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2005.08.31

フリー情報氾濫時代に"情報の価値"について考える

NIKKEI NET BizPlusの連載・ニッポン万華鏡(カレイドスコープ) 第5回がアップされました。
この記事、お盆の日曜日に事務所でのんびり書いたものです。

とはいえ、前連載の時のような「説教臭さ」がちょっと復活しているような・・・

しかし、皆さん、自分の持っている「可処分時間」の中でどのような情報取得をしていますか?
「仕事に役立つ」という観点だけでなくても構いません。
「心の栄養」である文学でもいいと思います。

問題は、その「質」にあるのではないでしょうか。

今日、フリーの情報はが氾濫し、その多くが記憶に残らないフローの情報。
つまり消え去っていくものが非常に多くなっている気がします。

そんな思いをお盆中に各種書籍を乱読している時にふと思って書きました。
皆さんはどう思われますでしょうか?


http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/kanamori.cfm?i=2005111605onec6

-----------<以下バックナンバー用転載>-----------

■お盆休みは自らのナレッジ増強のチャンス?

 この原稿を書いている時期、世間はいわゆるお盆休みに入っていて事務所の界隈は静まりかえっている。「お盆前にお願いしますね!」といわれていた仕事も片付いており、非常にリラックスした時間が流れていく。

 こんな時こそ、自らのナレッジ(知見)をアウトプットばかりしている日常業務を離れて、各種書籍や雑誌からインプットするチャンスだと乱読行為にふける。しかし、ふとその中で昨今、人々の特に若年層の"情報取得の方法"が大きく変わってきていることに気づく。

■情報の"ストック"の方法を少し整理してみよう

 この休み中に筆者がやっていることは、"ストックの情報"を取得する作業だ。人によって方法は異なるかもしれないが、とりあえず自己分析してみると二つに分類できる。

 まずは、普段気になって購入したものの、とりあえず書棚に収めただけになっているビジネス書・学術書の類に手を出し、ざっと斜め読みする。「隅々まで読まねば」と思ったものは、熟読する。これはその本の情報を"自らのナレッジに変換して頭の中にストック"しているのだ。一方、斜め読みの後、「何が書いてあったか覚えておき、必要な時に読み返せばいい」と、"リファレンス(参照)情報だけをストック"する場合もある。各々、ストックされた情報の深さは違うものの、その行為によって頭の中に新しい引き出しが作られているのは間違いない。

■インターネットの検索に依存しすぎる危険性

 最近気になっていることは、前述のような"情報をストックする"という習慣が特に若年層から少なくなっている気がすることだ。インターネットの普及によって、必要な時に"検索"をすれば、自らの頭の中にあるナレッジやリファレンス情報を思い出すより遙かに早く必要な情報にたどり着ける。検索エンジンの性能向上によって年々高速化し、検索結果は1秒もかからず候補が羅列される。一方、頭の中のナレッジやリファレンス情報は、元からインプットしておく必要があり、それを思い出すことも頭が固くなってきている現れか、年々低速化傾向にある。どちらが楽かはいうまでもない。

 しかし、検索エンジンによって表示された結果は、果たして自分にとって価値のある情報なのか。必要としている情報との適合性はどの程度あるのか。それらは羅列されてしまっている以上、一つ一つ開いて確かめていくしかない。しかし、その判断の基準軸が自らになければ、誤った情報や不適合な情報を取得してしまうことになる。その結果、質の低い情報を使ったアウトプットは、同じく質の低いものになってしまう。

■"フリーな情報"の氾濫

 インターネットから情報を得ようとして、結果的に質の低い情報を手にしてしまうリスクが発生する。原因は"情報をストックする"という習慣が普段からついていないからだ。なぜ、ストックする習慣がなくなってきているのか。それは、世の中に"フリーな情報"が氾濫し、それらはフリーであるが故に、読み捨て、つまりストックされないからだろう。

 最近新聞を購読していない若い社会人が増えている。若いといっても30才前後の中堅クラスまでだ。新聞代を払わずに、会社に来てからニュースサイトをブラウジングして済ましてしまうのだ。それも何か自分の仕事に関連があるか、興味を引かれたもの以外はヘッドラインをクリックせずにトップページを斜め読みするだけのレベルだ。だから、「今日の日経に書いてあったけど・・・・・・」と話しかけても「ああ、何かありましたねぇ」レベルで終わってしまい、話が深まらない。記事本文を読んでおらず、情報が頭の中にストックされていないからだ。

 自分の仕事に関連した専門誌などを購読しているという人も減っている。せっかく会社が定期購読契約してくれていて、マガジンラックに並べてあっても手に取る人は少ない。代わりに彼らは何を読んでいるのか。街で受け取ったフリーペーパーである。

■フリーは実はフリーではない!

 WEBサイトやフリーペーパーは無料であるが故に気楽に見ることができる。そもそもこの現象は、"情報の対価を支払う"という意識がだんだん希薄になってきている現れではないか。しかし、気づくべきなのはお気楽に無料の情報に接している間にも自分があるものを消費しているということだ。それは"時間"だ。

 情報がフリーであれば、自らの可処分所得の減少を防ぐことには貢献するだろう。しかし、誰しもに等しく与えられている24時間という時間の中の、睡眠・食事・仕事などの必要不可欠な時間から残された"可処分時間"をどう使うかで、仕事なり何なり、自分のアウトプットの質が変わってくることに気づくべきだろう。フリーな情報に接している間にも、自らの貴重な可処分時間は消費されているのだ。

■情報の価値に関する教育の必要性

 WEBサイトの情報やフリーペーパーがいけないとか、情報の価値が低いといっているのではない。それらの中にも良質な情報や貴重な知見が隠されているはずだ。しかし、そもそも情報の価値を判断する軸が自らの中に育っていなかったら、それすらも読み流してしまうことになる。

 そうならないためには、情報の対価を払い、世間や自分の業界でいわれている"良書"や"必読書"を読み、情報をストックする判断軸を身につけることが必要だ。まずは今、取得している情報の価値と自分の可処分時間の価値が見合うものなのかを一度考えさせる必要がある。


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