日経BizPlusの連載が更新されました。
今回は実際に起こった出来事から、その根本を深く洞察してみました。
これぞ、タウンウオッチングの醍醐味なのですね。
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/kanamori.cfm
----------------<以下バックナンバー用転載>-----------------------
「危ない!」。思わず振り払ってしまったのは、街頭配布のパンフレットだ。筆者の胸の高さを狙って突き出されたそれは、横を歩いていた我が娘の目を直撃しそうになった。身長120センチ強の子供の目は、配布物を受け取らせるのにちょうどよい高さだったのだろう。
■街頭配布の場景
駅前を見回してみれば、ティッシュペーパーやパンフレット、チラシ、フリーペーパー、試供品などが、場所を奪い合うように配られている。なかには 黙って配布物をおずおずと突き出す者もいるが、「お願いします!」と威勢のよい声を張り上げ、スピード感たっぷりに通行人の胸元に差し出すスタイルが主流のようだ。
フリーペーパーは定期読者とおぼしき人はしっかり受け取るし、珍しい試供品も、進んで受け取りに来る人がいる。しかし、ティッシュペーパーはもはや飽和状態にあるのか、受け取らない人も多い。「オマケなし」のパンフレットやチラシに至っては、受け取っても捨てるのが煩わしいのか、身をかわして通り過ぎる人が多い。いずれにしても配布人たちは、「配布物を通行人に手渡すという行為」の本質を教えられず、業務に就いているように見受けられる。
■マーケティングにおける位置づけ
マーケティングの観点から、「配布する」という行為の本来あるべき姿を考えてみよう。定番のAIDMA理論(Attention・Interest・Desire・Memory・Action =注意獲得・興味喚起・欲望喚起・購買欲求記憶・購買行動発動)で言えば、最初のAとI、つまり配布物を手渡し、注意を獲得し、内容を見させ興味喚起する役割を担っている。
しかし、つぶさに観察すると、「街頭配布」という手法の効率の悪さに驚かされる。達成できているのはA=注意喚起の半分ぐらいであろう。受け取らない人は当然、注意も寄せていない。「お願いします!」と言われたところで何をお願いされているかも分からない。勢いに押されて反射的に手にした不要な配布物は、ろくに見られもせずゴミ箱に直行することになる。
本来の街頭配布の意味を踏まえれば、特にパンフレットやチラシなどは「○○にご関心のある方は、ぜひお手にとってご覧下さい」と配布物の内容を告げ、関心のある人、もしくは必要のある人のみに手渡すべきなのだ。そして、受け取った人には「ぜひ□□というところにご注目ください」と一言添えれば、AIDMAのI=興味喚起までたどり着くだろう。
無論、この方法では、大量にばらまくことはできない。配布人たちは雇い主から「とにかく数をまけ」と指示されているのだろう。かくして、冒頭の筆者の体験のように子供にぶつけんばかりの勢いで、反射的に受け取らせるような動きが横行する。しかしそれでは、パンフレットやチラシを作成したクライアントに効果を還元できようはずはない。いや、むしろ冒頭のような筆者の体験は、そのブランドの価値を損なう恐れさえある。街頭配布の本来的な意義を実現しなければ、マーケティングとして機能しないばかりか、逆効果になりかねないのである。
■街頭配布から考える“働くことの意義”
アルバイトの求人欄などには「チラシ配布人募集」と書いてあり、「誰にでもできる簡単なお仕事です」とただし書きがある。実際、持ち場と配布物を指示され、機械的に「お願いします!」と声を張り上げ、相手の都合や周囲の迷惑も顧みず、人前にモノを突き出すという反復動作を行っている。露骨に無視されたり受け取りを拒否されたりしても、何の疑問も抱かず、自分の持ち時間いっぱいその行為を続ける。おそらく彼らは、何も考えないで仕事をこなしているのだろう。
しかし、昨今、「労働」はもっと広い意味合いを持ち始めている。つまり、「働くことにより対価を得、生計を立てる」というだけではなく、「自己実現」や「知的好奇心の充足」、「仲間と共に働く喜び」など知性や感性と関連した要素が重視されるようになっている。その証拠に、就職面接で学生は口をそろえて「アルバイトで働いた経験によって、いかに自分が人間的に成長したか」をアピールする。
街頭配布は、そうした「喜び」や「成長」とは無縁の、脳神経を全く刺激しない単純労働にすぎない。働くことによる喜びや成長は、知恵を絞り、さまざまな困難を乗り越えた先にある。それを知る前に、人間性をスポイルするような単純労働に慣れてしまうと、「働く」ということに対する価値観は「金銭を得ること」以外に形成されなくなってしまう。
マニュアルに従い全く自分の思考を用いない労働には、「飽き」がくる。するとその仕事を辞める。しかし、また金銭のために同じような仕事に就き、また辞めるということを繰り返す。フリーターの増大が問題になって久しいが、問題の根本はこんなところにあるのかもしれない。
もちろん、職業に貴賎はなく、単純労働にも、その仕事の効率や質を向上させる「カイゼン」の余地はたくさんあるはずだ。要は、本人の意識、または雇い主の意識付けの問題なのだ。
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街頭配布は年々増加しているように思える。このあたりで一度、効率と本来の意義を考え直してみてはどうだろうか。そうでなければ、今後も駅前には何の感情も持たない「配布マシン」が跋扈(ばっこ)することになる。
いや、「街頭配布」だけが問題なのではない。街頭配布を反面教師として、その業務の本来的な役割は何なのか、そして自分の働き方が形骸化していないか。創意工夫を欠かしていないか。そんなことを一度見直してみてはどうだろうか。