今回は、「財団法人公庫金融保証協会」の業界誌(非売品)「公庫団信レポート」の依頼原稿です。
金森は自らの文章力錬成のため、(あまりに割に合わない原稿料でなければ)お引き受けすることにしていますので、業界紙、社内誌の執筆も請け負っております。(但し、発行後のBlog公開可が条件ですが)。
といっても、同誌は結構著名な方がコラムを書いておられて、私の前の回はお天気キャスター(気象予報士)の森田正光さんでした。
で、今回の依頼は久々の「2007年問題」です。
恐らく、このジャンルの依頼はこれが最後か?と思いつつ、以前の原稿を踏まえつつ、(焼き直しではありません!)新たな視点をいくつか加えてみました。
やはり(焼き直しではないのですが!)骨格となる部分は、変わりようもないのですが、自分でも書いていて、特に結論部分などが明確になってきているのがわかります。
というわけで、一般公開されていないので、ここで転載しますので、ご覧頂ければ幸いです。
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「秒読みに入った2007年問題~何が起き、どう乗り切るか、その先はどうなる?」
「数にものをいわせ」と言えば失礼になるであろうか。しかし、事実、圧倒的な同世代の同僚を持ち「ポスト不足」とわれる現象を起こしながらも、強力な一大勢力として企業内に存在していた「団塊の世代」。その彼らが定年退職という企業の制度によって、いよいよ去っていく日が近づいてきた。そのピークが2007年。その年、そしてそれ以降企業はどうなっていくのか。世に言う「2007年問題」の本質を突き止め、考察してみたい。
■もう解決した2007年問題?
最近企業に「2007年問題についてインタビューしたい」と企業に申し入れをすると、「当社では2007年問題は解決しておりますので・・・」と断られるケースが増えている。2007年問題といえば、もはや誰もが知っている経済のキーワードであるがその年は団塊の世代が定年退職を迎えるピークに当たり、彼らが持っている技術やノウハウが企業から消失してしまう事をどうやって防ぐかが最も大きな問題の焦点である。それがそんなに簡単に解決するものなのだろうか。言ってみれば、解決策は社内に残る主に若手にいかに「技術伝承」をするか、又は何か別の方法・別の形ですぐ使えるような状態で社内に重要な技術・ノウハウを保存する以外にない。それが一朝一夕で成し得ようはずがない。
■2007年問題を2012年問題にするのか?
インタビューの断られついでにもらった企業のショートコメントや、各種メディアで報じられている内容を総合してみると分かることがある。多くの企業の2007年問題対策は定年退職していく社員に対する「つなぎ止め」や「リレーションの確保」である。具体的に挙げれば、5年間の定年延長や、一旦退職した社員を嘱託として再雇用するという方法が多く、退職したベテラン社員にしか解決しできない問題が発生した時のための「ホットライン」を確保というものもあった。いずれにしても「OB頼み」の観が否めない。本当に単なるOB頼みが解決策だとしたら、それは2007年問題を先送りして、5年後に2012年問題に頭を悩ませることになるのだ。
■OJTという名の旧弊
しかし、企業も全く無策というわけではなさそうだ。各企業とも定年対象のベテラン社員から主に若手社員への「技術伝承」に勤めている様子である。しかし、調べていくとその方法論に問題点が見えてきた。
日本における技術伝承は、古くは西洋中世の手工業ギルドと同じく、「徒弟制度」による技術伝承が主であった。弟子は親方に張り付き、基本中の基本こそ厳しく躾けられるが、肝心要の部分は「技は見て盗め」と体系的に教えられるものではない。弟子自身が師匠を見習い体得していくのである。
しかし、さすがに現代の社会では、一部の人間国宝ものの親方に師事する場合以外、徒弟制度はなくなっている。企業においては「社員教育プログラム」が整備され、基本の座、実践的な現場教育と形は整っている。しかし、その現場教育が問題なのだ。「On the Job Training =OJT」などと洒落た名前こそ付けられているものの、先輩社員に新人を張り付け、いきなり現場に放り出しているような例も散見される。これではOJTと呼び名が変わっただけで徒弟制度と何ら変わりはない。
しかし、変わっている部分もある。それは、学ぶ側の若手である。徒弟制度の頃は学ぶ若手は親方からげんこつを喰らいながら歯を食いしばって頑張った。しかし、「今時の若い者」などという呼び方はしたくないが、現代の若手社員はそこまで根性を据えないのだ。自分に「その仕事が合わない」と判断したら、あっさりと離職する。就労して3年以内の離職率は中卒7割、高卒5割、大卒3割であり、「七五三問題」と呼ばれている。「石の上にも三年」が続かない現代の若手には、徒弟制度の延長的なOJTでは技術伝承はできないのである。まして、この人材の流動化の進む中、せっかく技術を伝承したとしても、技術を引き継いだ社員の「退職願」一枚でその技術は簡単に企業から流出してしまうのである。
■「シャドウイング」という解決策
企業内の知識共有によって生産性の向上を図ることを目的とした「ナレッジ・マネジメント(KM)」は、今日のビジネス界やIT業界においては第二次のブームも下火になりつつあるが、ここに2007年問題解決策が隠されている。KMは単なる社内の文書管理や情報共有という表層的なものではなく、「技術伝承」という課題に対しての解決策になるものだと言うことを筆者は一昨年前、米国で学んだ。米国では日本における2007年問題と同様の現象が、2010年にベビーブーマーの大量定年としてやってくる。
そして解決のヒントは、米国カリフォルニア州サンタクララ郡で開催された「KM World & Internet’s 2004」で聴講した一コマにあった。講演者は米サンフランシスコ市・郡立法管理局の管理委員会書記官である女性担当者である。彼女の職場は役所特有の複雑な業務プロセスが渦巻いていた。サンフランシスコ市ほどの巨大組織になると、日々の業務は脈々と行われ、職員の大半は何のためにその業務が行われているのかも分からず、組織は肥大化し、業務も増え続ける。その悪循環をホワイトカラーの技術伝承というテーマとともに解決しようとしたのだ。
そこで彼女は「シャドウイング」という手法を用いた。「シャドウイング」のシャドウの意味するところは、伝承すべき担当者に陰のように張り付く人間を指す。その実行チーム、「シャドウチーム」に参画する人間を彼女は市からでなく、外部の様々な機関から募った。なぜ、内部の人間ではないのかは、「既存の業務が当たり前に見えない、斬新な視点が必要」だと考えたからだ。
では、シャドウイングとは具体的どのようなものなのか。基本は、シャドウが有用な暗黙知を持っていると思われる担当者に張り付き、その業務を観察して文書化する事である。必要に応じて、「今行われた業務は何のためにやっているのか、ポイントは何か、どのようなイレギュラーケースがあるのか」などを業務が行われる都度、詳細に聞き出して文書化するのである。
ポイントは担当者自身が通常通り業務を行い、シャドウがすべて文書化する事にある。いかに業務のプロセスを細分化し、その細分化された各々の業務について、深く聞き出していく事に正否がかかっている。聞かれた本人も無意識に行っている、あるいは慣例的に行われているだけの業務も多く、即答できない場合も多い。その時は聞き方を変え、他の業務との関連性なども考えさせ、答えを引き出していくのだ。当然、アウトプットとしての文書は、本人に無理に作成させ、行間が抜け落ちたものよりも数段詳細で洗練されたものになる。そして、それらを精査し、適正プロセスを定義しマニュアル化する(形式知化しいつでも誰でも使えるように伝承する)ことで、シャドウイングは完成するのである。
■シャドウイングによる「マニュアル化」の先にある「機械化」
前述のようにマニュアル化してあれば、その技術を伝承した人間が異動・転職・退職した場合でもその影響は最低限に食い止められる。しかし、マニュアルから100%人が学び取ることは難しい。なぜなら複雑な業務なほど人はマニュアルに従おうとしても、自然に自己流の「解釈」をしてしまい、それがマイナスに働くことがあるからだ。だとすれば、「マニュアル」よりもさらに詳細に「プログラム化」し、解釈を差し挟まず100%忠実に再現するために「機械化」しようという発想が生まれてくる。
しかし、「そんなロボットを作るようなマンガじみたことが現実にできるのか?」と思われるかもしれない。マンガの世界の2005年は鉄腕アトムが誕生して既に1年が経ち、世界を股にかけて活躍している。確かに現実の世界での人型ロボット開発は昨今急速に発達しているが、鉄腕アトムには遠く及ばず、ベテランの技を再現するような芸当はまだまだできない。筆者が述べたいのは「産業用ロボット」のことである。産業用ロボットであれば、現在日本では年間10万台程度が既に生産され、輸出も数多くされている。特に溶接ロボットなどは歴史が長く2007年問題の到来など誰も想像していなかったであろう、1970年代初頭には製品化されている。
産業用ロボットのプログラムはロボットティーチングという手法が使われ作成される。 そして、産業用ロボットはティーチングによって「記録」された動作を「再生」する「ティーチングプレイバック」で作業を行う。つまり、ティーチングプレイバックの機能を持つ機械こそが産業用ロボットであると定義されている。前述のように今日では産業用ロボットのプログラムは洗練された手法化されているが、溶接ロボットの開発の時代などは試行錯誤の連続であった。前項の「シャドウイング」のように、開発者は何人もの溶接職人の技を研究し、それをプログラム化し、動作制御を実現したのである。つまり、「シャドウイング」による「マニュアル化」は突き詰めれば「機械化」まで辿り着くことになるのだ。
また、日本が世界に誇るお家芸、工業技術の一つである「金型製作」は究極の職人技と言われていたが、その金型製作すら機械化されつつある。株式会社インクス(神奈川県川崎市・山田眞次郎社長)は、多機種展開とモデルチェンジの激しさが特徴である、「携帯電話の金型の自動製作」で話題を集めた企業として有名であるが、現在同社は携帯電話に限らず、多くの製品の機械化を各企業に提供している。こうした取り組みこそが2007年問題の解決につながっていくのだ考えられる。
■団塊の世代と企業の新しい関係が始まる
筆者がなぜ、2007年問題の解決策として「機械化」まで急ぐのか。人材の流動化については既に述べたとおりであり、理由は他にある。それは今の団塊の世代がいつまで退職する企業に忠義を持って協力してくれるのかという疑問があるからだ。定年延長や再雇用された場合の待遇はそれまでの半分に下がるのが相場だ。にもかかわらず、留まるのは企業が自分を他に変え難い技能を持った人間であると認めてくれたというプライドが原動力となっているのであろう。
しかし、企業に留まることを求められず、退職し第二の人生を謳歌している元同僚の事も気になるだろう。今の団塊の世代は退職金も年金もしっかりもらえる経済的には恵まれた世代だ。市場には彼らを狙ったシニア向けサービスが次々と開発されている。それを楽しむ元同僚を見て、いくら自分の職業にプライドを持っているからといって、いつまで自分は滅私奉公を続けるのだろうかと我に返りはしないか。そう考えると、定年延長や再雇用の5年という期間は長すぎるぐらいだ。それ故、マニュアル化や機械化を急がねばならないと考えるのである。企業は定年退職していこうとする社員達を、助けを求める対象と見るより、早く「大きな購買力を持った消費者」と見られるようになるべきだ。
また、定年退職後はボランティア活動やNPOに加盟するシニアも多いだろう。一方企業も今日、「社会的貢献」が求められるようになっている。そうした社会環境の中で、企業と定年退職した団塊の世代・元社員は互いに頼れるパートナーとなることであろう。
2007年を過ぎても団塊の世代はその世代の末期の層まで次々と企業を去っていく。その現実に対応するためには、一日も早く各企業は自社に最も適した解決策を見出し、退職した社員との新しい関係構築ができるまでになることが急務なのである。