力のスキマ時間」。これが本日の金森からのメッセージである。

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2007.03.28

追悼・「情報化」された植木等先輩

あちこちのメディアやBlogでも追悼記事が出ているので、ちょっと控えていたのですが、やはり出身大学(東洋大学)の大先輩の逝去に伴い、少しだけ綴ってみたいと思います。

3月12日に文筆家・池田晶子さんが亡くなったことと、日経のコラムで紹介された、ミュージシャンの故・どんと氏(本名・久富隆司)の「死とは”情報化”であり、情報化して人々の言葉に残る。人が死んだ後、思い出を語る人も絶えて、二度目の死を迎える」という言葉を取り上げた。
http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2007/03/post_8de3.html

この度、大先輩である植木等さんは「情報化」さたわけだ。
彼ほどの大量の「情報」を遺した人物であれば、どんと氏の言う「第二の死」が訪れることはあるまい。

しかし、問題は遺された「情報」が正しく受け取られるか。受けとり続けられるかという事である。
本日の日経の社会面でも植木等さんがいかに誠実な人物であったかが、暖かい文章で紹介されていた。
また、「無責任男」は決して無責任ではなく、高度成長期に歯を食いしばって日本を支えたサラリーマンの代表選手として、その辛さ、苦しさを吹き飛ばす存在として描かれていたことも紹介されている。

そうした「情報」が正しく受け取られ続けるかが心配だ。
情報を読み違え、「無責任」や「スーダラ」というキーワードだけを表層的に捉え、本当に無責任に振る舞う輩が現れたら、植木等さんは浮かばれない。

思えば、金森の社会人デビューの頃はいわゆる「バブル期」であり、今にして思えばかなり「無責任」な時代だった。
皆がその「無責任さ」に途中で気付けば、その後の経済がここまで傷を負うことはなかっただろう。
「無責任男」の活躍した高度成長期は考えてみれば、戦後経済の第一のバブル期であったかもしれない。
しかし、本当の「バブル」にならなかったのは、無責任な振りをして影で歯を食いしばっていた人々がいたからだろう。
バブルが起こったのは「無責任男」から学ぶべきものを学んでいなかったからかもしれない。

戦後最長の好景気と言われる昨今。今こそ、もう一度襟を正して「無責任男」から正しい「情報」を学び取りたいものである。

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「"仕事PM"で時間管理を励行しよう!」

日経BizPlusの連載が更新されました。

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/kanamori.cfm

前回は「マーケティングのど真ん中・直球勝負」でしたが、今回は「戦略論の定番を元にした”変化球”」のつもりです。
とはいえ、いつものごとく、実体験からの発想ではありますが・・・。

では、ご覧ください。


----------------<以下バックナンバー用転載>---------------------

 大阪出張の帰りの新幹線車中でこの原稿を書いている。行きの車中から執筆を始めたかったのだが、新幹線が東京駅を発車すると同時に不覚にも熟睡。隣席の男性が降車支度を始めた気配でようやく目覚めたものの、既に名古屋の手前であった。車中で済ませたい仕事は他にもたくさんあったのだが、眠さには克てず。「軽くまどろむ」というレベルではない、「気絶」に近い感覚とでも言うのだろうか。

 今改めて周りを見回しても、「気絶者」が大勢いる。前日の仕事の疲れが取れていないのだろう。斜め前の男性は頭がガックリと通路にはみ出し、カートを押す車内販売員の女性が困っている。それにしても、日本のビジネスパーソンは、どうして皆こんなに疲れているのだろう。

■「ホワイトカラー・エグゼンプション」は見送られたが・・・

 大きな論争を呼んだ「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション」だが、「労働時間規制がなくなれば長時間労働を助長する」などと労働者側の反発を招き、今国会での法案提出は見送られた。日本人の働き過ぎは、新幹線車内の「惨状」を見ればよく分かる。

 ホワイトカラー・エグゼンプションが導入されれば、時間の使い方や配分は個々人の判断に委ねられ、賃金は労働時間ではなく、成果や能力で決まる。企業の国際競争力の観点からは、長時間働く日本のホワイトカラーの生産性(仕事の効率)の低さも問題になっている。ホワイトカラー・エグゼンプションが今後どうなるかはわからないが、上司や会社の命じるままひたすら仕事をこなすのではなく、自らの意志で仕事に取り組んだり、労働時間を管理したりすることが重要になっていくのは間違いないだろう。

 そこで今回は自戒の念も込めて、自律的な働き方が問われる時代の「時間管理術」を考えてみたい。


■プロダクトポートフォリオマネジメントを思い出してみよう

 自己の保有資産をいかに効率的に運用するかという意味で使わる「ポートフォリオマネジメント」(PM)。1960年代、ボストンコンサルティンググループがこれにプロダクトライフサイクルの考え方を取り入れて開発したのが、「プロダクトポートフォリオマネジメント」(Products Portfolio Management=PPM)だ。

 一度は見たり聞いたりしたことがある人も多いだろう。有名な四象限のマトリックスは図1の通りである。

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基本的な考え方は以下の通りだ。


●問題児…… 成長率が高いものの、市場占有率が低く成長の可能性は未知数である。これを育てるには投資が必要となる。
●スター…… 成長率も占有率も高く、利益が上がっている状態だが、そのポジションを維持するためにはまだ適切な投資が必要。
●金の生る木…… 市場が成熟し成長率は低下しているものの、占有率は高い。つまり、投資も必要なく利益が上がっている状態。
●負け犬…… 成長率も占有率も低く、投資が回収できないため、基本的には順次撤退すべき状態。

 ここでの“キモ”は、「金の生る木」にはできるだけ手をかけず、生み出した“利益”を「問題児」に投資し、「スター」に育てていくことである。

 このPPMを自らの仕事の優先順位付けの方法として転用しようというのが、今回の筆者からのメッセージである。仕事に対する評価が労働時間の長さとは関係なくなれば、いかに時間を有効に使うかという“中身”が問われる。となれば、どの業務に注力するのかを意識的に取捨選択する必要がでてくるし、場合によっては「割に合わない仕事」は断るというようなシーンも出てくるだろう。それが「自己管理」だ。そのための判断基準作りにPPMを転用してみたい。仮に「仕事PM」と呼ぼう。

■自己の時間管理術=「仕事PM」を考えてみよう


 「仕事PM」を考える上で、自らの仕事における「市場成長率」は「その仕事の魅力度」と解釈できるだろう。「魅力度」の基準は人によって異なるはずだ。自分にとって「キャリア計画に欠かせない」「スキルアップにつながる」とか、単純に「やりがいがある」と解釈する人もいるだろう。一方の「市場占有率」は「実際にどれだけ会社(上司)から評価されるか」と置き換えてみよう。


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 この定義に従って、各象限の仕事の意味を考えてみよう。「金の生る木」は、「仕事の魅力度」は低下しているものの、すでにルーティン化しており、かつ、一定の評価も得られる仕事であると解釈できる。だとすれば、その仕事は従来のやり方を見直してできる限り無駄を省き、時間をかけないことが肝要だ。「やりがいはないが、評価はされるので時間をかけざるを得ない」という考え方に固執しないこと。でなければ、評価は未知数ではあるが、「魅力度」が高い「問題児」の仕事を作り出せない。それ故「魅力も評価も高い」という「スター」のポジションの仕事を育てることができず、ひたすらマンネリ仕事の面倒を見るはめになり、モチベーションも一段と下がる悪循環に陥ってしまう。

 もう一度繰り返すが、PPMのキモは「金の生る木」にはできるだけ手をかけず、生み出した“利益”を「問題児」に投資し、「スター」に育てていくことである。「仕事PM」でも「金の生る木」は時間をかけず効率よく済ませる。そして、ねん出した“時間”を将来的に可能性を秘める「問題児」に振り向けていく。将来の「スター」予備軍である「問題児」を積極的に作り出すチャレンジ(自己投資)をしていくのだ。もちろん、評価が低く魅力もない、「負け犬=割に合わない仕事」はさっさとお断りである。

 実際の企業のPPMにおいても、「問題児」のポジションに製品が1つもない場合、将来性における大きな不安点として指摘される。「問題児」の不在は、次期「スター」不在につながり、やがて「金の生る木」が衰えたとき、全ての事業が「負け犬」になっていくからだ。変化とスピードの時代、「仕事PM」においても積極的に「問題児」にチャレンジして欲しい所以である。

 「そうは言ってもしがらみが・・・」「誰かがやらなければならない仕事だから」などと言っている場合ではない。「自己管理」の時代なのだから。新幹線の中で気絶状態にならないためにも。


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2007.03.26

生活者視点を行政に活かすマーケティング思考

本日、某区役所にて「幹部職員勉強会」という会合で講演を行った。
自治体職員対象の講演、実は金森は初めてであったが、常々、「行政にもマーケティング思考が重要」。
さらに、「企業が”顧客視点”に留意するように、行政も”生活者視点”を会得すべき」。
もっと過激に「生活者視点なき行政は”押しつけ”であり、そこから”ハコモノ発想”が起きるのである」と主張していただけに、こうした機会を得られるとは願ったり叶ったりであった。

「区長以下90余名の参加者であり、担当業務も様々。直接区民と接する機会がない受講者も多い」と事前に聞かされていたので、まぁ、5~10%の受講者が寝るのは覚悟と思っていたが、(通常の講演では例え500名相手の講演でも全員寝かさないのが金森のモットーである)、実に受講者は熱心であり、誰一人眠らなかった。傾聴度の高さ、熱意が伝わってきた。区政の変革を感じた。

演題は「”顧客視点”と”本質的価値”・・・マーケティングを切り口として」。得意の「金森節」である。
ただ、一番気を付けたのは、一般企業と行政の立場の違い。
営利企業と自治体の行政サービス、立ち位置は違う。
しかし、そうはいっても、「生活者=顧客」の視点に立って、「本質的な価値を提供する」ことが重要。
と、いうことをいかに理解してもらうかであった。
「一般企業と行政は違うんだ!」と入り口でバリアを張られては、話しは先に進まない。
だが、「行政で考えればこうですね!」と随所で置き換え、言い換えをする留意はしたものの、職員は普段の業務を通じてその重要性を理解する素地はできていたようだ。
80分の講演では大きく頷きながら傾聴し、共感してくれたようだ。また、質疑も活発で10分では全く足りなかった。

講演で使用したスライドを1枚。
1_3

ここで、コトラーの説を元に解説を始めた。
マーケティングとは「交換」の活動である。
提供者と顧客は何を交換しているのか。
提供者は「モノやサービス」を提供し、顧客はそれに対して「対価」を払っている。
・・・実はそうではない。
顧客は提供者のモノやサービスからもたらされる「価値」に対して「対価」を払っているのである。
・・・これは「行政」と「生活者」の関係でも同じである。
では、「生活者の求める価値」とは?
また、どうやってそれを行政は認識することができるのか?
ここで、「顧客視点」が」必要になり、求められている「価値」とは何なのかを知るために、
提供すべき「本質的価値」を考え抜くことが求められるのである。

・・・というぐあいに、始まる。

が、まぁ、そこは金森の講演なので、「でも難しく考えないでくださいね。まずは”タウン・ウォッチ”でその練習をしましょう」と得意のフィールドでさらにつかみを入る。
さらにいくつもの事例を織り交ぜながら「カスタマーインサイト」のフレームワークで「本質的な価値」を考えてもらうパートへと続く。(このBlogをよく読んでもらっている方には、すぐに内容はわかるだろう)。
常に笑いが途切れないのは、傾聴している証拠だ。講師冥利に尽きる。

というわけで、初の自治体職員向けの講演を行ったが、機会があればまた、是非こうした活動を通じて、自分自身も一生活者である故、行政の変革を促していければと思う。

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2007.03.22

自転車にはねられたことありませんか?

今日もマーケティングとは直接関係はないが、タウン・ウオッチャー金森の「マイ・タウンウオッチ」特別編ということで・・・。

正直、「やっとか」という気分である。

「自転車事故:無謀運転の取り締まり強化--警視庁」
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070321ddm012040098000c.html

「歩道を猛スピードで走る自転車に歩行者がはねられるなどして起きる交通事故が増えていることを受け、警察庁は20日、全国警察に自転車による悪質運転の指導取り締まりを強化するよう通達した。」とのこと。
ようやく本腰を入れるようだ。まぁ、これも「検挙率向上策の一つ」という意図が何となく透けて見えてしまうのは穿ち過ぎであろうか。何にせよ、有り難い。

金森の住む下町は「自転車天国(地獄?)」である。山の手と違い坂道がほとんどないことと、南北の移動がバスに依存しているからであろう。
なかでも、自宅前の交差点は「東京で一番自転車通行量の多い地点」である。朝の通勤時間などは「ここは10年前の中国か?」と思うぐらいだ。
当然、接触や衝突、人を引っかけるなどのトラブルも多い。特に、子供や老人、障害者などが被害に遭う。自身も足の怪我で松葉杖をついていた時分に何度も転ばされた経験を持つ。

そもそも、自転車も道路交通法では「軽車両」に属し、立派な「車」の一種である。
「歩行者とぶつかり、そのまま走り去った場合、1年以下の懲役または10万円以下の罰金」なのだ。

となれば、やはりここは、警察に「取り締まり強化」をしてもらうしかないだろう。

そもそも、後を絶たない自転車の「当て逃げ」に対しては、前述の「歩行者とぶつかり、そのまま走り去った場合、1年以下の懲役または10万円以下の罰金」が適応されるという認識を自転車の運転者に持たせることから始めなければならないだろう。
だとすれば、まずは「取り締まり強化」より先に「広報」からではないかと思う。

「罰則規定なき法律は実行力なし」と「執行されない法律は法律ではない」と大学一年の「基礎法学」の授業で学んだのを思い出した。
自転車の当て逃げには罰則規定はきちんとある。執行されていないのだ。
今度こそ、警察には本腰を入れ、快適な歩行空間の確保をお願いしたいものである。

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2007.03.20

金森努の「定番のヒミツ」第4回

日本実業出版社の季刊誌「ザッツ営業」好評発売中です。

ザッツ営業 http://www.njh.co.jp/that/that.html

同誌に連載中のコラム第4回が掲載されています。

以下、転載。

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 世の中には常に売れ続ける「定番」と呼ばれるものがある。なぜ定番は売れ続くことができるのか。当連載はその謎をマーケティングのセオリーから考察する。


「最高峰の誇りをかけた新たなる挑戦 モンブラン」

 「モンブラン」と言えば誰もが知る万年筆の逸品である。1908年の設立以来、百年の歴史を持っている。ロゴマークでもあるキャップの六角形の白いマークは、ホワイト・スターと呼ばれ、ヨーロッパの最高峰モンブランに残る氷河を意味し、ペン先にはモンブランの標高である「4810」の刻印がなされている。

 そのモンブラン、最近ではウォッチ、レザー、ジュエリー、アイウエア、香水などファッション性の高い製品への進出が顕著である。これはマーケティングの世界では「ブランド・エクステンション」と呼ばれる戦略だ。

 ブランド・エクステンションとは、生活者に認知されている既存ブランドを元に、異なるカテゴリの商品やサービスに参入することを意味する。しかし、それは元となるブランドにとってはかなり危険な賭でもある。元ブランドとの関係が希薄な商品やサービスにそのブランドの名を冠することによって、ブランドの価値が希釈されてしまう恐れがある。また、新たに投入された商品やサービスが不評であった場合、ブランドが被るダメージは大きい。故に、既存ブランドの価値を守るために企業が新たな商品やサービスに進出する場合、別ブランドを新たに起こす場合も少なくない。

 では、モンブランは何故、ブランド・エクステンションという賭に踏み切ったのであろうか。ここから先は筆者の推測であるが、新規に進出した商品群も「最高峰」の名に恥じることのないような「最高品質」で勝負をしようという気概の現れではないだろうか。筆者も愛用している万年筆の代表作「マイスターシュティック」は、1924年の発売以来、今も高い支持を集めている。また、その存在は単なる筆記具ではなく、所有する喜びを与えてくれ、また、ひとたび文字を綴り出せば書く喜びを感じさせてくれる。恐らく、新たな商品群もそうした物理的な要素を超えた価値を提供してくれるのであろう。

 ブランド論の大家であるデビット・A・アーカーは工業的なスペックでは表せない価値を「知覚品質」という言葉で表している。技術の進歩はあらゆる製品をコモデティー化させている。これからの時代、単なるスペックでは表せない価値をいかに創造していくかが勝負となろう。

 それは「ビジネスパーソン」という存在が、いかに顧客に価値を提供していくかにおいても同じ事が言える。

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2007.03.19

危険な「鈍感力」の一人歩き?

朝の電車の中、若いビジネスマン二人の会話。

A君:「俺、月曜って超ブルー。前にも言ったけど、上司が最悪で、ちょっとしたミスでクドクド言うわけよ。いっそ俺か上司か異動になればって思ってたんだけど、今回動かないんだよなぁ・・・。」
B君:「気にすんなよ。お前『鈍感力』って読んだか?鈍感力で何言われてもスルーしときゃいいんだよ」。

ほぉ。B君は読書する感心な若者なようだ。だが、ちょっと待ってくれ。「鈍感力」は「何言われてもスルーしときゃいい」って意味じゃないんじゃないか?

筆者の渡辺淳一氏が一番言いたかったのは、「自分の信念を貫き通すためには、周囲の中傷や諫言には耳を貸さずに、鈍感を装い事を為せ」ということではないのか?
A君は事の大小はともかく、仕事でミスをしているのならば、上司の言葉を「鈍感力でスルー」してしまったら、いつまで経ってもそのミスを繰り返すだろう。自身は成長しないし、会社も損失を被る。断じて「スルー」してはいけないはずだ。

そもそも、この「鈍感力」。キーワードとして危険すぎないだろうか。
「鈍感」と言われれば、明らかにネガティブな状態であるが、そこに「力」を付けると何やら正当性があるように感じられてきてしまう。

小泉元総理はいたくお気に入りのようだが、良くも悪くも彼には、いくつかの「明確なビジョン」があった。
そして、また、政策の是非はともかく、実際には「機を見るに敏」な人物であり、そんな彼が「鈍感を装う」ことは確かに「力」になったのだろう。

「鈍感」が「力」になるようなケースは小泉元総理のような場合だけであり、一般化は難しいはずだ。
それを、渡辺淳一氏はいくつもの例(かなり無理のある例も散見される)を用いて、かくも一般に適応できる「力」のように扱った。
その結果が、先の車中のA君のような意味の取り違いであり、さらに危険なのは、原書を読んでいない「鈍感力」というキーワードだけを与えられたB君のような存在が、便利なキーワードとしてさらに周囲に伝播させるだろうと言うことだ。

ただでさえ、昨今の日本人は「自己主張」ばかりが強くなり「他人に対する配慮」が足りなくなってきているように思う。
そんな中、本来人に配慮し「鈍感」であってはならないはずのところを、「これこそ力である」などと思いこむ輩が増えてはたまったものではない。

「悪書」とまでは言わないが、あまり売れて欲しくない本だと思っていたが、さすがに渡辺淳一氏。Amazonのランキングで現在32位である。
金森の評価としては上記の通りであるし、マーケティング関連でないからという理由ではなく、このBlogのお勧め書籍コーナーには掲載したくない本である。

このキーワードがあまり一人歩きし、定着しないことを祈りたい。


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2007.03.16

英語じゃなくて国語だろ?

気になるニュースがあり、某SNSの日記にも昨日記したが、改めてこちらで展開したい。

「ゆとり」見直しで素案-教育再生会議分科会 (時事通信社 - 03月14日 23:10)

素案の概略は、ゆとり教育見直しの具体案として、「授業時間数の10%増加」のための具体案、
(1)春休みや夏休みの1週間程度の短縮
(2)早朝授業の実施
(3)土曜日を活用した補充学習
(4)7時間目の授業導入・・・以上が提示されたというものだ。

「詰め込み教育」「偏差値偏重教育」への批判から「ゆとり教育」が導入され、
しかし、学童・学生の明らかな学力低下が見られるに至り、再度授業時間を増やそうとするものである。

「明らかな学力低下」となるまでに「前兆」はあったはずなので、もっと早期な対応が望ましかったと思うが、その試行錯誤の過程は致し方ないだろう。
また、自分の世代で考えれば、土曜間毎週半日授業があったし、宿題も「ドリル」が山ほど出て、泣きながらやった覚えがある。
学力向上のための第一歩として「授業時間数の10%増加」は、まぁ評価できよう。(もっと増やすべきだと思えるが)。

しかし、素案の最後に気になる部分があった。
『義務教育段階での英語学習の重要性を強調。小学校からの英語教育も「積極的に取り組むべきだ」と提言している。』とある。

「小学校からの英語教育」?
「授業時間数の10%増加」したとしても小学校で考えれば新教科である「英語」に時間を取られれば、その他の科目に割ける時間には自ずと限界が出る。
しかも、なぜ、「小学校からの英語教育」が重要なのだ?

英語じゃなくて国語だろ?
10%増加させるなら、全部国語の時間にすべきだ。

具体的には読書と感想文の執筆を宿題にし、その発表と、それに対する議論を授業時間に行うような取り組みもいいだろう。


現在、教育において問題になっているのは、「読解力の低下」のはずだ。
つまり、明確に「国語力」が低下しているのである。

「算数(数学)」も計算問題はできても、文章問題の誤答が多くなっている。読解力がないからだ。

読解力だけではない。「文章構成力」も低下しているはずだ。

大学で学生にレポートを書かせると、その内容は惨憺たるものである。
成績を付けねばならないという義務感以外にも、よほどの勇気と忍耐力、さらに集中力を奮い立たさねば、読む気にすらならないものがほとんどだ。

ビジネスの世界でもどうにもコミュニケーションが成立しない人が増えている。
相手の話を理解する力と、論理的な思考力が欠けているとしか思えない人も散見される。
そのくせ、企業が「新入社員に求めるもの」は、毎年「コミュニケーション力」が上位にランクされる。

「思考は言語によって構成される」。
ビジネスマンの間では、論理的思考が流行だ。「ロジカルシンキング」、「クリティカルシンキング」。

確かにビジネスの世界に出てから、さらに自らの思考と表現方法を見直し、磨きをかけることは価値あることだ。
しかし、幼少期にきちんとした「国語力」が身についていなければ、ぐずぐずの地盤に高層建築を作るようなものだ。

「国家の品格」の藤原正彦氏は「祖国とは国語」という本も執筆され、いかに「国語力」の重要性を説いている。

金森は英語コンプレックスから批判しているのではない。
まずは「国語」なのだ。
英語が重要なら、中学以降の教育のしかたを見直せばよいではないか。
繰り返すが、「思考は言語によって構成される」のである。


何故、金森がここまで国語の問題にこだわるかと言えば、金森の専門領域は「マーケティング・コミュニケーション」であるからだ。
これ以上、「コミュニケーションの取れない人」が増加することは看過できない。
以下の過去のコラムを一読されたい。

「文脈の崩壊をもたらす"小集団化"と"右脳ブーム"」
http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2006/04/post_2beb.html

最後に「祖国とは国語」に加え、「言葉」に関した良書を紹介したい。
左のお勧め書籍欄にアップしておく。
太田 直子氏「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」。独特の切り口で言葉の乱れを指摘している。
さらに「読解力」に焦点を絞った書籍として、西林克彦氏の「わかったつもり」。
是非ご一読いただきたい。

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2007.03.15

「ロッキー・ザ・ファイナル」

昨夜は人から頂いた試写会のチケットを持って、いそいそと事務所近くのヤクルトホールへ。

「ロッキー・ザ・ファイナル」。過日、ケビン・コスナーの「守護神」を観たときに予告編で気になっていた作品である。偶然にも試写会を観られる僥倖。

さて感想は、一応、当Blogはマーケティング関連を主旨としているので、こじつけた結論から入ると、
たまには「プロダクトアウトのモノ作りもいいものだ」。ということになるか。

正直、感動した。後半ではベロベロ涙を流して泣いた。(元々涙腺は緩いのだが)。

が、やはり冷静に考えれば、この映画は「スタローンがどうしても作りたくて作った」のだろうな。と思える。

事前にこの映画はスタローンの周囲の人々や、映画会社などのあらゆる反対を押し切って、彼自身が脚本・監督・主演の三役をこなすことで実現したと聞かされていたが、そんな事前情報がなくとも作品を見ていれば十分分かった。

作品は前半が少々タルイ。今は亡きエイドリアンとの思い出を追い求めるシーンなどは往年のファンの涙を少々誘うが、それにしても冗長。しかし、実はそこは伏線。「胸の奥の情熱がくすぶって消えない」と語るロッキー。それはそのままスタローンの心を反映しているのだろう。

今回のロッキーがリングに登る理由は極めて非論理的。「胸の奥の情熱がくすぶって消えない」である。
即ち、スタローン自身がライフワークであるロッキーシリーズにきちんとエンドマークを付けたかったというのが本当のところではないか。
冒頭、「プロダクトアウト」と記したのはそういうわけだ。

しかし、作り手の熱い思いは観る者にも伝播し、圧倒的な迫力をもって引き込んでくる。
熱い思いを共有できる。(多分に金森の世代的な問題もあるだろうが)。
そして感動的なフィナーレを迎える。

この映画のコピーは「自分をあきらめない(NEVER GIVE UP)」であったが、自分の作りたかった映画をあきらめずに作り上げたスタローンの思いは観客にも確実に伝わったのではないだろうか。

「自分をあきらめない」。試写会が終わってその余韻に浸りながら銀座の街を歩いているとき、金森の心の中は、いつもより少し満ち足りた気分であった。

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2007.03.14

「ませていくキッズ市場」・・・だそうだが。

今日も昨日に続き「ファッションつながり」で。

少し前、3月9日の日経夕刊。生活面の連載コラム。服飾史家・中野香織さんの「モードの方程式」に気になる内容があった。
タイトルは「ませていくキッズ市場」。概要は、キッズ市場が「大人びてきている」というもので、英語圏では「KGOY(Kids are Getting Older Young)」と呼ばれ1995年に英国の「サンデータイムズ」で紹介されて以来だと解説している。現在は5段階に分類されており、0歳から3歳の「トドラーズ」、3歳から5歳までは「プレイクラーズ」、6歳から8歳が「キッズ」、9歳から12歳が「トゥィーンズ」、13歳から15歳が「ティーンズ」。だそうだ。

へぇー。である。「トドラーズ」「キッズ」「ティーンズ」の3分類ぐらいは知っていたが、さらに2つ間にあるとは。

で、中野さんは『子供には本来、「大人びたことをしたい」願望が強いように見える。(中略)そんな子どもらしい<大人まねっこ願望>にきめ細かく応える新製品の絶え間ない投入や宣伝で、どんどん「大人びていく」キッズ市場。市場の過多気味の刺激が子供をほんとうにマセさせ、マセた子どもに追いつこうとする市場がますます「大人びていく」』と分析し、『いたちごっこ』であるとしている。

マーケティングの役割の一つには「市場の創造」もあるので、まさによくできた話しだと思う。
しかし、ちょっと引っかかる。
「大人っぽい服が着たい」というのは果たして本当に子供の「ウォンツ」なのだろうか。
どうもこのところのオシャレとされている子供の服は、何となく「大人の服のミニチュア版」のような気がする。
そして、それは一緒に歩いている親の服装と実にマッチしている。

「大人っぽい服」を欲している(ウォンツ)のは、実は「親」の方なのではないか?
「子供を動くアクセサリー化している」という親に対する批判をよく耳にする。
果たして単に「アクセサリー」としているのか否かは、その親が子供にきちんと躾け、教育などを行っているかにかかっていると思うので、一概に親にマッチした服装を着せることがいけないと思わない。
しかし、子供の「ウォンツ」と「ニーズ」にもう少し目を向けてあげてもいいのではないだろうか。

確かに子供には”「大人びたことをしたい」願望”があるのは間違いではないだろう。
しかし、、「大人びたことをしたい」は子供の「ウォンツ」であり、その根底にある「ニーズ」は「大人っぽい服が着たい」ではなく「かっこよく、またはかわいくなりたい」という本来の子供らしいものではないだろうか。
子供毎に「かっこよく、またはかわいくなりたい」という「ニーズ」の具体的な内容は異なるだろう。
ある程度までは親が選んだ服を何の疑問も持たずに子供は着る。
しかし、多少なりとも自我が萌芽してくれば好みが出てくる。
そうしたら、いたずらに「大人っぽい服」を親が勧めるのではなく、子供の好む服を選ばせてやればよいのではないだろうか。

実は恥ずかしながら、金森自身も失敗体験を持っている。
娘が4歳の頃だったと思う。
シンプルな服が好きな金森は、娘にラルフローレンでボタンダウンタイプの茄子紺色のワンピースを買ってきた。
それを受け取ると、彼女は「色が嫌だ。ピンクがいい。形ももっとひらひらしたものがいい」と言い、結局は返品する羽目になった。要するに、4歳の時点で彼女なりに自分の「好みの服」が形成されていたようだ。
(その形成過程も今度ヒアリングしてみようと思う)。
で、結局、今では銀座ファミリアで彼女好みの服を選んで買うことが中心となっている。

「KGOY(Kids are Getting Older Young)」はマーケティング的には成功しているキーワードであるが、中野さんが指摘しているとおり、『市場の過多気味の刺激が子供をほんとうにマセさせ、マセた子どもに追いつこうとする市場がますます「大人びていく」』という状態なのだろう。
もう少し、「子供視点」で彼ら・彼女らの「ニーズ」と「ウォンツ」に耳を傾けてあげたいものだ。

・・・今さら、僕らが子供の頃に見慣れた、襟の伸びたTシャツや、なは水でガビガビになった袖口のセーターという昭和な服装に回帰しろとは言わないけれど。

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2007.03.13

帽子の流行は定着するか?

今日は軽めのタウン・ウオッチのネタで・・・。

最近、帽子(キャップではなく、ハット)をかぶっている人をよく目にするようになった。
以前からベースボールタイプのキャップはかぶっている人は多かったが、日本人のハット着用率は極めて低かったと思う。

日本人が最初にかぶるようになった帽子は実は「ハンチング」で、若者を中心に数年前から流行するようになり、こちらはかなり定着した。
この流れに乗って、次にぐるっとツバの付いたハットに挑戦するようになったのだろうか。

形も既存のソフト帽やトラベラーハット、テンガロンなどの枠に捕らわれない、ユニークなものも随分見かける。
(どこで売っているのだろう?)

さらに、若者に触発されてか、以前から愛用者はいたが、高齢の紳士の着用率も上がっているように思う。

金森は自他共に認める「帽子マニア」である。
持っているのも、主なものだけでソフト、トラベラー(2つ)、テンガロン、ハンチング(2つ)、パナマ(2つ)と8つ以上ある。生産国もイタリア、イギリス、ドイツ、アメリカ、日本と種々雑多。置き場所にはいつも悩んでいる。

そんなマニアとしては、帽子の流行が一過性のものではなく、定着してくれることを願って止まない。
なぜって、あまりにマイノリティーだと、「おしゃれ」と感じられるより、奇異な目で見られることの方が多いから。

がしかし、定着するかはまだ微妙な気がする。

いつも引き合いに出す、ロジャースの「イノベーション普及学」であるが、着用率を見ると、自分で服を選んで買う年齢の人口のうち、まだ5%もいないのではないだろうか。たぶんその半分ぐらいか?
とすると、2.5%。「イノベーター(革新的採用者)」の比率と同じだ。

このイノベーターは「冒険家」とも呼ばれ、新しいものにすぐ飛びつく習性があるとされている。
帽子も、髪の色や逆立てたりすることが一般化して、次の一手を探して辿り着いたということかもしれない。

ロジャースによれば、イノベーターの採用だけではその他の人々は追随しないとしている。普及のためにはその次の採用層である「アーリーアダプター(初期少数採用者)」が手を出さなければならない。13.5%いるとされるこの層は、別名「尊敬される人々」と呼ばれ、イノベーションを早期に取り入れたことから人々に賞賛され、それ以降の層である「アーリーマジョリティ(前期多数採用者):34%」に続くのだ。

以上のことから、帽子の流行はまだ「イノベーター」レベルな気がする。

とはいえ、以前、この「イノベーション普及学」を引っ張り出して、「クールビズは定着しない!」と予測し、大外しした金森である。できれば今回も「外れ」であることを密かに祈っている。

※クールビズ予測のコラムはこちら。
「cool!じゃない? クールビズ」
http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2005/07/post_970d.html

で、反省の弁はこちら。
「『イノベーション普及速度』で読み解くクールビズの成功」
http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2005/10/__700c.html

※「イノベーション普及学」の解説はこちら
http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2005/10/6_e41d.html

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2007.03.12

「死とは情報化である」という考え方と「池田晶子さんの死」

3月9日金曜日・日経夕刊の題字下「音波」。金森が毎晩楽しみにしているコラムである。
その日は「死のデリート」と題されていた。以下、少しだけ引用させていただく。
<死とは何か。三十代で亡くなったミュージシャンは「情報化だ」と言ったという。情報化して人々の言葉に残ると。(中略)人が死んだ後、思い出を語る人も絶えて、二度目の死を迎えるともいう。(後略)>

何とも印象深い言葉なので、それを語った”三十代で亡くなったミュージシャン”とは誰なのかにまず興味を持った。
あちこちのサイトを検索すると、どうやらロックバンド、元「ボガンボス」のボーカリスト、どんと=本名・久富隆司(くどみ・たかし)という方で、2000年1月28日午前4時4分、脳出血のため家族で旅行滞在中の米ハワイ島で死去したようだ。
残念ながら、同氏の名前や音楽活動を金森は知らなかったが、7年経った今でもネットには情報が残っており、コラムニストが日経に取り上げるぐらいなので、その言葉通り「情報化」されており、まだ「二度目の死」は迎えていないのだろう。

「14歳からの哲学―考えるための教科書」で有名な池田晶子さんも本年2月23日に癌で亡くなられた。
1960年生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒であるが、「哲学者」と呼ばれるのを嫌い、「専門用語によらない哲学実践の表現」にこだわり「文筆家」を名乗り、最期の時まで「書くこと」にこだわっていたという。
前述の「14歳・・・」は27万部のベストセラーになり、教科書に取り上げられたり、学校の副読本となっている。
そして、週刊新潮での連載、「人間自身」では、同誌の別コーナー「墓碑銘」で、「自分の死後、他の人に語られるのではなく、自ら記したい」として、最終回のタイトルを「墓碑銘」として、実質的な絶筆とした。
その内容は、いつもの彼女独特の文体であり、決して暗澹たるものでも悲壮でもない。
概略としては、ローマで見られる墓碑に刻まれている言葉をいくつか紹介し、自分なら何と記すだろうと綴っている。
(詳しくは3月15日号週刊新潮を参照のこと)。

考えてみれば、「墓碑銘」は自分の死後に残す「情報」である。
そして彼女は数々の著作で見事に「情報化」されており、おそらくは長きに渡り「二度目の死」を迎えることはないだろう。
さらに自分の「墓碑銘」まで記し、完全なる「情報化」を遂げた。

「生と死」に関する格言は様々あるが、ぴったりなものを見つけた。

ドイツの詩人、フリードリヒ・フォン・シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller:1759年~1805年5月9日)は、
「人生はほんの一瞬のことに過ぎない。死もまたほんの一瞬である」と語った。
しかし、どうやらこの情報化の社会においては「死」は「一瞬のこと」ではないようだ。
事実、彼も「死=情報化」という考え方からすれば、200年以上、第二の死を迎えていない。とすれば、「情報化理論」にはそぐわない。

ピッタリだと思うのはこちら。「ピグマリオン」で有名な、アイルランド出身の劇作家、ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw:1856年~1950年)が述べた言葉、
「生は全ての人間を水平化するが、死は傑出した人をあらわにする」。
この言葉が一番しっくりしないだろうか。
傑出した人ほど、しっかりと情報化され、第二の死を迎えにくくなるのだ。

誰もが情報の発信者になれる時代である。しかし、本当に人々の記憶に残るような「情報化」がなされるのはどの程度なのか。

かくも、駄文を日々綴りながら金森は考えてしまった。

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2007.03.09

追加版:どうもイタダケなく感じるAERAの特集

久々に「オモシロイ!」と感じたコピーに出会った。
200704_l


販促会議 2007年4月号(3月1日発売)の特集タイトル。

「大臣もよろこぶ!女性は消費を生む機会だ。」

いうまでもなく、”マシーン”柳沢厚労相を揶揄したものである。
ちょっと危ない気もするが、金森の感覚としてはギリギリセーフで、そのギリギリ感が面白さを感じさせている。


それに対して、AERA 2007年3月12日号の特集記事、
「DINKS 近ごろ肩身狭し」
はどうもイタダケナイ気がする。
(私はメディア批判はめったにしない人なんですけどね)。

http://www.aera-net.jp/aera/pickup.php

こちらはコピーの問題ではない。内容だ。

リードとして、以下のように続く。

少子化対策時代ですから
大きな声では言えませんが、ちょっと居心地悪いです。
ワーキングマザーたちが、すごくかっこいい感じになってるからです。
日本を救ってくれる、大切な存在だと、心から思ってます。ほんとです。だけど……。


一連の記事の論拠は<AERA編集部は2月下旬、株式会社インフォプラントの協力で、子供のいない30~40歳代の働く既婚男女200人へインターネットで調査を実施。「DINKSって肩身が狭くありませんか?」と問いかけ、男性95人、女性105人の回答を得た>となっている。
その結果、「子供のいないことで、肩身の狭い思いをしたことはありますか?」という質問に対し、「常に肩身の狭さを感じる:4.0%」「時々意識をする:47.5%」を合わせて<半数強が「肩身の狭さ」を感じると回答した。>としている。


・・・正確にに調査の質問項目全文を見ていないので何とも言えないが、<「子供のいないことで、肩身の狭い思いをしたことはありますか?」という質問>はリサーチ的には「誘導的な質問」ではないだろうか。
また、<「常に肩身の狭さを感じる:4.0%」「時々意識をする:47.5%」を合わせて<半数強が「肩身の狭さ」を感じると回答した。>は逆に言えば、「そうした経験はない:43.0%」「分からない:4.0%」「その他:1.5%」を合わせれば48.5%が「肩身の狭さを感じていない」事になる。その差3%。
たった3%の差でこんな大々的に特集記事を構成して良いのだろうか。
いみじくも、リード文で<少子化対策時代ですから>と書いている。「世論操作」とまでは言わないが、どうも不自然さを感じてならない。

特集の最後は<さて勝敗はいかに>という小見出しがあり、結論としては、心理学者の小倉千加子さんの言葉で「(前略)結局、トントンですよ」と締めくくっており、DINKS=負け組の烙印は押していないものの、全体の論調としては明らかに「DINKSもう古い」と感じさせる。

「誘導質問」的調査結果で、3%の差を持って「DINKSはもう古い」と感じさせる特集を組む。で、<少子化対策時代ですから>とくれば、もはや”マシーン”発言に近いと感じてしまうのは私だけだろうか。

私自身は専業主婦の妻と一人娘という家族構成だが、DINKSだろうが何だろうが、個人の価値観の問題なので、こんな特集自体の意義を感じない。
朝日は”マシーン”発言には随分厳しかった気がするが、それも完全に鎮火していない時期にこの特集とは、なんだかタイミング悪すぎという気がする。

------------------<以下追加部分>-----------------


コメントをいただいた内容に触発されて、以下の部分を追加します。

コメントありがとうございます。
おっしゃるように、「ファクト」と「メッセージ」の問題ですね。

良くある例ですが、ファクトとして「コップに半分の水が入っている」。
メッセージとしてはそれを「まだ半分も残っている」とも「もう半分しか残っていない」とも伝えることができるというヤツですね。

この特集を「イタダケナイ」と感じたのは、AERAのメッセージが私の考え方にマッチしなかったからでしょう。

ただ、この記事を読ませた上で、再度インフォプラントに、”子供のいない30~40歳代の働く既婚男女200人に対して「DINKSって肩身が狭くありませんか?」”という調査をしたらどんな結果になるのだろうと興味が出てきました。
記事に影響され「やっぱり肩身狭いよなー」という率が増えるのか、「そんなのこっちの勝手だろう!」と反発して「肩身は狭くない!」という率が増えるのか。

しかし、問題なのはこの特集によって、「あの夫婦、今時まだDINKSなのよ、くすっ」。とかいう差別的風潮が起らないか懸念されます。

実は記事中にQ1として「現在までチャイルドレスできた理由は何ですか?」というものがあり(回答は複数回答)、45%が「子供が欲しいが授からなかった」と回答。さらに27.5%が「経済的な理由から」。「年齢的に無理だと考えた」が、6.5%その他が15.5%あるものの、「子供が欲しくなかった」は27.5%だけなのです。

いわゆるDINKSは狭義で考えれば「子供が欲しくない夫婦」ではないのでしょうか。
それ以外の理由の「チャイルドレス」な夫婦までもが後ろ指を指されるようなことがあれば何とも気の毒でなりません。

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2007.03.08

反則な販促

「変な販促」ではなく、「反則」じゃないか?と思える販促に遭遇。

以前からやっている、モバイルSuicaのキャンペーン。
12月にもこのBlogで取り上げた。

http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2006/12/suica_2df4.html

今回は乗ってみた。

声をかけられるままに、キャンペーン受付の椅子に座る。

スタッフの女性がすごい勢いで、「それでは、iアプリのダウンロードから始めていただきましょう!」と指導してくれる。
すごい手際だ。

ダウンロード完了。

「ではここから登録の手続きをしていただきますね」。
はいはい。

「えー、画面毎に説明と”承諾”ボタンが出てきますが、こちらにその内容を記した冊子をご用意しておりますので後ほどお読みいただくことにして、この場では画面はお読みにならず、どんどん”承諾”ボタンを押して進んでください。」

おい!いいのか?それで?
”パーミッション”て知ってる?

が、とりあえず大人しく淡々と”承諾”して画面を進める。

「はい、ではご利用者様の情報を登録していただく画面になりましたね。では、ここからがタイムトライアルキャンペーンです。本日の最速が1分30秒ですので、記録更新していただくと、このすてきな”ペンギン・マグカップ”を差し上げます」。

少し欲しいかも。頑張ろうと思う。

「ではスタート!」
へへ、携帯打ちにはちょっと自信があるのさ。
マグカップいけるかも。
・・・終わった!

「惜しい!2分30秒です。でもお客様早いですねぇ。普通中年の方だと5分以上かかっちゃうんですけどねぇ。この1分30秒の記録は実は女子高生の方なんですよ!」

ん?先に言えよ!女子高生の記録に挑んで勝てるわけないだろ!
なんかサギにあったような気分だ。
(それに、”中年”ってセグメントに私のことを入れたでしょ。。)

「では、残念賞でこのメモパットを差し上げます。特別に付箋紙もオマケしますね」。
はぁ、ありがとうございます。


というわけで、せっかく登録したのでモバイルスイカ、使っています。
まんまと戦略にはまってしまったわけですが、
1)”承諾”の取り方が形骸化していること。
2)”タイムトライアルキャンペーン”の最速タイム保持者の属性を事前に開示していないこと。
以上の2点で、この販促は反則だと感じた次第です。

昨日アップしたカード会社もそうですが、どうも「ハードセル」が横行していますね。


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2007.03.07

久々の「ちょっと変だなこの販促」

ワンダーマンのニューズレターでシリーズ化していた「ちょっと変だなこの販促」。
なかなか好評でした。

で、昨日、久々に「変な販促」を発見しましたので、レポートします。
(実は原稿本文は帰りの新幹線の車中にて携帯で打ったものだったりします)。

ちなみに、過去のシリーズ(第1回~4回)は以下にリンクを用意しておきましたので、気に入っていただけたらご覧ください。

【バックナンバー】

第1回~第3回
http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2005/03/post_4.html

第4回
http://kmo.air-nifty.com/kanamori_marketing_office/2005/05/post_8d9e.html

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「ちょっと変だなこの販促・5:”ステータス”ってなんだ?」

新大阪駅、新幹線コンコースにて。
外資系カード会社がキャンペーンをしており、声をかけられる。

「キャンペーン実施中です。このカードをめくって頂ければ、すぐに当たりがわかって、ステーショナリーをプレゼントいたします!」と、スタッフの女性がアタックしてきた。
ご丁寧にカードは半分既にめくってある。

思わずめくる。

「当たりです!素敵なボールペンを差し上げますので、カウンターにどうぞ!」

半ば引きずられるようにしてつれていかれる。

「どうぞ!」
・・・渡されたのは米国のホテルチェーンのベッドサイドテーブルの電話横メモに付属している、軸が半透明なお馴染みのヤツだ。(安っぽくてホテルから持って帰ってきたコトはかつてない)。
こんなのに釣られたかと思うと少し泣ける。

すかさず「既に当社の会員様でいらっしゃいますか?」と聞かれる。
このカード会社は年会費が高いのでずっと敬遠しているが、断わるのが面倒なので「はい!」とウソをついた。(神様ごめんなさい)。

が、まだ終わらなかった。


「素敵な帽子とお召し物ですね!社長様でいらっしゃいますか?」
・・・今日のMAYSERのハットとハリスのツイードジャケット、オースチン・リードのオッドベストは確かにこだわりの品だが、それを見ての判断ではあるまい。
零細企業が経済を支える日本は石を投げれば社長に当たるのだ。
だが「はぁ、まぁ」。と生煮えな返事をしてしまった。

「では、この機会に法人カードはいかがでしょうか?」
・・・きた。ちゃんと二の矢があるんだ。
「あ、いや、零細だし、設立間もないから審査通らないよ」と、逃げる。
「いいえ、2分ほどの簡単なお申し込みで発行できます!」と、女性スタッフはくいさがる。ガッツを感じる。

「あ、いや、たぶんあまり使わないから」。と、逃げる金森。
しかし、キャンペーンスタッフのアタックは止まらなかった。

「いえ、お持ち頂いているだけでも“ステータス”なカードですよ!」

ん?・・・なんだかロジックおかしくないか?
「2分ほどの簡単なお申し込みで発行できるカード」はステータスになるのか?


新幹線の発車時刻前に駅弁も買いたかったので、またまた、「いや、またの機会に」と逃げてしまったが、これは明らかに「変な販促」である。

ガッツあるスタッフを確保するのは、キャンペーン成功の必須要件であるが、それと同時に、キャンペーンの本来の意義を徹底するのも本当に大切だと思い知らされた出来事であった。

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2007.03.06

顔のない街になるのか?・新橋 烏森西口商店街

今日はタウンウォッチっぽい、ホンのつぶやきなのですが・・・。

現在、金森は新橋駅前のニュー新橋ビルに事務所がある。
狭さを犠牲に立地を優先させたのであるが、創業時はちょうどこのビルを出て、
第一京浜と平行した裏通り、「烏森西口商店街」を抜けた知人の事務所に間借りし、毎朝・毎晩その通りを歩いていた。

「烏森西口商店街」。その名を聞いただけでピンとくる方はなかなかのものだ。

この通りは「飲み屋」「風俗」「消費者金融」でほとんどが占められている。(特に通りの入り口からしばらくは。)

数年前の「風俗営業等の規制および業務の適正化等に関する法律(風営法)」改正で随分と風俗店は元気がなくなったか、地下に潜ってしまったかで、激減した。

さらに「貸金業の規制等に関する法律(貸金業法)」の改正・施行を前に、中小・零細の消費者金融業者も閉店し始めている。

となると、残るは飲み助の天国かと思いきや、古くからの飲み屋もどんどん店を閉めている。
閉めているというより、どんどん取り壊している。
どうやら、再開発による立ち退きのようだ。

確かに古い飲み屋はバラック同然の店も多く、アルコールの入っていない頭脳で考えれば、「今、地震が来たら」などと考えてしまい、とても座ってはいられないだろう。

そうした耐震性が低い建築物が整理されるのは仕方ない。
しかし、その後に建設される建物の予定を見ると、何ともやるせない。

「単身者用共同住宅(ワンルームマンション)」「共同住宅」「ビジネスホテル」「ホテル」「事務所」等々・・・。

いわゆる、周囲とは関わりの少ない、中に居る人々の「顔の見えない」建物ばかりだ。
それも、どうも計画的に建てられているのではなく、個別・散発的にオープンしていくようだ。

新橋の夜を飲み歩く風流を楽しめるほど、金森は粋ではない。(呑めないし)。
しかし、最初は雑然さが少し嫌だった新橋に、最近親しみを感じるようになってきているだけに、その中でもとりわけ賑やかな通りが「顔のない街」になってしまうのは少々さみしい。

「再開発」は街を活気づかせるものとして、否定するつもりはない。
しかし、もう少し何か「ポリシー」なり「コンセプト」を持ってやってもらえないだろうかと思うのであった。


読者の皆様、皆さんの周りの町並みも、そんな目でもう一度眺めてみてはいかがでしょうか。
数年先の町並みが見えてくるかもしれませんね。

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2007.03.05

販促会議 「質問編」顧客視点”入門講座 

販促会議の連載を掲出します。
BtoBについての第2回連続です。
3月1日発売の本誌では第12回(通算第24回)が掲載されていますので、連載終了です。
長い間ありがとうございました。
最終回は4月1日に当Blogにバックナンバーとして掲出します。

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第11回「B to Bマーケティングのキモ・その2」

 前回、読者の方からのご要望に応じて法人顧客向け(B to B:Business to Business)マーケティングの基本的な留意事項として、企業内に存在するDMU(Decision Making Unit =意思決定構成単位)を中心として解説した。今回もB to Bのその他の重要事項についてお届けしよう。

■見込み度を的確に把握せよ
 顧客が個人であった場合(B to C)でも、いわゆる「見込み度の把握」は当然重要だ。特にダイレクトマーケティングやCRMなどにおいては、個々の顧客の見込み度に応じたフォローや、最後の一押しを狙ったアプローチが極めて効果を発揮する。しかし、B to Bにおいて、見込み度の把握はさらに重要な意味を持つ。なぜか。それは、B to Bの場合、アプローチの多くを「人的販売」に頼ることが多いからだ。前回、B to Bの場合購買担当者は、企業の利益を目的として、計画的かつ合理的な判断の下に購買を決定すること。そしてその担当者は取引の内容によって、自身の業務評価にかかわる場合もあるため真剣であること。さらにその担当者の周辺には購買意思決定に影響を与える複数の関係者(DMU)が存在することを述べた。そのような環境の中で、購入者個人が納得すればよいB to Cとは異なり、広告や各種プロモーションなどの、いわば「空中戦」で購入まで踏み切らせることは難しい。売る側の担当者が、信頼され、説得し通してようやく契約にいたる場合がほとんどである。そうした「人的販売」は強いセールスパワーを発揮する代りに高コストになってしまうという弱みを持つ。だからこそ、適切に見込み度を把握し、その見込み度に応じた戦力配分(人員配置)を行わなければならないのだ。
例えば、まだ見込み度があまり高まっておらず、もう少し暖めなくてはならないような見込み客に対しては、毎回営業担当者を向かわせるのではなく、コールセンターからの電話と交互にアプローチを組み立てても良いだろう。その代り、見込み度が高く、もう一押しの見込み客には、価格交渉にも耐えられるような権限を持った人間を同行させることなども必要になってくる。その場合、「空振り」は許されないだろう。

■見込み度把握の判断基準とは
 では、どのように見込み度を測るのか。それには自社なりの「基準」を設定しておくことが必要となる。例えば、「見込み」=「ニーズ」であるが、そのニーズが相手先の企業で購入計画としてオーソライズしているものなのか、担当者個人が関心を持っているレベルなのか。また、それに関連して、購入計画に購買意思決定者が関与している状況なのか、担当者が上申しようとしている段階で、まだ決定レベルが低いのか。「いつまでに」という購入に向けたスケジュールが確定しているのか否か。購入予算がきちんと確保されているのか、これから予算取りをするところなのか。など基準となる指標はいくつか探せるはずだ。そして、営業担当者は接触する中で、それらの情報を収集し、見込み度を測ることが第一歩であると認識しなければならない。

■さらに「シェア」を把握せよ
 前項の内容は主に新規獲得の場合のポイントであるが、購入にこぎ着け、契約が取れて顧客化できたとしても、まだまだ情報収集を怠るわけにはいかない。既存顧客との取引においてキーとなる情報はいくつかあるが、その顧客の中での「自社シェア」を把握することは極めて重要となる。
例えば、自社の製品を年間1億円購入してくれている企業があったとしよう。そしてその金額は、トップクラスの上顧客であったとする。単純に考えれば「こんな良い顧客企業に納入できて、めでたし、めでたし」であるが、情報を収集してみると、同種の商品をライバル企業が2億円納めているという。さて、そうなると、第一にさらにライバルを追い出せば、さらに2億円のポテンシャル、合計3億円の取引ができるかもしれない。しかし、現在の所、ライバルの方が2倍の取引をしていて深く入り込んでいることになる。値下げをするなどして追い出そうとしてくるのはライバルの方が早いかもしれない。一気に取引がゼロになりかねない。と、いうように、自社の売上の数字だけで安心していると、大きな機会も脅威も見逃してしまうことになるので注意が必要だ。

■顧客企業内でのシェア向上を目指せ
 B to Cの場合でも同じく顧客の維持・育成によって上顧客、ロイヤル顧客化していくことは重要であるが、B to Bではそれは必須要件であると言えよう。なぜなら、冒頭述べたように、人的販売に依存度が大きいため、その企業に入り込むまでに多額の営業費が投入されているからだ。それを単発の取引で終わらせては、利益率がよいはずもない。前号で述べたように、DMUとしての購買部門は、取引コスト削減のために複数の発注先に競わせようとするだろう。しかし、それをかいくぐって取引先企業内でのシェア向上を目指していくことが求められる。
 ではどの程度のシェアを獲得することを目標とすればよいのだろうか。それは、取引先企業の考え方次第だ。取引先を絞り込んで優位な取引条件を引き出そうとする場合。した逆にコンプライアンスを重視して、特定の企業に取引を集中するのを嫌う企業もある。そのため一概には言えない。しかし、ある程度の目安をここで提示しておこう。通常は、市場全体におけるシェアとそのシェアを取っていることの意味合いを現わすものであるが、企業内シェアで考えれば、どの程度、安定的取引を継続させられそうの目安になるだろう。

「クープマンの目標値」といわれるものがある。それはシェアの持つ意味を大きく6つに類型化している。

①73.9%=独占的市場シェア:ほとんど安泰なシェアであり、よほどの事情がなければ短期間にシェアを逆転されることはない。但し、ほとんど寡占的な状況なので、前述の「特定企業に取引が集中している」と購買部門に目を付けられるという事態も考えられる。
②41.7%=相対的安定シェア:このシェアを取っていれば二位以下が逆転することはかなり困難なシェアと言える。実際の市場全体においては、このシェアを取っている企業はその業界のガリバーと呼ばれる企業であり、不動の地位を占めている。
③26.1%=市場影響シェア:このシェアではトップを取っていてもいつ、二位以下に逆転されるかわからない不安定な状況である。また、二位以下もそれがわかっていて、価格攻勢や新製品の上市、キャンペーンなどで影響を与えてくる。
④19.3%=並列的上位シェア:トップと二位、三位あたりまでが拮抗している状況が多く、常に入れ替えが起こっている状況と言える。その企業も、何らかの大きなアクションを起こして③の26.1%のポジションを取り、頭一つ抜け出すことを狙っている状況だろう。
⑤10.9%=市場的認知シェア:市場内でようやく認知されるギリギリのシェアである。企業内シェアで考えれば、その企業全体に取引先として認知されている最低限の状態であり、このシェアを失えば、当者の異動などと共に継続発注がなくなってしまうことも考えられる。
⑥6.8%=市場的存在シェア:市場において存在が認められている最低限のシェア。このシェア以下であれば、大手企業であればその市場から撤退を考えるレベルである。企業内シェアで考えれば、ほとんど一見の取引先であり、早く実績を重ねてシェアを拡大しない限り、継続的な取引先とは認められなくなってしまうと考えられる。

■水平展開を目指せ
 前述の通り、顧客企業と継続的な取引をし、さらに取引額を上げていくには、ただ足しげく通いつめるだけではダメだ。前述の通り、情報収集に注力することは言うまでもないが、その情報の中に、顧客企業内の他部門の情報を収集することも忘れてはならない。特に、相手の企業規模が大きく、また、購買部門などで発注が一元管理されていないような先であれば、それは貴重なビジネスチャンスをつかむことができる情報になるからだ。自社の扱っている商材が何かで、取引先の部門が固定されてしまう場合はやむを得ない。しかし、ある程度ビジネスにおいて汎用的に使用される、何らかのシステム(ハード・ソフト)、ビジネス用品、通信、サービスなどが商材である場合は、一つの部門に入り込み、そこから他部門の担当者を紹介してもらい、さらに取引部門を拡大していくといった活動が重要となる。しかし、そのためには、既に当連載で何度も述べているように、B to Cの場合の「顧客による顧客の紹介」は、満足度が最大化している場合でなくては起こりにくのと同である。即ち、顧客企業の担当者」から最大級の信頼を獲得していることが必須要件となるのだ。
B to BはB to Cと比べると、特殊な要因は多い。しかし、「顧客を中心に考えること」は同じであり、B to Cでの鉄則は同じように適応できることも数多いと認識することが大切なのだ。

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2007.03.02

ありがた迷惑・銀行編

某SNSの日記に書いたのですが、評判がよかったのでこちらにも転載してしまいます。
一応「CSについて考える」というマーケティング的な関連も、少々こじつけっぽくありますので・・・。

ある日久々に窓口に行く用事ができました。

で、窓口に向かおうとすると、恐らく嘱託職員であろう年配の担当者が寄ってきて、私に用向きを聞く。
こちらもATM以外での取引には慣れていないので、何をやりたいのかを一生懸命説明した。

すると、彼は一言。「では、あちらの番号札を引いてお待ちください。順番にお呼びいたしますので。」

「え?」

・・・窓口に用があるときには番号札を取ることぐらいわかってる!
私は何のためにあなたに一生懸命、用向きを説明したの?
聞いたからには、何かやってくれるんじゃないの?
あなたと話している間に、確実に4~5人番号札を取っていったから、
その分、私の順番は後になったのよ?

あれは「顧客サービス」ではない。明らかな「顧客妨害」です。。

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